青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

室戸ジオパークを描いた絵画展、あす開幕!

2012-10-31 | 私の絵画制作活動
「全国岬サミット」と 「室戸ジオパーク」の提唱者による、

      室戸半島の付加体海岸を描いた絵画展

             谷口總一郎展
                

●会期・平成24年11月1日(木)~11月12日(月)  (会期中無休)
                           午前9時から午後5時(最終日は4時まで) 

●会場・北川村民会館      ☆入場無料です。お気軽にご来場下さい。
    (安芸郡北川村野友)


  

  

  

  

  

 (略歴)
 18歳から家業である銘木製材所に勤務。子どもの時からの夢であった画家を目指したわけではありませんが、30歳から、夜になると独学で油絵の勉強を始めます。その昭和51年秋の高知県展には、どうしても入選したくて、1年間に描きためた24作品の内の17点を出品。審査員もその出品された点数に驚いたのか、その中の1点が初入選。それから七年連続で県展洋画部門に入選しました。

 それ以降は自立心に燃えて独立を決意。〝二兎を追う者、一兎も得ず〟と考えて絵画作品の制作は止めて、喫茶店経営や地域雑誌『あおぞら』の出版と、高知県東部の地域文化を高める為の仕事に情熱を燃やし働きました。

 “地質を市の観光事業に活かせ”とのジオパークの提唱もその地域雑誌で二度、特集を組み、更に地質写真集も自費出版して、平成3年から20年までその重要性を広く県内外の関係者に訴え、広報してきました。

 平成15年からは改革派市議として精力的に働きます。ですが、二人の室戸市長が行う違法業務を批判し追及するなど、行政のチェックを厳しく行い法令の順守を強く求めたために市長を支援する市民の反感を買い、あと1期と決めて出馬した昨年4月の選挙において落選しました。

 そうして夢破れましたが、それにも負けず、新たな夢に挑戦しようと決意。市議選の落選を機に昨年6月から絵筆を握り、その10月の県展において、二十八年ぶりに返り咲きとなる八回目の洋画部門入選。そして、今年の県展で九回目の入選を果たしました。

  

  
   (30歳代に制作したS30号のこの木版画『土佐百鯨絵図』も展示します)

  

  

  

 (展示する作品について)
 昨年7月から描いたアクリル画は、100号の大作が12点と50号が1点の、合計13点。この中には昨年と今年の県展で入選した作品も含みます。そのほか、30歳代の絵描きのように毎晩描き続けていた時期の具象と抽象の作品も5点加えました。

 注目の大作、七福神の絵馬など、その最新作の全てを今回の個展で一挙に展示します。合わせ、その原画となった室戸岬周辺海岸の下絵20枚、室戸市吉良川町の「重要伝統的建造物群保存地区」の古い街並みのイラスト55枚、そしてかつて地域雑誌『あおぞら』に掲載した安芸市の古い建物のイラストも同時に展示します。

 是非、ご家族、ご友人と一緒にご来場下さい。

 尚、私の作品が高知県展で特選や褒状を受賞したとかいうことは一切ありませんので、あまり期待しないで、気楽に「あー、谷口の絵はこの程度のものか」ぐらいな気持ちで見ていただけたら私も安心してお迎えできます。その点、よろしくご配慮ください。(笑)

 (お問い合わせ) 
 室戸市室戸岬町2845-2  谷口總一郎まで 
 (電話・0887-23-1214、 ケイタイ・090-4506-6343)


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鳩山由紀夫先生、宣わく

2012-10-29 | 政治家のあり方
27日の朝日新聞はこう伝えている。

≪民主党の鳩山由紀夫元首相は27日、北海道苫小牧市で講演し、中国との対立が激化している尖閣諸島(沖縄県石垣市)の問題について「領土問題として議論を大いにしながら、日本の主権を主張していくべきだ」と語った。日本政府は「領土問題は存在しない」との立場で、波紋を呼びそうだ。

 鳩山氏は16日に党最高顧問(外交担当)に復帰したばかり。「領土問題でないといくら言っても、相手が自分たちに主権があると言っている以上、議論しないといけない。友愛精神、東アジア共同体の発想を生かしたい」とも述べた。≫


 短く指摘させていただく。

 元総理大臣に対して誠に失礼な物言いになりますが、「鳩山先生は相変わらず馬鹿ですね」。

 極論すれば、売国奴。

 9月に受けた中国国民による集団テロ行為によって、日系企業のイオンは7億円の損失を受けたし、平和堂は35億円の損失を受けたと聞く。私などから見ると、いっそ撤退すればいいと思うのに、それでも、「開業すればそんな損失なんかすぐに取り戻せる」ということなのか、大改修工事を急ぎ、昨日、1ヵ月半ぶりに新装開店して商売を始めた。しかし、これ以外にも多くの日系企業が中国政府が先導した暴動によって大きな被害を受けている。だが、これらの何百億円という被害額は、中国政府も、テロ行為に及んだ中国人たちも、誰も補償しようとしない。

 この事実を知ってか知らずか、鳩山先生は中国とは「友愛」の精神で付き合おうと言います。

 「コノヤロー」だ。

 バッカジャナカロカ。

 毎月、お母さまから1500万円ももらっていると、物事のなんたるかが解らず、このように自分の国の行く末なんか関心がないということか。

 こんな物事の本質が解っていない木偶の坊の政治家は、この室戸市の他、全国の自治体や議会にもたくさんいるが、愚かだ。 実に愚かである。

 このように、悪いことを「悪い」と言えないし「悪い」と解らない無能で弱虫の政治家たちと、その「悪事」を止める勇気すら持っていない政治家たちが国を崩壊させ、地域を崩壊させていることを、国民と地域住民はもっと知るべきです。

 余談になるが、当家ではスーパーで買い物をする時、必ず「中国製」か否かをチェックして買い物をしている。私はもちろんのこと、妻も「それ、中国製やない?」と、商品に記載されている製造国の表示を見てほしいと求める。洋服なども同じ。

 とにかく私たち夫婦は以前から中国政府がやることも中国人がやることも信用も信頼もしていない。大嫌い。

 よって、中国で製造されている商品はすべて信用できないから買わないようにしている。特に、中国で製造された食品の類はまったく信用できないし、まだ死にたくないから、絶対に買わないことに決めている。

 中国共産党政府は他国の領土・領海の強奪を繰り返し、民間においては安全・安心を無視した食品を製造販売し、著作権侵害は野放しで、本当は共産党政府に腹が立つからなのにその勇気がなくて表向きは「反日」だと叫び中国人は26000店ある日系企業を破壊する言語道断のテロ行為に及ぶ。

 かてて加えて、多くの国民は職も無く貧乏暮しをしているのに、共産党の中枢にいる政治家たちは皆、隠れて巨額の蓄財に励む。

 その程度の、4000年前の中国、孔子の時代や戦乱の三国志の時代そのままの、いまだ発展途上にある中華人民共和国であるが、その一党独裁国家の中国に好意を寄せ、「友愛の精神」を以って話をすれば解り合えるというどこまでもノーテンキな鳩山先生である。

 あの国は話し合いで解り合える国ではない。

 鳩山先生に申しておこう。「理想というものは、現実をよく見て追い求めるものである。 子どもじゃあるまいに、あなたのように現実判断もできずにものを言っていては恥をかくだけだ」。

 その鳩山先生のように心が広くないのが私たち夫婦の欠点と言えば欠点だ。


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「ゆとり」なんか、くそ喰らえ!

2012-10-27 | 国のあり方
 (一昨日、石原東京都知事が辞任しましたが、その記者会見の中で「ゆとり教育」の馬鹿さ加減についても厳しく指摘された。私も同感で、石原氏と同じ考えを持っている。よって、政治の場において如何に「ゆとり」というものが、国に、そして地域に愚かな体質を作るかについてもう一度考えていただきたく、2009年1月に書いた記事を再度掲載する)

 ≪数年前の高知新聞のコラム「小社会」の、記事の冒頭部分に次のような故事が紹介された。

《中国・清末(清時代の末期)の政治家・軍事家で、太平天国の乱平定に活躍した曽国藩(そうこくはん)がこんな言葉を残している。

 「収穫を問うなかれ、ただ耕耘(こううん)を問え」

 成果は問題ではなく、そこに至る過程での努力が重要、という意味だ。(後略)》

 記事の内容は、“はたしてブッシュ大統領の採点は?”の問いかけになっていた。

 この曽国藩という人物の名は初めて聞くし、この言葉、いわば教訓も初めて聞いた。そして「耕耘」を辞書で引くと、「田畑を耕すこと」をいうそうだ。

 そこで、自問した。まちづくり活動を実践してきた二十数年の過程を振り返って、「収穫は問うなかれ、ただ耕耘を問え」の言葉のように、“結果を追い求めるのではなく、どのくらいの田畑を耕してきたか”、いかに遮二無二努力してきたかと自らに問うてみた。


