青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

太陽光発電事業の破綻する時期は近いか

2019-01-11 | 組織のあり方
 読者の皆さんもご記憶かもしれませんが、私は一昨年3月1日に次のような記事を書き、太陽光発電事業に乗り出すことに対し警鐘を鳴らしました。

 「ウナギの養殖事業破綻の次は、太陽光発電事業の破綻か」 ←(クリック)

 この二年ほど前の記事を書いた頃からすでにその傾向がありましたが、売電金額の低下が原因で、一昨年の平成29年の太陽光発電事業者の倒産は一昨年よりもさらに多くなっているというニュースも見えました。

 産経ニュースから ←(クリック)

 記事の内容は、「平成29年の太陽光発電関連事業者の倒産件数が28年よりも35%増加した。これは過去最高の倒産件数だ。原因は、国の再生可能エネルギー政策の見直しで固定買取価格が引き下げられ、事業経営が苦しくなったためだ。その事業者向けの買い取り価格は、平成24年度は1kW時当たり40円だったものを、その五年後の平成29年度には21円と半額にした。これにより、太陽光発電関連事業者だけでなく、太陽光パネル製造会社などの採算も取れなくなり、業界全体が経営悪化を招いている。今後、事業者は徐々に淘汰されていくだろう」というもの。

 そして、昨日も次のようなニュースが流れた。

 朝日新聞ニュースから  ←(クリック)

 内容は、「事業用の買い取り価格は2012年度から毎年度下がって7年間で3分の1程度に落ち、一方、家庭用は12年度の金額から、19年度は関東、中部、関西で24円、それ以外で26円に下がる大幅の値引きとなる。これによって、太陽光発電の普及にブレーキがかかる恐れがあるのは、買い取り価格が各住宅の電気料金に上乗せされるから。太陽光発電が始まった2012年度は1kW時あたり0・22円だったが、18年度は2・90円に上がり、国民負担の抑制は待ったなし」だそうです。

 つまり、太陽光発電事業が広まったことによって、最終的には、一般住宅の電気代の支払いが高くつくようになったということ。 

 間違いなく、この太陽光発電事業も私が20歳代に見たウナギの養殖事業のように次第に衰退していくとみていたし、こういう流れは最初から分かっていました。


 教訓として、何事も“丁度が良い”ということです。度が過ぎると、何事も途中で破たんします。それと、「日本で初めて」という新規事業は、「国内の状況が急変し、途端に倒産が続く」ということも大いにあります。

 でも、人とは欲張りなもので、他人が急に始めて儲けていると、自分も同じことをして儲けてみたくなるもの。他人が儲けているのを見ると「自分がやっても儲けられる」と考え、夢描き借金をし大金を投資しても、やがて時代が変わればほんの10年もしない間にそのブームは終わってしまう。そういう例って世の中にはたくさんあります。

 私が今、危ない商売だと感じているのは、近海でのサンゴ採り業です。

 いま室戸市ではその業者の皆さんの羽振りの良さを聞いて大変なニュースになってはいますが、この業界もそのサンゴが取れるエリアのサンゴを取りつくしてしまえば、すぐにサンゴ漁の仕事も終わりを告げることは間違いありません。かと言って、加減しながら採っていたら他の業者に採られてしまうと考えるだろうから、みんな競争のように採る。そして、“サンゴ御殿”と呼ばれる豪邸を建てています。でも、今の状況と将来の展望を漁業関係者に聞くと、「ほんの10年、いや、もしかしたら5年ぐらいで許可されているエリアのサンゴを採りつくしてしまい、終末を迎えるやろなあ」と聞いた。

 何事も“丁度が良い”。急な金欲が絡んだ事業は、長くは続かないということです。

 ウナギの養殖業が流行して、やがてそのブームは終わった。太陽光発電事業も飽和状態になり、全国の電気業界の状況が変わり国の買い取り価格がさらに安くなると業者も淘汰され、やがてそのブームは終わります。サンゴ漁にしても許可されている海域のサンゴを取りつくしてしまうと、やがてそのブームも終わりを告げる。

 ま、これらも儲けられるときに儲けておいて、サッとやめる。そういう判断力と決断力があれば、それほど大きな損失を招くことなく儲けを手にすることはできるでしょうが、これが難しい。

 人間とは欲深い生き物だから、「まだ儲けられる、まだいける」、「もう少し儲けてから、もう少し儲けてからやめよう」と思っている間に【儲け】から【損】に転じ、結局、「あの時にやめておけば損することもなかったなあ」と嘆いて事業に失敗する。

 所謂、「後悔、先に立たず」。

 どんな仕事もいつまでもいつまでも利益が損益を上回ると思ってはいけません。目鼻を付ける時はいつか来るものです。


 話変わって、室戸市の状況変化について。

 室戸市の経済事情にしても、人口は毎年350人から400人が減少しています。私は発行している議会新聞でもそのことを市民の皆さんに克明に伝えています。
  

  

 人口は減少してゆく。すると、商店などを経営している業者が販売する商品を購入する人は、年々減少していって当たり前。やがて立ち行かなくなることは経営者たるもの、よく理解しておかねばなりません。そういう状況にあるから、スーパーの経営だって同じことです。年々、お客さんの入りが悪くなるのは、これも当たり前のことです。

 人口減少が原因で学校が次々と統合されているのも当然の現象だし、スーパーや商店が閉店に追い込まれるのも人口減少が原因。

 室戸病院が人口減少が原因で、「救急診療」をやめ、「入院病棟を閉鎖」したのも、ついに「病院を閉院」という事態になったのも、すべて病院の“お客さん”である患者が減少してしまい病院経営ができなくなったから。病院経営者が「室戸市じゃ病院を経営しても儲からん」と考え目鼻を付けたのですが、経営者は民間団体の長。自治体が経営不振に陥った特定の事業者を止めることなどできないし、財政支援もできません。

  上の人口減少グラフを拡大すると・・
  

 今から15年後の2033年には約6000人の町になると考えると、市立病院なんかすぐに負債で倒産しそのツケは市民に回ってきます。わずか6000人、5000人になってしまった室戸に住んでいる市民に。

 残念なことですが、これらの流れはすべて、地方の人口減少が顕著で衰退してゆく町の姿。そう観念しないと明日に向かって歩んでいけないと私は考えています。

 重要なのは、「困ったら、誰かが自分を助けてくれる」、「市役所がすべて助けてくれる」なんてことは考えないことです。「自分のことは自分でする」という精神を持ち続けないと、とたんに困ることになります。

 そして、冷たいようですが、「自分が困っているのは他人の所為だ」なんて思わないことです。「自分が困っているのは、自分が判断を誤った所為」、世の中とはそうしたものです。そう考えた上で、「自分は今どうしたらいいのか」、「これからどうしたらいいのか」とお考え下さい。


 もちろん、商売をしている人たちも同じで、「この商売は人口が何人ぐらいになるまで続くのか」を考える必要があります。私のこのような厳しい指摘に対し、市内の商店主が市議会議長に「谷口は『人口減少で衰退することをよく考え、市民は移住も考えてください』と記事を書いているが、許せん」とか言ったようですが、物事の本質と将来展望を市民に公表したら許せないんですか?

 市役所と議会の中では私だけが室戸市の衰退について詳細に知っていますので、電話するなら、私のところに直接電話をしてきてください。いや、それよりも当家においでになって直接、私と話しましょう。今後、室戸市がどうなるのかをちゃんとわかりやすくお教えしますから。見た目は室戸の70すぐのおんちゃんかもしれませんが、他の政治関係者よりも地方政治の在り方については詳しく、又、室戸市の今後の動きや将来展望についても勉強してきましたのでそこそこのことは知っていますので、おいで下さい。その代わり、あなたの住所、氏名、年齢、職業、そしてあなたが語ったことは全て録音した上で、その大半は当電子情報誌に記事として掲載し、私の考えが正しいのかあなたの考えが正しいのかを全国の方々に評価していただきますので、そのおつもりで。

 さて、話を戻しましょう。

 私はもともと、「役所などあてにならない」と考え、自分のお金を投資して40歳から自分が経営する喫茶店の売上金を使って地域づくり活動をやってきたし、雑誌出版業の時もそうしてきて、活動に対して県や市から支援してもらったことは一度もありません。なぜなら、行政に助けられていては、チャリティーの映画会やコンサートを開いてその収益を市内の「知的障がい施設・はまゆう園」に寄付する、その活動を市からの補助金で行っていては自分が主催して開き市民にも貢献できたことにはならないからです。だから、少ない喫茶店の収入から出していたんです。(当然、妻や子は「お父さんは勝手な事ばっかりしゆう」と怒っていましたが)

 このように、役所のお金に頼るのはおやめなさい。これを「自助努力」というのかどうかわかりませんが、自分のことは自分で助けること、室戸市に住むか出て行くかは自分で判断することです。

 自分が経営している商売のことは自分が見切りをつけることです。飛行機が墜落するように商売を止めてはなりません。「ソフト・ランディング」といって、墜落しかけていても「軟着陸」するように経営している商売を閉めることです。「そのうち、そのうち」と考えてはなりません。先にも書きましたが、「後悔先に立たず」と言います。地面に激突して大爆発するように商売を終えてはなりません。「軟着陸」できるように店を閉めることです。そうして、商売を終えた時、借金をできるだけ残さないよう工夫することです。そう出来なくても、出来るだけ少なく終えること。

 室戸市民の皆さんが室戸市の明日のことを危ぶんだり心配したりすることはありません。ご自分のことと家族のことだけを心配し、考えて生きていくことです。

 私は議員だから「人口が減少するので、市民の皆さんは室戸に残ってください」という立場なんでしょうが、私は「市民の生活を考えるのが議員」だと考えて議員をやってきたので、そうは言いませんし、そう求めません。私が発行している議会新聞にも「ご両親は子どもの将来を考え、この衰退する町に残してはなりません。室戸市から出したほうが良い」と書き続けています。それが間違いなく子供たちのためになることだからです。

