青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

支えて下さった方々にお礼のあいさつ回り

2011-12-28 | 私の絵画制作活動
 12月に入り描き始めた作品「樹根Ⅱ」(P100号)。

  

  

 写真上はまだ下描き程度ですが、正月前の大掃除があるために制作を中止した24日ごろの絵(写真下)にはもっと作品らしさが出ていると思います。

 題材は室戸岬突端に根を張った、あこう樹。室戸高校時代、先生から依頼されて描いたあこうの樹根の絵が同校の機関紙の表紙に掲載されたこともあるなど、力強さと伸びたその樹根のバランスの良さに私は魅力を感じている。室戸高校の学生時代から自転車でやってきて描き、20歳を超えると車で来て描き続けているテーマです。

 でも、まだ30%程度の仕上がりで、完成は1月末ごろになるのではないかと思っています。 

 これも一連の「青空地質博物館シリーズ」の一つで、シリーズ第5作目となります。

 
 さて昨日は、人生で最悪の痛手を負った年の年末に際し、これまでの地域づくり活動をしていた頃や手書きの地域雑誌『あおぞら』を発行していた時代、そして市議時代に「谷口、頑張れ」と応援して下さっていた方々にお会いし自作の「七福神乗合宝船」の絵を利用して作成した年賀状を手渡しながら、これまで長い間お世話になったことと、今年の市議選で支援して下さったことに対するお礼のあいさつ回りをしてきました。

 そのどなたもが4月の市議選のことを取り上げ、私の心情を慮って下さり、「ほんまに残念やったねえ。何であんたを室戸の人は落とすろねえ、室戸の市議会で一番仕事をしよった議員やに」と慰めの声を掛けて下さった。

 中には自営業をしておられる方で、「あのジオパークも谷口さんが平成3年の『あおぞら』で特集を組んで“室戸の地質を観光振興事業に活かそう”と呼びかけ、そのあとも平成8年と20年にも特集を組み写真集を出版して訴え続けてきたもんで、選挙の時にジオパーク事業は私が考えたみたいに言っていた元県議や市長や市会議員が提唱したもんやないぜねえ」 と言って下さる方もいた。

 思い出しながら話していると段々腹が立ってこられたのか、「ホンマに腹が立つきんねえ、室戸の人には! あんたみたいな真面目な議員をなぜ落選させないかんろう。 議員報酬分の仕事をしよう市会議員は谷口さんだけで、ほかの議員は議員報酬分の仕事をしてないやないか。 ほんまに室戸の人は変わっちょうきんなあ! ほんまに変わっちゅうき」

 私の心情を慮って下さっているんですが、まるで私が悪くて怒られているように思えるほど、その方は私が店を出るまで市民が私を落選させてしまった判断にご立腹でした。

「K店さま、言って下さったことはごもっともな話です。私は今でもそう思っております。あなたの言う通りでございます。お怒りの気持ちはよくわかりますが、私の怒りはそれ以上でございます。又、地域リーダーとして、地域雑誌の編集長として頑張ってきた私を支え続け、そして地方議会の改革派議員として頑張っている私が落選したことを惜しみ残念がって下さるその気持ちに感謝しています。これからは室戸のためじゃなくて自分のために小さいころからの夢だった画家の真似ごとをして余生を送るつもりです。今後ともお付き合いのほど、何卒よろしくお願いいたします」


※電子情報誌「高知発!青空エクスプレス」は、12月28日(木)付けGooブログランキング(166万7222ブログ)中、5644位でした。
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室戸市の公職選挙法(第221条1項の3)違反事件

2011-12-25 | 政治家のあり方
 昨年末にも警告的に記事にしたが、思うところあり、首長選挙や市区町村議会議員選挙において公職選挙法違反を犯すとどんな刑罰に科せらせるかを、今日もう一度書いてみたい。


 平成15年から23年4月まで室戸市議会議員させていただいた小生の選挙手法と言えば、女房と二人だけで行うという、全国的にも珍しい変わった戦い方をする候補でした。

 選挙の前も選挙運動期間中も、動いてくれる支援者は誰ひとりとしていません。なぜかと言えば、もともと選挙資金がないからと、運動員を連れての選挙はムダとしか言えないおカネが湯水のごとく出ていくことを知っているから、支援活動への参加をすべてすべてお断りしている。(決して、この議会一仕事をする議員に支援の手を差し伸べて下さる友人や知人がいなかったわけではないので、念のため)

 だから、選挙事務所にした車庫には近所の知り合いのおじさんがたまに来て座ってくれているだけ。そんな選挙。そんな変わり者だから、お金を使うのは必要最低限の公選はがきと看板代などにだけで、選挙にはまったくと言っていいほどおカネを使わない。こんなだから、毎回、落選の恐怖を感じながら選挙運動をしていました。(さすがの私も今年4月、選挙妨害事件に拠って落とされるとは予想してなかった)

 最初の15年の時が合計97000円、19年の選挙では自作の看板制作費用が要らなかったために45000円ですませた。今度の選挙では2700円だった。そんな変わり者。それで落選したから、「市民は議会に私を必要としなかったんだ」と納得している。


 さて、このように、小生は「選挙犯罪」とは縁がない地方政治家だったが、国会議員や県会議員、市町村首長選などの大きな選挙や、市町村議選でも立候補者がたくさんのスタッフを連れて行う選挙、その他、出馬を決めたときから落選の予感を感じている候補の選挙等のうち、中には“あらぬ行動”に出る候補がいる。

 法律を知らないで違法行為を行う候補や、法律を知っていて平気で違法を行う者がいる。

 元市職員なら公職選挙法など十分知っているものだが、違法を知っていてその違法行為を実行するんだから、始末に負えん。

 「あらぬ行動」とは、自分には当選する自信がない候補が行う、カネや物品を使った不浄な選挙のこと。つまり、公職選挙法違反の買収行為である。


 では、選挙に立候補すると選挙管理委員会からいただく『地方選挙早わかり』から、その公職選挙法の罰則について解りやすく紹介します。

公職選挙法 第十・罰則 (1.買収罪)

(1)利益供与、職務供与または供与接待の罪・・・当選を得もしくは得させない目的で、選挙人または選挙運動者に対して金銭、物品その他の財産上の利益もしくは公私の職務の供与、その供与の申込み若しくは約束し、または供応接待、その申込み若しくは約束した時は、三年以下の懲役もしくは禁錮または五十万円以下の罰金に処せられる。(法221)

(2)利害関係誘導の罪・・・当選を得もしくは得させまた生えさせない目的で、選挙人または選挙運動者に対して、その者又はその者と関係ある社寺、学校、会社、組合、市町村等に対する様子い、小作、債券、寄附その他特殊の直接利害関係を利用して誘導した時、この罪が成立する。(法221)

(3)事後の報酬供与罪・・・投票をしたこと、投票をしなかったこと、選挙運動をやってくれたこと、止めてくれたこと、又はこれらのことについて周旋、勧誘をしてくれたことに対する報酬として、選挙人または選挙運動者に対して、(1)に掲げる行為をした時も、(1)と同様の罰を受ける。(法221-1-3)

(4)利益の収受又は要求罪・・・(1)または(3)の供与なり、供応、接待を受け、もしくはこれを要求したり、(1)または(3)の申し込みを承諾したり、又は(2)の利害誘導に応じたり、もしくはこれを促したりした時も、(1)から(3)と同様の刑に処せられる。(法221)

(5)買収のための金銭物品授受の罪・・・(1)から(3)のところで説明した行為をさせる目的で、選挙運動者に対して金銭や物品を渡し、あるいは渡すという申し入れもしくは約束をした時、または選挙運動者がそれを受け取り、あるいは渡すことを要求し、もしくは渡すという申し込みを承諾した時も、また、(1)から(4)の買収行為と同様の刑処せられる。(法221)

(6)買収の周旋または勧誘罪・・・(1)から(5)までの買収行為を周旋したり、あるいはそれを勧誘した時も、同様の刑に処せられる。(法221)

(7)選挙事務関係者及び警察官が罪を犯した場合の刑の加重・・・(法221)

(8)候補者等が罪を犯した場合の刑の加重・・・公職の候補者、選挙運動総括主宰者、出納責任者、実質的に出納責任者に相当する者、または地域的な選挙運動の主宰者が(1)から(6)までの罪を犯した時も、同様にその刑は加重される。すなわち、その刑は、四年以下の懲役もしくは禁錮または百万円以下の罰金である。(法221)

(9)多数人買収及び多数人利害誘導罪・・・(法222)

(10)候補者等の多数人買収罪・・・(8)に掲げる者が(9)の罪を犯したときは、刑が加重されて、六年以下の懲役または禁錮に処せられる。(法222)

(11)常習的買収罪・・・(法222)
(12)立候補辞退当の買収罪・・・(法223)
(13)立候補辞退当に対する事後の報酬供与罪・・・(法223)
(14)立候補辞退当のための利益収受又は要求罪・・・(法223)
(15)立候補辞退当のための買収、事後の報酬供与等の周旋勧誘罪・・・(法223)
(16)公務員、候補者等が罪を犯した場合の刑の加重・・・(法223)


 では、ここから記事の核心に入ります。

 候補などが多くのスタッフを連れて選挙運動を行う前に当選することを目的に選挙運動員などに金や物を渡したり、また反対に要求したりすると、買収の罪に処せられます。また、選挙が終わった後も、選挙運動をやってくれたことなどに対する報酬として、選挙運動員に対して金や物を渡したときは、買収の罪で、三年以下の懲役もしくは禁錮または五十万円以下の罰金に処せられます。

 更に、その行為を候補者が行った場合は、刑が加重されて、四年以下の懲役もしくは禁錮または百万円以下の罰金に処せられる。
 また更に、その候補者が多数の選挙運動員に対して金や物を渡して回ったときは、刑が加重されて、六年以下の懲役または禁錮に処せられるということです。

 つまり、候補者が当選・落選を問わず、選挙後に夫婦で支援議員や選挙運動員のところを片っ端から回ってお金を配ると、「事後の報酬供与の罪」で、六年以下の懲役で百万円以下の罰金という罪になる。

 あっ、そうそう、忘れてました。勿論、候補者がお金を渡すということはそれを受け取る人がいるということで、そのお金を渡した候補者は「贈賄罪」に当たるので、もらった人も同じく選挙違反の「収賄罪」になります。つまり、お金をやってももらっても買収の罪で逮捕されるということです。これは(5)の「買収のための金銭物品授受の罪」にあたる。

 皆さんの周りにそんな人はいませんか。あなたに心当たりはありませんか? 