 色々とありました。まちづくり活動を始めたのは、昭和61年。それからはずっと自分の家庭を重視せず、顧みずに次から次へと喫茶店の売上げから金を出してコンサートを行ったり映画会を行ったりなどしてきた。室戸市民ならば良く覚えているだろう。そして、それでなくても毎月、本を出版するたびに借金が蓄積され続けた赤字状態の地域雑誌の売上げの中からお金を出しながら、県東部地域を元気にしたいと思い町おこし活動を続けてきた。

 儲けにならない事が分かっていても8年あまり出版し続けた地域雑誌にしても、また最近出版した地質写真集と古民家画集の二冊の本にしても、本当に自分の家庭のためになっているかと問われれば、なっていない。むしろ、その度、その度に家の借金になり、それを数年かけて返済してきている。

 ずっとそんな状態だったので、いまでも思いだすが地域づくり活動を始めた頃、中学生だった娘から「お父さんは自分勝手や」と強く言われたことがあります。自分は頑張って町のために尽くそうとしていることでも、家庭にとっては何のためにもなっていないことを、痛烈に娘から批判された。私は、その通りだと思った。でも、走り続けるしか他に、自分が納得できる生き方は無かった。

 でも、その娘が地元の高校を卒業し岡山の大きな会社に就職して数ヶ月経った夏ごろ、電話で聞いた言葉が忘れられません。「お父さんが町のために頑張りよったのが、働き出して、いま初めて解かった」。その時のこの言葉で、少しは救われた気がした。

 いま60歳を過ぎてこれまでを振りかえって思うが、地域づくりの活動を始めた頃から支えとなっていた言葉がある。

 特に地域雑誌を出版していた時の仕事は、夜寝る時間を減らし、飲食など遊行の機会を極力断って、全てをこのまちづくりに賭けた生き方をしていて、その頃に一つの言葉を思い浮かべ、それを何か支えのようにして活動の二十数年間を生きてきた。

 そこで考えて得た信条が、「人生、照る日、曇る日」

 わたくし如きがえらそうなことは申せませんが、良く言えば“悟りの境地”であり、またある面、“開き直り”ともいえる。「まあ、長い人生だ。こんな日もあらあ」と。

 意味するところは、「一所懸命に努力して働いていても、人生は良い時もあれば、悪い時もある。外的原因、内的原因によって、良くなったり、悪くなったりする。でも、悪い事があっても挫けず、怠けず、正直に、頑張って前向きに生きていたら、その内、また良い事がある」という意味です。

 だから、何事をする時でも私は休まない。自分に自信がないから、ずっと勉強をし、毎日ずっと働き続けます。

 休む時間や休める日々のある議員になってからも、毎日、何かに取り組んで仕事を続けた。それは又、自分ひとりの勝手な判断で休む事が、市民の意識や感覚に立ち考えて見れば、間違いなく負託に応えていないことになるから。だから、毎日何か議員としての仕事や、20年に発行した地質写真集や21年に発行した町並み画集の発行、そして議員を退職した今も次世代に残そうと室戸半島の海岸に見られるダイナミックな地質の動きを表現する岩の絵を描くなど、地域リーダーの一人としての仕事に取り組み続けている。

 休めば、「人生、照る日、曇る日」が、「人生、曇る日、嵐の日」になることが分かっているから、休まない。私自身が自分の全てを信用しているわけではないから、自分を休ませません。

 60歳を過ぎるといつ死を迎えるか分からないと悟っているから、休まず走り続けている。いつまでも命があると考えるほど私は欲深くは無いから、休まない。

「収穫を問うなかれ、ただ耕耘を問え」(成果は問題ではなく、そこに至る過程での努力が重要)

 議員でなくても、身銭を切って市民活動を実践している人ならば、成果を求めず、継続した努力をすることが大事です。ならば、「人生、照る日、曇る日」、“成果”は必ず向こうからやって来る。

 但し、いつ何時も身銭を切ることが無く、“収穫”を急ぎすぎるためにすぐに行政の補助金に頼る人たちは、その限りではない。金づるである行政からの金が途絶えれば、間違いなく努力しなくなり、早晩、やめてしまいます。

 行政もそんなグループへの支援は、もういい加減に止めることです。その“深情け”な行為はその人たちの“成長”のためにならない。何の継続的な効果も生まないし、却って、行政によってその土地に依存体質の人間や団体を生み、育て、増殖させてしまうだけだ。

 「可愛い子には旅をさせよ」というではないか。行政が住民に本当に地域力を付けてもらいたいと思ったら、冷たくして突き放す方がむしろ力がつく。さすれば、性急に“収穫”を求めない、ただ夢中で“耕耘”に励む人がたくさん生まれ、育つだろう。


 さて、話を戻してもう一度、中国の政治家・曽国藩の言葉、「収穫を問う無かれ、ただ耕雲を問え」の話に戻る。

 この言葉は、“結果を追い求めず、どのくらい田畑を耕してきたか、それこそが人間として素晴らしいんだ。ただしゃにむに働くことこそ、人間を育てる”と、記した。

 そして、私が考えた言葉、「人生、照る日、曇る日」も書き沿えた。

 これは、“一所懸命に努力して働いていても、人生は良い時もあれば、悪い時もある。でも、悪い時があっても挫けずに、怠けずに、正直に頑張って生きていたら、その内、また良い事がある”ということです。

 そのためには、何事をする時でも休まない。自分に自信が無いから、働き続ける。休めば、「人生、照る日、曇る日」が、「人生、曇る日、嵐の日」になるのが分かっているから、休まない。自分自身が自分の全てを信用しているわけではないから、休まない。いつ死を迎えるかわからないから、悔いを残さないために、休まず走り続けている。

 ならば、「人生、照る日、曇る日」、“成果”は必ず向こうからやって来る。

 この、「収穫を問う無かれ、ただ耕耘を問え」も、「人生、照る日、曇る日」も、両方とも意味するところは、“成果を得られるか得られないかを気にしていないで、休まずただもくもくと働け。良いことがあった、悪い事があったと一喜一憂せずに、前を向いてもくもくと働け。さすれば、きっと後発的に、成果は後からついてくる”という点にあり、そこが重要。

 そこで話は急に昭和40年代に遡るが、私が二十歳代の頃だったかに次のような国際情勢があり、「これじゃ、間違いなく日本の活力は落ち、経済も、政治も、教育もだめになる」と思ったものです。

 それは、アメリカは戦後二十年ぐらい経つと、それまでの自分たち国民の慢心と怠惰がたたって、日本の急速な経済発展に押されたことも加わり、そこで日本に圧力をかけ、「日本は働きすぎだ。もっと休め!」と言いはじめた。いわゆる一連の“ジャパン・バッシング”です。

 これに対し、当時の弱気な日本の政治家たちは、日本がアメリカの軍事力の傘の下にいる弱さもあって、日本はそのアメリカの圧力に屈して、週休二日制を進めた。止めときゃいいのに、言われたように働く時間を少なくした。つまり、情熱や熱意を薄めたのである。

 その時、私は、「あー、こんなことをしていたら日本企業の生産力が落ちることによって日本の経済活力は弱体化し、学校現場での教育力も低下し子供たちの学力も必ず落ちてくる」と思った。

 で、案の定、いまその通りになった。

 教育に限っていうと、「ゆとり教育」なんてことを始めた時も、「子供の教育にゆとりなんて、いるか!」と思っていた。で、いまその通りなって、「ゆとり」をやめようとしています。

 平成8年7月の中教審の答申は「ゆとりの無さ、社会性の不足と倫理観の問題、自立の遅れ、健康・体力の問題などがある。だから、週五日制などのゆとり教育が必要だ」として、この動きは平成14年に始まったが、そもそもこの段階で大きな間違いを犯している。

 子供の教育だけでなく、企業の労働者、そして行政機関や学校に勤務する公務員という名の労働者に「ゆとり」などという、いわばオブラートに包んだ美しい言葉を使って休日を多く与えたことが、これら日本全体の活力を低下させてしまった主因であるのは、間違いない。

 日本の教育界は、その「ゆとり教育」によって、全国の子供たちの学力低下という“事故”を引き起こしたと言ってもよい。

 だから、平成19年10月の中教審の答申では授業日数の増加を提言し、20年2月には文科省が21年度から順次、授業時間を増加させるように決めた。過ちを認め、方向転換した。(※注:平成21年からの民主党政権時は日教組系の議員が多かったため、改革は遅々として進まなかった)

 私に言わせれば、「ほら、見たことか!」だ。

 国によるこの「ゆとり教育」という子供への学問教育の、いわば“たるみ”から、テレビゲームなどからケイタイへ移行する機器による悪作用も加わり、子供たちの多くが学校での一体感のある勉学よりも個人的な娯楽に没頭するようになり、それが今の「殺すのは誰でも良かった」という殺人鬼となる若者を生んだのも間違いない。

 だから、教育の「ゆとり」=「たるみ」「ゆるみ」が、今の教育の崩壊を生んでいるといいたい。

 いま、日本の政治に関わる人も学校現場の人たちもみんな、あの秋葉原の通り魔殺人事件などに代表される若者による無差別殺人などの責任の一端は、自分たちにあると思い知る必要がある。きっと「俺には関係ない」なんて思っているだろうが、ないことは無い。あれらの事件は全て、教育関係者や国の政治家に責任がある。

