青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

政治家の不正に目をつむる有権者たちへ

2013-04-30 | 地方のあり方
 小生、自民党の党員でも関係者でもないが、来る参院選では国力強化に努める安倍総理の自民党に投票する。昨年末に安倍さんが総裁に返り咲いたときからそう決めている。

 先の2009年の衆院選では「金をくれるから」といって実態は「社会党」である民主党に投票したバカな国民がたくさんいたが、今回はまさかその民主党に投票する人はもういないでしょうね。

 言っておきたい。選挙において甘言で有権者を釣る政党も悪質だが、それにまんまと釣られてしまう有権者も馬鹿です。

 物事は「何が正しくて、何が間違ったことか」で判断すべきものです、特に政治に関しては。それを基に、国民に媚びへつらう政党や政治家には絶対に投票してはなりません。

 自分が過去に行った失敗を反省をし、このことをよく覚えておいてください。

 室戸市においても市長選の前の「国保税は上げません」の公約に釣られ騙されて多くの有権者は市長に投票したが、その3カ月後の議会で市長は「国保税値上げ」の議案を市議会に提出。それまでも不正な事業に賛成してきた議員たちはそれに賛成し、国保税は値上げされた。つまり、選挙前の後援会新聞と演説に室戸市の有権者は騙されたのである。そのことを私は議会で追及したが、国保税値上げの議案は可決してしまいました。

 選挙において立候補した政治家の良し悪しを見分けるコツを伝授しよう。

 選挙の時には甘い言葉で有権者に媚びを売り、職に付いたらその公約を裏切り反対の制作を進めるなど、やっていることに裏があるし利害関係が絡んでいるという政治家は、悪い候補。

 公約違反であっても選挙後すぐに平気で国保税を値上げした小松室戸市長や、選挙の前に行った公約とその裏側でやっていたこととが全く正反対だったいま話題となっている鹿児島県南大隅町長(※1)だけではなく、裏で住民の心を踏みにじるような悪しき策略をめぐらすこんな悪い政治家は全国にたくさんいる。

 ※1  森田南大隅町長がからむ事件にこんな記事1を見つけました。

 続いて、こんな記事2がある。

 続いて、こんな記事3です。

 続いて、こんな動画もありました。

 これも市長選において有権者に語りかけた演説と裏で進めている政策が全く反対のことをしている点から悪質と言え、室戸市と同様に、有権者は騙されたことになる。この市長はやがてリコールされるだろう。


 一方、いつも厳しく公正な政治姿勢でいて、如何に悪い政治家を支持支援する有権者から批判を浴びて“親市長派と反市長派で形成する市長支援議員”ばかりの議会(※2)において孤立無援となっていようとも、法令を順守しながら道徳性にも富んだ正しい主義主張を決して変えない政治家が、真の良い候補といえる。

 それが私でした。

 しかし、市長が行う地方自治法違反などの不正に対し議会において理路整然と主張できる非常に貴重な議員といえた私を室戸市民は23年4月の市議選において「市長を批判するような議員はいらない」との意思を示した。

 任期中には公正な議員が止めるのも聞かず違法な事業を行い、選挙において甘い言葉で有権者を釣った候補が政治家になった途端、前言を翻して有権者の意思に反する政策を実行する。他方、「政治とは厳しくあるべきで、コンプライアンス精神と道徳心に基づいて公正・公平・適正に行わなくてはならない」と主張しそれを基に議員活動を休みなく行ってきた候補が落選する。

 こんなことでいいんでしょうか。いくら考えても結論は「地方政治において、そんなことはあってはならない」となる。

 甘い言葉で国民を釣って政権を奪った民主党はそのウソがばれてしまい、国民の批判を浴びて厳しく処断されたが、室戸市長は2回目の市長選において有権者の70%の支持を受けて当選した。この違いは何を物語るのでしょうか。

 考えられることは、国の政治は地方から離れていて、いわゆる“地縁・血縁”などが及ばないから、「ならぬことはならぬものです」の論語の精神がそのまま投票行為に現れるが、地方の、町や村の選挙に関しては、「ならぬことはならぬものです」という孔子の精神は通用せず、「何が不正で、何が公正なのか」なんてことは関係なくて、“地縁・血縁”の精神によって投票されるということである。

 だから、室戸市の市長選でも市議選にでも、甘言で室戸市の有権者を釣る“民主党”という人物が立候補すれば、間違いなく上位当選するといえる。

 
 ※2 “親市長派と反市長派で形成する市長支援議員”についての解説。

 「親市長派」の議員は勿論、市長が提出した違法な議案にでも、もろ手を挙げて賛成しています。それはあってはならない市民の意思を踏みにじる行為ですが、「市民」の考えよりも「市長」の考えの方に加担している不正な判断だということになる。

 「反市長派」の議員は日頃、市長とは一線を画していて日頃は親密ではないが、なぜかその「反市長派」議員も表決においては違法な議案であっても不正や不適正な議案であっても最終的には賛成してしまいます。私はそのたびに首を傾げたものです。「議案が不正だとも解っているし、親しくもない。なのになぜ賛成し協力してやるんだろうか」と。

 よって、室戸市においては、「親市長派議員」も「反市長派議員」も全員、「市長支援議員」ということになる。


 だから、これまで不正な議案に賛成してきた議員と不正に賛成している現在の議員たちは、如何に市民に選ばれた立場であろうとも、みんな褒めたものではない。彼らは議員退職後もその不正に手を貸したことが恥だとして市民の記憶に残り、議会議事録の中に記録されたことは室戸市が続く限り後世に語り継がれることとなる。

 私の議員時代は「反市長派」だとは思っていなかったが、市長が違法や不正な予算の支出などを重ねるそのたびに指摘し批判し改めるように求めることから、現場にいないから政治なんか全く解らない市民から見ると「反市長派」の議員だったであろう。

 だが、他の議員のように「市長が喜ぶから」とか「反対したら次の選挙に関わるから」と考え違法や不正な事業案に賛成するでたらめな議員ではなかったから、決して一度も「市長支援議員」になったことはない。

 つまり、議員だった8年間、市長の不正だけでなくて市会議員の不正にも手を貸したことはない。首長の不正に手を貸すなどもってのほかで、地方議員として恥だ。

 地方議員とは、首長の不正に監視の目を向け、不正を見つけたら徹底調査を行った上、厳しくそれを改めさせるべく行動すべきものであって、そのために議員となっていることをもっと議員たちは勉強すべき。

 私は8年間、そう努めてきて、そのことを誇りにしているし、私を落選させた室戸市民がどう思おうとも、今でもそれが私の勲章となって心の中で光り輝いている。

 さて、そこで今日の結論です。

 知事や市区町村長が行う不正に加担しているようじゃ、地方議員もまだまだ未熟。

 それに、そんな不正な地方議員を支持・支援しているようじゃ、有権者もまだまだ未熟だ。



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政府は、元公職者への叙勲を廃止すべきだ

2013-04-29 | 国のあり方
 また性懲りもなく元公務員に勲章を与えている。

 春と秋に行われる叙勲について、かつて国会議員をしていた人間、、都道府県知事や市区町村の首長をしていた人間、そして都道府県や市区町村の地方議員をしていた人間など、元公務員への叙勲に関しては大いに異議がある。


 毎年、春と秋には紫綬褒章や黄綬褒章、緑綬褒章、藍綬褒章、紅綬褒章などの叙勲が行われます。

 学問や芸術・文化などで功績を残した人には黄綬褒章が、その道一筋に励んだ人を称える人には黄綬褒章が、又、顕著なボランティア活動などには緑綬褒章が個人や団体に与えられ、公共の利益に貢献した人には藍綬褒章が、人命救助に尽力した人には紅綬褒章が授与されている。

 学問や文化・芸術の分野でご尽力された人たち、その道一筋に励み、技術を深めて職を極めた人たち、自分の命やお金や労力等を投げ打ってボランティア活動を続けて来られた人たち、民間に在って一般国民の利益に貢献してきた人たち、人命救助に尽力した人たちが褒章・勲章を受ける。このことは非常に良いことで、異論はない。

