青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

バーデハウス室戸が撤退を前提に、市に要望書提出

2008-04-30 | 議会報告
義母の葬儀以来、しばらく休止していましたブログを再開します。


4月25日、議員総会が開かれました。議題は、室戸市施設の運営について。
市施設とは、室戸市が建設した海洋深層水体験施設のことで、指定管理者として東京の元ライブドアの子会社で現在は日本地所の子会社であるミクプランニングの、更に子会社(日本地所の孫会社)であるバーデハウス室戸が18年7月から経営して来た。

議員総会で行政側から議員全員に配られたその要望書は、バーデハウス室戸(八木良訓社長)から4月11日付けで市長宛に提出された。内容は「弊社が今後とも事業を継続していけるための要望を行う。回答は4月30日までに文書で回答してほしい。撤退は親会社との協議で5月末と決定している」というもの。このまま撤退すれば、わずか1年11ヶ月目の撤退となる。

この要望書には11項目の要望が列挙されているが、私は要点を次の三点と解釈した。

①この内の8項目は、1500万、120万、202万、1000万、300万、500万、100万、150万などと、18年7月の施設オープン時から現在までの、そして今後においての財源支援をしてほしいというもので、その総額は約6000万円にものぼる。
②あとの3項目の内の一つは、「入館利用料の10%値上げ」。
③要望4の「営業時間の短縮」と、要望11の「市の医療費情報の公表」の二つの要望。

バーデ社から以上の要望があったことを執行部から説明があったあと、議員からは当然批判的な意見が出た。私は、この市施設の公募が始まった16年末頃から深く調査を継続してきて、この事業が最初から公正、適性でなかったことを詳細に知っていることから、次のような意見を述べた。


《私はこの事業が始まった16年末頃から詳細に調査をしてきましたが、18年3月議会では「オープンした18年7月から19年6月までの一年間には6000万の赤字が出る」と警鐘を鳴らし、その通りになりましたし、「これでは19年7月から20年6月末までの二年目には8000万から1億円の赤字になる」と指摘したが、今、それに近い状況にあります。だから、バーデハウス室戸の赤字撤退は私が予想した通りです。

そこで、まずこれまでの経過を何点か挙げると、
①再公募の前の17年5月12日には市がミクプランニング社と指定管理者条例やその公募要綱に違反する事前交渉を行い、それによって指定管理者が権利を得た不正があったこと。

②深層水供給利用料は、18年3月議会における指定管理者議決時の計画書には1トン180円と示され、それらも含めて議決されたものを、既にその事前交渉の時に不適正にも「18年7月のオープン時から全額免除する」と取り決められ、オープン当初から無料であったことを最近、担当職員から打ち明けられた。これを議員全員が知らなかったこと。

③17年7月21日に指定管理者選定委員会(選定委員:市職員6名、民間2名)が行われ、その時に八木社長の「私は赤字覚悟」の発言があり、県の担当室長から嘲笑を受けている。公的な審査会でこう啖呵を切った以上、苦しくてもそれを貫き通すのが経営者というものであること。

※この選定委員会を傍聴した私のメモから、ミク社の八木氏らと選定委員とのやり取りを紹介する。
問・「新会社(市の温浴施設のこと)から、両方の応募グループはどのようなメリットがあるのか、お聞きしたい」
ミク・「我々にメリットはない」
問・「なら、ミクさんのメリットは何?」
ミク・「一つのモデルケースができて、厚生労働省に働きかけて新事業に懸けるPR効果がある。医療の面で健康づくりに生かしたいと考えている。メリットがどうとかは考えていない。アトピー治療などの医療の面で貢献したいと願うからです」
問(児島高知県海洋深層水室長)・「利益がいらないとはね。これには恐れ入りました、メリットが無いのにやろうといわれるミクさんには」

つまり、この時、ミクプランニングの八木氏(今のバーデハウス室戸社長)は「赤字覚悟だ。メリット(自社の利益)などは考えていない」と豪語したことを私はハッキリと覚えており、手帳にも明確に記されている。それが、「赤字だから、市が補填せよ」とこのような要求書を出してきたことは、明らかにこの企業にはもともと潤沢な運転資金と自己責任能力とその認識が全く無かった事が分かる。

