青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

市町村合併に関する告発

2010-07-29 | 地方のあり方
 昨日、中芸地区の喫茶店でその地域のある議員とお互いの行政や議会について話をしていて、広域合併の話になった。私の「県東部は先の合併特例法の下にどこも合併しなかったが、衰退してゆく現状を見れば、これから先、合併もせずに生き残れるわけがない。各首長や議員はもっと地域の将来的な生きのこりについて考え、意思のある地域だけでも先に合併すべきですよ」の問いかけに対し、その議員は「そうよ、合併せないかんと自分も思いよら」。

 私「九市町村が合併すれば、9人の首長は1人になり、今いる約100人の市町村議は25人から30人に削減される。これだけでも市町村財政の無駄遣いが節約される。合併後の市議選は選挙区制にして、例えば安芸市と室戸市が各5人、安田町、田野町、奈半利町、東洋町が各3人、芸西村、北川村、馬路村が各2人にすれば、合計28人の議員となる」。その議員「そうよ。選挙区制にして選挙をすれば、うちらみたいな小さな町に議員がいないという状況は無くなるしな」。

 そこで私は「どうぜ、この地域の市町村合併に向けて取り組む議員連盟でも作ってみんかね」と問いかけたが、その議員「・・・・」と笑うだけだった。中芸地区の合併は必要だと考えてはいるが、自分の職を奪われることが根底にあるのか、今すぐにとまでは思っていないようでした。

 ということで、この機会に、今日は県東部の市町村合併について、また少し長くなると思うがこれまでの歴史をたどって書いてみたい。


 15年5月に市民の皆さんに支持を頂いて議員になり、これまで休むことなく積極的に議員活動に励んできましたが、特に一期目は忙しく働きました。

 16年からの市町村合併に関する取り組みとしては、室戸市の人口減少はあの夕張市に次いで全国の市ワースト2位の減少率という危機的な状況にあり近い将来、立ち行かなくなるとみており絶対に必要だと考え、まず手始めに合併新聞を作成して市民に配布、そして街頭演説を行い、合併問題の推進に努めた。又、17年2月から一年間は不法投棄防止条例の制度化に努め、室戸市と東洋町の2市町同時にこれに関する制度を導入させるに至りました。そして、それと同時進行で市温浴施設に関する監視と調査も進め、3月には計画書の杜撰な誤りを発見。それは高知新聞の記事になって公表された。その後すぐの5月11日、12日には市関係者4名が東京の企業に赴いての公募前の事前交渉という指定管理者条例違反(これは同時に、地方自治法違反)の不正を調査過程で偶然に発見。議会でそれを暴露して、厳しく追及した。

 そんな一期目でしたが、市町村合併については私の予想していた通り、国の特例法が終結すると県内市町村の合併を推進していた県も19年5月以降、何も言わなくなってしまった。しかし、東部地域の今の活力を慮ると、県東部地域全体が衰退してゆく中、室戸市の市長、市職員、市議ら行政関係者らはみんな「もう市町村合併の取り組みは終わった」と思っているようですが、この問題だけは避けて通れない、これからも継続的に検討してゆくべき東部9自治体の重要事項であるのはゆるぎないと考えている。

 室戸市、安芸市、東洋町、奈半利町、田野町、安田町、北川村、馬路村、芸西村、この東部九市町村は、広域合併すべきです。「どうしてもいやだ」という危機意識に乏しい市町村、将来を見据えることなく今を生きて行くことに汲々しているだけの市町村は取り残してでも、意思のある市町村だけでも集まって広域合併すべき。こうして広域合併して一つにならなければ、室戸市をはじめとして近隣の多くの町や村は財政的に立ち行かなくなって、やがて“倒産”する。

 唯、合併はよく結婚に例えられます。両方とも相手のあることで、いくら好きでも相手が自分を好きになってくれなかったら結婚も合併もできない。でも両方とも、まず意思表明をするところから始まる。意思表示しなければ何も始まらない。結婚願望は、長い人生設計の一つもしてのこと。市町村合併も長いスパンの将来的な地域推計を基にしての地域計画があってこそ。自治体が総合計画を作成しているのはいわば「独り身での人生設計」であり、迫りくる“結婚”という市町村合併を視野に入れずに計画書を作る点で、独善的と言える代物だ。

 ま、「自分の首長職を奪われるから市町村合併は反対だ」と考えている首長が作らせているのだから、それら合併への道筋をまちの総合計画に書きこまれないのもさもありなんで、致し方ないといえば致し方ない。

 ここで16年からこれまで私が行ってきた市町村合併問題への取り組みと市が行った事業の経過などを順を追って説明する。

 ●14年ごろからの国の「平成の大合併」事業のもと、室戸市は合併の意思もないまま、県が進める合併事業に取り組み始める。
市はこの時期に市内各地で合併説明会を行っていて、その時の配布資料を今も「合併資料」の中に保存してある。その内容は、合併のデメリットを多く、そして詳細に書き、メリットを少なく短く書くという悪意に満ちたもの。15年に議員になってこの資料を手にして室戸市の合併に関する実態を知り、「当時、議会ではこれを批判したのか」と、遅ればせながら非常に腹立たしくなったことを思い出す。
 ●15年末、市は市町村合併の住民アンケートを配布。回収は1月末の予定だった。
 ●16年1月、「市町村合併新聞」を独自に製作し、市議ら9名と多くの住民の協力を得てその合併アンケートが行われている期間に市内全戸に配布した。
 ●その市議と住民の活動を伝え聞いた室戸市は、もしアンケート調査用紙が多く集まれば、それが住民意識の高まりとなり、もし結果が「賛成多数」となれば東洋町との合併協議を行わなくてはならなくなると考えた室戸市長は、回収率を下げようと画策。1月末と決められていた回収時期を早めて、1月7日ぐらいから調査用紙の回収を行うという暴挙に出た。それには合併に賛成する議会過半数の議員が反発し、紛糾。結局、それを指示した人物は謝罪せず、指示された方の担当課長が罪をかぶるように謝罪して決着した。
 ●同年2月に公表された合併アンケートの結果は、当然、室戸市はその結果を総合的に分析して「広域合併に賛成は何%、反対は何%」と結論を出すべきであった。しかし、合併に反対する当時の市長の下、市担当課職員がこのアンケート結果を分析しないでそのまま放置したことから、私は公的機関にあるまじきその疑わしい姿勢に怒りを感じ、調査結果の数字を独自に分析、結論づけた。その上で、それは住民に公表すべき重要な情報であるため、3月議会で公表した上で、議会後には市民にも新聞を作って情報公開した。それが次の新聞(一部)。

           

 データ分析には時間もかかったが、厳正に計算した結果、室戸市民は「広域合併は必要」が60.8%、「合併は必要ない」が29.3%と明確に意思表明したことがわかった。つまり、市民の三分の二は県東部地域の市町村との広域合併に賛成と判断し、三分の一弱が合併反対と判断したのである。

 因みに、この合併の結果をもっと詳細に知りたいと思って分析したのは室戸市において私一人だったという点も、むなしかった。
「合併反対の市長が厳格な割合分析を回避したのは織り込み済みだが、なぜ市職員までもがこの結果に関心が薄いのか。合併すれば職員削減につながるからか。議員はなぜ、このアンケートで得られた数字をなぜもっと詳しく調べようとしないのか、なぜもっと深く分析して厳密な数字を出そうとしないのか。住民の過半数が求めている合併問題になぜもっと関心を示して取り組まないのか」と。
何においても重要なことに関心が薄いことが悲しく、この体質が室戸を衰退させているんだなと、その時、再確認した次第。


 このように室戸市がこのアンケート結果を厳密に計算しなかったその理由は、市長が望んでいない住民の「合併賛成」の意思が多数を占めることに早くから気付いていたことと、東洋町との合併はもとより、安芸市、中芸五ヵ町村のどことも合併したくなかったことが挙げられる。だから、その賛否の明確な割合を住民に知らせたくなかったのである。

 「広域合併は必要60.8%、合併は必要ない29.3%」という結論が出たことは、室戸市は毎年500人もの人口が減少していて、やがて経済的に立ち行かなくなることを賢明な室戸市民はよく理解しているという証しになる。その住民の意思がこのアンケート結果によく表現されていた。だから、いわばこのアンケートにおいて、利害やそれぞれの欲がからんで結論を放置した行政関係者の考え方よりも、自分の利害を度外視して求めず、将来の我が子のためを思って「合併いたしかたなし」と判断し結論付けた住民の方が地域の将来に深く思いを巡らせていて賢明であると解釈できる。