 長くなるのでこのへんにしますが、とにかく企業も行政や学校に勤務する公務員も全て、40年代のように月曜日から金曜日までは終日働き、土曜日も昼まではちゃんと仕事をするように戻し、子供たちもみんな、土曜日も昼までは学校で勉強するように一刻も早く変更することです。

 私は、「労働や勉学にゆとりなんていらん。そんなのクソ食らえ!」と思っている。

 武田鉄矢の母はもっとすごい。「休みたいなんて思ったら、その時は死ね」とまで言っている。

 営業時間を減少させて働かない会社は、企業活力を低下させ、当然、売上げも落ちる。働かない行政は業務消化の低下、働かない学校は教育力の低下をそれぞれ招く。学ぶ時間の少ない子供たちの学力は間違いなく低下する。必ずこうなる。

 職人技も、習得の時間の積み重ねによって、熟練の技が磨かれるものだ。芸術家の腕や感性も打ち込んだ時間によって高揚するものである。それと同じだ。

 あっ、大事なことを忘れてた。勿論、企業の社員は売上げが上がれば給料は上がりますが、学校や行政に勤務する公務員の皆さんの給与は土曜日が半ドンに変更されても給与は今と同じですよ。このへんはお間違いなきように。

 先日も書いたが、自分が働いている組織のため、又労働や勉学は自分のために休みなく働き、休みなく学ぶこと。それが、自分を育て、組織を育て、地域を育て、国を大きくさせるものだと忘れないことです。

 「ゆとり」ある労働や教育なんてものでは、絶対に、町は興きない、国も興きない、自分も興きない。

 とにかく、自分を痛めいじめることによって、能力は高まってくるものです。寝る時間を惜しんで勉強すること。休む時間、休む日を惜しんで働くこと。それでしか、自分も、会社も、学校も、町も、国も良くなってはこない。

 最後は、やはり先のこの名言で終わりたい。

 「収穫を問うなかれ、ただ耕耘(こううん)を問え」。

 これを私流に品無く言うと、「ゆとりなんて、クソ食らえ!」 ということです。≫ 
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理想とする首長像(五)真のリーダーの登場が待たれる

2012-10-26 | 政治家のあり方
 この「理想とする首長像」も今日でおしまいですが、理想的な首長が出現しないでお困りの市区町村の住民の皆さんにとって、この特集記事が少しはお役に立てたとしたら、うれしく思います。

(11)真のリーダーの登場が待たれる

 真のリーダーは自然発生的に突如として現われるものだ。

 だが、たいていの場合、周辺の人たち誰もがよく知っている人物がリーダーのいすに座る。かといって、そんなリーダーだから不適当かというとそうでもないが、そのリーダーを決める選挙に出てくるのが前職などかつて政治にかかわったことのある人の息がかかった候補であることを見ると、いわゆる“代理戦争”である場合が多い。

 “候補替われど主(ぬし)変わらず”で、相も変わらずまちの勢力争いが続いていることに住民はホトホト嫌気がさしている。「どうせ、首長になってまたこうするんだろう」と住民は読んでいる。又、真のリーダーが候補として登場した時、それがだれであってもリーダーになられては困ると考え、その“芽”を摘みにかかり、足を引っ張り、リーダーにならさないように画策する人や勢力が、間違いなくどのまちにもいる。

 その人物が首長になればそれまでの首長の誰よりも高い能力がありまちが良くなるのであっても、癪に障るから、リーダーにさせないように企む。だから、リーダーを選ぶ時、まちが良くなってほしいというよりも、自分たちの“身内”が首長であってほしいと考えているだけだ。

 まちに有能なリーダーは必要だが、まちがこのような体質にあるうちは有能なリーダーがまちのトップに座ることは、まずない。不健全な利害関係を温存したリーダーばかりが次々と出てきては去ってゆく。その繰り返しだ。

 こんな悪い体質を変えるには、まず住民が意識を変えることしかない。有能なリーダーが名乗りを上げやすい空気を醸成し、人為的にリーダーが現われやすくすることが望ましい。小さなまちを救うのはその方法しかない。真のリーダーといえる有能な人物の出現が待たれる。

 最後に書き加えておかなくてはならないことがある。首長に就任し、数年経って職を辞したその後のことを。

  首長経験者は、その職にあるときの功績よりも、失政の方をよく語り継がれる。

 その職にあるときに無理やり建設した“負の遺産”ともいえる施設のこと、政策において行った違法や不公正、不公平、不適正な業務運営などについて末代までも語り継がれることを、首長選に出馬するときからよく認識しておかねばならない。

 でないと、首長になって何年間も議員や利害を持つ企業・団体に悩まされ苦労しても、結果的には引退後に自分の名を汚すだけだから、首長になっただけ損ということになる。


≪まとめ≫ これまで挙げた「理想的な首長像」を短くまとめる。

  まず体が健康体で、

 人の話に耳を傾ける誠実で素直な性格を持ち、

 知性と品性にあふれ、

 発想が柔軟なアイデアマンであり、

 住民の生の声を真摯に聞く姿勢とそれをメモに書き留めておこうとする姿勢をもち、

 住民や職員に対する指導力があり、

 先見性と先進性に富み、

 人一倍の発想力を持ち、

 何事にもここぞという時に決断力を発揮し、

 それでいて自制心と見識をもち、

 組織の危機には適正な指導力を発揮しながら部下の声にも謙虚に耳を貸し、

 国の法律はもちろんのこと自治体の条例・規則も厳格に順守し、

 真実を以って説明責任を果たし、

 財政情報は住民から厳しい批判を受ける前に自らが自分たち執行機関に不利な“負”の指標の全貌も全面公開し、

 議会の答弁ではウソ偽りは言わず、

 行政と議会は二元代表制を基に両者が抑制と均衡を保持しながら並び立つものだとの基本認識を忘れないでいて寄り添わず、

 選挙では利権を目的に出馬するのではなくて純粋に「このまちが良くなってほしい」と願ってまちのどの勢力の助けも得ずに立候補して当選後は悪しき利害関係を排除する勇気を持ち、

 金を配るような選挙違反もせず、

 「人の上に立ち、人を束ね、正しく向かうべき方向を指し示し、人を動かす」ことができる、

 そんな人物。


 私はこんな人に首長になってほしい。

 でも、こんな立派な人、国の政治においても地方政治の世界にもいるわけないよね? (笑)


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世の首長に贈る『論語』

2012-10-26 | 政治家のあり方
 (2010年に書いた記事を再度掲載する) 

小生、平成15年に議員になった頃に高知市の冨士書房で論語の本を買ったことをきっかけに、議員活動の折を見ては、二千数百年前の孔子とその弟子が書き記した論語を勉強しています。

 その本は勿論、自分の生き方に活かすため、また自らを反省する手立てとして購入したもの。一ページ、一ページの言葉をよく噛み砕き、議員活動や議会発言の指針にしたいと学んでいます。

 これはその時々にずっと言ってきたことですが、室戸市の条例・規則・要綱に違反すると、それは地方自治法など国の法律に違反していることになるし、それは憲法の「地方自治の本旨」を規定した第92条に違反していることなります。ですが、室戸市においてはこれまで七年余り、行政における法令順守の基本を知らないのか知っていてやっているのかは解りませんが、これらの法律を何度もないがしろにしてきたのは事実です。

 そんなことを考えますと、自分だけが学ぶのではなく、室戸市長にもこの本に書かれている孔子の教えである言葉を贈りたくなりました。日々の多忙に押し流され、落ち着いて本を読む時間などないと思うので、是非、私が論語から選んだ言葉からリーダーのあるべき姿勢を素直な気持ちで学んでいただけたらと思います。

 では、その本の中から思いつくままに、政治に関連した言葉だというものを選んでみましたので、かみしめて読んでいただけたら有り難い。

●「政を為すに徳を以ってすれば、衆星の之に共(こう)するが如し」 
 (翻訳)モラルにかなった政治を行うならば、多くの人がリーダーを中心にして動くようになる。
 (注)「徳」とは、修養によって身に備わった品性。善や正義を貫く人格的能力のこと。道徳。

●「義を見て為(せ)ざるは、勇なきなり」
 (翻訳)何が正しいことか解っていながら、それが出来ないのは、勇気がないからだ。/ 正しくないことなら、いくらそれによって手柄を立てられることでも、止めよう。たとえそれで不利益をこうむろうとも、それを恐れてはならない。

●「天に罪を獲(え)ば、祈るところなきなり」
 (翻訳)天理に背くようなことをすれば、神様に祈っても必ず痛い目にあう。
 (注)「天理」とは、天が万物を創造し、支配する自然の道理のこと。

●「君(くん)は臣(しん)を使うに礼を以ってし、臣は君に事(つか)えるに忠を以ってす」
 (翻訳)リーダーは、部下を使うにあたっては、礼儀を重んじるようにする。部下はリーダーに仕えるにあたっては、真心を尽くすようにする。/ 上司は、部下に威張ったりせず、きちんと部下に礼儀を尽くす。部下は、上司の陰口をたたかず、きちんと上司に真心を尽くす。そんな上下関係を作れたら、本当に働きやすいだろうし、組織としての成果も上がる。

