青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

続報:巨大台風21号は急に東に方向を変えそうです。関西地方にお住みの方々はご注意を!

2018-08-31 | 季節のたより
 昨日、やって来る台風21号の進路について記事を書きましたが、米軍が公表した今朝の進路を見ますと、四国の直前で大きく右(東の方)に進路を変えている図が公表されていました。

 それが次の進路予想図。

 米軍が公表した今朝の「台風進路予想図」から ←(クリック)

 但し、こう進むのか、四国に直進してくるのかは、台風に聞かなきゃわかりません。

 もう一つ、ウエザー・ニュースは次のように伝えていますので、それもお伝えしておきます。

 ウエザーニュースが今朝5時に公表した「台風進路予想図」から ←(クリック)

 又、四国を直撃せず急に右に大きくカーブを切ってこう進んだとしても、四国の東にある和歌山、大阪、京都、愛知県など本州の地域が直撃を受け、被害を被るのは間違いありません。

 室戸半島から和歌山県あたりに上陸する時間は9月4日(火)の午前中で、関西地方は5日(水)の朝まで吹き荒れ、そこから石川県や富山県など山陰地方の方に進むと予報されています。

 気圧も、31日の今朝の気圧は925hPaで、上陸時でも935hPaの「巨大台風」と予報されていますので、四国、関西地方にお住みの皆さんは本当に十分にご注意ください。


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次にやって来る巨大台風21号は20号と同じコースを通過か

2018-08-30 | 季節のたより
 台風20号は、この間、8月23日の午後3時に近づき、午後9時ごろに通過して行きましたが、そのコースは、室戸岬と紀伊半島のちょうど間を通り、台風の中心は徳島県阿南市あたりを通過して行ったようです。

 それが、その20号の後を追うように四国に向かって台風21号が近づいています。それも、これは20号よりも大きいようです。

 台風の進路情報は、私はいつも日本の気象庁の進路予報ではなく、米軍が公表している進路情報の図を見て確認していて、より信用しています。

 そこで今度やってきている台風21号を米軍はどのように進路を予想しているのかですが、次の進路予報図がそれです。

 米軍が公表している「台風進路予想図」から ←(クリック)

 読者の皆さん、またもや室戸岬に向かってやってきていますので、特に四国と紀伊半島、及び関西地方にお住いの方々はご覧いただいて、その進路に合わせ自宅などの災害対策に励んでいただきたいと思います。

 先の20号は「強い台風」でしたが、今度やってきている台風21号は「非常に強い台風」ですので、自宅や会社の建物の防災対策にお励みいただきたい。

 予想図を見ると、接近は9月4日ごろで、9月5日ごろに室戸岬に上陸、と考えています。

 又、今回は先の20号と違い、紀伊水道を通るのではなく、台風の中心は室戸市に上陸して暴れまくると考えられますので、高知県東部地域にお住いの方は、自宅の防災作業は早めに行い、強風で飛んでいく物は早めに自宅にしまい、ビニール・ハウスで野菜を作っている方々はビニールの屋根が飛ばされないように2日の日曜日までには作業を行ってください。

 皆さん、今度は「室戸直撃だ」と思って、早めの対策を!


 以上、室戸市議会『鷹山会』からの防災対策の情報伝達でした。


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「伝説の工場再建屋 山田日登志」に学ぶ

2018-08-29 | 人間のあり方
 十年前になるが、2008年4月15日に放送されたNHKの番組「プロフェッショナル」の「輝け社員 よみがえれ会社」は、議員をしている自分にも大変勉強になり、貴重な時間だった。(当時に書いた記事からもう一度、思い出してみた)

 番組の副題は「伝説の工場再建屋 山田日登志」。

 山田さんが目指すのは、工夫すれば、努力次第で生産性は高まり、工場は無限に強くなる。これが山田さんの信念。

 番組を見ながらメモした言葉や要素を列挙する。

 企業人だけでなく、行政職員、議会人にもその職務に関する能力アップの面で参考になるのではないか。

 ●「ムダ」を見つける。
 ○トップの指示待ちでいいのか。
 ○社員の意識を変えるにはどうすればいいのか。
 ○トップは社員のやる気を引き出せ。
 ○会社の目指すところは何か。
 ●常識破りの工場改革で、社員が変わった。
 ○決められたことだけやっていた社員の意識が変わった。
 ●悪い点を悪いと誰かが言わなきゃ、人は変わらない。
 ○工場に潜むムダを取り除く男が必要だ。

〈赤字工場を再建するための手法〉

 ①材料は使う場所に置く。
 ②機械が商品を作る時に見ているだけの人はムダで、必要ない。
 ③動線を短くする。
 ④運ぶ距離は出来るだけ短くする。
 ⑤新製品は客のニーズに合ったものを作る。
 (これらは当たり前のことだが、気付かずに仕事をしている例が多分にある)

 ●変わることはいいことだとみんなが気付くと、組織は変わってくる。
 (誰も気付かないと、いつまでも組織は変わらないということになる)

 ○仕事が増えて文句を言っていた人も、効率が上がってくると「色々工夫できて、仕事が楽しい」と、やがてどんどんやる気が増大してくる。

 ○社員が仕事の楽しさを味わえば、工場はどんどん強くなる。

 ●働くことに喜びを持つこと。

 ●苦しいけれど、仕事が楽しいという人間を作らなければ、組織は荒廃する。

 ●変化を受け入れないから、改革が進まない。逆に言うと、改革が進まないのは、組織に属する人間が変化を受け入れないからだ。

 ●下手な伝統や昔から続いてきた慣習に固執し過ぎると、社員が好き勝ってやるから、会社がおかしくなるんだ。

 ●工夫の余地は無限にある。後は、やるかやらないかだけだ。

 ●プロフェッショナルとは、使命を感じて人が賞賛してくれる働きをする、そんな人をプロと言う。

 この番組を見て思ったのは、やはり思った通り、これまで私が議員の責務として行ってきたことに誤りは無かったと確信した。「動かない人間の方が間違っている」と。

 それと、この番組の中で特に注目したのは、山田さんに問題点を指摘された一人の家具職人がそれを改善しようと必死になって作業時間を短縮しようと苦心するシーンでした。機械や材料の置き場所を変えたり、取っ払ったりして、少しずつ時間を短縮して行く過程は、特に楽しく見せていただいた。こんな職人のいる会社や組織は強いと思いましたね。逆に言えば、こんな熱意のある人がいない会社や組織に将来は無いし良くはならないと、確信めいたものを感じた。

 この場合も、飛騨高山の家具会社社長が「再建屋・山田」に工場形体の改革改善を依頼して職人に指導してもらったことから木製チェアの製作時間が半分に短縮されたものであって、これがこの会社の別の工程で仕事をしている同僚職人が当該職人に改善点を指摘し助言を与えた時に、素直にそれを聞き入れ、改善に努めたかは大いに疑問だ。

 「上」から支持されたり、著名な人物が来て指導されたら改めようと努力するが、同僚や自分より経験の浅い人、分野の違う人から誤りや不適正や知識・技術の改善点などを指摘、指導されると、努力しない。むしろ反発する。だから、70歳のおじさんが10代の少年の頑張りを見たとしても学ぼうなんてことはしない。