 普通に考えてもこれらの状況はおかしな話で、よくあるのは行政が町の将来展望を分析して合併いたしかたなしと判断して合併を進めようとしても、合併してほしくない住民側が合併に反対するのが多くのパターンだ。それを考えると室戸市はその逆で、住民が地域の将来に非常に危機的だと正しく判断し、一方、行政側は町が衰退している実態に目をつむり無視してどことも合併しようとせず、なんとかこのままずっと何十年先まで「室戸市」のままおれないものかと考えていることが分かる。

 室戸市は16年のその合併調査の後も、合併に反対し続けます。

 ●私は「衰退する室戸を救うのは広域合併するしかない」と考え続け、市が合併アンケートを行った後も県東部地域との合併協議を放置したままであることに大きな疑問を感じていた。その強い思いが高じて、一念発起。翌年3月の国の市町村合併特例法の期限切れを機会に、「一度、県内の市町村議会議員が市町村合併について議論してみたい」と考え、会議を企画して準備に取り掛かる。

 平成17年4月8日、高知市の高知グリーン会館において、高知県市町村合併支援室の職員の皆さんの絶大なるご支援を頂いて、県内の市町村議員が参加して市町村合併を語り合う会議「議員で語ろう高知の地域づくり2005」を開催した。参加者は市町村議員約50名、県職員約50名の合計約100名。この時ばかりは、応援しようと駆けつけて下さった県職員の皆さんの情けが身にしみた。

 県議会事務局に申し込み依頼をしても「東部の市議と町議ら数名が合併の会議を開くなんて」と考え「その日は忙しいから参加しない」と回答していた県議も、国からお役人が来られ、それに橋本知事まで参加して講演すると聞いて大いに驚き、10数名が飛び入りで参加して前列に陣取った。

 10時開会。橋本大二郎高知県知事による市町村合併についての講演。続いて、11時からは県市町村合併支援室のご助力によって来て下さった総務省の長谷川彰一合併推進課長による「新合併特例法と合併問題」と題した講演。これからの国の合併構想の方向性にみんな注目して拝聴した。午後からは高知新聞社の須賀仁嗣政治部長による「しのびよる自治の破たん」の講演も、大変興味深いお話でした。その後、2時から5時までは50名の市町村議が4つの分科会に分かれてこれからの市町村合併について語り合い、こうして合併をテーマにした地域づくり会議は、大盛況のうちに閉会した。

 この会議を開くに当たってのスタッフは、室戸市議の私と、他に奈半利町議1名、安芸市議1名の2名だけでした。経費は勿論、すべて私の自腹。この会議成功は全て県市町村合併支援室のお力のおかげで、この皆さんの支援と協力がなかったらまず開催にまでこぎつけられなかったと、感謝している。

 ●室戸市が合併問題を放置したまま時間だけがどんどん過ぎてゆきました。そんな18年4月のことです。11月に行われる市長選なんかに私は全く関心はありませんでした。誰が出ても支援しないつもりでいた。そこにある友人から電話が入り、室戸市長選に出馬予定と聞いていた小松幹侍学校教育課長が4月初めに出馬を断念したと連絡があった。

 小松氏とは同氏が福祉事務所長当時、室戸市が合併アンケートを取った時に何度か話をしたことがある。その時、私の「住民アンケートでは広域合併に賛成60.8%で、反対が29.3%という結果が出ていて、これは住民から合併協議をしてほしいとの意思が示されたことになる。合併協議したからといって合併できるとは言えないが、住民の代表である市長が協議すら一度も行わないというのはおかしい。あなたはこれについてどう思うか」の問いかけに、「私も合併協議はする必要があると思っている」と答えた方だった。つまり、合併は進めるべきという立場の人だった。

 友人には「あの人は住民の意思が示された広域合併に賛成だった人よ。新しい市長候補を決めるのは一週間ほど待ってくれ。私が再度、彼に出馬要請をしてみるから」と、少し待たせた上で、小松氏に連絡して拙宅に来ていただいた。日記を調べると、それが4月27日である。その後は5月に入っても二度、当家を訪れていて、都合三回来訪している。

 来ていただいた用件は、市長選への出馬要請でした。理由は、小松氏がこれまで語っていたようにこの人は市町村合併に賛成の意思を持っていると理解してのことだった。その意思がない人物に私は出馬要請などしなかった。
 
 4月27日に来ていただいた時から私は小松氏にその合併問題等の事業に取り組む考えがあるかどうかを確認した。「市長になったら、市の重要事業として住民が賛成多数で希望している広域の市町村合併に取り組んでいただけますか。もし取り組んでいただけるようならば、私は女房とともに選挙運動に協力させていただきます」と話した。どう答えるのかと気になったが、これに対し小松氏は、「はい。私も合併は必要だと考えており、取り組みます」と答えた。私「なら、女房と二人で応援させていただきます。選挙費用を節約するため、看板や新聞づくりはお手のものですので構わなければそれも任せて下さい」などと、選挙経験のない小松氏にたくさんの助言も与えた。

 その後、5月10日にも、最終的に出馬を決断して後援会長を伴い来訪した訪問三度目となる5月14日にも、この市町村合併については「取り組んでくださいね」と念を押すように確認を取ったが、そのたびに氏は「合併問題には取り組みます」と明言している。

 そうでなければ、市町村合併に反対する候補に私が出馬要請するはずはないし、その候補の選挙運動に協力もするはずもなかった。当然、私が小松氏に出馬要請をしなかったら、小松氏の市長選出馬は断念したまま終わっており、100%今のような市長にもなれなかったということになる。

 こうして、私は自分が議員として夢描き為し得ることができないまちの重要政策を彼に託したのでした。

 ●そして市長選は終わり、18年12月に小松室戸市長が誕生。市長選投票日からちょうど一年後のことです。19年11月29日、議員総会が開かれた。市町村合併について小松市長は議員を前にしてこう宣言した。議員ノートからその時の発言を拾う。

「近隣の市町村で合併の取り組みが始まれば、最終的には住民アンケートを新たに取らなくてはならないが、私としては市町村合併に取り組むか、自立に向けて進むかは決めていない」。

 回りくどい言い方だが、これは「現在まで継続してきた賛成60%の住民アンケートは無きものと考え、近隣市町村で合併の動きが出たらそのアンケート結果は破棄し、新たに住民アンケートを取る。私は合併するかどうかは、考えていない」の意。つまり、市長選の出馬を決意した時に私に約束し選挙運動期間中に住民にも約束した「市町村合併の推進」の政治公約はウソだったと、この時に明らかになったのです。他の市町村合併に関心のない議員には聞き流す程度の話であろうが、私は、本当に驚きました。

 小松氏は市長選への出馬を考えたとき、支援議員や支援者が少ないことや出馬に対する批判を受けて不安になり、一度は出馬を断念した。だが、“飛んで火に入る夏の虫”の例えにあるように、考えてもみなかった議員の谷口から「支援するから出てくれないか」と出馬要請があった。二人だけで市議選を戦って勝利している谷口夫婦に協力させれば、自分も勝てる予感がした。谷口の「市町村合併に取り組んでほしい」などの要請は、自分が市長になった頃にはもう忘れているだろうと考えた。

 「権力を手に入れるためには手段を選ばない」などという話は、テレビドラマなどでよくある話だが、まぎれもなく私はこうして騙され、利用されたのでした。

 自分が市町村合併に関心がない上に、市長になった後でもし近隣市町村と合併となり折角握った自分の市長職を奪われることが嫌だと考えていたなら、私から市長選への出馬要請を受けた18年4月27日のあの時になぜハッキリと断らなかったのか。

 「谷口さんは、『住民アンケートでわかるように住民は合併に賛成している。だから、室戸市は市町村合併の協議ぐらいは行うべきです』というが、私は室戸市は合併すべきではないと考えているし、自分は個人的にも合併に取り組みたくない。その点では合併に反対している今の市長と全く同じ考えです。自分の主義主張と違う政策はやりたくないから、折角、支援して下さるという有り難い話ですが、その広域合併の政策が前提にあるなら出馬要請をお断りします。私は市長選には出馬しません」。