●「君子、仁を去り、悪(いずく)にか名を成さん」
 (翻訳)立派な人は、良心に反してまでも、名を成そうとはしない。/ いくら成功して名声を得ようとしても、自らの良心を偽り、他人を欺いたりしていては、決して立派な成功者にはなれないし、周りの人からの信用も得られない。

●「君子は義に喩(さと)り、小人は理に喩る」
 (翻訳)立派な人は正しいかどうかを第一に考え、つまらぬ人は儲かるかどうかを第一に考える。/ 逆に言うと、つまらぬ人は儲けることや自分が優位に立てることばかりを優先させて、正しいかどうかは度外視する。

●「怒りを遷(うつ)さず、過ちを弐(ふた)たびせず」
 (翻訳)(顔回という弟子がいたが)八つ当たりすることは無かったし、同じ間違いを繰り返すこともなかった。/ 失敗しても八つ当たりせず、それを反省して次に活かす。こんな人は経験から学び、成長していけるものだ。

●「君(くん)は君たれ、臣は臣たれ、父は父たれ、子は子たれ」
 (翻訳)君主は君主らしく、臣下は臣下らしく、父親は父親らしく、子どもは子どもらしくすべきです。/ 首長は首長らしく、行政職員は職員らしく、議員は議員らしく職務を遂行しいつも「らしく」すべきだという教え。

●「子曰く、之に居て倦(う)むことなく、之を行うに忠を以ってす」
 (翻訳)政治に携わる心構えとしては、怠けないことだ。政治を行う時には、真心を尽くしなさい。/ 逆に言うと、政治とは怠けることなく真心を尽くしてやるものだとの教え。

●「子曰く、忠告して善を以って之を導く。不可なれば則ち止む。自ら辱(はずかし)むるなかれ」
 (翻訳)友人に間違いがあれば、忠告してやって良くなるように仕向けてあげるべきだ。しかし、言っても聞かないようであれば、それでやめる。無理に聞かせようとすれば、いやな思いをするだけだ。この「さじ加減」が大切。

●「君子は、和して同ぜず。小人は、同じて和せず」
 (翻訳)立派な人は協調するが、迎合しない。つまらぬ人は迎合するが、強調しない。
    立派な人はいくら仲の良い人からの頼みでも、悪いことには加担しない。でも、つまらぬ人は、仲の良い人に誘われたら、どんな悪いことにも加担する。こういう「なれ合い」は身を滅ぼすし、他人までも害する。

●「子路、君に事(つか)えるを問う。 子曰く、欺く勿(なか)れ、而(しこう)して之を犯せ」
 (翻訳)弟子が君主に使える方法を尋ねたとき、孔子はこう答えた。騙してはいけないし、君主の間違いはきちんと言ってあげないといけない。/ 上司の意に反しても、苦言を呈する人の方が最初は嫌われるかもしれないが、上司のためになる。(これは、「忠言は耳に逆らう」の言葉もあり、上司の資質によれば忠言が無益な上司もいる)

●「過ちて改めざる、是を過ちと謂(い)う」
 (翻訳)間違っても改めないのが、間違いというものだ。

(最後に)
●「之を用うければ則(すなわ)ち行い、之を舎(す)つれば則ち蔵(かく)る」
 (翻訳)必要とされているならば頑張り、必要とされていないなら引退する。/ 人の身の振り方は、潔さが基準です。必要とされないなら、あっさりと身を引くことです。

 以上、「論語」の中から政治に関係する言葉を拾ってつらつらと書き記してみました。

 他意はございません。地方自治体の首長だけでなくて地方議員の皆さんも学び活かし、行政運営と議員活動に活用して頂ければ嬉しく思います。

 ならば、行政も議会も間違いなく改革改善され、法令順守の適正な組織になるのは疑う余地はない。
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室戸ジオパークの手引き書、『青空地質博物館』

2012-10-25 | 青空編集室
 今朝の高知新聞朝刊では、「ジオパーク本、続々」、「国内でジオパークの本が初めて登場したのは2008年12月」、「最近、日本全国のジオパークに関するガイドブックが相次いで発売されている」、などと報じています。

   

 こんなことは自分から言うことではないと思いますが、記者がまだ赴任してきて間がないためか室戸市の地質に関して10年前、20年前から現在までどのような動きがあったのかの情報に疎いようですし、小生も元々過ちや認識不足は指摘しておきたい性格なものですから、記者が先に書いた「室戸ジオ拠点施設設置検討委員会」関連の記事について指摘したのに続いて、この件についても書いておきたい。

 今日の高知新聞の朝刊ではたくさんのジオパーク関連本が紹介されていますが、それらのジオ関連本が出版される更にずっと前に出版された室戸半島の付加体海岸(室戸ジオパーク)を特集した本が室戸市には既にありました。それも、3冊も。

 このことについては、記者が記事で著書として紹介している地震学者で日本ジオパーク委員会委員長の尾池和夫・元京都大学長も、室戸市に来られた時、直接お会いして私の著書『青空地質博物館』や重伝建保存地区の古民家を描いた画集『民家美術館』等をお渡ししており、他の日本のジオパーク関係者とともに、氏も2008年以前から承知して下さっている。

 現在は「室戸ジオパーク」と名付けられている室戸半島の付加体海岸の現場である室戸市室戸岬町に66年間も住み、室戸岬の海岸で遊び親しみ、1991年(平成3年)、1997年(平成9年)、2008年(平成20年)と三回、平成3年から『青空地質博物館』を出版した平成20年までの十七年間、“室戸半島の地質を活かし全国に売りだそう”と情報発信をしてきたのは、全国ではただ一人、私だけだ。

  
   (左が1991年に出版、右が1997年に出版した室戸半島の地質特集の本)

 振り返ると、地域雑誌『あおぞら』で室戸半島周辺の付加体海岸の地質を「土佐の地質」として地質特集を組み発行したのは、記者が記事の中で「国内でジオパークの本が初めて登場したのは2008年12月」とした年から遡ること十七年五カ月も前の、1991年7月だった。

 その後、室戸半島の付加体海岸の地質特集第2弾「室戸ダイナミックスー青空地質博物館」のタイトルで発行したのは、室戸支局の真崎記者が「国内でジオパークの本が初めて登場したのは2008年12月」と書いた年から十一年五カ月も前の、1997年7月だった。

 加えて、私が更に室戸市の地質観光(ジオパーク)事業を後押ししようと地質写真集『青空地質博物館』を出版したのは、記者が「国内でジオパークの本が初めて登場したのは2008年12月」と書いた六か月も前の、2008年6月だ。

 これもいやらしい話になるから自分からなんか本当は言いたくはないが、知らないことを解ったふうに記事を書かれても困るし、記事によって誤った認識を全国に広げる恐れがあるということもあるし、どのくらい私がこの事業に賭けていたかを解っていただくためには事実関係を明らかにしておいた方が良いと思うし、これらのことは室戸市民はもちろんのこと、全国の方々にも知っておいてほしいと考えまして、敢えて書く。

 私が雑誌を出版している中でこの「室戸市の地質を観光に活かせ」と特集を組み発行した投資額は、それぞれ、90万円、90万円、180万円の、合計約360万円です。大事業をしている企業家ならいざ知らず、地域の発展のために貧乏な出版の仕事をしながらこうして大金を投資し出版しても、結局は自分の給料もまともに取れないし、印刷所への払いも数百万円が滞っての、赤字。そんな思いをしながらの、これらの室戸半島の地質特集の本だった。

 だから、高知新聞の記者も室戸に赴任して来て室戸の地質について記事を書くのだったら、この実態を知るために、まず平成3年から「室戸の地質(室戸ジオパーク)を観光に活かそう!」と長年苦労をして訴え続けてきた私の話も、怖がらなくてもいいから、一度は聞きに来てほしいものです。その方が室戸ジオパークの歴史が解ると思うが、いかがか?

