青空エクスプ レス

日本ではオンリーワンの手書き地域雑誌『あおぞら』の編集発行人を経て、室戸市の政治を監視する改革派議員三期目。

「正義を行う勇気」とは

2018-10-10 | 人間のあり方
 人にはいろいろな生き方があります。

 「自分が得するかしないかで判断して生きてゆく人」と、「何が正しくて何が悪いことかを判断して生きてゆく人」。

 室戸市長の不正を議会で批判したことが原因でその支援者らによる落選運動で落ち、そうやって落とされても町の不正許し難く、悔しさをばねにして現職に返り咲いた今もその主義を変えない。だから私は、明らかに後者。町の政治をゆがめる不正な政治は許さないし、市民中心じゃなくて建設業者重視で動く政治も認めない。

 でも、たいていの政治家は、無難な前者だ。

 “波風を立てずに生きてゆく”。これはみんなそう考えているだろう。

 でも、目の前に不正、違法、悪事、ウソ偽り、陥れ、・・・と現れたらその人たちはどうするか。

 それでも、見て見ぬふりをしている。

 いわく、傍観者だ。

 心で「俺が『そんな悪いことをしてはいけませんよ』と言わなくても、誰かが言うだろう」と見ていないふりをしている。

 いわく、黙秘権行使。 

 市民生活がおぼつかなくなった今も“寄らば大樹の陰”と決め込み、決断の時、そっぽを向いて起立する。報酬をもらいながらその職務責任を果たそうと努力しない。

 いわく、背任行為。

 悪事に賛同する人はたいていが自分勝手な人。他人が困っていても言葉ずらは「そうですか。かわいそうに」と言いながら、決して自分から助けようとしない。

 いわく、見殺し。

 自分が大好きで、自分がケガをしないようにといつも考えている。

 いわく、安全第一。

 だから、そんな人の人生は、大きな波風は立たない代わり、大きなことも為しえない。

 いわく、低空飛行。

 そのくせ、お金には汚い。他の人より少しでも多くくれる方に走りたがる。

 いわく、守銭奴。

 「自分が得するかしないかで判断して生きてゆく人」の人生は、実に無難。だけど、不正に目をつむるという大きな欠点がある。

 時に、こういって逃げる。「オレはあの人に頼みごとをしているから…」と言い、不正を行った人を支援する。その頼みごとが実現したら次の選挙で「あれは私が頼んだからできたんですよ」と広め、当選するために。

 いわく、腰巾着。

 時に、こんなことを口走った人もいた。「不正でも違法でもえいやないか。町が良くなるなら」。不正な政治を行う市民の税金をどぶに捨てるようなことを政治家がやっても町が良くなる、そんなボケた屁理屈で政治にかかわっている人間がいる。だから、まちの政治は悪いままなんだ。

 いわく、後は野となれ山となれ。

 「良くしよう、良くしよう」。これがない。

 まちの衰退に心を痛めない人がいる。まちの衰退を我がことのように悩まなくてはならない立場にいるのに、心を砕かない。全部他人事だ。

 いわく、ケセラセラ。

 私だけは最後まで「何が正しくて何が悪いことかを判断して生きてゆく人」として貫きたいと心に決めている。


 何年か前でしたが、その日の5時過ぎ、妻と散歩に出かけた。途中で、散歩している近所の奥さんとすれ違った。その奥さんは「配ってくれた議会新聞を読んだけんど、質問で厳しい指摘をしている記事を見ました。他の議員が言えないことをスパッというなんて、ほんまにえらいねえ」と褒めてくださった。

 私もお礼を言いながら、「間違った政治や間違った住民の行為を見て見ぬふりして放っておくなんてことはしたくないきん、言うべきことははっきりということにしてます。例え、撃ち殺されようと切り殺されようとも、議員でいる間は言うべきことは言うことにしています。議員も市民の皆さんから毎月お給料をもらっている立場。議場で黙っていて報酬をもらうなんてのは、泥棒です。私は市民から『あいつは一つも仕事をしていない』なんて後ろ指さされることだけはまっぴらごめんやきんね」と話した。