 つまり、人によりますが、年齢で差別し、教養や知識の深さに嫉妬して学ぼうとはしないひとがいるということだ。

 人間とは概してそうしたものですが、そこを素直に反省し、受け入れてトライしてみるところに、勇気の有無、誠意の有無が表出する。

 でも、テレビや映画のように「あー、あいつが言うように、俺は今日まで間違っていた。改心して、組織のために尽くそう」とする人は、あまりいません。

 努力する人はもともと生真面目な努力家だから、指摘されることは無い。指摘される人が大体、改心しないものです。逆に反発し、ただ逆らい、人を陥れ、成り上がろうとする。

 そうではなく、とにかく山田日登志さんから学び、広く世間から評価される人になりましょう。


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「台風一過」の青空を喜ぶ時代は過ぎ去ったのでしょうか

2018-08-27 | 人間のあり方
 最近の天気はおかしい。

 これまで台風が過ぎ去ったら、翌日はカラッと晴れた空になり、それを「台風一過」と呼んでいました。

 でも、ここ数年前からでしょうか、台風が直撃し過ぎ去っても、空はカラッと晴れない。翌日も曇り空で雨が降ることの方が多くなった。

 この間の台風が過ぎ去った翌日の24日も、午前中は何度も大雨が降った。みんな驚き、笑っていました。

 「どうしたんだ、この大雨は」と。

 この光景を考えていて、ふと「人間社会の生活習慣も似たようなところがあるなあ」と思った。


 これまでは、「通常は悪いことがあっても、それが過ぎ去ったら明るい光が差す」と、気分を切り替えることができた。そうして人生の苦難を乗り越えてきた。

 でも、この台風が過ぎた後も空は曇り空で、時には大雨が降り、いつまで経っても空は雨雲で覆われている。

 そんな光景を考えると、これは人にもよりますが、「通常は悪いことがあってもそれが過ぎ去れば明るい光が指すものだが、いつまで経っても人生の状況が良くならない」と、気分が晴れない状況が続くのとよく似ていると思った。

 こういう風に物事を考えるのも「年齢が高齢化したためなのか」とも思うが、襲来する台風が行き過ぎても曇り空と大雨の降る理由がまさか、地球が高齢化したための天候不順ではなかろう。

 いや、「地球温暖化による夏場の高温化」という話もあるから、地球も高齢化してしまっていて、それ故の天候不順であるのも大いに考えられます。

 台風20号の襲来が満潮時と重なったため、室戸市内の海岸にある国道にはたくさんの大石や小石、プラスティックでできたペットボトルなどが打ち上げられていました。このことを考えると、正しく人生を歩んでいても、油断していれば、陰に隠れた悪い人間に石をぶちつけられ、足を引っ張られ、首を絞められ、やがてその土地から追い出されることもないとは言えない。

 想起しますが、これから勝つのは「高齢化のために温暖化し続けている地球」と「正義感と倫理観を失ったがために悪化し続けている地域」で、「公正で公平で適正で道徳心にとんだ精神を持つ住民」は敗北感を抱えてその土地から出て行くしかない。悪い政治は勝ち、幅を利かせるので、正義感にとんだ正しい政治を実現しようとする者たちはまちから出て行くしかない。

 そんなふうに考えます。

 少年時代がそうでしたが、「台風一過」のあの澄み切った青空を喜んだ時代はもう過ぎ去ったのでしょうか。


 そういう“地球高齢化”を思う時、“地域意識の高齢化”はさらに進行するであろう、とも思う。

 それを止めるのは、ただ一人、「悪意を持った話には絶対に乗らない正義感と倫理観を持ち、住民が求める公正で公平で適正で道徳心にとんだ精神を持つ人」。そういう人が組織のトップに立ち、“地域を高齢化させて曇り空や雨を降らし続けている状況”を改革し、「台風一過」の青空を喜ぶ時代を作ることが、責務となる。

 台風一過の青空を地域に広げる人柄を持った人間がトップに立つか、台風が過ぎ去った後も大雨が地域に降り続いているような住民に苦労させ続ける人間がトップに立つか。それを決めるのはその土地に住む住民の皆さん、あなた方です。

 結果、前者がトップに立てばまだそのまちに暮らせましょうが、もし後者が立ったなら、みんな一日も早くそのまちから出たほうがいい。

 「ああ、あの暮らしやすかった“日々青空の時代”が懐かしい!」。


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地方議員研修講座:平民宰相 原敬の生き方

2018-08-26 | 政治家のあり方
 かつて、大正7年に首相に就任した原敬(はら・たかし)という人がいました。

 原以前の首相は全て華族でしたが、原は大多数の国民と同じ平民出身ということから、「平民宰相」と謳われたことは有名です。数多くの政治家と違って、叙爵(じょしゃく)を拒否し、平民であり続けました。「叙爵」とは、爵位を授けられること。

 その理由は、《国の指導者は、国民から選ばれた衆議院議員でなければならない》と考えていたからといいます。

 明治、大正から、昭和22年までは、選挙を経ないで華族らが議員となる貴族院があった。爵位を得ると貴族院議員とされる、それ故、原は爵位を頑なに拒否した。

 このことから、政治家を目指すに当り、国民に選挙で選ばれることの重要性と、国民の審査をなんら経ずに議員となった人ばかりの貴族院にいることで、国民から自分も他の議員に向けられていると同じ目で見られるこの二つのことを嫌い、頑なに爵位を受けなかった事が分かります。

 この原敬の座右の銘は「宝積(ほうじゃく)」。「宝積」は「宝積経(ほうしゃくきょう)」を指し、この経の本義に「人を守りて己を守らず」とある。これは、人に尽くして見返りをもとめないことで、同経を実践しようとしたもので、原の生き方が単的に表された言葉といわれている。

 栄誉を求めず、爵位を求めず、ただ平民を全うすること。誠に感じ入る。

 私は議員の端くれとして、見習わなくてはならない。「市長になりたい」だの、「議長になりたい」だの、「委員長になりたい」だの、そんな名誉や権威を追い求めることよりも、もっと大事な事があるということです。そして、その精神を実行してきた。

 それは、議員としての職責を果たすこと、住民のために尽くすこと、住民の負託に叶うだけの成果を挙げるよう努力すること、報酬分以上の働きぶりで仕事をすること・・・・。いくらでも挙げられる。


 手前味噌になりますが、私は平成15年に議員になった時、自分に重い荷物を背負わせました。それは住民に選んでいただいたことを考えると、気を抜くこと自体がもう職責を全うしていないと判断したからです。

