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日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

地方議員研修講座(7) 議員報酬とは

2011-11-29 | 政治家のあり方
(これは2008年6月掲載した記事の再録です)

 先日、「全国腹立ちベスト3」で清原選手が三年で6億8000万円の報酬をもらっていながらそれに値する活躍できなかったことについて書いたが、では報酬とは一体なんぞやと思い、もう少し突っ込んで考えてみた。

 報酬には、清原のいたプロ野球やサッカーなどのスポーツ選手が球団などの会社から頂く「年俸」と、国や都道府県、市区町村の議員がもらう議員報酬がある。

 辞書には、次のように書いてある。

「年俸」の意味は、一年を単位として定めた給料のこと。
「報酬」の意味は、労働や物の使用に対する対価として給付される金銭また物品のこと。

 つまり、「年俸」は一年間の労働に対する対価として給付される金銭、「年間報酬」。こう定義付け出来るだろう。

 では、議員報酬はどうか。私は、議員報酬も一ヶ月間の労働に対する対価として給付される金銭であるべきだと思っている。だから、「報酬」は労働してなかったらその対価は給付されなくても当然だと。だが、現在の議員報酬の制度は、こうはなっていない。議員としての労働に乏しく議員活動と言える仕事を満足にしていない人も、毎日議員活動に精を出している人も、みんな同じ報酬です。

 だから、スポーツ選手の「年俸」はシビアに評価され、議員の「報酬」は甘い評価で金銭が支払われると思うんだが、これも一概に決め付けることは出来ず、「年俸」でも例外はある。

 「年間報酬」に値する大活躍をしている巨人軍の小笠原選手が3億8000万円もらっている一方で、ケガや古傷が治らなくて満足に一軍で仕事ができなくても毎年2億円、3億円の「報酬」をもらっていた清原選手がいるように。

 ここで、もう一度「報酬」の語源を考えてみたいと思う。

 まず、「報酬」の「報」について。この「報」は「報(むく)いる」の意味で、この場合は「返す。返礼をする」の意味で使う。つまり、「労働の対価としてのお返し」だ。

 次に、「報酬」の「酬」について。この「酬」も「報いる」の意味で、この場合も「お返しをする」の意味で使う。

 この漢字を使った言葉に「酬労」があるが、これは「労に報いること」。だから、「議員報労」は「議員が仕事をした分だけ対価を与えることになる。その意味を考えると今後、「議員報酬」の言葉はこの「議員酬労」に変えてはどうか。なら、議員が市民から報酬を頂くことに対してもっと真剣に考えその仕事も真剣にするようになるのではないか。

 「議員酬労」。その意味は、「議員が住民から労働の対価として頂く金銭」のこと。いいですねえ。実に明快で、明確だ。

 国や都道府県や市区町村の議員がもらっている「議員報酬」は、「酬労」、労働の対価であるべきです。

 最後に、これはある室戸市民からの提言。

 「議員活動をしない議員の報酬は、議会会期中の7日間に日当を1万円支払っても7万円。一年四議会だから7×4=28で、一年に28万円の報酬で済むじゃないか。そんな議員に賞与なんかやるによばん。仕事もせんに、報酬が年間450万円ちゃ、なんのことな」。

 これが今、生きていくのに大変で、命がけになって働いている市民の正直な感情なんでしょうね。

 「俺たちは生活に困って四苦八苦しているのに、あいつらばかりがなぜ楽して得してるんだ。聞くと、中には個人的に作った大きな借金の支払いのために議員になっただけの者もいるそうじゃないか」という怒り。


 御説、御もっとも。私も同感です。

 でもね、申しておきますが、そんな仕事もしない候補らに投票して選んだのはあなた方、室戸市民でしょ? そして、議会で一番仕事をしている正義の使者のような正直者の議員を「市長が行う違法・不正業務を議会で批判し厳しく追及したから」といって落としてね。

 彼は報酬を頂いている市民のためを思い、議員としての職務を忠実に遂行しただけのことなのに。

 だから、まちの政治が悪化してゆくその責任は議員にあるのではなくて、行き着くところ、すべてあなた方、市民の皆さんにある。市民が選挙に出た候補の選択を誤った所為で自分たちが住んでいるまちの政治は改まらないし、ますます悪くなっていく。それにつれ市民生活も悪化している。故に、この悪循環を生んでいるのは市民の誤った判断によるものといえる。

 その結果どうなっているのか、市民のためになっているのかというと、市長や市職員、議員など行政及び議会関係者たちは何も被害を受けず、すべて市民のお金である市の予算から高い給与や報酬をもらってぬくぬくと暮らし、一方、投票判断を誤った自分たち市民だけが被害を受け毎日の生活に汲々し苦しんでいる。・・・ということ。

 で、いつも真面目で正直な議員だった彼に投票した賢人たる328名の室戸市民だけは「能力のある人物を落としてはならない」と解っていた。

 そういうことです。

 しかし、市民は今更悔やんでも仕方がない。「市民を助けたい」と昭和61年から二十五年間、市民の立場に立ち夜昼なしに懸命に働いてきた彼は、もう二度と帰ってきません。



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地方議員研修講座(6) 議会の「討論」とは

2011-11-28 | 政治家のあり方
(2008年の記事を再録いたしました) 

 先日も記事にした。

 私は議員選挙に出る前から議会のことを知っておいたほうがよいと思い、参考書で勉強しました。そのきっかけになった本が、『市民は議員になるための本』(寺町みどり著。学陽書房刊)でした。そして、この本ともう一冊、『議員必携』(全国町村議会議長会編)。

 この二冊を現在の新人議員さんたちが初当選した19年5月に、「参考になりますので、是非この本を購入して勉強を深めて下さい」と書面に列記して、紹介させていただいた。
これは余計なことだったかも知れないが、知識を深めてこそ議員としての職責を果たせるものだから、親切心からお教えした。
 
 それと、先輩議員はあまり議会について書かれた書物を読まないからか、そんな配慮が無いからか、私たちが新しく議員になった時に誰も議員にとって参考になる本について教えてくれなかったことから、「これでは新しく議員になられた方もどうしていいか、最初から不安だろうし、解からないだろう」と思っての配慮でした。

 ですが、未だに誰も参考書を買って行政や議会のことを勉強をしない。

 元市職員にしても行政マンと地方議員とは正反対の立場にいるからこそ議員としての勉強を一からしなくてはならないんですが、元行政職員で議員になった人の中には、選挙の時などに住民に向かって「議会の中で一番行政知識があるのは私です」なんてとぼけたことを言って票を得ようと触れまわった元市職員の議員候補がいた。

 そんな元行政職員だった地方議員にお教えしておきたい。

 「議員として大事なことは、行政知識を持っているから議員として一番すぐれているのではなく、重要なのはこれまでの経験から学んだその知識を議員として行政改革に如何に活かせるかだ。その培って得た経験と知識を行政の改革・改善に活かすことができたら、その議員は尊敬に値する。

 しかし、元市職員だった頃の知識に頼り報酬を得ているだけで議員の職責である“行政のチェック”の一つもできない意気地の無さでは、最悪。その元役所職員の議員は、『ただ家で遊んでいてももったいないから、議員にでもなろう。そうして2期、3期ぐらいは報酬をもらって暮らそうか。そうすれば役場職員時代に貯めた5000万円以上の金は使わなくて済むからな』とただ天下っただけの“給料ドロボー”でしかなく、議員としては全く尊敬に値しない」。

 元行政職員で、退職後に選挙に出て住民には「元市職員だから議会ではおれが一番知識がある」なんてそんなお大臣さんみたいなおごり高ぶったことを言い、議員になれば議会では黙秘権を使っている。そんな権力志向の無気力な人たちに一つ注文をつけておきたいが、「そもそも地方議員と行政職員とは対立軸にあって、地方議員は行政をチェックし調査活動によって暴きだし、悪い点があったら改善を求め、市長や職員が改めない場合は徹底的に批判し、住民にその実態を情報公開し、健全な行政組織を構築していくよう努める立場にある。もし、その程度のことも知らないし出来ないならば、公務員を辞めた後、天下りのように地方議員になってはならない。

 だから、意欲も、勇気も、改革精神のかけらもないのに、「元市職員だから議会ではおれが一番知識がある」なんておごりたかぶったウソを住民に対して言わないことです。

 そんなことを言ってないで、立場変わって議員になったら、真面目に行政にチェックを入れるよう努力することだ。

 かつての部下である現職の職員から「この事業はあの人が市職員時代にやってきたことなのに、議員になったら批判するなんて…」と陰口をたたかれてもいいから、無い勇気も出して、不適正な行政運営には自分がやってきたことも自分がやったことではないことにも厳しくチェックを入れ、指摘し、市長や担当課の職員が改めるまで徹底的に追及の手を休めてはいけない。(でも、議員になった元行政職員にそんな度胸はなかろう)

 議員には基礎知識は必要であることは間違いない。その知識があれば、次は勇気があるかないかが問われている。勇気を以って議会で発言できるかが、地方議員の値打ちだ。故に、発言もできず任期の4年間、議席で座っているだけの議員は明らかに無能。
 
 まー、皆さんもあなたのまちの議会を見聞きして知っていると思いますが、世の中には行政のチェックはしないし本議会で発言する知識も勇気もないまま議席に座り続け、報酬だけは毎月ガッチリもらっている無能な地方議員が多く、その職務怠慢が原因で自治体の財政はやせ細り、首長が行う違法事務も相まって地方は衰退していると言える。



 さて、上の二冊に「討論」はどのように行うかが書かれている。

 まず、『議員必携』には、こう書かれている。
1、《議題になっている事件に対して、自己の賛成又は反対の意見を表明すること》 先の議員はこの「意見表明」をしたのです。

2、《しかも、その目的は、自己の意見に反対するもの及び賛否の意思を決めていないものを自己の意見に賛同させることにある》
つまり、1の「意見表明」を行った上で、自分の意見に反対するものや賛否を決めかねているものを自分の意見に賛同させることを目的に行うものである。だから、賛同してもらえるよう説得する行為が「討論」。