 奥さんは、「応援しようき、殺されんばあに頑張りよ」と笑った。

 妻も笑いながら「あたしが止めるときもあるけんど、この人は何をやってもとことんやるきん、止めても聞かん」と呆れ気味。

 私も「市民の皆さんは『私らの代わりに議会で頑張って』と投票してくれたことは間違いないきんね、その代わりに働かんと罰が当たる」 と言って別れた。


 論語も言う。

<其の鬼に非ずして之を祭るは、諂うなり。義を見て為ざるは、勇なきなり> 

 (自分の祖先だけを祭ればよいのに、他人の祖先まで祭るのは、他人に諂っているのである。何が正しいことかわかっていながら、それができないのは、勇気がないのだ)

 (意味)社会人であるからには、好き嫌いで仕事を選ぶわけにはいかない。それが仕事なら、したくなくても、きちんとやることだ大事。でも、良し悪しという点では仕事を選ばなくてはならない。正しくないことなら、いくら仕事でも、やめよう。例えそれで自分が不利益を被ろうとも、それを恐れてはいけない。

 この論語の後半部分はあまりにも有名。

 こんな歌もある。

<敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花> 

 作者は本居宣長。直訳すると、「大和心(日本人の心)とは何かと人が尋ねたなら、朝日に照り映える山桜の花のようなものだと答えよう」。

 私も「人生いかにあるべきや」と人が尋ねたら、次のように答えよう。
 
何が正しくて何が悪いことかを判断して生きてゆくこと。

 自分に判断力が伴っていないとこれを貫き通すことはなかなか難しいが、絶えず自分に言い聞かせていたらそうして生きてゆけるようになる。

 自分のためにも頑張ってそう出来るように努めてほしい。さすれば、その行為が社会のためにもなろう。

 ただし、大勢を占める利得だけで生きてゆく人たちとの軋轢が生じるから、そこには並外れた勇気がいる。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 (※参考)論語の言葉についての解説をネットの検索で見つけましたので、付け加えます。

 子曰く、「其の鬼(き)に非(あら)ずして之(これ)を祭るは諂(へつら)うなり。義を見て為(な)さざるは勇(ゆう)なきなり」。

 これは孔子生存当時の中国の風習も関連してきますが、孔子は自分の祖先の霊魂でないのに祭るのは、へつらうことである、と言っています。その前提として、自分の祖先の霊魂は正しく祭る必要があるとされているのです。

 ただし孔子は、まずこの世において自分がなすべきことを努力する、鬼神は敬して遠ざかる(敬はつくすが、迷信的に近づかない)、のようにも言っています。たとえそのありようが通常定かには解らなくても、亡くなった人の魂はそれをおろそかに扱わないように、礼(決まり)に従って祭るべきとされているのです。

 孔子は死者を弔(とむら)う儀式も、礼に従っておこたり無くすることをすすめています。また一方で、必要以上に儀式にこだわって心が伴わないよりは、たとえ形式に不足があっても、死者を心から弔う方がよい、その思いがなにより大切であるとも説いているのです。

 孔子は形式や儀式を大切にして怠りなく行うことを勧めています。しかし、形式は人間のために作られたものであり、何よりも人間の心(思い)こそを大切にするようにと説かれているのです。

 義(正義)を見て正義の行いが出来ないのは、勇気がないのである、と説かれています。これは現実社会において簡単には出来ない、実行が困難なことなのです。

 孔子は正義(正しいこと)を行う勇気を、仁による勇気として大切(必要)なものとしています。言い換えると、正しいことをすることによって何らかの害や不利益を受けるとしても、勇気を持って正しいことを行いなさい(目先の利益より、正義の方に真価がある)、となるでしょう。

 (孔子は、義(正義)には仁(人を慈しむ心)が必要であるとしており、仁のない義(正義)は、孔子の言う真の義(正義)とはされないのです)

