青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

地方議員のあるべき姿

2018-12-07 | 政治家のあり方
 来年4月の議員退職後に出版予定の『地方政治・地方議会の在り方』(仮題)の本の記事として書きためたものを一つ、紹介させていただきます。

 
 地方議員のあるべき姿

 「議員は、人格・識見ともに優れた代表者である。したがって、議員の発言は、とりもなおさず住民の意見であり、住民からの声であり、議員が行う質問や質疑、討論は、同時に住民の疑問であり、意見であり、表決においての賛否は、住民の立場に立っての真剣な一票でなければなりません。
 また、憲法第15条で『公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない』と定められているように、議員も、住民全体の代表者であり、奉仕者であって、これが議員の本質と言うべきである」。


 議員のバイブルと言える『議員必携』(全国町村議会議長会編)には、こんな参考になる事が書かれている。

 《憲法第15条でいう「公務員」には、非常勤特別職公務員である議員も含まれていて、「採決は市民全体の立場に立って判断しなくてはならない」と憲法で規定されていると言ってもよい。》
 
 その点からいえば、私が新人議員だった頃に議会に提出した不法投棄防止条例案に対して15名の議員が採決で行った「反対」の判断は、環境汚染防止のため、観光振興のためには、不法投棄を防止する条例も必要だと考える室戸市の人口17490人の市民の代表者としての判断ではなくて、たった一人の自分というちっぽけな人間の間違った判断によって反対したといえる。

 議会に条例案を提出するため、私は議会前に条例案を全議員に見せました。すると、決議案に私を除く15名が賛同して署名しました。それが、全員が反対したのです。これが室戸市議会に実態でした。考えはすぐに解りました。「あの条例は必要だが、あんな議員になってまだ2年目の新人議員が提出した条例に賛成して条例が決まってしまったら俺たちベテラン議員は恥をかくぞ」。「俺たちに無い能力と行動力を発揮して市民のために成果を上げようとするクソ生意気な新人議員を、何とか今のうちにぶっつぶせ!」。これが当時の、事実情報であるし、賛成署名したことによって逆に、採決において議員の魂胆があぶりだされたと言ってもよい。

 これらの議員には、人格や見識のかけらも無い。市民にとっては必要な条例を新人議員が出したことを逆恨みして潰したことを考えると、その15名の議員たちは市民の代表者などと言えるほどの値打ちも無い。

 こんな仕打ちを受けながらも、積み重ねた経験から生まれる反骨心で、そんな妨害なんかにはお構いなしに、議会の度に一般質問の原稿の中に政治家のあり方を厳しく指摘する文章をもぐり込ませ、横と前にいる市長と議員に向かって「政治家とは・・・」と、説いてきた。意味がわかってもらえるかどうかはお構い無しに、言葉にしなきゃ分からないから、主張してきた。

 「不正はやめて、法律、条例、要綱を守れ」、「事なかれはやめて、今すぐ出来ることは今やろう」、「無駄な事業はやめて、節約すべきだ」、「古い体質を改めて、改革しよう」と。

 ある教会は提供するラジオ番組の中で「心に愛が無ければ、どんな美しい言葉も相手の胸に響かない」と、教えを広めている。宗教には興味がないが、この言葉はいかようにも読み取れる。この言葉を裏読みすると「愛があれば、言葉によって表現しさえすれば効果が生まれる」の意味だろうと思う。

 だが、私は若い頃からいつもこう思い、家族や近しい人にも教えてきた。

 「言葉にしなければ、心に持つどんなに強い想いも相手の胸に響かない」。

 私の主張は、「どんな愛情も、表現しないと効果が無い」と説く。

 いくらあの人が好きだとたまらないほど強く思っていても、「あなたが好きです」と口に出して言わなければ、相手は分らないし、いつまで経っても伝わらないということだ。もし、相手に話しておれば相思相愛がわかり、めでたく結婚へ、ということにもなるのに、口に出さなかったがため、すれ違っただけでもう二度と出会うこともない二人になってしまう。そんなの残念ですよね、そう思いませんか。

 言い得て妙でしょう。これは恋愛でも、議会での主張も同じです。思っていることは口に出して言わないと、自分のその考え方のすばらしさは誰にも知ってもらえないし、政治に何の効果も及ぼさない。だから当然、いつまでたっても誰にも理解してもらえません。だから私は、今も議会の事あるごとに、質問原稿のどこかに政治家のあり方についての文章を挿入して、述べている。理解してもらえるかどうかは別にして、言わなきゃ解かってもらえないから、主張している。「政治とは本来、こうあるべきものだ」と。