 でも、この春秋叙勲及び褒章、文化勲章授与の時、いつも思うのは、「政治家などかつて公職にあった人たちが、なぜ勲章をもらわなくてはならないのか」ということ。

 なぜそう思うかというと、国の政治家も、都道府県の知事も、都道府県の議員たちも、市区町村の首長も、市区町村の地方議員たちも、みんなみんなそれぞれ所属する組織から給与や報酬をもらって仕事に励んでいます。国会議員は3000万円ぐらいの報酬をもらっているから仕事をしています。この報酬を頂けなければ、誰も国会議員になんぞならない。

 石原東京都知事も東京都から給与をもらっているから知事の職務に知恵を使い中国と強く対峙もできます。尾崎高知県知事も高知県民から知事給与を頂けるから官僚を辞めて高知に来た。給与をくれなければ高知になんぞ戻ってこなかったのです。そして、地方議員も、職につけば報酬を頂けると思うからこそ、能力のあるなし関係なしで、誰彼なしにみんな議員選に出ようとし議員をしているのである。この報酬がなければ今の議員皆が市議選に出ていないのは疑いない。

 このように、企業社員も首長や議員も「所属する組織から給与や報酬をもらえるからこそ、仕事に励んでいる」ということは、逆に言うと、「仕事に励むからこそ、その職務遂行の代償として給与や報酬をもらっている」ということになる。(職務を遂行していないのに代償としての報酬をもらっている例外の人も多いが)

 それがです。民間でいる人たちが頑張り高い能力を発揮したことを評価されて勲章をもらうことは大変喜ばしいことだが、その人たちとともに、かつて国民や都道府県民、市区町村民の税金から給与や報酬をもらってきたこの公職にある人たちも、なぜかこの勲章をもらっていることには、大いに疑問を感じている。

 国会議員だった人たちが、都道府県知事だった人たちが、都道府県議員だった人たちが、市区町村の首長だった人たちが、そして市区町村の議員だった人たちが勲章をもらってはならないと思っている。

 この人たちは、仕事をしていた時には国民や住民の税金からその代償たる〝給料〟をそれぞれがもらっておきながら、「勲章を差し上げます」と連絡が来たら臆面もなく「ありがたく頂戴します」なんて言ってもらってしまう。臆面もなくよく言えたものだと思う。以前、最高位の桐花大綬章は国会議員だった扇千景元参院議長が選ばれ、「恥ずかしがらずに、頂こうかなと思いました」と語ったが、働いた分の代償としての報酬は既に国民の税金から貰っているのに更にご褒美をもらうことに違和感を持たず貰っても恥ずかしくないようだ。又、全国の地方議会議員の中からも多くの方々が選ばれ受賞している。

 思うのは、「そんなに勲章が欲しければ、最初から仕事の代償として与えられる給与も報酬を一銭ももらわずにやれ!」ということです。それなら、勲章に値するだろう。

 以前、私がまだ議員になる前の話をしよう。昭和61年から平成元年までの4年間、室戸市のど真ん中の浮津でジャズ喫茶をしていました。

 今でも忘れません。ある日のこと、店内の奥の方には数人の女性グループが仲良くモーニングを食べていた。そこに室戸市議会議員のY氏がやってきた。それまで一度も店に来たこともなかった一見のお客さんでした。彼はコーヒーを飲み始めたが、奥にいる女性たちの話の中に割って入って、こう言い放った。「あの水路はワシが役所に言うてやっちゃったきんの」。その議員と女性たちは知り合いではない。

 カウンターの中でそれを聞いた私は、首をひねりました。市会議員とはこの程度の人間たちか、と。

 「議員は市民の税金から報酬をもらっている立場の人間で、いろんな仕事をして当たり前の立場。だから報酬をもらいながら仕事をしない議員は泥棒のようなもんや。そんな立場の人間が、ちょっと担当課に口添えをしただけで、市民に向かって『仕事をやっちゃったきんの』と言えるのか。恩着せがましい。よくもそんなことが言えたもんよ」。

 そう思ったものです。やって当たり前の仕事を、「やってあげた」と言うその神経。ボランティアで議員の仕事をしているわけじゃないのに、自分が報酬をもらっている市民に対して恩がける。バッカジャナカロカと思った。

 もし、その女性たちから「あんたは私らの税金で飯を食いよう立場やに、なに偉そうに自慢しようがあぜ。恩着せがましい! やって当たり前やろ」と言われたらどうするつもりだろう。

 地方議会には物事をこういうように考えている議員もたくさんいるということです。だから思う。国民や県民、市区町村民の税金から仕事の代償である給与や報酬をもらっている人たちに、国は勲章を授与してはいけないと。

 叙勲の決まりはどうなっているか知りません。でも、公職にあって職から退いた人たちにもいろんな賞を授与していますが、長年その公職にあったことを評価して賞を授与しているのならば、授与するのは今すぐにおやめなさい。

 なぜならば、公職にいて一生懸命働くのは当たり前の話です。給与や報酬をもらっている限り、その人たちは賞に値しません。その公職にある時にいくら大変優れた功績があったとしても、それで当たり前。褒章に値しない。当たり前の仕事をした人物に賞を与えることはない。

 更に言うと、その人たちの中でも特に国会議員や知事職、都道府県議らは生活に苦しんでいる一般国民や一般市民の給与と比べるとそれはそれは分不相応な巨額の給与や報酬をもらっています。国民・住民の税金が原資である給与や報酬をもらっておりながら在職期間に功績がない、そんな人物の方が厳罰者だ。

 とにかく、この春秋叙勲及び褒章、文化勲章授与の時、いつも思う。

 かつてその職務の代償として住民から給与や報酬をもらって政治家や自治体職員や教職者をしていた人間が、なぜ勲章をもらわなくてはならないのか。
 それら公職にあった者たちは、褒められるような仕事をしてそれで当たり前、もし任期中に表であっても裏であっても不正なことをしていれば罰あたりもんだ。
 そんな立場の者たちになぜ、国から国民の税金を使ってまたお褒めの勲章を与えなければならないんだ。
 この程度の理不尽さも解らないのか、代議士たちよ。せっかくの有名大学出の肩書が泣くぞ。


 議員として全く仕事をしないでいて、裏側で5期20年、10期40年と長く自治体の予算を食い物にしてきた議員もいるだろうが、そんな人間でも周辺の支援者らが「長く地方自治に貢献した」と推薦し、推薦状を受け取った人たちはそれを真に受けて褒章を与える。そんな元首長や元議員が褒章に値するのかと言いたい。いじめの事実を黙殺し続けた元教職者もしかり。褒章制度を弄んでいると言ってもいい。

 国民みんながこの叙勲制度の理不尽さが解らないようだが、私だけは“給与や報酬をもらって、すべての行動はチャラ”の立場の元公務員が勲章をもらうことについて、ふざけた話だと思っている。

 とにかく、こんな理不尽な報奨制度は間違っているから、政府はすぐに「元公職者への叙勲は廃止する」と決定すべき。


※電子情報誌「高知発!青空エクスプレス」のアクセス数は、4月29日(月)付けGooブログランキング(186万4529ブログ)中、5483位でした。

 連休中はどんな記事を書いても、会社や自治体に「高知発!青空エクスプレス」愛読者がいなくなっているから、全くだめですねえ。昨日の記事をお読み下さった182名の方がお家にいたということになります。後の100名、200名の方は海外に、国内の観光地へと、そして父母が待つ故郷へと里帰りでしょう。

 それもいいでしょう。年に2回か3回しか顔を見ることができない家族と再会することで、またこれからの社会生活での活力ともなろう。観光地で、またふるさとで英気を養い、みんなで頑張ってこの日本を強くしようではないか。アベノミクスも利用しながら。
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恩をあだで返す悪い奴

2013-04-28 | 人間のあり方
 この歳になってお恥ずかしいが、どの話も教訓めいていて面白いので時々、テレビの「日本昔ばなし」を見ますが、それを見ていたらこんな場面があった。

