青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

木偶の坊になる勇気

2010-08-30 | 地方のあり方
 宮沢賢治が小さな手帳にしたためた、深き思い。表題は無かった。

 賢治死して後に、「雨ニモマケズ」と付けられた詩である。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキ小屋ニイテ
東ニ病気ノ子供アレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニ疲レタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ

≪雨にも負けず、風にも負けず、
雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体をもち、
欲はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている。

一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ、
あらゆることを自分を勘定に入れずに、
よく見聞きし、分かり、そして忘れず。

野原の松の林の蔭の、小さな萱ぶき小屋にいて、

東に病気の子供あれば、行って看病してやり、
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば、行って怖がらなくてもいいと言い、
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い、

日照りの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き、

みんなに木偶の坊と呼ばれ、
褒められもせず、苦にもされず。

そういう者に私はなりたい。≫


 今の太平の世ではとても宮沢賢治の真似はできないが、人に尽くし地域に尽くすとはこういうことを言うのだなと痛感する。

 それと、これは賢治が「みんなに木偶の坊と呼ばれ、地域や住民に尽くしても褒められもせず、苦にもされない、そんな人になりたい」と願っているのではなくて、これは逆説的なものだったのだろうと思う。

 心情として、「私はもう『そういう者』になっている」、でも「西東、北南と駆けずり回り人助けをしていても、みんなからは木偶の坊とまで言われ、褒められる事などない」と。だから、最後で「おれは、どうせそんな人間なんだ。だから・・・」と、拗ねているようにみえる。

 この詩の大半を占めるいろんな出来事が非常に微に入り際に入り、こと細かく例えられるということは、自分の体験談だからこそ。ということで、この詩は宮沢賢治が自分の来し方を振り返って、思うようにいかない人生を嘆いた、いわば遺書のように手帳の隅に書き残した書き置きにも見える。

 人間とは、こんな自我を捨てた崇高な精神にまで自分を高めることはなかなか難しいものだ。

 室戸の変わり者として名高い(?)小生も、昭和の終わりごろからこの「雨ニモマケズ」を教えに、賢治と同じように地方にいて出来るだけそうありたいと強く思い、家族は犠牲にしながら少ない蓄えをはきだし、はきだし、借金も重ね、とにかく庶民の暮らしや文化を高めたいと考えながら約十二年間、努めていた。

 そんなとき、地域住民から一定の評価がなければ、地方のためにと努力していても、やっぱりせいがないし、続けられない。

 賢治は「木偶の坊と呼ばれ、褒められもせず」と書いたが、褒められたくない人はいない。自分の活躍を評価されたくない人はいない。「豚もおだてりゃ、木に登る」とも言う。でも、賢治はこうも考えた(と思う)。「褒められるからする、褒められないからやらない、ではだめだ」と。

 そもそも「人のために働く」とは、自分のお金を捨て、自分の時間を捨て、自分の体を捨てて行うもの。それは、人からお金をもらおうとしないこと、行政からのお金に頼らずに人助けや“地域助け”(地域づくり活動)をすること。そう思っているし、そうしてきた。

 行政にすがるということは、すでにそこに行政との利害が生まれ、そのために自分たち住民の活動を行政が規制するようになるという意味であるとともに、住民活動の価値まで一部は行政が奪ってしまうということでもある。つまり、「行政にすがる・人に頼る」ということは、自分たちの評価をも失うと知っておかなくてはならない。


 話がそれた。

 宮沢賢治は、自分を「そういう者」ではないかのように「私は、そういう者になりたい」と書いているが、ホントは彼は、すでに清貧でいて無欲で、人や地域のために尽くし続けてきた人だった。だから、実は、この一文を手帳に書き残したときは、既に「そういう者」だったのです。

 “みんなに木偶の坊と呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず。そういう者に私はなりたい”

 木偶の坊になる“勇気”だけは、忘れてはならない。

 過去において、何も人のため地域のためにと身銭を切り、汗を流し、尽くした経験もない人が、人の上に立ち権勢を振るうことは、人間としての正しい生き方ではない。私はそう思う。


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もう、こりごり

2010-08-28 | 地方のあり方
 なんだかなー。盛り上がりませんなあ。

 えっ、市長選のことですよ、室戸の。

 「まだ8月じゃないか」って?

 前の市長選の時には8月の暑い時期から支援者がもっと活発だったからね。他人事ですが、ちょっと気になってネ。

 選挙活動に関わる市議を見ると、二人の候補を四六時中、支援する議員は現職の方に3名、挑戦者の方には2名。あとの市議の皆さんは現職寄りにいながら、付かず離れずの状態か。支持をしている議員らがその陣営の選挙にどれだけ効果を生むかを推察すると、及ぼす実質的な力は現職市長側の2名が街頭演説ができるだけに、断然優勢。挑戦する久保正則候補の方の支援議員は選挙運動となると経験不足で、ちょっと見劣りする。

 ただ私は、11月に予定されている室戸市長選に向けての選挙運動には、どちらの陣営にも参加しません。

 理由は、他人の選挙に関わるのはもうこりごりだからです。

 なぜこりごりなのかは前にも少し記事にしたが、それについて、市長選を前にしてこの機に全てをありのままに公表しましょう。これは実話です。

 学校教育課長だった小松氏は、17年の暮れから市長選まで7か月前の18年4月頃まで、ずっと県議後援会から市長選への出馬要請を受けていた。だが彼は自分に近しい人たちの支援体制に不安を感じ、新年度に入った18年4月10日に出馬を断念します。そんな話を友人から初めて伝え聞いた私は、「彼は、福祉事務所長当時から私がいう市町村合併の推進に賛意を示していた市職員。私からもう一度、要請してみるから、一週間待ってくれ」とお願いした。これが間違いの始まりでした。

 私から彼に「一度、帰りに家に寄ってほしい」と伝えた。一瞬、意外な顔をしていたが、落胆の中にいた彼は私が出馬要請に行ったことから、「もし谷口夫婦が応援してくれたら勝てるかもしれん」と考えたようだ。

