青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

恩人のお母さんからの激励の声で・・

2018-07-30 | 人間のあり方
昨日、かつての地域雑誌出版の折に支援し続けてくださった恩人・折寄武士氏のお母さんから電話を頂いた。

「どうしたの? チラシを見たけんど、それにしても室戸じゃ可笑しなことがあるもんやねえ。これほど室戸市を良くするために働いてきた議員はいないのに、謝罪文やなんて。それに、議会の新聞の発行もやめるゆうて書いちゃあうやんか。本当に残念やっちゃ。・・・」。

 私「本当にすみません。昨年あたりから私も『議員になっていくら努力しても室戸市の政治は変わらん』と思い始め、『新聞の配布もやめようか』と思ってましたので、やる気がなくなったこの機会にやめることにしました。これほど他の議員がやれないことをやり続けてきたんですがね」。

 折寄さん「ほんまになんでやめるの? あんたがおらんと室戸の政治は良うならんぜ」。

 私「本当にすみません。不正な政治が止(や)まるように考えて平成15年から頑張っては来たけんど、無理です。地域雑誌の『あおぞら』を出版しよった時には大会社の弁理士である息子さんに金銭的な支援を受け続けて発行を続けることができましたし、その5年後に議員となり今まで議員として頑張ってこれたのも武士さんのお陰だと思っています。でも、そう思って頑張っては来ましたが、本当に残念やけんど、室戸市全体が今のような政治的体質ではこのまちの政治を公正な政治に改革することは無理です。今の状態はこれからも続くでしょうね」。

 私が「息子さんからの恩を受けたからこそ、自分の今がある」とお話ししたことから息子さんの死を思い出されたのか、折寄さんのすすり泣く声が聞こえました。

 折寄さん「ほんまに議員をやめる時まで元気を出しよ。負けたらいかんぜ。あんたみたいな政治家はほんまにおらんき、頑張りよ」。

 その泣きながら私を励ますおばさんの声を聞き、私の目からも涙が。

 私「ありがとうございます。任期が終わるまで頑張ってやります。おばちゃんも泣いたらいかん。元気でおってよ」。

 電話を切ってからも、励まそうとわざわざ電話を下さったことがうれしくて、涙が止まりませんでした。


 私の母親は平成9年の私が51歳の年に81歳で亡くなりました。そのことから私は、親戚でもないのに、誰よりもいつも私の生き様を励ましてくれているこの折寄のおばちゃんを自分の母親のように思いながら議員の仕事に励んできました。

 大阪で特許事務所を開き活躍していた息子さんが「室戸のために頑張れ!」と多額の広告料と毎月100冊の購入で助けてくれた私を、その亡き息子の手助けをするかのように励まし続けてくれているのです。

 今は恩人のお母さんであるこのおばちゃんがずっと長生きをしてくれるよう、心から願っています。

 私には力がないので、それぐらいのことしかできませんが・・・。


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陶芸家・新田義治の、立派な人生

2018-07-29 | 人間のあり方
 高知県東部でも「いいまち」として知られている北川村ですが、なにも観光施設「モネの庭」があるからではありません。

 かつて、私がジャズ喫茶を経営していた時の昭和62年だったかに加藤登紀子魚梁瀬ダムコンサートが行われ、店でそのコンサート切符販売のお手伝いをしました。それ以来、村内の喫茶店「SAKAYA」に通い、村民の皆さんとも親しくなり、村とのご縁はおよそ三十年を超えます。

 その喫茶店経営は駐車場がなくなったため、四年間で店を閉め、平成2年9月からは高知県東部を中心にした情報を集めた地域雑誌『あおぞら』の発行を始めました。それも誰の助けも雇用もなしで、一人だけで制作から取材、版下は全て手書きと、日本では誰もやったことのない地域雑誌(タウン誌)を発行し始めました。

 そうして八年余り発行を続けましたが、赤字が膨大になったことから平成10年1月に廃刊としましたが、その間には全国版の地域雑誌表彰「NTT全国タウン誌フェスティバル」で二度、奨励賞を受賞。東京の帝国ホテルの旅費をいただいての表彰式に招かれ、妻と参加したものです。

 こんな私でもそういう時代があったことを今朝、ネットを検索していたら私が8年前に書いた次のような記事を見つけたので、思い出しました。

 2010年8月に掲載した北川村の新田義治さん(故人)の記事です。

 この世の中に自分の利得ばかりを企む悪い人はたくさんいますが、「人間とはこうあるべき」という良い例です。ご覧ください。

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 今朝の高知新聞に、小生がかつて地域雑誌を出版していた時期に大変お世話になったし、親しくさせても頂いていた方の死亡広告が掲載されていて驚きました。

 特に議員になってからは、近くまで行きながら自宅までお会いしに出掛けておらず、不義理してきたことが悔やまれます。

 そのお亡くなりになった方の名は、安芸郡北川村木積(こつも)の新田義治さん(満86歳、享年88歳)。

 新田さんには、私が平成2年9月から平成10年1月まで高知県東部の地域雑誌『あおぞら』を発行していた関係から、何度となくその誌面に登場していただいた。

     

 葬儀は、本日8月6日(金)の午前10時半から、安芸郡田野町にあるJA安芸田野葬祭会館において執り行われました。参列されたのは、200名あまり。80歳を超えた故人の葬儀にこれほど多くの方が弔問にご参列されるのは室戸でもあまり見かけたことがないので、斎場に入ってまず驚きました。

            