 なぜ、その時にはっきりとこう言わなかったのか。人を騙して自分が権力を握るよりも、その方がもっと男らしい。

 以上が先の市長選の時にあった本当の話。それ以来、私は小松室戸市長の人間性に疑いを持ち、彼が行うことを全く信用していない。

 事実、それ以来、倒産寸前の指定管理者に約6000万円の赤字補てんを行ったり、「公の施設」の名を借りて特定企業の社員宿泊所を建設したりと、地方自治法等に関する違法・不公正・不公平な業務が数知れなく行われていることなど、許しがたい。

 私はクソ真面目な男。議会では、それまでもそれ以後も是は是、非は非で行政を監視し、点検し、違法や不適正な業務についてはすべて厳格に追及し、表決で明確に反対している。先に2ちゃんねるでコメントいただいた方がいうように、「磯野波平さんを頑固にしたような議員」としての発言を以って対応している。

 これからも室戸市は近隣の市町村との合併について時々、協議を行い、県の試算では東部九市町村は2010年には合併すべきとしていたが、私はこの地域の衰退ぶりを総合的に鑑み、東部九市町村との合併に反対している人が多い芸西村、馬路村、東洋町の三町村を除いた、安芸市、安田町、田野町、奈半利町、北川村、室戸市の6市町村(22年6月末の人口は47779人。国政調査並みに推計すると約45000人)だけの合併を早ければ五年後、遅くても十年後の2020年までに行うべきだ。このようにできるところだけでも先に合併して、合併しなかった町村は後で吸収合併を行えばよい。そう考えている。

 でも、九市町村が合併すると9人の首長は1人になり、100人の議員は28人に削減されることから、自分の職を奪われるかもしれないと解っていて、この構想に取り組もうとする勇気ある首長や議員はあたりを見渡してもいない。となると、残念ながら、合併問題は地域が衰退している中、行政や議会においての論議もない今のような状態のまま、これからも放置されてゆくのだろうと思っている。

 しかし私だけは、合併が県東部地域の住民にとって効果をもたらすことになるなら、いつだって自分のこの議員職を捨てる覚悟がある。室戸市は早く東部6市町村ぐらいで合併すべきです。

 更に話を進めると、「そのまちの名前を新『室戸市』にせよ」などと欲深いことは言わない。芸西村から東洋町甲の浦まで、県東部地域はもともと「安芸郡」だ。だから新しい市は、普通に考えて、新「安芸市」でいい。私がいうところの東部6市町村合併ならば、西は安芸市赤野から、東は室戸市佐喜浜町入木までが一つのまちになるのです。この地域の合計人口は、22年6月末の住民基本台帳では47779人。国政調査並みに厳格な数字を予想したら、約45000人の新安芸市が誕生する。

 合併問題は、あまり高望みしてはいけない。合併ができる町と村同士でやればよい。理想とする「東部9市町村合併」にこだわっていては、いつまでたっても県東部地域は一つにはなれない。首長と議会がともに合併に反対して見向きもしないような自治体は放っておいて、少しでも合併の意思のある議会同士、また首長同士が協議を始め、それを高め広めてゆく。こんな小さな動きから始めないと、「県が言うから仕方ないから話し合おうか」なんて意思を持たない者同士の“見合い”は、すぐにまたちゃがまってしまうのがおちだ。
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辻元議員、副大臣時代が懐かしくて離党

2010-07-27 | 政治家のあり方
 離党の理由として、表向きは「離脱を決めた福島党首らに不満をもった」ということになっているが、本心はそうじゃないだろう。

 民主党と連立して国交省の副大臣をやったことによって、その職務のやりがいとともに与党にいる面白さや政治を動かしているという実感とその喜びを知った、社民党の辻元清美議員が離党するという。

 でも、それはちょっと違うんじゃないか。

 辻元議員が政権与党にいられたのは彼女が社民党の一員だったからで、彼女に特段の能力があったからではない。やがてその副大臣の職務にも慣れ、ようやく大臣のよさを感じ始めた。そんなころでした。福島党首が「普天間基地の移設は国外・県外だ」と実現不可能な要求を民主党に突き付け過ぎたために社民党は身動きが取れなくなり、5月30日、ついに政権からの離脱を決める。国交副大臣を辞めたくなかった辻元氏は、この社民党の方針に反発した。

 「副大臣時代が懐かしい」。

 野党議員に戻ったことが残念で悔しくてたまらない辻元氏は、「離党して無所属になり、しばらくしてほとぼりが冷めたころに民主党に入党しよう」。そう考えたのである。

 つまり、辻元氏は小さな政党にいながらも連立で政権につき、幸運にも政権党への役職配分で副大臣に着任した。それによって、与党の味を知った。官僚に指示する機会も多く、自分の指示通りに動く官僚のその姿を見て、ほんの九ヵ月だが心から喜びを感じた。それが、野党転落。「自分には普天間など関係ないのに…」と思いながらも、自党が政権離脱となると退任はいたしかたなかった。

 だけど「いやや、いやや、辞めとおないわ」、「悔しゅうて悔しゅうて我慢でけへん」と思った。

  それが退任するときの、大泣きして前原国土交通大臣に抱きついた、あの姿に顕著に表れている。あの時、民主党という政党に「あたし、民主党が好きなんです」と“抱きついた”のである。菅氏を捉まえて自民党の石破茂氏が称した“抱きつきおばけ”の例えには笑ったが、この辻元氏もその類だ。

 彼女は7月の参院選までの約2カ月、そして選挙後も、この「離党して与党民主党に入りたい」という気持ちを引きずり続けた。

 「このまま社民党にいても自分にとって、いいことは無い。それよりも民主党に入った方が、また大臣か副大臣ポストにつけるかもしれない。それにしても離党してすぐに民主党入党というわけにもいかないが、民主党も議員が減少したから無所属でいてもそのうちお呼びがかかるのは間違いない」。

 そんなころ、参院選で惨敗した民主党は他党からの一本釣りを画策。その一人に副大臣に未練たらたらだった辻元議員を選び、前原大臣か国対委員長あたりが裏で連絡を取り合って合意。そして昨日、辻元議員は社民党に離党願いを申し出た、という流れ。

 同議員がこう考えたことは明々白々。見ていてごらんなさい、彼女はきっとこう動くから。


 いやらしいですねえ。地方議会にも欲にくらがったいやらしい動きをする議員はたくさんいますが、辻元議員も議員としてのあり方がさもしい。

 ま、民主党の中には旧社会党系議員も多く「民主(社会)党」だと思っているから、「社会民主党」議員の辻元氏もすぐに順応するとは思う。しかし、去り際に離党する理由として、「福島さん(瑞穂党首)はわかっていない」と批判し、更に「今の日本の政治状況を見て政権交代を逆戻りさせてはならない。野党で与党批判の急先鋒 に立ってきたが、それだけで日本を変えることはできないという思いが強くなった」と記者団に語ったのは、私にとってはどうでもいいことですが、本音を語っていない点から納得しかねる。

 辻元議員の仕事ぶりは、何よりも、何ごとにおいても見た目を気にして取り繕う。テレビカメラや記者を意識しての発言を繰り返す。つまり、パフォーマンス。そんなところが嫌いだ。この点では民主党の村田蓮舫議員も同じスタイルの議員といえる。

 余談になるが、パフォーマンスと言えば、元テレ朝の女子アナで自民党・丸川珠代議員が民主党の勝手気ままな委員会審議に怒って叫んだ一声、「この愚か者めが!」はタイミングもよく、意外性もあって、なかなか良かった。政治家のパフォーマンスはあのようにウイットに富んでいなければならない。「ソーリ、ソーリ」の辻元議員も「二番じゃいけないんですか」の蓮舫議員もそこを学んでほしい。

 政治家は自分のいたらなさを棚に上げ取り繕うが、政党内の問題の責任はその党に所属する議員全員にあり、辻元氏にも社民党が政権離脱せざるを得なかった責任の一端はある。それも理解できずに「福島さんが悪い」といい、自分が長くお世話になった政党を去ろうとする。その去り際に恩ある人たちに後ろ足で砂をかけるような責任転嫁は、仁義に反すること。辻元氏はそれをご存じないらしい。

 自分が国会議員になれたのは社民党のおかげ。自分が偉くて国会議員になれたわけではない。どうも、彼女はこのこともよくわかっていないようだ。

 結局、色々と取り繕ってはいるが実を言うと離党の理由は単純で、自分の民主党への浮気心。

 辻元氏の今後の動きに注目したい。


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満たされた生活

2010-07-26 | 人間のあり方
 戦争が終わって一年余りした昭和21年に生まれた私は、いわゆる“戦争を知らない子どもたち”のひとり。

 昭和20年代の子どもの頃、家にあった写真グラフ誌『世界画報』などを見て戦争中の色々な出来事を知り、若い時から毎年、夏が来るとその戦争で死んでいった人たちのことを思い起こす。