 だから、「この室戸じゃ、生活できん」と思って市民が室戸市を出て行くことについては、「そうしたほうが良い」と思っています。

 「室戸市に残れ」というのが公務員としての議員のあるべき姿でしょうが、私は市民のためにそういい続けてきた。

 日本の人口はこれから減少してゆくが、それは地方から。どんなまちでも、いつまでも賑わいがあると思ってはいけない。地方のまちに住んでいる住民が目鼻をつけなくてはならない時は、いつかやって来ます。
 当然、それは商売人だって同じように考えるべきです



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室戸市の仕事始めで行う「万歳三唱」には同調しません

2019-01-04 | 組織のあり方
 これについては、年末に記事を書いたので私の考えは全国の読者諸氏もお判りだと思います。

 衰退するまちの行政と議会がこのまま、何十年と新年の仕事始め式で「万歳三唱」をし続けていいのかと思い長く改革を申し出てきましたが、もう諦めちゃいました。

 下に示したのは、昨年1月4日に室戸市役所で仕事始め式が行なわれた後、1月9日に書いた記事です。

 まちは衰退し続け、市政においても全く信用ならない不正な政治が続いていたので、「いったい何が喜ばしいんだ」と思い、式に集まった人たちの中で私だけが両手を上げて「バンザーイ!」、「バンザーイ!」、「バンザーイ!」とやりませんでした。

 その理由は、空しいから。万歳をするたびに悲しくなるから。

 この式に参加して、帰る時にも空しさだけが残りました。「集まった人たちは寂れ行くこの室戸市の、何がうれしいんだろうか?」「いったい何に喜びがあって万歳をしているんだろう?」と。 

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私はこの1月4日の市の仕事始め式の最後の、万歳三唱はしませんでした。理由は、衰退して室戸市民が苦しんでいる事態に、なぜ万歳をして大喜びしなくてはならないのか、その理由が無いからです。

 二年近く前になりますが、私は室戸市議会の平成28年3月定例会の一般質問に登壇し、短く次のような一般質問を行いました。

●仕事始め式について

 質問・「ずっと当市の仕事始め式の最後は万歳三唱を行ってきましたが、どうも違和感が拭えません。私の知識では、万歳三唱はおめでたい席や、繁栄や発展を祈る式典などで行われるもので、勢いづく景気づく、といった感があり間違いだとは申しません。

 ですが、私だけかもしれませんが、町が衰退する中での年初めの万歳は、なんとも違和感があります。その1月4日夕方の県内ニュースで県庁の仕事始め式の最後に三本締めを行ったのを見て、こうすべきだよなと思い県庁に尋ねると、年の初めは三本締め、年末の仕事納めは一本締めだそうです。本市も仕事始めは三本締め、仕事納めは一本締めに改めてはどうでしょうか。そのほうが違和感も無く、ずっとスマートじゃないでしょうか。市長にお伺いします」。


 これに対して小松市長から次のような答弁があった。

 「この式典の締めにつきましては、これまで慣例として、副議長に万歳三唱を行っていただいているところでありますので、今後、議会の意向もお伺いしてまいりたいと考えております」。

 そこで、「きっと変更されるであろう」と考えていたところ、12月議会中に総務課から平成29年の仕事始め式への出席案内書が配布された。見ると、式典の最後に副議長が万歳三唱を行うと書いてあった。

 思ったのは、「市の関係者や市議会はいったい何がうれしくて市民からたくさんの方を招いて万歳をするんだろう」。

 こういう流れがあって、室戸市では今年1月4日の仕事始め式でも最後に万歳三唱を行った。私はそんな行いは救いの神々に失礼だから、黙って周りがすることを見ていました。

 「オレもそう思うよ」と私が指摘する「三本締め」に改めることに賛同する人は、室戸市の政治の場には一人も現れません。

 そんな孤立無援の状況にあるとき、強い味方を見つけました。それは、あの有名な国会議員の小泉進次郎氏です。


 2017年10月7日(土)、衆院選の前哨戦で街頭に立った小泉進次郎議員は女性記者にこう語り掛けたことをネットのニュースが伝えていた。

 <記者たちも茫然。目の前にいる女性記者の手は小刻みに震えていた。

 小泉氏「なんで万歳するんですか?」。

 彼女から「なぜ解散の瞬間に万歳をしなかったのか」と訊かれた小泉進次郎氏は、とっさにそう返した。

 衆院解散の直後、進次郎は衆院本会議場の外で報道陣に囲まれていた。質問した女性は「進次郎番」の中でもあまり見ない顔だ。

 本会議場の上にある記者席から取材対象の議員を目で追うことは、ベストの座席を確保しない限り、意外と難しい。進次郎は、自分より若そうな記者の努力を「よく見ていましたねえ」と労った直後、逆質問で不意打ちをしたのだ。

 すると、女性記者の顔は凍り付いた。

 4秒の沈黙が続いた後、「正解」を口にした。

 小泉氏「わかりませんよね。だから、やらないんです。『今までやってきたから』と言って、慣習だからとか、合理的理由がないのにやり続けることはボクは好きじゃない。全部なくせばいいと思う」。

 まるでホリエモンが憑依したようなストレートな物言いだった。(後略)>



 私は小泉氏の真似をしているのではありません。小泉氏よりも早く、何年も前からそう思っていて、室戸市において指摘してきた。

 「市民生活がどんどん苦しくなっている時代にあって、なぜバンザーイと叫び喜ぶんですか?」と。

 考えは、小泉氏が言うように「合理的理由がないのにやり続けることはボクは好きじゃない」ということです。

 「政治の場で行われるおかしなことに疑問を抱き、素直な気持ちで疑問を呈する」、その点は私と小泉氏とは同じ信条だということです。

 依って、私は平成28年12月議会で小松市長に対し、「万歳三唱を止めて、三本締めにしませんか?」と提案した。

 でも、今までやってきた習慣を止めたくないのか、なぜ万歳三唱をやっているのかの意味が解らないためか、平成29年の仕事始めでも万歳三唱を行い、今年1月4日に室戸市役所で行われた仕事始めでも万歳三唱を行った。

 1月6日に室戸市防災公園で行われた消防の出初式でも、最後に万歳三唱があり、これは室戸市内の消防団員の皆さんの無事を祈念しての万歳だということで万歳したが、この消防出初式でも万歳三唱はやめ、三本締めを行うのが適正だといえる。

 数日前に続いて、その三本締めの基本形をお示ししておきたい。

 三本締めの基本形から。外国人向けの動画です。←(クリック)

 お次は、ある商工会の宴会の最後に行った三本締めの光景です。←(クリック)

 最後に、高知県庁での三本締め。高知県庁の仕事始め式の最後はこのように三本締めをやっています。(※13分あたりです)←(クリック)

 どうですか? 見てくださいましたか? どれほど高知県庁でやっている「三本締め」の方が室戸市でやっている「万歳三唱」よりもずっといいか、皆さんはお分かりになりませんか?

 当然、2019年1月4日、つまり今日の10時から室戸市役所で行われる室戸市の仕事始めにおいての万歳三唱を、私はやりません。ただ黙って、周りで万歳する姿を見ています。

 小泉氏が万歳をしない理由は、「『今までやってきたから』と言って、慣習だからとか、合理的理由がないのにやり続けることはボクは好きじゃない。全部なくせばいいと思う」でした。

 私が万歳をしない理由も、「慣習だからといって続けるのはおかしいし、合理的ではない。もう一つは、室戸市は毎年400人前後の人口が減少していて町の衰退は顕著であり市民生活は年々苦しくなっている。それは政治にかかわっている者たちに責任があるが、その者たちは全くその責任を感じていないようで、毎年、年の初めに何がうれしいのか、バンザーイとやっている。新年早々に行っているその行為は市民に見せたくないと思うほど恥ずかしいと感じているから」です。


 多分、多くの市民が仕事始めで万歳をしているその光景を見ていたら、市民の皆さんはこういうでしょうね。

 「あいつら何がうれしくて万歳をやっているんだ。俺たちの生活は年々苦しくなっていて、まちから出て行きたいと思っているのに」。 

 厳しく言うと、市役所の仕事始めに「バンザーイ」とやっている場合ではないのです、室戸市という町は。

 とにかく、この万歳三唱は室戸市に関して本当にうれしく目出度いことがあった時だけ行い、他の式典ではやめたほうが良い。そして、「三本締め」に改めたほうがよい。

 高知県庁のように、です。

 室戸市民の皆さんはこのことについて、どうお考えですか?

 これは、4月に議員職から退く私からの最後の「市政及び市議会改革案」ですが、市民の皆さんにはこの「三本締め」が室戸市の仕事始めで行われ出した時が、室戸市の運勢が好転し始める時だとお考えいただきたい。


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「自治体の自立」とは、「地方議会の自立」とは

2019-01-02 | 組織のあり方
 もうすぐ議会を去る地方議会評論家による、年明け初の厳しい訓示とお考えいただき、お読みいただきたい。 

 よく行政において、そして議会において、行政の首長や職員、議員がよくこの言葉を使っています。「地域の自立に向けて、こうすべき・・・、こう取り組み…」等と質問・質疑し、答弁します。

 では、この「地域の自立」とは何を指すのか? これを少し考えてみました。

 行政において、首長と行政職員は彼らにかかわる「自治体の自立」と「住民の自立」を目指し、議会議員は「住民の自立」と「議会の自立」を目指す、と考えられます。

 この「自治体の自立」とは主に財政的な自立を指すが、以前から指摘しているように、自治体とは100%自立できない組織。それは、住民の税金等、自分たちの自治体に入ってくるお金の賄いだけで組織経営をしておらず、たとえば室戸市を例にとると、国と県のお金が90%近く入ってきて自分の町の住民が支払った税金等が10%あるかないかで賄っているなどをみても、正しく「自立」していない。

 (蛇足だが、以前、われわれ地方にある自治体の二倍もの豊かな財政状況にありながら、私と親しかった江戸川区議が当ブログへのコメントで「うちの江戸川区は4割自治でしかないから・・・」と嘆いていたのには思わず笑ってしまったことがあるが、都会に住む人たちは自分たちの豊かさには案外、気付いていない)