3、《従って、簡単な「賛成」、「反対」の意思表示は討論といえないわけで、賛成又は反対についての理由を明確に述べながら賛否を論議すべきもの》

 だから、簡単に「私はこの議案に反対します」と言った議員の発言は、反対討論を行ったことにはならないのです。

 次に、『市民派議員になるための本』には、
1、《賛成者と反対者が交互に自分の意見を述べて、相手の意見に反駁(はんばく)し、批判し、攻撃することにより、聞く人に対して論点を明らかにし、問題の判断をしやすくするために行う》 ※反駁=他人からの意見や攻撃に対して、逆に論じ返すこと。

2、《討論を行う時には、論点を整理して、あらかじめ討論する内容を原稿にしていくこと。議案審議の中で(質疑では自己の意見表明はできないので)明確に自己の意見を主張できるのはこの討論だけ》


 さて、そこで【討論の仕方】についてご説明したい。

1、「議案第○号について反対の立場で討論します」と、まず賛否の立場を表明する。しかし、これで降壇してはならない。

2、賛成又は反対する理由の説明を「起・承・転・結」で順序良く文章を整理し、要点をまとめ、それでいて要素は失わないようにする。
 ○世間、地域社会の現状 (室戸市の議案第8号の場合では、世界的な大不況で国民全体に閉塞感があって、拡大中)
 ○国の制度や自治体の制度の経過及び改正の状況 (県人事委員会勧告が社会現状と乖離している)
 ○自治体の事業経過 (市職員給与は削減途上にあることとの不整合性)
 ○法律や条例との関係 (室戸市の高速バスターミナルに関しては、「公の施設とはいえない」)
 ○住民との関係 (不況下における市職員給与増額は住民感情を逆撫でする)
等々。

3、終わる時も、「よって、議案○号に対して反対します」か、「以上、議案○号の反対討論と致します」と終わる。


 以上が二冊の参考書から拾った要点と、私からの「討論」についての解説です。
だから言えるのは、よく考えた上で討論に立たないと、「私は議案○号に賛成できませんので、反対します」なんて言って、そのまま降りてきたら、わざわざ恥をかきに出て行ったようなもので、これなら出て行かない方がまし。

 議員として議会開会を前にして肝心なのは、開会日の一ヶ月ぐらい前から質問原稿作成のための調査活動を行い、開会一週間前の告示日が来て議案書を渡されたら、議案をそれぞれチェックした後、質疑原稿を作成します。
その中でも、討論を行う必要があると思う議案があれば、大綱質疑と、委員会審議の中の他の議員が行った質疑もよく聞き、メモもよく取って、その上でも尚、討論すべきと判断すれば、閉会日までの4~5日の間に自宅で賛成又は反対の討論原稿を作成しておくこと。

こ れが「用意周到な討論」というものですが、こんな例もある。

 大綱質疑でよく見られますが、誰か一人が核心を突く質疑を行うと、質疑する原稿を全く用意していなかった他の議員もそれに釣られて質疑することを思いつき、立つ事があります。
これと同じように、閉会日まで原稿も事前に用意せず遊んでおいて、その当日に他の議員が討論し始めると、自分もついでにしておこうと登壇。「私も議案○号に反対です」なんて言って壇から降りてくるなんてのは、恥ずかしい。
そんな中身のない発言を聞いて誰も感心しないし、振り向きもしない。時間の無駄。その上、議員になって一年目や二年目までは許してもくれようが、三年目をすぎると「あの議員は△期目なのに、何も勉強してないなあ」と思われ、不勉強を宣伝しに行ったようなものだ。でも、本人さんはそれに全く気付いていない。愚かである。

 もう一つついでに付け加えると、一般質問の時に、毎回要望を行い「答弁は要りませんが、よろしくお願いします」なんて言う議員がいる。あの知識不足も早く誰か指摘してあげねばと思い、私が一年半前ぐらいにその日の議会が閉会した後、「質問で、これを行ってはいかがですか、の問いかけの提案はよいが、これを行って下さい、の要望は質問ではないので、してはいけません。要望は議会以外の日に担当課にいってお願いするといいですよ」とお教えした。ですが、何も覚えようとしないとみえて、いまだに毎議会質問に立つ度に「よろしくお願いします」とやって降壇している。だから、その度に私は、「市長、答弁してやらないと要望になります」と声を上げると、市長も気を利かせて提案に対する質問として答弁をしています。

 とにかく、議員は他ごとをせず、議員職に集中し勉強して、自力を付けることに邁進したいものです。勉強をしないから、このように毎議会、毎議会同じ間違いを繰り返すことになる。

 それと、一般社会の会合での質問と議会における一般質問とを同じものだと勘違いしている議員がいますが、これも全く別の物だと早く気付かないと、理解しないまま四年の任期が終わってしまう。先輩議員の行っている質問や質疑や討論をよく聞いて、その「可能な領域」を覚えることから能力を上げるように努力することも大切です。

 十分に事業経過を調査した上で行った質疑も、不勉強な議員に係ると「議長!それは質問で、質疑じゃないぞ」なんて的外れな不規則発言が時に飛ぶ事があるが、その判断に困り、議事がたびたび止まるのも情けない。これは、調査・研究に熱心な議員に対するジェラシー(嫉妬心)。その邪魔をしているだけ。
 
 それを、「静粛に! 質疑を続けて下さい」ときっぱりと大声で制すればいいものを、仕切り役はどう判断していいのか困り、議事がそこでストップしてしまう。質疑を行っている議員は「正しい質疑じゃないですか!」と叫ぶが、どうしたらいいのかわからず迷っている。
こんな情景は全国の市町村議会でもよくみられるのではないかと思うが、とにかく議員の不勉強によって度々議場が混乱するし、首を傾げる事が多い。

 「なぜ勉強しないんだろう、簡単な規則なのに」と思うが、これまで質疑を行ってきた経験が少ないと、質疑とはなんぞやのその許容範囲が解からないのでしょう。又、正しく知った上でそれを教え広める先輩議員が、議会施行50年になるが、これまでいなかったという証明にもなる。

 とにもかくにも、六十になろうが、七十になろうが、何歳になっても勉強を怠らないことです。勉強をしないから行く先々で恥を掻くことになる。

 論語にある。
「後世(こうせい)、畏(おそ)るべし。焉(いずく)んぞ来者の今に如(し)かざるを知らんや。四十、五十にして聞こゆるなくんば、これまた畏るるに足らず」

(解説:若者と言えど、侮れない。学び方次第では、将来、私たち以上の人間になっているかもしれない。但し、四十、五十になっても、まだ碌な仕事も出来ないようでは、全くどうしようもない)

 思うのは、議会改革の必要性。議員の勉強会を毎議会後の年4回ぐらい開催することも含め、無理やりにでも議会改革を始めなければ、いつまで経っても地方の議会は良くならない。

 でも、日本初の議会基本条例を制度化して実践している北海道栗山町は、室戸市と同じ田舎の小さな町なんだけどなあ。それも、きっと橋場利勝さんたち改革精神を持つ有能な議員が何人かいたからでしょうね。室戸市議会みたいな50年前から変わろうとしない、いやむしろ「変わりたくない」という意思があちこちに見られるようなまちの地方議会では、改革は無理。

 それまでずっと長い間、議会改革を妨害してきた議員が議長に就任して新聞取材を受けた時、他市町村議会の議長改選で選ばれた議長が就任コメントで言っているのを新聞で見てそれを真似、「議会改革に取り組みたい」と言ったが、そうやって思ってもないしやりもしないことを口先で県内各地に公表し県民や住民を騙しているようでは、そのまちも先は見えている。

 本当に、栗山町のような積極的で改革精神を持つ議員がたくさんいる議会がうらやましいですよ、改革を目指すボクは。


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地方議員研修講座(5) 質疑の領域は

2011-11-26 | 政治家のあり方
 (2008年6月の記事を再録します)
  
 「質疑は、どこまで許されるのか」。議会においての行政業務チェックの基礎となるこんな知識の習得がなければ、行政が行っている業務が適性なのか不適正なのか、不公正なのか公正なのかを判断できない。中には、行政業務の知識の習得や経過の調査をしないまま、議事録に掲載されない議場外の場所だけで「あーだ、こーだ」といっている人もいるかもしれないが、他の議員や執行部や住民に恥を掻かないためにも、議員は日頃の勉強を欠かしてはなりません。

 さて、質疑と質問の違いについて、議会運営の本などを参考にして、少し書いてみよう。尚、議会の質疑(大綱質疑と、所信表明や報告に対する質疑がある)と一般質問の仕方については、現職議員は勿論のこと、今後議員になられる人のためにも、近く一つの資料集としてまとめておきたいと思っている。

1、質疑・・・質疑には、大綱(議案)に対して疑義を質(ただ)す質疑と、執行機関の所信表明や報告などに対する質疑とがある。
ここでは議案に対する質疑について、出来るだけ要点をかいつまんで書きたい。

(1)質疑 
①主なねらい・・議案に対して疑義を質すもの、議題になっている事件(事業)に対して疑問点を質すものでなければならない。だから、その議案に対して「自分の意見を述べてはならない」。これは、「私はこれをこうしてはどうかと考える」など、提案や要望などの意思を明らかにしてはいけないということ。あくまでも、疑問点を問うもの、質すものでなくてはならない。

②「質疑」の仕方【最重要点】
「自己の意見を述べてはならない」の点についてですが、この場合の「意見」とは、閉会日の表決の前に行われる討論の中で述べるような賛成や反対の意見、意思表示であって、自己の見解を述べないと質疑の意味をなさないようなものまで禁止しているのではない。
つまり、「私はこの事業がこのような経過で進んでいることに賛同するものである」などの質疑が禁止され、「この事業費は必要以上に予算が投資されていると考えるが、この点について答弁を求める」の質疑はなんら問題ない。

