青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

新作の構想中

2013-03-30 | 私の絵画制作活動
 今日は私の絵描きとしての活動のご報告です。絵に関心のない方、ごめんなさい。

 前作「土佐国室戸百鯨絵図」の制作はひとまず3月18日に終了しました。

   

 その後、20日の彼岸の中日には昭和41年に亡くなった父と平成9年に亡くなった母の墓参、父の本家の墓参、そして地域雑誌『あおぞら』の窮地を救ってくださった私の人生の恩人である故・折寄武士氏の墓参を済ませ、翌日から数日は庭に春の花植え。

 26日からは次の作品制作のためにパネルづくりに取り掛かりました。

 木枠づくりのための木材を買ってきて100号の木枠を二つ制作。一つは162×112㎝のP100号、もう一つは残ったシナベニヤ(私はキャンバスは高価すぎるので、いつもシナベニヤに描いている)に合わせて規定外のサイズ、175×122㎝のパネルを製作した。

 なぜ長辺の長さが「175」かと言うと、県展の応募規定が「額装を含め180センチまで」と決まっているからで、額に厚1㎝の裏板を使えば両側で2㎝で合計177㎝となり、規定に叶うように考慮したもの。

 そうして木枠ができ、昨日は数日前に高知市の画材店「松浦屋商店」に注文してあったカラー・ジェッソ(イエロー・オーカー)が届いたので、二つの基底材に下塗りを行いました。

 1回目の下塗りを行い、天日で干す。約半時間後にそれを240番のサンド・ペーパーで擦り、2回目の下塗り。それを4回ほど繰り返して下塗り作業は終わる。

 そうしてできたのがこの二つのパネル。

  

 今回は下塗りがこれまでのようなホワイトではないので、自分でも「白とイエローオーカーとは仕上がりがどう違うのかな」と、心配と効果を期待する気持ちが半々といったところです。でも、新作の題材はまだ全く決めておらず、それはこれから2、3日の間に決めようと思っています。

 因みに、昨年11月の個展から、これで6作目になる。(平成23年6月から制作した作品の全記録)

1、夕映え・・・M100号-制作:23年7月
2、室戸岬(ビシャゴ岩)・・・P100号-制作:23年8月
3、磯 波(黒耳海岸)・・・P100号-制作23年9月  (第65回高知県展入選作)
4、七福神乗合宝船・・・P100号-制作:23年10月中旬~11月初旬
5、隆起する付加体…P100号-制作:23年11月25日~12月2日
6、樹根Ⅱ…………P100号-制作:23年12月中旬~24年1月中旬
7、室戸岬の朝(烏帽子岩)…P100号-制作:24年1月中旬~2月4日
8、アズメ岩……………M100号-制作:24年2月14日~3月5日
9、歯車岩………………P100号-制作:24年3月30日~4月12日 (第66回高知県展入選作)
10、舌状岩Ⅰ…………M100号-制作:24年4月16日~5月5日
11、双夫婦岩遠望………P100号-制作:24年5月10日~6月1日
12、天狗岩………………P50号-制作:24年6月9日~6月20日
13、舌状岩Ⅱ……………P100号-制作:24年7月11日~8月5日

 (県展後に、北川村にて個展を開催)24年11月1日~12日

14、子守り岩……………P100号―制作:24年11月16日~12月15日
15、岬の岩場……………P100号―制作:24年12月18日~1月20日
16、夕日に染まる町………変100号―制作:25年1月25日~2月10日
17、どこ見てんのよ(猿岩)…P100号―制作:25年2月15日~3月1日 
18、土佐国室戸百鯨絵図……P100号―制作:25年3月6日~3月19日
19、?

 一昨年4月の市議選後の6月の描き始めから数えると、この作品で19作目となります。

 一昨年の制作を開始した時から30歳代に描いていた抽象画への気持ちが強かったが、自分が平成3年からこの事業化を望みやっと始まった室戸ジオパークをもう少し後押しするためにも室戸で地質絵画を描く人がいないということもあって、室戸岬周辺の風景を描いています。

 尚、今年の県展後の11月ごろには又個展を開きたいと考えていて、今年は室戸市内のどこかで自身4回目の個展を開こうかと考えています。

 予定は10日間。安価で個展会場を貸してくれる場所を探しています。会場を10日間2万円ぐらいで貸して下さる所を知っておられる方、ご連絡ください。無料なら、尚うれしいですが。

 但し、私が描く作品は全て100号の大作ばかりですし、作品数も11月には25点ぐらい展示することになりますので、ワンルームが狭い会場や天井の低い会場は無理と考えており、どこかのホールのような会場をお借りするしかないかと思っています。


※電子情報誌「高知発!青空エクスプレス」のアクセス数は、3月30日(土)付けGooブログランキング(184万9105ブログ)中、4222位でした。
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地方議員の「民意」とは

2013-03-29 | 政治家のあり方
 いくら議員職が「民意」であるとしても、議員の職責の一つである“行政のチェック”を全くせず、“行政を庇い擁護する”ような元職員の地方議員では、「民意」の上に胡坐をかいているとしか言えません。

 そんな“行政のチェック”もしないで、ときには首長のチェックをすべきなのに標的を職員に定め攻撃するなどして、違法な議案に賛成してしまうような元市職員の議員なんて住民は望んでいないことを考えれば、民意でもなんでもないことがわかろう。

 もしこの私の指摘に腹を立てる元市職員の市議会議員がいたならば、ちゃんと住民からの負託を全うできるように手厳しく市長に対して“行政のチェック”を行い、違法や不正な議案には手厳しい質疑を行い、そしてここが一番肝心であるが、表決においても毅然と勇気を持って反対した上での話だと書き加えておきたい。

 これこそが選挙で投票するときの住民の思いであり願いである、「民意」だ。

 故に、選挙に当選すればそれで「民意」が達成したと思うのは大きな勘違い。

 その後の4年間に議員としての役目が果たせたかどうかによって、「民意」に叶う役目が達成できた議員と全く「民意」に叶う役目を果たせなかった議員とがいるということになる。

 だから、『市職員といえども選挙に出て当選してるんだから天下りではなく、「民意」だ』と思うのは、如何にも短絡的な考え方であり、暴論。

 まずは、議員としての職務責任を果たしてこその「民意」達成だと早く気付くことが大事。

 住民はちゃんと行政が行っている違法や不適正な予算の支出に議員が住民に替わってストップをかけてほしいと願っている。このことを考えれば、議会において議員が違法や不正な議案にノーチェックで賛成している姿は決して「民意」とはいえず、それでは「民意」が泣く。だから、厳しい指摘に腹を立てる前に、ちゃんと“議会議員とはいかにあるべきか”、“議会議員とは如何に為すべき立場にいるのか”を考えることです。

 くどいようですが、ちゃんと職務を果たしてこその地方議員であって、職務責任を果たさずにいて当選すればあとはあまり仕事せずにいても「民意」と考えていることこそ、愚かと言えよう。

 政治家という“職業”は、その職責を果たしてこそ「民意」を全うしたと言える。地方議員は、こういう基本原理を参考書を読み毎日もっともっと勉強して職務に当たるべきであろう。



 元行政職員のなかには「元市職員の議員でも住民の民意で選ばれた議員職だ」と考える方もおられると思うので、この「民意」についてもう少し深く考えてみたい。

 きれいごとを言うつもりはないが、私が議員時代に取り組んできたことについての打ち明け話も含めて、ま、少し聞いてください。 

 年末12月13日の記事『あの時の1秒が後の45年の人生を生んだ』でお分かりの通り、小生、戦後にありがちな栄養失調のために体が弱かった小学1年生ごろから中学校を上がる頃までいじめられっ子でした。腹を殴られ、顔をたたかれ、ある時には上級生に頭を野球のバットでスイングして叩かれたこともある。そのたびに地面に這いつくばり、「クソ、今に見ておれ」と思い続けた。そんな情けない子でも自分なりに真面目に勉強はしてきたつもりで、ひどく痛めつけられた体験から、高校を卒業し家業である銘木製材所でトラック運転手をするようになってからは体力もついてきて、極力、強い人には媚びへつらわず理不尽な行いやもの言いには立ち向かってゆき、弱い立場の人はなんとか助けたいと思い、自分の町が寂れ行くのを見かねて自分のお金をつぎ込んでもきた。

 喫茶店主の時はコンサートや映画会を主催して福祉施設に寄付をしてきたし、日本唯一の手書きタウン誌を発行して県東部地域の発展のために赤字で借金が膨らむのを承知で足掛け9年間出版会社を経営してきた。このことについては、地元室戸市民の皆さんはよくご存じだと思います。

 そうやって今までいつも純粋な子どもの心を失わないようにといつも考えていたし、組織・団体・企業らは出来る限りは他に依存せずに自立すべきだとも考え、そう発言し、実践してきた(つもり)。 

 だからこそ、地方議員になってからも、行政が平気で行っている違法業務とそれを許す議会などに驚き、カルチャー・ショックを受け、そんな国やまちの法律を犯す悪いことは改めるようにと、議会では孤立無援になるのを承知で行政にだけでなく、議会側にも併せ批判してきた。

 いくつか例を挙げる。指定管理者候補であった東京の企業と陰でこそこそと事前交渉する違法業務。特定企業の社員宿舎を県からお金を借りてそれを市民のお金で支払っていくようにして建設してあげるという、とんでもない違法業務。これはいまだに違法な状態にある。そして、私が止めるのも聞かず、既に倒産状態にある企業に室戸市の法律を犯す違法な手法で赤字補てんの補助金を与えてしまい、結局、1年もたたない間にその会社は約6000万円もの市民のお金を手に東京に逃げ帰ってしまった。

 これら市が違法や不正であることをよく認識しながら行った諸々にわたる理不尽な違法業務には今でも思い起こすと怒りを覚えるが、これらについて、8年間、純粋な子どもの心を以って「法律を守ろうじゃないか」「真面目にやろうじゃないか」「人の意見は真面目に聞こうじゃないか」「今の改革の時代に合わない議会組織は変えようじゃないか」等といってきたが、中に「古い体質を変えられては個人的に困る」とか「市長を守ろう」と考えている者がいてその抵抗に遭い、「組織を良くしよう」と真剣に考える者が他にいなかったこともあって、議会に8年間いて何も変わらなかった。