 彼は、4月27日、5月10日、14日に、一度、二度、三度めと当家に来訪した。私は最初から「市町村合併の政策と悪を駆逐する働きかけ記録公表制度を進めてくれますか。それを進めてくれるのならば、私たち夫婦はあなたを全面的に支援します」と伝えた。そのたびに彼はそれを受け入れると約束した。三度めにはM後援会長と二人で選挙協力の依頼にやって来られ、小松氏に求めた市町村合併への取り組みなどを後援会長もその時、私の事務所で聞いている。だから、M後援会長は、小松氏が市長になった後で私との約束を反故にしたことは、十分わかっているということになる。

 このように、私たち夫婦が彼の選挙に協力する条件は、小松氏が市長になった時に私が取り組んでいた市町村合併の政策に取り組んで頂くことでした。行政改革や議会改革に熱心な議員が自分では実現できない夢を市長になる人に託すという点で、これは悪いことではないと思う。自分で言うのもなんですが、この真面目な議員が自分の夢ともいえる政策を彼に託したのです。

 だから、私が出馬要請した時に提示した、「市町村合併の推進」という地域が抱えた政策と高知県が既に制度化して効果を上げている「働きかけ記録公表制度」という政策について、もし小松氏が関心もやる気もなかったら、その時に断ることもできた。「私はそれを進める考えはない。私は武井市長(当時)と同じように、市町村合併には反対だ。だから、もしその公約を求めるなら、私は市長選には出ない」と言えた。三度もそのチャンスはあったのです。

 でも、小松氏はその度にうなずきながら、「はい、それは私も必要だと思っていて、進めるつもりです」と答えた。三度とも、私にそう約束した。(この時、彼は頭の中で「これをやると言わなければ谷口は自分の選挙に参加してくれない。谷口夫婦が協力しなかったら選挙は勝てない。この夫婦を利用しない手はない。多分、こんな約束は、おれが市長になった時には忘れているだろう」と考えていたのです)

 こうして、「私たち夫婦が積極的に支援するから出てほしい」という出馬要請を受けて、一度は出馬を断念していた彼は、本格的に出馬を決意します。

 それから選挙に向けての活動は日を追うごとに徐々に高まっていきます。私は看板を書いたり、政策を構成したり、新聞を作ったりと、候補にできるだけ無駄にお金を使わせないように苦心するなど、“多芸な”私たち夫婦は積極的に支援します。

 18年の6月、7月、8月には小松氏に依頼されて、市役所に業務や事業について取材に行き報告する、いわば秘書のように忙しく走り回りました。県庁にまで行って室戸市の関連事業を取材活動をしたこともある。この時、「今まで市職員をしていたのに、なぜ自分で調べに行かないんだろうか」と思っていたが、いま考えると、市役所を退職したばかりなのに自分が役所に行く勇気がなかったのは、元いた役所に取材に行って色々と教えてもらうだけの縁やつながりが同僚職員と無かったのだろうことがわかる。

 7月、8月、9月、10月は時に街頭演説にも立ち合いながら、小松幹侍選挙事務所の看板を自作した上で私のお金で買ったペンキでスローガンを書いたり、政策づくりにも取り組みそれを後援会新聞にまとめて発行したりして、その大半の作業をこなした。

 そうして、小松氏は当選して市長に就任するが、ある職員に聞いたところ、その当初から市職員は市長の居丈高な態度に驚嘆し、恐怖感を持ったという。そんな、市長になってちょうど一年後の19年11月に開かれた議員総会でのこと、彼は「私は市町村合併は考えておりません」と宣言する。私はそれを聞いて「えっ、」と驚いた。県東部市町村の広域合併の動きが立ち消えになっていたその時期にあえてそう言った意味を測りかねた。

 私が出馬要請した時、何も無理難題を押し付けたわけではなかった。これは国と県が推進している市町村合併という政策。室戸市民に行った住民アンケートでも「広域合併に賛成60%、反対29%」の結論が出ていた、そんな重要政策でした。市民の三分の二が室戸市の将来を考えて容認している政策で、室戸市の将来を考えるとどうしても避けて通れない政策であるのは今も同じだ。だからこそ、当時は室戸市議会でこの政策に取り組んでいたのは私だけだったが、室戸市の将来を左右させる問題だと考え、議員活動の一つとして取り組んでいた。

 19年11月の議員総会での発言は、たぶん「合併にでもなれば自分が職を失う」と考えたのでしょう。つまり、保身! こうして市長は、選挙前には「合併は必要だ」と明言し、選挙公約にも明記しておきながら、就任した途端、「私は市町村合併は考えておりません」と豹変した。

 その日から私は、「人のために懸命に尽くしても、結局はこうなんだ。人は信用ならない」と思っている。だから、もう他人の選挙運動を支援するのはこりごりなんです。人助けをした後で裏切られるのは、もうこりごり。

 選挙で有権者に向けて「公平・公正」を約束しておきながら、市長に就任した途端、「権力」という暴力をふるって、市の職員が止める声にも耳を貸さず、問答無用で法令違反を何度も繰り返して事業を進め、決定し、その違法性を指摘しても頑として改めない、そんな男は我がまちのリーダーにはふさわしくない。

 とにかく、住民をだまし支援・協力者をだましてでも権力に就こうなんて魂胆を持つ男は、ダメ。下・下・下だ。

 でも、彼が現職の市職員だけでなく、市職員OBからも総すかんを食っているような人物だったとは知らなかった。そういう面からいえば、この皆さんにはこれまでの4年間苦しめたことをお詫びしたい。途中辞任されたT前副市長にも、お詫びしなければならない。

 あのような人物を市長選に引っ張り出した私をお許し願いたい。
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“一兵卒”が総理大臣になるそうだ

2010-08-26 | 政治家のあり方
 以前、私は言いました。「鳩山総理とともに役職をおりた小沢一郎幹事長は9月の代表選に出る」と。ネ、言った通りになったでしょ。