 発言の妨害と言えば、こんなこともあった。

 私は全国では他にいないオンリーワンの手書き地域雑誌を平成2年10月に創刊して努力して発行を続け、高知県東部地域に広く貢献してきましたが借金がかさみ、平成10年1月にやむなく廃刊しました。そして、小さな会社に努めながらその印刷代の借金200万円余りはローンを組んで4年で完済し、その翌年の市議選に出て議員になった身ですが、こういうことがありました。

 当時の市長が市町村合併に取り組まず、市民の合併の意思も議会の議決までも反故にしたことを受けて、17年4月、「独裁的な市政運営を行う市長の在り方はおかしい」と訴える街頭演説を行ったが、それに腹が立ったのか市長派の高齢な新人議員が元議員の男と組み、私の前の職業や選挙をネタにして貶める新聞を作った。その記事の一部が、次のようなもの。 

「(前略)地域雑誌を発行していて、その後、N自動車・S葬祭などに勤めていたようだが、なぜか長続きせず、不景気で就職難の折、市議会議員でもやって職に在りつくべく発想の元、地元有権者に泣きを入れ、ひんしゅく買いながら泡沫候補の最たるものと言われながらも地元の厚情によって運良くその任についている程度の人物でありながら、己の主張を他人に押し付けるような不見識な行動は許されるものではない。身の程わきまえての良識ある活動されるよう強く求めておきたい(後略)」。

 記事の前と後ろはあまりにもでたらめ過ぎて、ここに掲載すれば読者にまでいやな思いをさせますので、割愛しました。もう一度この記事を読みなおしても怒りが沸いてきます。この記事を書いた二人ともがアンケート・データの解析の仕方も理解できないまま市が公表した表(おもて)の数字を列挙してあげつらうなど、笑ってしまうほどの性格の持ち主で、実をいうと「議員でもやって職に在りつくべく発想の元」で議員になったのは、この二人でした。

 この事件については、多くの同僚議員から「告訴すべきで、名誉毀損で告訴すれば確実に勝つ。訴えろ」と強く勧められた。

 しかし、その当時、私はその友人議員たちにこう話したものです。

 「一人は腰の曲がったお年寄り。もう一人は重病人。それに、議員としての能力も価値も無い二人やないか。もし、そんな人間を訴えたら、周りの人や市民から、きっとこう言われる。『あの二人も二人やけんど、それを訴える谷口も谷口やにゃあ』と、あの二人の男と同じレベルの人間と見られてしまう。そうなれば自分にとっては、100万円程度の賠償金をもろうても、結果的に、損にはなっても得にはならん。だから、そんな無駄な時間と労力を使うつもりは無い。そんな時間があったら、議員として市民のために市政改革に努力し尽くす方がもっと生産性と価値があると思おちょう。それやきん、えいえい」。

 唯、この事件をそのまま放っておいても議会のためにならないし、また勝ち誇ったように増長すると考えた新人議員の私は、そのすぐ後の議会の一般質問に絡めてこう叫んでやった。

 「私は長年、身銭を切って町づくり活動を行ってきた。えらけりゃ、俺の真似してみい!」。

 そうやって、室戸市議会に巣食うその数名の勢力に対して攻撃を仕掛けてやった。

 議場は騒然となったが、「見た目が華奢なあいつが、あんなに攻撃的な性格だったとは知らなかった」と思ったのか、新聞で誹謗中傷記事を書いたその議員らの一派はそれ以後、役所の廊下ですれ違っても何も言えず、うつむいてそそくさと立ち去るようになった。

 だから言えることは、市政改革や議会改革は勇気を出して先頭に立ち、正義を貫いて突き進むことが一番大事なのです。言論によって相手と刺し違えるぐらいの度胸がなければ、改革なんか出来っこない。さすれば、自治体は少しずつですが正義が通用する組織に変わってくる。やがて市職員の中にも同調する動きが出てくる。「私たちは、あんたのような議員が出てくるのを待っていました」。そう信じているし、そんな感触は正義の活動を続ける議員にとっては、とても心強いものとなる。

 議会は戦いの場。場合によっては、正義感の強い議員が悪質な議員を蹴散らす場となる。だから、議場で悪と戦う気概がなければ何も変わらない。勇気が無ければ、何一つ変えられない。戦う気持を持たなければ、何一つ変わらない。市民派議員、改革派議員は、そう信じ、そう決意して仕事をすることです。ならば、改革は実を結びます。