 唯、組織を変えようとする者が自分一人であったとしても、行政改革と議会改革は時代の流れで重要なことであり、そういう考え方を誰かが組織内に広めなくてはならないしそういう改革思想を議会議事録に掲載して後世に伝えることも重要だとの考えから、議会改革に関して無理解な議員らによる妨害や門前払いを食いながらも、絶えず「改革をしよう」と声を出し続けてきた。

 これらすべては「いつまでも子どもと同じ純粋な心を以って市民のために尽くしていたい」という、気構えからだった。

 こんな仕事ぶりが自分を選挙で選んでくださった市民の「民意」というものだと思って。


 では、ここで基本に立ち返り、この選挙民の「民意」とはどういうものかを考えてみたいと思う。

 辞書で「民意」と引くと、次のように書いてある。

   

 「民意」とは「人民の意志」、つまり、国の選挙の時に国民が投票した結果「国民の意思」が示されるのであり、まちの選挙の時に住民が投票した結果「住民の意思」が示されるということで、それらが「民意」。

 しかし、考えていただきたい。「民意」とは、選挙民が「あの人は親戚だから」とか「あの人は俺の知り合いだから」、「あいつは俺の飲み友達だから」「あの候補はうちに頼みに来たから」などと、自分が気にいった立候補者を選挙において当選させることが「住民の意思」だろうか。

 又、「あんたは俺たちが投票して当選したから、私たち住民の想いや意思は達成された。だから、これから4年間は質問にも質疑にも出なくてもいい。議会で座っているだけでいいし、他の議員が行っている質問や質疑も聞かずに居眠りしていてもいいよ」、これを「住民の意思」だと言えるのだろうか。

 いや、違うだろう。

 私はこう思う。

 、「民意」、つまり「住民の意思」とは、「私はあんたに投票したんだから、毎月市民のお金から報酬を与えられている議員任期の4年間、休むことなく弛まず努力して“行政をチェック”し、議会において絶え間なく登壇して発言し、まちの活性化や産業振興につながる提言も行う、そういう議員になり、務めを果たしてくれよ」。

 これが「民意」ではないか。

 4年間、休みなく一生懸命に議員職に取り組んでいたら、結構忙しいものです。

 1年に議会は3カ月に1回開かれ、合計4回、任期4年間では16回開かれる。1年の4回開かれる議会に毎議会質問に立とうとすれば、議会終了後の3か月目に行われる次の議会までの2ヶ月間、自分の個人的に持っている仕事や酒を飲んで遊んでばかりいてはまともな質問や質疑は出来っこないので、その2ヶ月間の最初の月には行政の調査活動を行わなくてはならない。

 議会が終わった次の月には、行政においていま問題となっている事業や次の議会で執行部から提案されるだろう事業に対する調査を当該役所に行って担当者から状況調査をしたり、県庁に行き調査をしたり、全国の先進地自治体がその事業に関してどのように取り組んでいるかなどをネット検索や直接問い合わせるなどして調べなくてはなりません。そうしてその約1カ月は費やされます。

 そして、次の議会前の1カ月間には、先の月に調査した内容の中から自分のまちの自治体が行っている事業やこれから行おうとしている事業の問題点をあぶり出し浮かび上がらせして、質問原稿や質疑原稿の文章を構築してゆきます。その原稿は議会開催告示日の10日、1週間前までにはあらかたまとめ、告示日までは“本読み”。この原稿を毎日、何度も何度も読んで議員一人の持ち時間(室戸市議会は質問発言が50分)内に収まるように原稿を短くする(私の場合はいつも原稿が70分ぐらいになったため)削除作業を行います。(室戸市議会においては2回の一般質問が許されているので、私は1回目は約45分ぐらいにおさめ、2回目の再質問のために約5分残して質問を行っていた)

 当然、次の議会に提出される議案書が渡されるのは議会開会の1週間前の告示日だから、質疑原稿はその告示日から大綱質疑が行われるまでの10日ぐらいの間に大急ぎで内容調査と先進地事例などの調査をし原稿を書き上げることになる。

 そうして議会が開催され、一般質問が終わり、大綱質疑において登壇し議案の内容について密に疑義を問い質して、その議案に異論があって反対する場合やその議案に大賛成(たいていの場合、重要議案だけだが)という場合には反対討論や賛成討論を行うと決意し、討論が行われる1週間後の閉会日までに討論原稿をこれも大急ぎで作成し、登壇することになる。

 この討論とは他の議員が全員やろうとしなくても自分が討論において発言することが重要。この討論での発言によってこそ、議会に提案された議案に問題があることを議事録によって後世に伝える意味でも価値があるもので、地方議員のバイブルと言われる『議員必携』にもそのことは書かれているので、議員の皆さんはよく読んで学んでいただけたらと思う。

 これらが議員としての正しい姿勢ではないか。

 これらのことを私は二期8年間、一度も欠かさずに合計32議会のすべてにおいて行ってきました。

 なかなかここまで市議職を行うというのは難しいと思うが、私がやってきたんだから同じようにやろうと努力すれば全員ができることだと思っている。

 このように8年間を通して全ての質問に登壇し持ち時間のおよそすべてを使って質問した議員は1959年3月の室戸市議会開設以来初めてと思っていまして、どこかの元市職員の議員が行っていたような『議会だより』広報紙に掲載するために毎議会登壇し質問時間3分や5分だけして答弁をもらうという、そんな小手先で住民をだますような姑息な行いだけは1回もしていない。

 自分が行ってきたことを例に出して誠に恐縮ですが、地方議員とはこうあるべきだと思って、議会前まで夜11時、12時ごろになっても原稿を書いたり調査資料のまとめ作業に毎日毎夜、明け暮れていた。


 そこで、です。

 なぜ私がそうして毎日、毎日、休みなく議員としてのいろんな仕事に取り組んでいたかと言いますと、毎月市民から下さる報酬とは重いものだと、痛烈に思っていたからです。

 地方議員の報酬は、毎月、各議員の貯金通帳に議会事務局から議員報酬は振り込まれます。議会が開かれた月だけ報酬が支給されているわけでもないし、議会が開催されている日(室戸市議会では5日か6日)だけ日当として1万円が支給されているわけでもない。

 室戸市議には議会が開かれていない月でも、毎月報酬27万円(自分が議員当時は議員年金の掛け金分が4万3000円差し引かれ手取り約21万5000円ぐらいでしたが、年金がなくなった現在は約26万円が市議に対して毎月支給されている)が支給されていて、議会のない間の2カ月は報酬がない(1年間で報酬が支給されるのが4カ月だけで後の8カ月は報酬は支払われない)というのならば、8ヶ月間、議会議員としての活動が無いままどう生きていようと問題はありません。ですが、地方議員には議会が無い月も毎月報酬が支給されています(例外として全国には日当制の議会もいくつかある)。

 又、この報酬に加えて支給される賞与は年2回、6月に約38万円、12月には約40万円が振り込まれています。当然、議長には報酬は毎月6万円多く、副議長と二人の常任委員長にはそれぞれ2万円多く振り込まれ、賞与もそれに準じて多く支給されています。(これは報酬と同じように、各議員の仕事量には比例しません)

 だから私は、「地方議員になったら怠けていては住民に申し訳が立たない」、と考えていました。

 「自分に課せられた職務を真面目に果たさなければ住民の皆さんに申し訳が立たない」。私は8年間、ずっとそう考え、毎月議員としての調査活動や住民の中に埋もれている問題を探し考えていた。それこそが住民の想い・意思に応えるべく行う議員としての仕事、つまり議員としての職務責任であると思っていた。

 議員たる者に課せられた職務責任があって、それを全うしてこその「民意」であろうと思う。

 「あの候補を市議選で当選させてやりたい」。それが「民意」か? そうではないだろう。議員として4年間、住民から負託された職務を気を抜くことなく休むことなく責任を以って全うしてこそ、地方議員としての職責を果たせたと言えるし、ようやく「民意」に叶う仕事ぶりが達成できたと言えるのではないか。

 私はこう考えるが、全国の地方議員の皆さんや、全国の市区町村民の皆さんはいかがお考えでしょうか。

 だから、結論を言うと、一般市民から地方議員になられた方々も元行政職員でいま地方議員をやられている方々も同じで、議員になればその議員になった時から「民意」という重圧・負担が肩に乗っかかっていることを片時も忘れずに議員活動に励むことです。そうしていたら、まず「民意」は達成できるでしょう。

 しかし、投票した住民みんなが望んでいる“毎日のように行政及び地域のの調査活動を行い、毎議会一般質問に出て、重要議案や問題とされている議案には質疑を行い、討論も積極的に行い、違法や不正や不適正な予算投資などの問題議案には堂々と勇気を持って反対する。議会後には情報公開のために議会であった問題点などを個人的議会新聞を制作して地域内に広く配布してほしい”という「民意」を無視し、任期の4年間16議会で質問に登壇したのは1回だけという元市職員がいたり、1回も登壇せず議会でただ座っているだけというのでは、そんな行いは「民意」でもなんでもない。私はそんな議員を見るたびにいつも「このただ飯食らいが」と心の中で呟き、罵っていた。「誰が選んだんだ、こんな人間を。だれが投票したんだ、こんな人間に」と。

 真面目な議員や私に投票して下さった方と同じ賢明な住民の皆さんからそうやって4年間批判されないように、住民から“お給料”を頂く身の地方議員となったら「民意」を全うするよう心掛け、休まずに仕事に精を出していただきたい。

 この程度の能力しか持っていない私ができたんだから、みんなやろうと心を変えたらきっと出来る。

 地方議員も国会議員も同じで、とにかく全ては自分に“お給料”を下さっている住民、国民のために働くこと。その住民、国民から負託された「民意」を全うすべく働くことです。

 以上、選挙民の「民意」について、ほんのさわりで非常に短い文章になりましたが、書かせていただきました。


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 申しておきますが、元市職員の市会議員が、自分がただ気にくわないからという理由で市職員を恫喝したことは許されることではなく、今度同じことを行った場合は市議会に当該議員の辞職勧告要請書を提出するつもりでいる。

 市民の「民意」とは、とにかくまじめに議員としての務めを果たせということ。自分が市職員時代に面白くないことがあったという理由で仕返しに市職員を脅すということはあってはならないことで、自ら議員辞職すべき出来ごとだ。

 そういう議員は次の市議選でそれこそ「あれを落とせ」という情報を流すべき。私の場合は「あいつは真面目すぎるから」だったが、この人物に関しては「あいつは不真面目で議員にふさわしくないから」が理由。