 私はこの公職選挙法第221条1項の3「事後の報酬供与罪」に違反して選挙を行った室戸市の政治家を知っています。

 平成18年暮れの選挙が終わった一週間後の11月27日(月)のことです。金色のホンダ・ライフに乗って選挙で支援してくれた運動員の家を一軒一軒、お金を渡して回った当選候補夫婦がいる。

 選挙で応援した市会議員とあってか当家にも来てお金を渡そうとしたが、私が金に無欲だから受け取らなかった。

 私の議員事務所に入りその政治家の妻から封筒に入った金を渡されかけたが、「それはお金かね? そんな金はいらんぜ。選挙にもたくさんのお金が要っただろうし、そんなお金があるんやったら二人いる娘さんになんか買うちゃりや」と言って受け取らなかった。その情け深い言葉を聞いてその妻は目にいっぱい涙をためていました。

 そんなことがあったから、この公職選挙法違反の買収事件があったことをよく知っているのです。

 しかし、私以外の議員と後援会幹部などの所もお金を配って回っただろうが、私のような情け深い人は一人もいないので、間違いなく他の支援者たちはみんなそのお金を受け取っている。

 勿論、小生は政治関係者の違法行為を許さない非常に優秀な(?)地方議員だから、その旨は平成22年9月6日(月)に室戸警察署を通じて高知県警に告発してある。

 だから、今後のことは当局がその人物を逮捕できるか否かにかかっている。公職選挙法違反に熱心な警察官ならばその人物を任意で呼んで逮捕するだろうし、違法に関心がない警察ならば逮捕出来ないだろう。


 上のような悪質な贈賄行為をして当選した政治家や収賄行為をして政治を弄ぶ政治家は国の政治関係者にたくさんいるが、地方政治にも数多くいて、そういう悪人は長々とその職にとどまらず、警察に逮捕されて自らの恥を世にさらす前に今すぐ辞職し、一般人に戻ることだ。そうすれば警察は許さなくても、私は許してあげてもいい。

 歴史から学ぶべき点は多い。

 室戸市で政治に関わる者は、平成6年10月の室戸市において当時の中谷岸造市長や市職員、市議、建設業者ら大勢が消防庁舎汚職事件で逮捕されたことを忘れてはならない。

 又、平成8年11月には、再選されたばかりの大町行治南国市長が南国市発注の公共工事を巡る贈収賄事件で逮捕されている。市長室で210万円をもらった収賄罪に問われた。その時の高知新聞には「金まみれの地方自治」と大見出しが躍った。

 これらの悪しき出来事があったのを室戸市民はもう忘れてしまっているが、このことも忘れてはならない。室戸市において私だけはこのような政治犯罪は絶対にあってはならないことだとして、忘れてはいない。

 過去の歴史は教訓にすべきものである。


 国や地方の政治家に言っておきたい。

 国の政治家や地方の政治家も政治に関する国の法律もまちの条例や規則、要綱などのルールは法律・規則のうちに入らないとしか思っておらず、これを軽視し守らないが、法律は守るためにあることを忘れてはいけないしそれを基に政治も経済も動いていくものだから決して馬鹿にしてはいけないのである。法律を決して舐めてはいけないのである。これを守らなければ、そのうちきっとその違法行為をした政治家には天罰が下ると忠告しておきたい。

 最後に、政治に関する教訓を書いておきたい。

一円を嗤う者は、一円に泣く。法を嗤う者は、法に泣く

 そして、
後悔、先に立たず
ということわざもある。検挙されてからでは遅い。

 以上、今年23年4月末まで室戸市議会“特捜部”として懸命に働き、行政の不正を暴き議会改革に向け孤軍奮闘して戦ってきた元改革派議員の谷口總一郎より、全国の自治体関係者の皆さんに向け広く広報し問いかけます。

「このように、公職選挙法違反の容疑者と地方行政に関する法律や条例等の自治体ルールを守らない地方政治家がまちの政治を差配しているのをあなたたち住民が手をこまねいてただ見ているだけでいいものでしょうか」。

 お正月の休みの間、皆さんで話題にし、お考えいただきたい。


※電子情報誌「高知発!青空エクスプレス」は、12月26日(月)付けGooブログランキング(166万6637ブログ)中、4165位でした。
 年末のお忙しい中ご覧いただきまして、誠にありがとうございました。不正な政治家を許さない谷口は議員を退職した今も元気溌剌で頑張っております。来年は画家として制作活動に精を出しながら、政治の本分とは何たるかを主張する地方自治コンサルタントとしても活躍する所存でございますので、また御ひいきのほど、なにとぞ宜しくお願い致します。 
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「おんしに投票する奴は、みな馬鹿よ」後日談

2011-12-24 | 人間のあり方
 さて、昨日掲載したのは今年3月29日の記事の再録なんですが、そこで紹介した出来事や「市長の違法や不適正な予算支出を議会で批判した上、ブログで全世界に公表してしまったのは、けしからん。あの谷口を落とせ!」と批判する政治家やその後援会組織の選挙妨害が原因で、4月の市議選では残念ながら落選した。

 あれから9か月が経った今日、上に書いたその男とバッタリ出会いました。

 こちらはあれ以来「あいつはまともな人間じゃない」としか思っていないから無視していたが、無理やり話し掛けてきたから「ここであったが百年目」とばかりに、野外の寒風吹きすさぶ中で1時間あまり責め立ててやりました。


 「選挙の前におんしが教育委員会のフロアで言うた話と、選挙妨害事件に関わった政治家と市民には、おれは勿論のこと、女房も今だにカンカンになって怒っちょうぞ」。

 政治の重要性についてのなんたるかも解っちゃいないこの男が「じゃあ、18年の市長選は支援したのに、なぜ去年の市長選には支援しなかったんだ?」と聞いてくるから、それについても、微に入り細にわたり事実あったことを教えてやった。

 “18年11月の選挙を前にした4月末に市長選出馬を断念していた現小松室戸市長(当時は市職員で学校教育課長)だったが、5月初めに私から「市町村合併に関して市長になったら取り組んでもらえますか。取り組んでもらえるならば夫婦で支援します」と救いの手を差し伸べた。小松課長は「やります」と約束した。三回もうちの事務所に来て、そのたびに私は「取り組んでくれますか?」と尋ねたが、そのたびに小松課長は「やります」と明言し、出馬を決意して三度めにM後援会長を伴いやって来た時にもしつこいように取り組むかを確認、小松課長は「取り組みます」と明確に答えた。それについては、その後援会長もそばで聞いていて知っていることだ。

 そうして彼は市職員を途中退職して市長候補となり、やがて彼は当選して室戸市長となった。それが、権力を握って一年後の19年11月、小松市長は議員総会において議員全員に向かって「私は市町村合併に取り組む考えはありません」と宣言、私との約束を反故にしたんだ。当然、「えっ」と驚いた。そうして、おれとしたことが迂闊にも、その時ようやく騙されたことに気付いた。”


 それら経過のすべてをもっと事細かく教えてやった。

 「俺が手を差し伸べ、俺たち夫婦が支援してくれるという前提があって出馬を決意したもので、もし私が18年5月に出馬を促さなかったら彼の今の地位はなかったということだ。そうして、18年5月から選挙までの7か月は調査活動などで秘書のように働き、政策作りや新聞づくり、看板作りまでやった。それが権力を握った途端、“そんなことは知らん”とばかりに簡単に約束を反故にする。人を騙し利用するそんな人間をおまんやったら二度目も応援するか? せんやろ? 自分が権力を握るためなら人を騙す、そんな人間をもう一度応援するほど俺は甘くはないぞ」と。

 すると男の言うことにゃ、「すまん、そんなことがあったとは知らんかった。許してくれ」。

 「今の室戸市議会を見よったら市議会にはおまんみたいにいかんことはいかんと言う議員がおらんといかんことが分かった。それにジオパークもU元県議が提唱してきたものじゃのうて、まだジオパークなんて名前がついてなかった平成3年からあんたが「青空地質博物館」と名付けて提唱しずっと言い続けてきたことだということも最近、知った」。

 そう言い、「落ちたけんど、次の市議選に出たらえいやないか」だって。

 その男を叱りつけ、こう言ってやりました。

 「しらん! そんな言い訳は今更の話しで、本当のことに気付くのが遅い。俺がどんな思いを以って昭和61年からこれまで26年間も室戸市のために働いてきたか、おまんらは解っているのか。何にも知らんろが。昭和61年から家族に怒られながらも室戸の文化が高まるようにと願い、室戸が元気になるようにと願って、県や市のお金に頼らずに自分が働いて稼いだ金の中から次々と投資してきたが、そんなことも知らんろが。

 それを、『オイ、そーいちろう、おんしゃあにゃあ、委員会で賛成して可決したものを、なぜ本議会で反対らすらあや。それに質疑や反対討論までして。委員会で決まったことは賛成したらえいやないか!』つか。


 『おんしゃあ、共産党か!』。つか。

 『市議選も近いが、おんしゃあ、落ちい!』。とも言うたな。

 しかし、俺を悪く言うことは我慢できても私に投票してくれた市民に対し『おんし(お前なんか)に投票する奴はバカよや』。と言うたことは許せん!