 「自分がお世話になって助けてもらった人を陥れるとは、恩をあだで返す悪い奴だ。きっと罰が当たるぞー」。

 そのあとすぐにその悪い男は天罰が当たって、死んでしまいました。


 話は変わって、先日の読売新聞の書籍広告にこんなのがあった。

               

 目を引いたのは、「友を陥れてまで、己は出世を望んだのか」。のコピーでした。

 室戸市にも自分を政治家に押し上げてくれた大恩人を陥れてまでして、己は地位と名誉を手に入れて豊かに暮らしている強欲な男がいます。

 書籍広告と日本昔ばなしを見てその愚劣な男のことを、また思い出してしまった。

 きっといつか神様がそ奴に厳しい天罰を与えてくれると信じています。

 そうでないと、この歳まで真面目に生きてきて、精がない。


 将来ある子どもたちにも言っておきたいが、人間として生まれてきて、人を陥れて自分は成り上がるなんて悪いことは考えてもならないし、決してしてはなりません。

 そういう悪だくみは絶対にするな。

 「大人の人がしているから、してもいいんだ」なんて考えてはなりません。不真面目、決まりを守らない不正、悪だくみ、ウソをつく・・・、大人の中にはそんな人がたくさんいますが、そんなバカな大人の真似は決してしてはなりません。

 人生はいつまでも童心を忘れず、真面目に生きてゆくことが一番大切なことです。大事なのはお金ではなくて、純真な心です。そして友達を大事にすること、郷土愛を持つこと、国を愛すること、自主独立の精神を以って遮二無二なって働くこと、人の見ていないところや時間にコツコツと勉学に励み地力をつけることを忘れてはなりません。

 そういう勉強を長年してこずに大人になった人たちは、何かあるとすぐ勉強をして力を蓄えた人の力を利用して楽に成り上がろうとしますが、そういう“騙し”にこのオジサンのように引っかかってはなりません。つまり、人が言ったことをすぐに信用してはならないということです。

 オジサンは、子どもの教育に関わる仕事をしていたその市職員が明言する「近隣の市町村に市町村合併の動きが出たら合併協議に取り組みます」という言葉を三度も確認し、その約束を信用して候補に引き立てました。そして、選挙事務所の看板を書き、後援会新聞の政策づくりと新聞制作もして、まるで政策秘書のように活動をしたが、このことから言うと、候補にすれば私は大恩人。そこまでした貢献者でしたが、当選の翌年にその男は「私は市町村合併に取り組む考えはありません」と宣言、騙されたことが明確になった。

 だから、人とは信用ならないものだと覚えておいてください。決して人の言うことをすぐに信用してはなりません。

 特に公務員は、自分の体面を保つため、地位を揺るがさないため、議員に嫌われないためなどの理由で、自分が考えてもいない主義主張を平気で言ってうわべだけを取り繕います。「そうよねえ。谷口さんと私は同じ考えです」と。その言葉を信じその政治姿勢を信じて私はこの市職員を選挙の候補に引き立てたのですが、本心は私と同じ考え方ではなかったということです。で、結局、その言葉にダマされた。 


 日本昔ばなしもよく見て、“人とはいかにあるべきか”を学んでください。
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絵馬「七福神富士旭光宝船」の制作中

2013-04-27 | 私の絵画制作活動
 21日に本格的に色を置き始めて昨日で6日目となります、現在制作中の大絵馬「七福神富士旭光宝船」(180×100㎝の100号変形型)です。

(原画を基に書き起こした下絵)

 

 21日に始めた下書きから5日目の状態はこうでした。

  

 6日目の昨日は船首部分の麒麟(幸せを呼ぶという伝説上の動物)を集中して描いて、こうなりました。

  

 手書き情報誌の制作や議員の仕事と同じように、私が得意とする人の見ていないところ、人が見ていない時間にコツコツ、コツコツと描き続けています。30年後、50年後まで“残される仕事”にしたいと思って。

 勿論、せっかく住民のためと尽力してきた議員職を政治家とも呼べない程度の悪い人間とその手下らによって奪われてしまった私に連休なんて与がる訳はなく、ずっと家から出ずに絵描き三昧です。

 でも、皆さんはきっと遠くに遊びに行かれます。だから、こんな記事を書いても連休中は見て下さる方は少ないとは思いますが、「いつでもやれるだけのことは怠りなくする」というのが私のモットーだから、私を長年支援して下さっている方々へのご報告として書いた。連休中は、職場のパソコンではなく、ぜひご自宅のパソコンでご覧頂ければと思います。


 ついでと言っちゃあなんですが、小生、これまでも室戸市内の神社(杉尾神社)や寺(最御崎寺)などの絵馬を修復した経験が何回かあり、その経験を生かして現在も神社や寺の絵馬を修復する「絵馬修復師」の仕事もしており、修復をお受けしています。

 もし、読者の皆さんが住んでおられるお近くの神社や寺の古い絵馬の絵が「消えかかっている」とか「大半が消えてしまっている」という話をお聞きになられたら一度、関係者と協議をして「修復しようじゃないか」となれば、ご連絡下さい。修復作業は当家のアトリエまで絵馬を運び修復しますので、遠くの寺社の絵馬でもお引き受けします。

 そんな出来事に「何とかできないか」と心を痛めておられる宮司、住職、総代さんはぜひ一度ご連絡いただければと思います。

 かつても室戸市内の杉尾神社の絵馬や墨書きの文字板の絵や字の大半が消えてしまっているものを元のように描き起こした経験があり、宮司さんと氏子さんは喜んでおられましたし、最御崎寺にある江戸期の牛若丸・弁慶の大絵馬2点の修復もご依頼を受け、着物の模様など全て飛んで消え線が残るぐらいの絵までしたが、きれいに描き起こした経験があります。

  

  

   

 100年150年と時間が経過すれば昔の絵具や墨は消えてしまいます。また、そういう年月の経過によって消えてゆくという理由のほか、もうひとつ絵馬の色や墨が消える原因は、秋の神祭の前には氏子が神社内を大掃除しますが、その時に濡れた雑巾で「絵馬が汚れているから」と気をきかせたつもりで拭いてしまうことも一つ挙げられます。

 そんなこんなの理由で絵馬の絵は次第に消えてしまいますが、今の画材は堅牢ですので、いま修復しておけばこれから100年、200年と絵も墨書きも残されると思います。

 よく、「絵馬というものは絵が消えてしまっても手をつけずにそのまま後の世に継承してゆく方がよい」と言われる方がいますが、それは間違いです。消えてしまい、何の価値も何を書いてあったかもわからなくなって、「では、その作品を絵師にお金を出して描いて貰って寺社に奉納した人の思いはどうなるのか、何のための絵馬奉納か」と言いたいですね。

 後の世の人が自分勝手な考えで結論は出してはいけません。現代に生きている人が考えるべきことは、昔々に仁徳のあるお方が大金を出して大絵馬を描いてもらい、それを自分がいつも願い事をしている神社や寺に奉納し、宮司や氏子や住職や檀家の皆さんに喜んでもらい、「これから後の世まで絵馬を大切にしてくれるように」と老いてゆき、やがて亡くなった。そういう人物の遺志を継いでゆくべきもので、何の金も出さない人間が勝手な考えで「何もせずに放っておけばよい」などと無責任なことを言ってはならない。

 そう考えていただければ、手をつけずに絵馬の絵や墨書きが消えて何を書いてあったのかわからなくなるよりも修復した方がましだと、気付かれると思います。

 尚、私に任せて大丈夫かについては、これまで修復した絵馬の数々をご覧いただき(私がご案内します)、真面目一辺倒で雑誌作りと議員活動をしていたことを基に考えになられ、お決め下さればと思います。勿論、高知県内でも県外の寺社の絵でもさせていただきます。



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地方議員研修講座(その8)討論と表決の正しい判断とは

2013-04-26 | 議会改革
 議員時代を振り返り、記事を書く。

 まず、「討論」について書いてみたい。

 2008年12月議会でのことです。

 私は議案第8号「市職員給与増額」に対する反対討論を行いました。その後、3名の議員も同じ議案の反対討論に立った。続いて反対討論に立った新人議員は議案第3号の反対討論を短く行い、「議案第8号も今の状況を考えて反対します」と発言して降壇した。

