青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

結婚生活初の記念撮影、後日談

2018-06-25 | プライベート
 決して「結婚五十年」だからというわけではなかったんですが、23日の土曜日に夫婦初めての記念撮影に行ってきました。

 でも、その撮影の最中、妻は私の横で急に泣き出し、「ちょっと待って、ハンカチを・・」と撮影カメラの後ろにおいてある鞄に向かったのには、驚きました。

 私も急にそうする妻を見て「どうしたんだ」と思いましたが、きっと撮影中にこれまでの私との五十年という人生の色々な家族生活の楽しみや苦しみ悩みしたことを次々と思いだされ、夫婦二人の写真撮影という記念の場所で自然と涙が流れ出たんだと思いました。

 20歳ごろから公務員などの定職につく男性と違い、「自分の人生を残したい」と38歳に家業である製材業から離れ田舎では誰もやらない仕事を続けてきた男の妻になった女性。そんな妻のこれまでの人生を思い起こすと、自分の楽しみよりも、家庭を助ける働きばかりだったであろうと想像できます。

 室戸市内の病院の看護婦になってすぐの19歳で私と結婚し、20代では私が銘木を運んだり木製品を運んだりしている長距離のトラック運転手で自宅にいない日は多く、やがて子どもができると自分は幼い子供の面倒を見ながら実家であるパン屋の配達係として務めはじめました。

 昭和51年の私が30歳になったときに自宅を新築したことから、夫婦は共働きしながらそのローン支払いが始まり、それはこの平成24年になってようやく終わりました。

 ただ、妻の苦労はその自宅建設のローン支払いだけでなく、私が40歳で喫茶店を開業したことやそこの駐車場が使えなくなったことから、翌年から一人で地域雑誌『あおぞら』を出版するというどなたもやったことのない仕事を始めましたが、当然、開業する時から思っていた通り赤字体質の仕事。毎月10万円ほどと、家庭に向けては適正な金額の給料を渡すことができませんでしたので、妻の苦労は続いたことでしょう。

 結果、出版業の約八年間では“日本一オンリーワンの地域雑誌の出版”として全国大会の「NTT全国タウン誌フェスティバル」で二度入賞し、あの有名な東京帝国ホテルで行われた表彰式には二度出席。二度目は妻も同行して雰囲気を堪能しました。ですが、毎月出版する『あおぞら』の内容が年々高まるのとは反対に年々購入部数は減少。そうなると当然、印刷所への支払いは滞り、やがて無念な思いを持ちながらも平成10年1月に休刊。その印刷所に滞納した借金の支払いは会社員をしながら、四年かかって完納した。

 自分一人の雑誌作りも、それほど楽な仕事ではありませんでした。朝は6時に起きて取材や雑誌の販売を始め、夕方が来て自宅に帰って夕食を済ませるとすぐに夜の町に雑誌を売りに出て午後8時過ぎに帰ると風呂に入りすぐに手書きの新聞づくり。翌日の午前2時から3時ごろまで続き、途中に字を書きながら眠っているときは何十回もありましたが、所詮、自分が始めた仕事です。そして高収入が見込める仕事でもありませんから、妻や子供たちが喜んでくれている仕事でもない。泣き言を言っている暇などありませんでした。

 妻にしても、私の雑誌出版が高知県東部地域のためになるということから県庁の地域政策課が「頑張れ、頑張れ」と声を掛けてくれていることも知っていて、止めさせることもできず、でも内心は家への収入が少ないことを悩んでいたが、私は「愛読者がいるから」と思いそれを承知で続けていました。

 そして、平成10年1月になって私が雑誌出版の仕事をやめて地元の会社に入ると、給与は少ないが「定職」ということもあり、ある面、安心したようでした。

 その後、平成15年4月の市議会議員に出馬したいという私に強く反対、「出るんやったら家を出て行く」とまで言った。私の「出費は10万円で済ます」という声にも賛同せず、14年11月1日から一か月間反対していましたが、勤めていた実家であるパン屋の周辺の人たちから「それやったら賛成しちゃリや」の声に押され、丁度一か月目の11月30日、帰宅した妻は「出費が10万円までで済ませる事の出来る選挙だったら出てもいい」と私に話しました。