 室戸市職員の諸君、悪い議員がいても負けてはなりませんぞ。私が応援しています。頑張れ!
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判断を誤れば損をし、被害を受けるもの

2013-03-26 | 地方のあり方
 昨日もある会社の女性から聞いたが、最近、市内のいろんな方から「もう一度市議選に出てほしい。応援するから」という声をよくお聞きする。

 何人もの市職員からも「もう一度、議員になって戻ってきて下さい」と聞く。これは職員と上司である市長との関係が18年12月の就任以来ずっと悪いこともあって、さほど社交辞令ではないようだ。

 つまり、「小松市長に議会で堂々と物申せるのは谷口議員しかいない」とみんなが考えているから。「元市職員の議員もいますが、誰も頼りになりません。私たちの代わりになって闘って下さい」と。

 でも私はそのたびに、市民にはこう答えることにしている。

 「本来は、市議会で一番、コンプライアンス精神に富み、アイデアに富み、議会改革を主張して“健全な市政と健全な議会”を目指している議員が市議選でトップ当選すべきもの。

 なのに、それが落選したということは、市民の中で私に投票してくれた328名の賢明な方を除く、他の市民みんなの評価は低く、『市政の健全化に厳しく、仕事をしない議員にも厳しい谷口なんか、いらん』と考えたから落選したのであって、もし『室戸市を良くするために市議会には谷口のような真面目な議員が必要だ』と市民みんなが考えていたら、トップ当選しないとしても、私は決して落選などしなかったでしょう。

 だから、何があっても室戸市の政治を良くするために私がもう一度、議会に出て行って苦心することはもうありません」。


 すべて、そう言ってお断りしている。

 極論すれば、「自業自得だ」と思っているということです。 

 市民みんなが不正に無頓着な市長や議員と一緒になって衰退の一途を辿ればいい。

 今更私に市政の悪さや市議会の悪さを嘆いても、もう遅い。


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余所者

2013-03-26 | 地方のあり方
 (昨年12月に書いた記事の再録です) 

 一つの地域づくり論として、全国の皆さんが一緒に考えてほしい。

 私は昭和60年代に行っていた地域づくり活動をしている時も、平成に入ってから発行していた地域雑誌『あおぞら』の誌上においても、何度かこう主張し書いた。

 「外に学んで、内に活かせ」。

 どの地域においても、その地域の「外」で活躍する人や行われている事業から学んで来、その学んだことを「内」、つまり、自分が住む地域に活かすことが肝要であるとの教え。

 私は室戸市以外の方にとっては“余所者”。特に自治体の政治に関わっている人たちが考えなくてはならないのは、室戸市だって北川村だって、大きく捉えて高知県だって、みんな“余所者”である地域外の人たちのお世話になってようやくその地域が存続している。しかし、そのことをみんなが全く忘れてしまっています。

 観光事業に関しても、地域における商店経営に関しても、企業経営に関しても、言い出せばきりがないほど、“余所者”に世話になっている。そのことを忘れてはならないが、みんなこのことを忘れてしまっています。

 でも、地方に行けばいくほど、この“余所者”が嫌いで、排除しようとする。先日も「“余所者”のあいつが首長選に出るそうだから、出れないように現職を早く出馬宣言させよう」と大勢の人が動いたという話を聞いた。

 地方に行けばいくほど、どの地域も多くの“余所者”の支援や協力や投資によってなんとか存続してきたし、いまその“余所者”の支えがなくなればその地域は消えてなくなってしまう。なのに、“余所者”による応援を当たり前と思っているのか、観光客という“余所者”によって自分たちの町や村が存続できていることをみんなが認識しないまま、「自分たちの力だけで存続させている」と勘違いしている。

 くれぐれも申しておきます。このことは絶対に忘れてはなりません。

 廃れゆく地域を存続させたいと思っているならば、私が長年にわたる地域づくり活動から創案した考えた教訓、「外に学んで、内に活かせ」を忘れてはならない。

 地方は、“余所者”あっての町や村の存続。“余所者”がいてこそ、自分の地域が生き残れているとよく理解すべし。

 “余所者”の応援や高い能力によって、自分の地域が生き残れているとよく理解すべき。

 又、“余所者”を排除する度に自分が住んでいる町や村の過疎化が早まると解せよ。

 如何に東京のど真ん中の銀座という町であっても、また地方の室戸市のような四国という島の末端にある過疎化が進む町であっても、いかなる町や村においても、こうしてみんなみんな“余所者”の世話になって生き残っていっています。

 東京銀座だって、そこに住所を置いて暮らしている住民だけで「銀座」という小さな町が存続しているわけじゃなく、店にやってくるのは全て、“余所者”ばかり。その“余所者”で「銀座」という町は成り立っているのである。このことをみんながよく理解し、認識することだ。

 自分たちの町や村に住む人が偉いくて生き残っている訳じゃない。そう勘違いしてはならない。むしろ、そこに住む人のダメさ加減を“余所者”が補ってくれている事の方が多い。だから、自分の町や村の住民じゃないからと言って、決して“余所者”と呼ばれている地域外から来た人を排除してはならないのである。

 観光客となって自分が住む町にやってくる。芸術文化を実践しようと村にやってくる。それがお陰で自分の住む町や村にお金やアイデアや人的交流という“財産”を創出させてくれている。そうやって日頃お世話になっている“余所者”から学ぶことも、町や村のまちづくりには重要なポイントとなる。

 これらのことは住民はもちろんのこと、首長や行政職員、そして議会議員ら、町や村の自治体関係者は特に、頭に叩き込んでおいてほしい。

 都会の人たちはこのことをよく理解しているが、地方に行けばいくほどこのことを理解している人が少なくなる。だから、地方が枯れて行く速さが早いのです。これが地方衰退の一つの理由。

 これを「都会と地方の能力の差」と表現してもいい。

 「都会は商売の仕方を知っているが、地方の人たちは商売の仕方を知らない。だから、より早く衰退してゆく」。

 但し、公務員は地域が衰退していても高い給料を毎月もらいながら政治に関わっている。地方の末端にある町や村の公務員も都市部の公務員と同じ基準、同程度の給与をもらっている。だから、地域が衰退していても辛くも悲しくも無く、痛い目をみるのは地域に住んでいる住民たちだけ、ということになる。

 これまで室戸市議会においては公務員である議員たちが違法な議案でも不正な財政支出の議案でも賛成してきた、そのことでわかろう。

 願うのは、常勤特別職公務員の首長、地方公務員である行政職員、そして非常勤特別職公務員である議会議員の皆さんは常日頃からこのことに思いをいたし、あなた方の雇用主である住民のために休むことなく働いてほしいということ。

 申しておきます。

 “余所者”だといって嫌っていたら、あなたが住んでいる町や村は早晩、廃ってしまいますよ。  
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成果・評価優先主義では政治を誤る

2013-03-25 | 政治家のあり方
 政治にかかわる人間は、とかく「成果」を欲しがる。それも、何かを作ったとか、目に見える形の「成果」を欲しがります。

 かつてこんなことがあった。

 昭和61年2月、私が39歳の時に室戸市内でジャズ喫茶「ヴィンテージ」を開店しました。その店では多くの文化活動をしながら四年して閉め、地域雑誌を出版する会社を創業するんですが、その喫茶店を経営していた頃のことです。

 室戸市のY議員が店にやって来た。これまで一度も来たことが無い人でこの後も来なかったから、ほんとうの一見さん。

 私がいる前のカウンター席に座りモーニングを食べていた。 

 そこに店の常連だった市内の中年女性の集団が入ってきて、奥のボックス席に座った。

 しばしあって、その市議が女性たちの話に割り込んでいってこんなことを言い放ちます。「あの水路は私が役所の担当職員に言うて作っちゃったきんの」。

 カウンターのうちらにいてそれを聞いて、「なんじゃ、それは」と思いました。

 続けて思ったのが、そもそも、市会議員であっても市長であっても同じで、自分たちがかかわったことが実現したとしても、それはそのそれぞれが市長は給与を、議員は報酬をもらっている中の仕事。簡単にいえば、市長であっても議員であっても、その職にあって実現した「成果」は給料をもらっている以上、成果たる仕事をしても当たり前のことであり、評価に足らぬ。

 理由は、その職で成し得た成果があるからこその給与であり報酬、成果を上げたからこそ貰える給与と報酬である。故に、成果の一つも成し得ない市長や市議は給与泥棒と呼んでいいということだ。この重大な基本事項を知らない首長や地方議員は、全国にたくさんいる。

 仕事をして当たり前、仕事をしていない議員は報酬泥棒。だから、市民から負託された職責もまともに果たせないのに、「おれはこの室戸の市長だから」、「おれは室戸の市会議員だ」なんて威張るな、ということである。

 私のように、議員が市長の違法業務を調査をして発見したわけではないし、議会でそれを暴露したわけではないし、その違法を告発したわけでもない。私が毎回行っていたような担当課への要望書の一つも書けず、市民から頼まれると「道路(水路)を作ってやってくれ」などと、ただ担当課に口頭で伝えているだけの話だ。市会議員が市民に恩着せがましく言うほどのことは何もしていない。

 その程度のこと、議員の仕事と評価するに足らないことではないか。

 私はそれらの仕事を「議員の職務」の5%ぐらいの仕事としか考えていない。

 そんな議員としてやって当たり前のことを市民の評価を高めようと思いを巡らし、そのY市議は恩着せがましく「おらがやっちゃったきんな」と言ったのである。

 次の選挙のために〝手柄〟を住民に吹聴し訴えないといけないとは。実に愚かしい人だと思ったものだ。

 但し、申しておきますが、そういういわば不正な行いは他の議員も大体みな同じことをやっていると市民の皆さんは知っておかなくてはならない。


 それから十年ぐらいして私は縁あって15年4月に議員にさせていただいたが、今度は市会議員と同じように市長が次の選挙のためを考えてか、その「成果」を追い求めていることを知った。

 中には市議が提案したことまで自分が取り込み、数ヵ月後して予算に組み込んで自分の成果のように住民に広報しているものまでいる。他の議員はこのことを知らないようだが、私だけはそれを知っている。

 平成20年に小松市長が行ったように、東洋町甲浦で折り返していた徳島バスの高速バスを室戸に誘致したいがために焦り、地方自治法という自治体の根本となる法律をよく認識しながらそれを無視して事業を進めたことなど、あまりにも「成果」を追い求めすぎた典型的な例であろう。