それには私も首をかしげました。「討論の仕方を知らないまま、他の議員がやっているからおれもひと言その議案のことも言っておこう」と考えてのことだとおもうが、「あんた、間違っているよ。『反対します』だけじゃ、討論の範疇に入らないよ」と言ってやりたかった。

 翌日の高知新聞にはこの発言も反対討論として解釈し、「五氏が反対討論」と記事にあった。ですが、最後の議員のこの発言は反対討論には入らない。高知新聞の記者は“討論とはいかなるものか”を知らないまま記事を書いた。

 どうも、記者も議員も意思表明さえすればそれが「討論」になると思い違いしているようだが、討論とはそのように判断だけを表明するものではない。よって、記者も含め、市議らも議会の基本についてもっと参考書を買ってきて勉強を深めて頂きたいものです。

 とにかく地方議員だけじゃなくて、それらを取材している新聞記者らも地方議会や地方自治について勉強が足らないのが目に余る。知識が足らないまま議員生活を4年やり、知識が足らないまま取材記者をやっている。

 こう言う小生、厳しく言うからにはすることもちゃんとする性分ゆえ、市会議員になる前の市議選に出る前から、議員になって恥をかかないように議会のことを知っておいたほうがよいと考え、参考書を購入して勉強した。そのきっかけになった本が、『市民は議員になるための本』(寺町みどり著。学陽書房刊)でした。そして、この本ともう一冊、『議員必携』(全国町村議会議長会編)。

 両方とも、たいへん参考になる文字通り、いい参考書でした。
 
 この二冊に、「討論」はどのように行うかが書かれている。

 まず、『議員必携』には、こう書かれている。

1、《議題になっている事件に対して、自己の賛成又は反対の意見を表明すること》 先の議員はこの「意見表明」をしたのです。

2、《しかも、その目的は、自己の意見に反対するもの及び賛否の意思を決めていないものを自己の意見に賛同させることにある》
つまり、1の「意見表明」を行った上で、自分の意見に反対するものや賛否を決めかねているものを自分の意見に賛同させることを目的に行うものである。だから、賛同してもらえるよう説得する行為が「討論」。

3、《従って、簡単な「賛成」、「反対」の意思表示は討論といえないわけで、賛成又は反対についての理由を明確に述べながら賛否を論議すべきもの》

 だから、先の、簡単に「私はこの議案に反対します」と言っただけの新人議員の発言は、反対討論を行ったことにはならないのです。

 次に、『市民派議員になるための本』には、

1、《賛成者と反対者が交互に自分の意見を述べて、相手の意見に反駁(はんばく)し、批判し、攻撃することにより、聞く人に対して論点を明らかにし、問題の判断をしやすくするために行う》 ※反駁=他人からの意見や攻撃に対して、逆に論じ返すこと。

2、《討論を行う時には、論点を整理して、あらかじめ討論する内容を原稿にしていくこと。議案審議の中で(質疑では自己の意見表明はできないので)明確に自己の意見を主張できるのはこの討論だけ》


 さて、そこで【討論の仕方】についてご説明したい。

1、「議案第○号について反対の立場で討論します」と、まず賛否の立場を表明する。しかし、これで降壇してはならない。

2、賛成又は反対する理由の説明を「起・承・転・結」で順序良く文章を整理し、要点をまとめ、それでいて要素は失わないようにする。

 ○世間、地域社会の現状 (室戸市の議案第8号の場合では、世界的な大不況で国民全体に閉塞感があって、拡大中)

 ○国の制度や自治体の制度の経過及び改正の状況 (県人事委員会勧告が社会現状と乖離している)

 ○自治体の事業経過 (市職員給与は削減途上にあることとの不整合性)

 ○法律や条例との関係 (室戸市の高速バスターミナルに関しては、「公の施設とはいえない」)

 ○住民との関係 (不況下における市職員給与増額は住民感情を逆撫でする)

 等々。

3、終わる時も、「よって、議案○号に対して反対します」か、「以上、議案○号の反対討論と致します」と終わる。


 以上が二冊の参考書から拾った要点と、私からの「討論」についての解説です。

 だから言えるのは、よく考えた上で討論に立たないと、「私は議案○号に賛成できませんので、反対します」なんて言って、そのまま降りてきたら、わざわざ恥をかきに発言席まで出て行ったようなもので、これなら出て行かないで黙秘権を行使して議席に座っていた方がまだまし。

 議員として議会開会を前にして肝心なのは、開会日の一ヶ月ぐらい前から質問原稿作成のための調査活動を行い、開会一週間前の告示日が来て議案書を渡されたら、議案をそれぞれチェックした後、質疑原稿を作成します。

 その中でも、討論を行う必要があると思う議案があれば、大綱質疑と、委員会審議の中の他の議員が行った質疑もよく聞き、メモもよく取って、その上でも尚、討論すべきと判断すれば、閉会日までの4~5日の間に自宅で賛成又は反対の討論原稿を作成しておくこと。

 これが「用意周到な討論」というものですが、こんな例もある。

 大綱質疑でよく見られますが、誰か一人が核心を突く質疑を行うと、質疑する原稿を全く用意していなかった他の議員もそれに釣られて質疑することを思いつき、立つ事があります。室戸市議会でもこう言う光景がよく見られた。

 これと同じように、閉会日まで原稿も事前に用意せず遊んでおいて、その当日に他の議員が討論し始めると、自分もついでにしておこうと登壇。「私も議案○号に反対です」なんて言って壇から降りてくるなんてのは、恥ずかしい。

 そんな中身のない発言を聞いて誰も感心しないし、振り向きもしない。時間の無駄。その上、議員になって一年目や二年目までは許してもくれようが、三年目をすぎると「あの議員は△期目なのに、何も勉強してないなあ」と思われ、不勉強を宣伝しに行ったようなものだ。でも、本人さんはそれに全く気付いていない。愚かである。

 もう一つついでに付け加えると、一般質問の時に、毎回要望を行い「答弁は要りませんが、よろしくお願いします」なんて言う議員がいる。

 あの知識不足も早く誰か指摘してあげねばと思い、私が一年半前ぐらいにその日の議会が閉会した後、「質問で、これを行ってはいかがですか、の問いかけの提案はよいが、これを行って下さい、の要望は質問ではないので、してはいけません。要望は議会以外の日に担当課にいってお願いするといいですよ」とお教えした。

 ですが、何も覚えようとしないとみえて、私が議員時代の最後まで、毎議会質問に立つ度に「よろしくお願いします」とやって降壇していた。だから、その度に私は、「市長、答弁してやらないと要望になってしまいます」と声を上げると、市長も気を利かせて提案に対する質問として答弁をしていた。

 とにかく、議員は他ごとをせず、議員職に専念して勉強をし、自力を付けることに邁進してほしいものです。勉強を怠ってから、このように毎議会、毎議会同じ間違いを繰り返すことになる。

 それと、議会での「一般質問」を一般社会の会合(※例えば、商工会や観光協会や地区の集会など)での質問と議会における一般質問とを同じものだと勘違いしている議員がいます。これについても勉強不足のままの議員がたくさんいる。

 ですが、これも全く別の物だと早く気付かないと、理解しないまま四年の任期が終わってしまう。先輩議員の行っている質問や質疑や討論をよく聞いて、その「可能な領域」を覚えることから能力を上げるように努力することも大切です。

毎晩のように貰った報酬で夜の町を飲み歩いたり、自宅での晩酌が過ぎて酔いつぶれたりなんかせず、夕食が済めば議員必携を手に学び、そこに書いていあることをすべて頭に叩き込んで、住民のためにも公正な政治を実践することです。

