青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

接客

2010-04-30 | 組織のあり方
 挨拶は、大事です。特に商売をしている人にとってはネ。

 先日のこと、ある店で5万5千円の携帯電話を買った。それを買う時、店員が融通がきかなくて、よほど買うのをやめて余所の店で買おうかと思った。

 「値段を値切っているわけでもないのに、そんなに役所みたいに手続き上のルールに前例がないからといって、なぜ契約の更新ができないんですか」。「役所は公的な機関だから手続きを踏む必要があるが、このような会社なら前例がなくてもこんな事例もあると考えて次からルールにすればいいんじゃないですか」。「それに、この商品は他の店でも売っている商品です。もし私がこのまま『もう、いいよ』と言ってこの店で買うのをやめて他の店で買えば、この店は長く続いてきたお客さんを一人失うことになります。それでよければ私はそれでもいいですが、商売というものはお客さん一人ひとりの積み重ねで成り立っていて、客を一人失えば毎月のこの機器の利用料も入ってこなくなりますよね」。

 結局、この話は代理店の店員が会社の方に電話で聞き「いいということです」と連絡を受けて一件落着、その店で買うことにした。

 翌日のことです。その商品の使い方で解らないことがあってそれを聞くためにその店に寄った。

私「おはようございます。昨日はありがとうございました」と入って行った。

前日応対した男性店員「あ、どうも」。

私。買った商品を見せながら「昨日教えてもらったが、どうするんだったかなあ。こうして、こうして、それからどうやったかなあ」。

店員「こうするんです」。

私「あー、そうか。はい、解りました。どうも、どうも、ありがとう」。

店員「はい、どうも」。

 店を出るなり、また前日のようにイラだってきた。「あ、どうも」じゃないだろうと。客が「おはようございます。昨日はありがとう」と言う前に店の方から先に「おはようございます。昨日はどうもご迷惑をかけました。ありがとうございました」だろうと。商品を買いに行った時も翌日のこの日もこの店の対応に怒りが込み上げてきて、「これだから、田舎の店は繁盛しないんだナ」とよくわかった。そして、「なぜこのくらいのこと、ちゃんとできないんだろうか」と思った。

 商売をしていて、5万円もの商品を買って下さったお客に対して、なぜ「いらっしゃいませ」や「昨日はどうもありがとうございました」ぐらい言えないのだろうか。なぜもっともっと感謝を口にできないのだろうか。なぜ頭を下げないのだろうか。スーパーで100円の品ものを買っても、店員の女の子は「ありがとうございました」ぐらい、言ってくれるのに。

 買ったのは5万5千円の商品だ。安い品ものではない。むしろ高い部類の商品だ。買い替える前に持っていたものは5年ぐらい使ったものだったが、まだもう少し故障するまで使おうと考えていた。それを、NTTドコモの「この商品は2012年から使えなくなります」という自分勝手な都合で全国の商品を統一しなくてはならなくなったという理由で、仕方なく今回、買い替えることを決めたものである。無論、5年前に買った時に店員からそんな「この商品は5年後には使えなくなりますが、いいですか」の説明は一言もなかった。だから、こんな理不尽な商売は無いと考えたが、致し方ないかと思い直して大人の対応をし、今回、買い換えを決めた。

 でも、それらの店側の一方的な事情も加わり、店側に商品を買った客に対する感謝がないことはどう考えても釈然としない。今も腹が立っている。

 そんな無茶な商売をしていて、自分の店で商品を買ってくださったお客さんに丁重な挨拶の一つもできないとは。きっと「買って下さった」なんて、思ってもいないんだろう。感謝の気持ちなんてないんだろう。まるで、俗に言う“役所仕事”だった。実に事務的に仕事をこなしている。買った時もシラーっとしていて、買ってもらったという喜びの笑みもお客である私に対する感謝の微笑みもなかった。その品物を買った日も、よっぽど買うのを止めて帰ろうかと思ったほどだ。

 私も昭和61年からずっとなけなしの私財を投じて地域づくり活動を実践しながら商売を続けてきたが、こういう店を見るにつけ、「なぜ田舎の店は、こんなに挨拶が出来ないんだろうか」と考えます。都会に行けば、どんな会社の営業マンも小さな店のおばちゃんにしてもみんな声も高いし感謝の口数も多いのに、なぜ田舎の店はこんなにお客さんに感謝の表現が無いうえに、口下手なんだろうかと考え込む。


ある喫茶店の事例です。朝、店のドアを開けて、私から「おはようさん」という。

店主「いらっしゃいませ」。

椅子に座り、店主がお水を持ってくる。私「コーヒーを頂戴」。

店主「はい」。

店主、コーヒーを持ってくる。黙って持ってきて、黙って帰る。

私は週刊誌を読みながら、コーヒーを飲む。迷走する民主党政権の記事に腹を立てながら、コーヒーを飲む。

しばしあって、店主はお茶を持ってきてコーヒーカップを下げる。茶を持ってきた時も、コーヒーカップを下げるときも何も言わない。無口である。お客さんがまだ残りを飲むかもしれないのに、客の都合を聞かないで持って帰る。

そうして私は帰る時に代金を財布から出して店主に渡しながら、「御馳走さん」と必ず言う。(これはどこの店に行っても同じように言っている)

店主「ありがとうございました」。

 それだけのやり取りである。店主が言うのは「いらっしゃいませ」と、「はい」と、「ありがとうございました」だけ。これは愛想がいいとか悪いとかいうだけの話ではない。何年、店を経営していても、接客の仕方を知らないのです。他の、高知市などでレストランや喫茶店に入った時でも、その店の接客を見て勉強していない証拠だ。他の店から学んでいれば、もっと正しい接客の仕方を実践しているだろう。

 喫茶店は最低限もっと言うべき言葉がある。私は昭和61年2月から平成元年12月までジャズ喫茶を経営していて、その喫茶店をしていた4年間の半分は自分一人で切り盛りしていた。その時の私の接客がパーフェクトなものだったとは言わないが、最低限、次のように挨拶して接客をしていた。元大型トラックの運転手だった無口な男でもこの程度のことができたのです。

 お客さんが来店したら「いらっしゃいませ」。

 オーダーをとる時は「何にしましょうか?」と問う。お客さんは「コーヒー」と注文する。

 それを聞いたら「はい」と答え、「少々お待ち下さい」という。

 そして、お客さんの前にコーヒーを持って行き、待たせてなくても「お待たせしました」という。

 お茶を持っていった時は、「お茶をどうぞ」と言いながらテーブルに置き、コーヒーカップを下げるときも、「お下げしてもいいですか?」と問い、お客さんが「はい」といってから下げる。

 お客さんが帰る時にはお金を頂いてお釣りを渡し、「ありがとうございました」といい、市内の人ではない、市外の初めて店に来たお客さんの場合は「またおいで下さい」という。

 最低限、これぐらいは一人のお客さんに挨拶をしなくてはならないのです。それも、300円のコーヒー一杯で。それは、そのコーヒー一杯の積み重ねで自分の経営が成り立っているんだから、いやでもしなくてはならないのです。

 ですが、田舎にはこのように5万5千円の商品を買っても、300円のコーヒーを飲みに行った時に最低限しなくてはいけないほどの挨拶もしないし感謝もない店がある。

 
 しかし、同じ田舎でも接客に関して熱心なこんな店もある。

 私が昭和61年に喫茶店を開業する前にお世話になった自動車販売・修理工場の中野自動車では、朝礼の時に挨拶の練習をしています。これは、亡くなった前社長の中野俊平氏が昭和50年ごろに取り入れた接客訓練でした。小生は入社の直前まで家業の製材所に勤務していたがそんな挨拶の励行は無かったため、入社したときは少し戸惑いました。

 朝礼では、毎日日替わりでリーダーが変わります。そのリーダーがまずひとこと挨拶するとそれに続いて他の社員が同じ言葉を挨拶します。そのキーワードは、その言葉の頭をとって「よ・い・お・あ・し・す」。

「よろしくお願いします」(営業の基本)

「いらっしゃいませ」(来客への基本的なあいさつ)

「おはようございます」(朝の挨拶)

「ありがとうございました」(感謝の言葉)

「しつれいします」(訪問の時とその場を辞する時の言葉)

「すみませんでした」(謝罪の言葉)