 その「重い荷を背負う」とは、県外のある元議員が戒めとしている言葉を基に、私なりに次のような十訓を作ったことに因る。

 「市議会議員の評価基準」

 1、一般質問は毎議会行っているか。

 2、どの議案に質疑し、賛成(または反対)討論し、賛成し、反対したか。それは積極的か。

 3、政策実現はどのくらい出来たか。

 4、公約は守っているか。公約以上の活動を実践しているか。

 5、全市的な視野と観点で政治に取り組んでいるか。ドブ板議員にはなるな。

 6、違法をしていないか。違法を追求しているか。悪人を許してないか。

 7、市民の視点で働き、市民の声を代弁しているか。市民の犠牲になれているか。

 8、公平、公正で、大局に立った姿勢を忘れていないか、何が重要か忘れるな。

 9、利益誘導、不合理な口利きや働きかけをしていないか。

 10、威張ったり、傲慢になっていないか。

 筆書きしたこの十訓を、私が毎日座るパソコン・デスクの前の壁に貼ってある。議員として揺るぐことなく、毎日これを守り、一日として気を抜いたことがなく、真面目一筋で活動を続けてきました。

 だから、自慢ではなく事実を申せば、2年前の平成28年末までは一般質問を欠かしたことがなく、室戸市が提出した議案には違法や不正な事業案が数多くあるため討論にも数多く登壇してきた。勿論、議会で大綱質疑がある前日までに質疑原稿も仕上げ、その日に臨んでいます。

 なぜ、こうして精力的に議員活動を行ってきたのかと言うと、他の人のことは関知しませんが、気を抜けば他の議員諸氏に負けるからです。それだけです。議員活動が他の議員に負ければ悔しいから、負ける事がいやだから、頑張ってきた。夜昼無しに頑張るのは疲れますが、とにかく負けたくないから、一生懸命これまで生きてきました。

 それと、住民の皆さんに、「谷口、お前は議員報酬分の仕事をしていない」と言われたくないからです。

 それに、「谷口、お前は、不正を許しているのか」と言われたくないから、不正を許さないのです。

 それに、「谷口、お前はしてはいけない不正な働きかけをしているじゃないか」と言われたくないから、市長に「あの会社を頼む」なんて悪いことは絶対に言いません。

 それに、企業などとは利害を持ちたくないから、選挙資金に乏しいから、市議選では運動員の助けを借りることなく、女房と二人だけで選挙運動をしてきました。だから悪しき利害関係は全くないし、選挙で使ったお金も少なく、97000円、次の市議選では45000円、三回目からは選挙事務所にした車庫にお茶菓子を買っておくぐらいで済ませてきた。


 とにかく、議員は自分に重い荷を背負うべき。あれも、これもしなくちゃならないと思って仕事をすべきです。してもしなくてもいいなんて気持ちでは、いつまで経っても議員として一人前にはなりません。そして、仕事は自分で課題を設定した上で、次から次ぎへとその課題に関して取材・調査・研究を重ねること。

 県庁の担当課に行き、自分の自治体の課に行き、インターネットで調査し、その上で自分の考えをまとめて、やっと次の議会の課題、質問項目が固まって来るんだと思っています。

 憲法第15条には、「全て公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と規定されています。だから、議員は住民全体の利益のため、この法令に基づいて公平にその権限を行使すべき厳しい立場にある。

 つまり、住民全体の立場に立つ議員として、勇気を以って公平・公正に、正しい判断を下すべきもの。議員は正義の味方として努めなくてはならないのです。


 地方自治体議会の議員は、決して一部の地域や特別の個人や企業の利害で物事を判断してはならない。

 原敬首相のように「名誉的地位に恋々とせず、人に尽くして見返りを求めない姿勢」。

 これこそが、政治家が守らなくてはならないルールだと思う。

送付して一年が来る、尾崎高知県知事への直訴状

2018-08-25 | 議員活動
 故合ってこの7月に発行を廃止しましたが、私が毎議会後に発行してきた議会報『青空新聞』。

 その『青空新聞』は平成29年秋号として、9月議会後に「平成28年度室戸市決算」を基にデータを収集し、「平成28年度室戸市決算報告」大特集を記事に組み、すでに平成15年頃から平成27年度までのデータはすべて収集し記事に書き込み、後は9月議会の告示日である9月1日(金)に決算書を議会事務局からもらってきて数字をその版下原稿の「平成28年度分」の数字を空白部分に挿入し、新聞の原稿は完成の運びとなった。

 でも、昨日の記事にも書きましたが、その昨年の7月中旬に市議数名と一緒に県の室戸土木事務所の職員の皆さんとの勉強会が開かれ、私は「なぜ県は五十年近くも前に整備した、狭いし急カーブがあって危険な状態のままの県道椎名室戸線を新設しないんですか。これまでも、何十年も前から室戸市や市内の団体などが改修及び新設に関した要望書を持って県庁に陳情に行っていますが全く反応が無いまま今に至っています」と厳しく指摘しました。

 それに対し、県室戸土木出張所の担当職員は「県道椎名室戸線については、県はやらないということではなく、室戸市の盛り上がりがあれば前進しないことは無いんですよ」とお答えした。

 私はその時、「こうして盛り上がっているじゃないか」と思ったし、「これまでも室戸市全体が盛り上がって大挙して県庁に押し掛けたことが何度もあったが、県庁も県議会も室戸市を軽んじて何一つ協議もしてこなかった」と思ったものです。


 そこで、その室戸土木事務所職員の回答が嘘か本当かは別として、「盛り上がりがあれば検討する」との県職員の回答を受け、「ウソでもえいわ、だまされてもいいや」と、急きょ、議会新聞の特集を差し替え、昨年の8月初めから「県道椎名室戸線の早期着工を尾崎知事に直訴する」特集に取り組み始めた。

 本棚にしまってあったこれに関する資料をまとめてあるファイルを引っ張り出して広げ、構想を練り、記事の流れを決め、レイアウトを考え、企画をまとめた。そうして8月中旬からはA2大の版下原稿用紙にWordで書いた記事や十三年前に県土木部でいただいた図面や表を切り貼りしていった。

 そうして8月末に完成したのが、次の新聞のA2の版下原稿。
  

 それをA3に縮小した版下がこれ。
  

 そして全ての印刷が済んで1部づつに分けて積んでいったのが、新聞のこの山。

 当時全国的な話題となりました神戸市議会の橋本議員。「配布していないチラシは?」と問われた橋本市議は「すべて廃棄処分にしました」と答えていたが、そのことは「神戸市民の税金をどぶに捨てた」と言ったに等しく、市民をなめ切っている。女性との関係は倫理上の問題だが、今度の件は金で法律違反。本当に神戸市民は舐められてますねえ。ひどい男でした。

 私にはそんなこと、あるわけがない。自分が市民からいただいた大事な報酬を使い、額に汗して作ってきた新聞ですもん。
  

 新聞の1ページ目では、尾崎知事に対し、室戸市の危険な県道として有名な「県道椎名室戸線」の新ルート整備を要請しました。
      

 橋本神戸市議が政務活動費をちょろまかして数枚だけ作ったA4紙一枚の政治チラシと違い内容も充実していまして、自分が市民の皆さんからいただいている報酬を使ってですが、ずっと市民のためにお役立ちできるものになっていると思っています、ハイ。

 大特集のタイトルをご覧いただいてお分かりのように、これは私から尾崎高知県知事と県土木部職員に対する“直訴状”。もしこっちを向いて下さらなければ腹を切るぐらいの気持ちで作りました。