 戦後は食うや食わずの家も多く、子どもたちはお菓子が欲しくても買ってもらえない時代でした。着る服やズボンも破れたら母親がそこにつぎを当て縫ってくれたものを着ていた。水鼻が垂れたら服の端っこで拭いて、またふいて、今度は左で拭いて。乾けばそこはテカテカに光っていた。

私と同じ団塊の世代の皆さんは思いだすのではないか。

  家に子役の吉永小百合が出ている「赤胴鈴之助」や「漫才学校」を放送しているラジオはあっても、テレビなんかこの室戸にはなかった。乗用車を持っているのはお医者さんだけで、走っているのはトラックかバス。一般人が贅沢する余地など無い。しばらくして、30年代になるとテレビも普及しプロレスには力道山が、プロ野球には長嶋が出てきたが、戦後間もない20年代はまだそんな時代ではなかった。

 現在、NHKで放送している「ゲゲゲの女房」の改装前の家を見た方はあの頃を思い出すだろう。みんな戦前に建てた普通の木造の家に住み、内壁はあちこちはげ落ちていたりしたする。生活は麦めしが中心で、時に親が安いバナナを買ってくると大喜びして食べた。だが、国の国威高揚政策の一環で「産めよ増やせよ」といわれて、どこの家も大所帯で家計は火の車。家長はまともに物も食べず、生きていくためには昼も夜も働き続けるしかなかった。そんな時代だった。

 でも、それでも日本人は死ななかった。

 それどころか、強い精神を以って働く親は勿論のこと、子供たちも家の手伝いをし、汗して働いていた。そのころは、私も学校から帰ると家業の製材所の手伝いをさせられた。家が商売をしているところは大抵、そうだった。

 そうして親も子もみんなが力をつけ、強くなった。

 だから考えてみると、一般の社会人が強靭になった要因はいつも満たされなかったからだと実感する。

 ひもじさ、飢えをしのぐため、遊んでいては食い餓えるため、みんな働いて強くなってきた。そして、その過程において精神も鍛えられた。ちょっとやそっとのことでは挫けない力を、心の中に貯くわえたのである。

 併せて、その強い精神力には時代の変転に従って順応能力も備わっているから、世の動きに負けては立ち上がり、負けては立ち上がりと、時代がどう転んでもうまく生きてこられた。

 そうして、みんな満たされない生活をしながらも、昭和30年代、40年代と、日本経済も年々活気を持ちはじめて生活もどんどん良くなってゆきます。「ゲゲゲの旦那」の漫画も少しずつ人気が出て仕事が増えてきて、水木プロの経営も順調に発展し始めます。

 田舎にいてもそんな機運を感じながら、元気いっぱい汗をかいて働いてこれまで生きてきたものだ。

 さて、その20年代、昭和30年すぎの頃から数えると、かれこれ五十年が過ぎた。

 時代は変わった。変わって良くなったものもあるし、良くならなかったというよりも却って悪くなったから、中には変わらない方が良かったというものもある。

 私が子供のころから好きだった映画も変わってしまった。

 思いだす。小学生の時から新しい映画が来るたびに父親に連れられ、夜、映画館に通った。学校では「夜は映画に行ってはいけない」と決まっていたが、「これは親が連れていくんだから、いい」とか言って、邦画、洋画を問わず、たくさんの映画を見た。

 中学生ぐらいになると、チャンバラ映画と洋画スターの顔を見れば名前が言えるほどになっていた。テレビでも「パパは何でも知っている」「アニーよ銃をとれ」「ローハイド」「拳銃無宿」「ライフルマン」「ヒッチコック劇場」・・・等々、挙げれば切りがないほど洋画映画を放送していて、全部見ていた。ある時には、2階で寝ていて、私が10時を過ぎてまでテレビを見ていたことから、別棟で寝ている親に「はよー寝んか!」と叱られて電気のブレーカーを切られたことがあったことを思い出す。

 そんな映画産業も昭和50年代でしたか、映画会社が欲に走ってビデオ化した。当時、「こんなことをしたら、みんな映画館に行かなくなるのに」と思っていたら、案の定、それが原因で「映画」は完全に衰退してしまい、いまや洋画にスターと呼べるほどのスターはいなくなってしまった。それも相まって、全国に映画という文化を広めた貢献大なる映画館の廃業につながっていきます。

 いまや、洋画には子どものころにテレビで見ていた「ローハイド」や「拳銃無宿」に出演していたクリント・イーストウッドが一人残って気を吐いているぐらいか。好きだったフランス映画のスター、ジャン・ポール・ベルモンドも高齢になり、引退。子どものころによく見た美しい女優がたくさん出演していたフランス映画やイタリア映画なんか、最近見たこともない。他は、推して知るべし。

 私たちが昭和20年代から40年代まで見て心をわくわくさせたような洋画作品と映画スターの登場は、もう期待できないし、そんな時代は終わった。

 文化は時の流れとともに衰退している感が強い。

 廃れたのは映画だけではない。

 カー・レース界も、自動車業界の衰退で見る影もない。

 20歳になった昭和40年ごろには心をわくわくさせる車がたくさんあって、高知市内の自動車会社で貰ってきたスポーツ・カーのパンフレットを眺めて「欲しい、欲しい」と思いながら憧れていた、あのころが懐かしい。

 しかし、今の若者は生活が苦しくて生きてゆくだけで汲々しているためか、車なんかには興味がないらしく、車が売れないと聞く。これもさみしい話だ。「車を買って、助手席に彼女をつんで、ドライブ」。若者はこんな心躍るような夢も持てない時代になったのか。

 現在に夢を持てない話なら、いくらでもある。挙げれば切りがない。

 何が廃れたといっても、企業が廃れてしまい若者たちが職に就くこともできないことが一番深刻だ。「満たされた生活」ができなくても、満たされないまでも、それなりに車を持てて、休みの日には映画を見に行くぐらいの余裕ある生活は、人としての普通の生活だと思う。それができなくなるということは、寂しいものであろう。

 今、食は満たされた、飽食の時代。これ食えあれ食えと呼びかけ売っておいて、そのあとで今度はダイエットしなきゃいけませんといってこれ買えあれ買えと売っている。昭和20年代や30年代にこんなもったいない話は無かったし、みんなそんなもったいないことはしなかった。でも今は経済不況といっても、みんな中流以上の生活をしているから、「もったいない」がない、「もったいない」ということもあまり聞かない。食べるだけ食べて、買えるだけ買う。昔みたいにお金がない時代には節約したが、今はみんなお金持ちだから、食えるだけ食って買えるだけ買う。

 それに情報は、間違いなく、過多の時代。知らなくてもよい情報まで全国津々浦々の人々に知らせようとする時代が正しいわけはない。その知らなくてもよい情報によって、国民は右往左往しているのが、手に取るように見える。

 そんな情報過多の時代に新聞社の経営はどこも火の車。その理由は広告がもらえないからと、インターネット。情報過多になった原因は、インターネットによって日常生活に不必要な情報が増えすぎた所為。このブログもその一つで、こう書いていて忸怩たるものがあるが、もう一つが、ツイッター。あんな「つぶやき」なんてものがいるか!

 振り返って考えると、昔、戦後の物のない時代はみんなひもじかったが、地域に活力もあって心も満たされていた。だけど、今の時代は情報を多く速く知ることができるし、物があふれていて満たされているように感じるが、こうやって人口が減り町や村が衰退の一途をたどっているのを実感すると、いつまでたっても心は満たされることはない。

 物がなくて満たされていなかった時代の方が良かったと感じ、物がたくさんあってその面では満たされているが国情を見ると衰退の一途をたどっていることはゆるぎないと感じる今の時代の方が良くないと感じる。

 結論として、人間は物がたくさんなくても生きがいを感じられ、満たされた豊かな生活を送ることができるものであるし、物がたくさんあっても生きがいも満たされた生活を送ることもできない。そう、考えました。

 皆さんは、この反対かもしれません。飽食の時代にあこがれ、たくさん食べて、情報も過ぎるほど欲しいのかもしれません。何もかもが多いほどいいとお考えかもしれません。でも、私は「ほどほど」がいいといつも思っている。それは、満たされたら、頑張る活力が身の内から沸いてこないからです。だから、満たされない方が好きだ。

 「あすなろ」の木は、“明日には桧になろう”と頑張るところから、名付けられたといわれている木。こういう精神が地域を作ると思っている。
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公務員もサービス精神を持とう!