 これも、かつて新田さんが障害者用の食器を陶芸で制作していたことと、娘さんの新田文江さん(63歳)が女流陶芸家であることなどから、交流が北川村の村民にとどまらず、県内や県外の方にまで及んでいるからであろうと思った。

 参列者のお顔を見渡すと、行政には全く関係していなかった一人の老いた住民の葬儀に北川村長や教育長、村議が全員参加というのも室戸では全く例がないし、村民はもちろんのこと、雑誌記者だった私と同様にかつて取材した後に親しくさせていただいていた元高知新聞社のY記者の名代として奥さんと二人の子どもさんも参列されていた。出棺の時、その奥様と小学生の娘さんが目を泣き腫らし、涙を流して霊柩車をじっと見送っていたのが印象的でした。

 生前の新田氏の活動は障害者用食器の制作のほか、親しくなった方々には細やかな気配りで「絵手紙」と呼ばれるハガキをまめに描いて出していた。それがまた仲間内で人気を呼び、奈半利町郵便局をはじめとしてあちこちで何度かその「絵手紙」の展覧会を開催していたことを思い出します。

 陶芸家・新田義治さん(享年88歳)の遺し方を平成8年の取材記事から辿ってみたい。

 大正12年12月、安芸郡加領郷の漁師、谷村牛馬・熊恵夫婦の四男として生まれる。

 家は貧しく、昭和12年に小学校を卒業すると義姉の伯父である宮内庁の 御弓師・石津重貞氏(写真一枚目の左ページの弓を持つ人物)をたどって東京に出る。14歳の時だった。 

 最初は、お得意さんに弓を届ける書生に。そのうち「そこがいやになって」(新田さん談)、埼玉県大宮市の伯父・広末金一郎という人の所に移る。その人は友人の横浜市の貿易商・宮地氏(田野町出身)に頼んで新田少年を丁稚に雇った。が、義治少年はすぐに肺尖カタル(結核の初期症状)を患い、結局、体を壊して昭和14年に加領郷に帰ってくる。

 「学校に行くぞと思い東京に出て行きながら、それを果たせずノコノコと帰ってきたというのは、私にとって人生の大挫折でした」。

 帰ると父に叱られると思っていた義治は、父から「兄がしっかりしてないから、十五や十六のお前が失意で帰ってこんといかんなった。子どものお前に苦労をかけたなあ」とねぎらいの言葉を掛けてもらう。失敗だと思っていたのがその言葉で救われ、嬉しかったそうだ。父親は「急に船に乗せるのもかわいそうやなあ。高知の土佐簿記学校に行くか」。

 一年間の学校生活だったが、親が漁師をしながら行かしてくれた学校。「熱心にやりました」。

 昭和16年(18歳)で学校を卒業すると、地元、加領郷漁業共同組合に事務員として就職した。それは、16年12月8日の真珠湾攻撃を機に太平洋戦争が勃発する直前だった。

 やがて、みんなと同じように陸軍の志願兵になろうと志願するも、肺結核の関係から不採用に。それでも16年末には徴用され、すぐ広島県呉の海軍工廠に入り、労務課に配属され三年間勤務する。

 新田さんはこの頃のことを、「こう聞いてもらってわかるように、私の人生には何一つ、完成したものがない。全部中途半端で挫折の繰り返し」。こう語り、「まあ、この時代、大抵の人がそうでしたがね」と笑っていた。

 そうして戦争は終わり、そのうち、北川村の新田家から「養子に来てくれんか」という縁談がくる。「金儲けのためにバリバリ働くなんてのはは好きじゃないから、あんな山の農村で、田畑を耕して暮らすもいいなあ」と思い、20年11月に結婚。満22歳になる一か月前だった。

 その結婚も、当時の新田家の新田義信さん(義父)が言うことには「うちには跡取りの数恵という東京美術学校(現・東京芸術大学)を出た姉がいて、それが終戦の時には中国の青島(チンタオ)で教師をしていたが、いまだ生死不明だ。だから、うちに養子に来て、農業や山仕事をしながらその数恵の帰りを待っちょってくれ。悪いようにはせんきん」と。

 新田家に養子に入るも、やがて妹の幸寿と結婚。そんな翌21年のこと、姉の数恵が中国から帰ってくる、やつれ果てて。

 義治さんは姉にこう話した。「私はこの家に来るに当たりこうこういう条件がありました。お姉さんがこうして帰ってきましたので、私たちは家を出ます。後のことはどうかお姉さんがお願いします」。

 姉は涙を流してこう言ったそうです。「どうぞ、そんなことを言わんとって下さい。私は帰ってきたばっかりで、そんな力ら、ありません。それよりも、義治さん、これまでこの新田家を守ってくれて本当にありがとうございました。私はこれから知人を頼って高知市へ出て、元の教師になって生計を立てます。こんな体では私にはとても畑仕事はできんし、お父さんやお母さんの面倒をみる力もない。この家のことはすべてあなたにお任せしますき、どうぞここにおって下さい。お願いします」。
 
 そして新田義治さんの義姉の数恵さんは家を出て高知市に移り住み、丸の内高校の教師になりました。

 義治さんはその後、22歳から40歳までの17年間は山師や農業で生計を立てて暮らした。そんな昭和41年のこと、農協の知り合いから誘われて置き薬のセールスマンに転職する。それから4年間は給料も上がって、大学に入った娘・文江さんへの学費の心配もなくなった。

 やがて41年には北川村農協の理事に、44年には組合長になるが、積極的に体質改善を進めたために職員との関係が悪化、一年で辞職する。45年には高知市の住友銘木に入社。床材の製造技術が評価を得て、四年後の昭和49年に独立する。こうして新田義治さんは、ついに独立したのでした。