 結局、災いを受けたため、その議会新聞の発行は今年の7月末を以って廃止にしましたので、私が議員としてこの件を高知県知事にお願いするのはこれが最後となりました。

 毎回、市議会の閉会日に合わせて印刷し市民の皆さんに配布してきましたが、昨年のその特集号は「早く県にお渡ししたい」という私の気持ちもあり、県庁の関係者の皆さんには急ぎ送付させていただきました。

 高知県庁の皆さん、私は妻の老後の一人暮らしを考え、室戸市議会から去ろうと決意している身です。来年以降は不正で不正直な情報発信はあっても、こうした正義感に富んだブログや議会報で、公正・公平・適性な道徳的内容で情報発信を行う議員は一人もいなくなります。

 どうか、室戸市にある古臭くて、狭苦しくて、急カーブがある危険な「県道椎名室戸線」を、今とは違う別のルートで新設していただきたい。

 道路幅は広く、そして急カーブのない直線状の県道であるのは当然のこと、トンネルを整備するならそのトンネル内の道路幅も広く、そして今のトンネルのように薄暗くて危険極まりない照明にせずに明るいトンネルにすることをお忘れなく!

 再度、申し上げます。

 尾崎高知県知事殿、あなたは2012年4月2日、県幹部職員に対する訓示「知事講話」の中で、こう指示しました。

 「県民と共に働く体制を確立することなくして県勢浮揚の成果を挙げることはできない」と強調し、「現場に足を運んで県民の生の声を聞き、仕事に大いに活かしてもらいたい」、

 「県庁職員、特に幹部職員にも県民の中に足を運んでもらいたい」、

 「職員の皆さんの声を課長や部長、副知事や私へと上げてもらいたい」


 そう要請しました。

 そして、こう付け加えています。

 「悪い情報や本当の情報こそ上に上がってくる組織でなくてはいけない」。

 この言葉は高知新聞の記者が会場に取材に来ているから言った、決してそんな“ポーズ”ではなかったはず。

 県庁職員を前にして公言したからには、室戸市民のために実施していただきたい。

 「現場に足を運んで室戸市民の生の声を聞き、仕事に大いに活かしてもらいたい」。

室戸市民の一人として再度、尾崎高知県知事に強くお訴え申し上げます!

2018-08-24 | トップのあり方
 三年前の12月、千葉県君津市広岡の国道410号にあるトンネル「松丘隧道」(全長91.3メートル)で長さ約20メートルにわたり、約23.5トンのモルタル片が剥がれ落ちたというニュースが報道されました。

 産経ニュースから

 その「松丘隧道」に関する記事です。

 トンネルや橋など古いものを訪ねて

 片側二車線の国道といっても山間部の普通の道路で、そのテレビ報道を見て、「あっ、室戸市の三津坂トンネルとよく似ている」と思いました。

 私が住む室戸市は人口1万2000人の小さな町で、その中心地である室戸市浮津の交差点から県道が始まり、室戸高校の前を通って、室戸市の東海岸沿いの小集落・三津の国道55線につながる短い県道202号線。距離にして約4キロぐらいしかない。その三津側にトンネルが抜けていて、その全長は390m。

   

 日本の高度成長期の昭和46年3月にこのトンネルが完成し県道が整備されたことによって、室戸市の車の流れは良くなったし非常に便利になり、町の発展に何がしか寄与してきまことは間違いありません。

 因みに、私が地元の高等学校を卒業して家業である銘木製材所で働き始めたのが、昭和39年。まずは「ふそう」の4トンのトラックに乗り、あまり多く積めないことから2年後には「UD」の6トン車に替え、木材や丸太を積んで県内外を走っていましたが、当時はまだこの県道と三津坂トンネルは出来ていませんでした。

 そして県道は完成しましたが、まだ車の所有者も少なく、この県道を走るは車もスムーズに流れていました。ですが、時代が進むにつれどんどんと車も増え、次第にトラックが大型化してきたこともあり、トラック同士がトンネル内ですれ違いできない状況がもう20年余りも前から続いています。それに伴い市民からの苦情や批判も徐々に大きくなってきました。

 「なぜ県道にあるトンネルがこんなに狭いのか。高知市内の県道にあるトンネルは狭くないように作ってあるのに」、「三津坂トンネルを抜けた県道は急カーブもあるのに、なぜこんなにも狭いのか」と。

 しかし、室戸市から高知市までは80キロもあって遠いからか、高知県知事には少なくても過去三十年間、つまり昭和から平成に代わるころから市民も政治関係者からも大きな声で訴え続けているのに、どうも聞こえないようである。

 因みに、県道の幅員については、建設当時は交通量が4000台未満と計画し2.75mに施行したが、平成11年に実施した交通量調査では11730台と約三倍に膨れており、現在の規約で三津坂トンネルを考えると3.00mなければならず、違法の状態にあることが判明している。

 つまり、違法な状態で「県道椎名室戸線」は放置され続けているということになる。

 更にその問題を大きくしているのが、三津地区の国道から上がってきた大型トレーラー車がトンネル手前の急な直角カーブをハンドルを右に切りトンネルに向かうと、100%、車体の後半分が対向車線にはみ出してカーブを曲がっていること。

 思い返せば、私が市議に初当選して一年目になる平成16年4月30日、県室戸土木事務所に県議と市議10名で当該県道の拡幅について陳情を行った。

 又、平成16年5月17日に県議と市議8名で県庁を訪ね、橋本大二郎高知県知事や森県議会議長、土木部長ら職員に対し面会を求め、当該県道の付け替え及び拡幅について陳情を行っている。

 その後も何回か陳情を行ってきたし、もちろん、市からも長く要望を行ってきた。

 ですが、平成20年ごろだったか、県から「この県道掛け替えについては、高知県の道路整備案件のランクでいえば下位にあり、県は整備を行う予定はない」、そう回答を受けたことがある。

 すると途端に、それまで県道掛け替え整備について活動を行ってきた県議(当時)はそれ以降、自分の選挙公約にも後援会広報紙にもこの事業への取り組みについて書かなくなった。それは、この事業への取り組みを議員活動の一つに書き入れると、地元住民から「やると言いながら実現できないじゃないか」との誹りや批判を浴びるからであるのは歴然としていた。

 そんなこんなで皆さん諦めたのか、室戸市議会でもこの県道椎名室戸線の改良事業についてはどなたも強く主張しなくなったし、腹を立てる人はいなくなってしまいました。

 しかし、私は今回市議に当選してすぐの平成27年6月3日、高知県安芸土木事務所の室戸出張所職員との勉強会が行われることを良い機会だと考え、その中で所長や職員の皆さんに向かい厳しく言ってやりました。

 「県道椎名室戸線の整備・改良事業をもう忘れてしまっていますが、あの狭いトンネルと曲がりくねった不良県道をあのまま放置するんですか。トレーラーは対向車線にはみ出して曲がっているんですよ。トラック同士のすれ違いは一台がトンネルの前でとまらないといかんようなトンネルが高知市内の県道にありますか。ないでしょ。高知市内の県道なら予算を手厚く出しこんな田舎の町の県道ならもう終わったように放置する。あんたがたはどういうつもりですか。それこそ、不平等じゃないですか。・・・・」