 時々、小生のこの電子情報誌をチェックして下さっていることは知っていますので、当家に来ていただければ、室戸市の政治家が行った公職選挙法違反事件や違法な行政事業についても色々と面白い話をお教えしますので、記者にとっても得策だと思うが、いかがか? 門戸は開けて待っています。


 ということで、高知新聞では私が発行した『青空地質博物館』を紹介して下さいませんでしたので、今日は青空編集室として 日本で初めて出版された室戸ジオパークの地質写真集『青空地質博物館』 を、自分で宣伝いたします。

 私が平成20年7月に発行した『青空地質博物館』(定価2200円)は、室戸半島周辺の地質を網羅した室戸ジオパーク唯一の参考書。室戸半島の地質をあなたのお部屋で観察するにはこの写真集しかありません。

    

 これは、資金もない中、本当に清水の舞台から飛び降りるような命がけの思いで作った写真集です。現在、特に日本地質学会や日本ジオパーク委員会の関係者、大学の地質学者の皆さんから高い評価を受けており、私も非常にうれしく思っています。

 発行して間もなく、自然地理学・地生態学の第一人者で日本ジオパーク委員会委員でもある東京学芸大学の小泉武栄教授から「いい本だ。友人にも差し上げたいから5冊送って下さい」と注文を頂きまして、感謝を以って送らせて頂いた。


 室戸の地質を知る本は世界にこの1冊しかなく、全国的に見ても地元のジオパークを1冊の写真集に収めて発行した書籍は他にありません。そんな貴重な本で、現在も特に高知市近隣の方々からの注文がたくさん寄せられています。是非とも、読者のみなさんもお買い求め下さい。

 出版のコンセプトは、次の言葉。

  
  

 次に、内容も少しご覧ください。

  

  

  

  

  
 
 私が地域雑誌の中で特集を組むなどして平成3年7月から提唱してきたこの「地質観光計画」も、遅ればせながらようやく20年から室戸市が「地質を観光に活かそう」とジオパーク事業に取り組み始めまして、ちょっと一安心しています。

 室戸ジオパークの地質写真集『青空地質博物館』は、高知市では冨士書房さん、安芸市ではTHUTAYAさん、室戸市では鍋島書店さんと室戸岬の室戸市観光協会さん。この4店においていただいていますので、ぜひお買い求めください。

 県外などの方は下記までお電話ください。
     電話:0887-23-1214
     携帯:090-4506-6343


 今日は、青空編集室として 日本で初めて出版された室戸ジオパークの地質写真集『青空地質博物館』 の宣伝をさせていただきました。
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理想とする首長像 (四)真実を以って説明責任を

2012-10-25 | 政治家のあり方
 今日の記事も、「理想とする首長像」です。

 (9)真実を以って説明責任を果たす

 ご存じのように、首長には説明責任がある。最近ではこの「説明責任」を「アカウンタビリティ」といい、自治体運営の基礎となっている。

 アカウンタビリティとは、首長等執行機関の行為や意思決定機関の過程を住民にオープンにし、なぜそのようになるのか、あるいはなぜそうなったのかを説明する責任である。

 住民や議会からの、「どうしてこれを行うのか」「どうしてこんなやり方をするのか」「どうしてこんなにお金をかけるのか」「今後、赤字になってムダに公費を支出しなければならなくなるのに、どうしてこんな施設を建設するのか」「これを行う時、どうして法律を破ったのか」等々の問い掛けに対し、首長や行政職員はその考え方や政策の手法を筋道を立てて説明することが必要になる。

 しかし私の七年間の経験からいうと、重要な案件においていくつかの場合、その問いに対してウソの答弁で取り繕い、質問への直接的な答弁をしていない。17年度に行われた温浴施設の二回の指定管理者公募事業。19年、20年、21年度の温浴施設指定管理者に関する計画書と赤字補てん。20年11月の高速バスターミナル施設建設事業。少なくてもこれらは不適正で違法性があるが、行政側は虚偽の答弁で逃げている。

 違法な業務には全て「違法だとは考えていません」と逃げ、計算の合わない計画書の数字を指摘すると市長や担当課長らが点検してこれは適正だと結論を出したものであっても、「これは企業側が提出してきた計画書です」と自分たちの責任から逃げ、無駄に公金を支出して建設した赤字施設に関しては「市民が利用しているから」等と、行政側は逃げの答弁ばかり。問いに正面から答えられないで、言い訳に終始して醜態をさらし、とても説明責任など果たせていない。

 書物によると、もともとアカウンタビリティとは、「会計責任」のことをいい、公金の使途のつじつまが合うことを意味したものであることからすると、首長等執行機関が行う説明責任とは、公金や法律に関してつじつまが合うように明確に説明することだと言える。しかし、首長は特にこの二点の説明責任が果たせない。

 議会で行政の違法を追及している問題を例に挙げると、問題を指摘した点について理路整然と法律の条項を提示しつじつまが合うようにその法的根拠について説明できないところをみても、室戸市の重要事業のどの問題も市長としての説明責任を果たせているとはいえない。

 この説明責任を回避する首長では「納得のいく行政」の実現はあり得ない。だから、これまで七年間の市政は明らかに「納得のいかない行政」だった。


(10)二元代表制の認識

 行政と議会は、法制的にいうと「首長等執行機関」と「議事機関」。首長と議員を共に住民が直接選挙で選び、一つの自治体を行政と議会の二組織が運営してゆくのが二元代表制である。この二元代表制の正しいあり方は、首長と議会が相互の抑制と均衡によってある種の緊張関係を保ちながら、議会は行政(首長等執行機関)とは対等の機関(議事機関)として、自治体運営を監視・調査することや基本方針を議決すること等のほか、積極的に政策提案などを行うことである。

 その議会は憲法第93条と地方自治法第六章で「議事機関」と定められた住民を代表する機関であるから、議会審議をすべて「異議なし」で終わらせるようではその役割を果たしているとはいえず、地方自治法上の権限を適正に行使し、地方公共団体の意思決定機関でなければならないといえる。

 よって、一方の「首長等執行機関」の特に首長は、議会の議決を経たうえで事務を執行することになり、いくら自治体のトップとなった首長といえども、独断専行は許されない仕組みになっている。故にこのことから、議会が如何に住民の側に立って議会に提出されてきた議案等を判断しなければならないかが解る。

 こういう認識が首長と議会議員の双方になくてはならない。首長に寄り添って違法性を孕んだでたらめな議案をそのまま表決で賛成してしまったりすると住民から議会としての責任が問われるし、首長にしても議案に違法性があっても不公正であっても議会は通るといってそれをそのまま議会に提出するようでは、これもまた住民からその責任を問われることになる。

 議事機関(議会)には、執行機関(行政)が行う政策のすべては議会が決定したことであるとの認識が、まず必要。そう認識していれば、行政がこれまで行ってきた全ての責任は自分たち議員にあるということが分かるはずだ。だから、首長が議会に違法性がある議案を提出し、それを議会で満場一致で可決し、それを行政が違法なまま事業を行った場合、その結果責任は首長はもちろんのこと、同じように議員全員にもある。ということは、議会が違法な議案を賛成多数で可決し通すと、その議案に賛成した議員も首長と一緒に住民から責任を問われるということだ。

 そして議会の使命は、何度も書いてきたことだが、議会が決定し行政が行っている行財政政策の運営や実施、事務処理がすべて適法・適正に、公平・公正に,なおかつ効率的に行われているかどうかを監視・調査し、住民の視点に立って適正でないと判断した場合は、批判し改善させることである。

 唯、議員を改選した時に議員の能力の如何によって議会組織が弱体化してしまう任期もあるが、そうなると議会は首長等執行機関の下部組織と化し、議会組織の権能は完全に失われてしまう。違法な内容の議案が可決され、不公正で、不公平で、不適正な議案が次々と可決されてゆき、こうして住民サービスに使うべき自治体の財政から巨額の公金が不当に支出され続けるのである。

 だから、議会の弱体化は住民がよく考えて防がねばならないし、住民によってそれは防ぐことができる。それには、地方議会選挙において、単に権力争いしているだけの現職議員や同等の候補には投票せず、行政を監視し調査活動をしコツコツと真面目に議員としての責務を果たしている現職議員や同等の候補に投票することです。そんな議員が定数の過半数いれば、行政側も違法や不公正、不公平、不適正な議案は出せなくなり、そのことによって適正な議案を出さざるを得なくなり、法律に関しても勉強も深めるようになる。そうして、自ずと健全な行政組織が形成されることになる。

≪議会が議会としての職責を果たせば、行政組織は間違いなく健全になる。首長と職員が間違いなく健全に行政としての職責を全うすれば、議会は必要ない。≫

 「では、なぜ尚まだ議会が必要か」と聞かれれば、逆もまた真なりで、行政組織が信用ならないからだ。だから、首長に必要な資質をすべて持ち合わせた有能な人物で、かつ法律を厳格に守る首長が上に立つこと。そうなれば議会はいらないことになる。

 これが今日の結論です。


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理想とする首長像(三)距離は権威を創る

2012-10-24 | 政治家のあり方
引き続いて「理想とする首長像」について考えてみたい。

(5)見返り

 権力についた首長には、それなりの自制心と見識が必要である。加えて、法律を厳格に守るという強い認識が必要である。

 だが、選挙で利権目当ての企業や団体、個人の協力を得て当選し権力の座に就いた首長は、余程認識と見識がないと、その見返りとしてそれらに対して有利な扱いをしてしまう。これは自治体運営を不健全にしてしまうどころか、違法行為にまで発展する場合もある。

 そんな悪しき行いに対抗する制度が、「働きかけ記録公表制度」というもの。この制度が効果的な証拠に、高知県において過去年間何百件とあった県への口利きや働きかけがこの制度を導入した途端、次の年には3件ぐらいになり、20年度は0件になっている。この減少は何を意味するのか。勿論、それは制度の効果である。

 私は県が制度化した17年9月議会からずっと「室戸市にもこの制度を導入すべきだ」と求めてきた。私の一般質問での提案に前市長も現市長も「県でも働きかけは0件だから、室戸市もその制度を導入する必要はない」と答弁してきたが、何を言っているのか。県において働きかけが0件になったのは制度が効果を上げているからであって、制度を廃止すればまた300件、500件に急増するのは目に見えている。私の調査によって室戸市には今も悪しき働きかけが行われていることがわかり、3月議会ではそれを追及しこの制度の導入を求めた。市長は今のままでよいとしたが、そのことは何を意味するのかは大体予想はつく。