 これから100年経とうが、500年経とうが、今の日本のありようが変わらない限り、この姿は変わらない。だから、よく知事選や市区町村長選の候補が「自立」を叫んでいるが、「自治体の自立」は絶対に実現しないと言える。

 だから、首長や行政職員の言う「自治体の自立」とは「財政的な自立」ではなくて、「組織形態としての自立」のことだといえる。

 次に、「議会の自立」とは、組織運営上の健全化と議員が報酬分以上の働きを行ったうえで「二元代表制」が確立された時、少しは「自立」したと言えるぐらいで、「議会の自立」も“仕事をせずに楽したい、他の人より金銭的に得をしたい、より高い肩書を持ちたい”なんて考えているうちは、「議会の自立」を成し得ることはない。だから、議会に出てきた議案に全部賛成しているようでは議会全体が市長の部下になってしまう「一元代表制」となり、本来は行政側を監視し厳しく対応すべき議会が全く機能せず、市長等執行機関の下部組織となってしまうのである。

 次に、「住民の自立」とは、どのようなものか。単純に読み解けば、“住民が自分ですべきことは全て、自分の力で行うこと”。本当の「住民の自立」とはこういうことだろう。

 しかし、行政や議会のいう「住民の自立」とはそんなことを指して言っているのではない。行政関係者のいう「住民の自立」は、教育、健康福祉、環境、文化、国際交流などの住民活動への支援を指し、この「自立」は「住民の行う自立に向けた活動を支援すること」を言っている。

 でも、本来の「住民の自立」とは、先にいうように、「住民が行政の支援にすがることなく、自らの力で立ち上がり、突き進んで商売や市民生活を自らの力で支え生きてゆくこと」であることは間違いない。

 こうして「自治体が自立」し、「議会が自立」し、「住民が自立」した時、その「地域は自立」しているといえるのではないか。

 そう考えています。そして、先に示した通り、「自立」とは誰の手助けもなしに自らの足ですっくと立ち上がること。又、「改革」とはその自立に向けての取り組みをいう。

 ということから、 「議会改革」とは議会組織が自立した時に始まり進められるものであり、議会が自立できない未熟な状況にある場合は議会改革は始まらないといえる。

 これまで「一元代表制」となってしまっている市議会を「二元代表制」に改め、市議会が地方議会本来の在り方である「野党態勢」で市長と向かい合えるかどうか。

 高くて正しい判断能力を持った議員ばかりならその議会は野党態勢の「二元代表制」本来の在り方で推移するだろうが、能力的には低くて間違った判断(すべての議案に賛成してしまう判断)をする議員ばかりなら、その議会は言うところの「一元代表制」であり、そういう議会があってもなかっても表決の結果が同じ場合は、議会制など廃止すべき。そうすれば1年間の議会費を住民税減額に利用でき、住民も喜びます。

 会社であっても自治体や議会であっても同じで、「組織運営」とはそうすべきものです。どこかの町の議会のように、機能しないような組織なんか要らない。


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小泉進次郎議員も疑問を呈する「万歳三唱」には私も賛同できない

2018-12-26 | 組織のあり方
 これについては、室戸市議会の一般質問でいくら提案しても小松前市長は聞く耳を持たなかったし植田新市長も聞き入れないと思うが、もう一度、指摘しておきたい。

 衰退するまちの行政と議会がこのまま、何十年と新年の仕事始め式で「万歳三唱」をし続けていいのか、関係者だけでなく市民の皆さんも一緒に考えてほしい。もう、室戸市の議会でいくら正論をぶっても無駄だから、市民の皆さんに「室戸市に関する一つの問題」を提起をしておきます。

 新年の市役所に市長や議員や市内の有志が集まっての仕事初めの集まりで、政治の公正化だけでなく、人口減少にしても止やまることなくまちは衰退し続けている中、万歳三唱をすることが良いことか「あまり良いことではない」と思われるかを。

 下に示したのは、今年1月4日に室戸市役所で仕事始め式が行なわれた後、1月9日に書いた記事です。

 まちは衰退し続け、市政においても全く信用ならない不正な政治が続いていたので、式に集まった人たちの中で私だけが両手を上げて「バンザーイ!」、「バンザーイ!」、「バンザーイ!」とやりませんでした。理由は、空しいから。万歳をするたびに悲しくなるから。

 この式に参加して、帰る時にも空しさだけが残りました。「集まった人たちは寂れ行くこの室戸市の、何がうれしいんだろうか?」「いったい何に喜びがあって万歳をしているんだろう?」と。 

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私はこの1月4日の市の仕事始め式の最後の、万歳三唱はしませんでした。理由は、衰退して室戸市民が苦しんでいる事態に、なぜ万歳をして大喜びしなくてはならないのか、その理由が無いからです。

 二年近く前になりますが、私は室戸市議会の平成28年3月定例会の一般質問に登壇し、短く次のような一般質問を行いました。

●仕事始め式について

 質問・「ずっと当市の仕事始め式の最後は万歳三唱を行ってきましたが、どうも違和感が拭えません。私の知識では、万歳三唱はおめでたい席や、繁栄や発展を祈る式典などで行われるもので、勢いづく景気づく、といった感があり間違いだとは申しません。

 ですが、私だけかもしれませんが、町が衰退する中での年初めの万歳は、なんとも違和感があります。その1月4日夕方の県内ニュースで県庁の仕事始め式の最後に三本締めを行ったのを見て、こうすべきだよなと思い県庁に尋ねると、年の初めは三本締め、年末の仕事納めは一本締めだそうです。本市も仕事始めは三本締め、仕事納めは一本締めに改めてはどうでしょうか。そのほうが違和感も無く、ずっとスマートじゃないでしょうか。市長にお伺いします」。


 これに対して市長から次のような答弁があった。

 「この式典の締めにつきましては、これまで慣例として、副議長に万歳三唱を行っていただいているところでありますので、今後、議会の意向もお伺いしてまいりたいと考えております」。

 そこで、「きっと変更されるであろう」と考えていたところ、12月議会中に総務課から平成29年の仕事始め式への出席案内書が配布された。見ると、式典の最後に副議長が万歳三唱を行うと書いてあった。

 思ったのは、「市の関係者や市議会はいったい何がうれしくて市民からたくさんの方を招いて万歳をするんだろう」。

 こういう流れがあって、室戸市では今年1月4日の仕事始め式でも最後に万歳三唱を行った。

 「オレもそう思うよ」と私が指摘する「三本締め」に改めることに賛同する人は、室戸市の政治の場には一人も現れません。

 そんな孤立無援の状況にあるとき、強い味方を見つけました。それは、あの有名な国会議員の小泉進次郎氏です。


 2017年10月7日(土)、衆院選の前哨戦で街頭に立った小泉進次郎議員は女性記者にこう語り掛けたことをネットのニュースが伝えていた。

 <記者たちも茫然。目の前にいる女性記者の手は小刻みに震えていた。

 小泉氏「なんで万歳するんですか?」。

 彼女から「なぜ解散の瞬間に万歳をしなかったのか」と訊かれた小泉進次郎氏は、とっさにそう返した。

 衆院解散の直後、進次郎は衆院本会議場の外で報道陣に囲まれていた。質問した女性は「進次郎番」の中でもあまり見ない顔だ。

 本会議場の上にある記者席から取材対象の議員を目で追うことは、ベストの座席を確保しない限り、意外と難しい。進次郎は、自分より若そうな記者の努力を「よく見ていましたねえ」と労った直後、逆質問で不意打ちをしたのだ。

 すると、女性記者の顔は凍り付いた。

 4秒の沈黙が続いた後、「正解」を口にした。

 小泉氏「わかりませんよね。だから、やらないんです。『今までやってきたから』と言って、慣習だからとか、合理的理由がないのにやり続けることはボクは好きじゃない。全部なくせばいいと思う」。

 まるでホリエモンが憑依したようなストレートな物言いだった。(後略)>



 私は小泉氏の真似をしているのではありません。小泉氏よりも早く、何年も前からそう思っていて、室戸市において指摘してきた。

 「市民生活がどんどん苦しくなっている時代にあって、なぜバンザーイと叫び喜ぶんですか?」と。

 だから、「政治の場で行われるおかしなことに疑問を抱き、素直な気持ちで疑問を呈する」、その点は私と小泉氏とは同じ信条だということです。

 依って、私は平成28年12月議会で小松市長に対し、「万歳三唱を止めて、三本締めにしませんか?」と提案した。

 でも、今までやってきた習慣を止めたくないのか、なぜ万歳三唱をやっているのかの意味が解らないためか、平成29年の仕事始めでも万歳三唱を行い、今年1月4日に室戸市役所で行われた仕事始めでも万歳三唱を行った。

 1月6日に室戸市防災公園で行われた消防の出初式でも、最後に万歳三唱があり、これは室戸市内の消防団員の皆さんの無事を祈念しての万歳だということで万歳したが、この消防出初式でも万歳三唱はやめ、三本締めを行うのが適正だといえる。

 数日前に続いて、その三本締めの基本形をお示ししておきたい。

 三本締めの基本形から。外国人向けの動画です。←(クリック)

 お次は、ある商工会の宴会の最後に行った三本締めの光景です。←(クリック)

 最後に、高知県庁での三本締め。高知県庁の仕事始め式の最後はこのように三本締めをやっています。(※13分あたりです)←(クリック)

 どうですか? 見てくださいましたか? どれほど高知県庁でやっている「三本締め」の方が室戸市でやっている「万歳三唱」よりもずっといいか、皆さんはお分かりになりませんか?

