青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

「ゆとり」なんか、くそくらえ!

2018-10-16 | 国のあり方
 十年ぐらい前だったかに、中国の政治家・曽国藩の言葉、「収穫を問う無かれ、ただ耕耘(こううん)を問え」を紹介したことがある。

 この言葉の意味は、“結果を追い求めず、どのくらい田畑を耕してきたか、それこそが人間として素晴らしいんだ。ただしゃにむに働くことこそ、人間を育てる”と、記した。

 そして、私が考えた言葉、「人生、照る日、曇る日」も書き沿えた。

 これは、“一所懸命に努力して働いていても、人生は良い時もあれば、悪い時もある。でも、悪い時があっても挫けずに、怠けずに、正直に頑張って生きていたら、その内、また良い事がある”ということです。

 そのためには、何事をする時でも休まない。自分に自信が無いから、働き続ける。休めば、「人生、照る日、曇る日」が、「人生、曇る日、嵐の日」になるのが分かっているから、休まない。自分自身が自分の全てを信用しているわけではないから、休まない。いつ死を迎えるかわからないから、悔いを残さないために、休まず走り続けている。

 ならば、「人生、照る日、曇る日」、“成果”は必ず向こうからやって来る。

 この、「収穫を問う無かれ、ただ耕耘を問え」も、「人生、照る日、曇る日」も、両方とも意味するところは、“成果を得られるか得られないかを気にしていないで、休まずただもくもくと働け。良いことがあった、悪い事があったと一喜一憂せずに、前を向いてもくもくと働け。さすれば、きっと後発的に、成果は後からついてくる”だろうと、書いた。


 さて、急に話は昭和40年代に遡るが、私が二十歳代の頃でした。次のような国際情勢があり、「これじゃ、間違いなく日本の活力は落ち、経済も、政治も、教育もだめになる」と思ったものです。

 それは、アメリカは戦後二十年ぐらい経つと、それまでの自分たち国民の慢心と怠惰がたたって、日本の急速な経済発展に押されたことも加わり、そこで日本に圧力をかけ、「日本は働きすぎだ。もっと休め!」と言いはじめた。いわゆる一連の“ジャパン・バッシング”です。

 これに対し、当時の弱気な日本の政治家たちは、日本がアメリカの軍事力の傘の下にいる弱さもあって、日本はそのアメリカの圧力に屈して、週休二日制を進めた。止めときゃいいのに、言われたように働く時間を少なくした。つまり、情熱や熱意を薄めたのである。

 公務員にしてもみんな、それまで週に5日と半日働いてもらっていた給料が、週に5日だけ働いても同額の給料をもらっているそうだ。

 その時、私は、「あー、こんなことをしていたら日本企業の生産力が落ちることによって日本の経済活力は弱体化し、学校現場での教育力も低下し子供たちの学力も必ず落ちてくるし、行政業務にしても給与投資は多いが職員の業務時間は半日少なくなりいわば損失を生むことは明らか」と思った。

 で、案の定、いまその通りになった。


 教育に限っていうと、「ゆとり教育」なんてことを始めた時も、「子供の教育にゆとりなんて、いるか!」と思っていた。

 平成8年7月の中教審の答申は「ゆとりの無さ、社会性の不足と倫理観の問題、自立の遅れ、健康・体力の問題などがある。だから、週五日制などのゆとり教育が必要だ」として、この動きは平成14年に始まったが、そもそもこの段階で大きな間違いを犯している。

 子供の教育だけでなく、企業の労働者、そして行政機関や学校に勤務する公務員という名の労働者に「ゆとり」などという、いわばオブラートに包んだ美しい言葉を使って休日を多く与えたことが、これら日本全体の活力を低下させてしまった主因であるのは、間違いない。

 日本の教育界は、その「ゆとり教育」によって、全国の子供たちの学力低下という“事故”を引き起こしたと言ってもよい。
だから、平成19年10月の中教審の答申では授業日数の増加を提言し、20年2月には文科省が21年度から順次、授業時間を増加させるように決めた。過ちを認め、方向転換したのである。

 私に言わせれば、「ほら、見たことか!」だ。

 国によるこの「ゆとり教育」という子供への学問教育の、いわば“たるみ”から、テレビゲームなどからケイタイへ移行する機器による悪作用も加わり、子供たちの多くが学校での一体感のある勉学よりも個人的な娯楽に没頭するようになり、それが今の「殺すのは誰でも良かった」という殺人鬼となる若者を生んだのも間違いない。

 だから、教育の「ゆとり」=「たるみ」「ゆるみ」が、今の教育の崩壊を生んでいるといいたい。

 いま、日本の政治に関わる人も学校現場の人たちもみんな、あの秋葉原の通り魔殺人事件などに代表される若者による無差別殺人などの責任の一端は、自分たちにあると思い知る必要がある。きっと「俺には関係ない」なんて思っているだろうが、ないことは無い。あれらの事件は全て、教育関係者や国の政治家に責任がある。


 長くなるのでこのへんにしますが、とにかく企業も行政や学校に勤務する公務員も全て、40年代のように月曜日から金曜日までは終日働き、土曜日も昼まではちゃんと仕事をするように戻し、子供たちもみんな、土曜日も昼までは学校で勉強するように一刻も早く変更することです。

 私は、「労働や勉学にゆとりなんていらん。そんなのクソ食らえ!」と思っている。

 武田鉄矢の母はもっとすごい。「休みたいなんて思ったら、その時は死ね」とまで言っている。

 営業時間を減少させて働かない会社は、企業活力を低下させ、当然、売上げも落ちる。働かない行政は業務消化の低下、働かない学校は教育力の低下をそれぞれ招く。学ぶ時間の少ない子供たちの学力は間違いなく低下する。必ずこうなる。

 職人技も、習得の時間の積み重ねによって、熟練の技が磨かれるものだ。芸術家の腕や感性も打ち込んだ時間によって高揚するものである。それと同じだ。

 あっ、大事なことを忘れてた。勿論、企業の社員は売上げが上がれば給料は上がりますが、学校や行政に勤務する公務員の皆さんの給与は土曜日が半ドンに変更されても給与は今と同じですよ。このへんはお間違いなきように。

 先日も書いたが、自分が働いている組織のため、又労働や勉学は自分のために休みなく働き、休みなく学ぶこと。それが、自分を育て、組織を育て、地域を育て、国を大きくさせるものだと忘れないことです。

 「ゆとり」ある労働や教育なんてものでは、絶対に、町は興きない、国も興きない、自分も興きない。

 とにかく、自分を痛めいじめることによって、能力は高まってくるものです。寝る時間を惜しんで勉強すること。休む時間、休む日を惜しんで働くこと。それでしか、自分も、会社も、学校も、町も、国も良くなってはこない。

 最後は、やはり先日のこの名言で終わりたい。

 「収穫を問う無かれ、ただ耕耘を問え」。

 簡単にいうと、「ゆとりなんか、クソ食らえ!」ということです。

 特に、高給取りの公務員には「ゆとり」なんか与える必要はない。その高収入に該当するぐらい働かせればいいのだ。


電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、10月16日のGooブログランキング(2843762ブログ)中、1166位でした。 
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
« 常会の健全な組織の在り方に... | トップ | 高知県展の主役は誰なのか? »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

国のあり方」カテゴリの最新記事