 6月に二人が共に辞職したその時、小沢氏は「これからは一兵卒になって…」と取材に答えていた。あれはいったい何だったのか。また二人して表舞台に出てきたが、本当に二人が二人して考えのない、それに欲深い人である。

 私はテレビで流れるその辞職のニュースを見ていて、思わず「ウソを言うな。あんたが大人しく一兵卒になって下働きする人間か」と、テレビに向かって吐いていた。しおらしく「一兵卒になる」と言う小沢という国会議員のいやらしさを感じたものです。

 そして今日、「9月の代表選に出馬する」と明らかにした。

 一兵卒になると言った男が、間を飛ばして、今度は国を代表する総理大臣になるといいます。この国の政治構造はそんな大胆で超飛躍的な出世ができるようになっていることを、初めて知った。このことから、民主党は一兵卒でも総理大臣になれるんだから、新人議員でも総理大臣になれるというすばらしい組織体制にあるとわかる。

 これは、いいことだ。有能な人材が登用されることは良いことだ。そんな組織形態になっている民主党という政党は良い党だ。基本的に言って、有能な人物が大抜擢されて組織の上に立つということは、とてもいいことで、悪いことではない。但し、政治に絡んで違法行為をしていない清廉潔白な人物ならね。

 昨年の衆院選直前の6月23日、自民党の古賀選対委員長が宮崎県知事の東国原知事に会って出馬要請をしたことがある。その時、東国原知事は「総裁選に出して頂けるなら」と問い返したとニュースが流れたことを思い出した。知事は、就任時には鳥インフルエンザで苦労したし、最近では牛や豚の口蹄疫で大変な目に遭いながらも懸命になって働いた、地方でもよく頑張っている知事であることは国民みんなが知っている。

 それを、あの時、みんな「元お笑い芸人が何をふざけたことを言ってるんだ」と嘲笑い、国会議員や地方政治に関わる人間、それにテレビの政治評論家やコメンテーターまでもが、こぞって彼を批判していた。元お笑い芸人よりも「下・下・下」(ゲ・ゲ・ゲ)の人間たちが笑った。

“みんな笑った”。でも、私だけは笑わなかった。

 女房にも「政党選挙では他の党よりも数多く勝ちさえすればいいんだから、東国原知事を引っ張り出そうとしている古賀さんの判断は正しい。出して全国遊説させれば、自民党にとっては絶対に効果が生まれる。そんな奴を引っ張り出すのは止めておけという中には自民党の国会議員の他に自民党高知県議もいるが、その議員たちの方が物事の何たるかを解っていないんだ」と話したことだった。

 結局、その話は自民党議員の多くがつぶしてしまい、自民党は衆院選に完敗した。もしあの時、彼を立候補させて全国を回らせていたら、間違いなくもう10人や、20人は当選していた。だから、この一件については、今でも古賀選対委員長の行動は正しかったと思っている。(私は自民党の党員でもなんでもないが、客観的に見てもそう考えていた)

 とにかく、戦をするときは勝利するために、利用できるものは誰でも利用することが大事。戦の時には、そんなこともわからない人間が周りでとやかく口を挟まないことだ。

 話がそれたが、東国原知事は一兵卒ではない。天下の知事だ。一方、小沢氏は、鳩山氏とともに「政治とカネ」の問題があるから民主党を守るために幹事長を辞職したのであるし、これからは民主党内の一兵卒になって働くといった男。それが6月だった。あれからまだ三カ月しかたっていないし、疑われている違法行為の禊も済んでいない。本当なら鳩山氏とともに議員辞職すべき立場の人間だ。

 それに、代表になって総理大臣になってもそんな小沢氏のような金の疑惑がずっとついて回っている総理大臣を許すほど日本の国民は馬鹿ではない。そんな小沢氏を担ぎ出す鳩山派議員や小沢派議員も軽率で、国民の気持ちが全く解っていない。

 因みに、国務大臣の起訴は、憲法75条が総理大臣の同意がなければ大臣の訴追はできないと定めている。だから、「小沢総理」の強制起訴はできないことになるかもしれない。だからといって、「小沢総理」を許すほど国民は甘くはない。民主党自体が大爆発して分裂するか、年内にも衆議院解散総選挙もありえます。

 二人の人物評でいうと、真面目に政治に取り組んでいる東国原氏を総理大臣に担ぎ出そうとした自民党の古賀選対委員長の方が人物に関する鑑識眼が優れており、正しい。一方、総理大臣を決める代表選にそのあとすぐに強制起訴され裁判所で長年の疑惑が追及されるかもしれない小沢氏を担ぎ出した鳩山氏など民主党お歴々の人物に関する鑑識眼は古賀氏のそれに比べればずっとずっと劣っており、まったく正しくない。

 小沢氏やまだ議員を続けるといっている鳩山氏は、自分たちが国民の批判を浴びていることがわからないのだろうか。自分たちが民主党に居ることで、民主党の支持が得られないとわからないのだろうか。政治家には、このように国民の批判の声は届かないものなのだろうか。

 全く、民主党がやっている政治は盲目的で、そして狭小的。政治家、特に政権与党の政治家は、日本全国は勿論のこと、アメリカやヨーロッパなど世界全体を広く見据えて政治をしなくてはならないのに、彼らは周りが見えていないまま、民主党という小さな世界の中で自分たちのことだけを考えて右往左往している。そして、その状態にあることを自分たち自身が解っていない。

 これは衆院選のまだずっと前の、国会審議で民主党が自民党に向かって「早く解散しろ!」と言い続けていた、民主党がまだ野党だった頃から感じていたことで、衆院選でのバラマキについても同じことがいえるが、彼らは国民感情というものを全く分かっていない。

 菅さんの口癖を借ると、「みなさん、そうじゃないですか?」。

(追記)
 今朝のスポーツ報知に大見出しで「東国原宮崎県知事、東京都知事選出馬へ」のニュースが掲載されていたのには、彼の転身の記事を書いたばかりだっただけに、驚きました。