 とにかく勉強が足らないことによって知識が足らない、知識が足らないことによって自分が気付かないまま恥をかき続けている議員がたくさんいる。

 十分に事業経過を調査した上で行った質疑も、不勉強な議員に係ると「議長!それは質問で、質疑じゃないぞ」なんて的外れな不規則発言が時に飛ぶ事があるが、その判断に困り、議事がたびたび止まるのも情けない。これは、調査・研究に熱心な議員に対するジェラシー(嫉妬心)。その邪魔をしているだけ。

 それを、「静粛に! 質疑を続けて下さい」ときっぱりと大声で制すればいいものを、仕切り役はどう判断していいのか困り、議事がそこでストップしてしまう。質疑を行っている議員は「正しい質疑じゃないですか!」と叫ぶが、どうしたらいいのかわからず迷っている。

 こんな情景は全国の市町村議会でもよくみられるのではないかと思うが、とにかく議員の不勉強によって度々議場が混乱するし、首を傾げる事が多い。

 「なぜ勉強しないんだろう、簡単な規則なのに」と思うが、これまで質疑を行ってきた経験が少ないと、質疑とはなんぞやのその許容範囲が解からないのでしょう。又、正しく知った上でそれを教え広める先輩議員が、議会施行50年になるが、これまでいなかったという証明にもなる。

 とにもかくにも、六十になろうが、七十になろうが、何歳になっても勉強を怠らないことです。勉強をしないから行く先々で恥を掻くことになる。

 議長になったからといって、カッコをつけて「若手は地方自治法を読め」なんてことはいわないことです。私は市議会で行われた数々の不正な政治を知っているが、市長や議員たちが今まで地方自治法を踏みにじることを議会でやってきたではないか。

 他の人に言う前に、まず自分が地方自治法をよく読んでそこに書いてあることを実践することだ。

 論語にある。

 「後世(こうせい)、畏(おそ)るべし。焉(いずく)んぞ来者の今に如(し)かざるを知らんや。四十、五十にして聞こゆるなくんば、これまた畏るるに足らず」。

 (若者と言えど、侮れない。学び方次第では、将来、私たち以上の人間になっているかもしれない。但し、四十、五十になっても、まだ碌な仕事も出来ないようでは、全くどうしようもない)


 思うのは、議会改革の必要性。議員の勉強会を毎議会後の年4回ぐらい開催することも含め、無理やりにでも議会改革を始めなければ、いつまで経っても地方の議会は良くならないと思います。

 しかし、日本初の議会基本条例を制度化して実践している北海道栗山町は、室戸市と同じ田舎の小さな町だけどなあ。それでも議会改革を成し得たのは、きっと橋場利勝さんたち改革精神を持つ有能な議員さんが何人かいたからでしょうね。室戸市には私を置いて議会改革を行おうとした議員はいなかったし、今現在もいないから、議長に就任した議員がみんな「議会改革」を口にしたとしても、絶対に議会改革を積極的にやろうとする議員はこれから室戸市が人口1000人のまちになっても出て来ないと断言できる。

 本当に、積極的で改革精神を持つ議員がたくさんいる議会がうらやましいです。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さてそこで、続いて、一つの事件を基に、私が考える議会における討論と表決の時の正しい判断の仕方を説明したい。

【事例】

 2009年3月6日、室戸市議会が開会しました。私がまだ室戸市議会議員となって1期目で、その約1年後のことです。

 急を要するということで、国の定額給付金給付事業等が含まれている議案第2号補正予算案など四議案の質疑、討論、表決が行われました。

 その時、議案第2号に関し、私は賛成討論を行った。それも、地域活性化・生活対策臨時交付金事業など、議案の中の他の事業等は本市に降って湧いたような国からの交付金や補助金であったため、補正予算の中にある市が行う行政施策、業務、そして予算運用については概ね賛成でした。

 ですが、この議案にある国の定額給付金給付事業の国のあり方については異議があり、これを賛成討論で指摘した。「国において、今後は国民の70~80%とかが『国費の無駄だ』と批判する政策は今回限りでやめよ」と、見直しを求めた。

 すると、討論を始めてすぐの、「・・・などの事業には賛成します。しかし、ただ一点、心から賛成できないのが国の定額給付金について。理由はあとで述べますが、自分が議員としてこの愚作に何も批判せず、何の意思表示もせずに、議案に賛成してよいものかと考えました」と言った冒頭部分で議長に止められた。

 私は「反対している」とは言っていない。だが、「それは反対討論になっています」と。そこで私は即座に、「これまでこの市議会においてこのような形は初めてだと思いますが、賛成討論で概ねの事業には賛成だが、何点かの事業に異論がある場合は、その事業を批判し見直しを求めることは出来ます。これが反対討論といわれるなら、私が間違っているかどうか、どうぞ調べて下さい」と、迫った。

 結局、議長と議会事務局長は、一瞬黙って後、「では、続けて下さい」とお許しが出たが、淡々と討論原稿を基に述べていたものを急に「ダメだ!」と静止させられると、それは、後がスムーズに続くものではなかった。かてて加えて、議場には私が批判する政府与党自民党の議員(※ふくおひろし氏が言うところの、“かくれ自民党”議員)が数名いて、「そんなことは政府に言わないかなあ」と叫ぶものも。

 それにも負けずに、続けた。

 「21年度の国家予算の37%が借金という現実、国のいまの借金が938兆円、これは国民一人当たり740万円を負担していることになること、大金持ちにまで12000円を配布すること、赤字国債7兆円の借金をして一方で2兆円ばら撒く愚鈍さ、国民の血税を有効的に使わないこと自治体が忙しい年度末と年度始めに行うこの行為、それに特に問題なのは選挙の前に国民に金をつかませること、それに、総理の『さもしい』発言。さもしいとは『浅ましい、心が汚い』という意味だ」。

 こうして最後に、「政府に見直しを求めておきたいが、もうこれからはこんな地方議会や地方自治体を悩ませる国民の税金をばら撒くような政策はやめることです。出すのならもっと自由に使える地方交付税交付金として出すべきだとお願いしておきたい」と締め、「以上、議案第2号についての賛成討論と致します」と終わった。

 議場は混乱してしまって、ワイワイ言ってましたが、私は国民の大多数が「国民のお金を選挙対策に使うな」と言い、室戸市民の中にもこの事業に批判的な人は多い。その声の受け皿となる勇気のある議員がこんな田舎の議会にも必要だと思いました。

 ダメなことをハッキリとダメだという私なんかは、だから馬鹿なんですが、こんな正論を吐く議員が議会に一人はいないと何が正しくて何が悪いことなのかが解からなくなるから、そのモノサシになるために一人突っ張っていた。それに、議会でこの事業に批判的な議員は私だけだったのはちょっと寂しい気もしたが、中には思っていても言えない人が何人か、きっといるんだと思いますよ。


 では、ここで討論、それも当初予算や補正予算のように、国や県の予算を使った事業が各課に亘り多くある議案の討論と表決の正しい判断の仕方について、説明しておきたい。

【討論と表決の判断の仕方】(当初予算・補正予算の場合)

〈賛成討論〉

 議案には市(町村)が行う行政施策と行政業務及び予算運用等が大半で、そこには国や県、又は市単独の予算を充当して事業を行うことを記載してあります。
そこで、その予算議案に賛成か反対かの判断を、討論で賛成討論を行うか反対討論を行うかを決める前に、まず、決めなくてはなりません。

 この判断は、市の行政施策・業務、予算運用に賛成か反対するのであって、例えば、市本来の財源(基金なども含め)の運用には反対できても、国や県の財源に反対の意思表示は出来ません。

 つまり、表決は、市が行う行政施策・業務や予算運用に賛成(又は反対)出来ても、市以外の国又は県の財源(地方交付税、交付金、補助金など)のあり方や政策、業務に反対の意思があっても、市長等執行機関から市議会に提出された議案に反対することは出来ない。その判断は、いわゆる筋違いであり、誤りだからだ。

 よって、国の(又は県)の政策や事業に異議がある場合は、討論においては賛成討論を行い、その中で、賛成するもろもろの事業に対し賛意を示した後、異議ある国や県の政策等を批判し、今後の見直しを求める形式を取るとよい。