 20年8月に徳島バスの社長と会い、室戸乗り入れの要請を行ったところ、快諾を得た。唯、バス会社社長は「うちの乗務員の宿泊所を作ってくれ。12月上旬に運行を開始できるようにしてほしい」の話にはあわてた。「11月末までに施設工事を完工するとなればぐずぐずしてはおれんぞ。一か月で突貫工事をするとしても、設計は9月から10月に終え、入札は10月か」と考えたのだろう。

 そんな時、市の担当課長から「市長、この設計図では地方自治法第244条に違反していますよ」と指摘された。しかし、「成果」を焦る小松市長は「かまん。議員などに地方自治法がわかる人間はいないから、やれ。ぐずぐずしよったら間に合わんようになるぞ」と職員を叱った。担当課こそいい面の皮で、上司の命令とあって、地方公務員法第32条が頭にチラついたが、しぶしぶ県市町村振興課に補助金の申請に行った・・・・ということである。

 政治家は次の選挙を考える余り、自分の成果を出そうと焦り、市政において法律を犯してしまうし、他人のアイデアまでも奪って自分の考えのように表明しまう。

 さて、ここからは〝そもそも論〟です。

 そもそもどんな仕事も、給料をもらいながら行った仕事で得られた成果は、その成果があってこその給料であって、その成果がなければ給料を削減されるべき関係のものだ。逆にいえばその成果の一つも上げられない者は〝給料泥棒〟と組織の長や同僚、議員なら住民から罵られても致し方ない立場である。

 但し、成果とか評価というものは、人が一所懸命に働いた後についてくるもの。政治にかかわる者が最初からそれを目当てにしているようなことでは、大衆からの信頼は得られないのである。ただがむしゃらに人のために働く。成果や評価は、そのあとで大衆が決めることで、自分が「評価されたい」と考えて目指すべきものではない。評価とは後から付いてくるものだ。

 これは地域づくり活動を始めた喫茶店時代から今まで自分への責務として心掛けてきたことだが、ただただ遮二無二働き、その働きが住民から評価されようが評価されまいが、そんなことはどうでもよいことです。住民のために一所懸命に働いても評価されない時の方が多いが、それをいちいち思い悩んでも詮ないことで、一つ働けばまた自分で自分に次の課題を提起する、それが終わればまた自分に課題提起するというように、企業人はもちろんのこと、政治にかかわる人間もいつもそういう職人のような気質と姿勢を持っていることが大切である。

 だから、国の政治も地方の政治も同じで、国民や住民の方を見すぎると物事の本質を見誤る、つまり、政治を誤るということだ。

 かつての民主党の〝甘言公約集〟(世に言うマニフェストのこと)は「国民から評価されたい」の思いが強すぎたために作ってしまった、党政策の誤ちだ。

 又、小松市長は初出馬となる平成18年11月の市長選において、「公平・公正な市政運営を行ってゆきます!」と市民に約束をした。にもかかわらず、市長に就任するや数々の不正な事業を実行した。そのことは現在2期目以上の市会議員10名全員と、1期目の議員4名のうち3氏(元市職員)も市職員の現職時代に見聞きして知っている。つまり、室戸市議14名中、13名の議員は小松市長が不正な計画や事業を行ったことをよく知っているということになる。

 小松市長は議員総会や市議会において私が止めるのも聞かず、三年間で1億5000万円という負債を出して倒産状態だったミクプランニングへ市から二回にわたって合計約6000万円の条例違反となる赤字補てんを行ったが、その不当な公金の支出や、高速バスターミナル建設にあわてて公金1444万円を違法に支出したことは、すべて市長が「住民に批判をされたくない、住民から評価されたい、早くこの問題を終わらせたい」などとの思いが強すぎたため発生した、市政運営の誤ちである。

 これらのすべてが、「室戸市民から評価されたい」「成果を上げたい」の思いが強すぎたのが、間違いの始まりだった。

 かつての鳩山氏や菅氏にしても、室戸市長にしても同じで、その判断力が欠落しているがため、そうやって評価を得たいと焦り無理に事業を進めたことが反対に国民や住民・議員から批判され、リーダーとしての世の評価も自ら落としている。

 「評価されたい」「成果を得たい」 と考えることの、何と愚かしいことよ。

 この原因は、自分の能力に自信がないから。

 自分に自信がない能力もない〝小さな人間〟が、ただ成果を追い求め、ただ肩書を得ようとする。室戸の政治を見ていると、みんなそうだ。

 「このまちのために全身全霊を以って尽くそう」なんて殊勝な考えを持った人は、ただの一人もいない。それは、市長が行おうとしている違法や不正な事業計画に指摘もできないし、批判もできないし、適正な形に改めさせようともしないことから容易に解る。

 まさに、これに尽きる。

 最後に。

 「室戸の皆さん、正義の声に目と耳をふさいではなりませんよ。ダメなことは駄目なものです」。


※電子情報誌「高知発!青空エクスプレス」のアクセス数は、3月25日(月)付けGooブログランキング(184万6441ブログ)中、3718位でした。

 土曜日や日曜日は少ないですが、公務員の皆さんや会社務めの皆さんが職場に戻る月曜日になると検索数がアップしますね。記事を書いている者にとってはやはり、たくさんの方々が見て下さる方が少ないよりも精が出ます。

 それと、室戸市には市民に市政情報を伝える議員がいませんので、市民や全国の町や村に市政や地方議会のあり方を発信する意味でも私が記事を書かなければならないと思って、頑張って毎日のように書いています。
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まちの危機に敏感であれ(議案の事前審議)

2013-03-22 | 議会改革
 自治体問題研究所編の『これから始める地方議会改革』という本がある。

 私が市議一期目の2007年(平成19年)に出版された本だから新刊ではないですが、議会改革を目指していた議員にとってこの本は参考になり、力にもなる本でした。

 この本の中に、共同通信社とそれに加盟する全国の報道機関によって組織された日本世論調査会が2006年に全国の一般市民に対して行った地方自治に関する調査の結果が紹介されています。

 それは、いわゆる「議会満足度調査」。説明しなくても、その調査結果を見ていただくだけで地方議会には何が不足しているかが解る。それを紹介します。

1、地方議会の現状に満足しているか
    ①大いに満足している           1.1%
    ②ある程度満足している         31.4%   小計32.5%
    ③あまり満足していない          46.9%
    ④全く満足していない           13.6%   小計60.5%

2、満足していない理由は何か
    ①議会活動が住民に伝わらないから        53.3%
    ②行政のチェック機能を果たしていないから    33.2%
    ③議員のモラルが低いから              32.5%
    ④議会内での取引を優先して審議が不透明    29.3%
    ⑤議会の政策立案能力が低いから         18.6%
    (6%以下の回答を省略する)

3、市区町村議員は住民の意思を反映しているか
               (全 体) (男 性) (女 性)
    ①反映している  34%   36%   30%
    ②反映していない 58%   59%   57%

4、市区町村長は住民の意思を反映しているか
                (全 体) (男 性) (女 性) 
    ①反映している    38%   42%   34%
    ②反映していない  51%   53%   50%


 このデータを見て、如何に住民が自分のまちの議会を信用していないかがお分かりだろう。


 議員の多くは、「選挙で当選して議員になるのが目的」。9割ぐらいの人は、そんな議員。他にいる1割弱の議員が熱心に議員活動を行っているかいないか。1割もいない、0%の議会もたくさんある。全国にはそんな議会が大半を占めると思っている。

 今は新しく当選した1年生議員がいるから厳格には解らないが、私がいた23年4月までの室戸市議会には16名中、私1名が市民に情報公開すべく働いていただけ。他の議員にはそういう“能力と、技術と、意欲と、市民に貢献したいという志”がないのと、「何もしないで報酬をもらっている方が楽だから」という単純な理由から、市政情報を市民に広報出来なかったし、初当選からずっとそうしようともしなかった。

 こういうのは私に言わせれば、報酬に値しない態度で、言わば“盗っ人根性”。職についたのに働こうとも苦心しようともしないんだから、盗人と言われても仕方がない。(ま、自分では盗っ人とは思ってないんでしょうがそこに気が付かないとしたら、更にバカがつく)

 しかし、私は市民から「あいつは報酬に値しない」と言われ蔑まれることが嫌で、とにかくもらっている報酬以上の仕事をするように努力を重ねてきた。

 如何に市行政が不正な業務を行っているか、そして市議会が如何に行政が行う不正に目をつむっているかを逐一、市民に伝えていたその情報伝達の手段は、議会が終わった後に発行する議会新聞であり、このブログであった。

 市民は今、「市政の動きや議会の動きが全く伝わってこん」と言って怒っている。ですが反対に、そんな市民の怒りも議員側に伝わっていないだろうと思う。

 つまり、室戸市議会とは市民からは遠く離れた存在の、如何に閉鎖的な組織であるかが解る。

 議員の務めであるそんな活動をしないのは、言わば住民に行政や議会であった出来事をそのまま伝えては自分たち議員も住民の怒りを買うと考えているのである。つまり、自分たちの職務怠慢を隠すために議会や行政情報を住民に伝えない。

 それと情報公開しない(できない)もう一つの理由として、「そんなことをしなくても、次の選挙で当選すれば報酬は毎月通帳に入ってくる」と思っているから。

 全国にはその程度の議員がたくさんいるから、上のデータにもあるように、全国民の60%から70%の人が議会がしていることを信用も満足もしていないし、「議会活動が住民に伝わらない」とか「行政のチェック機能が果たしていない」と考えている人が8割方もいるのである。


 さてそこで、「なぜ住民は行政が行う業務や議会が行う議会審議と表決結果に信頼がおけないか」を考えてほしいが、その理由の一つに、首長と議会側がグルになって不正な「議案の事前審議」を行っていることがある。

 かつて室戸市議会では、小松市長になって以来、ずっと本議会の一週間、10日ぐらい前には必ずと言っていいほど市長と議員とで「議案の事前審議」のために議員総会を開いていた。それは、町田議長が同じ羽根町出身ということや、たがいに選挙支援を行うという利害関係にあることから、小松市長と町田議長は議会が始まる前に必ずと言っていいほど、この不正な会議を開いた。私が止めたにもかかわらず、それを無視してです。