 先の商品を買った店の社員や例に挙げた喫茶店主も、この中野自動車のようにこれまでどこかで基本的な接客の挨拶を訓練されていたら、コーヒー一杯分の商品を買ってくれただけでもお客さんへの感謝の言葉を口にできただろうし、お客さんに感謝もされる店になるのだろうに。そう思う。

 「日々、新た」という言葉もある。商売も1年、2年とやっていると“慣れ”がきて、経営が“流され”がちになる。人は誰しも商売を始めたときには手探りでやっているから、人にも教えを請い、その教えを真面目に実践する。しかし3年、5年と過ぎると、当然お客さんも減るので意欲は失せる。接客に意欲がなくなるから、お客さんはその熱意のない態度が嫌になってその店に行かなくなる。悪循環だ。

 それに加え、「自分はもう何年も商売をしているからベテランだ」と勘違いするようになり、人に教えを請うことはなくなるし人の教えにも耳を貸さないようになる。経営者がそれだから、社員教育なんかには関心がない。だから、そんな店は社長・店主以下、従業員みんなが接客が下手クソ。そんな日頃の接客態度が悪さがお客さんから嫌がられていることにも気付かず、毎日、店を開けて商売をしているのです。

 上の二つの例が、その類だ。

 私も喫茶店を開業した時はそうだったが、口下手なら自ら話し続けるしかない。自らお客さんに礼を尽くすしかない。

 それと、社長や店主など商売をしている人は従業員教育の基本として、中野自動車のように朝の始業前に朝礼を行い、挨拶を励行して下さい。田舎の会社や商店などが活性化する基本は接客訓練を行うことです。そうすれば意識せずとも習慣づいて言葉が出てきます。お客さんも増えてくることでしょう。

 商店の売り上げが減るのはまちの人口減少も原因だが、このように自分の会社や商店の商品を買ってくださったお客さんへの感謝がないことも原因であるのは間違いない。だから、一杯300円のコーヒーを飲んでくれたお客さんにも、500万円の車を買ってくれたお客さんと同じように毎回、心から「ありがとうございました」と頭を下げる習慣をつけること。

 その時に大事なのは、笑うこと。接客に笑顔は欠かせない。真剣に「すみませんでした」と謝罪でき、ニコニコ笑顔で「ありがとうございました」と送り出せば、お客さんはまたその笑顔につられて明日もやってくる。

 
 最後に。商売とはこれほど難しいものである。地方議員に接客は無いが、われわれ議員も「日々新た」の精神で真面目に働かなくてはなりません。すべて住民のお金である公費から報酬を頂いているから、我々にとって市民は“お客さん”ではなくて、雇用主。その多忙な“社長”がいろいろと指針を与えてくれなくても、今やるべきことを自らが思考創案して、行政の監視及び点検など議員本来の業務をこなしていかなくてはならないと思っている。
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「わたしは、嫌われる議員になりたい」

2010-04-27 | 政治家のあり方
 熊本市議会増員選で、あの元マラソンランナーの松野明美さんが当選した。

 その当選が決まった時、選挙事務所の前で取材陣に語った言葉に感動を覚えました。いつものような早口というほどではなくて、よく聞き取れたからかもしれませんが。

 どこのテレビ局だったか、記者が松野さんに当選しての抱負を聞いたところ、即座に「わたしは、嫌われる議員になりたいと思います。又あいつが言ってるぞと言われるような議員になりたいですね」と言い切った。

 この言葉を聞いた時、同感だと思った。「そうだ! その通りよ。議員はそうじゃないといかん。でも、議員に当選したばかりの、まだ議員の経験が全くない人がそれをよくわかったなあ」と、うれしくなりましたね。「全国、どこにもいるんだなあ。『役所や議会で嫌われてもいい、住民のお役に立てさえすればそれで』と思っている議員は」と。

 自治体組織で首長、職員、議員に好かれるように対応しているような議員は、ダメ。「こんな厳しいことを言って市長や職員に嫌われたら困るから、言わないでおこう」とか、「自分が何か頼んだ時に聞いてくれなくなるからやめとこう」などと考えている議員はダメですね。ダメなことには「ダメだ」とはっきり言える議員じゃないと、住民の役に立たない。

 議員というものは松野さんが言われるように、気真面目で厳格すぎて行動しすぎるからと、周りの首長や行政職員や議会の議員に嫌われる議員にならないといけない。議員は行政の監視役であり、調査機関の一員。そもそも行政に対して手厳しい対応ができない人は議員になってはならないのです。

 だけど、そんな“うるさ方”の議員はどこの議会でもほんの一人か二人。その人数の少なさが、地方議会が活性化しないし改革できない原因になっている。


 だから、いま熊本市議会にうるさ方の“嫌われる議員”がいるのかどうかは知りませんが、松野議員がこれから議会を活性化させる活躍をしていってほしいと期待している。「また松野が言ってるぞ」と市長や議員に嫌われること。きっと彼女が議会の一般質問や大綱質疑の日に質問・質疑に登壇して発言すれば、まずその早口に驚き、そしてその熱意に圧倒されるのではないか。

 ニュースを見て知ったが、彼女には二人の男の子がいて、下の今年保育園に入った子どもはダウン症という障害を持っている。そんな彼女は今後、議員になったあと障害者福祉の分野を中心に活動するのだと思うが、何をするにおいても彼女ならマラソンの時のように、休まず、懸命に走り続けることだろう。

 「わたしは、嫌われる議員になりたいと思います。又あいつが言ってるぞと言われるような議員になりたい」。

 いいですねえ。まずはこの言葉に拍手を贈りたい。

 日本ではじめてノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士は、「真実はいつも少数派」といっている。議会において私のように市民派で改革派である議員は、いつも少数派。そこに“真実”があるという指摘は正しい。
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室戸市の「公の施設」違反で、県に注文

2010-04-26 | 議員活動
 本日26日(月)、県庁に参りました。訪ねたのは市町村振興課。

 用件は、室戸市は徳島バス高速バスターミナルを建設するに当たり地方自治法第244条の「公の施設」を根拠に議会に提案したが、その施設の半分には公益性も公共性もないことから違法であると考えるがと、県の判断をうかがうためだった。

 最後に、「もしや、違法とするこの市施設建設に県からも補助金が出ているんですか」と聞かれたので、「はい、詳しくは言いません。ま、調べてみてください」とだけ答えておいた。

 その予算額1444万円の内訳は、県支出金764万円、市が県から借りた県貸付金680万円となっている。県にも大きな責任があるということだ。

 県の担当職員2名を前にこう要請した。(要約)

 ≪当時の県の担当者は、20年の9月か10月ごろに室戸市から建設費の補助申請があった時、その資料として添付した設計図を見てこの施設建設が違法であると十分認識しています。だから、この件は、室戸市の地方自治法違反だけでは終わらず、県が補助金を支出していることから県の補助金条例違反事件ということにもなります。もしこのことを高知県議のどなたかが知れば、県議会で補助金条例違反事件として追及されることは間違いありません。

 そういう事件ですが、私は何も室戸市長や県職員を貶めようと思って議員として行政を監視しチェックしているのではありません。そこで、この3月議会の一般質問で私はその高速バスターミナルに関して地方自治法の「公の施設」に違反しているから改善してはどうかと次のように提案しました。

 “施設の指定管理者である企業側から社員の宿泊質として利用している部屋を毎月1万円、1年間で12万円の市施設使用料として賃貸料を頂きます。それでは企業側も『最初はそんな約束ではなかった』ということになるので、その同額の12万円を1年間の指定管理料として市から企業側に支払う”。

 市長は20年11月臨時会の議案質疑の時にある議員の質疑に対して「議員の違法との指摘は私も正しいと思う」と、いったんは違法を認めたにもかかわらず、この3月議会では改善案として行った私のこの提案に対して市長は「違法性は無いと認識しているから、現状のまま運営を行っていく」と答弁しました。

 全く素直ではない。私の「違法である」との指摘に対して「違法ではない」と言って、あくまでも突っぱねてその違法業務を認めようとはしません。ですがこのままでは、違法を認識したまま実行に移した室戸市長も、違法を認識しながら国民・県民の税金である県費から補助金と県貸付金として支出してしまった県市町村振興課も、いつかは罪を問われることになります。