 好事魔多しという。独立して二年目、昭和51年のある雨が降る夜のことでした。高知市から北川村の自宅に帰る途中、安芸郡安田町唐の浜の国道55号線を走っていて、転落事故を起こす。

 脊椎損傷で約三年間の長い入院生活が続きました。口はきけるが、体は全く動かなかった。昭和53年に家に帰ってきたが、それからもリハビリが約二年半続いた。その後は、事故を起こす前に建設した娘の文江さんの工房で、リハビリの意味もあって土をこね、少しずつ陶芸を始めます。

 平成に入ると、新田さんは同じ障害を持つ人たちのために「らくらく食器」を考案する。
 
  

 その利便性が障害者への明るいニュースとして新聞や雑誌で取り上げられ注目されるようになると、注文が殺到。社会からのニーズは生きがいを感じたが、注文に間に合わせようと頑張ることの苦労も味わいました。

 又、この「らくらく食器」は安藤百福賞など、何度か表彰もされました。

 雑誌取材の最後に、私は新田さんに「新田さんはそう思ってないかもしれませんが、もう立派なプロの陶芸家です。陶芸には飾るだけの食器がありますが、これは使える食器。それもいろいろな苦しい目にあって体に障害を持った人たちのためを思い作った立派な食器です。『私の人生は挫折の人生』なんて言わんといて下さい」。「僭越ですが、人生には無駄というものはないと思います。良いことも悪いことも、全て積み重なるものです。それがあって、40代、50代、60代の人生があると思っています。ぜひ、これからもがんばって陶芸をやり続けて下さい。新田さんの人生は立派な人生です」。そうお願いしたことでした。

 ここで、平成8年の雑誌『あおぞら』の取材時に、かつて山仕事をしていた昭和30年代に新田さんが撮影した写真をお借りして掲載したものを紹介する。きっと、なかなかの腕を持ったそのカメラマンぶりに驚かれると思います。

  

  

  

  

 どうですか? この見開き3ページの子どもを撮影した写真なんか、いい写真だと思いませんか? 私は取材当時にこれらたくさんの写真を見て、なかなかの芸術的センスを持った人だなあと感心したものです。陶芸ができたことやこの写真テクニック等を見て思うに、新田さんにはもともと何かこれらに通じる芸術的センスがあったということでしょうね。

 親しくして頂いた新田さんが亡くなった今、思います。 戦前、戦後を生きてきた人はみんな、苦労して人生を送ってきたんだなあと。

 新田さんの人生は、いまの金と肩書にばかり卑しくて職責はまったく果たそうと努力しないどこかの田舎の政治家たちに比べれば、ずっとずっと立派な人生だったと思います。

 障害者食器を作り続けた陶芸家・新田義治氏にはご生前のご厚誼に感謝し、ご冥福をお祈りします。

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 「立派な人生」とは、このような人生を言うのです!。

 自らが利得を得るために他人を蹴落とすというような企みはせず、他人のために尽力すだけで満足する。例えそうしたことに対して評価があろうがなかろうが、苦労に耐えながら続ける。それが「立派な人生」だと私は思っている。


 勿論、私はこれまでの人生をそう生きてきたし、これからも新田さんを見習い、「人のため」を思って生きてゆきたいと思っています。

 例え私が「人のため」に尽くしてきたことが歴史に残らなくても。

 なぜならば、それが【尽力】というものだからです。



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室戸市の議会報『青空新聞』は今月を以って廃刊します

2018-07-25 | 議員活動
 議員職を果たしながら長年発行してきました室戸市の議会報『青空新聞』は、ある出来事から、この7月末を以って廃刊します。

 私は、市議会議員になった平成15年5月から市政情報や議会情報、地方政治の在り方や地方議会の在り方について市民の皆さんだけでなく、市長や市職員や市議会議員の皆さんにもお分かりいただきたいと思い約十五年間、記事を書き新聞を発行し続けてまいりましたが、何一つ状況は変わりませんでした。むしろ、「正しい政治をやりましょう」「不正な政治や活動は止めましょう」と主張すると逆に批判を浴びるだけ。

 でも、我慢してやって参りました。

 ですが、今年1月から病気になり長く闘病をしている期間に「来年4月を持って議員職から引退する」ことを妻と二人で決めた時から、議会が終わるたびに記事を書き発行してきた議会報作成への意欲も薄れ、「もう我慢して続けなくてもいいか」と考えまして、9月議会後、12月議会後、そして来年3月議会後に発行予定だった「引退表明」号の3紙の発行を止めることを決めました。

 唯、新聞を作成して発行してきたやる気と情熱を無くした原因については申しません。

 実は、この6月13日に高知医大の病院を退院した翌日、議会報を作成する度にA3コピー紙を購入していた店に買いに行ったんですが、親しい女性の店員にこう聞かれました。「退院してきたのは昨日やろ?」と聞かれ、「そうです」と答えると、「このコピー紙はまた議会の新聞を作るが?」と聞かれましたので、「はい、そうです」と話すと、「退院したばっかりやろ。やめちょき」と言われました。でも私は、「毎議会後に発行してきた新聞やきん、あと四回でもあり、最後まで記事を作って配ろうと思っています」と答えました。その店員さんは「そうかね」とだけ言って店の中に入っていきました。

 その時、私の頑張りに気遣いを示してくれたその人に心から感謝しましたが、「あの時、あの人の気遣いを聞き入れて新聞を発行しなかったら今のような目に合わなかったな」とは感じています。