 小松市長が市長就任して半年か1年経った頃から、同時期に議長になった町田議長と話し合ってこの不正な会議が始まった。

 2007年(平成19年)11月27日(火)、その悪事の始まりを事前に察知した私はまず、市長室に小松市長を訪ね、「この議員総会では議案に事前審議を行おうとしていますが、それは違法だから議案の説明にとどめるように。議員からの質疑を受けてそれに答弁するなんてことはやってはいけないことです。なぜならば、市民の傍聴もない行政側と議会側による秘密会議において議案の審議を行うことによって議会が開かれる前にすでに事業が決まってしまうことの不正や、議会が開かれる前に議会側のガス抜きを行っておこうなんて魂胆が姑息だからです」と直接「これは違法です」とお教えし、注意を促した。市長は「面白くない。なにやかやとオレの邪魔をする」とでも思っていたんでしょう、終始黙っていて、「そうですね。止めましょうか」とは言わなかった。・・ということは「議員ごときのお前がどんなに邪魔をしてもおれはやるんだ」と思っていることはその時にすでに感取っていた。

 これがその時、2007年(平成19年)11月のノート。

 

 このあと、議長室に町田議長を訪ね、同様のことを要請したが、この人も黙っていた。つまり、法令順守よりも市長と議長とのつながりを重視する思いから、「また邪魔をする」と思っていたのは間違いない。

 こうして法律違反など「それがどうした」ぐらいしか考えていない小松市長と町田議長はこれを聞き入れず、議員総会では議案について質疑応答(これが違法)を行ったのである。つまり、不正をものともせず突っ走り始めた。

 だから、市長のこのようなごう慢な政治姿勢は市長就任1年目のこの19年の秋ごろからと言ってよい。

 2回目も行おうとして止めたがその注意を無視して行った。たまりかねた私は新聞を作り市民に情報を公開し、市職員にもそれが不正だとお教えした。それが次の議会新聞「青空新聞」です。その9ページ目と10ページ目に記事を書き、市長と議会側が行っている不正について市民と市職員に向けて情報公開を行いました。少し小さくなって見にくいと思いますが、ご覧いただきたい。

 (9ページ)
      

  (その上段)

  

  (中段)

  

  (下段)

  

  (10ページ、上段)…『議員必携』(P172~P173)

  

  (中段)

  

  (下段)

  

 こうして「ダメなことは、だめなものです」と室戸市の政治家たちにお教えし、訴え、批判しても、小松市長と町田議長はそれを聞かず実行し、他の議員たちも「まー、いいじゃないか」と思ったようで止める議員はおらず、「こんな会議は住民の意識を蔑にする行為だ。やめようじゃないか」と私に同調しようとする市会議員はただの一人もおらず、不正は実行され続けた。

 そこでその不正な歴史をつづった記事を順を追って転載してみます。ご面倒ですがご覧いただきたい。

 2009年(平成21年)2月20日の記事

 2009年2月25日の記事。

 2010年(平成22年)1月13日の記事。

 2011年(平成23年)2月18日の記事。

 そして、市議選で落選した後の同年5月10日の記事です。


 多分、現在は私が議員を落選したために室戸市政の不正をチェックする議員がいなくなってしまい、市長は喜んでいることだろう。

 薹(とう)が立ち、年齢も60歳に近付いてきた人間の性格はそう簡単に変わるものではない。

 悪い奴は悪いし、良い人は良い。

 欲の深い人間はどこまでも欲が深いし、無欲な人間はどこまでも無欲。

 地位や権力、そして名誉欲の深い人間はいつまでも地位や名誉にこだわり、悪いが、地位や名誉に欲が無い人間は晩年まで品位・品格があるものだ。

 あなたの周りを見回せばこのことがよく解るだろう。


 現在も室戸市役所と室戸市議会では議会前になると、重要議案に賛同してもらおうと企む小松市長の要請を受けた議長は事前審議を行うための議員総会を開いているのは間違いなかろう。そして、その不正には議員誰もが意見することもできず、いや、議員としての職務責任の知識や法律に関する知識もなく、毎議会前、毎議会前に市民のいない場で市長と執行部の課長、そして市会議員14名が集まり秘密会議を開き、重要議案を通すべく質疑応答の事前審議を行っていることだろう。

 最近、市長も市会議員の先生方も「法律や規則に厳しい谷口がおらんようになったきん、やりやすくなったなあ」と言って喜んでいると市職員に聞いた。「特に市長は」と。

 笑ってしまいます。

 可哀想なのは、その不正によって室戸市の事業案が議会を開く前に既に決定していることを知らない室戸市民。

 本議会の時に傍聴に行く必要などまったくない。

 その理由を言おうか?

 「もう既に、議会が開かれる一週間や10日前に開いた議員総会で議案審議は終わっているんだからだ」。

 住民は日頃から、「行政が行う業務や議会が行う議会審議と表決結果に信頼が置けない」と思っておりながら、次の市長選や市議選になったらまた、「あいつは違法な政治をする市長だった」なんて言いながら市長を応援し、「あいつは不正な議案に賛成し続けていたダメな議員だった」なんて言いながらまともな仕事もできない議員を応援するんでしょうね。 

 住民は、「政治家」と呼べない程度のまちの政治家を選挙で支援し、町の政治がどのように動いているかもわからないことに不満や疑問すらも感じていない。

 そんな状態がどこかにありはしないか。

 いわゆる「政治的にいうと、死の町」。

 国政調査が行われる5年ごとに2000人減少し続けている室戸市だ。現在の13500人ぐらいから言うと、あと5年経った2018年(平成30年)には11500人です。次の5年経った2023年(平成35年)には9500人だ。次の5年経った今からわずか15年後の2028年(平成40年)には7000人だ。

 高齢者率は高まり、町に子どもはいなくなり、小学校は市内には2校、中学校は浮津の街なかに1校ある状態になるだろう。室戸高校もそのころはないだろう。

 又、私は議員当時から「四国は東南端の室戸市と西南端の土佐清水市から枯れていっている」ことを当電子情報誌や議会新聞で情報公開してきたが、室戸市民はそのことを知っているか。考えたことがありますか。無いでしょ。

 だから、室戸の市長や市会議員が自分のことだけを考えて政治をしてしまうのです。室戸市が枯れているのは、全部、市長と市会議員に政治家としての職責に関する知識が無く、法令順守の精神に欠け、道徳心に欠け、行動力に欠け、気概や勇気やアイデアに欠けるから。

 もし、市長や市会議員が全員そういう能力を持ち、厳しく守れる人たちばかりならば、室戸市は今の3倍も5倍も良くなっていることは間違いない。

 だから、室戸市が良くならないのは、市長と市会議員に上に書いたような能力を持っている人物がいないから。

 違法な事業や不正な財政投資などを行い、その点を指摘しても改めないごう慢な市長。

 それらの違法などの事業計画に何の問題意識も持たずに賛同してしまう議員。議員が不正な議案に賛成せず否決していれば、その後は市長も公正な議案を出さざるを得なくなることも知らずにだ。

 その人たちを選んだのは、室戸市民。

 ということから結論は、室戸が良くなる方法はあるのに、政治によって活力を享受する立場の市民がその(室戸が良くなることの)足を引っ張っているとも言える。いつまでたっても室戸市が良くならない原因と責任は、すべて室戸市民にある。

 解りますか? そういうことなんですよ。

 もっと、みんながまちの危機に敏感にならなきゃ。

 解りましたか? そういうことですよ。


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「土佐国室戸百鯨絵図」の制作終了

2013-03-20 | 私の絵画制作活動
 前作「猿岩」は3月1日に制作を一応終了。3月6日からは18作目となる作品「土佐国室戸百鯨絵図」の制作に入った。

 パネル(小生の作品は他の皆さんのようにキャンバスに描くのではなくて、すべてシナベニアに描く)の大きさは、いつものようにP100号(162㎝×112㎝)。題材(テーマ)は、30歳代に絵描きのように毎晩制作に没頭している時に作った版画作品(90×90)「土佐室戸百鯨絵図」を下絵としたもの。

 題材は、江戸期に土佐の室戸沖で行われていた古式捕鯨。かつて室戸の海にはたくさんの大きな鯨が泳いでいて、近海の漁業とともにそれを獲って生計を立てるのが室戸の古式捕鯨で、江戸期の一大産業となっていました。

 その当時を思い浮かべながら、30歳を過ぎて油絵に本格的に取り組み始めた頃、「室戸の海に100頭を超える鯨を泳がせてみたい」と思い始め、「油絵ではなくて版画の作品にしよう」と初めて版画に取り組んだのが、この構想の出発点でした。 

 (版画を原画に移すために写し取ったコピー)

  

 (その版画の原画を基にしてP100号にした絵を描き移し、両サイドには新たに創作して描いた。 

 

 今度はその鉛筆で描いた大小の線を追いながら黒の絵具で書き起こしてゆきます。

  
  
 こうして書きあげたのが現在のこの状態です。

 遠景は昔の浮世絵のような雰囲気にしながら、近景は精一杯、ダイナミックな絵にした。

  

 こうして実ににぎやかな風景になった。なかなか面白い絵でしょ。唯、この絵はいわば「絵馬」で、芸術を語るようなものではないなと思っていますが。

 (完成まで90%ぐらいの仕上がり)

   

 見た目はブルーと黒い色を使って簡単に描き仕上げてあるように見えますが、ブルーの下にはいろんな別のブルー系絵具を塗るなど多くの色を塗り重ねてあり、それなりに努力はしたんですよ。(笑)

 全面的に塗り重ねては線を描き起こし、またたくさんの色を塗り重ねては線を描き起こしの作業を毎日のように繰り返しながら、朝から夕方まで描き続けました。

 こうして6日からだから、丁度2週間で「土佐国室戸百鯨絵図」の制作もようやく峠を越し、「あと一日か二日」といったところまできました。

 因みに、昨年11月の個展からはこれで5作目。一昨年4月の市議選後の6月の描き始めから数えると、この作品で18作目となる。

 制作の合間には今年の県展後には又個展を開きたいと考えていて、今年は室戸市内のどこかで自身4回目の個展を開こうかと考えている。予定は、一週間か10日間、安価で会場を貸してくれる場所を探しています。


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政治に関わってはならない人物像

2013-03-19 | 政治家のあり方
 地方議会のあり方については、これまでも何度も何度も書いてきた。

 地方議会は日本国憲法第93条で「議事機関」とされ、その議事機関は二元代表制を採ることも書いた。

 「議事機関」とは「議事を行う機関」、つまり「討論をして会議を進める機関」のことで、首長と議員が対等な立場で議論する政治機関ということになる。だから、首長が偉い立場で、議員が取るに足らない弱い立場ということにはならない。