 当然、2019年1月4日に室戸市役所で行われる室戸市の仕事始めにおいても行われるであろう万歳三唱を、私はやりません。ただ黙って、周りで万歳する姿を見ています。

 小泉氏が万歳をしない理由は、「『今までやってきたから』と言って、慣習だからとか、合理的理由がないのにやり続けることはボクは好きじゃない。全部なくせばいいと思う」でした。

 私が万歳をしない理由は、「慣習だからといって続けるのはおかしいし、合理的ではない。もう一つは、室戸市は毎年400人前後の人口が減少していて町の衰退は顕著であり市民生活は年々苦しくなっている。それは政治にかかわっている者たちに責任があるが、その者たちは全くその責任を感じていないようで、何がうれしいのかバンザーイとやっている。新年早々に行っているその行為は市民に見せたくないと思うほど恥ずかしいと感じているから」です。


 多分、多くの市民が仕事始めで万歳をしているその光景を見ていたら、市民の皆さんはこういうでしょうね。

 「あいつら何がうれしくて万歳をやっているんだ。俺たちの生活は年々苦しくなっていて、まちから出て行きたいと思っているのに」。 

 私は「やがてこういう事態になる」と、平成16年から議会新聞や当電子情報誌で以ってずっと警鐘を鳴らしてきましたが、とうとう室戸市は私が言った状態の町になってしまいましたし、その人口減少による影響が更に高じてくることは間違いありません。

 厳しく言うが、市役所の仕事始めに「バンザーイ」とやっている場合ではないのです、室戸市という町は。

 とにかく、この万歳三唱は室戸市に関して本当にうれしく目出度いことがあった時だけ行い、他の式典ではやめたほうが良い。

 しかし、こういう時代にそぐわなくなっていることに対して疑問を呈する人間が、室戸市で私だけしかいないというのも悲しい。

 皆さん、地域社会や政治上の問題点が解らないのか、あまり「そうだ、そうだ!」がない。

 「人材の貧困」、「見識の貧困」、「判断力の貧困」という点において言うと。

 さあ、室戸市は来年1月4日の仕事始め式はどうするんでしょうね。衰退は止まりませんが、このまま「ばんざーい!」と三唱するんでしょうか?

 たぶん、私が指摘して止めてもやめないが、小泉進次郎議員が室戸にやってきて市長や市議会議員諸氏に対し直接言えば、皆さんすぐに万歳三唱はやめてすぐに「三本締め」に変更するでしょうね、彼は私よりも男前で人気者だから。

 つまり、それが良いことか悪いことかよりも、有名人が言うことなら田舎の方々はよく聞き入れ、改めます。


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自治体のコンプライアンス違反は、不治の病か?

2018-12-25 | 組織のあり方
 ゴーン会長の悪事は次々と出てきて、「初めて日産にやってきたときには尊敬もしていたが、実態はこういうことをしてきたのか・・」と、非常に残念に思っています。

 21日のゴーン会長の再逮捕は、2008年秋のリーマン・ショックで抱えた私的な投資損失を日産に付け替えた、「特別背任」。カリスマ経営者としてリストラを断行していた最中(さなか)に私利私欲に走っていた疑いが浮上し、日産関係者からは怒りの声が上がっている。

 昨日の夕方、仕事を終えて帰る日産の社員の一人は朝日新聞記者の取材を受け、次のように話したそうです。21日の記事の最後にはこう記されている。

 《(前略)今回の逮捕容疑は、ゴーン前会長の私的な損失を日産に付け替えたというもの。別の男性社員(61)も「企業のコンプライアンスを指導する立場だったのに」と首をかしげた。》

 私も市議会議員になり室戸市政の監視役として厳しく対応してきましたが、この記事の最後にある社員の言葉の要旨「会長は、自ら企業のコンプライアンスを遵守し、それを社員に指導する立場であるのに、なぜトップ自らが違法行為を行ったのか」であり、十分納得できました。
 

 つまり、こうです。

 日産の社員が「自分が勤める会社のトップが法令も遵守できないなんて・・・」と嘆く気持ちは本当によくわかるし、同感です。

 ですが、見方を変えれば、こうも言えるのではないでしょうか。

 私が市政上の議事を監視し不正を追及してきた室戸市政はどうか、です。

 地方自治体という組織と日産という会社組織との違いは、日産自動車という会社のトップによるコンプライアンス(法令順守)に違反しての違法行為は初めてのことですが、室戸市のコンプライアンス違反はもう何年、何十年と続いてきたことだから、もう市議会議員も市職員ももう慣れっこになっている。

 これが、その違いです。

 日産の社員は「企業のコンプライアンスを指導する立場だったのに・・」と嘆いたそうですが、室戸市政及び室戸市議会に関して言うと、市職員が市長の違法な事業案に対して「自治体のコンプライアンスを指導する立場なのに・・」と嘆くことなど間違いなく、もう何十年と無いでしょうね。

 その理由は、自治体トップ(つまり市長)がコンプライアンス(法令順守)すべき基本を無視し、違法であろうが適法であろうが自分がやりたいようにやってきた結果、市職員は全員が地方公務員法第34条を守ることなくそれを無視し、市長から不正な事業案が提示されてもそれを拒否できず、法令違反に協力して業務を進めてきたからです。

 思うのは、組織のトップが違法なことをしていたら、内部調査を行い、その違法行為を防止する対策を講じるのが、組織の在り方であることは疑いないでしょう。しかし、企業なら今回の日産自動車のようにそれができるが、地方政治においては、自治体の上司である市長等が計画した「悪事」を知った市職員がそのことを内部調査し警察や検察に訴えたなんて話しは聞いたことがありません。

 ま、その役目である「監視・指摘・批判・追及」が市議会の議員の職務責任なんですが、室戸市議会にはそうして役職を懸命に果たそうと取り組んでいる議員はほんの数人しかいない。そんな状況の中、この数人の中にも違法の証拠が固まっていないまま筋違いの論理でトップを落とそうとする者もいて、他の議員が誰もその論理に同調しなかったら腹を立て、嫌がらせを続ける、そんな議員もいます。

 つまり、自治体トップのコンプライアンス違反に関しては、日産社員のように「企業のコンプライアンスを指導する立場だったのに・・」と嘆くだけでは済まず、地方議会には違法な事業案を愛するような判断を行う議員と、「不正だが、まーいいか」と全ての問題点をやり過ごしている議員も多くいて、「自治体のコンプライアンスを指導する立場だったのに・・」でも済まず、勿論、違法な政治に嘆く議員は本当に少なく、地方議会は回っています。

 もちろん、全国の地方議会においてこういう低レベルの議会判断を行うのは、ほんの一握りかもしれませんが・・。

 そこで、「企業のコンプライアンス(法令順守)違反も悪質だが、それよりも質が悪い自治体のコンプライアンス違反」を考えると、コンプライアンス違反でも企業よりも自治体の方が質(たち)が悪いといえるのは、企業内でのコンプライアンス違反は大体がその企業内だけに被害を与えて済むが、自治体が議会とつるんで行うコンプライアンス違反は住民を巻き込んで住民に対して被害を与えているからです。つまり、まち全体が自治体トップと職員、議員の職務責任を放棄した不遜な違法な行為で腐敗し続けることになる。

 まちの政治に関わる人は住民に雇用された“従業員”であり、その組織の“社長”は従業員であることはこれまでも何十回と描いてきましたので、読者の皆さんはよくご存じだと思います。しかし、政治に関わっている人たちはこの「地方政治の原点」が全く理解していません。そう思う理由は、“従業員”の立場の人たちが“従業員”らしく働いていないからです。

 でも、私は「住民に雇われているんだから、住民のために働くことが地方議員として一番大事なことだ」と思い続け、これまで議員として一番大事なことは何かと考えながら取り組み、他の議員がやらない情報公開と地方政治はいかにあるべきかの論説を公開してきました。ですが、全く効果は生まれず、来年4月末にですが、やがて終わりとなります。

 「法令順守」。地方政治にはこれが一番重要なんですが、室戸市においてはこれが一番実現できず、大きな問題だと思っています。

 病気なら、大きな精密検査をしてくれる病院に行って重ねて治療をしていただけば、それなりに効果は生まれ、全快することも多いですが、地方政治のコンプライアンス拒否のような“大病”の場合、どこの病院に連れて行くことも出来ないから治療には専念できず、悪化し続けます。その影響を受けるのは、住民。

 選挙に出てくる者の中にはそれほど「コンプライアンス違反と戦う男」はおらず、残念ながら住民の苦しい生活は続く。

 これはこれまで何度も思ったことですが、議会の議場内に地方政治の法令に詳しい警察官を二人ぐらい常駐させ、市長等執行機関から議会に違法や不正な議案が出て来たら市長を逮捕すること、そしてそういう低レベルの違法な議案に賛成する議員も同じように逮捕する。こうすれば、地方政治も公正な事業ばかり行うようになり、住民も安楽な思いで自分たちの生活ができるようになる。

 だが、警察関係者に地方自治に詳しい人は少ないことからその組織の不正は選挙の時に少しだけ関わっているだけで、自治体や議会が行っている不正業務については遠くで見ているだけ。それに国の政治家にしても、地方政治家たち(首長と市区町村議員)の大半が自分たちの国会議員選挙では選挙運動に協力する“子分”みたいな者たちだから、機嫌を損なうような地方政治に係る“違法撃退法”なる制度はなかなか作りにくく、故に、今現在のように国政は地方政治の悪行を放置したまま動いている。

 依って、日本の地方政治を行っている自治体を公正な組織にするには地方政治に係る“違法撃退法”の制度化を急ぐべきだが、急ぐこともできないし、制度化自体もそのことが自分たち(国会議員)の首を絞めることになるから、知っていて無視し続けている、ということです。

 これが「日本の地方政治が公正にならない理由」の結論で、いわば、自治体のコンプライアンス違反の現状は“不治の病”と言えなくもない。

 この12月23日は天皇陛下のお誕生日です。これまで平成天皇として歩んでこられたことはその度に報道で知り、ほんとうに頭が下がります。私たち国民は天皇陛下の国民に対するお気持ちから学んでいるでしょうか。地方政治に関わっている政治家たちは学んでいるのでしょうか。私はその災害地への視察などのお姿を見て、「あまりご無理をなさらないでください」と思っています。でも、天皇陛下と皇后陛下は休むことなく全国の災害地を回っておられます。