 おれが『ほー、おらに投票してくれる人は、みんなバカか?』と聞いたら、おまえは

 『おー、そうよや。おんしに投票する奴は、みなバカよ!』
と言うたな。ふざけた話よなあ。

 おんしも自分が言うたことやきん、忘れてないろが。ふざけた話よなあ。あの時は教育委員会のフロアでたくさんの職員が聞きよったきん相手にせざったが、えい機会よ、言うちゃろ。

 議会で市民のために尽そうと一番努力しよう議員のおれを見込んで支援してくれよう市民が一番、物事のなんたるかが解っちょう賢い市民やと私は思うちょう。その人たちのことを『バカだ』と罵ったおんしを、おれは絶対に許さん。おれだけじゃのうて、もし4月に私に投票してくれた328人の市民が今年3月29日に市教育委員会とジオパーク推進室の前のフロアでおんしがあんな暴言を吐いたことを知ったら、その人たちもおんしを許さんやろな。おれの支援者一人ひとりに会うておんしの名前を教えちょいちゃろか? そうすれば只ではおさまらんやろなあ。

 言うちょくけんど、おれはもう金輪際、室戸市のためには働かん! 知恵も出さんし、金も出さんし、汗も流さん! そう心に決めちょう。

 そうさせてしもうたのは俺が悪いんじゃのうて、何が正しくて何が間違っているかを解らん、正義が分からん、公正性が分からん大勢の室戸の人たちよ。

 そんな人が多いきん、室戸はいつまでたってもこうやって良おならんと悪くなる一方よ。自分たち一般市民が不公正な政治家たちによって被害を受けていることも分からんと、選挙になるとそんな政治家たちを支援しよらなあ、おんしも含めて。それやきん、良うならんのよ、解るやろ?

 とにかく、これからの室戸は自己犠牲の精神に欠けるおんしらのえいようにしたらえいわ! 潰そうが良くしようが勝手よ。但し、言うちょくが、その室戸が衰退させてしもうた責任はおまえたち『谷口を落とせ』と動いた市民や室戸の政治家たちにあるんやきん、その時はその人間全員が腹かっ捌いて責任を取らないかんぞ。それが責任と言うものやきんな。逃げるなよ。言うちょくぞ」。


 悪くなりすぎた病気に薬は効かないものだ。ここぞとばかりにこう言ってやったが、50歳を過ぎての性悪は終世、直らない。私は人生訓として、そう認識している。

 その男は学生時代におとなしくてひ弱に見えただろう私のあまりの剣幕に驚き最後まで小さくなって謝り続けていたが、50年近くの年月が経ち鍛錬が足れば、人間は変わり、強くもなる。それは、先日書いた「あの1秒が後の45年を生んだ」の記事を見れば解ろう。一度死んだと思えばどんなことでも勇気を持ってできるものだ。


 最後にもう一つ言っておきたいことは、政治の何んたるかも分からない人間がまちの政治に関わる議員になったりしないこと。

 それと、地方自治の勉強の一つもしてない人間がまちの政治について訳知り顔で見当違いなことを言わないこと。特に私のように、議員として毎日真面目に勉強を深めながら、悪しき利権に汚れることなく、法律を守りながら公正・公平・適正な見地から真剣に働いている人には。
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「おんしに投票する奴は、みな馬鹿よ」(再録)

2011-12-22 | 人間のあり方
 (まず、今年4月の市議選の直前、3月29日に掲載した記事を再度紹介し。、明日、この記事に係る続編ともいえる本日あった出来事を紹介する。室戸に内在する悪質な政治的体質を物語る一つの証拠となりますので、もう一度、ご覧下さい。そして、記事の内容をよく読解し、今後の「室戸市の地方政治をいかに健全なものにしていくか」について考える一つの参考材料にして頂けたらうれしく思います) 

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 先日、こう書いた。
このように、市民の目は厳しい。議員が報酬分ちゃんと仕事しなかったら、手厳しい批判を浴びるのはごもっともな話である。「地方議員になるということは、住民から批判される立場になるということ」。 この根本原理を知らない議員がたくさんいます。

 上は「報酬分の仕事をしない議員」について書いたものでした。それが、市民は、より厳しくて「報酬分以上の仕事をしている議員」に対しても、市長の違法を指摘し批判し議案に反対したとして、こう言い放った市民がいます。

 この人の物言いには、立場なんて関係ありませんでした。場所は室戸市役所の3階です。

 「オイ、そーいちろう、おんしゃーにゃあ・・・」。最初からこんな高飛車で乱暴なものの言い方だった。町なかで出会った時の話ならいざ知らず、役所内で議員に対してこんな言葉を大声で吐く市民は、あまりいない。いや、一人もいないでしょうね。

 この人も、先ごろ記事に書いた“背伸び”している人の一人。礼・節をわきまえず、市長や県議とお近づきになったことが余程うれしいのか、古老議員に騙されているのか知らないが、場所もわきまえずに物を言う人でした。年齢は65歳にもなる、いいかげんにもう分別もついていなきゃいけないTという男。

 政治のなんたるかを勉強もしていない、政治のなんたるかを全く知らない無知な人間がこんなとんでもない暴言を吐いたのです。

 「オイ、そーいちろう、おんしゃあにゃあ、委員会で賛成して可決したものを、なぜ本議会で反対らすらあや。それに質疑(これは反対討論のこと)までして。委員会で決まったことは賛成したらえいやないか!」。

 どうです? すごいでしょう。

 もう最初から物の言いようが腹立ちまぎれでケンカ腰でしたが、それはこれまで私が市長の不適正業務に対し批判してきたことと公約違反として国保料値上げに反対したことに関して不満を持っているからと、すぐ分かった。

 この「何でもいいから賛成せよ」の話を放っておくわけにはいかないから、議会とはどうあるべきかを意見した。

 「委員会でみんなが賛成したとしても、違法など不適正な議案なら議員がそれに反対するのは当然だ。それが議員の仕事よ」。

 私の厳しい指摘が火をつけたのか、更に彼の暴言は続いた。

 そのうち、こう叫んだ。 「おんしゃあ、共産党か!」。

 この声は市役所3階の教育委員会のフロア全体に響き渡った。

 これには何とも言いようがなかった。これは、「議会で反対する議員は、みんな共産党」という戦後間もない頃の古い認識と古い感覚しか持っていないからに違いないが、これは本当にとんでもない失敬な話で、共産党の人たちに申し訳がなかった。

 周りには市職員約10名ぐらいがいて、私と彼のやり取りをいやな思いをしながら聞いていました。

 当然、ポンポン言い放たれる批判に対して言いたいことは山ほどあったが、こちらは公的な立場。一般市民の勝手気ままな言い破りの話に乗って同じように勝手気ままなことをいうわけにはいかなかった。それに庁舎の中でのこと。はらわたは煮えくりかえっていたが、グッと我慢しながら聞いていた。

 そうして、こんな言い破りの男に長く関わっていては職員の皆さんの仕事を邪魔するし自分の品格まで疑われると思い、その場を去ろうとして背を向け歩き始めると、追い打ちをかけるように後ろからこう言い放った。

 「市議選も近いが、おんしゃあ、おちい(落ちろ)!」。

 これでやめておけばいいのに、続けてこう言った。

 「おんしら(お前なんか)に投票する奴はバカよや」。

 男が室戸市役所の3階フロアで、私と私の投票して下さった市民に対しこう罵ったことをたくさんの市職員が聞いている。

 侮辱された私はともかくとして、私に投票して下さった物事の何たるかをよく理解した優秀な市民の方々まで侮辱したこのことは許しがたく、これにはカチンときて、去りかけたが立ち止まり、こう聞き返した。
 
 「ほー、おらに投票してくれる市民は、みんなバカか?」。

 「おー、そうよや。おんしに投票する奴は、みなバカよ!」。

 15年に私に投票して下さった505名の市民、19年に投票して下さった427名の市民の皆さんをこのように「バカ」呼ばわりする市長と県議の信奉者。「何でもいいから、議員はみんな市長が喜ぶようにしろ!」という考え方の理不尽さ、でたらめさ。言っていることが、フーテンの寅さんじゃないが、まるで“自棄のやんぱち日焼けのナスビ”、だ。市長の議会での答弁によく似ていると思った。

 これ以上その場におれば掴み合いのケンカになるから、腹が立っておれなかったがぐっと我慢して「そうか」とだけ言ってその場から離れ、2階に向かい階段を下りた。(私も大人になったもんだ。昔なら・・)