 逆にいえば、議会とはどこの議会も同じで、二元代表制なんかそっちのけで首長に寄り添うそんな旧態依然とした古臭い体質にあるということです。

 特に、四国の最南端のまちにある室戸市議会は「どこの議会も同じ」ではなく、これまでの“議会一働いていて室戸市民の悪意を以って落とされた4年も含めた”この16年間を見聞きし調査した上で厳格に考えると、「室戸市議会が一番、悪意がまかり通る地方議会」であることは疑い在りません。いくら「違法や不正や不適正や公約違反に賛成するのは止めよう」と指摘しても注意しても改心しない、実に利己的な地方議会。市議選において各候補は選挙カーで「私は市民の皆さんのために頑張りまーす!」と市民に約束しますが、そうやって約束したからには、その公約に関する責任を放棄して「旧態依然とした古臭い体質にある議会」を存続させることは許されないが、当選で報酬を得る作戦が成功して目的が達成したとみるや、「後は野となれ山となれ」と考え平気で違法な議案や不正な議案にまで賛成しています。

 これじゃ、明らかに「公約違反」であり、その議員たちは市民から「ウソツキ」と言われても反論などできません。

 私に言わせれば、「そうして『市長に頼まれたから』『市長が喜ぶから』と言って、市議会で不正な事業案に賛成することが市議選の時に有権者に約束した『市民のために頑張ます!』の姿か!」と怒りに震えるが、「小心者は権力を持った人間に弱い」の例えを想起し、最近はそういう者たちへの教示をやめました。

 私が“師匠”と仰ぐ上杉鷹山の、師匠である細井平州が、米沢藩に赴く鷹山を激励した言葉が残っている。

 「仁・知・勇の三徳の内、いま必要なのは勇気である。勇なるかな、勇なるかな、勇にあらずんば何を以ってか行なわん」。

 勇気ある小生が「まちの悪政を改めて正しい政治をやろうじゃないか」と呼びかけ続けてきましたが、それももうすぐ終わりが来ます。もう、室戸市において私を除けば、勇気を持って「室戸市政の在り方」や「室戸市議会の在り方」、そして、「地方政治の在り方」や「地方議会の在り方」を広く問い、「こうあるべきではないか」と問いただす人はいなくなります。そのことが少しは室戸市政と室戸市議会のためになるんじゃないかと思い、良かれと思い続けてきましたが、今回の市長選の結果を見て、「こんなことでは今現在の悪政をさらに発展させその腐敗する病原菌をさらに繁殖させ、病気を更に悪化させてしまう」と結論付けました。

 冒頭で書いたように、日本国憲法の第15条には「(地方)議員も、住民全体の代表者であり、奉仕者であって、これが議員の本質と言うべきである」と既定しています。

 私のような細身な体でも、「得する、損する」なんて浅い考え方は持たず、トラック運転手や地域雑誌の出版という夜昼なしに働く激務・激職に賭け仕事をし続ける勇気はありましたし、その職業を懸命に働き、書籍をたくさん読んで「何が正しいか、何が正しくないか」の判断力もついています。故に言えるのは、20代から50代ぐらいまでは軟弱な職務ではなく、軟弱な考えではなく、激務に付いて働き続けよということです。そうすれば、こんな小学生時代にほんの30㎝の上がり框すら上がれず弱体だった私のような者でも、18歳からの頑張りでこの70代まで地力を大きく発揮できて効果を生んでいます。

 「努力してこなかった自分には何も他の人のように秀でたものが無いから」と思うのか、高い行動力、発想力、判断力を持った人を羨(うらや)み、足を引っ張り、批判し、陥れる。こんな小さな町にも、そういう人がたくさんいます。50歳、60歳、70歳となると「オレには、努力して高い能力を付けるのは、もう手遅れ」と思うのか、ただ他の人の足を引っ張り、引きずり下ろすことしかできない、そんな人がたくさんいます。でも、私に言わせれば、彼らは、曰く「小心者」、曰く「怠け者」、曰く「根性悪」だ。そして、こういう人たちは大半が一人で何もできない質(たち)だから、ただ「つるむ」「徒党を組む」。そうして、悪知恵を働かせ、まちの政治をゆがめ続けている。

 私が住む室戸市の政治が、その典型的な例です。

 最後に、細井平洲が上杉鷹山に教えたように、私から全国の地方政治に関わっておられる賢人の皆さんにお教えしたい。
 「地方議会にいま必要なのは勇気である。勇なるかな、勇なるかな、勇にあらずんば何を以ってか行なわん」。


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