 職員の皆さんが言うことは決まっていた。

 「いえいえ、その県道整備は忘れてはいません。・・・・」。

 職員の皆さんの言うことなど私は信じちゃいません。「忘れてない」と言うなら、「すぐに事業化すべき」です。

 すぐにやろうとしないということは、やる気が無いに等しい。

 それから毎年6月ごろに室戸土木事務所の職員と勉強会を開けば、私だけがこの違法な状況にある狭い「県道椎名室戸線」の新設を強く訴えてきました。今年も強く訴えました。でも、どう受け止めても、お答えは弱く、やる気が全く無いように受け止めています。

 その時、私はこう考えています。

 「県庁は高知市周辺地域にある県道は優先させて改良したり新設したりしているが、高知県の末端地域にある室戸市周辺の県道の改良や新設には県費を投資したくないようだ」と考えるし、「知事は政治家としての能力にかけ、口では“地方の活性化”等ときれいごとを唱えているが、本心は『知事選での再選を考えれば、地方の地域改善よりも大事なのは、首都である高知市周辺地域の活発化』だと考えているんだ」と私は判断しています。

 これは高知県のことだけだけではなく全国どこでもそうじゃないでしょうか。「都市部の県道改良は地元の住民が要望をしなくても県庁が力を入れるが、郡部の県道改良には配慮に乏しく、自治体や住民が強く要望し続けても力を入れない」。


 視点を変えて、県都から遠く離れた市町村で議員をしている人間の在り方を述べましょう。

 このように県の末端の過疎地域が放ったらかしにされている状態にある時には、弱者的な立場の市民の苦しい心情を代弁するように誰かが腹を立てて行政側に向かって厳しく言わなきゃなりません。私はそう思っていて、それが地方議員というものです。だから、私は室戸市長の不正にも堂々と主張してきたし、それが知事であろうが県職員であろうが言ってきました。でも、議員の多くは県がやる気がないことを強く言うことに抵抗を感じるのか、県道の改修や新設工事を望んでいてもその発言によって議員である自分を県に嫌われたくないのか、どなたも私の発言に同調して県の対応を批判しない。

 だから私は、表に立ってこの県道椎名室戸線の新設についていま県に強く求めている議員がいないと判断していますが、もし私に同調するお考えを持った議員がおられたら、もっと表立つ行動と発言を行っていただきたい。

 
 君津市広岡の国道410号にあるトンネル「松丘隧道」は修復工事が完了した途端、セメントの吹きつけ部分が半分崩落してしまいましたが、この松丘隧道と同じようにセメントを吹き付けて修復してあるのが、わが室戸市の「三津坂トンネル」。ここも同じようにドサッと大崩落する危険性は十分ある。何よりも、道路幅が狭すぎる。

 尾崎高知県知事、あなたも高知市内にばかりいないで室戸市にもちょくちょくおいでになり、この欠陥ばかりの「県道椎名室戸線」の三津坂トンネルを視察をしてほしい。

 (※三年前、知事は室戸へ来ておられ議員数名が参加していたと市職員に後で聞いたが、議会で一番この道路のことを県庁に厳しく訴えてきた私は聞いていません。議会事務局から議員全員に連絡をしなかったことは明らかに職務怠慢だと思っている)

 見るだけじゃなくこの県道の欠陥をどのようにすればスムーズな車の流れになるのかについて土木部の重役を集めて検討を行い、できるだけ真っすぐな道とトラック2台がゆったりとすれ違えることができるぐらいの幅を持った県道とトンネルを新たに整備していただけないものか。

 それには、もう今のこの県道トンネルでは時代遅れだから、隧道にするかトンネルにするかはともかくとして、新たなルートで県道を整備していただきたい。
 
 もし県において検討されることもなく、この県道をこのまま放置し続けるとするならば、室戸市の市長や議員諸氏や市民の皆さんはいつも冷静な方々ですので何も言わずにぐっと我慢してるでしょうが、「言うべきことは言う」わたくしめだけは、「県知事も県土木部も高知市周辺地域の県道にはお手盛りと見えるぐらい厚く予算を投資するが、県内の中心部から遠くにある町や村の苦労は全く解っちゃいない。明らかに不公平な予算配分だ」とあっちこっちで言いふらしますよ。

 県にすればそんなこと「へ」とも思わないでしょうが、「県内の末端地域には重点投資しない高知県」という状況は全国に広まることは間違いないでしょう。

 以上、決して「脅し」ではなく、室戸市民の「嘆き」と受け止めていただきたい。

 今日は、千葉県君津市広岡の国道410号にあるトンネル「松丘隧道」工事事故から「三津坂トンネル」事故を想起し、高知県に対し県道椎名室戸線改良工事事業の早期実現について提案させていただきました。

 
 さて、長くなりますが、これから本題に入ります。尾崎正直高知県知事、並びに高知県土木部の皆さん、そして高知県安芸土木事務所の皆さん、よくお考えいただきたい。

 尾崎知事、あなたは2012年4月2日、県幹部職員に対する訓示「知事講話」の中で、こう指示しました。その新聞記事は今も壁に掲げて貼ってあります。

 「県民と共に働く体制を確立することなくして県勢浮揚の成果を挙げることはできない」と強調し、「現場に足を運んで県民の生の声を聞き、仕事に大いに活かしてもらいたい」と訴えた。

 「県庁職員、特に幹部職員にも県民の中に足を運んでもらいたい」、

 「職員の皆さんの声を課長や部長、副知事や私へと上げてもらいたい」と要請しました。

 そして、こう付け加えています。

 「悪い情報や本当の情報こそ上に上がってくる組織でなくてはいけない」。

 この言葉は高知新聞の記者が会場に取材に来ているから言った、決してそんな“ポーズ”ではなかったはずです。

 もし、これが知事の本心で、県職員も知事のこの指示に従いこれまでの三年半の間、忠実に行動していたならば、その間にこの室戸市にある県道椎名室戸線が“大型車両の通行は危険が伴う道路”であり、“時代にそぐわない欠陥トンネル”であることは既に二十年も三十年も前に理解できたはずではないでしょうか。

 ・・ということは、“県庁にとって都合の悪い情報”で“本当の情報”であるこの県道路線及びトンネルの欠陥は、県庁(特に、知事と土木部)は知っていて、放置してあることになる。

 曲がりくねった道路、せまくて暗いトンネル。もう半世紀も前に作った老朽化したトンネルと、その先のある急な角度でカーブした道路。危険極まりない。

  

 室戸市民の皆さんと、市長と、市議になり替わり、市会議員のわたしから尾崎知事に強く要請します。

 【為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成さぬは人の為さぬなりけり】

 何事もやる気になって行動すれば物事は成功し、反対に、行動しなければ物事は成功しないものだ。だから、成功しないのはその人がやる気になって行動しなかったからだ。・・・という意味です。

 これは私が信奉する上杉鷹山の言葉ですが、私はこの教えを深く考えた末、「ちょっと違うんじゃないか。成功しない理由は他にあるのではないか」と考え、40代に出版していた地域雑誌に次のような教訓を創作いたしました。