 悪いことは申しません。私は住民監査請求まで提出して市民のお金である公費を不当に支出したこの問題を室戸市民になり替わりそれを実行した市長を議会で追及しているんですが、県の部長と副部長、そしてこの市町村振興課課長らとあなた方二名が協議して、室戸市に対してこの違法なままの高速バスターミナルを私が議会で提案したような形(施設を賃貸し、指定管理料を市から出す)に改めるように指示した方がいいと思います。「・・・せよ」などとは申しません。そうした方が室戸市にとっても高知県にとっても良い判断だとお教えしておきます。ぜひ協議してみて下さい。そうすれば私も問題が一つ解決するし、室戸市も今後、私に違法な政策だと追及されなくなり、県も県議会で追及されないと思います。

 唯、それも早くしないと6月議会で私はまたこの問題を「違法性は無い。現状のままでいい」とウソの答弁した室戸市長を追及するつもりですので、よろしくご配慮ください。≫

 こう要請して帰ってきた。

  間違いを素直に改められない人は、気が小さいのです。「この違法を認め改めれば、あいつに負けたことになる」と思うというのは、臆病だからだ。しかし、法律で動いている組織の中では、違法であると指摘を受けた場合は勇気を出し、謙虚な気持ちで素直に謝罪すべきは謝罪すること。その上で適正に改めること。それも、早く改める必要がある。それが組織リーダーとして、また行政のトップとしての誠実な対応というものだ。そうしないでいて対応が遅れると、悪い評判がますます悪化していって、結局、最後は自分が損をすることになる。

 それと、これも今日、高知県市町村振興課に行った時に対応していただいた二人の職員に話したことです。

≪県職員はどうか知りませんが、市町村の職員や首長の中には地方自治法を法律と思っていない人がいて、私は議員になって七年になりますが、何人もそんな人がいました。最近にも、「企業誘致やきん、難しいことを言わいでもえいやないか。そこまで言うかえ」と食ってかかってきた職員がいました。「企業誘致だから少々地方自治法に違反していてもいいじゃないか」という意味です。私は即座に、その職員を叱責しました。「じゃあ、企業誘致だから違法でもいいじゃないか、観光振興に寄与するから違法でもいいじゃないか、健康福祉に寄与するから違法でもいいじゃないか、地域振興になるから違法でもいいじゃないかというのか。それらが行政において、議場において法律に違反していてもいいというのか」と。そんな出来事がありました。

 これはその課長だけの考えではなくて、室戸市長も同様に考えているのは間違いありません。「おれたちがせっかく企業誘致で引っ張ってきた成果なのに、なぜそんなに足を引っ張るのか」。そう思っているのです。だから市長や市職員からそんな怒りが出てくるのです。企業誘致は褒められるべきもので、その点はお褒めしたい。しかし、これは県の事業においても同じで、市に効果的な事業だからといって違法業務も含めてすべてが許されるものではないですよね。違法に市民の予算から不当な公費の支出をしてよいということにはならないのです。優先すべきは法令の順守であり、企業誘致はそれを踏まえた上での業務。たとえそれが市長命令であっても、地方公務員法には法律と上司の命令なら、法律を優先せよと規定されています。≫

 私の指摘に、県職員はうなずくしかありませんでした。

 だから、首長の命令なんて、法律の前では屁のようなものでしかない。これは、先の暴論をはいた課長を叱った時、反論することもできず押し黙ってしまったことからもわかろう。法律を順守しなくてはならないことを市職員は知っているのです。どう転んでも法律を優先させよという私の方が正論で、私の反論に押し黙ってしまったのは課長や市長が考えている企業誘致優先の話がいかに暴論であり、邪論であるかが解ったのだろう。

 しかし、いざとなったら行政職員は法律よりも違法な首長命令の方を優先させて、違法行為を実行する。これは17年5月に市が行った指定管理者公募での条例及び公募違反(地方自治法違反にもなる)と、この20年12月の高速バスターミナル施設建設における地方自治法違反で明らかだ。

 さて、この問題に関してですが、きっと県は市に対して私が3月議会で提案した改善策を早急に指示すると考えている。早ければ連休前にもそうするだろう。でも、もしこの問題をそのように改めなかったら私も考えなくてはならない。県議にこの問題のすべてを情報公開するまでだ。そうなれば間違いなく県議会はこの問題で紛糾する。

 「違法を承知しながら室戸市に対して補助金を出したのか」と。「県条例をどう思っているんだ!」と。「室戸市議の指摘を受けながら、『これは公の施設に違反しているから改善しなさい』と室戸市に指示もせずに、なぜ放置したんだ」と。
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私が政党に入らない理由

2010-04-25 | 議員活動
 国政は今、新党ブーム。次の政権をになうとみている「みんなの党」に続いて、「新党改革」、「たちあがれ日本」。政党ではない政治団体の、首長らが結成した「日本創新党」。これら新党ブームの理由は、自民党に小泉氏のような国民が惚れるような政治家がいないからと、民主党が確かじゃないから。

 国の動きはさておき、地方議会では「無所属」と言いながら議会の半数ぐらいは政党に入って国政選挙などのお手伝いをしているのではないか。

 こんな議員を、私が議員職の師と仰いでいるふくおひろし氏は「隠れ○○党」議員と呼んでいる。例えば、自民党員の議員でありながら議会や選挙での届け出は「無所属」とし、国政選挙などでは自民党の国会議員候補の選挙運動に参加している市区町村議員などを「隠れ自民党」と称している。

 ですが私は元来、政党には入らないように決めている。理由は、議員になる前から政党などに入ることがまちの議員活動に効果を上げるとは思っていないし、政党があてになるとは思っていないから、どの政党にも絶対に入党することはない。

 又、選挙の時に投票する政党はその時々に考えて決めて投票している。

 しっかりと政権運営する能力の高い政党で、贈収賄や裏献金の授受など悪事を行う議員がいない政党で、その上で、選挙前に国民のお金である国費を使って国民を買収するようなバラマキの政策や公約を打ち出すようなことをしない政党に投票している。

 相対的に言って、選挙公約で国民に痛みを強いる政策を打ち出せる政党は信用できると考えている。

 このように私はどの政党にも関わらないが、地方議員をしていて、政党にお世話にならなきゃならないと困ったことはこれまで一度もない。これほど議員活動を積極的に行っていて、「室戸市のこの事業はあの政党に頼まなきゃ解決しない」とか思って困ったということはない。自分独自の調査活動で市長の違法行為をつかみ、調査活動を行い、議会でそれを暴露し追求したし、今もそうして議員活動を続けている。

 先日も政党に入っている某議員と話したことだった。

 「おまんら○○党に入っているが、国政選挙や県議選の時にうまく使われるだけじゃないかね。国の大きな政党がこんな小さな町の一議員のために骨を折って巨額の交付金を落としてくれるかや。議員をやっていてそこに入党して何か利点があるのか。そんな時間があったら室戸市の行政に集中して議員活動した方がもっと、報酬をくれよう市民のためになるんじゃないかや。おれはそれがわかっちょうきん、政党など入りゃせんが。それに政党に入ってないからといって、困ったことは一度もないしなあ」。

 私はこれまで県知事選と市長選にかかわったことがある。先の市長選に限ると、拘わったことが室戸市のためにならなかったし、むしろ裏切られたことの方が大きく、信じて選挙運動に拘わったことをいま強く後悔している。

 ですが、国政選挙に関してはこれまで全く拘わらなかったし、これからも拘わるつもりはない。それは、首長の立場ならいざ知れず、地方議員が国会議員の選挙にかかわっても小さな町に効果を生みだすことは無いからだ。

 私はこれからも室戸市議会議員として、国政選挙や県知事選、県議選、市長選には拘わらず、議員の務めを果たすことだけを考えて努力していきます。
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民主党の公約仕分け

2010-04-23 | 国のあり方
 以前から思っていたことですが、これほど民主党の公約集を基に行っている政策に国民の批判が集中していることを考えると、「これまで自民党政権が行ってきた政策だからそのまま引き継いでは負けたようで癪に障る」といって深く調査もせず碌に考えもなしにバッタバッタと切り刻んで事業仕分けをしているが、その前に、自分たち民主党の公約集(マニフェスト)を仕分けしてはどうか。