 だから、国の政策等に異議があり、市が適正な政策・業務や予算の運用を行っている場合に「そんなのは反対討論でやるべきだ」と言った先輩議員の指摘は当たらず、誤りであるといえる。これも場数を踏めば解かってこよう。

〈反対討論〉

 勿論、議案の市が行う行政施策・業務及び予算運用に異議ある場合は表決で明確に反対し、討論では反対討論を行う。

 よく見受けられるのは、議案の中の市の施策や予算運用に意義を持っていて反対すべきなのに市長が喜んでくれるからとか、利害関係で賛成してしまっている例が見受けられるが、あれもみっともない。市民の代表なのか、市長の子分なのか訳が分からない時がある。市民のことを考えると、あれも公平・公正で無いから、判断の誤りは勿論のことだ。


 以上のように、討論を賛成討論するか、反対討論するかを考える前に、自分は予算案の内容で市民の立場に立って市の施策・業務及び予算運用に強く意義を持つ事業は無いかを考え、その点において不公正や不公平、不適正だと感じ考えるものがあれば、明確に「反対」の判断を下し、後は反対討論を行うか行なうほどのことでもないかを考えるとよい。

 この時、市の施策・業務及び予算運用などに異議は無いが、国や県の政策や財源のあり方などに意義がある場合は、賛成討論に立ち、市が行うことに賛意を示したあとで、国(又は県)が行うことについて異議(反意)を唱え、批判し、見直しを求めて、最後に、「以上、本議案についての賛成討論とします」と結び、降壇する。

 だから、6日に私が賛成討論の中で市の施策・業務及び予算の運用に賛意を示した上で、国の定額給付金給付事業について「無駄使いであり、今後はこのように地方議会や地方自治体を惑わせる事業はやめ、市町村がもっと自由に使える地方交付税交付金を配分するように見直しを求め、賛成討論とします」と降りたのは全く正しい。

 私も、議会前には反対討論ですべきものか賛成討論ですべきかと大変悩みましたが、以上のような結論を導き出し、知り合いの県職員にも確認したところ、私の判断どおりでした。

 又、『市民派議員になるための本』の「討論とは何か」のページに「討論と表決は条件付きでは出来ない。予算などの内容に全面的には賛成できないが、全体として賛成する場合は、敢て賛成討論を行い、内容で一つずつ批判し見直しを求めた上で、“本予算議案に賛成します”と終わるとよい」とあったことで、自信を持って先日、討論を行ったということです。

 やっぱり、知識は宝、デスネ。

 最後に言っておきたいが、よく議会では討論に立つ議員は変わりもののように言う馬鹿な議員がいますが、討論には立つものですよ。特に重要議案に対しては自分の立ち位置を明らかにするためにも行うものです。

 討論に立つのも地方議員の務め。いつも議席を温めているだけの黙秘権を行使する議員でいてはならない。

 とにかく、室戸市議に限らず地方議員の中には「報酬さえもらえればあとはどうなってもいいんだ」と思い、表決においても「不正な事業案だってオレには関係ない。そのことで住民が困ろうとかまん。自分が困らなかったら市長が不正をしようがどうでもいいんだ」と考えている不心得な議員はたくさんいる。

 そんな姿を私は8年間じっと見つめてきた。


※電子情報誌「高知発!青空エクスプレス」のアクセス数は、4月26日(金)付けGooブログランキング(186万2880ブログ)中、4200位でした。

 最近は当電子情報誌の読者もめっきり減少しました。

 理由としては、役所や会社に勤務する人たちはゴールデン・ウイークが近いことから、その休日の3日間と4日間にこなす仕事を済ませておかなければならないことがまず考えられます。

 それと、地方議員を辞めたことから“生”の議会情報を伝える記事が無いため(と考えています)。これは致し方がない。

 かと言って、あの中国や韓国の悪さを書くと検索数は急上昇するんですが、効き目があるわけじゃないから、折々に書く話の種はいくらでもあってそのたびに腹も立つんですが、テレビやネットのニュースに怒りをぶつけて解消するだけにしています。
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絵馬「七福神富士旭光宝船」の制作中

2013-04-25 | 私の絵画制作活動
 絵に関心がない読者の皆さん、ごめんなさい。今日は画家としての記事です。

 先日もご紹介させていただいたように、古い美術雑誌の江戸期の絵師三人が合作として描いた七福神の小さな絵を見つけ、それを基に私としては2作目の七福神絵馬の制作中です。

 作品は、題して「七福神富士旭光宝船」。

 (原画)

  

 (原画を基に書き起こした下絵)

 

 これを1ヵ月半かけて180×100㎝の100号の変形型に描いてゆきます。

 21日に始めた下書きから5日目の、今の状態です。

  

 原画は少し地味で暗い感じの浮世絵で、あまり幸福感を感じられる絵ではありませんので、着物や宝船などの色彩は全体的に明るくさわやかなものに変更し、私が描くのは原画とは全く感じが違う、見る人に喜びと幸福感を与えられるようなお正月らしい絵馬に仕上げたいと考えています。

 ま、読者の皆さんには「おれたちにはそんなこと関係ない」と思いでしょうが。(笑)

 予定としては、これを5月末までに描き上げ、引き続いて次の「七福神見丑図」の制作を開始し、それを7月中旬までに仕上げる予定でいます。

 今年も11月ごろには室戸市などで個展を開きたいと考えていますので、近隣の皆さんにはこれから後に描く七福神の絵馬2点も含めて合計4点の七福神の絵もご覧いただければと思っています。


※電子情報誌「高知発!青空エクスプレス」のアクセス数は、4月25日(木)付けGooブログランキング(186万2406ブログ)中、5014位でした。
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うまいとこ取り

2013-04-23 | 人間のあり方
 先に書いた記事に関連してこんなことも思う。

 私は「人間も60歳を迎える年齢になるといつお迎えが来てもいいように考えておかねばならない」と考えています。だから、「自分はいま元気だから、これからも75歳、80歳、85歳と、ずっと元気に生きていくことができる」なんて考えている人は“厚かましい人”で、“考えのない人”としか思っていない。

 よって、これらの七福神の大絵馬4点については全て、販売したり神社や寺、自治体や企業などへの寄贈は全く考えておらず、全て妻への“遺産”として描き残そうと思って毎日、絵筆を握り描いています。


 寺社からや檀家や総代から「うちの寺に寄贈してほしい」とか「うちの神社に」と要請があっても、それではその寺や神社に得があっても私や妻には得るものが何もないということで、すべてお断りすることにしています。

 昨年も中芸地区のある議員さんに「うちの神社にその七福神の絵馬をもらえたらなあ」と“ダメモト”のような言い方で言われたが、そんな「ありがとう」で終わる話に、私は笑って一蹴してやった。本当に欲しいと思った時には宮司と神社関係者が一堂に集まり要請にきて、みんなでそれを本当に欲しいという気持ちを所有者にぶつけ、懇願してこそ、その所有者の心も動かされるというもの。人が持っているものを「くれんか」の一声で貰おうとすること自体、間違っていよう。

 それに、たった一つの絵にしても、絵具などの材料代の前に基底材となるベニアを高知市に買いに行き、木枠となる木材を買いにゆき、それを自分で工作してパネルを作り、それにベニアを張り、下塗りを4回も5回もしてそのたびにサンドペーパーで擦り滑らかにする作業を行い、ようやく大作を前にしての制作が始まる。それから下描きをして、下塗りの色を置き、塗り重ね、時には大作を車に積んで現場に運び寒い中や風吹く中で描く。そんな作業が1カ月から1ヵ月半も続きます。

 そんな苦労のたまものでもある作品を、人は「うちの神社の絵馬に飾るから、これをくれんか」と言います。

 多分、差し上げれば一週間ぐらいはその神社に関係する人たちは「ありがとう」と言うんでしょう。それが、ほんの10日もすると周辺の住民もそんなことがあったなんてすぐに忘れてしまい、大きな七福神の絵馬を寄贈してくれた人のことを思い出すのは、秋の神祭の日ぐらいなものだろう。