ま、東国原氏は真面目だから、小沢一郎氏が東京都知事になるよりは、まし。


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なおも続く、地方自治法違反の捜査

2010-08-25 | 議員活動
 9月定例会は9月3日(金)が告示日で、9月10日(金)が議会開会日になっています。

 もうすでに一般質問の原稿は出来上がっていて、質問項目は今回に限り、いま室戸市政で一番問題となっています高速バスターミナル違法についてだけを持ち時間50分の大半を使って厳しく問う予定。

 私の性格として、市長が行った違法な事業をそのまま目をつむってやり過ごすなんてことはできないし、そんな議員ばかりなら議会はいらないことになる。だから、事件が解決するまで私のこの調査・捜査を基にした改革改善への活動は、行政が法律を順守する健全な組織になるまで止むことがない。

 いくら先鋭的といわれようが、この監視及び捜査活動も地方議員の務めの一つ。もし私があきらめれば、他に“政治悪”と戦う議員はいない。だから、私がここであきらめるわけにはいかない。

 行政の監視活動は、議員の一つの使命。住民から要請されたこの使命を放棄したり、無視したり、監視し不正や違法を見つけても目をつむってやり過ごすくらいなら、決して私が偉くて議員になれたわけではありませんが、議員選なんぞに立候補しないし、議員になろうとしない。もともと、そのくらいの根性で議員職を全うする気構えがなければ、議員なんぞにならない。そんな情けない人間に、私はなりたくない。

 この事件に取り組んできたのは20年9月議会からだから、この9月議会で丸二年になる。その間、五議会に渡って「適正な形に改めましょう」と助け船まで出してカイゼンを求めてきた。しかし、性格が傲慢なのか、どうしても適法な形に改めようとしない。市職員の多くも「改めたらえいになあ」と言っているんだが、市長だけが頑としてこれを改めようとしない。

 そこで、今日は当電子情報誌の記事にコメントを下さった「K」さんの助言に従って、地方自治法第244条に関する調査活動のために高知市に行ってきます。ま、この調査も時間が経過していることもあってあまり結果を期待していないが、知識を持った有能ないろんな方の話をお聞きする活動も議員としての能力を高めるためには大事なことだと思っているので、とにかく行ってきます。

 尚、その結果については、内容をこの情報誌で公表することは戦さの前に作戦を相手方に知らせるようなものですので、詳細には皆様に報告はできないと思います。あしからず。


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真の“やり出しっぺ”こそが地域を変える

2010-08-23 | 地域づくり活動
(以下は、小生が地域雑誌を出版していた当時、高知新聞から要請され、平成9年1月7日付の「新春随想」に掲載された記事です)


(表題)「真の“やりだしっぺこそ”」

 ≪ 高知県民の地域おこし活動がここ二、三年前から低調になったように見える。「バブルが弾けたから」と短絡的に言うリーダーもいたが、それは大きな見当違いで、地域おこし活動の浮沈は景気とは関係ない。

 そこに責任転嫁するのは卑怯だし、金の流通が悪くなったから自分たちの活動も高まらなくなったという論理は、自らの無力を公言しているようなものだ。

 少し地域おこし活動のあり方について考えてみたいが、まず忘れてならないのは、「どうしてもしなくてはならないことではない」ということだ。つまり、「地域活動は、自発的に集まり、自然に動き始めるものでなくてはならない」。みんなそれぞれ自分の生活を中心に生きているのであり、広く「地域」についてどうしても何かをしなくてはならない理由はないからだ。

 だから、「おれがやらねば誰がやる」と考え、個人的に何の得にもならない活動ー地域を良くしたいと考え、色々な手段によって行う無償の仕事を、まず一人で始めるのが、地域おこしの原点。そして、その活動を見て、「おれも協力しよう」、「おれにも手伝わせてくれ」と、一人の“やり出しっぺ”の周りに仲間がたくさん集まってきて一つの集団ができる。これが、地域おこしグループの正しい誕生の仕方。

 だが、その集団が何かのきっかけで大きなイベントを開催したとしても、そこに真の“やり出しっぺ”がいなかったり、途中で彼がグループを去ったりするとバランスが崩れ、みんなの気持ちがバラバラになりやる気を失ってしまう。自ずと活動は長続きしなくなる。過去の地域おこし活動にこういう例がいくつかあるのではないだろうか。

 行政や商工団体などの組織が、年一回行っているイベントの場合などはちょっと違う。こちらは村祭り的な恒例行事。年一回の花火大会や鎮守の神様の祭りなどに集まる時は、“やり出しっぺ”はいなくても、スタッフや周辺住民の総意によって祭りは達成されることが多い。

 これはこれでいいと思う。悪い形ではない。でも、そういう中から地域おこしのリーダーは決して出てこない。なぜか。それは、そういう催しは組織の長がリーダーとなって号令を掛け、人を集めているからである。それは知事であったり、市長村長であったり、また農協や漁協の組合長であったり、商工団体の会長であったり、神社総代であったりする。

 そんなとき、若者たちはスタッフとして駆り出されることはあっても、決してリーダーとしてイベントを差配することはない。そういう下積みの活動を経験していれば次の時代に活かされるということもあろうが、かといって、若い時代に地域のリーダーになって悪い理由はない。

 上の人は70歳か80歳の町や村のリーダー。一方、いつも組織の下の方でイベントなどの段取りに動きまわって働くのは、20歳から30歳の若い人たちである。そんな年齢の差が考え方のギャップを生む。

 若者たちがイベントの企画に少しでも口出ししようものなら、「そんなことやっても、人は来やせん。若いもんは黙って動いてりゃあいいんだ」と頭ごなしに命じる。これでは若い人が抜け出したくなるのは当然だし、斬新なアイデアも生まれてくる余地がない。

 本当は、そういう新しい発想と他を抜きんでたやる気を持った若者こそ地域の中で活かされるべき人材なのだが、余り評価もされない。それでは若者の気力もいつか萎え、やる気も失せ、やがて一人もんもんと悩むか町を出てゆくか。そうやって、そんな停滞した町や村の状況が十年、二十年、三十年と続いてゆくのである。
 