 地方議会と首長とを対比すれば、議会には「住民代表の首長が統括する行政に対して批判する機能」と、これも「住民代表の議員が集まった団体である議会が表決の時に行う行為から、自治体の意思を決定する機能」がある。

 「住民代表の首長が統括する行政に対して批判する機関が、議会」を考えると、議会は議事機関としての野党的な機能を住民から期待されているといえよう。つまり、かつて室戸市議会の改革派議員だった私が野党的な立場に立ち議員として行うべき批判機能を発揮していたことは、住民から大いに期待され高い評価を受けるべきだったことは間違いなく、そういう市長の違法業務に対して行政批判を行ったからといって他の議員や市民から批判されることなど決してあってはならず、とんでもない筋違いの声だったと言える。

 憲法に基づく二元代表制の基の議事機関には、“行政のチェック”を議会という機関全体の役割として担うことが住民から期待されていることを考えれば、何が正しくて何が間違っているか、誰が正しくて誰が過ちを犯しているかはすぐわかるだろう。

 もう一つの「自治体の意思決定機関が、議会」を考えると、議会において何が行われているかを考えればすぐにわかる。議会が始まると、行政から出てきた議案について審議します。議案には、「執行機関」である行政が事業を行うための予算が提案されるし、条例等のルールを新たに提案したり改正したりの議案もある。また、事業に関わる契約などの議案も提案される。但し、「執行機関」といっても行政自らの権限では議案として提出された事業等は何一つ執行できず、その前提として議会の議決や承認がなければならない。このことからも、議員各自の正しい判断が最も重要になってくる。そして、最終日にようやく議員全員が「自治体の意思決定機関」としての責任を以って議案の表決に臨むことになる。

 だが、室戸市議会を例にとると、平成15年から23年までの8年の間、不正や違法や不適正な議案・事業の表決に関しても議員の大半がそれに賛成し、全議案が可決され、否決された議案は一つもなかった。今でも地方議員としての彼らのそういう姿勢に義憤を感じているが、そういう行いが果たして室戸市民のためになるのかと言いたい。

 又、市民もその不正についてよく考えなければならない。

 議会とは、首長派や反首長派などといってないで、機関全体が批判精神を持ち不正・違法・不適正な議案や事業には毅然と反対し機能してゆくことに意味があって、それでこそ二元代表制の基本原理である「機関対立主義」が発揮されたと言えるのである。


 「行政自らの権限では事業等は何一つ執行できず、議会の議決や承認がなければならない」と書いた。このことを議会議員はよく認識していなければならない。

 しかし、とんでもない悪質なやり方だが、この議会側の権限を悪用して予算を握る首長に悪しき働きかけを行っている議員もいる。「議案を通してやるから、あの事業に予算を出してくれんか」と、首長に脅迫めいた大きな声を出して迫る、議員の風上にも置けない奴がいる。

 一方、大きな権力を持つ首長の方も、無能ゆえに悪質な議員たちのそういう口利きや働きかけを逆に利用し二元代表制を無力化させ、むしろ、議会を首長等執行機関の下部組織のようにあしらいながらまちの政治を独裁政治化させている。

 これではとても地方自治なんてものではないが、議員たちは自分たちがそういう情けない立場でしかないとの認識もできず、内心は「報酬さえくれれば、地方政治なんてどうでもいいんだ。この町がどうなろうとおれの知ったことではない」と思っているが、傍聴人がいる議会の時だけは何もしないで静かに座り後ろ(傍聴席)の気配を気にしながら真面目に議員活動をしているそぶりをしている。

 昔からこういう議員を指して、「ムラ型議員」と呼ぶ。要するに、発展性の無い人が議員になればこうなるということだ。

 健全な議員の言う厳しい指摘にはすぐに腹を立てて聞かず無視してやり過ごす独裁型首長と、ムラ型議員。この、本来は対立の関係にあってこそ健全な二元代表制となる二つの機関が、今やお互いが持ちつ持たれつの関係にある。議会はこうして今やあってもなくても変わらない機関と落ちぶれてしまった。いや、地方行政と地方議会は昔からこういう関係にあるから今更の話で、「落ちぶれた」はないか。

 長年にわたって地方議会に緊張感も活力もない原因は、このように首長がトップにいて議会がその首長の尻敷かれていることに快感を感じている、そんな関係にあるからだ。そして、そのことが悪いと議員全員が認識していないから、いつまでたっても議会が改革されるわけがない。例えその中の議員が議長に就任して「議会を改革する」と決意表明しても、意欲も知識も改革に向けた活動経験も無い者には元々そういう能力などないから、その発言は住民をだますウソ偽りでしかない。

 住民は、報酬だけはおけんたいに受け取りながら、住民から負託された職務責任は放棄して働かない地方議員に騙されてはならないのです。

 私から、こう言っておきたい。

 「地方政治の悪さは変わらない。これは、未来永劫変わりません」。

 これからも、今までと同じ体質、今と同じ体質で地方政治は推移してゆきます。そう、断言してもいい。

 なぜそう言い切れるかというと、室戸市政と室戸市議会を見てきて、そう思う。

 首長と執行部が作成し議会に提出した議案に関係する事業が、国の地方自治法などの法令や自分の町の条例や規則や要綱に違反していても、不正な予算計上であっても、不適正な行政運営が行われている事業であっても、ムダな投資であっても、結果的にはどぶへ捨てるようになることを法令に詳しい改革派議員が議場で公表することによって議員全員が認識している不正な予算投資であっても、議会最終日に行われる表決においては一人か二人の正義感が強い公正な議員を除いた議会議員の9割、10割が賛成してスルーしているからだ。

 このように、議会において不正や不適正な事業が内包する議案にはすべて決然と反対できる度胸のある議員は、それぞれの議会にいても一人か二人。地方議員の皆さんにとっては面白くない話だろうが、私は地方議会で8年間公正と不正の違いが解るほんの一部の室戸市民に支えられながら活動してきて、地方議会に健全な議員が一人もいない状態もあると知っている。

 地方議員の大半がなぜ、行政のチェック機能を全く発揮できずにいつまでもそんな体たらくでいるのかというと、首長を批判して住民の反感を買い次の選挙で落選するのが嫌だからも、一つの理由。議員の多くにその思惑・下心があるからだ。それ以外の議員は、無能だから議員として最小限持っていなければならない能力を発揮しようがないからである。

 自慢するつもりなど毛頭ないが、かつての私のように行政調査に熱心で行政が行う事業が法令を順守しながら適正に行われているかを綿密に調べた上で、二人の市長が率先して行ってきた(行おうとした)不正な事業を議場において明らかにし、ことごとく厳しく指摘し、批判し、改善するように強く追及していたら、次の選挙において市長を応援する市民らによって「市長の違法をことごとく追及してやめようとせんきん、けしからん。あいつに投票したらいかんぞ」と選挙運動期間中に市内全域に触れまわられ、議会で一番熱心に議員活動を行っていても落選する、それらのことを恐れているからだ。

 勿論、政治的な能力が全くない市民も議員になり、そういう議員は日頃から議員活動といえるほどのことはまったくできず、議席でグーグー寝たり、議会中にメモも取らずに「早く終わらんかなあ」と考えながらいかにもヒマそうにしているが、もしそういう議員が調査もせず議会の一般質問で市長を批判などしたら、それを伝え聞いた市民は「あいつを落とせ。どうせ議員の仕事などしてないんだから」となる。

 だから、能力のない議員は議員になった時から自分に議員としての能力が全くないことをよく知っているので、次の市議選でも当選できるよう、そういうふうに市民の反感を買わないように質問にも質疑にも立たず、議員になってから任期切れまでの4年間、市長や市職員や市民に対していつもにこやかにへらへらと愛嬌をふりまき、みんなに好かれることだけを考えながら、のんきな気持ちで過ごすことになる。「議員としての職務に熱心に取り組み4年間を全うすることよりも、次の選挙で当選することの方が大事だ」とばかりに。

 地方議会には「地方議員としての役割とはいかなるものか、健全・適正・公正・公平とはいかなるものか」も知らないこんな議員ばかりだから、いつまでたっても地方議会は良くならないし、いつまでたっても地方政治が変わらない。

 
 そこで、地方のとても「政治家」とは呼べない程度の政治家について、こう考えた。これはかつて小生が発行する地域雑誌『あおぞら』に連載していたエッセイ「東方見聞録」に1994年12月号に掲載した記事で、その対象は、地方自治体の首長、そしてその地方自治体に関わる地方議会の議員たちである。

 批判精神旺盛な小生が書く「政治家に関わってはいけない人物像」として次に示す性格の人たちは、政治に関わってはいけない。(順不同)

 1、地域論を語れない人。

 2、金に卑しい人。

 3、性格がアバウト(大雑把)な人。

 4、童心を持っていない人。つまり、良いことは良い、悪いことは悪いとする、純粋な精神を持っていない人。

 5、清新さや瑞々しさ(生気があって若々しい)がない人。

 6、“物差し”の狂っている人。

 7、箍(たが)が緩(ゆる)んでいる人。つまり、いつも緊張感がなくてだらしない人。

 8、何かにつけて、他人に与えることを良しとしない人。つまり、取り得な人。

 9、地域の中で本当に努力をしている人を見極められない人、評価しない人。

 10、旧態依然とした体質を改革する勇気のない人。

 11、一つの組織や政党の中でしか支持の無い人。

 12、地域の外に出て広く見聞を深めたという経験のない人。つまり、若い時から定年まで行政職員だった元公務員など。

 13、高圧的な態度で組織を牛耳った経験のある人。

 つまり、弱いものだと思えば強がり、強い人だと思えば媚びへつらう人。例えば、課長になりたい、市長になりたい、議長になりたい、委員長になりたいと、能力もないのに自分の出世とか昇進のことばかり考えて生きている人は、結構多い

 14、自治体を一つの会社として考えられない人。つまり、経営手腕の無い人。

 15、自分が不在でも会社を切り盛りできるそんな番頭を据えることができない社長。つまり、有能な人物を助役に抜擢できない首長、有能な人物には助役要請を拒否される首長。そんな人がいました。