 自分たちはその絵師に対して何んの貢献もしないで一つの大きな絵馬を手に入れたのであるが、一方、絵馬を寄贈した絵師の方は非常にがっかりしてしまいます。「欲しいから」と住民たちはその絵をうまいうまいと褒め称えてくれたが一端、もらってしまうと、もう赤の他人みたいなもん。「えっ、そんなこと、あったか?」みたいな顔をしています。そこに感謝がない。

 もし、その神社が火事になり神社もろともその大きな絵馬も燃えてしまっても、「残念やなあ」で終わり。代償となるお金を支払っておらず自分たちの腹は痛んでないから、みんな何の悔しさも感じていない。だが、もしその大きな絵馬を自分たち多くの氏子たちがそれぞれ1万円でもお金を集めて何10万円、何100万円という代金を絵師に支払って購入していたら、きっと「惜しかったなあ」では済まないだろう。悔しくて悔しくて、腹立たしくて腹立たしくて、火事の原因を探ってもし付け火とならば犯人捜しをするだろう。

 ということで、私は描いた絵を「その絵馬をうちに寄贈してくれないか」と寺社関係者に頼まれても、差し上げても誰も感謝がないことが解っているから上げないと決めているし、公正・公平な健全な市政を目指して努力し頑張っている議員を支持せず、努力を怠り違法な事業に賛成している議員たちの方を支持した室戸市の住民意識もとにかく疑わしいと考えており、これまでも何度か「次の市議選に出て“くれんか”」と要請されたが、「室戸市の政治は不正なままで、議員を始め市民もその悪さを改めようと努力しないから、出ないことに決めています」とすべてお断りしている。

 例外として、先日、室戸市内の老舗企業の新社屋落成に際し、30歳代に油彩で描いた室戸岬の夕景の作品を1点差し上げたが、これは小生が何年も前からその会社社長の経営姿勢を見て尊敬していたことから、当方から要請して無理にもらっていただいたものだった。

   


 世に、“うまいとこ取り”という言葉がある。

 しかし、“うまいとこ取り”でうまくいった例(ためし)はない、と私は思っている。

 結論として、 「自分の得ばかり考えず、時には人の苦労も酌んでやる度量や才覚を持つものである」。
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七福神の新作、制作を開始

2013-04-22 | 私の絵画制作活動
 一昨年の2011年11月に描いた大絵馬「七福神乗合宝船」を、まずごらんください。

  

 
 この作品制作以後も2年近く高知県展入賞を目指してジオパーク絵画を描いてきましたが、それはひとまず一区切りさせて4月からは新たに3点、「七福神」の絵馬の制作に取り掛かりました。


 古い美術雑誌に掲載されていた江戸期の絵師が描いた七福神の小さな絵を見ながら克明に描き起こしたのが、下の3点。 

  

 これを1点につき1ヵ月半かけて180×100㎝の100号の変形型に描き起こします。

 1点は、この大絵馬「七福神日の出宝船」。

  

 この作品を5月末までに描き上げ、引き続いて次の「七福神見丑図」の制作を開始し、それを6月中旬までに仕上げる予定。

  

 あともう1作品の次の大絵馬「七福神、宝の酒盛り」は新たにパネルを製作した後、8月の終わりまでには完成させたいと思っている。

  
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地方自治法の「議会公開」の原則

2013-04-21 | 議会改革
 議会情報の公開について。

 まず、議会の情報公開は、いま全国で広がっている議会改革の大前提であり、各市町村議会には私が議員時代に開設したこのブログなど、WEB上での公開も含めて、情報公開のためのたゆまぬ努力が求められている。これが、全国の市町村議会が置かれている現状です。

 この地方分権の時代にあって、議会の存在意義は強化の方向にある。市長等執行機関に対し、市民の代表者として堂々と議論を展開するためには、議員の日常の調査・取材活動の飛躍的な向上は欠かすことができません。

 議員の為すべきことに挙げられるのは、公費の使途など行政情報は納税者である市民に明解に説明すること。議会情報の全てを市民に公開すること。市民の批判には謙虚に耳を傾け、市民と共に話し合い、改めるべき点は直ちに改めること。そして、議員という特権意識を捨て、市民の目線で物事を考えること。

 これらのことを議員が理解できていれば、議会で誰が一般質問や質疑をし、誰が質問、質疑をしなかったか程度の、傍聴者が既に知っている議会情報を広く一般市民に公開したことぐらい、当たり前のことだとすぐに分かると思います。議会は「公開の原則」が基本で、議員は知りえた全ての情報を市民に公表する義務と責任がある。

 議員は「非常勤特別職公務員」であっても、地方公務員法第34条のいう「公務員の秘密を守る義務」は「特別職の公務員である議員には適用されない」と規定されている。また、それだけでなくて、議員は「議会公開の原則を守る」義務を負い、「議員として得た情報を市民に公開する」責任があり、秘密会以外は職務として知ったことを話しても何の制限も罰も受けない。

 議会制民主主義の基本である条項として、地方自治法第115条で「地方公共団体の議会は、これを公開する」と定めている。「議会公開」の原則とは、①傍聴の自由 ②報道の自由 ③会議録の公表です。


 現状としては、議員が守秘義務を勘違いしたり、自分が議員としての職責を果たせない恥の部分を市民に知らせてほしくないという思いから、議会情報を市民に公開することをセーブしたり、他の議員が情報を公開することを阻止する動きがあるのは事実で、これはどこの議会でも同じであろう。だからといって、この情報公開の時代、議会改革の時においては、疑問だ。

 議会の情報、各議員が行う質問、質疑、討論、採決などの言動の情報は、全て市民と共有するのが原則である。このことは、傍聴人がいる本議会でも傍聴人がいない委員会でもいえることだが、これら議会中の情報は、もうその時点で情報の全てが市民に公開されていると理解していなくてはならない。

 市民に何を伝えるかは、個々の議員に任されているわけではない。行政情報の全て、議会情報の全ては、市民のものである。そして、それはその情報が発生した時から市民のものであります。


 《議員のミッション(使命)とは何か。ミッションは、その組織や機関が「誰のために」、そして「何の目的で」存在しているかを考えると容易に把握する事ができる。その上で、議会が「住民のため」にあり、「住民が自治体から良質で低コストの行政サービスを持続的に受けられるよう、自治体の基本方針や重要事項を決定し、執行機関を監視しチェックする」ことを目的として設置されているとの考えには、大方の賛同が得られるだろう。》

 雑誌『ガバナンス』の中で片山善博前総務大臣はこう記し、議員はそのミッション(使命)を忘れてはならないと説く。

 とにかく地方議員は地方自治体はいかにあるべきかと地方議会はいかにあるべきかをよく学び、よく勉強していただきたい。
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死後に残されるものを創りたい

2013-04-15 | 人間のあり方
 先の記事の最後にこう書きました。

 ≪若い20代頃から「死後に残されるものを創ろう、死後に語られる仕事をしよう」と考えていろんな仕事をやり続けてきたことの集大成としたいと思っているが、さてどうなることやら。≫

 ここからは少し語ってみようか。

 “当たるも八卦、当たらぬも八卦”といいます。自分が思うようには、事は運ばないこともよく知っています。悪い人間たちによって「室戸市議を3期やって引退する」との決意ももろくも破壊され、断念したことでもわかる。

 でも、人間、自分が「こう生きたい」との考えた道は信念を以って歩み続けたいものであるし、結果はどうなるか解らないが、目標や決心は決して死ぬまで捨ててはいけないもの。

 このことについては以前にも書いたことがあるが、小椋佳の歌「遥かな辙」の中に「こうとしか生きようのない人生がある」という下りがある。

 私はその歌が発表されて初めて聞いた時、その部分に非常に心引かれたことを覚えている。

 こう考え始めたのはこの歌が発表されるずっと前のことですが、正に自分は「死後に残されるものを創ろう、死後に語り継がれる良い仕事をしよう」と20代に決意して、30代後半になって「この製材所で60歳過ぎまで働いていてもお金は残るかもしれないが、死して後に自分が生きてきたという証は何も残らない」、そう思い、在る出来事をきっかけに意を決して家業であった製材所を退職した。

