青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

政治に関わってはならない人物像

2013-03-19 | 政治家のあり方
 地方議会のあり方については、これまでも何度も何度も書いてきた。

 地方議会は日本国憲法第93条で「議事機関」とされ、その議事機関は二元代表制を採ることも書いた。

 「議事機関」とは「議事を行う機関」、つまり「討論をして会議を進める機関」のことで、首長と議員が対等な立場で議論する政治機関ということになる。だから、首長が偉い立場で、議員が取るに足らない弱い立場ということにはならない。

 地方議会と首長とを対比すれば、議会には「住民代表の首長が統括する行政に対して批判する機能」と、これも「住民代表の議員が集まった団体である議会が表決の時に行う行為から、自治体の意思を決定する機能」がある。

 「住民代表の首長が統括する行政に対して批判する機関が、議会」を考えると、議会は議事機関としての野党的な機能を住民から期待されているといえよう。つまり、かつて室戸市議会の改革派議員だった私が野党的な立場に立ち議員として行うべき批判機能を発揮していたことは、住民から大いに期待され高い評価を受けるべきだったことは間違いなく、そういう市長の違法業務に対して行政批判を行ったからといって他の議員や市民から批判されることなど決してあってはならず、とんでもない筋違いの声だったと言える。

 憲法に基づく二元代表制の基の議事機関には、“行政のチェック”を議会という機関全体の役割として担うことが住民から期待されていることを考えれば、何が正しくて何が間違っているか、誰が正しくて誰が過ちを犯しているかはすぐわかるだろう。

 もう一つの「自治体の意思決定機関が、議会」を考えると、議会において何が行われているかを考えればすぐにわかる。議会が始まると、行政から出てきた議案について審議します。議案には、「執行機関」である行政が事業を行うための予算が提案されるし、条例等のルールを新たに提案したり改正したりの議案もある。また、事業に関わる契約などの議案も提案される。但し、「執行機関」といっても行政自らの権限では議案として提出された事業等は何一つ執行できず、その前提として議会の議決や承認がなければならない。このことからも、議員各自の正しい判断が最も重要になってくる。そして、最終日にようやく議員全員が「自治体の意思決定機関」としての責任を以って議案の表決に臨むことになる。

 だが、室戸市議会を例にとると、平成15年から23年までの8年の間、不正や違法や不適正な議案・事業の表決に関しても議員の大半がそれに賛成し、全議案が可決され、否決された議案は一つもなかった。今でも地方議員としての彼らのそういう姿勢に義憤を感じているが、そういう行いが果たして室戸市民のためになるのかと言いたい。

 又、市民もその不正についてよく考えなければならない。

 議会とは、首長派や反首長派などといってないで、機関全体が批判精神を持ち不正・違法・不適正な議案や事業には毅然と反対し機能してゆくことに意味があって、それでこそ二元代表制の基本原理である「機関対立主義」が発揮されたと言えるのである。


 「行政自らの権限では事業等は何一つ執行できず、議会の議決や承認がなければならない」と書いた。このことを議会議員はよく認識していなければならない。

 しかし、とんでもない悪質なやり方だが、この議会側の権限を悪用して予算を握る首長に悪しき働きかけを行っている議員もいる。「議案を通してやるから、あの事業に予算を出してくれんか」と、首長に脅迫めいた大きな声を出して迫る、議員の風上にも置けない奴がいる。

 一方、大きな権力を持つ首長の方も、無能ゆえに悪質な議員たちのそういう口利きや働きかけを逆に利用し二元代表制を無力化させ、むしろ、議会を首長等執行機関の下部組織のようにあしらいながらまちの政治を独裁政治化させている。

 これではとても地方自治なんてものではないが、議員たちは自分たちがそういう情けない立場でしかないとの認識もできず、内心は「報酬さえくれれば、地方政治なんてどうでもいいんだ。この町がどうなろうとおれの知ったことではない」と思っているが、傍聴人がいる議会の時だけは何もしないで静かに座り後ろ(傍聴席)の気配を気にしながら真面目に議員活動をしているそぶりをしている。

 昔からこういう議員を指して、「ムラ型議員」と呼ぶ。要するに、発展性の無い人が議員になればこうなるということだ。

 健全な議員の言う厳しい指摘にはすぐに腹を立てて聞かず無視してやり過ごす独裁型首長と、ムラ型議員。この、本来は対立の関係にあってこそ健全な二元代表制となる二つの機関が、今やお互いが持ちつ持たれつの関係にある。議会はこうして今やあってもなくても変わらない機関と落ちぶれてしまった。いや、地方行政と地方議会は昔からこういう関係にあるから今更の話で、「落ちぶれた」はないか。