④17年1月の最初の公募に提出された計画書も杜撰だったが、17年7月に行われた再公募に提出されたミクグループの計画書も、まだまだ上げ底の数字を並べたずさんな計画書であった。二年目から200万の黒字に転換するなど、元々あり得なかった。

⑤以上がこれまでの経過ですが、18年3月議会で私の「赤字補填はしてはならない」と釘を指す質問に対し、前市長は「赤字補填はしない」と明言、市はそう方針決定している以上、それを、この要望書にある「赤字だから助けて。助けなければ撤退するぞ」の脅しに乗ってはならない。

⑥室戸市の指定管理者には、このバーデハウス室戸ともう一つ、キラメッセ室戸がある。市が一方から900万円の納入金を納めさせながら、もう一方には赤字補填をするというそんな形の対応があってはならない。市としてその対応に大きな差が生まれると、市はまた別の問題を生み、混乱することになるだろう。

よって、結論として、市は要望書の4と11番目だけ受け入れ対応し、他の8項目は明らかに赤字補填の要望であるため、それをそのままなし崩しに受け入れてはならない。もし「丸呑みせよ」と言うなら、拒否すべきです。
ここで行政として、毅然とした対応をしないと、将来に禍根を残すことになる。》


私は以上のように意見を述べ、この要望を受けいれず、バーデ社の撤退を受け入れるべきと市長に要請した。

もう少し付け加えると、17年7月の選定委員会で、市長からの意向があったのか、この企業に対し、そして計画書の内容について何の問題視する指摘も無かった選定委員の責任は重い。又、18年3月議会で私は反対討論に立ち「市と企業は不正な事前交渉を行ったことから、指定管理者に選んではならない」と事実関係を明らかにしたにも関わらず、17名中15名の議員が賛成した。このようなチェック機関としての責任を果たせない議会にも今回、企業が撤退の動きに至った責任の一端がある。

とにかく、なるべくしてなった企業の赤字撤退。当初からの予想通りの成り行きで、私には何ら驚きはない。


室戸市は今日、4月30日にミクプランニング、バーデハウス室戸に回答するが、議員総会では市が議会の意見を聞いただけで、市と議会が回答の内容にまで詰めて協議し結論を出しているわけではないので、市がどのような内容の回答をするかに付いて、議会側は関知していない。だから、こんなことはないだろうが、もし要望を受け入れ経営継続とならば、当然、5月9日の臨時議会や6月議会はこの問題で紛糾することになろう。

市に求めるのは、①そのまま撤退を受け入れ、再々公募を行うこと。②バーデ社撤退後はプール運営を市職員数名で行い、無料開放すること。エステは休止。レストランは利用者が急増するため、営業すること。

新しい指定管理者が決まるまでの5,6ヶ月間は市担当課も忙しいだろうが、もう今度は不正の無いように、公平、公正な公募事業を行い、健全経営の力を持った企業団体にお任せしてほしいと願うばかりである。

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陶芸家・梅田純一さんの人生

2008-04-14 | プライベート
 海陽町(旧宍喰町)船津杭瀬で活動を続ける陶芸家・梅田純一さんと妻・千恵子さん。地域雑誌出版時に取材させていただいて以来だから、三年ぶりぐらいになろうか、久しぶりにお会いし旧交をあたためてきた。

 今日、偶然、旧知の友人にお会いした。三年ぶりぐらいだろうか。徳島県海陽町(旧宍喰町)の珈琲専門店「ひこうせん」で、同町に在住の陶芸家・梅田純一さんに会った。

 平成5年(1993年)9月にこの喫茶店の常連客として店長と奥さんから紹介を受け、知り合い、地域雑誌『あおぞら』の10月号で記事にさせて頂いた人。梅田さんは元々、宍喰町の住民ではなくて、この平成5年4月、43歳の時にこの地に移住してこられ、それから数えると十五年が経過する。

 かつて、『週間ポスト』の巻末に連載中の「男の焼きもの」第108回で紹介されたこともある、中央で人気の作家で、宍喰町に移住するまでは滋賀県安曇川に工房を構えて活動していた。

 では、なぜ「宍喰町」だったのか。この町との“出会い”は、三十六年前の、昭和47年(1972年)の21歳の頃に徒歩で日本一周の旅をした時のことでした。氏は、十代の頃から陶芸の世界に入り、いろんな工房で修行を積んでいたが、どうしても学校や組織、団体などの型にはまった場所に身を置くことに耐えられず、20歳を過ぎて旅を始めます。