 翻って、「私たち地方議員や地方自治体の首長、そして職員たちは、天候陛下のように純粋な気持ちで政治をしているんだろうか」といつも考えます。選挙で得た権力を使って不正なことをやっていないか、人に恥じない仕事をしているか、と。

 とにもかくにも、政治に関わっている人たちは、見えないところで懸命に世のため人のために働き貢献している人から学ぶ気ごころぐらいは持ちたいものです。


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地方自治の基本である「機関対立主義」を厳守できるか

2018-12-10 | 組織のあり方
 地方行政と地方議会は対立しているのが自然な姿である。反対に慣れ合って利害関係になると、行政と議会は腐敗する。

 行政側は「首長等執行機関」、議会側は「議事機関」という。この二つの機関が並び立ってこそ、理想とする自治体運営が行われていくことになる。この「並び立つ」ことこそが重要なことなのだ。

 この並び立つ二つの組織には住民から別々に選ばれた首長と議員が「二元代表制」を為し、議会は「監視する側」に、行政は「監視される側」の立場にある。

 この二つの代表組織が並び立てば悪弊はない。だが地方議会においては、監視する側とされる側がべったりとくっついて慣れ合う例が非常に多い。これは全国民がよく承知している。とにかく首長と議会がべったりとくっつき、ある時はまるで上司が首長で議員が部下であるかのようになったり、またある時は議員が上司のようになって首長に対し圧力的に口利き・働きかけを行い、まるで首長が部下のようになる時もある。所謂、二つの代表組織が「持ちつ持たれつ」の関係になって自治体をあらぬ方向に動かしてゆくのである。

 議会において、違法な議案であろうが、杜撰な計画書であろうが、無駄な支援となるのが歴然としている投資であろうが、全て賛成多数で可決してしまうようになり、何でもかんでも首長与党が議会を牛耳り首長とべったりの関係になれば、被害を受けるのは住民である。首長と議会とが「持ちつ持たれつ」の関係になって自治体をあらぬ方向に動かしてゆく。

 選挙で選んでくれた住民をそっちのけにして、政治を行っている。

 これは、明らかに「幼稚な地方政治」であり、「知恵足らずの地方政治」だ。

 選挙の時には「住民の皆様の代表となって働きますので、ぜひ私に一票を!」と叫んでいたのに、当選して首長になったり議員になった途端、「住民のことはそっちのけにして」、すべて住民のお金である予算を住民が被害を受けるような形であっても「住民にはワカリャしない」と投資してしまい、浪費している。

 真面目に議員をしていたら、地方議会に絶望するときが何と多いことか。

 二元代表制の地方自治は、首長が率いる「首長等執行機関」と議会議員が運営する「議事機関」が並び立つ、「機関対立主義」が基本原理であることはゆるぎない。

 行政と議会、この二つの機関は並び立ってこそ、理想とする自治体運営が行われていく。この「並び立つ」ことこそが重要なのである。いつまでたっても古い大昔の、そう、戦後の地方議会そのままの並び立つ気がない議会と行政であり続けるならば、住民はいつまでも地方行政と地方議会によって被害を受け続けることになる。

 「監視する側」の議会と「監視される側」の行政が仲良くなってしまい、「二元代表制」ではなくて、首長を親分に議員を子分にした「一元代表制」を組織したようになると、もうそのまちは捨てたようなものである。これまでの室戸市政と市議会は疑いなく、「一元代表制」で市政運営は続いてきました。有権者3300人が投票した新市長になってもこれまでと同じように「機関対立主義に基づいて機能すべき監視機関である市議会」は機能せず、同じように悪政は進行してゆくと私が断言しておきます。

 地方政治に関わる首長と議員が忘れてはならないのは、二元代表制の地方自治においては、行政と議会とが対立関係にある「機関対立主義」が基本原理であること。
 そして地方議員にとって重要なのは、この二つの機関は付かず離れず並び立つものだとの基本精神を学び、それを基にしていくつもある議員としての職務と責任を忠実に遂行してゆくことだ。
 決して、二つの組織が徒党を組んだ「一元代表制」で地方政治を進めてはならない。


 会津藩の「什の掟」にあるように、「ならぬことはならぬものです」。「やってはならないことは、やってはならない」ということだ。

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 さて、室戸市議会はこの14日(金)に開会し、それ以降の予定はまだ決定していませんが、およそ次のような日程になると思っています。

 12月14日(金)開会、
 12月17日(月)一般質問
 12月18日(火)大綱質疑(もし、一般質問をする議員が5名以上になればこの日も一般質問で、一日予定がずれます)
 12月19日(水)常任委員会(総務文教委員会と産業厚生委員会に分かれて議案審議が行われます)
 12月27日(木)閉会。

 尚、私は小松市政が不正を認めず、監視している私が「違法な事業は改善すべき」と強く求めても改めることなく悪政を続けてきたことを重視し、今年の3月議会から一般質問を行うことは止めました。なぜかと言うと、いくら指摘し改めるべきだと一般質問で強く求めても一切改めなかったから。つまり、無駄だからです。

 そして、市長選では公正な基本精神を持つと考える萩野候補を応援し、当選すれば一般質問でこれまで事業化されなかった事業案を再度提唱しようと考えていましたが、当選したのは、私に著作権がある地域雑誌の文中にある造語をパクリ、謝罪すらなかった候補。そういう、他人の物を勝手に盗み取るような者は全く信用ならず、況してやまちのトップになどすべきではありませんでした。

 依って、公正・公平な政治に期待する市民の皆さんには申し訳ありませんが、12月議会に予定していた事業案提言の質問は止めました。

 他の議員諸氏はどうか知りませんが、私は不正な政治を平気で行うような低俗な政治屋は大嫌いで、どう考えても許し難いと考えています。依って、私は「どう考えても11月の室戸市長選が【不正な政治がこれからも続くか、公正な政治に改まるか】の分岐点だ」と選挙前から思っていました。

 でしたが、このように室戸市の有権者の皆さんがその判断を誤った時点で、「室戸市の不正な政治運営にストップはかからず、これからも続く」のは明々白々です。市民の皆さんはもう逃げようがありません。市民全員が被害を受け続けるでしょう、少なくてもこれから4年間は。

 当然、室戸市というまちをよくするために勇気を持って働いてきて「皆さんが被害を受けますから、こうしてはダメですよ。こうしなきゃ困りますよ」と広く情報公開しお教えしてきた私に、その結果責任は全くありません。

 しかし、どう考えても残念です。それは「支持してきた候補が当選しなかったから」と言うよりも、「なぜ市民は、自分たちがこれまで以上に被害を受けることになる候補を当選させてしまったのか」の疑問ばかりが脳裏を走ります。これまで「市民のために」と考え他の議員よりも働いてきた私だからこそ、選挙後の市民が受けるだろう被害を案じています。

 重要なのは、これからの市議会議員諸氏の対応。上に書いてきたように、市政と市議会が地方議会の基本形である「二元代表制」で運営されるか、それとも小松市政の時と同じように情けない組織状況である「一元代表制」で運営されるか、です。間違いなく、室戸市議会はすぐに市長にくっつく議員ばかりですので、これからもこれまで通りの「一元代表制」でしょう。

 室戸市民の皆さん、ここ数年前からは私の当電子情報誌『青空エクスプレス』と議会報『青空新聞』の配布によって、小松市長が行ってきた室戸市政が違法や不正や無駄な公共工事の蔓延や公約違反などのことは広く知られてきて、市民の小松市長に対する批判は大きく広がっていました。ですが、これからすぐに植田新市長と市議会が繋がり、またもや「一元代表制」で市政が動くことになり、一年もすれば、これまでの県議時代に企業や団体とのつながりが大好きだった植田市長が計画する事業に対する市民の批判の声は高まって来ます。

 こういう状況になるのは選挙前から明白でしたが、もう後戻りはできません。それは少なくても4年間は続きます。そして今現在もそうですが、市長に大半の議員が引っ付いた「議会機能がマヒした一元代表制」の市議会に、来年4月にはもう私はいません。議員職引退は妻への恩返しの意味もあるし、室戸市政と市議会が“組織機能不全”となっているのにいくら言っても深く考えないのと能力不足のためもあって、見放したということです。

 あとは、「市政監視役」である市議会にいる議員を信じず、室戸市民の皆さんが市政と市議会を監視する団体でも作り、努力することでしょうね。そうして新聞を発行し、市政と市議会の体質の悪さを広めること。

 市役所や市議会に勤める市長や職員や議員の“雇用主”であり“社長”であるのは市民ですし、雇われた側の市長や職員や議員は“従業員”です。又、親(市民)が子供(市長・市職員・議員)を見ていて何かあれば教えてやるかのように、(それほど手がかかるのも厄介なことですが)しっかりしない子どもに対し「なにやってるの」と教え諭すのも親の務め。

 丁度、今はやりのテレビ番組「チコちゃんに叱られる」じゃないですが、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と、市民が市政に関わっている人たちを叱り飛ばすぐらいの勇気や考えがないと自分が住んでいるまちはいつまでたっても改善されず、悪化し続けます。

 ・・・ということです。更に言うと、「だから、市民は市役所や市議会に頼るだけじゃなく、『自分たちは室戸市の“社長”である』と考え、悪いことをしたり怠けている“従業員”を叱り飛ばすぐらいの勇気は必要だ」ということです。


 さて、長くなりましたが、それも「自分が市政や市議会についての在り方をこうして言えるのもあと12月、1月、2月、3月で大方の仕事が終わりとなり、4月は私と関係がない市議選だから、引退後の生活や将来設計について愛する妻と二人で深く考える予定。

 私の方は父が戦前の昭和18年に開業した銘木製材所で21年11月と大震災の一か月前に生まれ、妻の方は戦後すぐに父が開業した製パン所で昭和24年3月に生まれと、古くからの商売人の子で、二人ともが子どもの時から兄弟の中から選ばれたようにその仕事を手伝いながら育てられと、よく似た境遇の夫婦。だから、二人とも商売の在り方には厳しい考えを持っている上、少々の辛さに屈せずお互いに頑張り続け今に至っていますので、これからもくたばらず、仲良く生きてゆきたいと思っています。


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「反市長派議員」なんてあるの?