 質疑の時に、このように「考えるが」とか「こう思うが」と言っただけで、「それは質問になっている」と鬼の首でも取ったように大声を張り上げて質疑をストップさせる議員が皆さんの議会にもおられると思いますが、あれも誤り。自分の不勉強を議場内に広めて恥を掻いているだけだから、そういうベテラン議員もそれに早く気付き、初心に返って、謙虚な気持ちで、質疑とはどういうものをいうのかをもう一度一から勉強し直して頂きたい。

 「質疑」とは自己が疑問を感じるから行っている点からいっても、自己がその疑問に感じた点の意見を述べないと疑問点を明らかに出来ないということになる。よって、反対に、自己の意見が入らないと「質疑」が成立しないとも言える。だから、自己の意見を全く入れてはいけないということにはならない。

②「知らないことは聞かないこと」・・これをみると議員の皆さんは驚くかもしれませんが、この意味は、「知った上で聞く」という意味。

 よく議場で議員が「この地方債について、今年19年度は150億円の地方債残高になっているが、18年度、17年度、16年度、15年度の、五年間の推移を聞く」などという質疑をする議員がいますが、これがダメだとされる。なぜか。それは、質疑とは、質疑する事業や財政などのデータ、数字などは事前に議員個人が調査した上で、「この経過を調査すると、このように地方債残高が増加している。これはなぜか。今後どのように推移するとお考えか」と疑義を質すものだからだ。要は、議員の仕事はそんな付け焼刃ではダメだということです。

 上記したように、執行機関に数字を問い答えを聞いて納得している議員がいる。本人さんはその不適正さに全く気付いていないが、わざわざ質疑に出て恥をかきにいっているようなものだ。
これも質疑について勉強不足な議員といえ、何でも分からないことを聞き教えてもらうのが「質疑」だと思っているのである。それが新人議員なら許せようが、三期目、四期目とか、長く議員をしている人なら、全く笑えない。市民にすれば「あれで議員報酬を熱心な議員と同じように払っていると思うと腹が立つなあ」の思いは強いだろう。

 要するに、質疑は、告示になって議案書をもらってから大綱質疑の日までの数日の間にデータを集めたり、先進地事例などをインターネットで検索して資料や情報を集めるなど、調査活動を行った上で質疑原稿を作成します。この期間が、室戸市議会では12日前後あります。一般質問と質疑を毎議会している私とY議員の二人は、その間に質問原稿の本読みや推敲作業も同時平行して行っていますので、議会前になるとそれは大変忙しい日々を送っています。

③議会前の準備・・先に述べたように、あらかじめ案件を十分に調査し、理論構成した自分の主張と意見を基に執行部を質す原稿の作成。必ず質疑内容を原稿に書いて議会に望む事が大事で、それは原稿無しで質疑を行うとどこかで論点が脱線して、「質問」になってしまうからです。議員の中には「俺は原稿無しで質疑出来るんだ」と高ぶった人がいますが、あれは自己を過信している出たとこ勝負の議員だと決めてかかってよい。

 それと、知らないことや解からないことはあらかじめ調査しておき、それを更に深めて、政策を見直し、変更させる事が出来る。

④委員会での質疑・・この質疑は本会議における質疑のように、同一議題に二回(室戸市議会の場合)とか、自己の意見を加えてはならないというような規制はないので何回でも質疑できるし、又、自己の意見を述べることも出来る。
但し、他の議員をよく観察していると、委員会での質疑しかしない議員はその自由さが身に付いてしまうため、本議会の質疑の時になると臆病になり、登壇する勇気が無くなってしまう傾向があるように思う。

(2)財政関係の質疑の着眼点
①予算質疑 
●ヒアリング・・分からない用語や数字に全部、マーカーと付箋を付けて担当課に聞きに行く。
●用語と数字が理解出来たら、前年度(あるいは五年間など)の予算書と決算書(同様に五年間など)を基に、項目と数字をピックアップしてメモし、比較する。そして、増減のある事業、新規事業に付箋を付け、市民感覚からおかしいと思う項目もチェックして、もう一度、担当課に行き、理由を聞く。  

②決算審査
●政策の審査・・○その政策が効果的に推敲されたか。 ○その政策が効率的に行われたか。 ○公平・公正に執行されたか。  ○市民にとっての利益になったか。  ○無駄な支出ではなかったか。  ○違法な支出はないか。等々。
加えて、全国の自治体の行政運営においてはどのように行ってきたか等の調査を行って、疑義を質す。

 このように、決算の精査は、自治体事務及び各種事業に対する議員の視点からの、政策の事後評価となることを忘れてはならない。この点をよく理解していない議員が多いので、もう少し解かりやすく書いておきたい。

 よく不熱心な議員がいうのが、「予算審議は大事だが、決算はもう終わったものだからあまり質疑しなくてもいいんだよ」のけしからん放言。
私が新人議員二年目の時にそんなことを言った議員(勿論、新人議員ではない)がいたので、一言、「何を言ようぜ! 予算審議は事前評価、決算は事後評価やろ。どちらも議会として大事な審査じゃないですか!」としかりつけたことがあった。

汚い例えだが、予算は上の口から食う食べ物、決算は肛門から出るくさいウンコ。こう考えて頂きたい。なら分かりやすい。

 人間が口から食う美味しい食べ物にだけ関心を持っていて、肛門から出るウンコの状態に全く関心がなかったら、どうなるかだ。胃潰瘍や腸の潰瘍で真っ黒になった血便が出ていても発見できなくて、手遅れになり、命を落としてしまいます。下痢になる時もあろう。これと同じだ。

 議員が予算だけに関心を持ち決算に関心を示さないでいると、夕張市のように、倒産してしまいます。

 決算に関心のない議員は、きっと自分のウンコの状態にも関心がないんでしょうね。そうして、病気と気付かずに、早く死んでしまう。

 でも、もしかすると行政の“ウンコ”のことは心配してないが、自分のウンコのことは心配だからちゃんとチェックしていたりしてね。こんな悪い議員に限ってそうなんですよね、「行政のことはどうなってもいいが、自分のことは一番大事」と考えてる。(当たり!?)


③条例案審議
●条例案審議の基本・・○目的が的確か。  ○規制するのに適した内容か。  ○他の法令に違反していないか。  ○現行条例と矛盾していないか。  ○市民に受け入れられるか。  ○財源は担保されているか。等々。

●条例の表現・・○明確な表現であるか。  ○解釈・運用に疑義はないか。  ○論理的な構成か。  ○条文は解かりやすいか。等々。

2、一般質問
①主な狙い・・質問によって所信を問い質す者で、「自分の意見を入れてもよい」。執行部の政治姿勢を明らかにし、その政治責任を明確にさせ、結果として現行の政策を変更、是正させ、新規政策を採用させる目的と効果がある。

②質疑と同様に、「知らないことを聞かない」が原則。また、質問の範囲は、その自治体の行財政全般である。

③してはいけないことは、「質問」で要望をする議員がいるが、あれはみっともないからやめましょう。「質問」は、あくまでも質問(問いかけ)であるから、質問に徹すべきで、要望やお願いやお礼の言葉を述べることは厳しく慎むべきものである。室戸市議会においても、よく「これは要望ですので、答弁は要りません」といって質問を終えて降壇してくる議員が見受けられるが、自分の不勉強を議場内に知らしめているだけで、非常にみっともなく、恥ずかしい行為です。
再度申しておきますが、一般質問で要望をしてはなりません。要望があれば、議会ではない時に担当課に要望書を沿えて行って下さい。

③議会前の準備・・あらかじめ案件を十分に調査し、論理構成した自分の主張と意見を基に執行部を質すもの。知らないことや解からないことは、あらかじめ調査しておき、それを基に更に深めて執行部を追求し、議論するもの。質問をすることにより、政策を見直し変更させる事が出来る。

④質問の作成手順(これは、当ブログ二回前の記事に詳しく書いてあるので、ご参照下さい)

3、一般質問と質疑を行う上での重要点
●議会での質問と質疑は、「論理的に」、「説得する」必要がある。「論理的」とは、「考えの根拠(理由)を示すこと」。「説得する」とは、「私はこう思う」だけでは説得できない。主張を通すには、根拠を示して相手を納得させる事が必要で、その納得させるまでの議論の過程が「説得」である。

 最後に。

 『議員必携』に、こうある。

 「政治家に強く要求されるのが勇気と奮起である」。又、ケネディ大統領に「政治家として一番大事なことは何か」と問うと、「それは、勇気である」と答えたという。

 私からは、勇気と奮起に、もう一つ付け加えたい。

 それは、「知識習得のための勉強である」と言いたい。「知識習得をして基礎学力、基礎知識を身に付けなければ、政治家の端くれにもならない」と言っておきたい。

 勇気や奮起なんかは、その能力を持った後の話である。
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地方議会研修講座(4) 地域リーダーのバイブル『いごっそう地域論』

2011-11-25 | 政治家のあり方
(2008年6月の記事を再録します)

           

 写真は、私が平成9年12月に発行した地域雑誌『あおぞら』の最終号『土佐のいごっそう地域論』です。

 『あおぞら』は地域のためになればと、儲け度外視で出版し続けていた地域雑誌(平成2年9月から10年1月まで発行)でしたが、これは多額の借金を考えて廃刊を決めた時に最終号として発行した本です。手前味噌になりますが、当時の『あおぞら』ファンからは“地域づくりのバイブ”といわれています。
(定価1000円。残部あり。お買い求めは谷口までご連絡ください)

 『土佐のいごっそう地域論』の巻末に地方議員も学べる精神をまとめてありますので、それを記した後、少し付け加えたいと思います。文中の「人間」を「議員の自分」に置き換えてお考え下さい。