2010-07-25 | 組織のあり方
 先日、国道に引かれている緑色の線はどんな意味があるのか疑問になり調べ、その時、こういうことがあった、と紹介した。

 ≪・・・。そこで道路標識などは免許書きかえの時に講習で説明しているから、きっと警察署に行けば分かるだろうと思い、聞きに行った。

 受付にいた若い警察官に国道に引かれたこの緑線のことをお聞きしたところ、私の顔が悪人面をしていたからか、怪訝な顔をして、威圧するように「解りません」、「国道のことは国交省土佐国道事務所で聞いてください」と、けんもほろろな態度で門前払いを食らってしまった。私は逆らうことなく、「はい。そうですか」とお答えして帰ってきたが、こんな時、誰もが「なんで、警察が道路標示も解らないんだろう」と考えると思うし、それにしてもあの対応はいったい何なんだと思った。≫

 このことをもっと掘り下げて書いてみたい。

 今も思うが、警察官は一人の市民の問い合わせに対し、自分が知らないからそれで終わりではなくて、なぜ他の年上の警察官に聞いてくれなかっただろうか。他の交通課の警察官すべてに聞いて、それでみんな知らなければ問うた市民も納得するだろうが、自分一人が知らないから「それで終わり」では、どう考えても理解できない。

 私たち地方議員も非常勤特別職公務員という公務員、市長も常勤特別職公務員という立場の公務員。市職員は勿論、地方公務員であるし、警察官も公務員である。そして、これらの人たちは全員、県職員である警察官は県民が支払った税金から給与を貰っているのであるし、私たち市議や市長、市職員は市民の税金から報酬及び給与を頂いている立場である。このことについては、皆さん、ご承知の通り。

 ・・・なら、ならです。これらの人たちはみんな県民や市民から給与と報酬をもらっている立場ならば、そこにもっと県民と市民に対してサービス精神があってもいいのではないか。もっとその住民に対して、“商売気”があってもいいのではないか。その程度の気配りは損にならないのではないか。

 市民、県民に聞かれたことを自分が無知ゆえ、経験不足ゆえに知らなければ、他の人に聞いた上で伝えお答えする。その程度の気配り、配慮があっても業務上、損にはならない。いや、むしろ公務員はそれが仕事だ。

 これはこの警察官の例だけを言っているのではない。同じ公務員である市職員もそうであるし、高知県の職員なども同じだ。

 私はいろんな経験をしているので、また、昔に私が喫茶店を経営していた頃の例えをだそう。

 昭和62、3年ごろのことです。私の店に東京からテレビの取材班がやって来た。そこで一人のディレクターが私に言うに、「ある企画で室戸市の観光ポイントと室戸らしい食べ物、そしてこういう事をしている人物がいないかと思い取材に来たんですが、市の観光課でそれらを問うてみたところ、『さあ、それは知りませんねぇ』で終わってしまいましてね」と、笑いながらも呆れ、残念がっていたことがある。

 当時、私は地域づくり活動をしていた関係でそれらの情報を市役所に替わってすべてお教えした上で、その取材クルーに話しました。

 「それが公務員の公務員たるところで、それなんかも自分が知らなければ他の誰か知っていそうな職員を探して聞いてくるとか、市民の中で地域づくり活動をしている私などに聞けばわかることですよね。それをそうしなかったということは、商売をしたことのない公務員にはサービス精神が無い、欠けているという証しでもあります。市職員全員がそういうサービス精神を持っていれば、たとえ職員みんなが知らなかったとしても、問いに来られた人がその丁寧な仕事ぶりと誠実さにうたれ納得するような、もっと心やさしい気遣いがあったでしょうね」。

 やがて、その取材班は珈琲を飲んだ後、取材に出かけて行った。

 喫茶店主は地域づくり活動をしていた立場から、こう思った。

 「また、室戸市の職員がやったことで信用と信頼を落としてしまったようだ。市職員は、最初に名刺交換をしてその集団が誰なのかは分かっていたはず。その取材クルーの取材によって、室戸市からは予算を投資しない形で番組を制作して放送され、室戸を全国に広報してくれる人たちであることも誰だって想像できた。なのに、なぜもっとサービス精神を以って適切に対処できなかったのか」と思い、ガッカリした。

 勿論、私も今は公務員。努めて自分の知らないことをそのままにせず、聞かれて知らないことはそのことが詳細にわかるまで突きつめて調査し、解かり次第、すぐに聞かれた方にお伝えしている。

 それは議員という一人の公務員としてでも、喫茶店主として、地域雑誌編集長としてでも、当たり前の行い。特段、私が素晴らしいのではなくて、して当たり前の務め。だから、サービス精神というほどのことでもない。しかし、この当たり前ができない公務員がいるのです。勿論、全員などとは申しません。職員の一部にいる。知らないことを自分の範囲内で「知らない」として終わらせてしまう職員が。

 またここで私が作った格言を出して考えていただかなくてはならない。

『為すべき時に 為すべきことを 為せば成る』

 つまり、人にものを聞かれた時、知らないことだったら、そのままにしないこと。「為すべき時」とは、人にものを聞かれた際にその答えをお教えする時。「為すべきこと」とは、聞かれた際に自分の持っている知識や情報を人にお教えすること、又は、それを知らない場合は、他の人に聞いてきて問われた人にその情報をお伝えすること。そうすれば「成る」ということだ。

 この、「為すべきことを適切に為す」が行政サービスである。


 当然、これは公務員に限らず一般社会でも同じで、消費者に求められたことに応える。これが企業サービスというものである。

 公務員の仕事は机の上の仕事だけが仕事ではない。行政も企業と同じサービス業。これが理解できている公務員もいれば、退職するまで理解できずそのまま退職してゆく公務員もいる。だから、できれば職員が20歳代にこのことを理解できるように研修を行っておけば、今よりもっと行政組織も良くなると思うが、どうだろう。

 公務員はもっともっと商売気を出して、市役所や警察署を訪れた“お客さん”に対してサービス精神旺盛な業務運営に努めてはいかがか。

 それとも、日頃は“お客さん”であり、且つ、あなたに毎月給料を下さっている“社長”である市民や県民に愛想良くしてサービスするのはいやですか? かてて加えて、市外や県外から室戸市を訪ねて来られた“お客さん”に愛想良くしてサービスするのもいやですか?
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市民のアイデアを盗むような公務員であってはならない

2010-07-22 | 組織のあり方
 私にも、いつかは議員の職から離れるときがくる。市民の皆さんには、それまでにどうしても知っておいていただきたいことがある。あまり楽しい話ではないしちょっと長いが、その点はお許し願いたい。

 前置きとして、現在、室戸市の国道拡幅と排水路拡張を目的とした国交省の事業が進んでいますが、まず周辺住民が長くそれに関する活動に取り組んできたことを紹介する。その後で、自治体の市長や一部の職員には他人のアイデアを盗んで自分の手柄にするという悪い“習性”のようなものがあることを知っていただく。

 では、話を始めよう。

 これまで長い年月、室戸市の室戸小学校前の国道交差点周辺は大雨のたびに冠水し店舗や住宅が浸水被害を受けていたことから、周辺の住民の皆さんは困リ果てていた。そんな平成16年のこと。その浮津地区に住む女性から「何とかしてほしい」と要請があり、国交省土佐国道工事奈半利事務所あてに排水路改修の要望書を書いた。それ以来、私は周辺住民の皆さんとともに室小前の交差点拡幅及び排水路拡張問題に五年間取り組んできました。

 ひとつ難点は、土佐国奈半利事務所長がその期間に何人も異動で来ては帰り、来ては帰りすることだった。16年には親しかった川崎所長がいたが、18年には山口所長、古澤所長、19年には長井所長と、次々と替わった。地域住民の声を要望書にしたためて要望しても何度もその時点で止まってしまったり途絶えてしまうために、新しい所長が来ると又、これまでの経過を説明した上で今後に向けての要望書を書き提出する、その繰り返しでした。

 しかし根がしつこく執念深い(良く言えば「根気強い」ですが)私は、排水路が大きくなって周辺の国道が大雨の時でも冠水しなくなるまでは諦めないぞと要望書を提出し、この問題解決に向ける工事要請を半ば説得するように強く求め続けた。