 周りにいてそのやり取りを聞いていた職員も私がその男にやり返す言葉を聞いて「大人しい谷口さんもあんなに荒っぽく怒るんや」と思ったかもしれませんが、議会と同じで、理不尽なことは性格として許せないのです。騒がせたのは申し訳ありませんでしたが、ご理解ください。

 ま、後で冷静に考えると大人げなかったが、男の言っていることのすべてが許し難かったため、つい言い返してしまった。

 役所内で議会一真面目な議員を罵り、私に投票して下さった市民まで「バカだ」と罵ったこの男は、違法であろうが何であろうが市長を助けるぞという、妄信的且つ積極的に市長を支持している人物である。

 政治家を支持することは何も悪いことではないが、応援するあまりに度を越して、こんな無茶を言ってはいかん。男が廃るし、市長も困るのではないかな。常識ある首長なら、「私をかばう気持ちはわかるが、そこまで言っては市民の反感を買い、こちらが困る」と間違いなく言う。

 彼が私の何に不満を持っているかは歴然としていた。私が市長が行った高速バスターミナル設置に関する違法を追及し、また今回も市長が1年前の後援会新聞で「国保料を値上げしません」と公約していながらなぜ値上げするのかと反対討論したことに不満があって、議会のルールも知らないまま「委員会で賛成して可決した議案だから、本議会で反対なんかせず、大人しく賛成しろ」という、理屈にもあわない不満をぶつけてきたということです。 

 世間ではこういうルール違反も平気な人を指して、“横紙破り”という。

 それと、一番初めに書いた記事をここで少し訂正させていただく。

このように 市民の目は厳しい。議員が報酬分ちゃんと仕事していても仕事をしてなくても、手厳しい批判を浴びるのはごもっともな話である。「地方議員になるということは、住民から批判される立場になるということ」。 私も含め、この根本原理を知らない議員がたくさんいます。≫と。

 議員としての職責を果たすべくちゃんと仕事をしていても、市民の皆さんの中にはこの男のように議事の運営の流れや「議員は如何にあるべきか」の職責なんか全く知らない人もいますから、批判されるということになりますが、「おれは市長を応援しているんだ。だから、委員会で賛成して可決した議案に、討論で市長を批判したりせず、本議会の最終的な表決でも反対なんかしないで、賛成せよ」なんて話、議員の権利や判断を何と思っているのかと首をかしげる。

 この男の言い放った、
 「そーいちろう、おんしゃーにゃあ、委員会で賛成して可決したものを、なぜ本議会で反対らすらあや。それに質疑(反対討論)までして。委員会で決まったことは賛成したらえいやないか」

の暴言を聞いた時、この意見も思い出しました。「あっ、同じだ」と。

 昨年聞いた、市長選の後援会で市長を支えた人の意見が、
 「違法でもえいやないか、それで室戸が良くなったら」。

 この二つ、「市長のために議員みんなが議案に反対せず、賛成してやればいいんだ。市長が喜ぶことならその議案が違法であっても杜撰な計画であってもいいから、賛成すればいいんだ。そうすれば室戸は良くなるんだ」の考え方。両方とも基本は同じです。

 「市長のために、何でもかんでも、みんなこぞって賛成せよ」。

 笑ってしまいますネ。これでよければ議会はいらんやないか!

 議員が行政が行う違法や不公正・不公平、不適正に目をつぶり、何んの指摘もしないし改善策も提案できないようなら、議会なんか無いに等しい。だから、議会はいらない。金も食うし。

 これで市民がいいと言われるならば、今度の市議選もしなくてもいい。議会をなくすことで浮いた議会費の年間1億円は全額住民サービスに向けよ! そうすれば市民の皆さんは喜ぶだろうし、小松市長もこれまで以上にやりたい放題できて、大喜びするだろう。

 それに、市長を妄信的に愛する先の暴言男ほどではないと思うが、市長の不適正さをよく認識しながら支援している後援会の皆さんも、議会がなくなれば市長に無批判で寄り添う議員はもちろんのこと、私のように行政業務を徹底調査をして不適正さを徹底批判する議員もいなくなり、楽になること請け合いです。但し、市職員が高圧的な市長の指示命令で今の何倍も苦しむことになるのは、疑いようもない。

 議員が、行政が行う違法や不公正・不公平、不適正に目をつぶり、何んの指摘もしないし改善策も提案できないようなら、議会なんか無いに等しい。これでよければ議会はいりません。

 議会が必要なのか、それとも議会は必要ないのか、それを決めるのは市民です。

 もし、議会が必要とならば、市長が不適正な議案を議会に提出した時、行政を監視しチェックするのが役目である議員がそれを批判し、追及し、改善を求めることになる。議員の役目は市民への情報公開や議会報告、そして議会改革など他にもまだたくさんありますが、まずこの「行政のチェック」が重要な職務といえます。


 市民の皆さんは、このどちらかを選べばいいのです。市長が暴走しないよう、行政が過ちをしないよう方向づけるために議会を置くか、それとも「おれが支援している市長の邪魔になるから」と議会を無くすか。

 市民の皆さんどうしますか? お伺いいたします。

 わたしはどちらでもいいです。これまでの8年間、自分では本当によく頑張ってきたと思っているから、議員を続けられてもいいし、議会がなくなってもいいし。市民の皆さんが望む形を作ればいいと思っています。

 私の言っていることは、無茶なことでしょうか? 筋が通った話だと思いませんか?


 「筋が通った」と書いて、思い出しました、私が初めて市議選に出馬した時のことをお話しましょう。

 15年4月の市議選の時、室戸岬町津呂の西下町の街頭に立ち、港を取り巻く家々の皆さんに向かって演説をしていました。そして、演説を終えて次の演説場所に向かおうと車に乗りかけると、そこにかつて遠洋マグロ漁船の船主をしておられた釣井高明さんが自宅から出て来て、こう話し掛けてきた。

 「谷口君、おまんの演説は筋が通っちょう。ワシはおまんを応援するきん、がんばってやりよ」。

 初めて気がついた。「そうか。自分の演説は筋が通っちょうんか」。そして、「言っていることは間違ってなかったんだ」と。

 この方はそれから3年ぐらいして亡くなられましたが、可笑しいことには「おかしい」と、理路整然とした形で論点をまとめ構築してから、勇気を以って堂々と発言することの大事さ、それをその時、釣井さんが教えてくれた気がしています。

 それから、初当選して議員になり8年になりますが、議会で発言する時にはその教え、「筋が通っていること」の重要性を噛みしめ念頭におきながら毎議会登壇して、質問し、質疑し、討論に臨んでいる。


 健全な筋の通った批判をしているからこそ、それを面白くないと考える議場内と議場外にいる市長支持者から筋違いの反発があるのですが、譬え市長の信奉者に「おんしに投票する奴は、みなバカよ!」と罵られようとも、議会があって、議員の職を与えられる限り、これからも可笑しいことには「おかしい」と正義の精神を基にして発言し、4年後に職務を全うしたいと考えています。
 
 私を応援して下さる素晴らしい有権者の皆様のため、これからも精一杯、頑張ります!! 私は負けません!

 引退するまでに私を議会から排除しようとするならば、殺すしか他に方法はない。

      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(この後日談について明日掲載いたしますので、ぜひともご覧いただきたい)

     

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政治家鑑定七カ条

2011-12-21 | 政治家のあり方
 「昔々、中国に諸葛孔明という武将がいた」、そうです。

 自分で言うもなんですが、私は正直者だから、あまりよく知らない人物のことを知ったかぶりなんかしません。だから、そう言っておこう。

 昔々の中国に『三国志』の物語があってそこにたくさんの著名な登場人物がいたことは知っていたが、長くて広範囲にわたる歴史物語ゆえ、今の今までそれぞれの名前は聞いて知っていてもその歴史や足跡についてはあまり関心がなかった。だから、この諸葛孔明について知らなくても、それはそれで仕方がありません。

 ということで、これは受け売りですが、「諸葛亮 孔明」とは中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍略家で、その数多い三国志の登場人物の中でも随一の人気を誇るのが孔明(らしい)。戦乱の世に勇猛な武将が幅を利かせる中、知性派として数々の功績を残した(らしい)。劉備の家臣としてその能力を発揮し、「三顧の礼」(目上の人が格下の者に対して三度も出向いてお願いをすること。劉備が諸葛亮を迎える際に三度たずねたことに由来)で知られ、「天下三分の計」(後漢末期に諸葛亮が劉備に説いた戦略)を説いて希代の軍師と名を馳せ(たようであ)る。

 そんな諸葛孔明が残した言葉に「人物鑑定法」というものがある。

(諸葛孔明の人物鑑定法)

一、ある事柄について善悪の判断を求め、相手の志がどこにあるかを観察する。
二、ことばでやりこめてみて、相手の態度がどう変化するかを観察する。
三、計略について意見を求め、それによって、どの程度の見識をもっているかを観察する。
四、困難な事態に対処させてみて、相手の勇気を観察する。
五、酒に酔わせてみて、その本性を観察する。
六、利益を誘ってみて、どの程度清廉であるかを観察する。
七、仕事をやらせてみて、命じたことおりにやり遂げるかどうかによって信頼度を観察する。