 その項目のタイトルは、「町おこしリーダーの条件」

 ①情報収集能力と思考能力を持ち、それを即、行動に移す勇気を持った人である こと。
 
 ②懸命な人に対しては、愛情豊かな人間性を発揮できる人間であること。
 
 ③一つの地域活動を始めた時、他人にやらせて自分は威張っている「仕掛け人」 であってはならない。
 
 ④キャッチフレーズを作る能力と活動を図式化する能力を持っていること。
 
 ⑤ボロは着てても心は錦。自分は貧乏していても、借金して地域の大事業が行える度胸を持っていること。
 
 ⑥大勢の仲間や協力者がいる一方、一人の寂しさ、孤独感にも耐えられる人間であること。一人だからといって、途中でやめないこと。全ての基本は一人で何ができるかだから。
 
 ⑦遊び心に裏打ちされたアイデアマンであること。但し、「遊び心」といっても、遊び人の持つ「遊び心」のことではないので念のため。
 
 ⑧リーダーとなれる人物であるに越したことは無いが、やる気を失ってしまった仲間たちが去ってしまい自分一人になったとしても、自らが実践行動してゆける強さを持っていること。
 
 ⑨いつも地域に危機意識と「俺がやらねば」という使命感を持っていること。
 
 ⑩地域の“宝”を発見する観察眼を持っていること。それには、自分の町を一人でよく取材・調査して回ること。知らないから、“宝”が発見出来ないのである。
 
 ⑪肩書きなどいらない。専門的な分野の情報整理能力を持ち、それを活かそうとする姿勢を持っていること。
 
 ⑫いくら忙しくても平気でいるために、若いうちから夜遅くまで書物で学んだり人の倍、体を酷使して働くなどして、自分の体を自らいじめて性根を鍛えておくこと。でなくて、若い時から人の目を盗んで怠けるような人間ならば、何をやっても大成しない。
 
 ⑬まちづくりは、企画力(方策)と演出(売り方)をどう組み合わせるかだと理解すること。


 以上が「まちおこしリーダーの条件」の十三か条ですが、地方議員にとっても参考になることがあるのではないでしょうか。

 これにいくつか付け加えると、議員でも地域リーダーでも、また町の商店主でも大会社の経営でも、そして行政の市町村長や職員も同じですが、これだけは覚えておいて下さい。

 ⑭【何事も、昨日の続きの今日、今日の続きの明日であってはならない】

 これが解かっておらず、おろそかになっている人が多いから、町はどんどん枯れていっているのです。この言うところは、いわゆる「マンネリ化の打破」。毎日の仕事がマンネリ化しているから、「より強く、より高く、より速く」がなおざりになっている、ということ。

 商店主なら、「他の商店主より早く起きて、より高い利益を上げることを目指して研究し、より強い店に拡大してゆく」。そうすれば商店街も今以上、活気のある商店街になる。それを、行政の力を借りずに自分たちが自分たちの力だけでやろうとするその根性が無いのを棚に上げて、「やってもムダだ」といって仕事に熱意を失い投げ出していては、良くなる訳が無い。自分たちが自分たちの力だけで何かをやろうともせずに行政の補助金等の支援に“おんぶに抱っこ”では、良くなる訳がありません。

 議員なら、「他の議員よりも質問・質疑に立ち、日頃は毎日休まずに自分の自治体や町の調査研究に励んで、行政にもっと関心を持つこと。そして、他の全国の市町村の模範となるようなそんな先進地議会になるよう努めること。そして、町村議員の低い報酬では無理だが、市会議員は本業を辞めて議員を専業として務めても生計は立つ」。両方から給料をもらっていると、二兎を追うもの一兎も得ず、の例えもあるように、両方の仕事とも満足な働きが出来ない。議員としても、本業の仕事にしても。これは誰が考えても解かる、当たり前のことです。

 先に示したように努めれば、議員も議会も優れた人物、組織になるのは間違いありません。「昨日の続きの今日、今日の続きの明日」ではなくなり、能力や組織力は間違いなくアップします。

 ⑮議会が良くならないのは、上に『社長』がいないからです。社長がいない組織だから、怠けても誰も叱らないし、怒る人もいない。
たまに正義感の強い議員が批判をするとみんなで糾弾し、その人がさじを投げると、これ幸いと怠けていた人は開き直ります。全国の自治体全てに社長的立場の人を置けば議員全員が今の10倍は働くようになること請け合い。「コリャー、働かんか!」と怒れば。
あっ、議長は社長では無いですよ。あの人たちも同じ議員だから、他の議員を働かせる力は無い。ただ、能力を持った議員が議長になれば、仕事をたくさん作ることはできます。そこを狙って議会改革を進めるしか策は無い。
 
 ⑯商売でも議会でも同じだが、地方の悪いところは、悪い点を指摘されても耳を貸さないばかりか、逆に反感を持つところ。このように自らの反省が無いから、いつまで経っても関わるその組織が良くならないし、店も良くならない。それは、「昨日の続きの今日、今日の続きの明日」で自分の仕事を考えていて、振り返らない人が多いからだ。

 それと、我欲が先に立っている人を見ると、そんな人には作為が見られ、往々にして悪い行動に出る。利権に買収、悪しき働きかけ、策略を巡らす人が何と多いことか。自分の欲を優先して、より多くの金を手にいれようとか権力を手にしようとか、地位を得ようとか、票を手にいれようとする人たちがいる。

 これらの状況を変えるのは簡単です。この人たちが欲を捨て、昨日の続きの今日でなければよい、今日の続きの明日でないようにすればよい。変えることだ。「日々新た」という言葉もある。毎日同じ生き方でなく、昨日よりも良い日にする努力を重ねていく。そうすれば、昨日よりも今日が良くなり、今日よりも明日が良くなる。それは必然的だ。


 議員の皆さん、勉強しましょう。それでしか議会人としての値打ちを高めることは出来ませんし、達成感も味わえません。つらい辛い努力を重ねて、壁を一つ乗り越える毎に、達成感で喜びが沸いてきます。

 とにかく、いくら毎日一生懸命に議員職を努めても手取り10万や12万円ぐらいしかくれない町村議員は別として、報酬を毎月20万円以上もらっている市議会議員だけは本業をやめ専業議員となることをお薦めします。

 そして、地方議員の大半は行政の財政に関心がなくて疎いが、もっと行政に関心を持って、行政に関心を持って、行政に関心を持って、議員として当たり前のことを当たり前のごとく仕事をすることです。子供たちが頭が良くなるために昼間も夜も勉強しているようにネ。

 そうだ、大人たちは子供がしている姿から学べばいいんですよ、高ぶらずに、自分の“値打ち”をうんと低くして。議員といったって、偉くもないんだから。

 さすれば、議員の能力は上がってくるし、それによって議会組織も確実に能力が向上し、議員に対する、そして議会に対する世間の評価も上がってこよう。


 では、これで全国の地方議会議員の皆様を対象にした、今日の講座を終わります。ご静聴ありがとうございました。また明日。


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地方議会研修講座(3) 『議員必携』を読破し、基本を学べ

2011-11-24 | 政治家のあり方
 (この記事は2008年6月の再録です)

   
            
 議会議員の基本知識や基本精神を教えてくれる二冊の本です。左が全国市議会議長会編の『地方議会議員ハンドブック』。右が全国町村議会議長会編の『議員必携』。

 内容の価値や密度は、断然後者『議員必携』の勝ち。全国の議員さんも是非この本を購入して、内容を徹底的に勉強されることをお薦めします。もう購入されている方なら、すでに議会改革に目覚め、取り組んでおられると思います。


 そこで今日は、この『議員必携』の中から「議員の権限と義務」の項をまとめてお伝えしたいと思います。

 まず、「議員の権限」。議員が行使する権利について。これには8項目挙げられている。
①議会召集請求権。 ②開議請求権・・これは、議長が会議を開かない時、議員定数の半数以上の者が議会の開会を請求することができるというもの。 ③議案提出権。 ④動議提出権。 ⑤発言権。 ⑥表決権。 ⑦侮辱に対する処分要求権。 ⑧請願紹介権。 

 次に、「議員の義務」。これは議員がこれに違反したら懲罰が科せられたり議員失職する担う義務、責任。
①会議に出席する義務・・議員は議長からの招状を受けても正当な理由なく召集に応ぜず出席しない場合は、議決を経て懲罰を科せられることになる。議員が別に持っている本職が忙しいからと議会を欠席するのは、この地方自治法137条に違反していることから、懲罰を受けることになる。
②委員に就任する義務
③規律を守る義務
④懲罰に服する義務
⑤兼職の禁止
⑥兼業の禁止・・これはその自治体の仕事を請け負うたり、請け負う法人(会社)の役員になってはならないということ。

 次に、一般質問について『議員必携』には次のように書かれている。
「町村議会の活性化方策に関する報告書」の中に
《一般質問は、議員がその町村の行財政全般にわたって、首長等の執行機関に対し疑問点を正し、所信の表明を求めるものであるが、場合によっては一歩踏み込んで政治姿勢や政治責任を明確にさせたり、政策の変更・是正、あるいは新規施策の採用などを要求したりすることも可能である。したがって、議員にとってはその政策形成能力を発揮する重要な手段であるが、カイゼンすべき問題点もある。特に、議員側としては、地元の陳情に終始したり、首長へのお願いやお礼言上の場になったりすることは厳に慎むべきである》
とある。

 要点をまとめると、一般質問とは、
①執行機関に対し、疑問点を正し、所信を求めるもの。
②執行機関に対し、政治姿勢や政治責任を明確にさせたり、政策を変更・是正させ、新規施策の採用を要求するもの。
③議員の政策立案能力と、政策実現能力を発揮する場であること。
④一般質問で首長に地元の要望・陳情を行ったり、お礼を言ってはならない。
となる。

 これに私が付け加えておきたいのは、
⑤行政の現状について教えを乞うたり、金額やデータの数字を教えてもらって納得しているだけの一般質問も改めること。あれは恥を掻いているだけで、何の効果も行政への効果も全く無い。
行政の現状も、金額も、データの数字も全て、議会前に自分が県庁やその自治体の担当者に聞いたり、インターネットで関係事業を調べて調査した上で、まとめ認識するもの。それを基に質問原稿を書き、議会に望まなくてはならない。議会前、ほんの3,4日で質問を書き上げた“付け焼刃”の原稿では、やめておいたほうが恥を掻かないだけ、まだ増し。