2018-12-02 | 組織のあり方
(これは10年前の平成20年12月に書いた記事ですが、地方議員の皆さんへ参考のために掲載します)
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 今日、議会の昼休みにある議員から聞いた話です。

 「○○議員から、『あんたは反市長派だから』なんて言われて、私は『違いますよ』と言った」とか。

 「反」や「親」なんて立場があること自体、可笑しな話。議員はその時その時で、行政側の行政運営に不適正や不正などがあれば指摘し、改善する立場にあって、それ以外は行政を支援し、協力する考えは誰も持っている。

 例え、議員の質問にすぐ腹を立てている市長が行う政策であっても、行うべき大事な政策ならば応援するし、支援もしよう。なら、その時は「親市長派」で、「でたらめな改善計画を出してきたバーデハウスに、赤字補填をしてはいけない」と厳しく指摘した時は「反市長派」になるのか。そんなの、おかしいよね。その行動は、ただ市民になり代わって正義を貫いているだけなのに。

 議員をそんな低レベルの観察眼で見て、陰で批判しているとは。あきれます。多分、私も議案に反対する時があるから「反」なんでしょうね。なら、一つでも議案に反対する議員は、みんな「反」かもしれない。

 そもそも、このように「反」や「親」と言う議員は、二元代表制の基本的知識を知らないのです。議事機関と市長等執行機関とは寄り沿ってはならず、並び立ってこそであることを。

 議会は、憲法第93条で「議事機関」として定められた地方公共団体の意思決定機関。このことから、首長の独断専行を許さない建前になっている。それは同時に、議会の地位の重要性を示すもので、住民の立場に立って判断しなければならないかを教えています。

 議会の使命は、執行機関の行財政の運営や事務処理ないし事業の実施が、全て適法・適正に、しかも公平・効率的に、そして民主的に為されているかどうかを批判し、監視すること。これらはあくまでも、住民の立場に立って為される批判と監視であるべきですが。

 つまり、議事機関(議会)と執行機関(行政)は寄り沿ってはいけないことになっています。それは、行政の運営を客観的に観察するため。

 もっと噛み砕いていうと、世に言うではないか、議会と執行機関とは「是は是、非は非」で対応すべきと。行政が不適正なことをしていたらそれに対して議員が強く求めるのは当たり前のこと。それこそが市民の負託に応えることだからです。

 それを何も問題にせず、事なかれですんなりと議案を通している方が不適正であるのは市民がよく知っている。室戸市民はそんなにバカではない。悪いことと良いことの区別は、行政に関わっている人よりも、むしろ市民の方が正しく判断する。

 「巷の声を聴け!」

 更に、いう。親が子に厳しく教育するのは、我が子が可愛いから、将来、立派な人になって欲しいからであるのは皆さんご承知の通りです。一方、他人の子供には、その子が悪戯をしていても、皆さんは厳しく教えないし、放っておくのではないか。情が通わないから。これと同じだ。

 私たち改革を目指す議員が市長に厳しく指摘するのは、むしろ市長に立派な首長になってほしいの「親心」と言えないか。いわゆる、これが本当の「親市長派」。反対に、市長が不適正であっても何も言わないの人は、市長の正しい成長を望んでいないことを考えると、むしろこの人たちの方が「反市長派」だろ。そうじゃないかえ、皆の衆。

 結論として。議員を、悪意を以って、むやみに「反」だとか「親」だとか言って色分けするのはやめましょう。

 これらのことを考えますと、やはり室戸市議会に議会改革は必要だと痛感する。

 以上、室戸市議会の議会改革を進める「鷹山会」による“大岡裁き”でした。


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「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」

2018-11-22 | 組織のあり方
 21日だったかに突然、ニュースで報じられたのが、「日産自動車やフランスのルノー社の会長をしてきたカルロス・ゴーン会長を、不正行為で逮捕」。

 この不正についてどのニュースでも語られるのが、この言葉でした。
 
 「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」
 
(Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.)    

 この言葉は、ジョン・アクトン卿(イギリスの歴史家・思想家・政治家)の有名な格言で、1887年4月5日のマンデル・クレイトンへの手紙の中に書かれたものだそうですが、それはともかくとして、上の言葉に私は思わずうなずいちゃいました。


 「ゴーン会長を逮捕」の話と比べるとちっちゃな話になりますが、室戸市政はこれまで不正続きのままで、12月に入ると新しい市長になります。

 これまで室戸市政に係る権力は小松市長と特定の建設業者と特定の議員が握っていましたが、市政はその腐敗続きのまま、今度もまた企業や団体と手をつなぐクセを持った政治家が権力を握ることとなります。その室戸市政が腐敗するかしないかは大体、私にはわかっている。

 なぜそれが解るかと言うと、

 ●これまで新市長になる政治家が、市内でどう生きてきたのか動いたのか、

 ●植田県議はわれわれ室戸市の政治に関わってきた市長や議員、そして市民に対して、どう接し、どう対応してきたかどうか、

 ●植田県議のその行動は、公正・公平・適性だったのか、それとも不正・不公平・不適正だったのか、

 (※室戸市の光ファイバー事業の指定管理者公募事業で植田県議が小松市長に「この企業を指定管理者に選んでほしい」と動いたことは、市役所三階で行われたその公募会場を出たところで指定管理者に応募した会社の吉本社長から「植田県議から市長に頼んでもらいました」と直接聞いて深い関係にあることを初めて知ったが、これが政治家として公正な行動だったのか、それとも不正な行動か。その時、室戸市議会議員は誰も市長に対して不正な要請はしていないことを書き添えておく)

 ●植田県議のわれわれ室戸市議会議員や市長に対する発言は、適正だったのか傲慢だったか、

 ●植田県議の態度が大きくて偉そうなことは、あったか無かったか、

 ●植田県議本人が悪かった時、その対象となる市民や市職員や市会議員や市長に対して直接、「どうもすみませんでした」と謝ったことがあるかないか、
 (※私に謝罪しなかったことは19日の記事で公表しています)

 ●植田県議は能力の高い人を恨みその人の悪口を他の人に言い広めたことがないかあるか、(※このことも19日の記事で公表した) 

 ●植田県議は自分が所属する自民党高知県連から唯一、追放されたが、橋本大二郎高知県知事の支援議員3名の内の2名(安芸地区選任の県議と中芸地区選任の県議)が自民党県連に返り咲いたことを考えると、室戸市・東洋町地区選任の県議だった植田議員だけがなぜ自民党県連に返り咲けなかったのか、県議として信頼されていなかったのか、等々。

 まだまだ数え切れない質問事項があるが、めんどくさいのでこのくらいでやめましょう。

 
 そこで話は最初に戻るが、カルロス・ゴーンさんについては、最初、日本にやってきたときは、「いい組織トップを呼んできたなあ」とは思ってみていたし、大いに期待していたもんです。それが急に、「カルロス・ゴーン会長、事情聴取」と出て、すぐに「逮捕」と出たので、驚きましたねえ。

 あんな大きな会社のトップが悪事を働くんだから、ちっちゃな室戸市という僅か1年で140億円の予算の自治体のトップに元市職員(小松市長)や元県議(植田新市長)が就任しても、その権力を利用して行動するのは至極当たり前のことだと思います。

 私だったら、目の前にいくらお金を積まれたとしても、貰わない。平成18年11月27日に初当選した小松市長が夫婦で選挙運動への謝礼だとしてお金を配ってきた(公職選挙法の事後供与罪)。私は金に欲のないのが唯一の欠点で、「そんなお金はいらん。お金があるんやったら二人おる娘さんに何か買うちゃりや」と言って持ち帰らせた。室戸市の政治がらみでそうやって対応できる人なんかいないでしょうね。封筒に入れて持ってきたら全員がもらっているでしょう。小松候補を応援した議員の中に植田県議もいたが、彼は小松候補からその金を貰ったんだろうか。

 ま、それはともかくとして、これからの植田新市長が、利権で繋がり裏から建設業者や団体から裏金をもらう、なんてこともなく、年収900万円だけで市長の仕事ができるんでしょうか。私は、それについては非常に疑い深く考えていますし、室戸市民の皆さんも新市長に関しては陰でこそこそやっている場面をあろうと思いますので、強く観察していただきたい。そして何かあったら、(その時に私は議会にいませんので)市議会の自民党所属の議員に一報を入れていただきたい。

 なぜ、こうまで考えているかと言うと、巨大企業のトップでさえ、100億円の収入があるのに50億円しかないかのように税申告をしているから。年間900万円ちょっとの室戸市長の給与なら、「給料が少ないなあ」と思うこともあろうし(無私無欲なわたくしめは年収400万円ちょっとで大満足していますが・・)、「どこかの企業は何か裏金をくれないかなあ」と考えることもあり、ちょっとしたことで臨時収入が入れば、もう逃げられない。

 一度裏金をもらって二度目で逃げようもんなら、「おい、市長、この間300万円ほど渡してやったのに、今回は不正なことをしないというのか。じゃあ、この間の300万円の話を世間にばらすぞ」と脅され、二期やれば8年間、3期やれば12年間、どこかの市長のように利権にあふれる行政運営をやり続けることとなります。「いつばれるか、いつばれるか」と恐れながらも、市民のために市の財政を使わず、特定の企業のために投資し続けることとなる。

 カルロス・ゴーンさんは何十億円稼いだんだろうか?

 どこかのまちのあの市長は特定の建設業者とつながっていたという話を聞くが、、何億円稼いだんだろうか?

 その稼ぎの中から、子どもにもお金をあげたんだろうか?

 私は23年4月の市議選で「谷口は小松市長の違法を追及する議員やきん、投票したらいかんぞ」という落選運動で被害を受け、見事落選。4年間の報酬1800万円を元市職員と教員の夫婦を主犯とする一味に奪い取られてしまいましたが、その公務員夫婦はその1800万円をいつ私に返還してくれるんだろうか?