 その後は市内の自動車整備工場に雇っていただいて車の洗車係を経て営業マンとなり、営業について学んだ。数年後に開いた喫茶店では室戸市の文化を高める事業を4年間で24事業を行った。その後の、8年間の地域雑誌を発行する事業では、高知県東部地域の文化向上と情報発信に寄与することができ、その87号という数の雑誌の1冊1冊は私の死後も国会図書館や県立図書館をはじめ、全国のどこかのお家に残されると思っている。

 こんな生き方は損な生き方、商売としても全く儲けにならない借金が膨らむだけの生き方であることは百も承知の上でやり続けてきた。

 稼ぐよりも家から出てゆく金の方が多いことは事業を始める時から解っているこんな仕事、他の人たちはまずやらないだろう。それも一人の雑誌出版なんて。でも、主とする目的が「死後に残されるものを作ろう」だから、朝早くから家を出発し働いて、夜は午前2時や3時まで手書き雑誌のA2大の版下原稿に向かって原稿を書いている、そんな他の人なら「辛い」と根を挙げる仕事でも、生きる目標が違うから、やり続けることができた。

 又、先の市議選で落選した時、近所に住む知人は私を慰めながら、こう言いました。

 「あんたは人がえいきんなあ。他の新人候補の選挙看板を作ってやったり、同じ室戸岬町三津から出る新人候補に選挙のやり方を教えてやったりしたが、結局はこの三津に住んでいる市長を支持する者たちが市内全域に『谷口は違法な事業を行う市長を議会で追及するきん、投票したらいかんぞ』と言って広めた選挙妨害で、落ちてしもうたやいか。他の人にあんまり思いやりを掛け過ぎよ。おまんは人が良すぎらあ」。

 私を慮ってのことだったが、それを聞いて「あー、今となってはそう言えるなあ」とその時、初めて気が付いた

 この“人がえい”行動も含めて議員活動8年間の働きぶりは、死後に「谷口がいたからこそ、室戸市政は健全な行政運営を行うようになったし、市議会も改革された」と語られるようになればうれしいがと思って懸命に働いて選挙活動を議員活動を行ってきたもの。でも、如何せん、議会には“ダメなことはダメなものだ”と理解する正義感が強い議員が皆目おらず、結局は自分一人の“夢芝居”となった。

 しかし、私が発言したことの全ては誰の邪魔をされることも無く室戸市議会の議事録に残される。そのことを私は議員になった時からよく承知しており、武井市長と小松市長の不正は何十年たっても私の発言記録を読めばわかるように8年間、質問し、質疑し、討論で主張してある。

 私はこだわる性質で変わり者(私はそうは思っておらず、しごく普通のただ童心を持った真面目なだけの人間だと思っているんですが、法律や道徳にルーズな人たちは私のことをこう見ている。だから、私を「普通のただ真面目な人」と見る人は正常な物の見方ができる人だと理解している)ですので、こうやって生きてきたが、読者の皆さんはどうなんでしょうか。こんなふうに「死後に残されるものを創ろう、死後に語り継がれる良い仕事をしよう」なんてことを20歳代から考えて生きてきた方はおられますか。

 それほどはいないと思いますね。いや、勘違いしないでいただきたいが、「こうやって生きてきたから偉い」とか「偉くない」とか思っているわけじゃないですよ。「何のこだわりも持たず、目の前のことに集中して生きてきて働いて来て今の自分があり、死んだ後のことなんか考えて生きてなんかいない」、そう考える人もいていいし、それが間違っているわけではない。

 唯、私は自分が死んだ後、1年もしない間に自分がこの世にいたことをみんなが忘れ去ってしまう、そんなのは嫌だと思って生きてきたということなんです。

 家業の製材所で働いていた頃の20歳代にそう考え、死んだ後も自分が生前にやったことが後の世に幾ばくか寄与したり貢献したり出来たらいいな、そう生きてみたいな、そう考えて30歳代になって製材所を辞め、以後、「死後に残されるものを創ろう、死後に語り継がれる良い仕事をしよう」と努めたと言うだけのことです。ただ「こんな生き方がしたい」と思ってのこと。

 最後に申しておきたいが、現在30歳や40歳の方ならいざ知らず、いまや60歳を超えたようなご高齢の方が今から私のように「死後に残されるものを創ろう、死後に語り継がれる良い仕事をしよう」と思って今から死後に残される何かをやり始めても無理ですよ。なぜならば、20年、30年と長くそう生きて行く過程の時間がないからです。

 無理をしないでいただきたい。いろんな生き方があっていいものですので、「死後に残されるものを創ろう、死後に語り継がれる良い仕事をしよう」などと老いてから思ったりしないで、無理をせずのこる人生を楽しく生きてほしい。

 給与や報酬をもらっている限り歴史に名を残せない立場の公務員をやって議員をやって、毎日、それで得た5000万円を超える金が入った通帳を眺めてにんまりと笑い、庭でも眺めながら晴耕雨読で悠々自適の人生を終えればいいのです。例え、死後ほんの1年もたたない間に忘れ去られる自分であって、政治に関わって関わった事業はすべて給与や報酬をもらっているため“やって当たり前の仕事”と言えるため、それが称えられ後の世に功績として残されるなんてことはないが、家族には一般市民から見たら大金と思えるお金が残る。

 (注釈:公務員は、「仕事に対して報酬及び給与をもらえるから、仕事をする。それで行った仕事は給与及び報酬を貰ってチャラになる」、ということだ。公務員でも選挙で選ばれる立場の者に、「私が建てた施設だ」と言うバカな首長とか「私が担当に指示して作ってやった用水路だ」なんて言うバカな議員などがいて、この理屈が解っていない「公務員」は多い)

 “虎は死して皮を残す”とか申しますが、公務員は死して功績は残さず、大金を残す。

(※「公務員」とは、国家公務員と、行政職員や教師などの地方公務員だけではなく、常勤特別職公務員の首長、非常勤特別職公務員の地方議員も含む)

 唯、金はなくても出来ることがある。

 「死後に残されるものを創ろう、死後に語り継がれる良い仕事をしよう」。

 若者よ、あなたはこれからどう生きてゆきますか?

 ずっと一つのレールの上を走ってゆくのも人生、途中で勇気と冒険心を以って「自分の死後に残されるものを創ろう」と別のルートを走り始めるのも人生です。勇気と家族の理解が要ることだし、失敗すればすべて自分がその負荷を背負うことにもなり今よりも辛い人生となるが、ただ敷かれたレールの上を走っているだけの人の人生よりも数多くの感動と喜びがあることだけは間違いない。だが、生まれて死ぬまで自分の人生だ。どう生きるかを決めるのはあなた方自身。さあ、どうする?

 必要なのは、

 度胸、

 勇気、

 仕事が倍になっても自分一人で切り開き解決してゆく精神力、

 負けじ魂、

 強きをくじき弱きを助ける愛情、

 悪い人たちと闘う気力、

 決して諦めない強い執着心、

 夜昼なしに働く逞しさ、

 唯コツコツと人の見ていないところで独自の鍛錬を何十年と続ける諦めない心

 仕事を明日にやり残さず、今日の内にできることはすべてやる意欲、

 「机の上はその人の頭の中」と理解できる状況把握力、等々。


 さあ、あなたに困難に立ち向かってゆく勇気はありますか?

1、死後に残されるものを創ろうと生きる人生

2、死後に金を残すことだけを考えて生きてゆく人生

3、死後のことより、いま生きてゆくことだけしか考えられない人生

 あなたは今、どの人生を歩んでいますか?
 

 以上のことは私から若い皆さんへの“遺言”です。室戸市の政治を見ても解るが、老いた方々は何か言うと文句ばっかり言って、為すべき仕事をしないからね。

 これで“生き方教室”はおしまい。


 ※電子情報誌「高知発!青空エクスプレス」のアクセス数は、4月15日(月)付けGooブログランキング(185万7630ブログ)中、3736位、4月17日(水)はGooブログランキング(185万8577ブログ)中、3717位でした。
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