 この七項目は、リーダーの立場から部下を評価する手がかりとして述べたものですが、広く人物鑑定法としても当てはまる部分が多い。

 唯、私はこの“人物鑑定七カ条”を論語について検索していて見つけたとき、これは「人間のありよう」としても使えると思い、文面を置き換えてみた。それが次の「政治家鑑定七カ条」です。ちょっとこじつけのような部分もあるが、上の一から七までの「人物鑑定法」と比較しながらご覧頂けたらと思います。

(谷口總一郎の政治家鑑定法) 

一、全ての事柄について法令を順守し、公平・公正・適正かをよく吟味した上で、住民目線の健全な判断を下し、我欲は捨てて志を立てる。そんな人。

  (組織のリーダーたる人間が、法律はことごとく守らないし、財政には疎くて大金を無駄に遣って“死に銭”にしてしまうし、事業計画書は収入と支出の計算が全く破たんしているにもかかわらずそれで良しとする。これらのことで、その人物が善人か悪人かが分かる)

二、悪事を見たら臆することなく、手加減もせず、その想いを簡潔に核心を突く言葉に置き換えて、真正面からぶつける勇気を持つ。そんな人。
  (そのことによって、善人なら謙虚に改めるし、悪人なら「これは正しい」と言い張って更に悪事に突き進んでいく。これらのありようで、その人物が善人か悪人かが分かる)

三、事業を興す時、周りにいる部下や番頭格、議員、友人・知人など助言者から多くの意見を求め、それが自分の構想に対して否定的な指摘であったり改善を求められたとしても、その指摘が妥当で、的を得ていると率直に感じ取った時には、謙虚に、そして即座に誠意を以って考えを改める。そんな人。
  (部下であろうが、番頭格であろうが、友人であろうが知人や恩人であろうが、いったん力を得ると人の言うことには耳を貸さず、間違った方向に問答無用で突っ走る、そんな人生はやがて破たんする。でも、そんな人物は破たんするまで他人の意見を聞かないから、行き着くところまで行って、やがて止む) 

四、突然事業が行き詰まることがあっても、迷うことなく毅然として正しい判断を下し、将来に禍根を残すことのない行動をとる。そんな人。
  (自分の組織と関係が深い倒産寸前の会社から「数千万円の支援がなければ撤退するぞ」と脅しにも似た要求をしてきた時、「そんなに急に帰られたら困る」と慌てふためき、その要求を飲む。それを一年の間に二度も飲む。案の定、その会社は一年後、まちの人たちのお金であるその数千万円を持って東京に帰ってしまった。とても健全な組織経営と言えるものではないが、町の人たちはその人物がその時、愚かな判断を下して大失態を犯したことを全く知らない。それを知っている一部の人たちも目をつむっている)

五、人物の本性は酒を飲まさずとも、金と職を得たあとの振る舞いでよくわかる。善人は金と肩書を欲しがることなく職務を粛々と遂行して、いつも清廉潔白である。そんな人。
  (だが、欲深い人と悪人は金がなければ仕事しないし、金があっても仕事しない。人より高い地位に就きたがり、高い地位じゃないと真面目に仕事をしないし、高い地位に就いたとたん法律を無視し守らなくなるし、その権力を振り回して正義の声に耳を傾けなくなり、聞くのは利害関係にある人の声だけ)

六、利益や権利、権力を手にすることなど全く考えたことなどなく、無私の心で自らの財産を投げ打ってでも地域に尽くし続ける。そんな人。
  (いつも権利や権力を手にすることばかり考え、そのためには大恩ある人でも騙すし、陥れるし、利用もする。そのくせ、大恩ある人が困っていようが、谷底に落ちかけていようが、助けようとしない。そればかりか、恩人から「人を騙してはいけない」、「人の道に外れた行為だ。改めよ」と教示されると逆切れして、恩人に向かって怒り狂い、仲間とともに排除しようとする)

七、仕事がいつも几帳面で、基本を踏まえて揺るぎがないから信頼でき、いつも安心してその仕事ぶりを見ていられる。そんな人。
  (土佐では仕事ぶりが小汚い様子を「やることがせこい」とか「やることがへすらこい」とか「えてこすり」とか言う。この言葉は、ちょっと悪質な面がある様子を表現する。例えば、ここに一人の政治家がいます。その人は他人に「これをやってくれんか」「あれをやってくれんか」と頼むことは人一倍エライ。それを当たり前のことだと思っている。だが、その頼まれた人が困った時にその人物に「すみませんが、助けてくれませんか」とお願いすると、「いやその日は忙しいから」と逃げる。しかし、その日はヒマをしていた。つまり、他人を使うことはエライが、恩人のために尽力したり助けたりすることはない。そんな“されること”ばかり期待している政治家。だから信頼度はゼロなんだが、選挙になるとその人の本質を知らない人たちと本質は知っているが利害を優先する人たちの支えで、いつも勝つ。でも、人生、いつまでも人を騙せるわけではない)

 以上、俄かづくりですが、それほど的を外してもいないでしょ? 諸葛亮公明の「人物鑑定法」ほど文章は明快ではないが、それほど参考にはならないということでもないでしょう? よければ参考にしてください。

 もう一度、要旨だけを書き連ねて終わりとします。

(谷口總一郎の政治家鑑定法)

一、全ての事柄について法令を順守し、公平・公正・適正かをよく吟味した上で、住民目線の健全な判断を下し、我欲は捨てて志を立てる。そんな人。

二、悪事を見たら臆することなく、手加減もせず、その想いを簡潔に核心を突く言葉に置き換えて、真正面からぶつける勇気を持つ。そんな人。

三、事業を興す時、周りにいる部下や番頭格、議員、友人・知人など助言者から多くの意見を求め、それが自分の構想に対して否定的な指摘であったり改善を求められたとしても、その指摘が妥当で、的を得ていると率直に感じ取った時には、謙虚に、そして即座に誠意を以って考えを改める。そんな人。

四、突然事業が行き詰まることがあっても、迷うことなく毅然として正しい判断を下し、将来に禍根を残すことのない行動をとる。そんな人。

五、人物の本性は酒を飲まさずとも、金と職を得たあとの振る舞いでよくわかる。善人は金と肩書を欲しがることなく職務を粛々と遂行して、いつも清廉潔白である。そんな人。

六、利益や権利、権力を手にすることなど全く考えたことなどなく、無私の心で自らの財産を投げ打ってでも地域に尽くし続ける。そんな人。

七、仕事がいつも几帳面で、基本を踏まえて揺るぎがないから信頼でき、いつも安心してその仕事ぶりを見ていられる。そんな人。



 以上、諸葛孔明ってオジサンは知らないけれど、師の教えを模倣し、政治家の人物評価の方法として創造しました。では!


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あの時の1秒が後の45年の人生を生んだ

2011-12-13 | プライベート
 私も、もう65歳。10年するかしないかで人生を終える歳ごろになりましたので、一度、自分の人生を振り返って思い出話をしてもいいころ合いだと思いまして、今日は若かりし頃のことをお話しさせていただきます。

 暇つぶしのつもりで、軽い気持ちでお読みいただきたい。

 ある体験から、自分の得にはならないこんな生き方をするようになった人間も世の中にはいるんだと、笑ってやって下さいまし。


 小生、子どもの時は体が弱くて、小学生から中学生にかけて長い間いじめを受けていた。それが発端となって、社会に出ると何事につけても他の人に負けるのが嫌で、とことんまでやらなきゃ気が済まなくなった。

 イラストレーターを目指したが父親に「学費は出せない」と言われ、大学進学を断念。地元の高等学校を卒業した私は18歳の時から家業である杉銘木製材所で働きながら、丸太や製品を大型トラックに積んで県外に運ぶ仕事も兼ねて働いていました。

 そんな小生が20歳のころ、製材所で挽いた製品を大型の6トン車に満載して大阪銘木市場まで運搬していて居眠り事故を起こす寸前で事なきを得たことがあり、45年も過ぎた今でもその時のことを思い出すと身ぶるいがする。

 そんな流れの話を今日はさせていただきます。


 まず、小さいころのことから順を追って話すと、小学生の頃は、30センチぐらいのバス乗降口のステップも家の上がり框もそのまま上がることができないほどひどい栄養失調で、虚弱体質のひ弱い子どもでした。特に症状がひどかった小学3年生の時には、2学期の9月から12月までの4ヵ月間の大半を病欠するぐらいひどい状態でした。その情けない姿の所為でいじめやすかったんでしょうね。学校に行き休み時間になると上級生、同級生、下級生を問わずに呼び出され、理由もなく頭や腹を殴られて、屋上や校舎内の物陰で倒れた。授業が始まっても腹や頭が痛くて立って教室に入ることもできない時もあって、何度、悔し涙を流したものか。

 この事件のことを先生に言うとまた人をいじめるだけが趣味の悪童たちに殴られることは解っているから自分からは言わなかったが、いつも私の友達が職員室に走り、先生に通報した。

 して、このことを聞きつけた先生はどう対応したかと言えば、殴った何人もの子どもたちを職員室に呼びつけ叱るのかと思えばそうではなく、職員室に呼ばれ説教されるのはいつもいじめられた方の私でした。だから、殴られた方の私は殴られて悔しい思いをし、先生に職員室に呼ばれて説教され、「なんで俺が叱られんといかんのか」と悔しい思いをしていたものです。体が元気になるにつれいじめられなくなった中学2年ごろまで、こうして悔しい思いを抱えながら学校生活を過ごしたものです。「情けないやっちゃ」と笑ってやってください。