 「線と線を結ぶような旅じゃなくて、点と点をつなげていって線にする、そんな旅がしたかった」。

 そんな一年近い徒歩旅行の途上で、宍喰町の風景や人との出会いがあり、「自分が陶芸家としての実力を付けた後、ここに住みたい」と思い、決意する。

 平成5年に取材した時に梅田さんからお聞きしたのが、「周回遅れのランナーだって、次の時代のトップ」の持論でした。

 だから、宍喰の山の中に入って一人寂しく、とかいうのじゃなくて、日本全国と勝負するぐらいの足固めの場、どしっと根を張った活動の場所がほしいと考え、同年5年に家族四人で宍喰町の中心街から17キロも山に入った船津杭瀬の、昭和61年に廃校になった旧杭の瀬小学校に移住。そこに大きな磁器窯を設置し、「梅田純一工房」と名付けて作家活動を再開した。そして、旧講堂を「杭瀬独学舎」として町民や小中学生に開放して交流を続けてきた。

 あれから、十五年が経ち、梅田氏も58歳になった。二人の息子は作家として生長し、兄は京都で、弟は石垣島でそれぞれ芸術活動を続けているとのことでした。


 今日は久しぶりにいろんな話をさせていただいた。

 「この年齢になって、自分のこれから後の残された人生を如何に生きるべきか、生き方をこれまでとは少し変えてみようと考えている」と、お考えを伺いました。

 「谷口さん、私もこれまでは父が50歳で亡くなっているから、55歳までの人生を描いてやってきました。でも、いま私も58歳になって、これからは今まで高島屋などでの作品展を年二回にして、85歳まで作家活動を続けてゆきたいと思うようになってきた」。

 「谷口さん、相撲も全部勝とうと思ったら、八百長をしないといけなくなります。だから、私はこれからの人生、“型”にこだわって、白星を重ねていきたいと思うようになりました。全勝で無くても、それで勝ち越せばいいんじゃないですか。今、あなたが言われたように、自分の持ち味を生かして自分の後世を送れば」。

 このお話をお聞きして、悩みも少しは軽くなった。

 心を開いて人生を語り、お互いに分かり合える、そんな友人は本当に貴重です。この日の一時間は私にとって、特別のひと時となりました。


 梅田さんは、文学者、ドナルド・キーン氏とも親交をもつ、人間としても卓越した大きさを持つ作家。二人の息子、竹生さん、要さんも中学生、高校生の時に芸術の世界に飛び込み、今はそれぞれが別の分野で活躍している。これからは、この御家族の生き方に学ぼうと、思います。


 梅田さんは、「これまで『人生55歳』と思っていたが、これからはゆっくり歩んで、85歳まで、作家活動を目指す」という。そして、「全勝を目指さず、“型”にこだわりたい」とも。

 この生き方から学ぼう。
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義母が亡くなったため、しばらく休稿します

2008-04-08 | プライベート
5日(土)に病院に行くと、カゼで、熱もあるとのことで、その夜からダウン。7日の夜までぐったりとなって寝ていました。

昨夜11時頃になって熱が急に35度7分まで下がったことを確認して寝たそのすぐ後の、11時30分頃、電話が鳴った。

女房の実家からで、「お母さんが危篤とのこと。すぐに病院へ来て」。病院へ駆けつけたが、時すでに遅く、長く介護施設や病院に入院していました義母・山本玉意(92歳)が亡くなりました。

よりまして、このブログは義母の葬儀等が終わるまで休稿させていただきます。

尚、葬儀の日取りは、4月10日(木)に通夜、12日(土)が葬儀の予定です。
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私のくしゃみは「起・承・転・結」

2008-04-05 | 季節のたより
           

          室戸岬の春の海。室戸でもいろんな花が満開です。花もハナも。


これまでも時々、鼻がムズムズするし,目はシバシバしてたが、放っておいてもかまわない程度だった。

それが今月に入って、二日ぐらい前から、鼻水はタラタラとたれて来るし、くしゃみも出るでる。


ハッ、ハッ、ハックショーン、ハックショーーン、ハックショーーン、ハックショーーーン。

その度に風邪を引いたように、頭はジンジンするし、体もゾクゾクする。なぜか、咳きまで出てくる。本当にカゼみたいだ。

部屋を暗くしてイラストを描いていても、鼻水が出るから、左手にティッシュペーパーを持って拭いているが、すぐ鼻がムズムズしてきて、

ハッ、ハッ、ファックショーン、ファックショーン、ヒエックショーーン、ここですぐに左手で鼻をつまむも、最後の一発が、ビェックショーーン、エーイ。

最後の「エーイ」は、気合付けに時々、出てしまう。

このように、私のくしゃみは必ず四回出てしまう。意識なんかして無いが、必ず四連発だ。必死になって三回で止めようと思うが、必ず四回目が出る。でも、五回目は出ない。なぜなんだろう。