 長年にわたって地方議会に緊張感も活力もない原因は、このように首長がトップにいて議会がその首長の尻敷かれていることに快感を感じている、そんな関係にあるからだ。そして、そのことが悪いと議員全員が認識していないから、いつまでたっても議会が改革されるわけがない。例えその中の議員が議長に就任して「議会を改革する」と決意表明しても、意欲も知識も改革に向けた活動経験も無い者には元々そういう能力などないから、その発言は住民をだますウソ偽りでしかない。

 住民は、報酬だけはおけんたいに受け取りながら、住民から負託された職務責任は放棄して働かない地方議員に騙されてはならないのです。

 私から、こう言っておきたい。

 「地方政治の悪さは変わらない。これは、未来永劫変わりません」。

 これからも、今までと同じ体質、今と同じ体質で地方政治は推移してゆきます。そう、断言してもいい。

 なぜそう言い切れるかというと、室戸市政と室戸市議会を見てきて、そう思う。

 首長と執行部が作成し議会に提出した議案に関係する事業が、国の地方自治法などの法令や自分の町の条例や規則や要綱に違反していても、不正な予算計上であっても、不適正な行政運営が行われている事業であっても、ムダな投資であっても、結果的にはどぶへ捨てるようになることを法令に詳しい改革派議員が議場で公表することによって議員全員が認識している不正な予算投資であっても、議会最終日に行われる表決においては一人か二人の正義感が強い公正な議員を除いた議会議員の9割、10割が賛成してスルーしているからだ。

 このように、議会において不正や不適正な事業が内包する議案にはすべて決然と反対できる度胸のある議員は、それぞれの議会にいても一人か二人。地方議員の皆さんにとっては面白くない話だろうが、私は地方議会で8年間公正と不正の違いが解るほんの一部の室戸市民に支えられながら活動してきて、地方議会に健全な議員が一人もいない状態もあると知っている。

 地方議員の大半がなぜ、行政のチェック機能を全く発揮できずにいつまでもそんな体たらくでいるのかというと、首長を批判して住民の反感を買い次の選挙で落選するのが嫌だからも、一つの理由。議員の多くにその思惑・下心があるからだ。それ以外の議員は、無能だから議員として最小限持っていなければならない能力を発揮しようがないからである。

 自慢するつもりなど毛頭ないが、かつての私のように行政調査に熱心で行政が行う事業が法令を順守しながら適正に行われているかを綿密に調べた上で、二人の市長が率先して行ってきた(行おうとした)不正な事業を議場において明らかにし、ことごとく厳しく指摘し、批判し、改善するように強く追及していたら、次の選挙において市長を応援する市民らによって「市長の違法をことごとく追及してやめようとせんきん、けしからん。あいつに投票したらいかんぞ」と選挙運動期間中に市内全域に触れまわられ、議会で一番熱心に議員活動を行っていても落選する、それらのことを恐れているからだ。

 勿論、政治的な能力が全くない市民も議員になり、そういう議員は日頃から議員活動といえるほどのことはまったくできず、議席でグーグー寝たり、議会中にメモも取らずに「早く終わらんかなあ」と考えながらいかにもヒマそうにしているが、もしそういう議員が調査もせず議会の一般質問で市長を批判などしたら、それを伝え聞いた市民は「あいつを落とせ。どうせ議員の仕事などしてないんだから」となる。

 だから、能力のない議員は議員になった時から自分に議員としての能力が全くないことをよく知っているので、次の市議選でも当選できるよう、そういうふうに市民の反感を買わないように質問にも質疑にも立たず、議員になってから任期切れまでの4年間、市長や市職員や市民に対していつもにこやかにへらへらと愛嬌をふりまき、みんなに好かれることだけを考えながら、のんきな気持ちで過ごすことになる。「議員としての職務に熱心に取り組み4年間を全うすることよりも、次の選挙で当選することの方が大事だ」とばかりに。

 地方議会には「地方議員としての役割とはいかなるものか、健全・適正・公正・公平とはいかなるものか」も知らないこんな議員ばかりだから、いつまでたっても地方議会は良くならないし、いつまでたっても地方政治が変わらない。

 
 そこで、地方のとても「政治家」とは呼べない程度の政治家について、こう考えた。これはかつて小生が発行する地域雑誌『あおぞら』に連載していたエッセイ「東方見聞録」に1994年12月号に掲載した記事で、その対象は、地方自治体の首長、そしてその地方自治体に関わる地方議会の議員たちである。