 自治体を健全化しようと考えるなら、首長はこの働きかけ記録公表制度をご自分の自治体に導入すべきです。この制度をつくり、要望を文書にし提出した以外の働きかけ(口頭による要望や口利き)は、すべて担当職員が文書に記録し情報公開することです。市長に対する働きかけは総務課職員などが記録する。そうすれば必ずや悪しき働きかけ(口利き)は壊滅します。

 唯、この制度化を決意するのは首長。選挙で企業や団体、個人と深くつながり自治体の予算で見返りをしようと企む人物が首長の座に座ると、自分と口利きを行う人物の二人は違法性を問われることを知っているから、この制度化を求める声を排除しようとする。

 そうして自治体の危機は徐々に深まっていくのである。

(6)距離は権威を創る

 首長は公選制によって選ばれた人だ。であるが、住民の代表であっても、住民の上に位置する人物ではない。首長と議員は住民に選挙で選ばれ、すべて住民のお金である公費から給与や報酬を頂いていることから、自治体の雇用主は住民で、首長と議員は間違いなくその住民に雇用された従業員である。この基本的な認識が薄い首長がいるのも確かだ。

 上の(5)にも関係するが、首長は仮にも住民全体の代表者であって、一部の利害団体の代表者であってはならない。首長となり権力の座につくと、有権者とは距離が必要となる。

 そうできなくて、首長という地位を利用して特定の団体や企業、個人に対して利益配分するような行動は、明らかに職務の逸脱であり、組織の腐敗といえる。加えて、このように裏側で利権に絡む行為を平然と行う首長や議員は、何よりも身辺にまつわる情報の公開を嫌う。

 この考えの基に、改革派議員が行政に関することを積極的に調査し、情報公開を行うと、この首長と議員は直接的、または間接的に組織改革を目指す正義の議員に圧力やいやがらせをし、その情報公開をなんとかやめさせようとする。

 真の住民の代表といえる改革派議員は、その妨害に負けてはならない。そんな不正な首長や議員の登場を阻止し、政治の場から退場を促す薬は、徹底した情報公開の実現である。

 「距離は権威をつくる」とは、首長の地位につく者に対して為される悪しき行為に毅然とした態度で対処することであって、住民への冷淡さや無関心を言うのではない。この対処の方法の一つがさきほどの「働きかけ記録公表制度」であり、または議会新聞やインターネットによる情報公開である。

(7)危機に敏感

 自治体において、危機を感じる人というのは地域のあるべき姿やこうありたいと考える状態をよく認識しイメージを持っている人で、それに加え、敏感な人だといえる。そんな人が地域の危機を感じる。

 地域のあるべき理想像を認識し危機に対して敏感な改革派議員が、行政における不正や不公平、不公正な問題に取り組み果敢にそれに向かい追及していく行動も、その一つの例といえる。

 逆にいうと、何事にも無関心で鈍感な人には切迫感もないし、危機もない。だから、危機を察知できる人がいない地域や組織(行政・議会)では、危機は急速に進み、危機は急速に深まる。室戸市においていえば、実質的に倒産したような状態のミク社に対し行った二回で約6000万円にものぼる条例違反の赤字補てんは、一年後の同社撤退を見ても市長の状況判断のミスだったことは動かし難く、市の財政的損失を別にしても、危機に対する判断ミスであり危機を察知できず市政に危機を招いたといえる。

 事態が大きく変化し流動した途端、その無能ぶりをさらけ出してしまう首長では、地域と住民にとっては不幸というほかない。このように、危機に対処する適正な指導力の発揮は、首長の条件となる。

(8)自治体対応能力

 自治体においては、日々、首長と執行部が一緒になって部課長会などの名で各種の会議を行っている。その会議の中で協議される問題については、役所を上げてどう取り組み、どう柔軟に対応できるかが問われるが、その時、首長の資質が問われる。

「前進しなくてはならない時に立ち止まり、立ち止まらなくてはならない時に前進する」。

「決断しなくてはならない時に決断しなかったり、決断すべき時ではないのに決断する」。

「右へ行くべき時に左へ行ったり、左に行くべき時に右へ行く」。

「前方へ行くべき時に後退したり、後退すべき時に前進する」。

「法律を守るべき時に、違法を認識しながら法律に違反する」。

「部下の意見に耳を傾けるべき時にそれに耳を貸さず独断専行したり、部下の反対意見を退けてでも積極的に決断すべき時に、部下や周りの人の意見を聞きすぎて組織を停滞させる」。

 このように、リーダーとは、まず組織の中における一つ一つの出来事への対応能力が問われる。

 ≪人の上に立ち、人を束ね、向かうべき方向を指し示し、人を動かす≫

 そんな立場にあるリーダーは常に他の人たちより一歩も二歩も先んじて危機を感じ取り、迅速に対応しなければならないのに、もし鈍感で、しかも目先の安全策(ミク社が撤退した時、室戸市が温浴施設の指定管理者を新たに公募せず、市の基金などを投資して新会社を立ち上げたことも、この一つの例)しかとれず汲々としていれば、組織全体が小さく縮こまることになるし、より深刻な危機に陥ってしまう。

 首長は、行政環境が変化し事業や計画の遂行に著しく困難が生じたときには、英断を以って、被害・損害を最小限にとどめるための対策を講じることが重要。それと併せ、撤退、廃止、中止を含む政策の変更を大胆に行うことができなければならない。

 室戸市では、不当な公金の支出であるミク社への赤字補てんの対応とともに、高速バスターミナル建設は地方自治法第244条の「公に施設」に関し違法で、これも不当な公金の支出だった。これら市長の誤った判断によって市民に約7000万円という大きな「被害・損害」を拡大させたといえ、市長の責任は重大である。

 自治体が政策変更した場合、それに関係する団体や企業、また議会や市職員内で抵抗や反発も起こる。それをためらったり対応が遅れたりして、より大きな損失や事業の将来に困難を生みだすその責任は首長にあるし、首長の指導力欠如といえる。「分別」「無分別」という観点から言うと、この場合は「無分別な首長」と断言でき、地域と住民の暮らしを劣化させ地域と自治体組織を衰退に追い込むことからいうと、「人災の首長」でもある。

 唯、そんな住民に災難をもたらす首長ほど自分が「人災」であることに気づかない。この場合、地域は悲劇をみる。

 いやいや、私の経験から言うと、無分別で人災の首長は過ちに気付いていても“平気の平左”という場合の方が圧倒的に多い。「過ちに気付く」といっても、むしろ、意識的に法律を犯して政治を行っている点から言って、許しがたい地方の政治家といえる。

 (この程度の男たちに「政治家」なんて立派な呼び方を使いたくないが、他に「不正な政治を進めるダメな政治家」に対する呼び方がないからあえてこうやって使っている)

 そして、その首長を選んだのは住民、違法行政に賛成してしまう無分別な議員を選んだのも住民。だから、地域が衰退し、崩壊してゆく責任は、全てその住民に在ると言える。しかし、住民は政治には全く無関心。こうやってあなたが住んでいる町や村は衰退してゆくのです。


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理想とする首長像(一)住民の声を聞く

2012-10-23 | 政治家のあり方
(一昨年4月初旬に掲載した特集記事「理想とする首長像」を再々度、六回分を一挙にご覧いただきます)

 首長となった人の資質の良し悪しで、そのまちの体質が良くなったり、悪くなって破たんへと追い込まれたりもします。そこで、自治体の首長選に絞り「首長としての理想像」を探ってみたいと思う。どんな人物が首長(市町村長)にふさわしいのか。それを皆さんと一緒に考えてみたい。

 項目は次の予定。
●住民の声を聞く
●首長選への立候補
●首長に必要な資質
 ①コンプライアンス精神に富んでいること
 ②改革精神に富んでいること
 ③体が健康体であること
 ④明るくて、知性と品性があること
 ⑤指導力があること 
 ⑥先見性・先進性に富んでいること
●決断力
●見返り
●距離は権威を創る
●危機に敏感
●自治体対応能力
●真実を以って説明責任を果たす
●二元代表制の認識
●リーダーの登場が待たれる

(1)住民の声を聞く

 まず、組織経営を行う時には現場の声を聞かなくては、間違いなく「机上の空論」を以って、的外れな政策を行ってしまうことになる。

 自治体による現地・現場主義は、住民が何を感じ、何を考え、何を願っているのかを直接的に聞く機会であるのはもちろんですが、謙虚に耳を傾けることから、住民の生の声(情報)を理解するための方法でもある。併せ、住民との対話の中で職員の感覚やモノの言い方を試されることから、生きた職場研修にもなる。

 一つ問題提起すると、いま自治体はまちづくりのためには住民の意見を聞かなくてはならないという動きがあって、そのため全国的に自治体による住民懇談会が流行っている。この会合では要望も含め住民が多岐にわたる意見を述べているが、住民によるその“生の声”を首長と自治体職員がメモを取っていない場合が多いが、あれはいったい何んなのか。首長の公約として住民懇談会を行っているという、まるでポーズとしか言えない。