 どの大臣の名を挙げても、混迷している問題を抱えていない大臣はいない。鳩山氏、前原氏、岡田氏、平野氏、北沢氏、菅氏、長妻氏、連立政権内の亀井氏と福島氏等々。そして、党の小沢氏。

 戦後から続いてきた自民党政権においてはロッキード事件やリクルート事件などという重大な違法事件が数多くあったし、政権内の政争でも国民を惑わせたことも数多くあって、その点においては自民党政権も国民目線の誠実で正しい政治をしてきたとは言い切れない。

 しかし、政権運営がこれほどへたくそな政権は私が物心ついてからは見たことがない。

 決断力のない総理大臣。判断力に欠ける総理大臣。誰にも嫌われたくないといつも思っている総理大臣。戦後以降続けてきた重要な日米関係よりも、すきあらば侵略してやろうと国内や日本周辺の海で行動している中国の方が大事だと思っている領土問題に鈍感な日本の総理大臣。党の幹事長が総理大臣よりも偉い人だと勘違いしている総理大臣。政治家としての引き際がわからない総理大臣。本当は国民の「命」よりもお母様の方が大事だと思っている総理大臣。違法な行為の認識に欠ける総理大臣。アメリカのオバマ大統領に嫌われてしまった総理大臣。・・・まだまだあるが、挙げればきりがない。

 ゼネコンは1億円渡したといい、それを貰っていないという幹事長。政党を作ったり壊したりするたびにどこへいったかわからない億単位の資金疑惑がある幹事長。土地やマンションを政治資金で買い、資産報告書には預貯金はゼロ円と書く幹事長。それでいて、自著では「政治資金の出入りを一円に至るまで全面的に公開し、流れを完全に透明にする」と国民に表向きは健全な政治家のように装う幹事長。日本国土の安全保障の観点から米軍基地が必要だとも解らず、日本にとって重要な日米同盟を「第七艦隊だけで米国の極東における存在は十分だ」などと軽視しながら、アメリカよりも中国が好きで日本の国家主席になりたい幹事長。そんなだから、アメリカのオバマ大統領ら政治家に嫌われている幹事長。・・・まだまだあるが、挙げれば切りがない。

 いま、民主党の大臣みんなが「野党の時には政権運営がこんなに難しいとは思わなかった」と考えている。そんなことを考えている大臣が迷いながらやっていることに、国民から批判が集中している。その原因の半分以上が総理大臣の無能さゆえ。それらがあって、とにかく民主党は政権運営がヘタ。それを毎日テレビや新聞、雑誌で見ている国民はみんなあきれ、惑い、悩み困惑し、不安感の裏返しで笑い、酒の肴にし、やがて苛立ち、怒りくるっている。この7月に衆参両院の同日選をやれば、自民党系の野党が政権を奪い返すことは請け合いだ。

 
 そこで、事業仕分けしてもほんの少しだけしか成果が上がらなかったことを考えると、むしろ大きく好転して国民の評価が高まる方法として、民主党が先の衆院選で国民に示した公約集を野党議員と民間の有識者が仕分けすることを提案する。

 その仕分け場所でのレイアウトは次の図の通りにし、仕分け人は次の各氏。仕分け人のリーダーは自民党の石破茂議員と、みんなの党の渡辺善美議員の二氏。民間からは、ジャーナリストの櫻井よしこ氏、政治評論家の三宅久之氏、片山善博前鳥取県知事、テレビキャスターのみのもんた氏、橋下大阪府知事、東国原宮崎県知事の六氏。他にはいらない。私はこの八氏で十分、民主党のムダな公約を排除できると考えている。

 もしもう一人参加させるとすれば、自民党の小泉進次郎議員。彼は政治家として、いいなあ。ワンフレーズ・ポリテックは父親譲りだろうが、それが効果的だと私に教えてくれた二人目の政治家だ。一人目は勿論、小泉純一郎である。

            
   
≪仕分けする公約と問題点≫

●議員辞職しない鳩山・小沢氏の政治資金規正法違反と脱税の問題
●「企業献金の禁止」を公約しながら巨額のゼネコン献金を授受
●日米合意を破たんさせた「普天間基地移設は国外・県外」
●有料であるからこそ健全な道路財政を、「高速道路無料化」
●賢明な国民が反対する「子ども手当」と高校の実質無償化
●「自動車関連税の暫定税率廃止」の廃止
●他の産業を差別する、「農家への個別所得補償制度」
●「ムダづかい廃止」と公約しながら行っている、ムダ政策ばかりの公約集
●「天下り根絶」と公約しながらの天下り人事
●国の利権を一政党の幹事長に一本化してしまった「陳情仕分け」
●ただ“小泉憎し”から『官から民へ』の時代の流れに逆行する「郵政事業の見直し」
●財源確保が不明確なままバラマキ公約で選挙に臨んだ悪質さ
●「民主党の候補を応援したら交付金で支援する」と自治体を脅した恐怖政治
●放置されたままの、自分たちにも痛みを伴う「国会議員削減」
●政権政党なら何でもできると勘違いしている、国民にとっては大迷惑な「連休の分散化」
等々。


 実力がない上に努力するつもりもない人間は、たいてい背伸びしたがるものだ。そうして自分以上の“自分”を演出しようとする。

 地方の首長や議員を見ていると、それがよくわかる。

 これは、政党についても同じことが言える。それが今の民主党だ。実力と政権実務の経験が無いから、選挙で国民を買収するような精一杯背伸びした公約を作らなきゃならなかったのである。


 この悪政を改めるため、ぜひとも上で描いたような形の公約仕分けを行ってほしい。でもどう考えても、自分が所属する政党の甘い言葉ばかり並べた公約の仕分けなんて、どの政党もできないし、しないだろうな。でも、市町村の事業仕分けは以前から調査して知っているが、上のような政党公約の仕分け作業は見たことがないから、一度でいいからみてみたいものだ。  

 今日も、ある自動車会社の有能な営業マンが「今の民主党を見ていると不安で、どうなるのかと、心配でたまらん」といっていた。全国民を不安にさせる民主党の悪政の根は深く、多岐にわたる。

 昨年来、民主党が政権を取ってからの日本は世界の動きから取り残されつつあり、特にアメリカとの関係は悪化するばかりだ。これらの状況を国民はよく知っていて、「もう、任せられない」と、その怒りは頂点に達しようとしている。よその国なら暴動がおこるのではないかと思うほどだが、政府と民主党幹事長ら首脳陣はノー天気にも、参院選に勝つことばかり考えている。その中での救いは、生方副幹事長が小沢氏に直接的に「やめろ」といっていることだけ。

 この今の政治の悪い状況を打破するには、堅実に行財政改革を進める別の政党に政権をゆだねるしかない。

 それは民主党と違い、国民に甘言をささやかない、国民に耳の痛い消費税上げなどにでもはっきりと「この政策は日本の国が財政破たんしないためにはどうしても必要ですから」と訴えることができる政党でなくてはなりません。衆院選前にバラマキ政策である定額給付金を支給した自民党然り、選挙公約で「政権を取ったらこれ上げるから、あれ上げるから」とばらまいている民主党然りで、そんな政党や国会議員は信用してはなりません。

 これは地方議会議員の選挙でも同じで、金やものをばらまく候補や酒や御馳走をふるまって投票を依頼するような卑怯極まりない候補は自分に議員としての自信がないからそうするのであって、そんな公職選挙法に違反する候補には絶対に投票してはなりません。もしそんな候補を見つけたらすぐに最寄りの警察署に通報していただくよう、皆さんにお願いしておきたい。

 尚、鳩山首相は今日23日午前の参院本会議で、米軍普天間飛行場移設問題に関し「首相としてすべての政策に職を賭す覚悟で臨んでいるのは当然のことで、その中には普天間移設先の問題も含まれている」と述べ、5月末までの決着に進退を懸ける考えを表明。首相は21日の党首討論で「職を賭して頑張る」と述べており、5月決着に失敗すれば総理大臣を辞任することを表明したといってもよいだろう。加えて、これまで鳩山総理は「私が総理を辞するときは、議員を辞職するときだ」といってきたので、鳩山総理は5月に議員辞職して、その後は元総理大臣だった細川護熙氏のようにお金に苦労することなく悠々自適の後世を送ることになろう。