きっと、三連発の人も、五連発の人も、もしかしたら、一回しか出ない人もいるんだろうな。

私は考えた。「これはなぜだろう」と。鼻が、文章を作る時の基本形のように、「起・承・転・結」ときっちりまとめたいのか。

それとも、三連発の人に負けたくなくて、四回発射しているのか。それなら、五連発の人に負けているが。

更に深く考えた。「五連発の人に負けないように、五連発か六連発にしようか」。でも、それでは自分も辛いし、“鼻自身”にしてもダメージが大きいのではないか。

やはり、ここは出るに任せて四連発にしておいた方が、自分らしいのかもしれない。そうだ、やっぱり、自然に任せよう。

そう思っている時に、きた、きた、イッキショーン、イッキショーーン、イッキショーーン、ファ、ファ、ファッキショーーン。

「起・承・転・結」の「起」で言いおこし、「承」で始めの一歩を受け継ぎ、「転」で転じ、「結」でまとめる。辞書通りにいうと、くしゃみの一発目はスタートの一発。二発目はそれを受けた一発。三発目は何か別の意味があっての一発。四発目は、先の三発の総まとめとする、締めくくりの一発か。


ま、くしゃみは辛いが、大変、律儀なくしゃみであるのは間違いない。
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地質観察マップ用のイラスト描き

2008-04-04 | 地域づくり活動

           ポジフィルムが出来上がってきましたので、昨日から地質のイラスト描きを始めました。

(写真解説)
上の左右の絵は、室戸岬の御蔵洞の前にそびえ立つ「ビシャゴ岩」。角度を変えると、そそり立った形の岩に見えます。この岩の陸側の地層が玄武岩、真ん中がカンラン石と輝石、海側が輝石の地層。そして、毘沙姑岩の周辺の岩は、火山のマグマによって焼かれて赤く見える「焼変成岩」(ホルンフェルス)が多く見られます。

下の左は、そのビシャゴ岩のすぐ前にある「弘法大師 行水の池」と名付けられた、甌穴の跡に水が溜まった場所。
夢の無い話になるが、事実を知っておくことも大事だから、聞きかじりの地質学的な解説を少し。当時の空海の名は「如空」。如空が室戸岬に来た年は諸説あるが、延暦十六年(797年)といわれ、その頃の海水面(汀線)は現在の国道の1mぐらい下にあったことから、あたりは行水が出来る情景ではなかったということになる。きっと台風の時などは修行している御蔵洞の中にまで波が打ち寄せて来て、恐怖を感じたのではないか。

その池の前の大きな岩は、800年から1000年前の大昔には池から3メートルぐらいの高さまで海水が来ていたことから、海食によってえぐり取られたノッチの跡には環虫類や貝が石灰石の殻となって残っている、地質学的に貴重な岩です。


作品としてまだ仕上げていませんが、昨日に2枚、今日5枚で、これからまだ25枚ぐらい描くようになります。またイラストとして描き上げ、地質マップに仕上がった時にご紹介させて頂こうと思っています。

今日は短く、イラストの紹介だけで記事を終わります。

では、また明日。



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地方自治法の「議会公開」の原則

2008-04-03 | 議会改革
議会情報の公開について。

まず、議会の情報公開は、いま全国で広がっている議会改革の大前提であり、各市町村議会には私が開設しているこのブログなど、WEB上での公開も含めて、情報公開のためのたゆまぬ努力が求められている。これが、全国の市町村議会が置かれている現状です。

この地方分権の時代にあって、議会の存在意義は強化の方向にある。市長等執行機関に対し、市民の代表者として堂々と議論を展開するためには、議員の日常の調査・取材活動の飛躍的な向上は欠かすことができません。