⑥ ①の補足になるが、議会の責務は行政に対する厳しいチェックと監査にある。それを議会前の二ヶ月の調査によって議員としての責務が果たせているということをよく認識し、そう努力すること。

⑦ ③の補足になるが、議員の責務はチェック機関の一員であると共に、もう一つの役目は、提案。加えて、条例を議会に提案する議員提案条例を作成する仕事もしなければならない。提案する議会に改革していけるのは、議員一人一人のたゆまぬ努力でしか成し得ないことをよく知ること。

「議会の時に出席したら、後の二ヵ月半は遊んでいても報酬をくれる」なんて思ってる議員は、よくいう“給料ドロボウ”とのそしりを受けてもその人を批判する立場には無い。「あなたが悪いのです。不真面目なあなたが」。

⑧一般質問でも大綱質疑の質疑でもそうだが、ベテラン議員がその模範となること。
現在、全国の議場ではベテラン議員が後部座席に座り、質問にもあまり立たない傾向があるが、これは改めるべき。その議員たちが毎議会質問に立ち、持ち時間一杯、その主張や政策や知識や調査の優秀さを披露して、議場をうならせる生きた模範を示すことによって、新人や二期目の議員が育ってくるものだ。
でも現状は、その人たちが意欲を失い(元々なかった人もいるかもしれませんね)、模範となれない現状があるから、新人や二期目の議員がいつまで経っても意識に乏しく、育たないということも言えよう。

 むしろ、新人議員が議会の活性化に努め、その人は二期目になっても議会を引っ張っているが、あいつだけがなぜもてるというジェラシー、嫉妬心も手伝って、周りがそれについてゆけなくて、反対にその高い意識を持つ議員が孤立しまっている状況もある。もっとみんなが素直になれば町はもっとよくなるのですが、大人になるとなかなかそこが素直になれない。「もういまさらオレが努力しても遅い」と自覚しているだけに。

 だから、議会に一人ぐらい先進的な人物が突如として現れても、議会などという組織は変革できるものではないということだ。

 なぜなら、「賛成多数」で物事が決まっていく世界だからです。「多数」に意欲が無い場合、その「多数」の声の力で物ごとが進められてゆくことの、いかに理不尽なことか。それが、議会という組織のよい点であり、弱点でもある。

 これを解決するには、正義が理解出来る議員が一人ではなくて、二人以上出てくること。仕事熱心で賢明な議員が、報酬分以上の働きをしようといつも心がけている議員が多数派を占めるようになれば、議会は必ずよくなり、そこでやっと市民に貢献出来るようになる。

 そうならなければ、常勤の公務員のように毎日議員としての職責を果たそうと働く議員が一人ぐらいいても、現状のままの悪い状態で十年、二十年と時が過ぎてゆきます。

 だから、これはその熱心な議員が考えることではなくて、その熱意に乏しい議員さんたちが考えなければ、町はいつまでも変わらない。貴重な町の予算から報酬を毎月支払いながらですが。モッタイナイ。

 結論は、「8年間32議会の全てにおいて質問に立ってきた小生のように、地方議員は毎議会、一般質問に立ちましょう。そして、持ち時間(室戸市議会は50分)一杯の質問を首長と執行部の所管課長にぶつけることです。そのためには、議会前約2ヶ月の事前調査・取材活動が必要になりますが」。

 つまり、地方議員に休んでいる暇はないということだ。毎晩夜の街に出かけて行って飲み歩く暇なんてものはない。

 「議員になったら遊ぶことをやめ、町や村のために尽くすことだけ考えよ」ということだ。

 いやいや、この程度の能力しか持たない私がやってきたんだから、それもやる気になれば誰にだってできます。それを出来ないというのは、“あなたはもともと議員になる前からやる気はなく、報酬目当てで選挙に出ただけだろ”、そう言われても仕方がない。

 世の中、厳しいのです。いまやオリンパスや大王製紙の例を引くまでもなく、仕事をしない人間や法律・規律を守らない人間は組織や世間から厳しく糾弾され、やがては追放される目に遭う。だから、真面目が一番。

 組織にはマイケル・ウッドフォード氏やこの谷口のような公正で健全な組織経営を追求する真面目な人間がいてこそ、組織悪が明るみに出るもので、例えそんな組織や地域が現在の悪い体制を守るためにその気まじめな考えを持つ人間を悪意を以って追放しても、その道のりは長いかもしれないが、悪事はやがてその人物の力によって駆逐されるものである。


 ま、悪いことをする人というものは、悪いことを悪いことだと思ってないがネ。

 本日の講座の、これが結論です。


※電子情報誌「高知発!青空エクスプレス」は、11月24日(木)付けGooブログランキング(165万7417ブログ)中、4201位でした。

 昨日、いつになく過激な文章を認めたからか、(計算通り?)愛読者の検索数も上昇中です。誠にありがたく思っています。(笑)
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菅野、がんばれ!

2011-11-23 | 人間のあり方
 昨日21日、先のドラフト会議で日本ハムから1位指名を受けていた東海大の菅野投手が自分の夢である巨人入団を目指し、日本ハム入団を拒否して1年間の「野球浪人」を決めた。

 これに関してテレビに出ているスポーツライターや政治評論家、芸能評論家などコメンテーターのほぼ全員が、「彼は身勝手だ」、「ドラフトという制度があるんだから、菅野は日本ハムに入団すべきだ」とか、「彼は野球がやりたいんだから、どこでも指名を受けた球団に入ればいいんだ」と、かまびすしい。
 
 私は朝からテレビでそんな場面が出る度にコメンテーターに向かって叫んでいる。

 「何んにも解ってない人間が分かったふうにふざけたことを言うな! もしその菅野があんたの子なら、おまえはその子に同じことが言えるのか! 言えんだろうが!!」。

 そこで、全国の物事のなんたるかが解っていない人が言うこの勝手極まりない評論に対して、私から反論しておきたい。

 じゃあコメンテーターのあんたがた全員に聞くが、あんたの息子トモユキは少年時代から勉強はそこそこだったが、少年野球には熱心に取り組んできたとしよう。父親も母親もそれに協力して支援してきた。そしてトモユキは、中学、高校と野球の名門校に入ってレギュラーになり、やがて2年生の時からはプロ球団からも注目される選手になった。親はうれしくなって、更に息子がプロ球団に入れることを強く願い支え続けるようになった。

 高校野球では甲子園大会に2年続けて出場、エースである息子の大活躍もあって準優勝します。大学時代に入ったころにはすでに、少年野球をしていたころからあこがれていた球団であるし、今その球団の監督をしている自分の叔父さんもかつてはホームランバッターとして活躍していたA球団に入りたいと考え始めていた。

 そうして大学野球では速球派投手として名高くなり、4年目にはプロ野球のドラフト会議を迎えます。

 もう彼の目標とする球団は大学1年生の時から1本、「A球団」と決めていたし、そう世間にも公言してきた。つまり、「ほかの球団が指名しても入りません」と決定していた。だから、彼は「希望通り、A球団に入れる」と考えていた。

 しかし、好事魔多しの例え通り、ドラフト会議まで「ぜひうちの球団に入ってほしい」とも「指名します」の球団の決定事項としての挨拶もなかったB球団が、いきなり割り込み指名したのである。これには全国の野球ファンが驚いた。そして、しばし考え、B球団には失礼のないように礼を尽くして「入団しません」と伝えた。

 ・・・ということだ。

 これは、当たり前の結論だ。子を持つ親なら誰にでもわかる判断である。子どものためを思い、親はみんなそうするだろう。 

 であるのに、「ドラフトという制度があるんだから、菅野は日本ハムに入団すべきだ」とか、「彼は野球がやりたいんだから、どこでも指名を受けた球団に入ればいいんだ」とか、かまびすしい。世の中にはこんな簡単なことが分からないテレビコメンテーターばっかり。情けない。

 「ドラフトという制度があるんだから、菅野は日本ハムに入団すべきだ」だって? 「彼は野球がやりたいんだから、どこでも指名を受けた球団に入って野球をしたらいいじゃないか」だって?

 では聞くが、あんたの息子がもし少年時代から上の例のような少年時代を送り、高校生の時には甲子園のマウンドを踏んであんたの息子の大活躍で決勝戦まで進み準優勝し、大学でも大学リーグで優勝し大学選手権でも優勝したとしよう。その子は大学時代から、「叔父さんも長年そのチームで活躍してきたし、ボクも少年野球をしていたころから“あのチームに入りたい”と憧れてきたから、大学を出たらA球団に入る」と言っているものを、世間一般の無責任な人間どもと同じように、「ドラフトという制度があるんだから、トモユキあんたは指名してくれた日本ハムに入団しなさい」とか、「トモユキは野球がやりたいんだろ?だったら、どこでも指名を受けた球団に入ればいいじゃないか」、そんな無責任なことが言えるのか!

 言えないだろう! きっと、息子トモユキの身になって「トモユキ、あんたの人生や。どこに入るかはあんたが決めたらいい。1年浪人するのも人生、叔父さんがいるA球団をあきらめてB球団に入るのも人生。でも、言っておくが、3年後、5年後、10年後に悔やむような人生判断だけはするなよ」こう言うのが親だ。

 子どもの希望をかなえてやりたい。それが親と言うものだ。

 それと、例えばこの菅野選手が入りたいというプロ球団があんたが憎いと思っている巨人ではなくて大好きな阪神だったら同じことを言うか、そして又、もし希望球団が横浜だったら「横浜に入りたいなんて言わずに日本ハムに入れ」と、同じように言うか。それも一度考えてみなさい。あんたがいったコメントが如何に勝手極まりないかがわかろう。

 このように、一人の人生の方向性は一つではないのだ。だから、よーく考えてものは言わなくてはならない。

 だから、「菅野は日本ハムに入るべきで、浪人するという判断には私は反対だ」、そう言っている人間はみな無責任な人間だと言っていい。自分の子の夢なら息子の判断を支援し支え尊重し、他人の子が描く夢なら尊重せず、誤った考え方の基に理想論だけで勝手な極まりないことを言う。

 あんたらはバカか? あんたらみたいな自分さえ良けりゃ他人はどうなってもいいという無責任な人間が、この地方行政や地方議会も破滅に追いやり、地域社会を衰退させているんだ。

 テレビコメンテーターの皆さんに反論があれば、もう一度言う。あんた方も子の親だろう。ジャイアンツに入りたいと10年も前から言い続けている実力を持ったあんたの息子に、父親であるあんたは「巨人は諦めて日本ハムに入れ」と言えるのか! そして母親であるあんたもだ。言えるのか! 言えないだろう。

 だからテレビに出ているからと、ピントの外れた、ふざけたことを言うなといいたい! 