 孔子は、仁者は(義において)勇者であると言っています。しかし、義(正義)の伴わない勇気は、危険な蛮勇となり得るとも言っています。勇者は必ずしも仁者ならずと説かれているのです。


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アイデアマンと、手柄を独り占めにする人たち

2018-10-09 | 人間のあり方
 十年前の高知新聞一面の「小社会」に亡くなった赤塚不二夫さんについての記事があり、その中にこんな一節がありました。

 <才能とは、一度出口を見つけると、滝のようにあふれ出てくるものらしい。赤塚さんは編集者ら周囲の人にもアイデアを出させ、それを肉付けする天才だった。だが、手柄を独り占めするようなことは絶対になく、「あれは誰それのアイデア」と公言した。〉

 こういう無欲な人はいて当たり前のようですが、現実の社会ではなかなかこのように話は進まない。

 この室戸市においても、昔から人のアイデアを横取りして出し抜くという出来事はいくつもある。私もこれまでたびたびそんなひどい目に遭っている。今日はその実際にあった話をしましょう。

 (第一話)
 昭和61年2月に私は市内にジャズ喫茶を開店。同時に、まちの地域おこし活動を始めました。

 喫茶店の売上げを使ってジャズコンサートを開催したり、映画界を開催したり、若者の音楽際の開催を企画して、資金的な支援もしていました。

 そんな中で、一つは、室戸市のように全国の岬がある自治体の大半が周辺地域の端っこにあることから、過疎化が進んでいるだろうと考え、その自治体が集まってその岬を生かした活性化について討論してはどうかと、「全国岬サミット」の開催を考えた。 もう一つは、四国はオーストラリアと同じ形の地形をしていることを何とか生かせないかと考え、室戸市と同位置にあるオーストラリア東南部の都市との姉妹都市縁組みをしては考えた。

 「岬サミット」のためには全国に点在する岬を全て書きだした地図も作るなど、この二つの計画を資料にして店においてあった。そんな昭和63年3月のある日、室戸市のある課長が夫婦で来店した。私は「この人なら」と考え、提案し、「室戸市のために活かし、この二つの事業を実現させてほしい」とお願いし、資料も渡した。

 それから数ヶ月たった同じ年の8月、高知新聞にその課長が助役になったことを紹介する「助役の横顔」の記事が載った。「室戸市は来年4月に全国岬サミットを開催する」と、さも自分が考えて行うようになったかのように語っていた。驚きましたねえ。それをみて、なぜ「一市民の提案を受けて・・・」と言えないのかと思いました。それは手柄を独り占めしたかったから、取材を受けた時に言えなかったのでしょう。

 その翌日のこと、店の常連だったその記事を書いた高知新聞室戸支局のY記者がやってきたので、私は「あの記事は事実ではないぜ。姉妹都市計画も岬サミットの計画も私が考え、その課長に教えてあげたがあぜ」と告げ、「実は・・」と事実関係を詳しく説明した。

 その後は、そのサミットの二日間の式典に「事業計画の提言者として呼んでくれるだろう」と、ずっと待ちました。9月が来、10月が来、12月が来、年を越して64年(平成元年)の1月になっても、2月、3月になっても正体の声は貰えませんでした。そして、式典の半月前、10日前、一週間前、3日前、前日が来ても招待の声の連絡はなく、そして当日になっても、室戸市のその助役さんから「谷口さんに提案していただいた二つの企画は共に事業化していて、全国岬サミットも開催の運びとなりました。そこで、是非とも企画された谷口さんにもこの式典に出席して頂きたい」、そんな連絡は全くなく、盛大に行われたそのサミットは終わってしまった。

 「せめて式典の末席にでも呼んでいただければ・・」と考えていた私がバカでした。

 良い人と悪い人の区別ができずに提案した私が馬鹿だったと、あとで反省したものです。

 言っておきますが、室戸でよいことを提言してあげても、提言を受けた人だけが値打ちを上げ(助役に昇進)ご褒美をもらえて喜んでいますが、そのようなアイデアを提供した人には何一つ感謝の声すらありません。「それが室戸市だ」とこの時、初めて経験しました。