 批判精神旺盛な小生が書く「政治家に関わってはいけない人物像」として次に示す性格の人たちは、政治に関わってはいけない。(順不同)

 1、地域論を語れない人。

 2、金に卑しい人。

 3、性格がアバウト(大雑把)な人。

 4、童心を持っていない人。つまり、良いことは良い、悪いことは悪いとする、純粋な精神を持っていない人。

 5、清新さや瑞々しさ(生気があって若々しい)がない人。

 6、“物差し”の狂っている人。

 7、箍(たが)が緩(ゆる)んでいる人。つまり、いつも緊張感がなくてだらしない人。

 8、何かにつけて、他人に与えることを良しとしない人。つまり、取り得な人。

 9、地域の中で本当に努力をしている人を見極められない人、評価しない人。

 10、旧態依然とした体質を改革する勇気のない人。

 11、一つの組織や政党の中でしか支持の無い人。

 12、地域の外に出て広く見聞を深めたという経験のない人。つまり、若い時から定年まで行政職員だった元公務員など。

 13、高圧的な態度で組織を牛耳った経験のある人。

 つまり、弱いものだと思えば強がり、強い人だと思えば媚びへつらう人。例えば、課長になりたい、市長になりたい、議長になりたい、委員長になりたいと、能力もないのに自分の出世とか昇進のことばかり考えて生きている人は、結構多い

 14、自治体を一つの会社として考えられない人。つまり、経営手腕の無い人。

 15、自分が不在でも会社を切り盛りできるそんな番頭を据えることができない社長。つまり、有能な人物を助役に抜擢できない首長、有能な人物には助役要請を拒否される首長。そんな人がいました。

 16、部下に活力のないイエスマンしか置かない首長。

 17、企画力の無い人。首長や地方議員にはこれが一番に求められるが、これらの職にある人たちはそんな意識など全くないし、それが自分の欠点だとも思っていない。

 18、その町を好きではない人。

 19、面談をする時、ソファーに深く腰をかけて凭(もた)れかかって話をする人。

 つまり、偉くもないのに態度が横柄な人。かつて高知県知事公邸に橋本知事のインタビューをしに行ったとき、知事はソファーの前に座り、約1時間の取材を受けてくれたことがある。その後、高知県庁にある課長を取材しに行った時に、その課長はソファーに深く座り椅子にふんぞり返って私の取材を受けた。横に3名の職員を侍(はべ)らせて。地域づくりについて聞きながら、私は「この男はそんなに偉くもないのに、この態度は何だ。このやろうめ」と腹が立ったものです。

 20、日頃から“捨て目”ができていない人。つまり、他人の良いところから学べない人。

 これも橋本知事のことですが、知事就任以来、テレビや取材現場でよく見るが、これは知事がNHKの記者出身ということもあるが、あのメモ魔ぶりには感心する。あのような素晴らしい点に私はすぐ「見習いたい姿勢だ」と感じ入ったが、県下53市町村(当時)の首長であの知事の姿勢にどのくらいの人が気付き、注目し、「自分も真似をしよう」と考え、決意して実践しているのか。日頃から“捨て目”を持ち、小さなことにでも注意して人の良いところを盗む、他人の良い行動を自らに取り入れる勇気と若さを持っていること。それは年齢がいくつになってもだ。

 21、営業力の無い人。

 つまり、首長や議員はその町や村のセールスマン的な立場の人間だと解っていない人。

 22、前に出る勇気の無い人。

 つまり、人間は火の粉が降りかかろうとも正義を前にした時には火の中にでも飛びこむべきで、田舎の首長や議員はこれを知らないようですが、政治家は特にそういう立場にある。議場の演台に上がること一つとっても、それが怖いといっていつまでも「御身大事」では、一生、男にはなれない。捨て身で行動すればいつかは“浮かぶ瀬もあれ”と知り、何でもやってみることだ。

 もう一つ、「勇気がない」に関して言うと、首長が違法な行政業務を行い議員から「改めよ」と指摘された時にも、自分に勇気がなければそれを改めることができない。「これを改めたら市長の自分のことを悪く言う市民がいるんじゃないだろうか、議員もおれのことを悪く言うだろう」などと逡巡しているから、いつまでたっても町の政治が良くならないといえる。

 23、時代が読めない人。

 国会議員か地方議員かにかかわらず、いわゆる小沢一郎氏に代表されるような政治家のことだ。あなたのまちの議会にも半分以上いるでしょ、こんな議員が。もうそんな古い体質の政治をやろうとすること自体、時代が読めていないですよね。