 今の子どもたちはいじめに遭うとすぐ自殺してしまうが、その時の私は「今に見よれ、今に見よれ。大人になったらお前らに負けないおれになってやる」と自分に誓った。

 そうして、体が軟弱であるがために7、8年間、いじめられっ子だった私は、家では勉強してるか、漫画や映画俳優の似顔絵を描いているか、それとも学校が終わって家に帰るとすぐに親父に「そういち、工場の手伝いをしてやれ」と呼ばれ、「宿題があるもん」と言っても問答無用で工場の中の掃き掃除をさせられたり、売れたマキをリヤカーに積んでその家に運搬したり、テーブル(製材機)の前取りをさせられたり。兄弟は4人いるんですが、仕事に駆り出されるのはいつも私だけ。「父も病弱な私のことを思って仕事で使っていたのかもしれない」、40歳、50歳ごろになってこのことをようやくそう思えるようになった。

 戦後十年経つか経たないかの昭和20年代末から30年代初めの私はそんな情けない子供でした。

 そんな虚弱体質の私も、高校生あたりになると国の食料事情も好転してきたこともあって、痩せてはいたが少しは普通の健康体になっていた。

 2年生にもなると当時、昭和30年代後半に“イラストレーター・ビッグスリー”として有名だった伊坂芳太良、宇野亜喜良、横尾忠則などにあこがれ、美大に進学して、将来はイラストレーターになろうと目指した。しかし、製材所を経営する父親は、私が美術大学に進学することには反対だった。家業で稼いだお金を子どもの学資に費やすことを良しとせず、私が「画家じゃのうて、商業デザインのイラストレーターやきん、努力すれば飯は食えるようになる」といくらいっても、そのころは年配の明治大正生まれの人間に“イラストレーター”と言っても解るわけもなかった。

 進学担当教師も父を説得するために家に来てくれたが、親父は先生の言う話にも頑として一切耳を貸さず、「絵描きじゃ飯は食えん」、「うちの製材の仕事を手伝え」の一点張り。そのため、美大なんかに苦学して4年間も通えるわけがないことも解っていたので、結局、卒業まじかの3年生の2学期だったか、美術大学への進学を断念した。

 こうして目指した武蔵野美術大学や日本大学芸術学部の入試も受けさせてもらえず、イラストレーターになる夢はそこではかなく消えてしまったのでした。

 人間、夢に向かっているとき、その道(目標)が完全に途絶えると、それまで進もうとする他の道を考えたことがないがためにまったく意欲を失ってしまい、それからの生きる方向性も見失ってしまうものだと、その時に悟りました。

 そうして、3年当時の学力は上位にいたのですが、その無念な気持ちは解消されないまま、地元の県立高等学校を卒業すると家業である製材所で働き始めます。

 初めて社会人となっての仕事ぶりは子どもの頃いじめられたことに反発するように、いつも「他の職人の倍働いてやろう」「他のやつらに負けてたまるか」と激しかった。ただ、どう考えても家業である製材所での仕事は自分が子どものころから夢とする職業ではなかったので、自分で商売をしたいと考え始めた35歳ごろまで、いつも「1度しかない自分の人生はこれでいいのか。この製材所社員としての仕事で一生を終えてお前はそれでいいのか」と自問自答し、疑問を抱き続けていた。

 さて、そろそろ「あのときの1秒が・・」の本題に入ろう。

 今は車に乗って2時間で走る室戸―高知間ですが、当時の国道は狭い道だったがためにすれ違いや渋滞に時間が取られ、いつも片道4時間から5時間かかっていた。だから、高知に丸太を積みに行く日は市場に朝8時に着くように朝の混雑を避け、いつも午前4時ごろに室戸を出た。

 その日も朝早く午前4時に室戸岬町を出て、当時1車線しかなかった室戸―高知間の国道55線を片道4時間かけて高知市高須の高知銘木市場に丸太を積みに行き、午後1時から2時ごろにようやく室戸に帰り着く。帰ると大急ぎで積荷の丸太を土場に降ろし、今度は製材所に勤務する職工みんなが集ってきて、直径1mや1.5mもの杉銘木の大材を挽いて製品にした杢盤や柾盤、天井板、柱、長押(なげし)、廻り縁、天井竿などの製品をトラックに積み込む、野外での仕事。夏場などは大汗をかき、息も絶え絶えになっての作業になる。それが3時間から4時間続いて、終わる時間はいつも定時の午後5時を回っていました。

 そうして、休む間もなくすぐに夕飯を食べて風呂に入り、午後6時ごろには市場のある大阪に向けて走り始めます。

 走り始めると疲労困ぱいした体も一段落するのか、徐々に落ち着いてくる。(それが車の運転の面でいけないんですが…)

 今の40歳代以下の若い人たちにはわからない話でしょうが、当時の国道55線といえば今のように四国に高速道路があるわけはなく、室戸から大阪には徳島、鳴門、淡路島、明石(または神戸)へと走り、やっと名神高速道路に乗り大阪や名古屋の銘木市場に到着する、そんな行程。だから、室戸から徳島までの道のりも、集落のある場所に舗装がしてあるだけで、集落を過ぎた他の国道はすべてデコボコした土や砂利の道でした。特に国会議員の力の差から、高知県側はまったく手つかずだったが、徳島県に入ると道路改良がどんどん進んでいたことを覚えている。

 だから、当時は新聞でもこの高知県の道路事情の悪さを「酷道」と評して、批判的に書いていたものです。

 佐喜浜町から野根までのように道路は大型車の車幅ぐらいしかないし、左は切り立った山。運転席のすぐ右側も危険な崖になっていて、油断すればすぐ10mも20メートルもある崖下の海岸に転落する、そんな危険いっぱいの、いわば林道程度の国道が続いた。

 室戸から徳島県福井や阿南市あたりまでの道も、とにかく悪かった。甲浦から徳島県阿南市まで続く甲浦坂や八坂八浜などの山間部に入れば曲がりくねり、路面はといえば重量物を摘んだトラックのわだちが作った中央が盛り上がった道路で、夜ならば光ってくるライトで対向車が来ていることが事前に解るために手前で待機することができたが、昼間にカーブで対向車と行きあうと重量物を積んだ自分のトラックは右か左に大きく傾き、道路から転落寸前となった。だから大型車に乗った時は、昼間は気を抜かずに走っていないとたびたび衝突寸前の場面に遭遇するので、昼間よりも夜の方が安心して走ることができたものです。

 そうして大型トラックに積載量の倍(今だから言えるが)の銘木製品を満載して室戸―甲浦ー牟岐ー日和佐ー阿南ー小松島ー徳島―鳴門と走り、そこからはフェリーで淡路島の福浦に渡り、洲本を経て岩屋からフェリーで兵庫県の明石に向かって北上する。そのあとは、西宮から名神高速に上がり吹田で下り、大阪銘木市場のある鳥飼を目指す運送の仕事。


 さて、高等学校を出て2年目、そんな仕事をしていた二十歳(昭和41年)の夏の夜に体験したコワーイ、こわーい出来事です。(お化けは出てきやしませんが)

 早朝に室戸を出て高知に行き丸太を積み帰ると今度はまた製品を積んで走る、昼間の重労働に加え午後6時から7時間ほど走り通してきた、いつも徳島市あたりからその疲れが出てきてウトウトし始め、その日は鳴門から淡路島にフェリーで渡った後、洲本を過ぎたあたりで眠くなってきた。

 時間は午前1時ごろでしたか。うとうとしながら走っていた。

 日本も戦後の時代からようやく立ち直り元気が出始めてきた頃で車の装備も必要最小限のものだったから、今のように車にエアコンなんかあるわけがない。付いているのは、冷却水を引き込んだドラム式のヒーターだけ。 

 「こりゃあ、いかん、いかん」と左右のドアの三角窓を開き、窓ガラスも下まで降ろしてみた。だが、やっぱり眠い。眠くなった時にいつもやっていたように、唾を眉に塗って外からの冷気で強制的に覚醒させようとも試みてもみたが、やっぱり眠気は取れない。しかし、岩屋のフェリーの時間を考えると車を止めて一休みしている時間はない。だから、私は目をこすりこすりしながら、眠くても走り続けました。「もうすぐ岩屋だ。着けばフェリーの中で半時間眠れる」と思って。

 そうして、“車を止めて眠りたいという自分”と“目を覚まして休みなく走れという自分”とが葛藤しながらも走り続けて、津名町を過ぎ、東浦町の手前の直線道路に来た時でした。直線だったから注意力が散漫になったのかは解らないが、トラックは50キロ以上のスピードで走りながら運転している私は完全に眠ってしまった。

 勿論、何分眠っていたのか、解りません。意識がなくなったのがほんの1、2分だったかもしれないし、5分ぐらいたっていたかもしれません。

 うとうとしながら運転していて、突然、ハッと気が付いた。

 目を覚まして前方を見ると、トラックは右側車線を走っている。驚き、すぐに右側を見ると、車は右車線の端を走っていて、2、3m下の畑が見えた。

 「これは死ぬ」と慌てた私は、急ブレーキを掛けながら、とっさに左に大きくハンドルを切った。すると、当然運転キャビンの屋根から1mも高く製品を積んだトラックは右に大きく傾き、転覆寸前の状態に。それでまた「危ない」と慌て、とっさに今度は右にハンドルを切った。