 しかし、地域がそんな旧態依然とした状況にあっても、「おれは正しい。おれがやらねば誰がやる」と立ち上がる人物がいたとしよう。その人は、障害があればあるほど勇気と力が湧いてきて、自分のできることからやり始める。

 そういう人がリーダーとなるべきで、この“やり出しっぺ”の活動を見て、仲間が前の組織から抜け出し「おれも協力しよう」と参加してくる。そこへ、「おれにも手伝わせてくれないか」と三人目がやってくる。こうして、“正しい地域おこしグループ”が誕生する。

 その人数がどのくらいというのは問題ではない。こうまでして結集したのだから、ちょっとやそっとでは壊れないだろうし、“やり出しっぺ”であるリーダーの情熱も何年たっても薄れたりはしない。いわば、踏ん張りの利く地域おこし集団だ。

 この集団は自分の思いを大事にすることから生まれたので正しいと言えるし、そこに自分たちのやり方という自主性が尊重されるからこそ連続して行う活動がやっていて面白いし、続けていて楽しくなるのである。

 もし、もしもその集団にいて飽きてきたり意欲をなくしたりして一人去り二人去りしてみんないなくなったとしても、その“やり出しっぺ”には「自分がやらなきゃ、誰がやる」という強い信念があるので、例え一人になってもやり続けてゆく。その姿勢が町を知らない間に変えてゆく。

 こんな絶え間ない地道な活動こそ、国の補助金を引っ張り出して使って一日や二日で終わってしまうイベントよりも、何十倍も価値がある。人生の道を踏み外し、いま世の中を騒がせている人の大半が金で失敗している。やはり、必要以上に金を欲しがらないことが一番、賢い生き方と言えるだろう。後の世に誇れる人生を送っていれば、金は後から付いてくる。

 新年を迎えて、意義ある仕事を地道に一年でも長くやり続けたい。ただ、そう思う。 ≫


 以上が13年前に私が書いた記事ですが、いかにも固い文章ですね。ただ、昭和61年から喫茶店経営や地域雑誌出版をしながらその売り上げを地域づくり活動にどんどんと投資していた頃ですから、今と同じように真剣に地域のことを考えていたのは間違いありません。

 記事の中の「オレがやらなきゃ、誰がやる」の精神や、上に立つ人間が圧力をかけても「オレがやり出しっぺになる」と突き進む勇気については今も変わらず、この雑誌記者時代と同じ気持ちで以って、地方議員の仕事を全うすべく頑張っています。

 谷口は、議会では「法令順守・公正・公平・適正」を厳しく追い求め、正しく判断するよう努めています。このように、室戸市の重要な行政と議会の出来事を情報公開する議員としての務めを果たしているのも、私一人だけです。
 
 市民の皆さんにはどうかこれからも室戸市議会の改革会派「鷹山会」の谷口をご支持・ご支援下さいますようお願い申し上げます。


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キライだー!、キライだー!、キライだー!

2010-08-20 | 国のあり方
 夏休み期間中だからでもないと思うが、民主党があっちこっちで勢力争いをしている。

 国のこと、外交のこと、ほったらかして、鳩山氏の軽井沢の別荘に小沢氏ら160人を集めて勉強会、というよりも実際は大宴会。音頭取りに立った議員が「小沢一郎、鳩山由紀夫、気合いだー、気合いだー、気合いだー!」と叫ぶのに合わせて、民主党議員が気勢を上げた。

 それが「小沢一郎、鳩山由紀夫、キライだー、キライだー、キライだー!」と聞こえて、思わず笑ってしまいました。

 いま経済はデフレ不況がさらに悪化しているといいます。

 中小企業も地方も苦境に立っています。

 中国海軍は、海上、海底含めて、領海侵犯なんか平気で日本に入り込み、すきあらば日本の領土を分捕ってやろうと近づいている。韓国も、似たようなもの。それに、両国とも六十五年経っても「謝れ、謝れ」と言い続け、日本の政治家は毎年、「心からお詫びいたします」と頭を下げ続けている。

 
 それは、もういいのではないか。日本と三国同盟を組んでいたドイツやイタリアが今もアメリカや近隣諸国に毎年毎年謝り続けているかをみても、わかろう。

 普天間基地移設問題もぶち壊してしまったからもう元には戻らないし、暴発寸前にある北朝鮮の事情にも関心がない。日本人を誘拐して戻さない拉致問題にも民主党議員に度胸がないから何もできなくて、これからも解決できないのは周知の通り。国民をさらわれても乗り込んでも行けず放置する意気地のなさに、「それでも国会議員か!」と思っている。

 そんな国にあって、巨額の脱税をした鳩山氏と、ゼネコンからの金と政党に配分された政治資金の不明金が問われている小沢氏。その二人が、いまだに軽井沢という金持ちが住む別荘地に仲間を集め口を大きく開いて高笑いなんかしてる。真剣に国民のための政治もせずに。

 もしも二人が一般国民なら、間違いなく既に逮捕されていた。

 有名政治家なら逮捕されないのか、日本の国の法律はこんな示しのつかないことでいいのか。

 土佐国北川村出身の幕末の志士で薩長同盟を成し遂げた中岡慎太郎がここにいたら、こう言うだろう。

 「生活に苦しんで明日の暮らしも不安でいる、そんな庶民の暮らしもわからず、まともな政治活動もしやせんに、国民の税金から年間数千万円の給与をもらいようちゃ、なんのことな。ふざけちゃいかんぜよ!」。

 国民のための政治をまともにせずに、利権や利得に動いて金を漁り、軽井沢や東京に土地を買って豪邸を建て、大きなマンションを買い、「総理を辞めたら、議員も辞めます」と国民に明言したのにやめないらしいし、裏金疑惑の中、議員辞職もせずに次の代表(=総理大臣)にまでなるという。