 以上のような性格を持った人は町の政治に関わってはなりません。


 首長の独裁政治と議会の下部組織化、地方自治の空洞化、これを住民に代わって防止し本来の批判的な機能を持った議会組織に変えていくのが議会の役割であるのに、首長へのお任せが常態化し、議員は首長を盛りたてることで利益を売る共存共栄の構造になっている。そのことの理不尽さに住民は気付かず、気付いていても放置しているが、住民がもっと議員の不真面目な態度に怒ることだ。無能な人ばかり選挙で支援して議員にさせても町は良くはならないと、早く気付くことだ。

 多くの地方議会は機能不全の状態にある。これを住民に開かれた議会にしていくことが急がれる。従来型の単なるチェック機関だという発想ならば、何の進歩もない。議会は首長が提案する議案も是々非々の立場で徹底的に議論し審議する機関へと変わることが重要だと、早くみんなが気付くこと。そのためにも情報公開を徹底し、自治体と住民が情報を共有できる環境を構築することに尽きる。そうしない限り、いつまでたっても地方議会は変わらない。 

 がんばれ、がんばれ、地方議員たちよ。

 本議会は年に4回しかないのに住民から年12回も報酬を貰い、その上、年2回の期末手当(※室戸市議は、年2回で約80万円)まで貰っているからには、遊んでないで、毎日休まず議員として働け、地方議員たちよ。

 
 さあ、室戸市議会では林議長が「2年」と規定されている議長職に2期4年間いましたが、ようやく今議会閉会日で別の議員に替わることになったと聞いた。

 この4月から2015年4月の市議選が行われるまでの2年間、議長の椅子に座るのは誰かと考えてみると、その人物が議長という職にふさわしいかどうかは別にして、任期の多い順からいうと、4期目の堺議員、3期目の山下議員、山本議員、この3人の中から議長を選ぶのが常道だろう。

 ま、常識が通らない議会だから、どうなるかは全く解りませんが。

 それと、次の市長選は来年2014年11月。その選挙には「前県議と現職市議が出馬するらしい」という話を昨日、聞いた。あと1年半ともなればそういう話も起きてもおかしくない時期と言えば時期だ。現職の小松市長が出馬するとなれば三つ巴選になるが、私はそのどなたも市長にはふさわしくないと思っている。

 首長選なんて、「市民の中から選りすぐりの人物が出馬して当選する」わけではなくて、ただ「出馬した人が当選する」だけのことで、「出馬した人がその任にふさわしい人かどうか」はまた別の話。

 出馬するのはいつも、野心と欲望の塊のような人物ばかり。なってほしい人物が市長になっているわけではない。一番大事な「このまちを良くしたい」なんてことを純粋に考えて出馬する人は、皆無と言っていい。人をだましてでもいいから出馬して、市長になったら豹変、変節し、「人との信頼関係なんか信任なんかくそ喰らえ」とばかりに利権に走る。そんな奴ばかりと言っていい。

 だから、市長だからといって、それほど敬うことはないと私は思っている。

 それと、市議選はその半年後の2015年4月。また、室戸市じゅうがワンサカ言うんでしょうね。「あの人には義理がある」、「あの人は親戚だから」、「あの人はうちのお客さんだから」、「あいつは俺の飲み友達だから」、「あの人は市役所にいた時、私の上司だったから」なんていって投票をしに行く。

 室戸の政界が盛り上がるのは、本来の政治とは関係のない、選挙の時だけ。「目標」にしてきた選挙が終われば、みんな“真の政治”に関心が無くなってしまいます。なぜならば、“真の政治”を行うことが出馬した時の「目標」ではないからだ。  

 政治に関心がないのは、市民は勿論のこと、政治の場にいて報酬をもらっている立場の政治家もそう。

 とにかく「知恵を絞って室戸を良くしよう」という「信念・気概・行動力」が無い。

 その前に、そもそも議員になったら「全ての時間を政治に費やそう」という考えと根性がなければならないが、そんな考えなんか議員になったその時から持ち合わせていない点からしてもう間違っている。


 現場に8年間いて、市長や議員や職員が行う行動をじっと観察し調査してきた私が言うんですから、ホントの話。

 むなしいね。


※電子情報誌「高知発!青空エクスプレス」のアクセス数は、3月19日(火)付けGooブログランキング(184万3330ブログ)中、4297位でした。

 いい記事なのに、あまり読者はいらっしゃいませんでした。やっぱり地方には、まちの政治に関心を以って「少しでも良くしたい」と考える人はいないのかと思ってしまいます。
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