 あとは小沢氏の処遇だけだが、この件については参院選までに国税局が法に照らして適正に動いてくれることを心から願っている。「国民が第一」といってきた民主党のためにもそうあってほしい。小沢幹事長と敵対関係にある生方副幹事長や前原国交相もその時を待っているのではないか。 
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総務文教委で管内視察地を選定

2010-04-21 | 議会報告
  

 本日21日は総務文教委が開かれ、年度初め恒例の管内視察の目的地選定と視察日決定の協議を行います。

 視察に行くのは市の関係施設だけですし、われわれ総務文教委員会所属の委員(議員)が視察するのは、総務課、企画財政課、財産管理課、税務課、会計課、滞納整理課、消防、選挙管理委員会、人権啓発課、教育委員会(学校保育課、生涯学習課)が所管する施設に限ります。

 総務課は自主防災組織などが想定されます。

 企画財政課は企画班のジオパーク整備が行われている場所や地方自治法第244条違反で施設を設置した高速バスターミナルなどが想定されます。

 財産管理課では17年に私が問題視した市有地の不法占有など、市有地や市有施設が想定されます。私は17年から2、3年間、独自にこの市有地の不法占有問題に取り組んできて、議会でも厳しく追及してきた。その甲斐あって、今では賃貸を取り付けたり売却したりと少しは改善されてはいますが、まだまだ市有地の不法占有は現存したままです。昔からどんな経緯があろうとも、市有地を長く不法に占有するのは違法。これからもこの問題については厳格に取り組んでゆきます。

 あとは、学校や公民館、消防関係施設などが視察地となります。

 視察する施設や視察する日が決まりましたらまた今日、自宅に帰ってきてからご報告させていただきます。

(追記)
 室戸市議会総務文教委の管内視察の日程と視察先が決まりましたので、ご報告いたします。

 視察は5月14日(金)と、日曜日をはさんで17日(月)の二日間。

 視察先は、防災施設として室戸岬町三津にある県海洋深層水研究所の横の三津海底地震総合観測システム、地方自治法「公の施設」に違反した市施設である高速バスターミナル(室戸岬町)、ジオパーク事業の遊歩道整備などが進む室戸岬海岸と新村海岸、市有地適正管理の観点から吉良川旧家畜市場跡地と西灘市有地、最近新築なった室戸消防分団施設、菜生市民館、吉良川小学校、室戸中学校、室戸市立図書館、室戸岬公民館、遊休施設として椎名小学校。

 以上を二日間にわたって視察します。
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モネの庭と、龍馬以上の『慎太郎伝』

2010-04-18 | 季節のたより
 ここ二日ぐらいは庭に花を植えたりして、ガーデニングでちょっとばかり汗を流しました。庭もパッと明るくなった気がします。

 新たに植えたのは、海岸部で潮風が吹くからモミジはいくら植えても葉枯れをしてまともな気にならないんですが、また2本買ってきて植えてみた。何でもトライ、トライだからね。そのほかはこれまた潮風に弱いキンモクセイに、家では2本目になるマンサクの木。そして、金魚草、小海老草など小さな花を色々と。

 そうして庭の植え付けも終わったことから、日曜日の昼からは後援会長(女房の“お龍”)と安芸郡北川村の「モネの庭」の見学に行ってきました。

 木々の若葉が目にしみる、とか言うが、本当に若葉の季節は「息吹」を感じて、「さー、春が来たぞ」という気にさせてくれますね。その点では、新年を迎えたときよりも体からやる気がほとばしります。写真で、その雰囲気を味わっていただけたら。

  

     

  

              

  

 北川村といえば、モネの庭が最近は有名になってきましたが、かつて平成3年ごろだったか、北川村出身の幕末の志士・中岡慎太郎を売り出そうと「慎太郎を表舞台にだす会」が中心になって慎太郎の映画づくりの活動があった。その業績を映画にしようと北川村と周辺町村の役場、住民が一緒になって大いに盛り上がったことがある。

 いまNHKの大河ドラマで『龍馬伝』をやっていることもあって岩崎弥太郎はいっぺんに全国に名を知られるようになったが、龍馬と一緒に武市塾で学んだ中岡慎太郎が全く出てこないのには、首をかしげる。もしかしたら脚本家の福田氏はその歴史を全く知らないのか、それとも「その場に慎太郎が龍馬と出ると龍馬が中岡慎太郎に食われてしまうからかもしれない」、そう思ったのか。

 虚偽を交えながら歴史を半ば無視して創作している『龍馬伝』にいら立ちながらも、私はそんなことを考えながら見ている。「ま、土佐の観光振興になるからいいか」と思いながら。

 唯、一つどうしてもわからんのが、なぜあれほど埃を立てなくてはならないのか。撮影は粉を扇風機で飛ばして埃を立てているそうだが、とにかく画面が埃っぽくて、かないまセン。テレビの前で見ている自分の方にまで飛んできそうに思ってしまう。「江戸末期の土佐の弥太郎が住んでいた安芸の町や、京都や、江戸の町は、本当にあれほど埃っぽかったのかのお。龍馬!、 おらあ、どうしてもあの埃を立てる意味がわからんきんにゃあ!」。

 木村幸比古氏はその著作の中で、「どちらかといえば、死後有名になった坂本龍馬に比べ、中岡慎太郎は幕末の当時から周辺に名を知られていたため、薩長同盟や大政奉還の一番の功労者は慎太郎であったという見解がある」と、明らかにしている。本当は龍馬じゃなくて中岡慎太郎が薩長同盟の立役者だったという。

 私は、「実際の龍馬」が実績よりも司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の小説や今回の『龍馬伝』などによって、ますます功績が創作された人物像になっていっていることを、そら恐ろしく思っている。人の人生をこれほど作って作って飾り立てていいものかと。あと50年もすれば坂本龍馬がスーパーマンのように空を飛ぶ小説や映画ができるんじゃないか。それでいいのだろうか。本が売れるから、映画がヒットするからといって。

 だから、慎太郎は真面目一本で龍馬ほど面白い男じゃなかったかもしれないが、龍馬以上のその実績を考えると、中岡慎太郎を主人公にし、阿波の国が絡んだ野根山二十三士の物語も織り込んだ大河ドラマ『土佐の青空』を十年後にでも放送してもらってもわるくはない。

 原作は土陽新聞社(高知新聞の前身)速記部長、徳島日日新聞東京支局長などを務めた、尾崎卓爾(たくじ)が書いた慎太郎の伝記、『中岡慎太郎先生』。尾崎は中岡慎太郎と同じ高知県安芸郡北川村の出身。この執筆には、土佐勤王党の一人で元陸援隊の田中光顕が資料の提供や様々な助言を行うなど、積極的に協力している。『龍馬伝』とは違って、当時の事実を知っている幕末の志士が協力して書いた本だ。ウソは無い。
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会計と、家計

2010-04-16 | 組織のあり方
 「これは一般会計の予算からじゃなくて、基金の方から出すから大丈夫です」。


 私が議員になって二年目ぐらいだったか、16年末から17年初めにかけて室戸市が海洋深層水を使って温浴施設と公園を建設しようと計画を進めていたころの、市議会での話です。

 常任委員会で予算審議をしていた時に、日頃からこの温浴施設に国や県の交付金や補助金のほかに室戸市の財源からも巨額の予算が投入されることを問題視した私は、担当課長にその点を次のように質した。

 谷口「16年11月の行政視察で沖縄県久米島の温浴施設・バーデハウス久米島を調査してきたが、あそこも開業半年で赤字は間違いないといっていた。それは利用者が50歳前後の女性に限定されるためで、今から建設しようとしている室戸市の温浴施設も赤字になるのは間違いありません。なぜ、そんな施設を作るために億単位の予算を投入しなければならないのか」。これは当たり前の経営感覚を持っている市民なら、誰だって思うことでした。

 この計画を本格的に開始したのは16年度からですが、準備期間も含めて最初に予算を投資し始めたのは私が議員になる一年前の14年3月議会の当初予算議会からで、それから委員会で問題提起した時期の16年度末までにこの事業に投資した予算総額は次の通り。参考までに書き記しておきたい

 国から、2億2960憶円。県から、1億5267億円。室戸市から、地方債(借金)2億2630億円と、基金など特別財源から1億5191憶円の、合計7億6048憶円。

 独自の調査で明らかになった以上のような予算額を見て私が委員会の予算審議で問題提起した気持ちはわかっていただけると思いますが、担当課長はその質疑に対して私が議員になって2年目の新人議員というで「財政なんか解りゃしないだろう」と考え、教え諭すように、そして自信ありげにこう答弁した。