 菅野に謝れ! 「私たちが間違っていました」と。

 それと、昨日今日あんた方が言う菅野選手が野球浪人を決めたという出来事に対するコメントを見聞きして考えると、あんた方がこれまでテレビで言ってきた世間の事件や問題についてのコメントも全部、見当違いな判断ばかりだと解ったことも付け加えておく。


 最後に、菅野選手へ。

 「初志貫徹」。夢を簡単にあきらめた奴に、碌な人間はいない。1年間、実戦経験がないというリスクはあるが、君のこれからの15年20年と続く野球人生を考えれば、ドラフト制度や野球規約の範囲内でアメリカに野球留学したり友達や先輩から協力を得ながらの1年間のトレーニング期間なんて、短いもんよ。一年なんて、すぐくる。

 トモユキ、頑張れ。希望球団に入れるように陰ながら応援してるぞ。

(追記)
 昨日、匿名のコメントを下さった方がいますが、1行を読んで“暗闇からの石つぶて”と認定しましたので、2行目からはまったく読まずに即刻に削除したことをご報告しておきます。

 尚、コメントいただいた方は次の記事「暗闇からの石つぶてでは何も変わらない」をまだお読みでないようですので、是非最後にご一読いただけたらと考えております。

 又、全国の方々が書くブログ記事はどうか知りませんが、私が書く電子情報誌は私と意思を同じくする方々に資するためにと、Gooブログのご協力を頂きながら、無料で書いているブログです。暗闇から石つぶてを投げるあなた、もし記事に反意を以って毎日見ておられるなら、本日から本電子情報誌に出入りするのはお止めいただきたい。

 毎日、暇つぶしに楽しんで読み、知人や友人たちには私に対する見当違いのことを言いたい放題言って広めておいて、気に入らなきゃこうやって暗闇から石つぶては投げるわでは、例え世間が許しても私にとっては迷惑でしかない。気に入らなきゃ、最初からこの情報誌を見に来なきゃいいんです。

 このように、全国のネットサーファーの皆さんには“ブログとは、熱心に書いているブロガーの記事(特に私が書くような評論記事)を無料で読ませていただいているもの”だとの認識が薄いが、読者はそのことも併せてお忘れなきように。

 又また厳しいことを申し上げましたが、すべて正論です。あしからず。



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地方議員研修講座(2) 政治家の能力アップは読書から

2011-11-22 | 政治家のあり方
 (2008年5月の記事の再録です)

 平成15年4月の市議選で私は議員にしていただいた。立候補者21名、当選18名中、12位。後援会も作らないし当然、運動員は一人もいない。「そんな女房と二人だけの選挙、97049円の選挙費用での当選は、全国の地方選挙において、例が無い」、「19年4月の選挙の経費は45000円、23年の経費は2500円だった」と書いた。

 初当選から五年が過ぎた。行政では不正や不公平、不適正や不適切など、あってはならない事が放置され、してはならない事が行われていたし、いくら指摘し改善を求めても、なぜか未だに全てが改められたわけではない。我が町の自治体の状況を見れば、他の全国の市町村の状況も押して知るべしで、そんなに変わりは無いだろうことが解かる。

これは議会に関しても同じで、全国においても、指を折って数えるぐらいのほんの一握りの先進的で改革指向の有能な議会を除くと、大体似たような状況にあるだろう。

 ここに「ぎょうせい」発行の、『ガバナンス』という情報誌がある。これは、副題を「21世紀の地方自治を創る総合情報誌」とする、自治体議員と自治体職員を対象にした月刊誌です。毎号、勉強になる特集などが並んでいるので、よく読んで、課題を見つけて研究し、先進地や先進的行動をする議員に学んで実践すれば、読者の能力アップは、まず間違いない。

 私もこの中から議会改革の重要性を学び、独自に議会基本条例を作成して議員提案しようとしましたが、議員の理解を得られず、断念した。これはほんの半年前のことです。これも、先を走ると周りとの軋轢を生むという、一つの例。仕方無いことだ。

 ですが、人間生きていくのに、道は一つではない。私は私の新たな道を模索すればよいだけのことで、議会改革の可能性が消えうせても、何も悩むほどのことではない。今新しい道を既に歩み始めており、そこでまた力を発揮しようと取り組んでいます。それはきっと、町の発展のために一つのエポック・メーキングな活動になると確信している。


 さて、『ガバナンス』6月号(2008年)の中で注目した記事があったので、その中の一部を抜書きして、私見を書き添えたい。

《1990年代移行、推進されてきた地方分権の流れの中で》(議会が)《いきなり二元代表制の一方と持て囃されても、首長部局との実質的な対等関係の構築は困難という見方が一般的であった》

→(谷口私見:首長部局主導、首長部局依存の体質では、いつまで経っても二元代表制は構築できない)

《地方分権改革が着手されて久しいにもかかわらず、自治体議会、中でも都市的地域では無い農林漁業を主産業とする地域の市町村議会等では、ある誤解が蔓延していた》(ある誤解とは)《地方分権改革を無駄を省くことこそ至上命題と捉え》、《一方では首長部局の冗費節減をはじめ、住民の不平や不満を声高に代弁することを繰り返していた》。

→(谷口私見:イヤイヤ、それすらも行われてはいない)

《そして何よりも滑稽なのは、この事態が認識できない者たちによって自治体の議会が構成され運営されている事実である》

→(谷口私見:正にその通りの現状にある)

《二元代表制というシステムの中の機関対立主義と言う原則は、首長との敵対を意見するものではなく、かといって逆に首長との馴れ合いを意味するものでもない》

→(谷口私見:正にその通りだが、その前に議員たるもの、首長と敵対するぐらいの意欲と気骨が必要であるし、「馴れ合い」の関係にならなくてもよい実力を身に付ける必要もある。「意欲と実力」、これを持つ議員がどれほどいるのか)

《議員に対する世間の評価はかねてから大変厳しい》、《彼らに対する辛口の評価が有権者によって行われ、次の選挙で厳粛な審判が下されるのはむしろ望ましい》

→(谷口私見:その通りだが、地方議会の選挙はそうはならないことをもっとよく調べて知っておくべし。
なぜなら、四年間の議員活動における正当な評価に対して住民は「それはそれ」として、四年後の選挙の時になると、それら四年間の評価は議員の「質」に関係無しに大勢が集(たか)り込んで、その議員のために運動をする。その結果、多くの住民は評価の低い、あまり市政に貢献もしていないし、議員活動といえるほどのこともしてこなかった議員に投票し、上位当選させている現状が、日本全国にあるからだ。これでは、地方はいつまで経っても良くなる訳が無いし、地方分権を支えるだけの頭脳は確立出来やしないだろう)

《自治体議会は職業としての政治に関わる専門家なのか、政治にも行政にも素人であり、首長の召集した会期の間だけ働く季節労働者なのかという素朴な疑問である》

→(谷口私見:私のように職業として政治に関わる専門家もいれば、季節労働者的な議員もいる。これは、一つの意識を以っていれば前者で、意識を持たなければ後者であるのは間違いない)

《議会が首長と共に自治体という車の両輪たり得るためには、個々の議員が自らの得意分野を確立したプロとして各々が守備範囲を確定》すること。その上で、《自治体議会という機関の一員たることを自覚しながら議会自身の『創意と工夫』を首長に提示し続ける力を蓄えていく事が必要》

→(谷口私見:議員として「プロ」のなるには、議員になるまでの人生の上で培われてきた人間の資質が大いに左右する。その資質のレベルがもともと低いと、これは議員になってからレベルアップを図ろうとしても、もうそれは無理な話。
だから、議員になってから議員としてプロになれる人は、議員になる前から既にある程度、能力を持った人だといえる。それ以外の人は、任期をいくら重ねようとも、プロといえない能力のまま議場を後にし、去っていくことになる。十年議員をやろうと、二十年、三十年議員をやろうとも、能力が身に付かないまま議場を去っていく例は、この世の中多いものである)

 以上、議員のための情報し、『ガバナンス』の記事の中から拾い、議員は如何にあるべきかを考えてみました。議員のプロになりたい方は是非、「ぎょうせい」から出ている月刊誌、『ガバナンス』を御購読下さい。(宣伝料をもらっているわけじゃないですが)

 国会議員や国家公務員をはじめとして、全国に「政治家と公務員はいかにあるべきか」をお勉強しない地方議員や首長、行政職員は多い。

 首長にとっては少なくてもその職務に就いた時から地方行政がいかにあるべきかのお勉強は欠かしてはならないものだが、地方議員についていっても、欠けている力として特に有名なのが「財政知識が全く無いこと」。だから、財政知識が全くない議員が「行政のチェック」という職務である議員職に就いているということだ。つまり、そういう議員は仕事もしないのに住民からお給料をもらっているんだから、“報酬泥棒”ということになる。