 16、部下に活力のないイエスマンしか置かない首長。

 17、企画力の無い人。首長や地方議員にはこれが一番に求められるが、これらの職にある人たちはそんな意識など全くないし、それが自分の欠点だとも思っていない。

 18、その町を好きではない人。

 19、面談をする時、ソファーに深く腰をかけて凭(もた)れかかって話をする人。

 つまり、偉くもないのに態度が横柄な人。かつて高知県知事公邸に橋本知事のインタビューをしに行ったとき、知事はソファーの前に座り、約1時間の取材を受けてくれたことがある。その後、高知県庁にある課長を取材しに行った時に、その課長はソファーに深く座り椅子にふんぞり返って私の取材を受けた。横に3名の職員を侍(はべ)らせて。地域づくりについて聞きながら、私は「この男はそんなに偉くもないのに、この態度は何だ。このやろうめ」と腹が立ったものです。

 20、日頃から“捨て目”ができていない人。つまり、他人の良いところから学べない人。

 これも橋本知事のことですが、知事就任以来、テレビや取材現場でよく見るが、これは知事がNHKの記者出身ということもあるが、あのメモ魔ぶりには感心する。あのような素晴らしい点に私はすぐ「見習いたい姿勢だ」と感じ入ったが、県下53市町村(当時)の首長であの知事の姿勢にどのくらいの人が気付き、注目し、「自分も真似をしよう」と考え、決意して実践しているのか。日頃から“捨て目”を持ち、小さなことにでも注意して人の良いところを盗む、他人の良い行動を自らに取り入れる勇気と若さを持っていること。それは年齢がいくつになってもだ。

 21、営業力の無い人。

 つまり、首長や議員はその町や村のセールスマン的な立場の人間だと解っていない人。

 22、前に出る勇気の無い人。

 つまり、人間は火の粉が降りかかろうとも正義を前にした時には火の中にでも飛びこむべきで、田舎の首長や議員はこれを知らないようですが、政治家は特にそういう立場にある。議場の演台に上がること一つとっても、それが怖いといっていつまでも「御身大事」では、一生、男にはなれない。捨て身で行動すればいつかは“浮かぶ瀬もあれ”と知り、何でもやってみることだ。

 もう一つ、「勇気がない」に関して言うと、首長が違法な行政業務を行い議員から「改めよ」と指摘された時にも、自分に勇気がなければそれを改めることができない。「これを改めたら市長の自分のことを悪く言う市民がいるんじゃないだろうか、議員もおれのことを悪く言うだろう」などと逡巡しているから、いつまでたっても町の政治が良くならないといえる。

 23、時代が読めない人。

 国会議員か地方議員かにかかわらず、いわゆる小沢一郎氏に代表されるような政治家のことだ。あなたのまちの議会にも半分以上いるでしょ、こんな議員が。もうそんな古い体質の政治をやろうとすること自体、時代が読めていないですよね。


 以上のような性格を持った人は町の政治に関わってはなりません。


 首長の独裁政治と議会の下部組織化、地方自治の空洞化、これを住民に代わって防止し本来の批判的な機能を持った議会組織に変えていくのが議会の役割であるのに、首長へのお任せが常態化し、議員は首長を盛りたてることで利益を売る共存共栄の構造になっている。そのことの理不尽さに住民は気付かず、気付いていても放置しているが、住民がもっと議員の不真面目な態度に怒ることだ。無能な人ばかり選挙で支援して議員にさせても町は良くはならないと、早く気付くことだ。

 多くの地方議会は機能不全の状態にある。これを住民に開かれた議会にしていくことが急がれる。従来型の単なるチェック機関だという発想ならば、何の進歩もない。議会は首長が提案する議案も是々非々の立場で徹底的に議論し審議する機関へと変わることが重要だと、早くみんなが気付くこと。そのためにも情報公開を徹底し、自治体と住民が情報を共有できる環境を構築することに尽きる。そうしない限り、いつまでたっても地方議会は変わらない。 

 がんばれ、がんばれ、地方議員たちよ。

 本議会は年に4回しかないのに住民から年12回も報酬を貰い、その上、年2回の期末手当(※室戸市議は、年2回で約80万円)まで貰っているからには、遊んでないで、毎日休まず議員として働け、地方議員たちよ。

 
 さあ、室戸市議会では林議長が「2年」と規定されている議長職に2期4年間いましたが、ようやく今議会閉会日で別の議員に替わることになったと聞いた。

 この4月から2015年4月の市議選が行われるまでの2年間、議長の椅子に座るのは誰かと考えてみると、その人物が議長という職にふさわしいかどうかは別にして、任期の多い順からいうと、4期目の堺議員、3期目の山下議員、山本議員、この3人の中から議長を選ぶのが常道だろう。

 ま、常識が通らない議会だから、どうなるかは全く解りませんが。

 それと、次の市長選は来年2014年11月。その選挙には「前県議と現職市議が出馬するらしい」という話を昨日、聞いた。あと1年半ともなればそういう話も起きてもおかしくない時期と言えば時期だ。現職の小松市長が出馬するとなれば三つ巴選になるが、私はそのどなたも市長にはふさわしくないと思っている。

 首長選なんて、「市民の中から選りすぐりの人物が出馬して当選する」わけではなくて、ただ「出馬した人が当選する」だけのことで、「出馬した人がその任にふさわしい人かどうか」はまた別の話。

 出馬するのはいつも、野心と欲望の塊のような人物ばかり。なってほしい人物が市長になっているわけではない。一番大事な「このまちを良くしたい」なんてことを純粋に考えて出馬する人は、皆無と言っていい。人をだましてでもいいから出馬して、市長になったら豹変、変節し、「人との信頼関係なんか信任なんかくそ喰らえ」とばかりに利権に走る。そんな奴ばかりと言っていい。

 だから、市長だからといって、それほど敬うことはないと私は思っている。

 それと、市議選はその半年後の2015年4月。また、室戸市じゅうがワンサカ言うんでしょうね。「あの人には義理がある」、「あの人は親戚だから」、「あの人はうちのお客さんだから」、「あいつは俺の飲み友達だから」、「あの人は市役所にいた時、私の上司だったから」なんていって投票をしに行く。

 室戸の政界が盛り上がるのは、本来の政治とは関係のない、選挙の時だけ。「目標」にしてきた選挙が終われば、みんな“真の政治”に関心が無くなってしまいます。なぜならば、“真の政治”を行うことが出馬した時の「目標」ではないからだ。  

 政治に関心がないのは、市民は勿論のこと、政治の場にいて報酬をもらっている立場の政治家もそう。

 とにかく「知恵を絞って室戸を良くしよう」という「信念・気概・行動力」が無い。

 その前に、そもそも議員になったら「全ての時間を政治に費やそう」という考えと根性がなければならないが、そんな考えなんか議員になったその時から持ち合わせていない点からしてもう間違っている。


 現場に8年間いて、市長や議員や職員が行う行動をじっと観察し調査してきた私が言うんですから、ホントの話。

 むなしいね。


※電子情報誌「高知発!青空エクスプレス」のアクセス数は、3月19日(火)付けGooブログランキング(184万3330ブログ)中、4297位でした。

 いい記事なのに、あまり読者はいらっしゃいませんでした。やっぱり地方には、まちの政治に関心を以って「少しでも良くしたい」と考える人はいないのかと思ってしまいます。
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議会の役目「監視役」とは

2013-03-17 | 議会改革
 先日の記事の続編として書く。

 先日の記事、「当初予算案ですら質疑のない室戸市議会でいいの?」の中でこう書いた。

 ≪とにかく、いやでも辛くても議員の職務を全うしようじゃないか。あなた方は市民の名代として議会に送り出された非常勤特別職公務員という、れっきとした公僕ですよ。

 もしかしたら、そんなことも知らないんじゃないの? 市民が日々の仕事で忙しいからその代わりにあなた方を選挙で選んで「おい、頼んだぞ」と、行政の監視役として、小松市長に対する監視役として市議会に出しているんだと。


 全国の地方議会にはこの「監視役」の意味が解っていない議員がたくさんいます、間違いなく。

 「監視役」としての議員の仕事とは、その人物(首長または市職員)が不正なこと、違法なこと、不適正な行い、議会を冒涜するような不埒な発言、陰で悪いことをしている等々を休みなく取材し、調査し、憲法や地方自治法、条例などの法律や道徳心に照らしてそれがよいことか悪いことかを厳しく判断をし、不正や不適正な行いを首長や職員が行っていると解ったらすぐさま、それに対しての行動をとる。それが自治体の「監視役」としての仕事。

 そうして不正を見つけたり他から情報を得たら法律を調べて議会でそれを基に厳しく批判しますが、室戸市の武井市長や小松市長がいい例で、それに対して首長は当然のように答弁で「これは違法ではない」と白を切ります。

 つまり公的な場である議会において首長や行政職員は堂々とウソをつきます。これはどこの首長でも一緒で、「はい、私は違法な議案を議会に提出しました」なんてすぐに白状する首長や職員はいません。一人の議員が批判するぐらいなら白を切ります。ですが、とことん批判され、それが3人、5人と議員が大勢で批判し始めるとたまりかね、「はい、やりました」と犯罪を白状します。しかし、地方議会においてそういうふうに首長に不正を多くの議員が批判して改めさせるなんて情景はめったにない。大抵の議案は適正であろうが不正であろうが過半数の議員が首長に加勢して「まー、いいじゃないか」と言って通してしまっています。これが全国の自治体、全国の地方議会の現状である。

 そうして真面目な議員が「職務に忠実でありたい」と考え一人議会で努力しても、議会申し合わせ事項の規定があるため、「議員の質問」→「首長・部長・課長の答弁」→「議員の再質問」→「首長・部長・課長の答弁」(室戸市議会の申し合わせの場合)を2回の問答を以って議員による質問は終了させられてしまうので、最終的には「これは違法ではありません」の答弁で逃げられてしまうのが現実。

 ですが、そういう中途半端な結論付けになると解っていても、地方議員たるもの、職責として自分が為すべきことを最後まで懸命に果たす気概というものが必要。「どうせ市長に逃げられるからなあ」なんて言って首長や職員が行った不正に手をこまねいているようでは情けない。そういう者たちは「非常勤特別職公務員」と位置づけられている議員とは言えない。議員たるもの、行政の不正に手をこまねいていてはならず、とことん追求する手を緩めてはならないのである。