 依って、市議会議員の職は続けますが7月末を以って廃刊としますので、これから発行予定だった9月議会後、12月議会後、3月議会後の新聞の三紙は発行しません。

 これまでご愛読くださいました方々には感謝申し上げます。


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あれは室戸市の「地質観光」を提唱した画家の個展だった

2018-07-23 | 私の絵画制作活動
 平成28年1月に行った個展が懐かしい。

 以下は、その時の記事です。

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 9日(土)に開幕した私の文化活動である個展も今日を入れて、残すはあと五日間となりました。

 結構、たくさんの方々が会場の「室戸世界ジオパークセンター」においで下さり、数えるとこれまでの7日間ですでに197名の方々がご来場下さっています。



 市職員の皆さんも土曜日や日曜日を利用して「谷口議員は落選しての四年間にどんな絵を描いていたんだろう」と来ていただき、私はそのたびに「今も議員退職後に制作活動を行うことを夢見ています」とお話ししています。(笑)

 個展開催前には私の個展開催を妨害してやろうと、個展の看板を国道ぶちに掲示したことを指し「看板の設置はあいつの売名行為だ」という議員もいましたが、笑って一蹴。その声を受けて看板を室戸市のど真ん中の室戸小学校そばの国道交差点へ移したことが功を奏し、その効果もあって、会場にはたくさんの方がおいで下さっています。

 うちの奥さんは「その議員に『どうもありがとう』って言うちょいたらえいわ」と喜んでいます。

 会場に来られた方々に人気の絵はもちろん、次のような室戸岬海岸の見どころと言ってもいい巨岩の作品です。
 
 
 
   (平成25年の高知県展・山脇賞受賞作品「岩、迫る」P100号)   


 その次が4点の七福神の絵馬。
  

 これも人気で、私がおすすめするのは初春を寿ぎ、その絵馬の前で柏ポンポンと手を打って「今年一年良い年でありますように」とお願いをすること。わたしがそう勧めると皆さん、笑いながらそうやってこうべを垂れ、祈願してくださいます。中には、「この絵の前に賽銭箱を置いてはどうですか」と教えてくださるお母さん方もいまして、しばし大笑いして賑わいます。

 ある日には高知県警の警部が会場に見に来ました。最初はそんなことわかりませんでしたが、作品をあらかた見た後、私に名刺を渡し、話しかけてこられた。そのN警部は「室戸市政と議会で何かあったら言ってきてください」とのこと。たぶん、私のブログの愛読者で、私の日頃の議員活動に賛同しておいでくださった方だったのでしょう。

 さあ、今日と明日は皆さんの仕事もお休みです。たくさんの方が見においで下さることを期待しています。どうぞよろしくお願いします。

 丁度三十年前になる昭和61年3月に「文化果つる町室戸」と記者氏に軽くあしらわれた室戸市の文化程度で現在もなお低い文化水準ですが、どこかのお方が室戸市の予算を1千数百万円と使って行う文化財展と違い、一市民であり一議員である私が自分のお金で会場を借り、自分で作品を運び開催した、一つの芸術文化活動です。

 文化がなおざりにされている室戸市において、自分の個展を開くなんて出来事は皆無と言ってもよい環境にあり、それだけを考えても一見の価値はあります。

 
 「自分はこの町のために何ができるか」。

 困難なことも多々あるが、自問自答し、その困難を乗り越え挑戦することに意義があるものです。

 人はとかく、すぐに他人に助けてもらおうとします。何かあったらすぐに役所に駆け込み「金をくれ」という例が多い。ですが、それではあまりにも幼稚だ。そんなことを30歳代、40歳代、50歳代としてきたから、60歳を超え、70歳になっても80歳になっても自分でできることをすぐに人に頼ろうとするのでしょう。

 何事も苦しみながら自分一人でやってこそ、価値があるもの。そうあってこそ、自力がつく。

 他人に助けてもらうこともあってもよいが、それは自分でやってやってして、どうしても助けがいる。そんな時にだけ、助けを求めるもの。

 「何事も、自分のことは自分がする」。これは人生を生きてゆく上において、たいへん重要な要素です。

 私はこれまでそう歩んできたし、今もこれからもそう歩んで行くことに決めています。


 「地域づくりとはこうやってするもんだ」、「文化活動とはこういうようにやるもんだ」ということもこの機会に学んでほしい。

 この機会に「地域づくりというものは自分のお金を使って行ってこそ、価値がある」と知るためにも、個展会場にお越しいただきたい。
  
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 平成15年からこれまで長く発行してきた議会新聞『青空新聞』の配布は、ある出来事からやる気と情熱を無くし、今年の9月、12月、来年3月の三回の発行を取りやめ、この7月末を持ってやめることにしました。

 理由は、真面目に努力しても室戸市において、公正・公平・適性で道徳心にとんだ政治は行われないと結論付けたからです。


 今は、妻が楽しく将来一人暮らしができるようにするために移住すること。そして、その計画が実ったら、それ以後は高校を卒業する時からの夢だった画家として暮らすこと。

 やるだけのことは本当に、やってきました。欲深いことや悪いことは一つもやっていません。自分の身を捨て、家族の身を犠牲にし乍ら本当によくやってきたと心底思っています。


 さて、今日23日(月)は高知大学医学部附属病院の呼吸器内科に、肺ガン治療で退院して一か月半後の検診に行ってきます。現在も抗ガン剤を毎日飲んでいますので「完治した」なんて思ったこともありませんが、来年以降の夫婦生活のために夢を膨らませています。