 だから、住民からそう言われないように、地方議員は本から学ばなくてはなりません。


 なぜ「本からか」と言うと、地方議員の周りには行政知識や地方議会のあり方を教える程の公正・適正で豊富な経験や知識、高い能力を持った先輩議員や人物はいないからだ。

 地方議員になってすぐしなければならない大事なこと、いやいや違う、議員になろうと選挙に初めて出馬する前からしておかなくてはならない大事なことは、行政や議会についての専門書を自分のお金で買ってきて学ぶのはもちろんのこと、企業や団体のトップがその組織のあり方について書いた本、歴史上の人物の生き方について書いた伝記物なども、“行政経営”と“議会経営”について学ぶため、「自分のお金」で買ってきて読み、考えること。

 そして、その専門書やあらゆる著作から得た知恵と知識を自分のそれからの経験に活かしながら他の地方議員にはない能力として高めてゆくことです。

 中でも、「本は自分のお金で次々と買ってきて読むこと」が大事。

 欲深い人は自分では金を出して買わず、他人が買った本や書店の立ち読み、喫茶店においてある本を読むだけ。首長や地方議員や行政職員にはそんな自分だけ得しようとする人が特に多いが、自分の金を出して買ってきて読んだ本だけが自分の“実”となることも覚えておく必要がある。

 自分のお金を出して買う行為はそこでなにがしか自分の“身を切っている”ことになり、喫茶店などで読む本や他人の買ってきた本から学んだ知識は読後すぐ忘れてしまうが、身を切れば「この買った商品(本)を生かさなくては買った甲斐がないし、損になる」と考え、その後の自分の人生に活かすことができる。

 だから、「他人のふんどしで相撲を取ってはいけない」ということだ。


 では、今日はこれで講座を終わります。また、一緒に勉強しましょうネ。


※電子情報誌「高知発!青空エクスプレス」は、11月22日(火)付けGooブログランキング(165万6700ブログ)中、4199位でした。
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地方議員研修講座(1) 平民宰相・原 敬の生き方

2011-11-21 | 政治家のあり方
 さて、先週までは「理想的な首長像」を再録しましたが、今週は2008年5月から7回にわたって連載した“理想的な地方議員像”ともいうべき記事、「地方議員研修講座」をもう一度掲載いたします。理由は、「住民からお給金をもらっている立場の地方議員はいかにあるべきか」をお勉強もしないで議員を続けている人が大部分だから。

 では、耳の痛い文章が続きますが、これから一週間、よろしくお付き合いください。


 かつて、大正7年に首相に就任した原敬(はら・たかし)という人がいました。原以前の首相は全て華族でしたが、原は大多数の国民と同じ平民出身ということから、「平民宰相」と謳われたことは有名です。数多くの政治家と違って、叙爵(じょしゃく)を拒否し、平民であり続けました。「叙爵」とは、爵位を授けられること。

 その理由は、《国の指導者は、国民から選ばれた衆議院議員でなければならない》と考えていたからといいます。

 明治、大正から、昭和22年までは、選挙を経ないで華族らが議員となる貴族院があった。爵位を得ると貴族院議員とされる、それ故、原は爵位を頑なに拒否した。

 このことから、政治家を目指すに当り、国民に選挙で選ばれることの重要性と、国民の審査をなんら経ずに議員となった人ばかりの貴族院にいることで、国民から自分も他の議員に向けられていると同じ目で見られるこの二つのことを嫌い、頑なに爵位を受けなかった事が分かります。

 この原敬の座右の銘は「宝積(ほうじゃく)」。「宝積」は「宝積経(ほうしゃくきょう)」を指し、この経の本義に「人を守りて己を守らず」とある。これは、人に尽くして見返りをもとめないことで、同経を実践しようとしたもので、原の生き方が単的に表された言葉といわれている。

 栄誉を求めず、爵位を求めず、ただ平民を全うすること。誠に感じ入る。私は議員の端くれとして、見習わなくてはならない。「市長になりたい」だの、「議長になりたい」だの、「委員長になりたい」だの、そんな名誉や権威を追い求めることよりも、もっと大事な事があるということです。

 それは、議員としての職責を果たすこと、住民のために尽くすこと、住民の負託に叶うだけの成果を挙げるよう努力すること、報酬分以上の働きぶりで仕事をすること・・・・。いくらでも挙げられる。


 手前味噌になるが、私は15年に議員になった時に自分に重い荷物を背負わせました。それは住民に選んでいただいたことを考えると、気を抜くこと自体がもう職責を全うしていないと判断したからです。

 その「重い荷を背負う」とは、県外のある元議員が戒めとしている言葉を基に、私なりに次のような十訓を作ったことに因る。

「市議会議員の評価基準」

1、一般質問は毎議会行っているか。

2、どの議案に質疑し、賛成(または反対)討論し、賛成し、反対したか。それは積極的か。

3、政策実現はどのくらい出来たか。

4、公約は守っているか。公約以上の活動を実践しているか。

5、全市的な視野と観点で政治に取り組んでいるか。ドブ板議員にはなるな。

6、違法をしていないか。違法を追求しているか。違法な行いを続ける悪い地方政治家を許してないか。

7、市民の視点で働き、市民の声を代弁しているか。市民の犠牲になれているか。

8、公平、公正で、大局に立った姿勢を忘れていないか、何が重要か忘れるな。

9、利益誘導、不合理な口利きや働きかけをしていないか。

10、威張ったり、傲慢になっていないか。

 筆書きしたこの十訓を、私が毎日座るパソコン・デスクの前の壁に貼ってある。議員として揺るぎなく毎日これを守り、一日として気を抜いたことがなく、真面目一筋で活動を続けている。

 だから、自慢ではなく事実を申せば、この5年間、一般質問を欠かしたことがないのは私だけですし、普通どなたもしない討論に登壇した回数も一番多い。勿論、用意周到、議会で大綱質疑がある前日までに質疑原稿も仕上げて、その日に臨んでいる。
 
なぜ、こうして精力的に議員活動をするのかと言うと、他の人のことは関知しないが、気を抜けば負けるから。それだけです。他の議員に負けるのが癪に触るから、負ける事がいやだから、頑張っているんです。夜昼無しに頑張るのは疲れますが、とにかく負けたくないから、一生懸命これまで四十年、生きてきました。

 それと、住民の皆さんに、「谷口、お前は議員報酬分の仕事をしていない」と言われたくないからです。
それに、「谷口、お前は、不正を許しているのか」と言われたくないから、不正を許さないのです。
それに、「谷口、お前はしてはいけない不正な働きかけをしているじゃないか」と言われたくないから、どこかの人みたいに、市長に「あの会社を指定管理者にしてやって下さい」なんて悪いことは絶対にしません。

 企業などとは利害を持ちたくないから、市議選では運動員の助けを借りることなく、女房と二人だけで選挙運動をする。だから企業や団体の支援は要請しないから議員となった後もそれらとの悪しき利害関係は全くない。選挙選で使うお金も少なく、15年の市議選では手作りの看板代と公選はがき代、茶菓子代の合計97000円、次の19年の市議選では看板を作るお金が節約されたから45000円で済んだ。今年23年4月の市議選ではお茶菓子代に2500円を使っただけ。

 とにかく、議員は自分に重い荷を背負うべき。あれも、これもしなくちゃならないと思って仕事をすべきです。してもしなくてもいいなんて気持ちじゃ、いつまで経っても議員として一人前にはならない。そして、仕事は自分で課題を設定した上で、次から次ぎへとその課題に関して取材・調査・研究を重ねること。

 県庁の担当課に行き、自分の自治体の課に行き、インターネットで調査し、その上で自分の考えをまとめて、やっと次の議会の課題、質問項目が固まって来るんだと思っています。

 憲法第15条には、「全て公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と規定されている。議員は、住民全体の利益のため、この法令に基づいて公平にその権限を行使すべき厳しい立場にある。つまり、住民全体の立場に立つ議員として、勇気を以って公平・公正に、正しい判断を下すべきもの。議員は正義の味方として努めなくてはならないのです。

 地方議会の議員は決して、一部の地域や特別の個人や企業の利害で物事を判断してはならないし、動いてはならない。

 原敬首相のように、「名誉的地位に恋々とせず、人に尽くして見返りを求めない姿勢」。

 これこそが政治家が一番守らなくてはならないルールである。

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理想的な首長像(6)真のリーダー

2011-11-16 | 政治家のあり方
 (11)真のリーダーの登場

 真のリーダーは自然発生的に突如として現われるものだ。

 だが、たいていの場合、周辺の人たち誰もがよく知っている人物がリーダーのいすに座る。かといって、そんなリーダーだから不適当かというとそうでもないが、そのリーダーを決める選挙に出てくるのが前職などかつて政治にかかわったことのある人の息がかかった候補であることを見ると、首長選はいわゆる“代理戦争”である場合が多い。

 “候補替われど主(ぬし)変わらず”で、相も変わらずまちの勢力争いが続いていることに住民はホトホト嫌気がさしている。「どうせ、首長になってまたこうするんだろう」と住民は読んでいる。又、真のリーダーが候補として登場した時、それがだれであってもリーダーになられては困ると考え、その“芽”を摘みにかかり、足を引っ張り、リーダーにならさないように画策する人や勢力が、間違いなくどのまちにもいる。

 その人物が首長になればそれまでの首長の誰よりも高い能力がありまちが良くなるのであっても、癪に障るから、リーダーにさせないように企む。だから、リーダーを選ぶ時、まちが良くなってほしいというよりも、自分たちの“身内”が首長であってほしいと考えているだけだ。

 まちに有能なリーダーは必要だが、まちがこのような体質にあるうちは有能なリーダーがまちのトップに座ることは、まずない。不健全な利害関係を温存したリーダーばかりが次々と出てきては去ってゆく。その繰り返しだ。

 こんな悪い体質を変えるには、まず住民が意識を変えることしかない。有能なリーダーが名乗りを上げやすい空気を醸成し、人為的にリーダーが現われやすくすることが望ましい。小さなまちを救うのはその方法しかない。真のリーダーといえる有能な人物の出現が待たれる。