 結局、その時の出馬に使ったお金は、自分が街頭に設置する6つの看板はトタンと垂木を買ってきて作り、絵をかくのは専門職ですので自分で下地を塗り自分で名前を書き完成させたし、後は、配布するハガキの印刷料などだったので、合計約9万5千円。しかも、選挙運動は他の人には頼らず、妻と二人の選挙。すべて、出費を抑えるためだった。

 以後の三度の選挙では出費は看板を作る必要も無いから、1万円前後。最後の平成27年の市議選で使ったのは選挙事務所に置くお茶菓子代2000円で当選しました。たった二人だけの選挙で当選した。

 (唯、平成23年の市議選では小松市長を支持する室戸市の悪人たち10人足らずの集団が選挙運動中に「市長の不正を批判する谷口には投票するな」と市内全域で落選運動を行い、落選した。市政において国が作った地方自治法に違反する不正な政治が行ったことを議会で批判したら、市長が正しくて、議員としていけないことなのか。どなたか「議員が間違っている」と思う県民や市民がいたらご意見をお聞きしますし、私のブログを毎日見ているその不正慣れした元公務員の主犯夫婦からも意見を聞いてみたい)

 私が議員になってからの妻は、「報酬」という定収入が入るようになったという喜びからか、あまり収入で悩むことは無くなりました。反対に、私の方も「妻を悩ますことがなくなった」という安心感が生まれたし、私が「他の議員に負けてはならない」と当電子情報誌を書き議会報『青空新聞』の制作に励んで配布したりして議員活動に精進していることが妻を悦ばせています。

 だから、現在の議員活動が室戸市民の皆さんだけでなく全国の地方政治にかかわっておられる方々にも向けて激しいのは、これまで苦労させてきた妻への恩返しでもあります。

 議会の日に出席しているだけで議員として左程の仕事をせず毎月報酬をもらっている地方議員は当然世間の評価が低く、もし私がそういう議員だったら妻への世間の風当たりも低く、妻を悦ばせることもできませんが、私のこれまでの議員活動で妻が世間から批判されたことは一度もありません。それが、私にとっては一番うれしいことです。

 病気については書いていませんが、大型トラックで長距離運転を続けていた19歳からはコンスタントに「二年に一回、胃潰瘍で入院」、病名は書きませんが30歳の時には大病で7か月間の入院、そして今年初めからの脳と肺の闘病と妻を悩ませてきましたが、私にとって何よりもうれしいのは、結婚したのが病弱の妻で無かったことです。

 健康体の妻を長年にわたり私が行う職業で悩ませ、高齢となった今は私の病気で悩ませていますが、夫婦ともなると言い合いのケンカも当然どこにもありそんな苦労や辛さは消えることは無いでしょうが、妻としても私が浮気したわけではないし、バクチをしたわけではないし、酒を飲んで遊び続けたわけでないし、表立って腹を立てにくかった点はあったと思います。

 夫が真面目に行っている仕事がうまくいかないからいって妻が激怒するなんてこともしにくかったことでしょう。

 でも、市職員などという浮き沈みのない職業じゃないことに夢中になる夫のする仕事に妻が悩み、特に収入が不安定という面には長年にわたり何度も腹を立てたと思います。

 こういう安定しない夫婦生活を五十年に亘り歩んできた「結婚五十年」の記念ということもありますが、夫の私としては高齢となり大病を経た自分の今後の寿命を考え、夫婦としての思いでの記録を残すのは今だと考えての、記念撮影でした。もしかしたら妻もそういうこれからのいつまで続くか解らない私との夫婦生活も想像し、写真撮影の場で何度も涙を流したのだと思っています。

 先の入院する時、私は医師に向けてこうお願いしました。

 「議員を引退するのは来年4月ですが、私がいなくなった後も女房が80歳、85歳まで安心して暮らせるようにしてやりたいと計画を立てており、それ以後も私が“せめて三年、できたら五年間”、今のような元気な体調で生きられるようにしてください。その計画が三年ぐらいで実現で来たら、どうせこの体は20歳の時に居眠り運転であと1秒で死にかけた身です。その後に死ぬことは一つも怖くありませんので」と。

 議員活動を除けば、今は、過去の自分の苦労よりも現在の夫婦仲の良さに涙したんだろう妻の将来を安定させてやることを一番強く考えています。

 でも、「人生いろいろ、夫婦生活もいろいろ」、妻が写真撮影の途中に何度も涙を流したのには本当に、驚きました。


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