議員の為すべきことに挙げられるのは、公費の使途など行政情報は納税者である市民に明解に説明すること。議会情報の全てを市民に公開すること。市民の批判には謙虚に耳を傾け、市民と共に話し合い、改めるべき点は直ちに改めること。そして、議員という特権意識を捨て、市民の目線で物事を考えること。

これらのことを議員が理解できていれば、議会で誰が一般質問や質疑をし、誰が質問、質疑をしなかったか程度の、傍聴者が既に知っている議会情報を広く一般市民に公開したことぐらい、当たり前のことだとすぐに分かると思います。議会は「公開の原則」が基本で、議員は知りえた全ての情報を市民に公表する義務と責任がある。

議員は「非常勤特別職公務員」であっても、地方公務員法第34条のいう「公務員の秘密を守る義務」は「特別職の公務員である議員には適用されない」と規定されている。また、それだけでなくて、議員は「議会公開の原則を守る」義務を負い、「議員として得た情報を市民に公開する」責任があり、秘密会以外は職務として知ったことを話しても何の制限も罰も受けない。

議会制民主主義の基本である条項として、地方自治法第115条で「地方公共団体の議会は、これを公開する」と定めている。「議会公開」の原則とは、①傍聴の自由 ②報道の自由 ③会議録の公表です。


現状としては、議員が守秘義務を勘違いしたり、自分が議員としての職責を果たせない恥の部分を市民に知らせてほしくないという思いから、議会情報を市民に公開することをセーブしたり、他の議員が情報を公開することを阻止する動きがあるのは事実で、これはどこの議会でも同じであろう。だからといって、この情報公開の時代、議会改革の時においては、疑問だ。(ただ、議員の怠慢で議会情報を市民に伝えようと努力しない面も大いにあり、それが議会や市政の情報が市民に伝わらない原因の大半ですが)

議会の情報、各議員が行う質問、質疑、討論、採決などの言動の情報は、全て市民と共有するのが原則である。このことは、傍聴人がいる本議会でも傍聴人がいない委員会でもいえることだが、これら議会中の情報は、もうその時点で情報の全てが市民に公開されていると理解していなくてはならない。

市民に何を伝えるかは、個々の議員に任されているわけではない。行政情報の全て、議会情報の全ては、市民のものである。そして、それはその情報が発生した時から市民のものであります。


《議員のミッション(使命)とは何か。ミッションは、その組織や機関が「誰のために」、そして「何の目的で」存在しているかを考えると容易に把握する事ができる。その上で、議会が「住民のため」にあり、「住民が自治体から良質で低コストの行政サービスを持続的に受けられるよう、自治体の基本方針や重要事項を決定し、執行機関を監視しチェックする」ことを目的として設置されているとの考えには、大方の賛同が得られるだろう。》

これまでに何度も引用しているが、雑誌『ガバナンス』の中で片山善博前鳥取県知事はこう記し、議員はそのミッション(使命)を忘れてはならないと説く。

とにかく勉強したいものです。でないと、地方議員は能力が高まらないまま任期を終えてしまう。
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「まちづくり」と、「町づくり」

2008-04-02 | プライベート
  


皆さん、よろこんで下さい。これまで苦心しても出来なかった事が、やっと出来ました。「何でもやれば出来るんだー!」
ご覧のように、1つの記事に2つ以上の画像を投稿する方法が分かりました。解説文「Gooブログの使い方 」を見ながら色々やっているうちに、なんとか二枚の写真を記事の中に入れることが出来ました。これもひとえにに皆様のおかげです。厚く御礼申し上げます。

両方とも室戸岬にある一番有名な、あこうの樹根。写真の左側は私が昭和55年頃に描いた県展入選作品(80号)で、右は私が作品を描いた当時よりもその樹勢は衰えましたが、あの日本画家の大家、東山魁夷画伯が昭和30年にこの室戸岬においでになり描いた、その木です。作品名は、『樹根』(30号)。
室戸岬には他にもっと木の勢いの強いあこうの木があります。でも、木は老いたりと言えども、これは東山先生がこの室戸岬にこられた頃、私がまだ中学生だった昭和35年ごろから特に大事にしている、貴重なあこうの木なのです。