 中でも、長井所長は大変住民の声を真剣に聞いて下さったお役人でした。私からは住民の声を基に「道路を冠水させているのは排水路の狭さと少なさに拠るのが原因。この改修がなければいくら室戸市が要望している国道を拡幅してもまた問題化します」と要望書を提出し、訴えた。加えて、国道ぶちにおいての「青空説明会」の開催を要請した。すると、長井所長はそれに応え、快く実施して下さった。

 それ以降は、「青空説明会」で強く要請し続けた住民の生の声に耳を傾け共感して下さったのか、それまで事業化に向け動かなかった国交省土佐国道工事事務所の姿勢が変わった。この排水路拡幅に加え右折レーンを増設する道路拡幅も併せ、国の方にこの国道改修工事を提案して下さり、現在のように事業化の動きが実現したものである。

 だから、現在、各地権者との交渉が開始されやっとこの道路改修事業が着工に近づいている事にうれしく思うが、この事業化に大きく貢献した人を挙げると、19年4月に土佐国道工事事務所奈半利事務所長に着任したこの長井所長。この方の功績は大きいと認識している。加えて、長井前所長ら歴代の奈半利国道事務所所長や職員の皆さんのご理解と尽力があってこそ、21年度から実現に向かって動きはじめたものと考えており、これら国交省四国整備局の関係者には大変感謝している。

 それと忘れてはならないのは、周辺住民が土佐国職員と何回も国道ぶちで行った「青空説明会」に参加して意見交換したそのステップ(段階)には感動すら覚え、住民各位の熱意とご理解にも心から感謝したい。

 一方、これら住民の活動状況も把握しないまま、この事業が前に動き始めたのは「住民の活動があったからではなくて、自分たち室戸市が国道拡幅の要望・要請を継続してきたからだ」と発言している市関係者の考え方には、大きな疑問と怒りすら覚える。六年もの長い間、国と何度も協議を続けてきた住民の活動に比べると、市当局が行ってきた要望活動は継続的な行政業務といえ、そこに住民を上回る積極性と熱意があったとは私は思っていない。

 このように、熱い思いを持った市民活動が国を動かし始まった事業であるのに、市役所がその住民活動を否定して自分たちの要望活動の成果だと主張する、そんな出来事に似た話は今に始まったことではない。

 ここからが、本論。

 今まで地域づくり活動を昭和61年からずっと続けてきたので、行政による企画の横取り、いわば市民の能力やアイデア、活動等を奪い取る出来事はたくさん知っている。

 このような“パクリ”事件の一例を公表しておきたい。全国の自治体職員の皆さんには耳の痛い話になるが、一緒によく考え、教訓にして学んでいただけたらと思う。

 そして、住民を踏み台にして自分たち首長・行政職員が成り上がるなんて人の風上にも置けない行為をすることだけはおやめいただきたい。

 話は24年前の昭和62年3月にまで遡ります。当時、市内でジャズ喫茶店を経営していた私は、赤字経営ながらその商売の売り上げを市民に還元する意味と町の文化を高めたいという強い思いから、コンサートや映画会などを次々と開催していました。

 その一環として二つの事業企画書とそれに関係した地図も作製し、店においてあった。それを夫婦で来店した当時総務課長だった市職員に「室戸のまちづくりに役に立ててください」と渡した。

 内容は、一つは、全国の岬のある町が集まってのサミット「全国岬サミット」の開催。もう一つは、四国の形とオーストラリアの形が似ているところから、室戸市と同じ位置にあるオーストラリア東南部の都市との姉妹都市縁組と交流。この都市の名は「後で言おう」と思い課長に言わなかったが、オーストラリアの“室戸市”が離れた形になっていて、なおかつ室戸市の遠洋マグロ漁船の補給基地となっていたタスマニア(室戸では「タスマン」と呼んでいた)の都市、ホバート市との縁組だった。このことは今まで明かしたことがなかったので、企画人だった私以外、今もって誰も知らない。今、交流を行っているポート・リンカーン市などではない。

 そうして5カ月たった8月のある日の高知新聞朝刊。その課長がこの企画を引っ提げて助役に昇進した、その抱負(「助役の横顔」)を語った記事が掲載された。その助役曰くに「私が考えた企画。来年の4月に全国岬サミットを開催します。また、オーストラリアの都市との姉妹都市縁組をして交流を始めます」と。しかし、実はこの二事業とも私が考えて課長に提案したあの企画だったのです。

 この記事には、本当に驚きました。

 私は即刻、来店した友人の高知新聞室戸支局長に抗議した。「実はあの事業は課長が考えたのではなくて、私が考えて書いた企画書を課長に渡したものです。市はそれを基にしてサミットを開催するもので、記事に誤りがあります」と。記者は当然、「知らなかった」といった。しかし、記事の訂正をすれば課長は盗人だと県民に批判され、自殺しかねない。そう考えた私は、くやしかったが我慢することにした。助役より私は歳が下ですが、彼を救うために大人の対応をしたのです。

 「しかし、あの企画があったおかげで助役に昇進した課長だ。全国岬サミットが開催されるという来年(昭和63年)3月の開催日には企画者の自分を『谷口さん、おいで下さい』と呼んでくれるだろう」と思った。これは、誰もがそう思うのではないか。厚かましい思いではないだろう。

 記事が掲載された8月に市役所から連絡は無かった。でも、きっと10月か11月には「これはあなたのアイデアがあったればこその会議開催です。来年3月の岬サミットの時にはお誘いしますからどうかおいで下さいね」と電話がかかると思っていた。市役所から私の喫茶店までは、ほんの20メートルか30メートル。歩いて報告に来ても、ほんの5分の距離。気持ちの問題だった。

 しかし、連絡は無い。「まだ、4か月もあるしな」と待ちました。年が明け、1月になった。「きっともうすぐ掛かってくるだろう」と思い、待った。2月になる。でも連絡は無い。3月になった。なぜなのか、連絡は無い。4月の開催日の半月前になったが連絡は無かった。

 イベント開催日の十日前になった。しかし、連絡はこない。「室戸市には地域づくりの起爆剤になるアイデアがないと思って、忙しい商売の合間をみて書きあげた企画書と地図までつけて渡したのに、まさか何も感謝しないということは無かろう」と思い、待った。

 自分から「どうなっているんだ」と市に問い合わせることも知っているが、それでは角が立つし、大人げないと思った。だから、じっと待ちました。

 一週間前になったが、何も連絡がこない。5日前になったが、助役からは何の連絡もない。喫茶店でお客さんにコーヒーを珈琲をたてながらも、気はそぞろで待った。4日前になったが連絡はこない。3日前、2日前になったがこない。「まさか、お呼びがかからないということは無かろう。記念撮影の時には端っこの方にでも入れてくれるだろう」。そう思って、商売をしながら待ちました。

 前日になった。だが、室戸市役所から連絡は無い。当然、市長、市職員、議員らの多くはこの「全国岬サミット」のイベントのために忙しくしているであろうと想像していた。

 「いや、きっと来る。私のアイデアを基に行われる室戸市を全国に広げるイベントで二日間も行う事業だ。これから毎年、岬のある町のまちづくりに生かそうと全国持ち回りで開催される事業だと新聞にも載っていた。企画者の自分をその会議に呼ばないということは無かろう」。

 当日になった。新聞を見ると昼間は式典やシンポジウムが行われ、夜は全国から集まった首長や議員らによるレセプションが行われっるとか書いてあった。10時になったが、連絡は無い。昼になったが何も連絡は来ない。夕方になった。「もう、連絡はこないなあ」と思いつつも、一縷の望みを持って、店で待った。しかし、その日一日中待ったが市役所からは何んの連絡も無かったのです。翌日、「もしかしたら、今日かも」と思った。しかし、やがて期待した私がバカだと気がついた。

 私は思った。「室戸市役所という組織は、結局、そんなところか」。

 高い給料をもらっていても、ただ成果を求める。他人のアイデアでも、自分のものにしようと画策する。市民から給料をもらっている立場なのに、その市民のアイデア・企画をも我がものにしてしまう。もっと単刀直入にいえば、「盗む」。自分の出世と金のためには、自分が給料をもらっている市民をも踏み台にする集団か、と。

 以後、市長と市職員は心底信頼できないと思ってはいた。だが、18年4月に一人の市職員の市政に関する考え方を信頼して選挙支援したところ、一年前に言っていたことがウソだと解り、愚かにもまた市職員に騙されてしまった。