 それまでの運転経験から、高い荷を積んだ時に右や左に大きくハンドルを切ると車は転覆すると知っていた私は、すぐに右にハンドルを戻す。するとトラックが今度は左に大きく傾いた。尚も走り続けるトラックはハンドルを左に切れば右に、右に切れば左に傾きながらと蛇行し続け、何分経ったか、何とか左車線にトラックを停車することに成功した。

 私はトラックを飛び降り外の風と冷気に浸るも、心臓の高まりは激しく、生きた心地はしていませんでした。トラックの周りを歩いて車体の点検もしてみたが、あれほど大きく左右に傾いた積み荷も、奇跡的に荷崩れはしていなかった。その時、思わず「おー、よかった、助かった。あと1秒、目が覚めるのが遅かったら死んでいた」と喜び、勿論、今まで眠かった目はぱっちりと醒めた。

 夏休みを利用して室戸高校のバスケットボール部の先輩だった大阪にいる私の弟に会いに行くといってトラックに乗り運転席の後ろの寝台で寝ていた当時高校3年生だった室戸岬町のN君は、その転落寸前だったトラックの揺れに驚いて「そーちゃん、どうしたがーぜ?」と飛び起きてきた。

 だから、もし私があと1秒ぐらい(1秒無かったかもしれない)目が覚めるのが遅くて道路右の畑にトラックが転落していたら間違いなく、私とともに彼もその時、積み荷に押しつぶされ圧死していたことになる。

 “命拾い”とはこんな出来事を言うんだと、その時、知りました。

 私は今でも神や仏が自分の願いを聞いてくれるものだなんて考えておらず、自分を助けるのは自分しかいないと思っています。でも、39歳から65歳までの26年間、室戸をはじめ県東部の活性化のために働くことができて何がしかの成果を周辺地域にもたらすことができたことなど考えると、これまでの生きてきた過程において、少しずつですが、「自分が今生きているのは、もしかしたら神様なのか仏様なのかは解らないが、“こいつを生かしておけば将来、世間のために何か役に立つんじゃないか”と考え、生かしておいてくれたのかなあ」と、心底感じている。

 こんな20歳の時に死の直前まで行った体験のほかにも、その十年後の30歳の時には病気で死にかけた。この病気については誰にも明かせないが、この時も7か月入院したのち無事に生還し、製材所の仕事に戻った。

 その時も死ななかったので、「もしかしたら、本当に神様なのか仏様なのか解らないが『こいつを生かしておけば将来、世間のために何か役に立つ』と考え、生かしておいてくれたのかなあ」と考えるようになった。

 病死しかけた時から9年後、家業である銘木製材所を退社してジャズ喫茶店を開業。その売上金の一部は、コンサートや映画会、音楽祭の開催など、4年間で24回行った自分の地域づくり事業に投資した。勿論、それらは市民の楽しみづくりのためにと行っていたものでそれを自分の儲け仕事にしようなんて姑息なことはもともと考えたこともなかった。町おこし活動で企画した催しはだいたいすべて赤字で、毎回5万円から10万円の赤字分は少ない店の売り上げから支払っていた。

 だから、当時、RKC高知放送の取材を受けディレクターに「あなたは何のためにこんなに連続して活動をしているのですか」と聞かれた時には、「町の人たちに喜んでもらえるのがうれしいからやり続けている」としか答えようがなかった。(たぶん、この気持ちを解ってもらえる人は少ないだろうが)

 そんな強い想いを以ってやっていた町おこしの活動だったんですが、中にはこんなバカな公務員もいた。

 モーニングを食べに来店した市のある課長が、町おこし活動を続ける私に向かい嘲笑うようにこう言った。「谷口くんはいろんな催しをやって儲けて、えいのう」。

 彼はもう分別がついてもいいころの定年間際の60歳の手前、私はまだ未熟な41歳でした。

 これはとんでもないふざけた話で、「ン、私はそんな儲け仕事でコンサートや映画会をやったりしていません」と答えただけで然したる反論はしなかったが、私は内心、怒り心頭。こんなふうに社会の仕組み自体を知らない公務員は世の中に多いが、これもいわば、その課長個人が儲け仕事で市職員をやっていることを白状したようなものだった。「楽して高給をもらう」という下心を。だから、そんな市職員という者は、一人の市民が朝6時に店に入り午後9時ごろまで一人で汗水たらして働いて稼いだ売り上げの一部を、町を元気にするために使っている、そしてそのことの一つ一つがその職員が勤務する自治体の運営をも元気づけている、市の課長をしていてもその程度のことも解らない。…ということだ。

 ホントに情けないもんです。一般市民の倍以上の給与を市の予算(すべて市民のお金)から貰っている立場なのに、市民が自身で稼いだ金で行っている活動を蔑(さげす)み小馬鹿にする、それも自分たち行政はその市民の活動によって助けられていることも知らず。とても話になりません。

 聞いておりますか、室戸市職員の皆さん、そして市職員を定年退職した後、天下るように市議会議員となった皆さん! そして全国の行政職員と、職員を退職後に天下って地方議員となった皆さん!

 この程度ですからね、行政職員の中には物事の何んたるかが分かっている職員もいるからみんなとは言わないが。

 「井の中の蛙、大海を知らず」。

 国家公務員も地方公務員もこの故事がいかなる意味かをよく勉強し、社会の仕組みをもっともっと勉強した方がいい。この故事は特にあなた方公務員のことを指して言っていることだと知るべきです。そして、国民、住民があなた方公務員を雇って働かせ、その給料は国民、住民が出していることもよく認識しておくことだ。ならば、少しは国民や市民の痛みや苦しみが自分のことと捉えられるようになろう。そうすれば、いま事業経過も法律もわからずやっている素人ばかりの国の政治や地方の政治も少しはよくなるのではないか。

 話をもどそう。

 そんな喫茶店経営も駐車場として借りていた空き地に郵便局が建てられることになって店はわずか4年で閉じ、平成2年9月から10年1月までは日本でオンリーワンとなる手書き地域雑誌を発行。そんな十二年間は県東部の地域振興にある程度は貢献できたかなと思っている。

 地方議員となってコンプライアンス観念のない二人の市長の違法及び不正な業務や議員らの不真面目さを知り全世界に告発し続けることができた8年間だけを考えても、今も心の底から「もしかしたら、本当に神様なのか仏様なのか解らないが『こいつを生かしておけば将来、世間のために何か役に立つ』と考え、生かしておいてくれたのかなあ」と思っている。

 こうして、あったのかなかったのかは定かではないが、神様か仏様か知らない力をもらいながら周りの人たちの期待に応えられるようにと製材所や運送の仕事、地域づくり活動に励むことができたし、地方議員としても15年に議員になった時から「他の議員の倍働いてやろう」「他のやつらに負けてたまるか」と心に期し、誰にもその働きぶりで負けず議員活動に励んできた。

 こんな私ですが、今年は私の生涯で一番痛手を負った年となった。

 今は子どもの頃のひ弱さと違い、製材所での重労働と地域活動での金銭的苦労など睡眠時間を減らせながら45年間なしてきた身体的な鍛錬と精神鍛錬が足ったおかげか、私も打たれ強くなり、悪い政治家など悪人をやっつける時は、多くの人の面前で厳しく批判するなどの方法で正面切って堂々と闘いを挑み、決して負けやしなかった。

 ですが、今年4月の市議選において、「市長の違法や不適正な財政支援を批判する谷口を選挙で落とせ! あいつに投票するな」と触れ回った政治関係者と市民(ここでその名前を公表したいぐらいだ)がいて、落選。その選挙妨害事件で受けた被害は、あと1秒で死んでいた20歳の時のことや病死しかけた30歳の時と比べても、それ以上といってもいい。危険度は事故死一歩手前や病死一歩手前に比べるとさほどのことはないが、悪質度でいえば、あの選挙妨害は極悪人が行った行為と言ってもよく、今でもその人間たちを許していない。

 暴力団でも市議会で一番気まじめな議員に対して、あれほど悪辣な選挙妨害はしない。

 いや、いま思いだしました。この話はどうしても全国の皆さんに聴いておいてもらいたい。

 昭和62年ごろだったか、私がジャズ喫茶を経営しているとき、面識は勿論ないが、ある暴力団の組長とその奥さん、いかついお兄さん4名が店にやってきた。舎弟の若いお兄さん方は奥のボックス席へ、組長とあねさんは私の目の前のカウンターに座った。

 組長と姉御は店に入るなり私がまちづくり活動をしていることが分かったのか、3人で小1時間、その活動についていろいろと話をしました。私が店の売り上げを投げ打ってまちおこし活動に行っていること、全て行政の補助金にはすがらず活動していること、若者たちの音楽祭にも支援し続けていることなどを話した。

 そん私の話を聞いたからだと思うが、帰り際、そのとびっきり美人の姉御は飲んだコーヒー代とは別に1冊3000円する珈琲券を10冊買ってくれた。そんなに店に来る機会はなかろうと考え、「えっ、いいんですか?」と聞くと、組長は「ああ、いいんだ。まちおこしの活動を頑張ってナ」と言って帰って行きました。その思いやりに感謝し、涙を流しました。と同時に、「かっこいい!」と感激した。

 思った通り、その後、その組長とお姉さんは店には一度も訪れず、私はその出来事を思い出すたびに「かっこよかったなあ」とうれしくなり、「男はあーじゃなかったらいかん」と痛感する。