 こんな欲深い上に自律心のない政治家は、「キライだー!、キライだー!、キライだー!!」。

 そして、政治をほったらかして政局にばかり血道をあげている国会議員なんか、「キライだー!、キライだー!、キライだー!!」。


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法律を知らない顧問弁護士

2010-08-19 | 政治家のあり方
 これまでに何度も聞いた。議会答弁で小松市長はこう言います。

 「これらの件は顧問弁護士にも相談し、ご指導も頂きながら取り組んだものであり、違法性は無いものと考えております」。

 市温浴施設の指定管理者バーデハウス室戸(ミクプランニングの子会社)が開業した18年7月から一年後の19年6月までに約6000万円、19年7月から一年後の20年6月までに約5000万円、20年7月から21年6月までに約4000万円の、三年間で合計約1億5000万円の赤字を出して、結局、撤退した。

 その真っ只中の20年4月にミクプランニングから6000万円の支援をしてほしいと要望書(内容は「支援しなければ撤退するぞ」とでも言いたげな文章で、まさに要求書だった)が来た。それに対し私は、執行部が説明する議員総会において、こう市長に指摘した。

 「これについては、指定管理者条例を基に作成した公募要綱に『赤字に対して市が補填することはない』と書いてあるし、議会答弁でも『指定管理者に赤字補てんとなる財政支援は行わない』と答えを頂いて、確認済みです。いつ倒産するかわからなくなっている企業に支援をしてはなりません。すぐに毅然と撤退を促すべきです。そして、新たな指定管理者を公募する方が室戸市に負担が少ないし危険もない」と求めた。

 にもかかわらず、その議員総会の前からすでに支援を決めていた市長は、直後の20年6月議会で約4000万円ほどの赤字を補てんする支援を行った。続けて撤退間際の21年3月議会でも支援。二回で合計約6、7000万円に上る赤字補てんを行った。そのお金はすべて市民サービスに使うべきお金で、その予算があれば市民がいま要望している多くの道路や水路などの整備が進んでいたのは間違いありません。

 私は、市長が指定管理者に対して条例及び公募要綱違反になる赤字補てんの財政支援をした行動について、行政法務の参考書やそれを特集した専門誌『ガバナンス』等や知人の弁護士にもお聞きして学んだ後、22年3月議会で質問に立ち、法律の認識を問うた。

 「このように倒産寸前の指定管理者の赤字補填する財政支援は、市内の他の民間企業などとの間に不公平を生じていることは事実であり、なお最近の経済不況の状況からすれば、市長による不当な公金の支出といえ、明らかに違法と認められる。市長の違法の認識と、ミク社に無駄な投資を行った責任をどのように取られるのか」。

 市長は、「これらの件は顧問弁護士にも相談し、ご指導も頂きながら取り組んだものであり、違法性は無いものと考えております」と答弁します。

 同じことがもう一件ある。高速バスターミナル建設に関する事件について。

 この市施設が地方自治法に違反しているのは以前に投稿した記事とその施設見取り図をご覧いただければ誰だってご理解下さると思いますが、この違法についても議会で同じ答弁を行っている。

 「これは顧問弁護士にもお聞きし、適法だといっている」。

 室戸市の顧問弁護士はどなたか知りませんが、本当にこの2件について地方自治法に違反していないといわれるのなら、その弁護士先生はあまり法律を知らないまま弁護士になられた方かもしれませんね。

 法務の参考書などの「こんな事例は行政の違法業務といえる」の記事を知らなくても、普通、どなたが考えても倒産寸前の県外企業に数千万円の支援をすることが不適正だとわかる。「もし、市民のお金である予算から数千万円を与えた後、すぐに倒産したらどうなる? やめておいた方がいいぞ」と考える私のような人間の考えが正しく、明らかに「倒産するかもしれんが、支援せずに撤退されたら自分の責任になって、それじゃ困る」と単純に考えた市長の方に誤りがあると言えよう。

 市長の議会答弁からすると、同じように弁護士も“なんとかに追い銭”となる赤字補てんの支援について「支援してもすぐ撤退してムダな投資になるかもしませんが、その支援は違法になりません」と、市長に指導・助言したことになる。

 だから、これからは、あの高速バスターミナル施設に関して「適法です」といって私が提出した住民監査請求を棄却した室戸市の監査委員が行う決算審査も信用しないし、室戸市の顧問弁護士先生が本市に行う法的な助言や判断をすべて信じないことにした。だから、議会答弁に「弁護士が…」と出てきてもその内容は信用しない。

 顧問弁護士恐るるに足らず、だ。


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二刀流

2010-08-18 | 地方のあり方
 かつて戦国時代、城主は「攻め」と「守り」の“二刀流”で領地を拡大させ、国を守っていた。これは、「攻めること」によって「守ること」ができ、「守ること」によって「攻めること」ができるという、一つの証だ。

 そして、現在の地域づくりを考えると、地域振興は「攻め」で、地域保全(保存)は「守り」であり、戦国時代と同様に、今もこの“二刀流”をうまく使い分けながら行う“戦さ”が地域づくりといえる。

 だが、このことは逆に、守ることをおろそかにして攻めてばかりいては、すきを突かれて戦さに敗れ、守ってばかりいてはいつまでたっても勝利に結びつかないし、兵糧攻めに遭った上に攻めて来られると負けてしまうということも教えている。

 更に思うが、現在の「攻め」と「守り」の地域づくりは、「興す」ことと「残す」ことの“二刀流”と置き換えることができよう。それは、「興す」ことによって「残す」ことができ、「残す」ことによって「興す」ことができなくてはいけないということだ。

 「興す」ことばかりに力を入れすぎて残そうとしなかったり、「残す」ことばかりに力を入れすぎて「興す」ことができず、地域が枯れてしまっては元も子もない。

 だから、これは「残す」余力を持った「興そう」とする力でなくてはならないし、「興す」余力を持った「残そう」とする力でなくてはならない、ということでもある。

 結論として、「興す」ことも「残す」ことも、いま生きている人間たちのためではなくて、後の世の人たちのために良かれと興し残しすることであり、決して、後の世の人たちに多くの負債を「残す」ことではないし、ましてや、その負債を他に責任転嫁することなどあってはならない。


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いつまでつぶやいてるの?