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七福神と門田医師に救われた身。気落ちせず頑張ります

2018-07-19 | プライベート
 10日から九日ぶりの記事の投稿になります。毎日ご訪問下さっている皆さん、ごめんなさいね。

 この7日に高知県内のNTTの通信回路が断絶して以降、パソコンが繋がらなくなっただけでなく、同時にWordやExcel にメール機能まで消え飛んでしまいました。加えて、私がそのパソコンが機能しなくなった原因がNTTの通信回路断絶と知らなかったことからパソコンをつつきすぎた所為で、プリンターとパソコンの連結も消えてしまいました。

 そして、私のような機械類に全く知能が無いものでは回復しないと考え、11日にヤマダ電機安芸店に回復を依頼。13日にはWordやExcelなどは何とかパソコンに回復しましたが、メール機能はNTT が14日、15日、16日と休日に入ったせいで連絡が付かず、17日からはヤマダ電機さんがメール機能回復を目指して下さったが回復しませんでした。

 私が高知大学医学部附属病院で4月25日に脳腫瘍手術を行ったことはこれまでご報告させていただきましたが、昨日7月18日は三か月目のMR検査の日。早朝に出かけ、その帰りの午後2時に「NTTさんと連絡を取りメール機能は回復していて、ようやくパソコンは持ち帰れるかな」と、安芸店に寄ってみました。

 ですが、電機店はNTTとは連絡を取っておらず、メール機能は接続されていませんでした。

 6月末ごろから政治的な失敗で圧力を受けて悩んでいることと、病後で体調は正常になっていない時期でもあり、これには店内で精神的に落ち込んでしまいました。

 でも、パソコンを正常化させた上で機能しなくなったプリンターを廃棄し、プリンターを新たに購入し接続した上で、支持者に配布した「訂正文」を改めて書き直し「再訂正文」を作成し、それを支持者らに配布せよと室戸警察署から「警告」を受けている身。誰も助けてくれるわけもなし。

 ということから、電機店の社員にお頼みしました。

 「NTTさんに連絡しないとメール機能は元に戻りません。どうずNTTさんに連絡して回復させてください」とお願いし、やっと両社の情報交換が始まりました。

 私もパソコンの所有者ということから、「このメール機能がパソコンから消えた原因はあの7日の通信回路が断絶したためです。原因は私が下手につつきすぎたことなんですが、困っています。どうか早急に繋げてください」と懇願の声を上げ、やっとメール機能がパソコンに納まったのは午後4時でした。

 そう急がないと、議会新聞に挟んだチラシの「再訂正文」をWordで作文しても連結が切れてしまっている今のプリンターは使えないため、新たにプリンターを購入しなくてはならない・・・。でも、議員職は間もなく終える・・・。

 ということで、「帰ったら、使えなくなったプリンターの代わりとしてAmazonで中古品を購入しよう」とパソコンが機能しなくなったときから決めていて、昨日午後5時過ぎに自宅に帰りパソコンを繋ぎ、今まで長年使い続けてきたのと同じEPSONの「PM-A840S」の中古品を探し、すぐに注文しました。価格は4700円ほど。きっと私の人生最後のプリンターになるでしょう。

 但し、選挙にかかわるある人物と地元警察署から指摘を受けた「再訂正文」の印刷は今日から4、5日経ってプリンターが配達されてからだから、25日ごろか。そして、その配布作業はそれから約一週間かかると思っているので、全部配布するのはきっと7月31日ごろになるでしょう。

 でも、この酷暑の時期の活動です。もし私がチラシの配布中か帰宅してから熱中症(昔の日射病)で倒れましたら、友人議員やこれまで私が親しくお付き合いしてきました方々はあとに残る私の愛妻のことをよろしくお願いいたします。


 誰を批判したわけでもないほんの一言の言葉をうっかり誤って書いたせいでこれほど圧力を受けるとは思ってもみませんでした。

 そんなことから、室戸市内の政治体質にはとことん嫌気がさしていて、市民の皆さんには申し訳ありませんが「早く議員任期の最終日が来ないか」、「もしものことがあれば任期途中での引退も」とまで思っています。

 
 昨日、高知医大の脳神経外科の私の担当医・門田医師の診察をお受けしましたが、医師からは私の病状について「放射線検査の結果は、全く問題ありません」とお聞きし、一安心でした。

 その後は、定期検診を受けようと思い室戸を出発した昨日の朝、午前7時半過ぎに安芸市矢流で発生した事故で大渋滞したことによって、私や安芸市から高知医大に向かっていた同医師を含めて出勤される方々が困ったお話や、今現在の酷暑によって熱中症になられる方が増えているお話、そして私からは、妻が「あんたがそういうように正常な形でいきているのは、あの門田先生のお陰や」と喜んでいることなどをお伝えしましたが、いま私はある立候補予定者から圧力を受けていて精神的に落ち込んでいることもあってか、門田医師とお話している途中、心は安かりながらも目には涙を溜めていました。

 その門田医師との半時間足らずの時間と、帰宅後に妻が「どうやった?」と聞いて私から「門田先生は『全く異常はありません。いいです』と言っていたよ」と伝えると妻が「ほんま?よかったー!」と安堵の声を上げたことが、昨日の何よりの救いだった。妻は「ほんまにあんたは神様に救われゆう人や」とも。
  

 自宅には私が描いた七福神が4作品、壁にかかっています。この神々からの応援があってこそ死なずに今まで生きてこられたと思っていますので、もう少し頑張ろうと思っています。

     