 世の暴力団の無法ぶりまで賞賛するわけではないが、正にこれこそ義理人情の世界の「人情」というものであろう。

 だから、まちのために一人で頑張っている人物を称え支援しようとするその時の暴力団の組長と姉御の心根に比べたら、「市長の違法と議員の職務怠慢を世界中にばらしてしまい議会でも批判し追及の手を緩めないあの谷口を選挙で落とせ!」「谷口に投票したらいかんぞ」と触れまわった室戸市の政治家や市民らはあの時の組長と姉御以下の、人間としては下の下、最低の人間たちだと言っておく。


 最後に。上の居眠り運転の話や喫茶店での話は決して創り話ではなくて、本当にあった出来事です。地方にはこのように死線を何度も乗り越えながらも「町を少しでも元気にしたい、文化の香り高い町にしたい」と、女房や子供たちには「あんたは勝手や」と言われながらも、自分が働いて稼いだお金を投資して、強く、そして懸命に働いてきた人間もいます。あなたが住んでいる町にも村にもきっと一人ぐらいはいるんじゃないですか。どうかそういう人がいたら、称え、評価し、支援してやってほしいと思います。

 あの暴力団の組長と姉御が私にして下さったように、皆さんもあなたのまちにいてそのまちを元気にしようと無欲で頑張っている人を応援してあげてほしい。

 長くなりましたが、記事の内容に他意はありません。自分のことを自慢したりひけらかすつもりも全くない。世の中には、こんな体験から自分が生まれ育った町に尽くそうと考えるようになった変わり者もいるんだと知って下さったらうれしく思います。


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あなたにも、あなたにも、あなたにも、ありがとう!
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今年、制作した作品の紹介

2011-12-07 | 私の絵画制作活動
 政治関係者などによる悪質な選挙妨害もあって室戸市議選で落選した後、6月からは悠々自適の県展画家・絵馬修復家として再出発したことは既報どおり。

 あと10年は少年時代からの夢であった画家のまねごとをして暮らしたいと決意し、まず目標として立てたのは、室戸半島各地にみられるダイナミックな地質を「青空地質博物館シリーズ」として作品化して描いていくこと。

 いま行われ始めた室戸のジオパーク事業は、私が平成3年から「室戸市は海岸の地質を観光に活かせ」と訴え続けてきて、ユネスコが世界ジオパーク事業を始めたことをきっかけに行政はやっと腰を上げ、あれから十七年が経過したこの平成20年7月から市の事業として本格的に取り組み始めたもの。

 ここからは少し余談になってしまうが・・・。

 私は平成3年、平成8年、平成20年の3回、地域雑誌『あおぞら』で地質特集を組んだり地質写真集を出版して「室戸半島の地質を市の観光振興事業に活かせ」と、室戸市や市議会、住民の皆さんに訴え続けてきましたが、最初のころはいくら「地質を観光に活かせ」と訴えても「海岸のあの岩をどうやって観光に活かすんだ」とみんな無関心で、ずっと本気になって考えていただけませんでした。それが、平成18年ごろだったかに世界のユネスコがこれを事業化したことを伝え聞いた途端、簡単にこれになびき、やがて20年の中ごろ、室戸市と市議会は地質観光事業に取り組むことを決定した。

 この動きは何百万円もの自費を投じて住民や政治関係者に向け長く訴え続けてきた私からすると実に喜ばしいことなんですが、テコでも動かなかったものが動いたのを見て、「これはなぜなんだ。市のこの態度豹変は何を語るのか。どう解釈すればいいの」と考えたものです。

 そこで導き出したのは、
「行政や政治家とは、大きな組織や大きな権力を持った者たちの話はよく聞くが、住民の中の小さな1個人の言う提言には聞く耳を持たないものだ」ということ。

 そう悟った。

 もしくは、
「行政や政治家とは、一人の住民が“調査し、考え、まとめた企画・提言”を大きな組織(この場合はユネスコ)が応援するというと、それまで(地質観光事業の提案には)見向きもしなかったのに途端に態度を変え、その提案者である住民の企画をパクって、自分が苦労することもなしに『私が考えたんだ』と悪意を以って公言・公表して成り上がろうとする、そんな組織と人たち」・・・ともいえる。 

 もう一つ、ついでだから言っておこう。

 かつて、昭和61年の3月ごろに自営していたジャズ喫茶において、私がかねてからまちおこし策の一つとして「全国岬サミット」の開催などいくつかの振興策を来店した当時の室戸市の総務課長に企画提言、作成してあった資料をつけて渡した。そして、その5カ月後の8月、市長から有能な人物と判断されて室戸市の助役に抜擢されたO氏は取材に訪れた高知新聞室戸支局記者に「これは市が企画したもの」と虚偽の事実を語り、そのまま記事になりました。つまり、住民の企画をパクって成りあがったということです。勿論、その時から給料も分不相応に高い給料をもらい始めたのである。

 そうやって私が考え企画・提言ものを市の幹部職員に盗まれたこともあって、先のように結論づけている。

 話が長くなるので詳細には書かないが、「オーストラリア東南部の都市との姉妹都市計画」もその時に小生がその総務課長に提言して実現したものであることも付け加えておく。

 もうひとつ言いかえれば、行政組織には自分の町に住んでいる能力のある住民の意見を聞き高く評価しその人物を自治体の浮揚に活かそうとする観念と、住民の中からそういう人物を見極める力が欠落していると言ってもいい。いや、そうじゃないか。欠落してるんじゃなくて、人物の見極めはできるんだがその前に、いくらその提言が町の観光振興に効果的だと解っていても「あいつのアイデアで行ったものじゃないか」と市民に言われたくないからこれまで腰を上げなかった、で、近年、ユネスコが地質に関して「ジオ・パーク(世界地質遺産)」という新しい位置づけの事業をやり始めたから「これはユネスコの事業を取り入れたものだ」と言えるから始めた、ともいえる。

 でもね、一般論として言うが、悪い人というのは今発生している連続殺人事件などを見てもわかるように、一人殺すとまた別の人を殺していていつまでたってもその行為をやめることができない。いわば、性癖ゆえの悪事をやり続けます。

 だから、政治に関わる人間の中の悪い人たちにしても、何十年も悪いことをしてきてそれに慣れているから、一つ悪いことをして何か利得を得るとまたすぐ別の悪いことを考えて行為に及び、いつまでたっても何十年たっても悪いことをするのをやめない。(国会議員の誰だとか、地方政治家の誰だとかはここでは申しませんが) こういう悪い政治家が行う国民や住民をなめた悪質な行為も性癖ゆえの悪事といえるから、それはその人が死ぬまで続くか、もしくは警察に逮捕されて牢獄に入れられるまでやめることはない。

 このことは、読者の皆さんが住むまちの議会に二十年間も三十年間も役場の予算を食い物にしているだけであまり住民の役には立たない悪意ある議員がいるだろうから、その行動を見ると解るでしょ。

 「あの議員のことよね、あんたも知っちゅうろ。もともと議員としての能力はないのに自分の生活費を稼ぐために利権に絡んで行政の予算を食い物にしていつまでたっても辞めない、ほらっ、いつも行政改革と議会改革を妨害している組織が良くなることが大嫌いなあの悪質な議員のことよね!」


 さて、悪い政治家の話をしてるといろんなことを思い出してだんだん胸糞が悪くなってくるからこれぐらいにして、もっと品のある芸術文化の話をしましょう。

 平成23年も暮れていこうとしていますので、この機に議員退職後の今年7月から描いた作品5点を全て公開させていただきます。

①「夕映え」(M100号)・・・7月制作

  

②「室戸岬」(P100号)・・・8月制作

  

③「磯波}(P100号)・・・9月制作(高知県展入選作)

  

④「七福神乗合宝船」(P100号)・・・10月から11月に制作

  

⑤「隆起する付加体」(M100号)・・・現在制作中の作品

  


 どうです? 

 中にはもうちょっと筆を加えようかと考えている作品もありますが、みんないい作品ばかりでしょ? (これを自画自賛といいます)

 このように、小生はまだまだ意欲満々で精力的に活動しており、来年は春から新たな政治活動も開始しようかと検討中です。

 乞うご期待。


※電子情報誌「高知発!青空エクスプレス」は、12月8日(木)付けGooブログランキング(166万1695ブログ)中、4089位でした。たくさんの皆さんのご購読、ありがとうございます。
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中岡慎太郎館で、日本一大きな「七福神乗合宝船」の絵馬を展示中ぜよ!

2011-12-06 | 私の絵画制作活動
    

先日紹介させていただきましたように、七福神を描いた日本一大きな絵馬(上の写真:170×120センチ)が、北川村教育委員会のご協力により11月16日から12月27日までの1カ月半、北川村柏木の中岡慎太郎館1階展示室にて特別展示していただいています。

 県外、県内を問わず、七福神に興味のある方、又、「平成24年には幸多かれ」と願っておられる方は同館を訪れ、是非一度ご覧になっていただきたいと思います。

 尚、絵馬の前にさい銭箱は置いてございませんが、2礼2拍手1礼し、お願いするぐらいのことは許されましょうぞ。


(追記)
 本日12月8日付けの朝日新聞(高知県内版)に、この絵馬についての記事が掲載されました。カラー写真で大きく報道していただいていますので、関心がおありの方はそちらもご覧頂けたらうれしく思います。



※電子情報誌「高知発!青空エクスプレス」は、12月6日(火)付けGooブログランキング(166万1151ブログ)中、3643位でした。


 
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