 小松市長の3期の稼ぎの中からもらってきて、私に払ってくれるんだろうか。

 議員職を終えることを考えていると、「私は市民のためを考えて議員として一生懸命に働いてきた」、「でも、泥棒である元公務員夫婦からはまだ賠償金が届いていない」なんてことを考えるんですね。ちょっと品がありませんが、悪人をそのまま許すなんてことも無念ですのでね、ハイ。

 しかし、公務員を40年もやってきて、法令順守(コンプライアンス)の精神も知らないなんて、本当にアホな夫婦ですねえ。

 室戸市にはこういう真面目に働いていた議員に対して落選運動を行った元公務員の夫婦がいるし、違法なことを平気でやってきた市長もいたし、その市長が出してきた違法な議案に賛成して通してしまう議員も半分以上、います。

 こういう室戸市の悪しき政治体質をこれまで16年近く見てきて、「余程、健全な政治を強く望んでいる政治家でも出てこない限り、室戸市は今の状態を改善することはできない」と思っています。

 今回の市長選の結果も踏まえていうと、
「室戸市は回復不能な病気にかかっており、もうダメで、助かりません」。

 そう思ったから、「これからは自分のためよりも、妻の将来のためを思って尽くしていこう」と決意しました。。

 自分が今年のように大病をしたとしても、「室戸市の政治が健全な政治だったら、もう1期やりたい」と思うんですが、見ていてわかります。室戸市の政治体質や市議会の体質は高知県内で一番悪いと断言します。依って、室戸市は絶対に良くならない。それを改善するには「萩野候補」を市長にするしかなかった。そう思って懸命に有権者の皆さんに訴えてきましたが、あえなく敗北。

 今後の室戸市政や市議会の状況については、ケセラセラ、なるようになるさ、です。

 でも絶対によくなることはありません。その理由は、室戸市の有権者が候補の名前を間違って書いたからです。


 もう一度言いましょう。「これからの室戸市政悪化の原因は、選挙の時に有権者が投票する候補の名前を書き間違ったから」。

 組織の在り方は、企業なら社員だけでなく株主もしっかりとその会社を監視しなければならないし、自治体ならその“社長”である住民が雇用した“従業員”である市長、市職員、議員を監視する必要がある。株主や住民がその会社や自治体・議会の監視を怠れば、会社経営も自治体運営もいきどまってしまうのは必然であろう。

 ・ということから、室戸市という自治体の権力を握った植田新市長と市議会とを監視すべき立場の室戸市民の在り方こそが、これから問われるといえるでしょう。

 であるが、室戸市の欠点として、選挙が終われば市政の動向にも市議会の動きにも全く関心がなくなるのが、室戸市民。これから出てくるのは、「植田市長はこういう事業をやるっていうが、あんなことは許せんぜねえ」等々の批判。植田候補に投票した有権者でもそう言うだけで、次の市長選まで関心も薄い。だったら、次の選挙で落とすかと言うと、市長選の5か月前、2か月前になると、「植田市長はいかん」と言って批判していた有権者がまたもや植田候補に投票する。これが室戸市民の欠点。だらしなさ。信念がない。

 でも、「谷口議員は小松市長の違法な事業案を厳しく批判して反対したきん、あいつには投票するな」の悪人一味の声に市民は瞬時に反応して、私は328票で落選した。違法行為を行った市長が正しく、議会でその違法行為を批判した議員が悪いと思われ、落とされてしまったのです。全国の皆さん、驚きませんか? 全国でも非常に珍しい事例ではないでしょうか。

 今回の室戸市長選に対する判断結果も含め、それほど「室戸市民の、候補に対する観察眼」は歪んでいます。
 
 ジョン・アクトン卿は、「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」と断言した。

 室戸市も今回の市長選で選び間違ったがために、室戸市民が日産自動車のような苦しい目に遭わなきゃいいが・・・。

 
 公正で公平な政治を望んで懸命に働いてきた議員から市民の皆さんに室戸市の将来展望をお教えします。

 小松市長によって12年間、市民を軽く見た質の悪い市政運営が行われてきましたが、それに続いて又、これまで公正な行いをしてこなかった植田新市長によって更に質が悪い市政運営が続き、間違いなく近々、室戸市の財政は【破産】します。

 何度でもお教えしますが、室戸市の政治はもう改善しません。
 

電子情報誌「青空エクスプレス」のアクセス数は、11月22日のGooブログランキング(2847632ブログ)中、1181位でした。
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地方議会の役割(1)

2018-10-20 | 組織のあり方
 今日と明日は、小生が議員を退職した後に出版する予定の「地方議会(仮題)」の本の記事として書き貯めている中から、一つ二つ、紹介させていただきます。

1、行政のチェック

 地方議会の役割とは何か?

 地方自治体は市長等執行機関と議事機関の二元代表制(機関対立型)であり、議会の役割は執行機関を公正に眺めて点検し、一般質問で姿勢を正し、市民の声を政策に反映させる。自ら提案もし、場合によっては厳正に批判し、執行部に厳しい判断を下す。執行機関の行財政の運営や事務処理及び事業の実施が、全て適法・適正に、しかも、公平・効率的に、そして民主的に為されているかどうかを批判し監視する役割が課せられている。これは、非難でも批評でもなく、あくまでも住民全体の立場に立ってなされる監視、批判、牽制であるべきである。

 それも、議員は、常に執行機関とは一歩離れていなければならない。つまり“傍目八目”で市政を見ることが必要で、密着すれば有害である。でも、逆に執行部より離れすぎては、適切な行政執行の正しい検証は出来ないし、非難や批評は出来ても、議会の使命である正しい批判と監視はできず、議会の役割、議員の役割を果たすことは出来ない。

 ※「非難」とは、欠点や過失を責めとがめること。「批評」とは、物事の善悪・長短・優劣を論じて価値を定めること。

「批判」とは、物事のよしあしを批評し、その価値や正当性などを判定すること。議員が行う監視、批判、牽制の仕事も大変な仕事で、徹底するには時間と調査力、そして優れた感性と過去に培った取材経験が必要である。その能力を発揮して議員としてのチェック機能を果たす最大の場面は、本会議における一般質問ですが、一部、形骸化(中身のない、形ばかりのものにすること)していることも否定できない。「議会」と呼ぶからには「議論をする会議」であるべきです。市民を代表して市長等執行部に質問して、市の政策のあるべき姿を討論することが議員の重要な役割の一つである。

 ところが現実には、質問や質疑などの発言を、一議会だけではなくて、任期中の四年間に一切しない議員も存在する。また4年間に2~3回、質問で登壇したとしても、事前にデータ・情報を収集した上での構築したものがない、単に議会直前に急いで作ったお茶を濁す程度のものもあり、不勉強がありありと判る質問が見られる。私はこれを「付け焼刃の質問」と呼んでいる。

 議員なら、なぜもっと真剣に仕事が出来ないのか。「おい、頼んだぞ。しっかりやってくれよ」と投票した市民に失礼ではないか。議員が、行政のチェック機能を果たせないでいる。このことから言えば、行政のチェックを行う前に、まず議会をチェックし、議会改革を行うことが重要だとわかる。

 又、せっかく不正の事実を暴きだして追求しても、与党だけでなく野党も含めた大半の議員が市民派議員には手柄を立てられたくないからと、賛同しない。それに、住民もそうだが、行政内で不正があってそれを追求し、明らかにしても、人を批判することを悪いことのように見てしまう向きがある。

 このように、議会には厳しくチェックをすると他の議員から批判を浴びるという、「こんな議会をチェック機関と言えるのか」と思うことが多い。加えて、選挙演説で前市長と市職員の不正を広報すると、住民の中には「人の悪口はいかん」と言い、その正義を貫く議員の悪口を広める。どうしたらいいのかわからなくなる時がある。

 私は市民のためを思って厳しく行政を監視し厳しく批判して改善を求めているが、それは悪質なことなのか。それとも、正義の使者が行っていると同じ正しいことなのか。「ねえ、どっちぜ? 教えてや」。

2、条例の制定

 もう一つは、市長の行う施策に法的根拠を与える「条例の制定」。今まで地方の議会では、自治体の意思決定や方針を決定する「議事機関」と位置づけられ、議決することに重点が置かれてきた所為か、議員提出条例案の提出はほとんど無い。

 前に、こんな事があった。大変面白い考え方をする議員さんたちで、地方議会とはこういうところだと覚えておいてください。

 室戸市議会において、私は17年3月本議会に「不法投棄防止条例」(案)を議員提案条例として提出した。その発端は、17年1月に県道室戸公園線(通称、室戸スカイライン)の周辺に約100トンにも及ぶゴミが不法投棄されているのを散歩をしていた市民が発見。連絡を受けて急きょ、現地に行って取材しました。

 それを見て、モラルにかけている市民は法律で規制しないとこれを防止することは出来ないと考えましたが、議員になってまだ2年足らずの新人議員。慣れない調査・条文構成の仕事でした。インターネットで収集した先進地の条例を基に条文を作成して、思い切って「室戸市不法投棄防止条例」の提出に踏み切った。

 3月議会の議案提出時には、控え室にいた議員全員が「うん、この条例は必要だ」と納得し署名したのを確認した上で、条例案を提出した。この点を覚えておいてくださいね、「全員がこの条例に賛同した」のです。やがて、その条例案は議会閉会日に委員会付託となります。私もこれは承知の上でした。

 しかし、議会後の4月、5月に開かれたわずか二回しか開かれなかった文教厚生委員会は、国の廃棄物処理法違反事件であるその不法投棄の現場に視察に一度も行かず、条例の内容について慎重審議も行わずに、「こんなもん、いらんのぉ」と結論付け、採決では議会前に条例案に賛成署名をした委員(鈴木彬夫委員長、立石大輔副委員長、藤岡征三、山田勝利、堺喜久美、田口数敏の六名)全員が反対して否決します。自分たちが賛同署名した決議案に委員会では全員が反対してしまったのです。

 そして、翌月の6月本議会に戻されたその条例案は、賛成署名をした議員(議長を除く17名)の中で条例案提出者である私と澤山議員の賛成2名、文教厚生委員6名を含む反対15名で否決されてしまいます。開いた口がふさがりませんでした。