 このように韓信のような目に遭いながらも、ね。

 (※参考記事:「韓信の股くぐり」について書いた記事


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NTTのインターネット回線不全で、パソコン機能も被害

2018-07-10 | プライベート
 3日ごろから続いた連日の大雨で福岡県や広島県、岡山県などの西日本は特に大きな被害が出ていて、被害をお受けになられた地域や被害者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

 高知県内でも西の宿毛市をはじめとする幡多地方が雨続きでお悩みになったニュース、そして県東部では安芸市の安芸川と伊尾木川が氾濫寸前の水位となったニュースを見て、心配していました。

 実は、私が住む室戸市は雨は降り続きましたが豪雨が降り続くことは無く、被害はあまりなかったように思っています。

 唯、小さな被害と言えばそうですが、個人的には雨が続いた時期の7日(土)の朝に異変が起こり、困りました。

 7日の午前8時ごろにはパソコンは正常に動いていましたが、一度事務所から離れ、戻ってパソコンを入力しますと、インターネットにつながりません。そこで、機器類に疎い私ですのでそのままパソコンの電源を切ればよかったんですが、「これは困った。なんとか復帰させたい」と思い、色々と操作を続けたのです。

 そうしていると、スタート画面にあったWordやExcel、メールを行うOutlookなど多くのショートカットが消えてしまい、何もできなくなってしまいました。

 で、なぜ当家のインターネットがつながらなくなったのか悩んでいましたが、ニュースでも「高知県内でNTTの通信回路がパンク」のニュースが流れ、ようやく高知県内の各会社や家々にあるパソコンがつながっていないと気付いた次第。もうそうなると、パソコンを買った店に改修をしていただかなければ元に戻らないと考えました。

 翌8日の朝にはテレビから「通信回路が回復」等というニュースが流れます。ネットがつながったということらしく、パソコンの横においてあるADSLのPPPの赤ランプも正常な黄色ランプに戻っていて、「パソコンの故障だと思って焦ったが、なんだ、NTTの通信回路の故障だったのか」と気付きました。

 その時、ようやく自分の機械類に対する知識足らずを再認識した次第。

 ということで、8日(日)はじっと我慢し、9日(月)になってすぐに買った安芸市のヤマダ電機安芸店に室内用パソコンを購入時の箱に入れて持っていきました。

 開店した午前10時過ぎから元に戻す作業を始めていただき、プリンターとの接続を除いて、ようやく元通りになったのは午後1時過ぎでした。

 今回、パソコンへのインターネット接続が消えたことを考え、それを通信システムの故障とは思わず、「自分の操作ミスでネット接続が切れてしまった」と焦ったことを考えますと、いつもはブログを書いたり議会などに使う原稿をWordに書いたりニュースを見たりしていて使いきっているように自分では思っていても実際は能力不足で、いざとなったら機器の操作に疎いことが良く分かりました。

 でも、昨日はヤマダ電機から帰りながら一安心で、「ほんまによかった」と思ったものです。

 但し、私の被害はわずかなものです。

 家屋や車の被害だけでなく、家族がお亡くなりになった方々、そしてご家族が行方不明になった方々など、全国で大きな被害を受けられた皆さんにはお悔やみを申し上げるとともに、心情をお察しし、お見舞い申し上げます。


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勝っても負けても悔いが無きよう、懸命に働きたい

2018-07-06 | 人間のあり方
 FIFAワールドカップに出場した日本代表の試合を見ていて思いました。

 「勝つか負けるか解らないが、一分一秒を後で悔い無きよう、動こう!」。

 試合に出た選手たちも出ずにベンチでいた選手たちも、勿論、監督やコーチ陣もみんな、そう考えながら行動していたでしょう。だから、みんな負けたことに悔いは無いと私は思っています。

 「働かなきゃ悔いは残り、精いっぱい働けば、負けた悔しさは残っても、自分たちの働きに悔いはない」。

 これは、どういうスポーツに関わっていても、どういう仕事に関わっていても、どういう地方政治に関わっていても同じだろう。

 「自分の知恵を使い、行動力を精一杯発揮し、働く」。

 時には失敗する時もありますが、こうすれば勝っても負けても必ず、悔いは残りません。例え負けたとしても、きっと納得できる敗北となる。笑顔で母国に帰ることができましょう。

 地方議員としても、W杯に出場した日本代表が懸命に行動していることから学び、休まず働かなければならないと思っています。なぜならば、住民から「報酬」という賃金をいただいているから。

 すべては、住民に降りかかる明日への公正な政治のためです。


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『青空エクスプレス』が日本一の新聞社に情報提供?

2018-07-03 | メディアのあり方
 前夜は午後7時に就寝。今朝は午前3時前に起き、ワールドカップの決勝トーナメント第1戦の日本対ベルギー戦を最初からみて日本代表を応援していました。

 ですが、実に残念な結果になりましたねえ。

 後半10分までに日本が2点を入れ、小生も歓喜の声を挙げました。

 それからは「もしかすると」と思っていましたが、やがて2点入れられ、「延長か」、「PKか」、と思っていた最後の1分ぐらいになって決勝点を入れられ・・・。

 でも、本当によくやったと思いますよ、どの選手もね。勿論、西野監督もね。代表のみんなは我々を大いに楽しませてくれました。

 国民の皆さん、また四年後に代表として出場できるのを期待して待ちましょう!! 