 なぜこんなにも市長や市職員の発言や行動、考え方は信用できないのかと痛感している。市職員を信頼して業務の手助けをしている市民を、なぜこうも平気で裏切るようなことが出来るのかと、感心する。

 それらの行動を起こす時の全てが、その人物が権力の座に就く時(就きたい時)と役職に就く時(就きたい時)であり、それは人並み以上の多くの金と他の人より上の肩書が目当てであるのは疑いようもなく、考えても実に浅ましい行為だと思う。

三年前の8月4日、高知新聞一面の「小社会」に亡くなった赤塚不二夫さんについての記事があり、その中にこんな一節があった。

 ≪才能とは、一度出口を見つけると、滝のようにあふれ出てくるものらしい。赤塚さんは編集者ら周囲の人にもアイデアを出させ、それを肉付けする天才だった。だが、手柄を独り占めするようなことは絶対になく、「あれは誰それのアイデア」と公言した。≫

 赤塚不二夫氏がしたことは当たり前のことだが、現実社会ではなかなかこのように適正にことは運んではいかない。この課長も「これは谷口さんのアイデア」と公言せず、欲にくらがりアイデアを盗んで市長に「私が考えたものです」と提案して助役になった。又、記者の取材にも「私が考えた企画です」と話し、記事によって県内での自分の評価を高めたのである。

 全国のいろんな地域に住んでおられる住民のみなさんに申しておきたいことは、市町村行政に対し企画やアイデアを提案・提言する時には、その企画書をコピーし一部を保存用及び証拠として残した上で、信頼できる議員に議会の一般質問で「ある市民からの提案だが・・」と、提案してもらうことをお勧めする。そうすれば首長や職員に渡すよりも即時に情報公開されるため、安全だ。それも“パクる”ような欲の深い議員にお願いしたら同じような目に遭うから注意が必要だ。

 最後に。こんな行動をするのはほんの一部の市職員であって、多くの職員は市民を貶めることなく、気まじめに働いていることを付け加えておかなくてはならない。私と市政の事業運営についてや改革の必要性について語り合い、意気投合している市職員や市職員OBもいる。

 まさか、彼らが磯野波平さんのように頑固な私や気まじめな市民を騙すようなことはないと思うが、どうだろう。豹変して裏切るようなことをする時が来るかもしれないが、それは時の運。ケセラセラ、だ。


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国道路肩に引かれた緑色の線

2010-07-20 | 地方のあり方
 もうだいぶ前になりますが、高知県東部の一部地域の国道に白線に沿って緑色の線が描かれているのを見て、「これは何のために引いた線やろ?」と考えた。でも、どうしてもわかりませんでした。

      
     安芸郡東洋町甲浦坂(かんのうらざか)に見られる、歩き遍路保護のための路肩カラー舗装

 そこで道路標識などは免許書きかえの時に室戸警察署で行われる講習において説明があるから、きっと警察署に行けば分かるだろうと思い、聞きに行った。

 受付にいた若い警察官に国道に引かれたこの緑線のことをお聞きしたところ、私の顔が悪人面をしていたからか、怪訝な顔をして「解りません。国道のことは国交省土佐国道事務所で聞いてください」と、けんもほろろで、門前払いを食らってしまった。私は逆らうことなく、「はい。そうですか」と言って帰ってきたが、こんな時、誰もが「なんで、警察が道路標示も解らないんだろう」と考えると思うだろう、私もそう思った。

 でも、きっとこんなことを警察に聞きに行った私の方が悪かったのでしょう。

 それから後も、安芸市や高知市に行く途中の安芸郡奈半利町に土佐国奈半利国道工事出張所があるのに、前を通るたびにこのことを聞くのを忘れて通り過ぎ、やっと今日、北川村に行った帰りに思いだして寄ってみた。

 新任の所長は不在でしたが、監理課職員にこの「緑線」のことをお聞きしたところ、次のような事業の一環で行ったとのこと。頂いた資料から、この事業をかいつまんで説明しておきたい。

●平成18年度末、歩き遍路の危険箇所緊急3カ年対策プログラムが策定され、平成19年10月、四国整備局・県・市町村で連絡会議「歩き遍路の危険個所対策連絡会」を設立する。
●直轄国道において、お遍路さんが通る経路のうち、歩道がない個所、歩道が狭隘な箇所約45㎞の危険度チェックを行い、交通安全上特に危険と思われる個所約26㎞を抽出。この約26㎞について、歩道整備、路肩整備、区画線による対策、トンネル対策などの緊急対う策を平成19年~1年度の3カ年で実施した。 

事業名:「歩き遍路の危険箇所緊急3カ年対策プログラム」

目 的:四国遍路は四国霊場八十八箇所をめぐる全長約1400㎞のルートからなり、年間約15万人が参拝し、そのうち、歩き遍路は約3000人と言われているが、交通安全上の環境は十分とは言えない状況にある。これらの状況を踏まえ、四国地方整備局管内の直轄国道のうち、多くの歩き遍路の方が利用すると考えられる区間を選定し、そのうちの危険個所について歩道設置などを行う緊急3カ年対策プログラムを策定、お遍路文化の支援を行っている。

(取り組み内容)
●直轄国道の歩き遍路の経路約300㎞のうち、歩道がない個所、歩道が狭隘(きょうあい)な箇所について危険度を点検する。
●線形不良個所や歩道のないトンネルなど特に危険と思われる約27㎞を抽出する。
●平成19年から21年までの3カ年プログラムとして対策を推進する。

         
           東洋町甲浦坂の、歩き遍路保護のための路肩カラー舗装

(具体的な対策として)
●内装版設置や照明増設などのトンネル対策
●高輝度区画線の施工などの区画線等
●路肩部のカラー舗装などの路肩整備←・・・・・・・上下の写真がこの事業に該当する
●歩道未整備個所などにおける歩道整備

・・ということから、車を運転する人に旅をする歩き遍路の安全を考えてもらおうと、四国内で14か所、高知県内では9か所にこの緑の線(通称「グリーンライン」と呼ぶ)の舗装整備を行ったものです。

        
        安芸市伊尾木にみられる歩き遍路保護を目的とした、危険箇所対策の路肩カラー舗装

 緑に舗装した意図はよくわかりましたが、周辺住民や歩き遍路の方々はそのことを理解しているんだろうか。全く知らないし、理解していないと思う。知らなければ、半ば緑色に舗装した意味が活かされないと思うが、はたしてその点はどうだろう。
 
 せめて、歩き遍路で四国を回っておられる方々に緑色で線を引いた意図を理解していただくため、このことを広報するチラシを四国のあちこちに設置されている遍路休憩所に掲示しておいてはどうか。


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議員になった磯野波平さん

2010-07-19 | 人間のあり方
 今日は祝日で時間が空いたので、自分がインターネットでどのように評価され、また批判されているのかと、「室戸市議会議員 谷口總一郎」で検索してみた。

 すると、2ちゃんねるなどでこんなありがたい評価が並んでいました。私に向けてではなくて、全国のインターネット検索にいそしんでいる多くの人たちに向けて、こう呼び掛けて下さっています。

●「がんばってますね!! ぜひ見て、面白い。」・・・「名無しうひょ」さん(2009・11・16)

●「この方、面白い。磯野波平さんが議員になったみたいな頑固さがあるね。」・・・「名無しうひょ」さん(2009・11・16)

●「面白く、有益なブログですね。感心しました」・・・「名無しぜよ」さん(2010・06・25)


 皆んなに共通するのは、「面白い」の言葉。事実を全て包み隠さず書いてあからさまに表現した話しって、きっと誰が読んでも面白いんでしょうね。と思って、議員を辞めたとき、これらの論評を本にするつもり。 

 お褒めいただくのは励みになるが、「磯野波平さん」には笑いました。サザエさんのお父さんがそんなに頑固だったか知らないんですが、頑固な私のその頑固さを文字で評価していただいた初めての人たちですので、大変うれしく思っています。

 これまでも私自身が記事の中で「頑固に・・・」と書いてきたが、これからもその波平さんのような頑固さを忘れず市政改革と議会改革に頑張りたい! そう決意を新たに致し候。

 一つ気になるのが、波平さんの頭と私の頭。だんだんと毛の薄いところが似てきた。それだけはちょっと似たくないのですが、いかんせんこれだけは止めようがなくて…。

 当家のサザエさん(妻)の要求に応えようといろんな面(?)で頑張るのが、その原因かもしれませんね。(笑)

 でも、今日から「ガンコな磯野波平」を名乗ってみようかな。それも面白いカモね。

 みなさんには、そう呼んでいただいて結構ですよ。ワタクシ、弄ばれるのは慣れてますんでネ、ハイ。


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人口減少に抗わず、努力しよう!