2010-08-15 | 人間のあり方
 どうでもいいことですが、ツイッターが流行りらしい。

 国会議員や大臣までもが仕事をせずにこのツイッターに夢中になって、いつだったか、委員会審議の開始時間に遅れたとかで叱られたことがニュースになった。

 「ブツブツ、ぶつぶつと、何をつぶやいているの?」。 大の政治家が子どもみたいにつぶやくな、弱虫みたいにつぶやくな、と思った。

 それに、企業戦士までもがつぶやき続けているらしい。

 「大の大人が独り言を人に聞かせて、それをいったいどうするつもりなの?」。企業人がいったいなにをつぶやき、それがどんなに商売に効果的になるのか? それを教えてほしい。

 140字以内とか150字とかにまとめて投稿するらしいが、ブログでもその程度しか文字を書かない人たちも多いから、無理にツイッターでつぶやかなくてもブログに書けばいいんじゃないか。

 でも、若い十代の女の子や少年少女がケイタイを手に持ってメールやツイッターに夢中になるのなら、子どもたちがおもちゃで遊んでいると思えば解らないではないが、我々みたいな高年齢者が心がこもった手紙を出すでもなく、ケータイやパソコンなどを使ってつぶやいていることが、どうも私には理解できない。やるのは個人の自由ですが。

 ツイッターが理解できないのは、とにかく短く誰を相手にするでもなく独り言をつぶやいているところ。

 ブログもそれに近いとは思うが、私などが書いている電子情報誌は明確に対象とする人たちがいて、詳細な情報伝達を目的に書いているし、何かを変えたいという計画性もある。

 あくまでも個人的にだが、ツイッターは好きではない。

 短くつぶやくところが好きではない。とにかく、何かうつむいて一人でブツブツ言っているような風情がきらいである。

 だから、私はツイッターなど絶対にしない。

 こんなことを書くとツイッターに夢中になっている人たちに叱られるかもしれないが、私と同じ思いを持っている方もいるのではないか。

 それともう一つ、子どもたちが通学の途中、歩きながら携帯電話を手にしてカチカチ、カチカチとやっているのを見ると、世も末だと思う。

 こんなことを言うと「時代遅れ」と笑われてしまいそうだが、小学生や中学生、高校生の子どもに、なぜ電話がいるのか、それがいまだにどうもよく解らない。子どもが昼ひなか、何をだれに連絡する必要があるのだろうか。ま、百歩譲ってこのおじさんが広い心で理解を示し子どもがケータイを持っていることをよしとしても、なぜメールなのかがどうもわからん。直接、なぜ電話で話さないのか。そこがどうも解りません。

 子どもたちの中には、学校にまで肌身離さずおもちゃのケータイを持って行き、一日中、それから離れられない子がいると聞くが、そんなケータイで遊んでいる時間があれば、もっと本を読み、もっと教科書を読めと思う。

 テレビゲームからケータイへ。もう何十年も前から子どもの健全な生育はこれらのおもちゃで損なわれていることだけは間違いない。しかし、これだけは、文部科学省が小学生から高校生まで全面使用禁止にでもしない限り、止めようがない。

 ま、こんなことを言っているから、2ちゃんねるで「磯野波平をガンコにしたような議員」と言われるのか。(笑)でも、世の中にこんな難しいことを言う頑固おやじがいなくなると、世の中、間違った方向に進んでいくと思うが、いかがか。


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今日は先祖の墓参り

2010-08-14 | 季節のたより
 今朝は、いつものように喫茶店で珈琲を飲みながら、読書。

 日々、週刊誌にかいてある政治家や評論家などの意見を読み解きながら世の政治の流れを勉強するのも、市会議員として物事を判断する上において踏むべき大事なステップ。議員向けの参考書以外のこんな本も決してバカにしてはいけないのである。

 「どんな仕事に従事していても、世の中のいろんな出来事を自分の仕事に活かそうとする深い思いを持ち続けていないと、何事においても進歩はない」。いつもそう考えていて、自分ができる限りのことはしようと努めてきた。くそまじめに、くそまじめに。

 その長い間には学んだ通りに進み納得できたこともあるし、学んだ通りにはゆかずに納得できなかったことも多い。その原因は自分の至らなさや能力不足であったり、世間の冷たさ故と思ったこともあったり、他人の無法ぶりの被害を受けてだったこともある。でも、雑誌記者をしている時からそれが人生というものだと思い、納得している。今の議会が動かないのも、「こんなものだ」と諦めている。

 この年齢になると悟りの一つも開くものです。いくら自分が努力しても、自分を休むことなく動かせることは容易だが、動こうとしない他人さんを動かすことはなかなか難しい。ならば、やる気のない人を動かすことに精魂を込めるよりも、自分がその人たちの分と同じ成果を上げるよう努力した方がどれだけ簡単なことか。そう、悟っている。


 そんな読書のひと時を過ごしながら珈琲を飲んだあと、小生が生まれ育った土地、室戸岬町津呂にある親父と母さんの墓参りに行き、室戸市の市政と議会のありさまをありのままに報告した。

 更にそのあと、平成2年から10年まで発行していた地域雑誌『あおぞら』をずっと支えて下さり四年前の18年8月に逝去された折寄武士さんのお墓にも寄って墓参りしてきた。

 毎月28000円の広告支援と100冊の購入支援なんて、全国に篤志家多しといえど、そんな奇特な人は他にいない。室戸岬町高岡出身の大阪で弁理士をしておられた方ですが、氏が63歳の若さでお亡くなりになったことは非常に残念に思っている。氏がもし今生きていたら、室戸のことについていろいろと相談していたのにと。

 これは氏が亡くなった後、ご家族にお聞きしたことだが、まだ折寄氏が元気だったころ、大阪の関西高知県人会のお仲間から「お前は室戸に帰って市長になってはどうか」の声が多く出て、ご本人も「仕事を一区切りして室戸に帰ろうか」と考えていたそうだ。

 近年にみられるように、室戸市の政治に関わる者たちの人材不足を考えると、その時にそんな話を私が聞いていたら、世間を広く知っていて企業経営や商売の酸いも甘いも知りつくした折寄武士氏を市長選に担ぎ出し、今頃は「折寄室戸市長」が誕生していたのは間違いない。そうなっていたら、市政はもちろんのこと、市議会の状況もすこしは変わっていただろう。