 「これは一般会計の予算からじゃなくて、基金の方から出すから大丈夫です」。

 その課長はそう決めつけて、「谷口議員はこの温浴施設建設の予算が市の1年間を賄う一般会計から出ていると勘違いしているようですが、そうじゃなくて、基金から出すんですよ。だからそんなに心配しなくてもいいんです」と言いたかったようだ。

 私が家業である製材所で子どもの頃から商売にかかわり、十五年間の運送業を経て、自分が借金して喫茶店や雑誌出版の商売をしてきた経歴をあまりよく知らなかったのかもしれない。

 答弁を聞いて私は「こりゃだめだ」と思い、反論して組織経営上の財務の何たるかを教え諭すのもばからしくて、質疑を続けるのをやめた。議員である私の倍の給料をもらっている課長として市の中枢にいて、考える財務識見はこの程度かと思い。(2期目の今は、少々うるさがられても、徹底して頑固に指摘しているが)

 課長の顔を見ながら、思ったのはこんなこと。

 「おまん、そりゃおかしいぜよ。市の財政も個人の家計も同じやということが解らんがかよ」。

 「一般会計は、家計で言えばおまんと奥さんが働いて家に入れている給料だ。その高い給料の中から定期預金という積み立ての一つもしているだろう。もし、いま言ったように家で話せば奥さんが納得すると思っているのか。例えば奥さんに内緒で車を買うことを決めてしまった時、奥さんは怒る。それに対し、おまんが『いや、大丈夫だ。これは貰いゆう給料から引いて買うんじゃのうて、定期預金を解約して買うがやきん、心配ない』といって、奥さんは納得するのか。しないだろう。奥さんはきっとこう言う。『あんたぁ、なに言ゆう。給料から引いて車を買うがあも、定期を解約して車を買うがあも、同じうちのお金やいか。同じうちのお金を使こうて買うことに変わりないやいか!』と叱られてしまう。だから、おまんが今言ったと同じように自分の家で奥さんに言うたら、そうやっておまんは叱られるろ。自治体の財政もそれとおんなじことよ。基金も一般会計や特別会計と同じ自治体のお金。扱いも同じようにすべきものよ。こっちの金とあっちの金は別じゃのうて、こっちの金もあっちの金も役所にある金は全部、大事な市民のお金。おまんらが自由に使ってえい金は一銭もない。これを忘れたら、もうおしまいよ」。

 この事例は、一般社会で営業などに従事して若いうちから正しい金銭感覚を会得している人と違い、20歳ごろに公務員として採用されて長く40年近くも行政組織の中にいると、だんだんとこんな簡単なお金の在り方も解らなくなるという、一つの証しだ。

 課長の答弁にあきれた過去を振り返り、今回記事を書くにあたって自治体の財務と個人の家計を改めて図式にしたので、読者のみなさんも一緒に考えてみてほしい。

  

 左が自治体の財政です。国からは交付金、地方交付税交付金、負担金、補助金などが自治体にもたらされる。多少の差はあるが、都道府県には補助金、負担金などがもたらされる。住民からは市税が納付されます。これを自治体は全財産として、一般会計と特別会計、一部事務組合などに予算化する。そして、「今後のことを考えて、これは残しておこう」と「基金」として積み立てておく。

 右が、皆さんそれぞれの個人の家計です。父と息子は会社に勤務して給料を頂き、母はパン屋さんに勤めて、少ないながらも給料を頂いてきます。それをみんな家に入れて、財布を握っている母がまず生活費をのけておいて、残りの一部を普通貯金に入れ、図には書いていないが一部をローンの支払いに回し、もしもの時のために「定期預金」も積み立てておく。

  だから、市の財政運営についての考え方も個人の家計の運営も同じで、個人の家の「定期預金」が家の中の生活費や普通預金と同じ“その一家の大事なお金”であるように、自治体の 「基金」も自治体の一般会計や特別会計、一部事務組合への予算と同じ“そのまちの大事なお金”。だから、「一般会計から使うのなら悪いが、基金を使うのだから良い」という財務の考え方は完全に間違っている。このことを首長と行政職員はよく認識しておくことだ。もし、こんなふうに大きな一つの“財布”のことを二つ別々の“財布”だと勘違いするなどと財政の在り方を誤って思い込んでいる職員がいたら、若いうちにもう一度基礎から勉強し直した方がいい。

 その時から思い始めたのは、市民感覚と行政感覚の違い。公務員になり長く自治体にいると、社会的な常識や金銭感覚から遠ざかりがちになり、中には先のような答えを議会の中で平気で、また悠然と言う職員もでてくる。それを“外の人”が誰も注意しないでいると、やがて「おれは間違っていない」と思いこみ、50歳を過ぎ退職間際の60歳近くにもなると、西武ライオンズ時代の松坂投手じゃないが「自信が確信に変わった」と思い始める。

 そうやってそのまま誤った考え方を持ったまま退職してゆくのである。

 この電子情報誌は全国の議員や行政職員だけでなくて、高知県職員や室戸市職員の皆さんもたくさん見ていただいているが、ここで指摘した行政マンの金銭感覚についてはよくお考えになられて、自分の今後の仕事に活かしてほしい。

 因みに、室戸市が建設した温浴施設及び公園工事などに投資した工事費等の総額(18年度当初予算まで)を最後に記しておく。

 国から、2億3760憶円。県から、6億4974億円。室戸市から、地方債(借金)5億1030億円と、基金など特別財源から3億4339憶円。合計17億4103憶円。この後も多くの公費がこの施設には投じられています。勿論18億円はとうに超過している。加えて、市の対応ミスによって20年と21年にも倒産寸前の指定管理者に約6000万円の赤字補てんが投じられ、その後すぐに指定管理者であるミクプランニング社(東京)が撤退したことによって、市長が市民に多大な損害を与えたことは皆さんに報告したとおり。

 健全財政の観点からみれば、この施設の建設と指定管理者公募が始まってから今までの流れは、あまり賢明な財政運営だとは思っていないし、法律も守らないというのはそれ以前の問題だ。

 又、儲けることが商売の原点。地方公共団体がやる商売であっても、儲けることができない赤字が明らかな商売は始めてはいけないし、商売を経験したこともない首長や職員が商売に係わることも間違っている。

 商売は自分が借金した金で商売を始めるものであるし、商売はかつて商売を経験した人が始め自らが経営すべきものだ。決して他人のふんどしで相撲を取ってはならない。
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この国を憂える

2010-04-13 | 政治家のあり方
 人間、自分ではどうにもならないことがあるものだ。だが、それでも止むにやまれず、いや、自分ではどうしようもないことがわかっていても、前に進まなければならない時がある。

 
 年齢も60歳、70歳を過ぎ、病身でありながら、もう引退の時期が来ていることを自分で承知していても、今のままではこの国が廃れゆくと思うと居ても立ってもいられなくなって、挑みかかってゆく。

 その勇気や、いさぎよし! 意気に感じる。 

 自民党を離党した与謝野・元財務相が無所属の平沼・元経済産業相らと4月10日、新党「たちあがれ日本」の結党を発表した。結党の趣旨として、「打倒民主党」「日本復活」「政界再編」の三点を使命として掲げ、平沼赳夫氏が代表、与謝野馨氏が共同代表に就任した。新党メンバーは二氏のほか、自民党を離党した園田博之氏、藤井孝男氏、中川義雄氏の5人。

 同党の五氏は世間から平均年齢69歳を捉えて、とやかく言われている。私も最初はそんな老いた人たちが何ができるのかと思った。でも結党記者会見での“応援団長”石原慎太郎都知事の発言を聞いて、少し考え方を変えた。

 「新党に参加した5人は年寄りばかりだとバカにするのは簡単だが、30,40,50代で我々と同じようにこの国を憂える人間がどれだけいるんだ。今の民主党の議員はみんな腰抜けではないか」