 【為すべき時に、為すべきことを、為せば成る】

 こうですよ、こう。何事もこうじゃないといけません。

 やる気になってやり始めても、物事には“為すべきタイミング”というものがあって、そのタイミングを逸すると、何事をやっても成功はしない、・・・という意味です。

 鷹山の教えで言うと、「行動すれば成功し、行動しなければ成功する」となるが、私は「行動してもそれを行うグッド・タイミングを逸したら、絶対に成功しないか、成功する時期を逸して成功は更に先になってしまう」と考えたのです。

 よって、私は地域雑誌の出版を止めてから以後、今日の仕事を明日に伸ばすことなく、どんなに眠くても辛くても体が疲れていても、今日できる仕事は今日終わらせるべき働いてきた。やるべき時にすぐさま行動を起こし、仕事に従事してきた。そうして、「だから、自分の今がある」と考えています。

 しつこいほど言わなければ何も聞いていただけないから、私からもう一度申します。

 尾崎正直高知県知事も、2012年度当初の4月2日に行った県幹部職員の前で行った講話の内容を忘れることないでいただきたい。その講話を総合すればこうです。

 「県庁職員の皆さん、県民と共に働く体制を確立することなくして県勢浮揚の成果を挙げることはできません。だから、職員の皆さんは、現場に足を運んで県民の生の声を聞き、その内容を仕事に多いに活かしてもらいたい。特に幹部職員には県民の中に足を運んでもらいたい。そうして県民の声を直接聞いた職員の皆さんの声を課長に上げ、課長は部長に上げ、部長は副知事や私へと上げてもらいたい」と要請しました。

 そして、こう付け加えています。

 「(県庁にとって)悪い情報や本当の情報こそ上に上がってくる組織でなくてはいけない」。

 つまりこの意味は、県職員にとっては耳の痛い内容の県民の声も真摯な気持ちで耳を傾けようという、考え。その通りです。それでこそ、組織のトップとしてのお考えで、立派だと思います。

 但し、それを実行するかしないかで、「ウソつき」か「本物」かの違いが出てきます。

 口で言うことは誰だって言える。

 「おれは天下を取る」。こんな話も、何の力もない人間にだって言えます。

 口で宣言するということには責任が伴うことぐらい、知事ならお分かりでしょう。

 とにもかくにも、言ったからには知事自らが積極的に行動してほしいものです。でないと、どこかの市長みたいな、ウソつきになります。

 それも、「ここは一極集中して元気な市で人もたくさん住んでるから、道路整備に予算を多く掛けるか」とか、「ここは過疎化してどうせ寂れゆく地域だから、狭いトンネルはそのままにして放っておくか」などと差別することなく、公平な目でそれぞれの地域を見、今すぐにでもやらなければならない事業についてはすぐに着手すべく行動することです。

 これこそが、県民全員の公平性が保たれるというものです。

 知事よりは私の方が歳も上ですので、この面はお教えしておきたい。

 「県民の声を聞いて、県庁にとって分の悪い情報やこれまでなおざりにしてきた地域の情報こそ上にあげて来い!」と言った時から、尾崎知事にその責任が生まれました。であったら、部下が上げてきた「高知県南東部地域に整備した県道の欠点」という情報を知事が無視するわけにはいかないでしょう。
 なぜなら、これこそが県知事が抱える使命の常道(常に行うべきその職務上の道理)だからです。


 室戸市にある県道椎名室戸線は間違いなく、「欠陥道路」であり「欠陥トンネル」です。明らかに県庁にとっては“分の悪い情報”です。しかし、知事はそういう情報にも耳を傾けようとおっしゃいました。

 ならば、真摯な気持ちでこの県道の付け替え改良工事をご検討いただきたい。年末に土木部職員と室戸出張所職員に資料を出させた上で詳細にお聞きになり、お正月は時間を割いてこの事業について深くお考えいただきたい。

 又、もし一度、私の声を聞いてみようとお考えくださるならば、私は一人ですぐに県庁知事室を訪ね、室戸市民を代表致しまして思いのたけを話させていただきます。尚、知事室は橋本知事の取材や地域雑誌をお渡しするたびに毎月訪ねていましたので、ホイホイと馳せ参じます。加えて、これまでに行われた経過などを記したこの県道改良に関する資料は室戸市以上に持っていますので、それを基に説明させていただきます。

 以上、尾崎知事が講和で語った内容を高知県職員が“分の悪い情報”にどのように対応されるか、どれほど実行できるかを見させていただきたいと思っています。

 尚、ご連絡下さる場合は、次の電話にお掛けくださるよう、お願いいたします。地域雑誌を出版しているころには橋本知事に何度も知事室でインタビューしたことがあって、知事室に入るのも慣れておりますので、「県庁へ出て来い」と言われればすぐに馳せ参じますので、よろしくお願いいたします。

 谷口總一郎(室戸市議会議員)

 電話:0887-23-1214  携帯:090-4506-6343

(追記)なにぶん、知事は多忙でしょうからこの記事を知る機会が薄いと思いますので、毎日のように当電子情報誌をご愛読くださっている県庁職員のどなたかが知事にお伝えしていただければ嬉しく思います。その点のご配慮もお願いいたします。

 それと、私は県が恐れる室戸市の何人かの政治家ほど悪い政治家ではありません。20歳の時からの自民党支持者で安倍政権を強く支持していますし、不正が大嫌いな正義感の強い政治家ですので、何卒よろしくお願い申し上げます。


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木偶の棒になる勇気をもって

2018-08-21 | 地方のあり方
 宮沢賢治が小さな手帳にしたためた、深き思い。表題は無かった。

 賢治死して後に、「雨ニモマケズ」と付けられた詩である。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキ小屋ニイテ
東ニ病気ノ子供アレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニ疲レタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ

≪雨にも負けず、風にも負けず、
雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体をもち、
欲はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている。

一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ、
あらゆることを自分を勘定に入れずに、
よく見聞きし、分かり、そして忘れず。

野原の松の林の蔭の、小さな萱ぶき小屋にいて、

東に病気の子供あれば、行って看病してやり、
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば、行って怖がらなくてもいいと言い、
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い、

日照りの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き、

みんなに木偶の坊と呼ばれ、
褒められもせず、苦にもされず。

そういう者に私はなりたい。≫



 今の太平の世ではとても宮沢賢治の真似はできないが、人に尽くし地域に尽くすとはこういうことを言うのだなと痛感する。

 それと、これは賢治が「みんなに木偶の坊と呼ばれ、地域や住民に尽くしても褒められもせず、苦にもされない、そんな人になりたい」と願っているのではなくて、これは逆説的なものだったのだろうと思う。

 心情として、「私はもう『そういう者』になっている」、でも「西東、北南と駆けずり回り人助けをしていても、みんなからは木偶の坊とまで言われ、褒められる事などない」と。だから、最後で「おれは、どうせそんな人間なんだ。だから・・・」と、拗ねているようにみえる。