賛成しておいて反対したのはなぜか、よくわかっています。ジェラシー(嫉妬)以外の何物でもなかった。これが地方議会なんです。不健全ここに極まれりの感あり、です。

 その後、議会不信に更に輪をかけるような可笑しな出来事がありました。皆さんも後世に語り継いでいってほしい。

 この条例案など全部の議案の採決が終わり閉会しました。執行部も議員も「さあ、議会もやっと終わった」と、皆さん、不法投棄防止条例になんか関心がないと見えて、何の感慨もなく議場から出てゆきます。

 当方が議員のあり方、能力、誠意、活力の無さなど、仕事をしない議員に対する腹立たしさや不満が膨れ上がって、「いったいこの議員らは何を考えているんだ。それでも市民から負託を受けた市会議員か」と考えていたら、四期目と三期目の二人の先輩議員が私の議席の前に来て、こう声を掛けてきた。少し慰めの気持もあったんだろうが、耳を疑うような話だった。

 「谷口くんよぉ。あの条例は、執行部から提出してもらわんきん。それやったら、わしらも賛成するに」。

 「そんなに市長に頼んでまで制度化しないといけない室戸市に必要な条例だと思っているなら、なぜ採決の時に賛成せにゃあ」と思った。ここに二期目以上の議員の新人議員に対する思惑がこもっていた。

 「新人議員が出した条例案に賛成して可決でもしたら、俺たち何期も議員をやっている議員の名折れになる。市民から、『新人議員があんなに頑張って仕事をしているのに、何期も議員をやってきたお前らは何をしているんだ』と批判を浴びるのは目に見えている。だから、みんなで反対しよう。しかし、室戸市にあの不法投棄防止条例は必要だ。だから、谷口に言って、執行部から出すように言おう」と考えている事が全て見え見え。私に同調してみんなで賛成し条例が可決すれば、県下初の不法投棄防止条例になり、市議会全体、議員全員の値打ちも上がるのに、それも理解できないことが実に情けないと思いました。

 そこで私は言ってやった。「いや、条文を少し手直ししてから、次の9月議会にまた提出するからいいです」。議場を後にしながら、考えた。「議員がそんなんやきん、いつまでたっても室戸の町が良くならな。室戸のことよりも自分のことしか考えてないお前らに、負けてたまるか!」。

 市長と市職員自らが不正を実行する行政体質の悪さ。その不正を知りながら事なかれで許し、正義感の強い新人議員の先進的な政策はつぶしにかかる議会体質のこの悪質さ。このとき、議会改革の必要性を痛感した。「出すぎた杭は打たれない!」といきり立った。

 どこの議会でも、昔からやって来た習慣を疑問に感じることも無く、ただそのまま踏襲して続けている。

 それは、①質問通告制、②質問する議員と答弁する市長等執行機関が対面ではない、③一括質問・一括答弁方式、④重複質問、そして、⑤市民への議会情報の広報などであるが、これらを初めとして多くの事項について早急に検証と対策が必要だと思っている。
 
 議会の役割には、「行政チェック」と「条例の制定」の二つの大きな役割が求められているが、この時から、私にはもう一つ、この「議会改革」という役割が加わった。これは、いわば他の人の性格を変えようとする前に、まず自分の性格を変えることが先決問題だということと同じ。その点からいえば、実に恥ずかしいことです。恥ずかしいが、でも、どうしても先にやらないといけない。

 じゃなきゃ、市長や執行部の課長から、「あてらをチェックすることより先に議会やろ。議員はどうぜ。報酬分、ちゃんと仕事をしようかよ」と責められ、二の句が継げなくなってしまう。

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地方自治法第244条「公の施設」に違反する施設が現存します

2018-10-20 | 組織のあり方
 今日は、これまで行ってきた室戸市の室戸岬高速バスターミナルの建設に関する違法問題をおさらいの意味もあって、地方自治法第244条「公の施設」についてまとめてみたい。全国でこの「公の施設」についてお悩みの地方議員の皆さんの参考になればうれしく思います。

 まず、地方自治法第244条です。

第10章 公の施設(公の施設)

第244条 普通地方公共団体は、住民の福祉を増進する目的をもつてその利用に供するための施設(これを公の施設という。)を設けるものとする。
2 普通地方公共団体は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない。
3 普通地方公共団体は、住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取扱いをしてはならない。


(注)この「公の施設」には、公共性と公益性を必ず担保しなければならない。公共性と公益性のない公のために建設された施設は「公の施設」とは言わない。その定義を次に示す。

≪「公の施設」の定義≫

 「公の施設」とは、住民の利用に供される施設でなくてはならない。よって、公の目的のために設置された施設であっても、住民の利用に供することを目的としない、公共性も公益性もない部分を含んだ施設は、「公の施設」の概念には含まない。時に地方行政において、地方公共団体によって公の目的のために設置された施設はすべて「公の施設」になると思い違いをしている例も見られるが、それは全くの誤りで、その施設は地方自治法違反となる。


 そこで我が高知県室戸市が行った地方自治法「公の施設」に関する違法事件を紹介する。この件については何も細かく書く必要がなく、当該施設の写真と建物の見取り図を見ていただけば良く理解していただけるものと考えます。では、ご覧ください。

  
   写真建物の左半分が徳島バス(株)の乗務員宿泊所で、右側がバス待合所です。
  
     
 見ての通り、左側半分には公共性も公益性は、皆無です。また、県や自治体の公的な財源の中から特定企業の社員宿舎を立てることの良し悪しも、皆さまがよくお分かりだと思います。

 これに関し、県は補助金764.1万円と貸付金(15年償還)680万円の、合計1444.1万円を室戸市に支援、室戸市はこの施設を建設した。補助申請書に添付された施設設計図を見て室戸市の違法を十分認識しながら、施設位置づけの改善指示も行わないまま財政支援した、県の責任も重い。

 私はこれを「違法」と判断して、施設が完成前の20年11月の臨時会からこれまで5議会で追及し続けている。この22年3月議会では「このように改善すれば適法な形になります」と、「批判するなら、代案を出せ」と叫んだ田中角栄ではないが、百歩も二百歩も譲って改善案まで提示した。しかし、市長は「谷口議員からいくつか提案がありましたが、私は適法だと考えますので、このまま運営を続けてゆきます」と改善策を拒絶した。

 そして8月31日、県市町村振興課からこの件に関する回答書が送られてきた。4月26日に室戸市のこの施設が地方自治法に違反していると指摘してから、すでに4カ月も経過していた。文書を受け取った私は、これ程結論が出なかった理由として、私をどんな理由づけでごまかそうかと思案したものだろうと解釈した。

 その回答書が、これ。

        


 この回答書は「答え」としている三行が、すべて。

●「休憩室を含めて」と書いてあるが、県に対し「あれは本当に休憩室か」と問いたい。

 乗務員は大阪から午後9時か10時に室戸岬港にあるこの宿泊所に帰ってきて、その部屋で夕食をとり、お風呂に入って、布団を敷いて寝る。朝は午前6時前に起きて、6時過ぎにバスは出発している。そしてあの宿泊室の鍵は、バスが出発するときに乗務員が掛けて出ていく。これを「休憩室」といえるのか。そうではなくて、これはれっきとした「特定企業の社員宿舎」だ。ウソをついてはいけない。こんなまじめに仕事をしている地方議員を小手先で騙そうと思っても、そうはいきません。この企業宿泊所を住民はまったく利用することができず、公共性と公益性は皆無です。これが一点。

●バスを待つ人の事情…朝6時に出発するバスに乗ろうとする数名は、その時間に合わせこの場所にやってくるために待合所はさほど必要だと考えていない。

●徳島バス株式会社の事情…徳島バスがどうしても必要だったのは、バス待合所ではなくて、乗務員宿泊所だった。待合所は小さくてよかった。

●室戸市の事情…だが、待合所を建設しなかったり小さくして徳島バス乗務員の宿泊所を大きくして建設するとなれば議会は許さないだろう、と市長は考えた。だから待合所は施設の30%で宿泊所は70%ぐらいを占める施設でもよかったが、それでは厳格な私から「待合所建設が目的ではなくて、本当は企業社員の宿泊所建設が目的だったのではないのか」と“お叱り”を受けると考え、施設の半分を待合所にしてあとの半分を企業社員の宿舎という設計計画を決定したのである。これで、議会をごまかせると考えたということだ。

 よって、この事件は、高知県が何んと言い逃れじみた回答を寄こそうとも、地方公共団体の「裁量権の逸脱及び濫用」に当たり、地方自治法第244条違反と断定する。勿論、ほかにも多くの条項に違反していて、それは9月議会の一般質問ですべて明らかにしたい。

 尚、私のこの電子情報誌は室戸市職員だけでなく、県庁職員の多くも閲覧していることは承知しており、いままでの記事もすべて県職員が見て知っていることも承知している。県市町村振興課職員以外の県職員の皆さんもこれについてどのようにお思いですか。県や室戸市はこんなんでいいとお思いでしょうか。お考えください。出来たら責任者の尾崎知事や旧知の十河副知事にも閲覧願えたらうれしく思います。

 そして、全国の都道府県職員の皆さんや市区町村職員の皆さんはどのようにお考えか。又、地方議会の議員諸氏はどのようにお考えでしょうか。参考になりましたか。

 しかしながら、思うは、行政の首長や職員は過ちを犯しても、詭弁を弄してばかりで謝らないし、改めませんねえ。市長選直前の小松市長は改めないし、高知県も違法事業への補助金支援を認めない。

 とにかく、わたくし、あきれております、ハイ。

 最近、この電子情報誌を見て下さった室戸市民の中から「谷口さん、あれはおかしいのお。おまんの言うように、特定企業の宿泊所を県からもらった補助金と市民が十五年かけて償還する金で建ててことが足るかにゃあ。市長はその違法を認めんし、改めもせんがあか」と首をかしげ、批判的だ。

 議会ではだれも関心を持っていないが、市民は今もこの問題に強く関心を持っている。
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