 室戸岬町高岡の折寄氏の墓参りを終え、次は親父の出身地である室戸市佐喜浜町根丸の本家にも行って、江戸期を生きた曾祖父「福村與三兵衛」や大正期を生きた祖父「谷口儀之助」などの先祖の墓、そして、父の実家であるこの家に養子に入り35歳という若さで早世した兄の墓参りをしてきた。


 曾祖父・福村與三兵衛は谷口家の初代で、江戸期に谷口與三兵衛となる。與三兵衛は江戸期の寛政年間(1800年)頃に安芸郡野根浦に生まれ、文久2年(1862年)に没した人でしたが、その詳細が分からず、雑誌を出版していた平成5年頃に調査をしたことがある。その時、『奈半利町史・近代編』の中の「産業革命と近代化」の項にこういう一文があるのを見つけた。

 「明治十一年、大蔵省の調査(各地方歴観記)によると、安芸郡の有力者(地主)としては、野根村の福村忠右衛門、田野村の岡義和、安芸の須藤八九郎、土居の五藤正形、井の口の岩崎弥太郎らの名が見える」。

 この「野根村の福村家」が谷口家の先祖です。

 「田野村の岡義和」・・・安芸郡田野町の旧家・岡家は江戸期には藩主の宿泊所として使われていて、現在も「岡御殿」として公開されている。

 「土居の五藤正形」・・・五藤家は言わずと知れた土佐藩主山内一豊の家老の家。この正形氏については私が発行していた地域雑誌『あおぞら』の写真増刊号『青空写真館』で紹介したことがある。

 「井の口の岩崎弥太郎」は時の人として有名になったから、説明はいらないだろう。

 「野根村の福村忠右衛門」については、私が雑誌出版の時期に調査した。墓所は見つけ、菩提寺で墓誌を調べてもらったが、江戸期の詳細は不明だった。屋号は「帯屋」で、福村忠右衛門は「帯屋忠右衛門」とも呼ばれていたのか、墓には二つの名があった。家族構成は、この忠右衛門の父が豪農「福村徳十郎」で、江戸期のこの福村徳十郎の兄弟が谷口家初代の福村與三兵衛であるあたりまでわかった。

 かつて江戸期に田野代官所があった田野から奈半利川を渡り、宿場の奈半利から野根山街道を越えて宿場だった野根村に着き、そこから牟岐、日和佐、小松島に向け歩き、大坂には船で渡っていた。そんな宿場が野根村だった。

 調査を行った時、近くの年配の男性から「野根村の福村忠右衛門の家は大地主で、家はここにあった」と場所も聞いている。「江戸時代の野根は宿場町として栄えていて、造り酒屋も多く、福村家も地主と造り酒屋で繁盛していて、明治初期には土蔵が三つあったと聞いた。

 東洋町議で歴史家である原田英祐氏によると、福村忠右衛門の孫の福村安兵衛は野根浦の海運業を営んでいて、氏が発行した『江藤新平の逃避行』に、「文久3年8月、天誅組の大和義挙の時、重傷を負った伊吹周吉(安芸郡安田町出身。明治になって石田英吉と改名し高知県知事などを歴任、貴族院議員になった人物)を自船の船底に潜ませ助け、野根の自宅に連れてゆき養生をさせた義侠人。生前、石田は福村のその恩に報いるため安兵衛の子を留学させ世に出した。このこともあって、江藤新平は甲浦で捕縛される前に、この野根浦の福村安兵衛を頼って立ち寄った。しかし、安兵衛が不在だったことが運の尽きだった。妻の婦喜が応対。座敷に招き入れ食事で接待するもやがて出立。その姿を見られて江藤は甲の浦で逮捕される。その後に帰った安兵衛は『自分が家にいたら・・・』と残念がったという」と紹介されている。

 しかし、福村家の家業も明治になってだんだんと衰退して、住民は「明治20年ごろにこの野根から関西の方に出ていったと聞いています」と教えてくれた。

 平成5年頃、墓所を探し回り、何度も住民にお聞きしながら、ついに見つけた。福村家はみんな出て行ってしまっているため、荒れ放題だった。十何基かの墓は高い草で覆い尽くされていた。同じ「福村家」の墓所だったが、当家との明確なつながりは見つからなかった。しかし、野根には他に「福村家」の墓所はなかったから、菩提寺の住職がいうようにここが福村家一族の墓所と考えた。

 そこでいったん、室戸まで帰り、後日、草刈り機や鎌、のこぎりなどを車に積んで野根に行って、草刈りを始めた。半分ぐらい済んだ頃、その墓所の前を一人の品のある紳士が歩いて通りがかり、「あ、ご苦労さんですね」と声をかけてくれた。汗だくだくになって賢明に草を刈る姿に思わず声をかけてくれたのだ。「はい。自分の祖先の墓を探していてやっとここだと見つけましたが、草ばっかりになっていましてねえ」。紳士「それはいいことです。頑張って下さいね」と立ち去ってゆきました。

 近くにいた地元の方に「今の方はどなたですか?この辺に住んでおられる方ですか?」と聞くと、「あー、あの人は歌手の円広志さんのお父さんよ。いま、帰ってきててね」。この時に受けたおほめの言葉は今も私の耳に残っている。

 そうして当家とご縁がある江戸期の先祖「福村家」の墓所の草刈り作業は終わりました。

 あれから十七年が来る。これまでにも気になって何度か旧国道沿いのその墓所の前を通ったが、最近は行っていない。気になっているから、また行ってみようと思っている。

 先祖や亡くなった親兄弟の墓参りは勿論、大事なことですが、こんな先祖探しをすることや、その先祖の墓参りをして手を合わすことも子孫、末裔の人間の務めだと思うし、知人や恩人の墓参りも忘れてはならないと肝に銘じている。

 この人たちがいたからこそ今の自分があるのだから。
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