 この詩の大半を占めるいろんな出来事が非常に微に入り際に入り、こと細かく例えられるということは、自分の体験談だからこそ。ということで、この詩は宮沢賢治が自分の来し方を振り返って、思うようにいかない人生を嘆いた、いわば遺書のように手帳の隅に書き残した書き置きにも見える。

 人間とは、こんな自我を捨てた崇高な精神にまで自分を高めることはなかなか難しいものだ。

 室戸の変わり者として名高い(?)小生も、昭和の終わりごろからこの「雨ニモマケズ」を教えに、賢治と同じように地方にいて出来るだけそうありたいと強く思い、家族は犠牲にしながら少ない蓄えをはきだし、はきだし、借金も重ね、とにかく庶民の暮らしや文化を高めたいと考えながら約十二年間、努めた。

 そんなとき、地域住民から一定の評価がなければ、地方のためにと努力していても、やっぱりせいがないし、続けられない。

 賢治は「木偶の坊と呼ばれ、褒められもせず」と書いたが、褒められたくない人はいない。自分の活躍を評価されたくない人はいない。「豚もおだてりゃ、木に登る」とも言う。でも、賢治はこうも考えた(と思う)。

 「褒められるからする、褒められないからやらない、ではだめだ」と。

 そもそも「人のために働く」とは、自分のお金を捨て、自分の時間を捨て、自分の体を捨てて行うもの。それは、人からお金をもらおうとしないこと、行政からのお金に頼らずに人助けや“地域助け”(地域づくり活動)をすること。そう思っているし、そうしてきた。

 行政にすがるということは、すでにそこに行政との利害が生まれ、そのために自分たち住民の活動を行政が規制するようになるという意味であるとともに、住民活動の価値まで一部は行政が奪ってしまうということでもある。つまり、「行政にすがる・人に頼る」ということは、自分たちの評価をも失うと知っておかなくてはならない。


 話がそれた。

 宮沢賢治は、自分を「そういう者」ではないかのように「私は、そういう者になりたい」と書いているが、ホントは彼は、すでに清貧でいて無欲で、人や地域のために尽くし続けてきた人だった。だから、実は、この一文を手帳に書き残したときは、既に「そういう者」だったのです。

 “みんなに木偶の坊と呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず。そういう者に私はなりたい”

 木偶の坊になる“勇気”だけは、忘れてはならない。

 過去において、何も人のため地域のためにと身銭を切り汗を流し尽くした経験もない人がいたが、そういう人が人の上に立ち権勢を振るうことは、人間としての正しい生き方ではない。

 私はそう思っているし、これまでもそうだったが、70歳を過ぎたこれからも“立派な木偶の坊”として生きてゆくつもりだ。


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全国からたくさんの方々にご訪問いただき、感謝しています。人生いろいろな生き方がありますが、「外に学んで内に活かす」も私のモットー。この記事を是非とも、あなたの人生に活かし、あなたの町に活かしてくださいね。

NHKの「手書き倶楽部」さん、日本にはかつて手書きの地域雑誌があったことを知っていますか?

2018-08-20 | 青空編集室
 18日の午後4時からNHK-BS3で「手書き倶楽部」という番組が放送されていましたので、担当者にお知らせします。

 「かつて高知県には手書きのタウン誌が発行されていました」。

 そのすべては、当時の室戸市やその周辺の市町村、そして広く高知県を応援しようと思い、私が自費を投じて毎月出版していた本です。

 それは、原稿が新聞紙1ページの大きさ(A2)の原稿用紙に文字を書き写真を挿入して、B5版一冊が80ページから100ページある地方誌でした。

 室戸市出身の大阪の弁理士・折寄武士さんや地元の商店主さんらに広告で応援してもらいながら自分一人で取材・撮影・原稿書き・広告の集金・徒歩で夜道を歩いての訪問販売と地道な仕事でしたが、結果は数百万円の赤字ができ、無念な思いを抱えながらやめました。


 その中の本のいくつかの例です。ご覧ください。

 ●「手書きのタウン誌を知っているか?」 ←(クリック)

 ●「室戸ジオパークの“参考書”『青空地質博物館』が大人気」  ←(クリック)

 ●「土佐の狛犬の本」 ←(クリック)

 ●「土佐の二宮金次郎の本」 ←(クリック)

 ほんの一例ですが、手書きの地域雑誌、手書きのタウン誌は現在までこの本だけですので、「オンリーワン」。当時、NTT全国タウン誌フェスティバルでは二回奨励賞を受賞しています。


 NHKの担当者の方、何かお尋ねがあれば下の番号にご連絡ください。

 高知県室戸市 谷口總一郎 

 電話番号:0887-23-1214、 携帯番号:090-4506-6343 です。

 尚、平成2年10月から発行を始め、赤字が続いて平成10年1月に廃刊しましたので、現在は発行されていません。

 以上、ご参考までに。


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土佐備長炭の歴史窯・「奥郷歴史的備長炭窯群保存地」を取材

2018-08-17 | 土佐備長炭を文化財に
 八年前に掲載した記事ですが、私が平成3年から提唱し続け平成20年になってやっと市政が取り上げ実現した室戸市の地質観光(ジオパーク)とはまた別の歴史です。とくとご覧あれ。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 室戸市吉良川町の町並みは国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、その後は町並みの修復・改築作業が続いて観光客も増え、まちの活性化に寄与しています。又、高知県には特産物の一つとして「土佐和紙」が県の文化財に指定されていて、伝承に、そして商品価値の向上に寄与し、産業振興に弾みがつきました。

 和紙の歴史をたどると、江戸期からも手漉きの紙は作られてきたが、機械漉きは明治7年(1874)の土佐の吉井源太による日本最初の機械漉き紙の製造が発端。ですが、まだ「土佐和紙」と格付けされ呼ばれるような本格的な商品ではありませんでした。時は流れ、やがて「土佐和紙」と呼ばれるようになり、昭和51年に国の伝統的工芸品に指定され、明治7年から数えて107年目の昭和55年には「高知県保護無形文化財」に指定された。それは、明治中期ごろから「土佐和紙」と呼ばれ始めて100年に満たない、約95年ぐらいしかたっていない時期だったことが分かります。

 さて、土佐には木炭製造業を生業にして働いている人がたくさんいます。その土佐の製炭業者の皆さんは、もう何年も前から「土佐和紙」と同様に土佐で生産する備長炭を「県保護無形文化財」として指定していただきたいと、高知県に願い出ています。現在も指定を要請し続けています。しかし、県内の備長炭製造を生業とする関係者が何度お願いしても、県は「土佐備長炭は、土佐和紙よりも歴史が浅い」として、土佐備長炭を文化財に指定しようとして頂けないとのことです。

 土佐で木炭(白炭)を生産し始めたのは江戸期からといいます。そうです。土佐で和紙が作られ始めたころと同じころから木炭は作られています。

 その証拠が、江戸期に吉良川の海岸から船積みして関西方面に出荷していた、木炭産業によって栄えたあの吉良川町の「重要伝統的建造物群保存地区」の町並みです。あの町並みを見れば明治に入ってからではなくて江戸期の繁栄ぶりがあったればこそだとわかろうというものです。このように、室戸での木炭製造業の歴史は、江戸期からの土佐の和紙の歴史と同じだといえます。