 最後に書き加えておかなくてはならないことがある。首長に就任し、数年経って職を辞したその後のことを。

  首長経験者は、その職にあるときの功績よりも、失政の方をよく語り継がれる。その職にあるときに無理やり建設した“負の遺産”ともいえる施設のこと、政策において行った違法や不公正、不公平、不適正な業務運営などについて末代までも語り継がれることを、首長選に出馬するときからよく認識しておかねばならない。でないと、首長になって何年間も議員や利害を持つ企業・団体に悩まされ苦労しても、結果的には引退後に自分の名を汚すだけだから、首長になっただけ損ということになる。

 さて、この「理想とする首長像」の記事はこれで終わりにします。理想的な首長が登場せずお困りの市区町村の住民の皆さんにとって、この特集記事が少しはお役に立てたでしょうか。

≪まとめ≫ これまで挙げた「理想的な首長像」を短くまとめておきたい。

まず体が健康体で、
人の話に耳を傾ける誠実で素直な性格を持ち、
行政運営においては悪人の声は一切聞かず全て排除し、
健全な人からの助言や諫言には素直に耳を貸し、改めるべきは素直に改め、
知性と品性にあふれ、
発想が柔軟なアイデアマンであり、
住民の生の声を真摯に聞く姿勢とそれをメモに書き留めておこうとする姿勢をもち、
組織の危機には適正な指導力を発揮し、
部下である職員の意見に率直に耳を傾け、それを自らの過ちを改めるよき指針とも為し、
政策は先見性と先進性に富み、
何事にもここぞという時に決断力を発揮し、
それでいて自制心と見識をもち、
財政情報は住民から厳しい批判を受ける前に自らが自分たち執行機関に不利な“負”の指標の全貌も全面公開し、
行政と議会は二元代表制を基に両者が抑制と均衡を保持しながら並び立つものだとの基本認識を忘れないでいて寄り添わず、
議会の答弁ではウソ偽りは言わず、
コンプライアンス(法令順守)精神に富み、国の法律はもちろんのこと自治体の条例・規則も厳格に守りながら真実を以って説明責任を果たし、
改革精神に富み、
選挙では金品を配るなどの公職選挙法に違反する行為は一切せず、又、利権を目的に選挙に出馬するのではなくて、純粋に「このまちが良くなってほしい」と願ってまちの企業や団体などの勢力の助けも得ずに立候補し、当選後はすり寄ってくる企業や団体などとの悪しき利害関係を排除する勇気を持ち、
「人の上に立ち、人を束ね、正しく向かうべき方向を指し示し、人を動かす」ことができる、そんな人物。


 私はこんな人物が地方自治体の首長になってほしいと思っている。(ま、こんな立派な人物が世界どこを探してもいるわけないか)

  首長職の基本は、日本国憲法と地方自治法、そして自治体で制度化するいろんな条例・規則・要綱を守ることである。よって、この程度の自治体の基本たる法令も順守できない利己的な人間は、首長に選んではならない。それは、そんな無法な政策が実行されることによって、知らん間に住民自らが損失を被っているだけだからだ。

 「庶民は泣きをみる、その陰で肥えるのは政治家だけ」。そんなことに手助けするのは、もうやめようではないか。


 
※電子情報誌「高知発!青空エクスプレス」は、11月17日(木)付けGooブログランキング(165万5163ブログ)中、4713位でした。
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理想的な首長像(5)説明責任を果たす

2011-11-15 | 政治家のあり方
 (9)真実を以って説明責任を果たす

 ご存じのように、首長には説明責任がある。最近ではこの「説明責任」を「アカウンタビリティ」といい、自治体運営の基礎となっている。

 アカウンタビリティとは、首長等執行機関の行為や意思決定機関の過程を住民にオープンにし、なぜそのようになるのか、あるいはなぜそうなったのかを説明する責任である。

 住民や議会からの、「どうしてこれを行うのか」「どうしてこんなやり方をするのか」「どうしてこんなにお金をかけるのか」「今後、赤字になってムダに公費を支出しなければならなくなるのに、どうしてこんな施設を建設するのか」「これを行う時、どうして法律を破ったのか」等々の問い掛けに対し、首長や行政職員はその考え方や政策の手法を筋道を立てて説明することが必要になる。

 その説明責任に欠かせないのは、「真実を以って」だ。いくら「私は首長として説明責任を果たしている」と言い張っても、小松室戸市長が不正を追及された時の議会答弁のようにウソばかりで逃げているようでは「説明責任を果たしている」とは言えず、それは「首長としての説明責任を果たしていない」ということになる。

 私の八年間の議員経験からいうと、重要な案件においていくつかの場合、その問いに対してウソの答弁で取り繕い、質問への直接的な答弁をしていない。17年度に行われた温浴施設の二回の指定管理者公募事業。19年、20年、21年度の温浴施設指定管理者に関する計画書と赤字補てん。20年11月の高速バスターミナル施設建設事業。少なくてもこれらは不適正で違法性があるが、行政側の武井前市長と小松現市長は虚偽の答弁で逃げた。

 違法な業務には全て「違法だとは考えていません」と逃げ、計算の合わない計画書の数字を指摘すると市長や担当課長らが点検してこれは適正だと結論を出したものであっても、「これは企業側が提出してきた計画書です」と自分たちの責任から逃げ、無駄に公金を支出して建設した赤字施設に関しては「市民が利用しているから」等と、行政側は逃げの答弁ばかり。

 私の問いに正面から答えられないで、言い訳に終始して醜態をさらし、とても説明責任など果たせていない。

 書物によると、もともとアカウンタビリティとは、「会計責任」のことをいい、公金の使途のつじつまが合うことを意味したものであることからすると、首長等執行機関が行う説明責任とは、公金や法律に関してつじつまが合うように明確に説明することだと言える。しかし、首長は特にこの二点の説明責任が果たせない。

 議会で行政の違法を追及している問題を例に挙げると、問題を指摘した点について理路整然と法律の条項を提示しつじつまが合うようにその法的根拠について説明できないところをみても、室戸市の重要事業のどの問題も市長としての説明責任を果たせているとはいえない。

 この説明責任を回避する首長では「納得のいく行政」の実現はあり得ない。だから、これまで七年間の市政は明らかに「納得のいかない行政」だった。


(10)二元代表制の認識

 行政と議会は、法制的にいうと「首長等執行機関」と「議事機関」。首長と議員を共に住民が直接選挙で選び、一つの自治体を行政と議会の二組織が運営してゆくのが二元代表制である。この二元代表制の正しいあり方は、首長と議会が相互の抑制と均衡によってある種の緊張関係を保ちながら、議会は行政(首長等執行機関)とは対等の機関(議事機関)として、自治体運営を監視・調査することや基本方針を議決すること等のほか、積極的に政策提案などを行うことである。

 その議会は憲法第93条と地方自治法第六章で「議事機関」と定められた住民を代表する機関であるから、議会審議をすべて「異議なし」で終わらせるようではその役割を果たしているとはいえず、地方自治法上の権限を適正に行使し、地方公共団体の意思決定機関でなければならないといえる。

 よって、一方の「首長等執行機関」の特に首長は、議会の議決を経たうえで事務を執行することになり、いくら自治体のトップとなった首長といえども、独断専行は許されない仕組みになっている。故にこのことから、議会が如何に住民の側に立って議会に提出されてきた議案等を判断しなければならないかが解る。

 こういう認識が首長と議会議員の双方になくてはならない。首長に寄り添って違法性を孕んだでたらめな議案をそのまま表決で賛成してしまったりすると住民から議会としての責任が問われるし、首長にしても議案に違法性があっても不公正であっても議会は通るといってそれをそのまま議会に提出するようでは、これもまた住民からその責任を問われることになる。

 議事機関(議会)には、執行機関(行政)が行う政策のすべては議会が決定したことであるとの認識が、まず必要。そう認識していれば、行政がこれまで行ってきた全ての責任は自分たち議員にあるということが分かるはずだ。だから、首長が議会に違法性がある議案を提出し、それを議会で満場一致で可決し、それを行政が違法なまま事業を行った場合、その結果責任は首長はもちろんのこと、同じように議員全員にもある。ということは、議会が違法な議案を賛成多数で可決し通すと、その議案に賛成した議員も首長と一緒に住民から責任を問われるということだ。

 そして議会の使命は、何度も書いてきたことだが、議会が決定し行政が行っている行財政政策の運営や実施、事務処理がすべて適法・適正に、公平・公正に,なおかつ効率的に行われているかどうかを監視・調査し、住民の視点に立って適正でないと判断した場合は、批判し改善させることである。

 唯、議員を改選した時に議員の能力の如何によって議会組織が弱体化してしまう任期もあるが、そうなると議会は首長等執行機関の下部組織と化し、議会組織の権能は完全に失われてしまう。違法な内容の議案が可決され、不公正で、不公平で、不適正な議案が次々と可決されてゆき、こうして住民サービスに使うべき自治体の財政から巨額の公金が不当に支出され続けるのである。

 だから、議会の弱体化は住民がよく考えて防がねばならないし、住民によってそれは防ぐことができる。それには、地方議会選挙において、単に権力争いしているだけの現職議員や同等の候補には投票せず、行政を監視し調査活動をしコツコツと真面目に議員としての責務を果たしている現職議員や同等の候補に投票することです。そんな議員が定数の過半数いれば、行政側も違法や不公正、不公平、不適正な議案は出せなくなり、そのことによって適正な議案を出さざるを得なくなり、法律に関しても勉強も深めるようになる。そうして、自ずと健全な行政組織が形成されることになる。

≪議会が議会としての職責を果たせば、行政組織は間違いなく健全になる。首長と職員が間違いなく健全に行政としての職責を全うすれば、議会は必要ない。≫

 「では、なぜ尚まだ議会が必要か」と聞かれれば、逆もまた真なりで、行政組織が信用ならないからだ。だから、首長に必要な資質をすべて持ち合わせた有能な人物で、かつ法律を厳格に守る首長が上に立つこと。そうなれば議会はいらないことになる。

 これが今回の結論です。
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