 行政側の人間がみんなメモをとり、そのメモをもとに数日後に検討会を開き、住民の意見をまとめ、政策に生かせるものは即時に事業化するように、なぜしないのか。会議でメモを取らない首長や職員を見ると、「あなたはそんなに聖徳太子のように人の話したことをすべて覚えているほど賢いのか」と思うし、そんな形ばかりの懇談会を開くのなら、止めてしまえとまで思ってしまう。

 橋本大二郎前高知県知事のことは県内の首長も市町村職員も大体みなさん嫌いなようですが、誰も改革できなかったことを改めた功績も多い。

 まず、橋本氏が知事一期目の事業である県民懇談会に臨んだ時、参加した20名ぐらいの地元住民の意見をきいて、それをすべて自分のシステム手帳にペンを走らせ控えていたことを、私はその現場を取材してよく知っている。

 能力とはそういう真摯な態度から醸成され形成されるものだ。高い能力を持った人からだけでなく、若い人や高齢者も含めた一般市民から謙虚に学ぼうとすることによって、自分の能力も次第に向上してゆくものだ。それには、その一つ一つをメモし書きとどめ後に活かす必要があろう。県内の首長で住民と接した時、それを自分の手帳に事細かく書いている首長がいるか? いや、一人もいません。聞いているがメモはしない。だから、聞いたことはすぐ忘れてしまっている。県内にはそんな市長村長ばっかり。

 県下の自治体首長がその橋本氏の姿勢から学ぶことは無かったのか。県知事の政策に腹を立てているだけだったのか。たとえ嫌いな人でも、その人の自分よりも優れたところ、良いところからなぜ学べなかったのか。

 無能な首長ほど、利害関係を持っている人の話は聞いても一般住民の話を真剣に聞かないし、手帳になど控えようともしない。これまでも雑誌記者として県内を回り市町村のいろんな首長を見てきたが、首長が住民の意見を自分の手帳に書き控えている光景なんか、橋本知事以外は見たこともない。それは、「おれはこれで首長をやっていけるからいいんだ」と思っているのか、それとも「そんな人の話を聞いても得にはならん」と高慢でいて、自己中心的だから。

 自治体に勤務していて他人から学べない人は、「ダメ首長」「ダメ職員」のそしりを受けても反論できない。そのイメージを首長や職員が振り払うためには、今以上に住民の声を聞き、業務効率を上げ、今以上に他人から学ぶことしかない。

 表題は「住民の声を聞く」としたが、住民の声だけではない。役所において、首長は職員や議員等の声にも耳を傾ける心構えがなくてはならないのは勿論だ。なぜなら、首長は万有の能力を持っているわけではないからです。計画を練りまとめる職員がそばにいてこそ、行政を監視する議員の適正な指摘があってこそ、行政における施策の成果が自分の能力として住民が認めてくれるのである。そのことを首長はよく認識しておくべきだ。

(2)首長選への立候補

 選挙とは、当選した人がその職にふさわしい人だと保証するものではない。それが首長であろうが市区町村の議員であろうが。

 公選制とは、選挙で選ばれた人を首長や議員とみなすことであって、当選した人が首長または議員としてふさわしい資質や見識、能力を持っていることを必ずしも保証するものではない。

 例えば、首長選について言えば、立候補した人が2氏だとすると、その2氏がともに組織経営を行うにおいて首長としてふさわしい高い能力を持った人であるかもしれないし、2氏ともがふさわしくない人かもしれない。しかし、その中の1氏は必ず当選してきます。そんな場合、住民は哀れである。

 だから、首長や議員には永久ライセンスを与えては危ないから、四年という任期を設けて、不適正ならば落選させるような制度になっている。唯、首長や議員としてふさわしくない場合でも四年間在職することを考えると、四年でも長いと感じる例もある。

(つづく)
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理想とする首長像(二)首長に必要な資質

2012-10-23 | 政治家のあり方
(3)首長に必要な資質

 首長に必要な資質と考えると、それはそれはたくさん思いつく。「あったらいいな」という理想とする資質に、「これだけはどうしてもなかったら住民を困らせてしまう」という最低限持っていなくてはならない資質まで。それらをひっくるめて列挙してみる。

●コンプライアンス精神に富んでいること

 「コンプライアンス」とは、法令を順守すること。勿論、国の法律だけでなく、そのまちの条例や規則、時に規定される要綱などもその業務において正しく厳守されることが求められます。
 
 地方行政に関わる首長も議員も地方自治法を国の法律と思っていないふしがあるが、地方自治法とは、日本国憲法第92条(地方自治の本旨)を基にして規定された、地方行政が地方自治を行うにおいての「最高規範」。首長や職員、そして地方議員として地方行政に関わっている以上、いやでも守らなくてはならないルールである。

 故に、これを守らずに行政行為や議会行為を行うことなどあってはならず、行政や議会にいてこの地方行政最高規範である地方自治法を守りたくない人間は即刻、辞職すべきだ。
 
 (尚、「地方自治の本旨と現状について」は2010年5月3日、4日と、今年1月3日に関連記事を書いていますので、一度検索してご覧いただきたい)
地方自治の本旨と現状(1)
地方自治の本旨と現状(2)
地方自治の本旨と地方政治

 室戸市が高速バスターミナルを建設する時、1444万円の予算(県補助金50%、市の借入金50%)を使い徳島バスの社員宿舎も建ててしまったが、その部分の予算投資は約1000万円にもなる。この建設によって、室戸市は地方自治法第244条(公の施設)違反を行ったことになるため、私は議会においてその違法な状態が解消される改善策まで提案し市長の窮状を救おうとしたにもかかわらず、「受け入れれば谷口に負けたようで癪に障る」と考えたのか、その提案を拒否。だから、建物は現在もその違法な状態のまま室戸岬港に建っている。全国の行政関係者でこの地方自治法違反の事例に関心がある方は是非とも一度、室戸に行政視察においでいただきたい。

 又、これらの法令に違反してなくても、自治体の長ともなれば誰が見ても不適正だと判断されるような行為や政策は行ってはならない。小松室戸市長は、すでに倒産状態で撤退寸前だった指定管理者の企業ミクプランニングに6000万円もの住民のお金をつぎ込んだが、こんな“○○に追い銭”的なムダな投資は絶対に行ってはならない行為で、この件も地方自治法違反である。

 つまり、
「法律の一つも守れない奴が政治になんぞ関わるんじゃない!」
ということだ。

 そのことは最近のニュースでもわかろう。九州電力の社長の態度や大王製紙創業者の孫が会社の金100億円をギャンブルですった放蕩、オリンパスの損失隠し、読売巨人軍の渡辺会長の独裁ぶり。ただ、後の2つ、オリンパス社の不正はマイケル・ウッドフォード前社長の内部告発によって改革されると信じているし、巨人軍の件は清武代表の内部告発により以前よりは改革が進むだろう。だが、正力オーナーよりもずっとリーダーとしての能力に劣る渡辺氏はいつまでも会長の職にすがりつき、病気にならない限り、その座から下りないと私はみている。トップとしての責任を取らないあの九電社長やオリンパスの前・元会長や社長のように。

 オリンパスの不正な事件と巨人軍の内紛、この2つの内部告発を見て室戸市民の皆さんはどう思いましたでしょうか?

 何か、他人事のように思っていませんか?

 これら一連の組織不正のニュースを聞いて、あなたの近くで最近起こった出来事と「何か似てるな」と思い当たることはありませんか?

 このマイケル・ウッドフォード氏や清武代表と同じように、最近まで室戸市政及び議会組織の不正や不適正な体質にくさびを打つべく市民や全国の地方自治に関わる人たちに訴え懸命に働いてきた人がいたことをご存知ですか?

 室戸市議会において8年間にわたって室戸市政の違法や不正を追及し、住民に向け告発の情報発信を行ってきた人がいましたね。やっと思いだしましたか?