 今の民主党のやっている政策の大半が間違った政治であるのはゆるぎない。

 政治というものは政治の方を向いて政治を行うものであるが、そもそも民主党という政党は野党時代から選挙の方ばかり向いて政治をやるくせがあって、そういうところに政党としての誤りがある。もともとそんな政党だから、自分たち民主党に投票してくれるようにとばかり考えて、国民に媚びた公約で選挙に臨んだ。一方、国民もそれがバラマキ政策だとわかりながら、「マニフェストっていうから、きっと新しい政治をしてくれるんだ」と信じ、党の能力以上の票を投じて民主党に政権を任せてしまった。

 そうした民主党の作戦が功を制し政権の座についた民主党は大喜びしたが、実際に自分たちで国政を賄ったことがないから大混乱。結局、22年度当初予算では税収以上の国債(借金)を発行して次世代への負担を増加させ、いまだに多種多様な部局ですったもんだの大混乱が続いている。

 政権公約を基に進めている政策がその大混乱の原因だが、そのすべてが国民に媚びたでたらめなものばかり。しかし、その政策で自分の党に投票してくれたんだから、今更「あれは全部ウソでした」と白状するわけにもいかない。だから、自分たちが背伸びして作った公約にその自分たちががんじがらめに縛られている状態だ。

 まず、こども手当。これは家庭の中で貯金と遊行費に回され、経済対策などにはならない。むしろ、民主党の議員諸氏よりも政治に係わったことのない子どもを持っている奥様方などの方が賢明な判断を下し、「この子ども手当はやめた方がいい。将来、このことが負担になって子どもが大人になった時に税負担が増えるようになる」と批判するのを聞くと、鳩山総理ほか内閣の大臣よりも国民の方がもっと長期の財政の在り方が解っている。

 高速道路無料化。これはこれまで高速道路をつくってきた財源の回収とこれからも高速道路をつくるための財源を考えると、無料にしてよいわけがない。自民党政権時代と同じ金額のままで何も問題は無かったのである。それを一部無料化してしまったが、無料化すればどうなるのか。

 これまでは無料ではなかったから一般国道を走る車と高速道路を走る車との調和がとれていたのに、完全無料化すれば高速道路に今の倍以上の車が高速道路に入り込む危険がある。

 それと、これは私がかつて雑誌記者をしていた時の嶺北地域取材の帰りのこと。高知高速道が片側一車線だった頃に大豊インターから上がり南国に向かって走り始めた時に前方を70歳や80歳とみられる高齢者が4人乗った軽四車が走っていて、その速度が驚くことにおよそ40キロぐらい。私は自分の車の後から来る高速車両のことを考えると恐怖感が襲ってきて、警笛を鳴らした。するとその軽四車はトンネルの手前で横の道路わきに寄ったので、大急ぎで速度を上げて追いぬいた。その後のことは知らない。

 こんな事例を経験している私は、その無料化した高速道に今まで高速道路を走ったことのない70歳、80歳の高齢者が「無料で、信号がないから高速で行こうか」と安易に入り40キロとか50キロで走られることを想定すると、命あっての物種。高速道路の無料化なんか、とんでもない政策だと確信している。

 それに元トラック運転手の経験から言うと、乗用車の無料化はとりやめてトラック業界をもっと優遇して、トラックの高速料金を緩和すべき。その方が経済効果が上がることは明らかだが、こんな理論は民主党議員にいくら言っても解らないだろう。

 この高速道路無料化の政策によってどのくらい多くの国民を困らせているのかを、民主党の議員は分かっていない。鉄道の乗車率は悪化し経営不振を招いているし、フェリー会社は廃業しようかという状態に追いやっている。それによりどのくらいの関係会社が経営不振になり社員が困窮しているのだろうか。民主党は政策集で「雇用を守り、格差を正す」としたが、鳩山氏や小沢氏はこの高速道路無料化により発生している国内の健全雇用の破たんと格差の拡大をどう説明するのか。説明できまい。

 農業の戸別所得補償にしても、なぜ農業だけなのか。林業従事者や漁業従事者はどうして戸別所得補償をしないのだ。この偏向的な政策についてテレビでも雑誌でも誰も何も言わないし書かないが、なぜ農業従事者だけ補償するのか。小沢氏の選挙戦略とも聞くが、民主党はなぜ経済対策の中でこのように特定の産業に対してだけ差別的に優遇するのか。その根拠はどこにあるのか、国民に分かるように答えてほしいものだ。

 普天間基地移設問題は、自民党案の辺野古沖埋め立てという日米合意の政策をそのまま踏襲すれば何も混乱は無かったのである。だが、民主党はひがみっぽいのか、素直じゃないのか、それでは自民党に負けたような気になるから「県外・国外」と公約を書いた。何の計画性もなしに、行き当たりばったりで。だから、まとまらないのは当たり前のことだった。

 このように、まるで一から出直しのような行動に出たため政権を取って七カ月たっても何も決まらないし、むしろ民主党内のてんでばらばらの発言と国民新党や社民党議員の勝手気ままな言動も災いして、アメリカとの日米同盟の関係までも最悪の状態にしてしまった。「ツラスト・ミー」発言以来、オバマ米大統領が日本の鳩山総理を一人の政治家としてその能力を認めなくなっていることを考えると、日本国民にとっては悲観的な事態を迎えているといえる。

 天下り根絶の公約も全く守らないし、暫定税率の廃止の公約も守らなかった。選挙公約を守らないのはどこかの首長のようだ。

 消費税は国の財政難と社会制度などを考えると上げなくてはならない時に来ていて、国民も半ば納得していた。しかし、民主党は票欲しさに「衆議院の任期四年間は消費税を上げない」と公約し、衆院選に臨んだのである。それが、近頃は閣僚が口々に消費税率上げに言及しているのは疑わしく、これもあと三年以内に上げることになればこれもまた公約違反になる。

 そうして、民主党の代表でもないのに小沢幹事長は地方からの陳情はすべて民主党幹事長室を通す“陳情仕分け”という戦後初めての政治手法を編み出し、内閣もそれを納得してしまったことには怒りすら感じる。以前、選挙にかかわる行動は議員の職務ではないと書いたが、選挙至上主義で以って偏見な目で物事を判断する、ゼネコンとの深刻な疑惑をもたれている議員に国の全権を託しているようなあり方には全く納得できない。

 このほかにも民主党政治に対する不満はたくさんある。これほど国の政治が悪化してしまったのは、戦後初めてといっていい。まるで、素人。私は選挙前から民主党が公表したその公約のすべてがでたらめだとわかっていたし、小沢氏が非常に古臭いタイプの悪質な政治家だとよく解っていたから昨年9月の衆院選では民主党に投票はしなかった。

 新党「たちあがれ日本」の結成発表の場での石原知事の発言、「新党に参加した5人は年寄りばかりだと言うのは簡単だが、30,40、50代で我々と同じようにこの国を憂える人間がどれだけいるんだ!」には、心打たれるものがあった。

 三つの党がどの党も勝手気ままなことを勝手気ままに発言しているだけのちゃらんぽらんな今の民主党政権の政治を見ていると、本当に国の将来を憂える。与謝野氏や平沼氏など70歳を超えた政治家が居てもたってもいられなくなって立ち上がった気持ちがよくわかる。

 だから、私はこの「たちあがれ日本」党が結成されたことを批判する考えはない。支持政党ということではないが、結成に参加した平均年齢69歳の議員には敬意を表したい。又、石原氏が言う「30、40、50代で我々高齢な政治家と同じようにこの国を憂えている人間がどれだけいるのか」の批判を、国民の中の若い人たちは率直に受け止めなくてはならないとも思う。今のように国が廃れゆくのを見ていると、民主党政治を許してはならないと思う。

 
 最後に、国を憂えることから翻って思うが、この地方にあってまちが廃れゆくことを危機的に感じている私は、これまでのまちの在り方を憂え、今後についても憂えている。「こんな自治体でいいのか、こんな議会でいいのか」といつも自分に問いなおし、考えている。国政では70歳を超えた政治家が国を憂えて立ちあがり「たちあがれ日本」党を結成したが、我々地方議会の議員は自分たちのまちの状態を憂えて“たちあがって”いるだろうか。

 「60歳を超えた市町村議員は、70歳を超えた市区町村議員は今、如何にあるのか。そして、30,40,50代の市区町村議員は今、如何にあるのか」。

 「与謝野氏や、平沼氏、そして石原知事のように“こんな政治ではまちがだめになってしまう”という止むにやまれぬ強い思いと捨て身の気迫を以って、政治に係わっているか」。