 議員は「自治体の監視役」である。議会においては、首長や執行部を監視する責務をになっているということをもっと地方議員は知る必要がある。

 室戸市議会議員時代、この電子情報誌上で自分のことを「室戸市議会特捜部」と名乗ってきたことはご存じの通りですが、このように、言わば地方議員は議会の警察官とならなければならない。

 例えばです。私が市議だった頃、他の市議らはいつも「谷口に批判されて市長が困っちょう。あの事業が違法だと分かっているが、まー、えいか。助けてやろう」と不正な議案に賛成していたが。それと同じように、警察官が違法なことをした人間を引っ張ってきて事情聴取している時に、犯人が「私はやっていない」と白を切った時、「あー、そうか。なら帰っていい」とまともな調べもせずに帰していたら町の犯罪は無くなりますか? 無くならないでしょう。

 それと同じです。

 室戸市議会には谷口のように、市長が行おうとしている違法な計画や不正な財政投資などを取り締まる市会議員が必要なのです。いや、いや、勘違いしないでいただきたい。私はもう室戸市の政治に愛想が付きましたので金輪際、室戸の政治に関わるつもりはありませんが、議員とは私が行っていたように市会議員みんながすべきなのです。なぜならば、議員は自治体の「監視役」であり、そういう議員がいなければ議会とは言えないからです。

 「監視役」のいない議会は無きに等しく、無益。住民はすぐさま議会を解散させ、未来永劫まであなたのまちに議会を置かないことである。

 いわば、市政を監視して、行政運営上で行われる不正や違法や不適正な事業・計画・業務を逐一、ピックアップし、よく内容を吟味して不正だと判断したら、議会において全員が市長と担当課長を批判し、謝罪させ、改めさせるべき働く。それでこそ真の地方議員と言える。

 これができない地方議員は全国約1700議会において、半分以上の議員がこういう勇気と能力がなく、議会が終わり一端、議場から出たら威張っている、そんな状況にあると私は考えている。

 地方議員の職務は「議会において自治体の監視役としてはたらくこと」です。くれぐれもそのことをお忘れなきように。

 因みに、私がいま最も安心して見ていられる政治家は安倍晋三首相。実にスマートな政治姿勢に感心しています。

 3年間の経験不足の民主党政治に比べるのも失礼で、何よりも安心して見ていられるので国民が自分の仕事に熱中できるので、政策のすべてを全面的に支持している。思いっきり、ご自分が信じる道をまっすぐに突き進んでいただきたい。

 政治家はあれくらい勇気を以って政治に関わるべきで、国民の方を見過ぎて臆病になるようでは政治家とは言えない。かつて私も市長や議員に向かって「不正なことは、やってはならない」、「ダメなことは、ダメなものです」と市議会で言ってきたが、今の議員がそう言えているのか非常に疑問だ。

 総理大臣たるもの、国民に媚(こ)び諂(へつら)って政治を行ってはならない。首長たるもの、住民に媚び諂って政治を行ってはならないのである。どちらも自身の信念に基づいて政治を突き進んでこそのリーダーと言える。

 曰く、次の選挙を考えて政治を行うほど愚かな判断はない。議員然り、首長然りだ。


 但し、言っておくが、「住民にこびへつらってはならない」と言っても、選挙のたびに支援議員や後援会幹部に事後供与の金を配り、着任すれば何度も何度も不正な政策を行い突き進む、そんな「正しい政治を行ってほしい」と願う住民意識を無視して不正な行いをやり続ける市長はその例にあらず。

 しかも、その不正については2010年に県警に告発し情報公開し続けているので、市職員も市会議員もみんなが知っている。

 小松市長は市民を前にしての選挙演説でこう宣言した。「『この室戸の町に生まれてよかった、住んで良かった』、市民の皆さんにそう思ってもらえる政治を行います」。私はすぐそばでこの言葉を何度聞いたことか。

 口では何とでも言える。

 問われるのは、それが本心だったかどうか、政治家になる選挙においてと政治家になった時にそう実行できるかである。

 私は、選挙や政治の場においてそんな違法な政治が度々おこなわれているまちの住民でいることだけでも恥ずかしい。

 室戸市には正しい政治を標榜する人物は、私以外にいないのか!

 急激に衰退し続けている室戸市にあって、市長の「監視役」という使命すら全うできない不正に寛容な市会議員を見ていると先が案じられます。

 不安でたまりません。

 他の市民の皆さんは、選挙の時だけは「あの候補はうちの親戚だから」、「あの候補に義理があるから投票してやらなきゃ」、「あいつは俺の飲み友達だから」、「あの候補は当店のお客だから」、「あの候補はかつて役所にいた時は上司だったから」、中には「あの議員には不正な口利きをしてもらった恩義があるから」なんて輩もいるらしく、関心高く投票所に行きます。

 つまり、投票するときにその候補の能力なんて判断基準にはなっていない。有権者全員とまでは言わないが、大半の人は「議員になった時、その人が議員として行政がちゃんと公正な政治を行っているかを監視できるのか」はあまり考えずに投票している。(なぜこう言えるのかは、小生が市議時代、当選してきた議員の大半がいつも違法や不正な議案に賛成していたから。市民が候補の能力を見誤った、とは言わせません。その候補の能力が低かったり判断力が甘いのを知っていても投票しているのです)

 そして、その市議選が終わり「投票した候補が当選して義理が果たせた」と思って肩の荷をおろしているから、次の選挙までの4年間は投票した候補が市議会でどんな活動をしているかや何にもできないかなどには全く関心が無い。

 こういう状況を打破して市民にもっと市政や市議会に関心を持ってもらうにはどうしたらいいのかですが、市議会議員が市政や市議会の動きを逐一、市民に伝えることに尽きる。

 議会が終わるたびに、自分で議会新聞をたとえ1000部でも500部でもいいから作って自身の支持者に配布すること。1年で4回、任期の4年間で16回制作して配布する。それと併せ、政治家のはしくれとしての務めとして、私のようにブログを使って全世界に市政と市議会の情報を発信すること。そうすれば室戸市民だけではなく、全世界の人々に室戸市の政治が如何にあるのか、市議会がいかに動きているのかを知らせることができる。

 そういう議員独自の活動をしないで、怠けているから、市民に市政と市議会の情報が伝わらないのである。(ま、新聞を作るには能力がいるし金もいるし、ということになるが)

 それゆえ、市民が市政や市議会に関心が無いということになる。


 つまり、市長が不正な政治を行っているのも議員がその不正な議案に賛成している所為だし、市民が市政や市議会の動きに関心が無いのも議員が市民に情報を発信しなくてはならないという務めを果たさない所為だ。

 すべてがこうだから、私のように「市議会が不正を素通りさせているのを見ていると、不安でたまらん」なんて思う室戸市民はいないでしょうネ、きっと。
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新作「土佐室戸百鯨絵図」の下描き

2013-03-12 | 私の絵画制作活動
 作品「土佐室戸百鯨絵図」の制作も今日で一週間。

 この5日から下絵づくりを始め、8日からはその下絵をパネルに線で書き移す作業をしてきまして、今日、やっとその線の下書きが終わりました。

 その報告をさせて下さい。

 パネルの大きさはいつものようにP100号(162㎝×112㎝)。題材(テーマ)は、30歳代に絵描きのように毎晩制作に没頭している時に作った版画作品(90×90)、「土佐室戸百鯨絵図」を下絵としたものです。江戸期に土佐の室戸において行われていた古式捕鯨を題材にしています。

 かつて室戸の海にはたくさんの大きな鯨が泳いでいて、近海の漁業とともにそれを獲って生計を立てるのが室戸の古式捕鯨で、江戸期の一大産業となっていた。

 その当時を思い浮かべながら、30歳を過ぎて油絵に本格的に取り組み始めたころ、「室戸の海に100頭を超える鯨を泳がせてみたい」と思い始め、「油絵ではなくて版画の作品にしよう」と取り組んだのがこの構想の出発点でした。 

 その当時は約8年間ぐらい、製材所勤務の仕事を終えて自宅に帰ると、午後6時以降は画家のような生活スタイルで制作に没頭していました。

 この版画作品を作る時には、90センチ四方の版板となるシナベニアに直接、原画を描き、それを床におき、小学生が使う彫刻刀を買ってきて一生懸命に彫り続けた。何日かかったのか忘れましたが、1カ月ぐらいはかかったと思います。当時まだ小学生ぐらいだった二人の子どもは私が少しずつ彫り進めるのを珍しい物を見るように眺めていたのを覚えています。

 (版画を原画に移すために写し取ったコピー)

  

 下は、その版画のコピーを基にカーボン紙を下に敷き苦心して本作品の画面に写し取ったもの。版画作品と比較するとお解りだと思いますが、左右約30センチの余白には新たに創作した絵を描き加えてあります。

  

 今度はその鉛筆で描いた大小の線を追いながら黒の絵具で書き起こしてゆきます。

  
  
 こうして書きあげたのが現在のこの状態です。

 遠景は昔の浮世絵のような雰囲気にしながら、近景は「これでもか」と言わんばかりに精一杯、ダイナミックな絵にしました。

 旧作との違いをいうと、古式捕鯨の鯨舟(くじらぶね)もたくさん描き加えたし、新たに大きな鯨、小さな鯨と、たくさんの鯨も描き加えました。餌となる魚を追って鯨が来るということはその餌となる魚を追ってカモメもやってくるだろうと考え、空にはカモメも数羽、描き加えました。

  

 こうして実ににぎやかな風景になりましたが、それは作者の意図するところで、見てワクワクするそんな作品に仕上げたい、子どもたちが見て喜んでくれる絵にしたいと考えています。

 これで仕上がったようにも見えますが、絵を描き始めるのはこれからです。まだ、ほんの10%ぐらいの状態と言っていいでしょうか。

 またこれからアクリル絵具を使って本格的に描き始めることになりますが、どういう手順で描き進めるのか、ここ数日は作品を眺めながら構想を練ろうと思っている。油絵は次々と上に絵の具を乗せて行けば下に描いた線などはやがて消えますが、アクリル画は絵具の収縮度の違いから、手順を間違うと下に描いた“仕上がりの時に邪魔となる絵の具の盛り上がりの線”が最後まで消えませんので、そうならないように手順を考えています。

 仕上がりは3月末ごろと考えています。


※電子情報誌「高知発!青空エクスプレス」のアクセス数は、3月12日(火)付けGooブログランキング(184万0488ブログ)中、3671位でした。 
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