 そうです、改革派議員だったこの谷口が行ってきた市政・市議会改革に関する勇気ある行動がこの2氏の行動と同じなんですね。
 
 ウッドフォード氏が社長時代、「これまでこの会社を経営してきた首脳陣たちはバブル期の放蕩で会社に大きな損失を与え、その損失を企業買収によって粉飾したことは許すことができない」と動いたことによって社長を解任された。それと同じように、市議会で一番熱心に仕事をしていた谷口によって追い詰められた政治関係者らも「谷口に投票するな」と触れ回り、谷口はこうして地方議会を“解任”された。

「違法でもいいじゃないか、まちが良くなるなら」。「企業誘致だから違法でもいいじゃないか!」。

 室戸においてかつてこんなことを私に言った人が何人かいたが、こんなでたらめなことを口走る政治関係者ばかりじゃ町は100年たっても良くならず、そのまちは悪質な政治体質を引きずったまま寂れていくと断言しておく。

 それと、世の中の大会社や大きな組織で起こったことは新聞やテレビで大きく取り上げられ客観的に善悪が指摘され、大体「この件で悪のは誰」と位置づけられるから、国民にはその内容の実態が把握・理解できるようになって、やがて企業は改革されてゆきます。ですが、地方の小さな町でしかない室戸市で行われている不正や違法行為などは、改革派議員が行政で今行われている悪事を正しく情報公開しても、住民は耳を貸さない。

 オリンパスという世界に知られた会社の不正をコンプライアンス精神に富んだ一人の人間が知ってそれを告発すると世界的な大事件として取り上げられる。一方、ウッドフォード氏と同じ思いを持って、彼とまったく同じように室戸市の不正を知って調査の上で議会で告発しインターネットを使って全世界に情報公開しても、政治を取材する立場の新聞記者はもちろんのこと、住民も行政のその不正に誰も関心を持たないし、何も体質は変わらない。

「ガバナンス(組織統治)能力に欠けた人やコンプライアンス精神に欠けた人間は政治や企業経営に関わってはならない。いつまでもいつまでも、一生下働きしてりゃいい」ということだ。

 余談になるが、高知新聞社の県内支局長は行政や議会の不正や不適正な出来事に気付くと逐一記事にしているが、室戸支局長の特に横田記者以後の3記者は、市が不正や違法を行っていることは議会を取材し谷口による告発を聞いて認識しておりながら、行政による地方自治法違反などには関心を抱かず 情報を提供しても絶対に記事にしなかった。それは、地方自治法を全く勉強しない故の知識不足の所為と、その行政の違法行為や議会議員たちの職務怠慢を記事にすればその後は市の協力は得られず行政からの情報が入ってこなくなるし議会からは排除される、そのため黙認したものと私は理解している。

 しかし、それではジャーナリストとは言えない。

 ジャーナリストとは、かつて地域雑誌の編集発行人で記者だった私が議員時代にそう努めたように、組織の悪い体質や姿勢を積極的に調査し、例え首長や職員に批判されようとも、議員に批判されようとも、告発する勇気ある行動と姿勢があってこそジャーナリストと言える。書くのはいつもお知らせ記事ばかりで、悪政や不正に対しては腰が引けて自分の意見を言えない、そんな新聞記者は決してジャーナリストとはいえない。新聞社のただの社員だ。

 昭和62年ごろに室戸支局長をしていたY記者は今や、朝日新聞社の上層部にいて社員を指導・教育する立場にまで出世している。氏は頑張っている人には人一倍愛情を注ぎ、探究心は強く、不正を見つけると必ず記事にしてきた。室戸支局長はあの敏腕記者の経験に裏打ちされた知力と勇気から学べ。そしてただの新聞社社員からジャーナリストに生まれ変わることです。

 そうして、室戸市が行う違法や不正な事業運営、市議会の職務怠慢を厳しく記事にすることです。本当にあったことを記事にすることは何も悪いことではない。むしろ住民に高く評価され、褒め称えられ喜ばれること。唯、不勉強で何の確信もなしには記事は書けないが。

 ●改革精神に富んでいること

 大体どこの自治体でも一年に一つや二つは不正や不適正な行政運営を行っていると考えており、それは特に1000万円以上の予算を投資する大きな公共事業において行われている。それまで不適正な行政運営を行ってきたそんな自治体の首長に新しく就任したとならば、その首長となった人物は就任後すぐにその悪しき体質の改革・改善に着手しなければならない。

 当然、自らは違法や不正、不適正な行政運営を行ってはならないし、それを行おうとする職員には厳しくコンプライアンスに関する教育を行うこと。全国の自治体において行われている議会議員から首長や職員への悪しき口利きや働きかけもすべてその場で記録し同時に全国に向け情報公開して、行政組織からそんな不正を排除することが求められる。

 そのほかにも、不正や違法行為でなくても不適正な行政運営はどこの自治体でも行われている。それは「行政のチェック」を職務とする議員が指摘し批判し改善させなくてはならないが、そんな改革派議員が議会にいるのは稀なことだから(この谷口がそうであったように)、まず行政の長である首長が行政において行われているすべての事業に厳しく目を光らせ、不正や不適正な事業を見つければそのすべてを改めさせることだ。

 よく、首長は議会での所信表明や答弁で「財政健全化計画」とか「行政運営の健全化」とかいいながら、不適正な財政運営や行政運営を平気な顔をして行っている。これは事実で、全国の自治体においても間違いなくこれと同じことを行っている。だが、その首長や職員が行う発言はウソで、虚偽答弁。違法行為を行い不正を行ったがために私の追及を受け窮地に陥った市長が「これは適法と考えており、これからも健全な行政運営を行ってまいります」なんて答弁を吐いて逃げるのを聞くと、いつも「ウソこけ!」と怒りに震えていた。

 「何が健全なのか。あんたの首長としての体質は選挙に出馬を決めた最初から不健全極まりないじゃないか!」と。

 詭弁を弄する首長を信じてはならない。そんな首長は「公正・公平・適正」をよく理解している健全な住民の力によって、一日も早く辞職に追い込むことです。 

●体が健康体であること

 石原東京都知事は週三、四日だけ都庁に勤めていると聞くが、首長はたいていの場合、終日、役所に勤めなければならない。だから、そんな多忙な首長職をこなすには、まず体が丈夫でないといけない。元気であることと、体に病気を持っていないこと。任期中、罹病した時はすぐに辞職すべきであるのはもちろんだが、特に内臓や心臓、脳に持病のある人は首長に立候補することは不適正だ。

●明るくて、知性と品性があること

 首長になり権力を手に入れた途端、豹変する首長がいるが、首長だけでなく、どんな組織のトップに座ろうとも「実るほど首を垂れる稲穂かな」のたとえもあるように、トップリーダーとしての能力などはさておいても、組織の上に立つ人間の魅力として知性と品性がまず求められる。

 いつも明るく前を向き、にこやかに、穏やかに、明晰に、法を守る正義感を持ち、筋と理を以って率直に語ることができる、その姿である。(こう書く小生はまったく持ち合わせていない特質ばかりだが)

●指導力があること

 部下や住民に向かうべき方向を指し示し、企画立案を促し、人を適正に配し、人に働きかけ、その者たちを引っ張り、ことを成し遂げていく指導力を発揮してリーダーとしての役割を果たさなくてはならない。

 このことには前提があり、上からいくら方向を示しても、違法や不適正な企画立案であったりすると職員は動かないだろうし、それを強引に動かそうとすると必ず組織内にひずみが出きてくる。そんな状態にいったんなってしまうと、いくら元に戻そうとしてももう戻らない。首長と職員が四面楚歌の状態になり、「指導力の発揮」など夢のまた夢となる。

 だから、首長は職員を自分の子どもに言うように教え指導し、指示し、人を配し、自分が先頭に立って行動するよう、最初から理解していなければならないということになる。途中から改善しようといくら苦心しても、それは無理なことだ。

●先見性・先進性に富んでいること

 先見性とは、将来どうなるかまだはっきりと見えないうちに前もって見通すこと。先進性とは、行政に関していうと、他の自治体の中でも地域の取り組みや行政の取り組みについて、進歩の度合いが他市町村よりも進んでいることをいう。

 他に抜きんでた行動を起こしてこそのリーダー。行政組織のトップリーダーである首長には、時代を先読みしたこうした先進性や先見性が必ず必要である。そのためには行政におけるいろんな政策や事業に関して、全国の自治体などの先進地調査は欠かせない。それを日々の多忙な業務の中で首長自ら行っているのか否かが問われる。

リーダーにこの資質がないと、その自治体はいつまでたっても半世紀前の戦後すぐの地方政治と同じような古臭い行政運営を行い、そこでは必ず旧態依然とした悪しき利害関係を引きずることになる。

 先進性や先見性を持つには、情報収集が不可欠。情報を欠かさず収集し、それを取捨選択し、その膨大な情報の中から自分の町の活性化に適したヒントを抜き出し、それをもとに新たな計画を創案する。それには、このような一連の作業を地道に行う性格と企画能力が伴わなければならない。

(4)決断力

 首長の判断力の誤りは住民に大きな損失を与えることは、この例でも理解できよう。20年4月に室戸市の温浴施設の指定管理者・ミクプランニングがすでに倒産状態にあった時、6000万円の財政支援の要求書が市に提出された。「支援しなければわが社は撤退するぞ」という内容だった。小生は「それを毅然と断り、撤退させ、新たに民間から指定管理者を公募すべきです」と求めた。しかし、市長は6月議会で4000万円余りの支援を決めた。その9カ月後の3月の当初予算でも支援したが、ミク社はその約6000万円のお金を持って撤退して行った。

 熟慮と優柔不断は紙一重という。思いきって決断すべき時に躊躇すれば、優柔不断のそしりを受ける。上の例によって、室戸市民は二回で約6000万円の公費を無駄にどぶに捨てたことになる。

 リーダーに必要な能力は、問題に応じたその見極めであり、決断である。決定を下さないといけない時には決断する、決定を下してはいけない時には決断しない。これが「見極め」を基にした判断というものだ。決定を下さないという決断も首長にはなくてはならない資質と言えるし、動に転じなければならない時に不動であれば、首長としての判断力と決定能力を問われることになる。

 そんな首長として判断力と指導力に欠けた人物が意思決定機関のトップにつくと住民は哀れであるし、不幸だ。


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