 それはそれとして、私は6月26日に「次の南海大地震発生を地震年表から推測する」の記事を書きました。お読みになられた方もおられるでしょう。

 その記事は私が40歳代に出版していた地域雑誌『あおぞら』で南海大地震を特集、その雑誌の冒頭には「地震年表」を記しましたが、26日の記事はその地域雑誌から地震年表を引用した内容でした。 (※右の「バック・ナンバー」の2018年06月をご覧ください)
 
 それが、昨日7月2日の「読売新聞」を見ますと、私が当電子情報誌に書いた地震年表の流れをそっくりそのまま1ページに拡大し、「南海トラフ 繰り返す震災」として報道しているのには驚き、笑ってしまいました。

 次の写真が同紙の紙面。
  

 ま、多分、「読売新聞」大阪本社の幹部が私のブログの記事を見て、「うん、これはそのまま使える」と思い、記者に指示。一週間かかって新聞社風に記事をまとめたということでしょう。(でないと、あまりにも記事掲載のタイミングが良すぎます)

 ま、室戸市には私のブログから断りもなく記事を盗み選挙に使った悪質な候補もいるんですが、「読売新聞」が使った事例は悪いことではないから、私は「著作権侵害」などとは言いません。「大きく、そして広く報道してくださって、ありがとう」とお礼を言いたい。

 読売新聞社は、私が支持する保守政党の自民党支持の、日本一発行数が多いメディア。どこかの地方紙のように、政治に関する記事は全て自民党批判で左翼政党支持ということは無く、読売新聞のこの紙面にはむしろ短い歴史年表を大きなデザインを付けて報道して下さっており、うれしく思っています。

 当電子情報誌では今までも報道機関を教え導く記事を書いてきましたが、これからも地方自治や地方議会のことだけでなく、多方面にわたる情報発信を行っていきたいと思っています。

 但し、引退する来年4月までですが。


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安倍総理も西野監督もよく頑張っておられます

2018-07-02 | トップのあり方
 本当によく頑張っておられます!

 誰のことかって?

 国政の足を引っ張り続け、「何とか有力な安倍政権を潰したい」とすべての法案や議案に反対し続けている左翼野党であるが、それに負けず、外交と内政に本当に頑張っておられるのが、安倍晋三総理大臣。

 野党各党の“自民党政権提案議案にはすべて反対しよう”と国民の感情を全く汲み取らない政党活動に苦労しながらも、29日に与党は「働きかけ改革関連法案」を成立させた。

 北朝鮮問題ではアメリカと手を組みなんとか不核化を阻止しようと懸命に動いているが、2013年12月に事実上のナンバー2であった張成沢とその側近たちを処刑し、2017年2月には異母兄の金正男をマレーシアで暗殺したことは皆さんご存じのことで、部下や国民は平気で殺すが自分がアメリカ軍に殺される危険を感じると中国とロシアの手を借りながらうわべを善良さで取り繕う、その性質の悪さは信用出来ない。よって、長年にわたり日本国民を北朝鮮が拉致(昔でいえば「人さらい」)した事件の解決は困難であろうと、私個人は思っています。

 で、その自民党政権の力強さを何とか貶めたいと考えた左翼政党は国政の動きからは遠く離れた小さな問題をあきらめず、左翼メディアと手を組み、自民党政権が可決を目指すすべての法案や議題に反対し続けています。「何とか安倍政権を倒せば、他の自民党の国会議員の誰が首相になろうと、安倍政権より攻めやすい」と考えて。

 それでも安倍政権は、長年にわたり世界各国を訪問して各国との関係改善に力を注ぎ、日本の国を引っ張り、国会議員の中では「戦後の総理大臣では最も優秀な政治家」であることは間違いありません。妻が国政の足を引っ張っていることでちょっと苦しみ続けてはいますが。

 私は「安倍首相は本当によくやっておられる」と四国最南端の田舎町からみていますし、規定された「自民党総裁は三期まで」というルールにのっとり、能力と才覚が下の他の候補が「私が次の首相になる」といえども、三期目の安倍晋三氏を自民党総裁に選ばなくてはなりません。それが今の日本国家の最も堅実な「人選」です。


 そして、安倍首相の高い能力と頑張りには及びませんが、「良くやっておられる人」のもうお一人は、今回のサッカーW杯(ワールド・カップ)が始まるわずか2か月前に監督を要請された西野監督です。

 ですが、西野氏が監督に決まったときは、あまり好評ではありませんでした。

 でも、こういったら失礼になりますが試合結果は見事で、ワールドカップ予選リーグの1戦目はコロンビアに1-0で勝利、2戦目のセネガル戦は2-2で引き分けています。

 そして、この間のポーランドとの3戦目は試合が開始され後半に入っての14分に相手のポーランドに入れられて0-1となるが、他の場所で同時にセネガル―コロンビア戦が行われていて、後半の29分にコロンビアが1点先取すると、状況は一辺に変わりました。

 セネガルに負けずに決勝トーナメントに進もうと点数稼ぎに励んでいた日本でしたが、ベンチにいる日本チームの監督やコーチは「試合に負けてもセネガル以上の得点が上に無いと決勝トーナメントに進めない」と考え、その後半開始から32分後から徐々に日本チームは攻撃を緩め、「あと8分」となった後半37分には攻撃を止め、あと5分ぐらいが来るとポーランドゴールの前でボール回しを行い試合を終えた。

 これから約1分後、セネガル―コロンビア戦は日本と同じように0-1で終了し、その総得点の結果、日本がセネガルを上回り、日本の決勝トーナメント進出が決まった。

 これらのことは野球ファンの私よりも日本全国のサッカーファンの皆さんの方が詳しく知っておられるでしょう。

 こういうチーム首脳の戦法に対しては世界のメディアだけでなく、日本のサッカーファンやワールドカップだけ見ている私のような“にわかサッカーファン”からも賛否が出ています。