一つ気になるのが、この木の修復作業を友人たちと行ったことを記念して看板を立ててあったのに、一体どこに捨ててしまったんでしょう。

よく間違うのがこの言葉。「まちづくり」を「町づくり」と、文言を誤記する例。いや、「誤り」というよりも、「適切な表記とは言えない」としておこう。

結論から言うと、国や都道府県や市町村の行政職員や議員が一般的に行政業務で使うのは、「まちづくり」。例えば、田野町や奈半利町が行う行政施策の意味が「町づくり」、北川村が行うのが「村づくり」、室戸市が行うのが「市づくり」という意味であっても、これらの市町村はそれぞれ「市づくり」「町づくり」「村づくり」とせずに、通常はこの地域づくりの総称として「まちづくり」の文言を使用するのが正しいし、皆さんそうしています。

それが簡単に分かるのが、パソコンのキーをローマ字打ちで「M・A・T・I・D・U・K・U・R・I」と打つと「まちづくり」と表記されること。

また、1981年に神戸市が、82年には世田谷区が日本で初めて制定した「まちづくり条例」。この「まちづくり条例」をどの自治体も「町づくり条例」とはしません。「それは、神戸市という『市』だからだ」の指摘は誤りです。
ここでいう「まちづくり」は、区であっても、市であっても、町であっても、村であっても、これらの市町村それぞれのエリア全体で行われる地域づくりを総称して、「まちづくり」と指す。だから、室戸市の自治基本条例は「室戸市まちづくり条例」とすべきだし、北川村であっても「北川村まちづくり条例」、高知市も「高知市まちづくり条例」となる。勿論、奈半利町は「奈半利町まちづくり条例」となる。

行政用語で「まちづくり」と表記するのは、以上のような意味の「まちづくり」だと分かっていただけたでしょうか。

論語に、「過ちては 改むるに 憚ること勿れ」と、そして「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」とある。私も含めて、誰に指摘されようと、過ちは素直に改めたい。

さあ、私は明日から地質観光客用の観察マップと「重伝建」保存地区観光客用の観察マップ、この両方のイラスト制作作業を始めます。
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新採職員の諸君へ 

2008-04-01 | 組織のあり方
        
           昨日の朝、雨は止むも、室戸岬の雲はまだ風雲急を告げるかのような雰囲気がありますが、
           次第に穏やかに。こんなドラマチックな風景を時に見ることが出来るのも、室戸に住んでい
           るからこそのありがたさです。喜びや、癒しとは、本当はこんなお金を使わない形で得られる
           ものをいうのではないか。


本日、4月1日は平成20年度の初日。10時からの議会運営委員会(委員7名)は、議会だよりに掲載する3月議会一般質問の原稿編集作業が行われました。

9時過ぎに市役所に入り、新年度の異動で新たに課長になられた職員の方々に挨拶周りをしました。新任ということで初々しい課長や、あわただしく文書を抱えて走る課長など、そして、異動が昨年に続いての人、二年目の人、三年目の人と、様々です。
それぞれがいろんな想いを持って、行政マンの悲哀も味わいながら、新しく配置転換があった職場で新年度を迎えていました。

三階に上がると、会議室の前には「新採職員研修」の札。この中には、社会に出て初めての職場となる若者もおれば、別の職業にいて転職して市役所の公務員試験を受験して採用された若者もいるだろう。ここにも、それぞれがそれぞれの夢を抱いて新しく第一歩を踏み出した人たちがいた。

若者よ、世間に目を向けよ。

いま、自治体組織の見通しは立たない。高知県は大きな“くくり”で、八年先の2015年から十一年後の2018年には「四国州」などと変わり、それまでに県内の34の市町村は「6市」に想定されている。これは、遅くても三、四年後には新市となり、今年度の新採職員は100%、新しい市の職員として働くことになる。だから、いま50歳以上の職員とは全く違う波乱に富んだ行政マン人生を送ることになるのは間違いない。それに、人生、思うようにはならない。

でも、ものは考えよう、気の持ちようだ。


人生は金だけではない。自分がこれから歩んで行くための知識や能力の習得の期間、いわば『人生学校』だと知ってほしい。そのためには勉強が必要だ。とにかく、人生は勉強。組織に関わっている限り、五十歳になっても、六十になっても、七十になっても、勉強をしない人は取り残されてゆく。

市職員は、毎日、たんたんと仕事をしていればよいという訳ではない。約四十年間の行政業務の中で、「如何に市民に貢献するか」の意識だけは決して失ってはならない。そうして、常に生真面目に、精一杯の仕事ぶりで働くことです。

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