 大病を経験した与謝野氏らは国を憂えて立ちあがった。「民主党は何をやってるんだ! 国をつぶす気か!」と。われわれ地方議会の議員たちもこの心意気に学んで、まちをよくするためにもっともっと働こうではないか。 
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新聞の大きな役割を「権力のチェック」というが・・・

2010-04-11 | 組織のあり方
 先日の高知新聞のコラム「小社会」に、新聞週間の始まりを機会に新聞の役割について書かれていた。

 かつて安芸市出身の黒岩涙香が『萬朝報』を発行していた時に「権力者や上流社会の不正や醜聞を売り物にした」ことを引き合いにだして、「今も新聞に求められる大きな役割に、権力のチェックがある」と力説し、「ネットに押され、新聞が危機的状況にある米国では新聞の衰退によって、この機能が社会から失われることへの危惧が強まっている」と忍び寄る米新聞業界の危機的状況を推測し、警鐘を鳴らす。

 明治期に新聞『萬朝報』を発行していた黒岩涙香については、私も全国オンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』で特集してその人物像を詳細に書いたことがあり、その時には安芸市伊尾木出身の山本秀樹も主筆であった事実を発掘、肖像写真と生家、墓地などの情報も併せ紹介した。

  

  


 黒岩涙香のことについてはさておき、この「小社会」の記事を読んでいて、2点について首をかしげた。

 一つは、アメリカの新聞業界のことを心配することよりも、自分たち高知新聞社の行く末をもっと心配すべきではないかと。

 心配しているからこそ、アメリカを引き合いに出して世界の新聞業界全体の将来、自社の将来を危惧しているのだとは思うが、では、「日本では新聞の衰退によって、この機能が社会から失われることへの危惧が強まっている」という状況にはないのか。だから、アメリカの新聞業界の現状を心配して、日本の新聞業界の危機に言及しなかったのか。そうではないだろう。アメリカの新聞業界のことなどには関係なく、日本の新聞業界の危機、そして、高知県の新聞業界においての高知新聞の購読者数の減少の方をもっと危惧すべきだろう。

 それよりも、もう一つの「今も新聞に求められる大きな役割に、権力のチェックがある」に関して、ジャーナリズムの衰退という点で、私は危惧していることがある。

 「今も新聞に求められる大きな役割に、権力のチェックがある」のは勿論のことで、今更のはなし。だが、最近の高知新聞が本当に「権力のチェック」をしているのか、それは疑わしい。

 この意味は勿論、「権力のチェック」だけが「新聞に求められている大きな役割」ということではない。「チェック」とは「点検」のことだが、新聞が「権力の点検」だけで終わって役目が果たせたといえるわけがない。

 新聞等の報道機関が行う「権力のチェック」とは、国が行う政治、都道府県や市区町村が行う地方政治の点検・調査のことだが、新聞など報道機関の「役割」は「権力のチェック」をした上で、政策や事務事業において違法や不正、不公平、不適正な業務運営を発見したら、それをそのまま「悪いことは悪い」と記事にすることである。かつて黒岩涙香がそうだったように。

 そこで、高知新聞が厳しく「新聞の大きな役割である権力のチェック」を行い、それを厳格に何の躊躇もなく記事にしているのかだ。

 「否」、していない。他の支局には行政や議会の疑問点を手厳しく記事にする記者もいて頼もしく感じているが、残念ながら、ここ四、五年、室戸市と東洋町を所管する室戸支局が室戸市という「権力」に対して厳しくチェックしているとはとてもいえない。

 その指摘する点については高知新聞本社に勤務する知人の記者氏や現室戸支局長にも直接、お話ししたことだが、少なくても室戸市政において過去七年間に起こった違法、不公正、不公平、不適正な事業運営や事務事業に関して、私がそれを点検し、調査し、議会等で明るみに出した時、その情報を提供すると、17年頃までの記者氏は独自に「権力のチェック」を行いどこかで記事にして県民にその情報を公開してきた。だが、それ以降の記者氏は私が議会で明らかにした数々の「権力の違法・不正情報」に関しても直接提供した情報に関しても関心を示さず、よってそれらが記事になることはなかった。

 だから、ここ四、五年の間は室戸市が行ってきた違法や不正、不公正、不適正な事業運営が県民に情報公開されない高知新聞の姿勢に大いに疑問を持っている。それとともに“ジャーナリズムがこれでいいのか”“ジャーナリストはこれでいいのか”の思いが強い。

 高知新聞「小社会」で「今も新聞に求められる大きな役割に、権力のチェックがある」と記事を書いたのは同社の解説委員かご重役だと思うが、こんな現状を見ると、同社のご重役と若い記者氏の思いは別のところにあるようだ。ご重役は「新聞は権力のチェックに力点を置くべきだ」と考え、若い記者氏は「市町村行政のチェックを強めると情報を提供されなくなるから、そんなことはあまりできない」と思っている。だから、支局などにおいては「権力のチェック」は見て見ぬふり、知っていて知らんふりをしている。

 といえば厳しすぎるか。だが、自治体が行った違法などについて問題視もしないで記事を書かないところをみると、そういうことではないか。このことには大いに疑問をもっている。

 かりにも新聞記者は通常はジャーナリストと称されて、世界はもちろんのこと、こんな田舎町においても地域社会の住民や行政関係者などから尊敬し敬われている職業人。そしてジャーナリズムとは、議会議員と同様に、権力に対する抑制と監視の機能を持つものだと思っている。ならば、なぜ新聞記者は地方行政や地方議会で問題となっている事業を記事にし報道しないのか。そんなに自治体の長や職員に臆していて、ジャーナリズム精神が貫けるとお考えか。

 高知県において違法な行政業務があった時には県議会が、高知市において違法な行政業務があったら高知市議会がそれを問題だとして動き、それを高知新聞も「問題だ」として大きく記事にしているのは県民の皆さんがご承知の通り。だが、県内でもこの県庁所在地から遠く離れた自治体での違法業務についてはまったくといっていいほど記事にしない。これはなぜなのか。県庁所在地の高知市においては「権力のチェック」をしても、県内でも末端にある自治体や議会で発生した事件は「権力のチェック」をしなくてもよいことになっているのか。これをいつも疑問に思っている。

 先の高知新聞「小社会」の記事はこう結んでいる。
≪きょうから春の新聞週間が始まった。6日は「新聞をヨム日(4月6日)」。これからの新聞はどうあるべきかが問われるが、読者の信頼なくして生き残る道はない。これだけははっきりしている。≫

 高知新聞のご重役は「新聞が生き残る道は、読者の信頼を得ること」だと、こう断言している。それでは、高知新聞が読者である県民の信頼を得るにはどうすればいいのか、だ。「権力のあり方」に目をそむけ「権力のチェック」をせずに県民の信頼を得られるのかと問いたい。

 高知県出身者の中には、どんな政治家に対しても臆せず権力者の不正を暴き続けた安芸市出身の黒岩涙香というジャーナリストの手本となるすばらしい人物がいたではないか。そして、室戸市においては涙香とは比べようもないが谷口というちょっと変わり者の改革派議員がいるではないか。これらの「権力をチェック」する精神や活動から学び活かすことは出来るのではないのか。

 高知新聞社地方部の記者氏は涙香に学び、谷口に倣い、高知新聞のご重役が「新聞の大きな役目」として位置づけている「権力のチェック」にもっともっと重きを置いて取材活動と執筆活動に活かす必要がある。そうしなかったら、ネットの普及という原因もあるが、“権力におもねる”新聞のあり方が原因でますます県民の信頼を失い、それによって購読部数が更に減少してゆくという状況もあり得ないことではない。

 だから、県内の地方部記者氏は、担当する自治体の「チェック」(点検・調査・監視)を忘れたり、情報をくれなくなるからと行政の違法行為から目をそらしたり、「まあ、いいか」とチェックもせず見過ごしてはならないということだ。

 そのことを高知新聞の地方部記者氏とこの記事を書かれたご重役には、地域雑誌『あおぞら』の黒岩涙香特集で紹介した「強くなければ新聞じゃない」のページ(上の写真)の左側の文章をよくかみしめてお読みいただきたい。「権力のチェック」をする時、少しはお役に立てる精神論かもしれません。

 ≪わが手に斧鉞あり。 わが眼に王候なし。 いわんや、大臣においておや≫
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