 私が「一つの事例」として出した理由は、そこです。

 日本が決勝トーナメント進出を決める要件となったポイントを「フェアプレーポイント」と言うそうですが、そのフェアプレーポイントは、警告の回数などから算出する数値で、W杯では今大会からその制度が導入され、日本が初めて適用されました。つまり、全世界のサッカーファンや「にわかサッカーファン」や世界中のメディアが始めて見た結果だということです。

 W杯に参加したグループリーグ(予選トーナメント)の順位は全3試合での①勝ち点、②得失点、③総得点数の順で決めることになっていて、そのすべてが同じ場合は、直接対決で勝った方が順位が上になります。

 で、今回、日本とセネガルは、①勝ち点4、②総得点4、③総失点4、④得失点差0となり、最後はそのフェアプレーポイントで順位は決まることになってしまった。それが日本チームが攻撃を緩めた後半の37分ごろの、試合終了の8分ぐらい前ということです。その時、日本はイエローカード(警告)が4つで「マイナス4点」、セネガルはイエローカード(警告)が6つで「マイナス6点」となっていた。

 そういう時は当然、スポーツであっても商売であっても、ほかのチームや会社と競り合っていたら“競り勝つことができる確固たる手法”を考えるべき。

 そうして、日本は試合に負けて勝負に勝ったが、私に言わせますと、こうして当たり前の手法だったと思い、予選トーナメントを2位で突破したことは大健闘。西田監督やコーチ陣の考えは正しかったと思っている。

 世界中のサッカーファンの方々は「日本チームはおかしい」というが、にわかサッカーファンの私から一つお教えしましょう。

 こんな私ですからサッカーのワールドカップの歴史なんかまったく知りませんが、ネットで調べると、サッカーのワールドカップの名称は「FIFAワールドカップ」というそうで(※こんな言葉も知らないなんて、恥ずかしいですが)、その大会が始まったのは1930年と記載されていました。勘定すると、今年で88年になります。

 そのくらい前から行われてきた大きな世界大会ですが、この88年も経って初めてルールとして始まった制度が「フェアプレーポイント」ということになります。

 その第1号の事例のチームが「我が日本チーム」ということになりました。

 ・・ということは、今後の大会からもこの制度は続き、4年後、8年後、12年後、16年後の大会と継続されて続いてゆきます。

 ・・となると、4年後の大会の予選トーナメントでは①の勝ち点、②の得失点、③の総得点数が全て同じで順位を競い合うという例は無かったとしても、8年後か12年後にあった場合、世界中のメディアは「このフェアプレーポイントで決勝トーナメント進出を決めたのは、2018年のワールドカップでセネガルと競り合って決勝トーナメントに行った日本チーム以来となります」と報道されることになります。

 地方自治ではありませんが、日本の今回の「戦法」は“ワールドカップの先進事例”と言えるのではないでしょうか。

 ・・ということは、もう今回のワールドカップのグループリーグ(予選トーナメント)は終わり既に決勝トーナメントが始まっていますが、大会が続いている限り、わずか2か月前に日本チームの監督に呼ばれた西野朗監督が考えたこの戦法は歴史に残るということになります。それに、W杯の度に思うのは、どの大会でもベテラン・ゴールキーパーの川島が頑張っている姿。たとえ失敗があったとしても、日本代表チームで相手チームの得点を防ぐ能力が一番高いのは彼でしょう。

 さて、ベスト16となったからには、あとは対戦する強豪・ベルギーに勝利しないとベスト8には進めませんが、戦いは「FIFAランキング3位」のベルギーと、「FIFAランキング61位」の日本。これでも「相手の得点を2点までに抑えれば90分間には何とかなるんじゃないか、でも3点取られたら追いつけない」と小生は思っています。

 そして決め手は、“半端ねえ”大迫が先発メンバーで出場することと、後半はベテラン選手が出場すること。「大迫が出ればベスト8」、「大迫が出なきゃベルギー戦に敗退」と思っています。

 ただ、セネガルは今回の結果に反発を強め、FIFAに圧力をかけて、日本対ベルギー戦の主審と副審、計3人の審判をセネガル人が務めることにした。つまり、日本チームを悪意のある審判で勝てないようにしようとしています。もしそういう不正な審判をすれば自国に対して世界中から批判が高まり、予選で勝ち抜けなかったセネガルを更に自ら貶めることになるが、さてどういう審判を行うのか。試合が開始されたら皆さんはそういう点も注意してみていただきたい。


 さて、病後でなんとか元気になりたいと思っている小生です。3日の午前3時に試合は始まるそうですので、睡眠不足などにならないように2日は午後7時ごろに寝床に入り、試合開始から日本代表チームを応援しようと思っています。

 たぶん、日本全国が大騒ぎになるでしょうね。


 結論ですが、安倍総理は本当によくお働きになっています。他に安倍晋三氏以上に国のために働ける国会議員はいませんので、最後の任期となる総裁三期目に就任されることを祈っています。

 又、W杯に出場した日本代表の選手の皆さんと監督やコーチの皆さん、予選では良く頑張ってきたなと感じます。とにかく決勝トーナメントでは初となる初戦で勝利してください。そうなると日本は沸くでしょう。

 日本中の皆さん、自分の町で、自分の務める組織で頑張っている人を純粋な気持ちで応援しましょう。それが、自分が人間として立派になれる基礎的信条というものだから。

 でも、もし頑張る人を疎ましく思い貶めようと試みれば、その悪意を持った人の人生はその時から落ち続けることになる。誰からも尊敬されず、後ろ指を指されながら。


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