 さて、そんな炭作りも、まだその江戸期や明治初期においては製炭技術が高くなかったために粗悪な炭だったそうで、「備長炭」とは呼べる製品ではありませんでした。それが、明治の中期から末期になると吉良川町の奥地や室戸町元地区の奥地の炭の原木を伐採する現場の山などに大きな窯を作り製炭するようになってきます。(以下の写真や解説図、参照)

 そうした時、明治40年に和歌山県で「紀州備長炭」の炭焼きをしていた植野蔵次親子が原木のウマメガシを探して安芸郡羽根村(現・室戸市羽根町)にやって来ます。その植野蔵次が室戸で行われている製炭作業を見て改良方法を教え、県下全域にも備長炭製造の技術を広めてゆきます。因みに、蔵次の曾孫に当たる方は安芸郡奈半利町で運送業をしておられ、製材業が家業の小生とは二十歳のころからの知人。

 以上、ほんのさわりですが、室戸市における土佐備長炭製炭産業の歴史の一端をご紹介した。

 実は、先日、土佐備長炭産業の歴史を調査し研究されていて、かつて備長炭の専門書も出版したこともある宮川敏彦先生(高知市)から「古い窯場が見つかって31日に見学会を行うが、行かないか」とお誘いがあり、同行取材させていただきましたので、その内容をご報告いたします。

 本日10月31日(日)、朝から室戸市元の奥郷(おうこ)から林道を約2キロ入った山林まで3台のトラックなどに分乗し、製炭業者6名、マスコミ取材陣3名と一緒に現場に行った。ただ、詳細は誌面(?)の都合もありますので、高知新聞、朝日新聞、読売新聞の取材記事をご覧頂くとして、当記事は窯の形状がどんなだったかなどを紹介して報告に代えさせて頂きます。

 まず、発見された場所は、室戸市元奥郷の山林。発見した窯は4つ。発見した日時は、今年8月。発見者は、室戸市羽根町の森本生張さん。確認者は「土佐の匠」、仙頭博臣さん。では順次、写真と見取り図で紹介する。

1、明治初期~明治中期の「小窯」跡

    

     高知県内では最古の炭窯跡発見とあって、喜ぶ室戸市木炭振興会会長の森本生張さん。

    

 この小窯の仕組みを説明する 仙頭博臣さん。20年度の「土佐の匠」に選ばれた優秀な木炭生産者です。

  

2、明治中期~明治後期の「大窯」跡


         

      

  

3、明治末期~昭和初期の「紀州型備長炭窯」跡
 
  

  

          

4、昭和初期~現在の「横くべ式の土佐備長炭窯」跡
  
  

  

 以上が、本日取材に行った4つの古式窯場です。

  吉良川町の「重要伝統的建造物群保存地区」並みに考えると、古式窯4つが残るこの一群を総称して、いわば地名の奥郷(おうこ)の名を取って“奥郷歴史的備長炭窯群保存地”と呼ぶことができよう。  前の二つの窯は「土佐備長炭」が入ってくるまでの室戸固有の古い窯と思われ、後の二つの窯は明治40年以降の「土佐備長炭」の窯場と考えられます。

 どちらにしても、この4つの窯がある場所は室戸市の歴史的な窯場で、「室戸市保護無形文化財」の保存地として指定してもいいのではないか。
 
 次の写真二枚は、小生がかつて出版していた地域雑誌『あおぞら』の写真特集号『青空写真館』に掲載した土佐備長炭の古写真です。一枚は植野蔵次の孫、植野一郎氏とその家系図を紹介しています。もう一枚は、古い窯場での集合写真です。

  

  

 高知県と高知県教育委員会にお願いです。

 室戸市吉良川町の町並みは国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、その後は町並みの修復・改築作業が続いて観光客も増え、まちの活性化に寄与しています。そして、土佐で和紙を本格的に作り始めたのは明治期からで、それが「土佐和紙」と格付けされ呼ばれるようになったのはそれからしばらく経って。時は流れ、昭和55年に「高知県保護無形文化財」に指定され、伝承に、商品価値の向上に寄与し、産業振興に弾みがつきました。だから、「土佐和紙」と呼ばれ始めて「県保護無形文化財」に指定されたのは100年に満たない、約95年ぐらいしかたっていない時期だったことが分かります。

 一方、土佐には「土佐備長炭」という「土佐和紙」に劣らない名高い商品を製造する産業を生業にして働いている方々がたくさんいます。その製炭業者の皆さんは「土佐和紙」製造業者が行ったと同じように、もう何年も前から土佐備長炭を「県保護無形文化財」として指定していただきたいと高知県及び高知県教委に願い出ています。現在も指定を要請し続けています。しかし、「土佐備長炭は、土佐和紙よりも歴史が浅い」として、何度お願いしても、土佐備長炭を指定しようとして頂けません。これを何とか聞き入れていただけないものでしょうか。

 私は、この処遇を悲しく思っています。
 土佐の製炭産業は、江戸末期から数えると144年経っているし、明治中期からだと124年、植野蔵次が来て教えた明治40年からだと104年が経つ。明治期からの「土佐和紙」が「県保護無形文化財」の指定を受けるまでの歴史は95年目ですが、土佐の炭作りが「土佐備長炭」になってから数えても、すでに104年を過ぎています。つまり、通り名である「土佐和紙」となってからの歴史よりも、「土佐備長炭」として名が通った製炭技術の歴史の方が明らかに長くなっているのです。
 この事実を県の文化財担当者は理解しておられるのか。この点をもっと重視し、考慮すべきではないか。


 土佐和紙以上の「文化財」という格付けにふさわしい歴史があり、その格付けをすれば我が高知県の一つの特産物がさらに世に広く需要が高まり、その製炭産業がこの高知県の経済発展に寄与するのであれば、どこに「格付けしない」ことのメリットがあるといえるのでしょうか。

 況してや、高知県は21年度から「果敢に挑戦!産業振興計画」といって県内の産業振興に力を入れようと取り組んでいるではないか。あれは口先だけの旗振りなのか。そうではないだろう。ならば、土佐和紙と同様の歴史を持つ土佐備長炭産業にも、もっと力を入れようではないか。もっと応援しようではないか。
 ねえ、そうじゃないですか、尾崎知事、中澤教育長。


 もし県内で製造している「土佐備長炭」が「県保護無形文化財」に指定されたら、商品を入れた箱には「県文化財・土佐備長炭」と書き込むことができ、このブランド力も相まって商品価値はより高まり、産業としても活性化していくのではないかと思っています。

 高知県の担当者はこの製炭業者の皆さんの声に、なんとか耳を傾けてあげていただけないものか。なにとぞ、なにとぞ宜しくお願いいたします。


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土佐の室戸市における土佐備長炭製炭産業の歴史を辿る記事をたくさんの方々がご購読いただき感謝しています。たぶん、ご購読の多くは製炭業に従事する関係者の方々とご推察しますが、何かの参考になれば私もうれしく思います。