2010-07-18 | 地方のあり方
 活力の減退に右往左往してはなりません。一人の人間としても、国や地方の在り方に関しても。

 日本の国は、今後、人口は増加することなく、減少の一途をたどるのは間違いない。歴史をたどると、日本の人口は次のように増加し、また減少し始めた。

1600年(慶長年代)・・・約1200万人
1700年(元禄時代)・・・2769万人
1720年(享保5年)・・・3128万人
1850年(嘉永3年)・・・3228万人
1872年(明治5年)・・・3481万人
1891年(明治24年)・・・4000万人
1912年(大正元年)・・・5000万人突破
1926年(昭和元年)・・・6000万人突破
1936年(昭和11年)・・・7000万人突破
1948年(昭和23年)・・・8000万人突破
1967年(昭和42年)・・・1億人突破
そうして1976年(昭和51年)から人口増加率は落ち始め、
2003年(平成15年)・・・1億2761万人
(以降の予測)
2010年(平成22年)・・・1億2747万人
2020年・・・・・・・・・1億2410万人
2030年・・・・・・・・・1億1758万人
2040年・・・・・・・・・1億933万人
2050年・・・・・・・・・1億人
2100年・・・・・・・・・約6413万人
 
 これは、今後、100年間に日本の人口は半減するということですが、これに抗(あらが)っても仕方ありません。国民はこの時代の流れをまず受け入れ、それを踏まえて自分が、また自分の町が、また自分の会社が、または自分の店がどのように対応してゆけばいいのかを考えなくてはならないということです。

 決してそれに抗ってはいけないのです。国政と地方行政は人口増加策は考えその時々に手を打ってゆかなければなりませんが、これにただ抵抗していても仕方がない。

 地域社会から人口が減少してゆくことをそれぞれが受け入れて、減少してゆくその時々に、自分がどう対応できるか、自分がかかわる組織においてどう対応すればいいのかを考えることだ。

 これはどんなことにも通じることだが、苦難や問題を前にした時、先手、先手を打って少しずつでも解決してゆけば、今より良くはならなくても悪くはならないものだ。それを積極的に行っている個人や組織の道は開け前進できるだろうし、何もしなかったり旧態依然とした手しか打てない(打たない)個人や組織はやがて廃れてゆく。それが時代の摂理、人の世の摂理というものである。

 これが私が創った格言、「為すべき時に、為すべきことを、為せば成る」のいわんとするところだ。

 人口減少に負けないためには、衰退してゆく時代の動きにしっかりとついてゆくこと。個人や組織がその時々の時代の動きについてゆくには、個人にも組織にも時代を読む力が要る。その時代、その時代を読む力をつけるには、日頃から時代を読む努力と勉強を続けている必要がある。

 結局、最後に勝つのは、いや、最後まで生き残るのは、努力を続ける個人であり組織だということになる。

 嘆いていても何も変わらない。
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「辞めることをやめる」と言う人

2010-07-17 | 政治家のあり方
 小沢一郎氏に対して検察審査会が出した議決書の内容がわかりましたので、追記します。

 もうひとつ、鳩山氏は辞任表明した6月2日、「次の衆院選は出馬せず議員を辞める」と記者団に引退表明したのに、17日に北海道苫小牧市で開いた後援会の会合に出て女性群から「辞めないで、次も出て」と言われたことにうれしくなって、「国益を考えて、今後の身の振り方を考えたい」と引退をいったん撤回。立候補も含めて、2011年春の統一地方選の頃まで結論を先送りする考えを示したそうです。

 どこまでも情けない人ですね。いつも何事においても、キッパリしたところがない。何をやっても決断が緩まる。褒められたら、その社交辞令の言葉をそのまま受け入れてしまう。ホントは議員辞職する人へのはなむけの言葉なのに。

 どこまでも物事を決断できないダメな人ですねえ。いつも、人が言った言葉をそのまま受け取ってしまい誤った判断をする人ですね。この人が「晩節を汚す」というほどこれまでの政治家としての経歴が素晴らしいというわけでもないが、どうも信頼できない政治家です。

 さっさと議員辞職すれば国民も国会議員もみんなこれまであった九カ月のことをやがて忘れてくれ、議員を続ければいつまでたってもあの九カ月間の失態の数々をことある毎に引き合いに出されて批判され、針のむしろ状態も当然想定できる。

 なぜ、これがわからないのか。「のど元過ぎれば熱さ忘れる」とか言うから、それか。

 議員辞職して、元熊本県知事の細川護熙氏のように陶芸にでも精を出して悠々自適の生活をすればいいのに。お母さんが下さったひと月1500万円という巨額のおこずかいの管理もできないし。どこまでも情けない大金持ちの息子さんである。

 自分が刑務所に行くのが嫌だから上申書を出した小沢氏。辞めると決断して国民に向けて引退表明をしておいてそれを翻し、また次の衆院選に出馬するという鳩山氏。それじゃ、いったいこのお二方はいつ議員辞職するおつもりなんでしょう。お二人とも、もう終わった人なのに。

 辞めてあげれば他の民主党議員も喜ぶのに、なんで辞めてあげないんだろうか。「おれがいなければ民主党がだめになる」とでも思っているのでしょうか。それは大きな勘違いで、辞めてあげた方がよくなるのに。この例は地方議会にも現在する。その人が辞めれば議会が良くなるという人が。

 それにしても、政治家は逮捕されるとか議会で違法を追及されるのがいやなはずなのに、それがわかっていながら、なぜ悪いことをするんでしょうね。

 政治資金規正法違反の裏献金をもらったり、公職選挙法違反の贈収賄行為を行うんでしょうか。これは国会議員に限らず、地方の首長しかり、地方議員しかりだ。知っていて、なぜ悪いことをするのか。法律を知っていて、なぜ金をやり取りするのか。私など金にも肩書にも無欲な人間には、それがどうもわからない。

 今後においても、私は地方議会にあってこの違法事件や違法事案を厳しく追及してゆきます。9月議会においては新たな違法問題を提示し、これまで以上に厳しく追及する予定。もしかするとこの質問がある人物の辞職問題に発展し、議会はぶっ飛ぶ(?)かもしれません。

 内容は、それまで“乞うご期待”です。

 市民のために働くことしか考えていない、真面目で純粋なこの改革派議員を怒らせると怖いのです。
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中山造園さんちの「室津郷古代ハスの里」を見物

2010-07-17 | 季節のたより
 室戸市では知る人ぞ知る観光スポットで、この季節になると人気を呼んでいるのが、室津郷上里(かみざと)の中山造園さんがご自分の田圃を切り開いて作っているハス園。

 私はこのハス園の名を勝手に「室津郷古代ハスの里」と名付け、呼んでいる。

 取材は今年で三年目になりますが、やっと梅雨明けした今朝、それを見に行ってきました。

       

 場所は中山さん宅裏の山あいに広がる田んぼ。6月中旬に一度花の咲き具合を見に行ったんですが、ハスの茎の背丈も低く、写真取材を取りやめていた。今日は、背丈も伸び、ハスの花もちらほらと大輪の花を咲かせていました。

            

  

 一句、詠みました。「梅雨明けの 青空に映える ハスの花」。ちょっと当たり前すぎますでしょうか?  それではもう一句、「梅雨明けや カワズ飛びこむ 水の音」。これは盗作か?

          

 でも、「満開か」というと、まだ三分咲きぐらいでしょうか。写真撮影としては、ちょっと物足りませんでした。中山さんにお聞きしないとわかりませんが、満開はもう一週間した次の日曜日ぐらいかと思っています。

           

 こうして見てきますと、植物というよりも、生き物が成長するときの漲るような勢いとか、みずみずしさや清々しさとか、いろんな力みたいなものを感じます。

 こんな植物の姿からも日頃、日々の生活に追い立てられるがゆえに忘れがちなことを思い起こします。

           

 6月に写真特集として記事を掲載しましたが、ハスが植栽されている広い水田横の池には睡蓮も浮かんでいます。

  

  

  

 夜はホタルも飛んでいるそうで、またの機会にそれを見に来ようと思います。古代ハス、睡蓮、ホタル。季節は限られますが、多くの人の目を楽しませる室戸の「観光」の材料となっている。


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