 (第二話)
 その後、私は地域雑誌の出版を平成2年に始め、3年と8年には室戸半島の地質特集を組んで、県東部の皆さんに地質を観光に生かそうと訴えました。が、経営赤字がふくらみ、休刊。平成10年からは地元の自動車会社に勤務して営業の仕事を始めました。

 そんな会社員時代の平成11年の夏ごろ、ある友人から「青空地質博物館」を名乗る会の会員名簿を見せられた。そして、「谷口さん、『青空地質博物館』いうたら、おまんが前に出した地質の本で付けていた名前やけんど、10年に出来たこの会の会員名簿にはおまんの名前が無いが、これはなぜ?」と聞かれた。でも、これは初めて聞く話でした。

 そこで、私が考えた構想で、室戸半島の自然を一つの“博物館”に見立てた概念である「青空地質博物館」の名称が私の知らないところで一人歩きしていたことから、その名称を冠した会を作った県議の家に直接、この点を確かめに行きました。

 その人物はきっと、私が雑誌出版の仕事に失敗してサラリーマンになったから、もう町の地域づくりシーンの中に生き返ってくることも無いと考え、勝手に使っても分からないと思ったのでしょう。

 その人を訪ねると在宅中で、「こんな会を作っているんですか」と問うと、「はい」と答えた。そこで、「この言葉は私が考えたネーミングであって、勝手に使ってもらっては困ります」と詰め寄ると、県議は恥じるでもなく、「谷口さん、おまんもこの会に入らん?」という。「入らんかね」ではなくて、会を作る時にはまず真っ先に入会を呼びかけ、この名称を使いたいと申し出るべきで、この時も「谷口さんが考えた構想の名称を勝手に使ってすいませんでした」と詫びるのが先だろうと思った。だから、私は「こういう言葉を勝手に使ってはいかん」と言い、大人の対応でそのまま帰ってきた。自分勝手に人のモノを盗んだ男の会に入るわけがなかろう。

 その時からこの男は信用ならないと思っている。

 自分とは関係の無い他人を利用するだけ利用して、その人のためには決して手助けしようとしないし、勿論、評価もしていない。基本的にそんな男は、自分本位で、地域のために犠牲にはなろうとしない人。政治家には向かないのです。

 何も、私のアイデアをまちのために活かそうということならば、使うことに異論は無い。ただ一言、その時は「この名称は谷口さんが創案したものです」と勇気を出して地域社会に広く明らかにすべきであるし、まずはそのアイデアマンたる人物を称え評価すべきだと思っている。

 赤塚不二夫さんのようにだ。

 「人のものは人のもの、自分のものは自分のもの」とけじめを付けなくてはならない。

 国会議員とか、市長とか、県議とか、市会議員とか、会社社長だからとか、肩書きがあるからなんでも自分が自由に使っていいということにはならない。それは、国会議員であろうが、県議会議員であろうが、市長であろうが、市会議員であろうが、会社社長だろうが、だ。


 (第三話)
 そうして、数日前から記事にしている平成26年と今年9月の出来事です。周辺住民の方々に協力していただいたからこそ実現した平成16年から19年度まで頑張って実現させた事業成果を、「市長がやったことにしましょう」とか「県議が実現させたものです」とか言い広めようとしています。

 
 漫画家・赤塚不二夫さんは周辺の人のアイデアを活かし、「これは彼のアイデア」と明らかにして作品として出したといいます。いくら晩年が酒びたりの毎日であったといえども、やはり見識や誠意、そして一つ成し遂げた人物は人への配慮が違いますね。

 だから、第一話の人にしても、第二話の人にしても、第三話の人たちにしても学んで頂きたいのは、これらのことは自分の欲が深いからこんなことをしてしまうのであるから、まず我欲を捨てること。「人のものは人のもの、自分のものは自分のもの」です。決して他人の物は盗んではならない。盗めば、盗人になって、「評価を高めるため」と思ってしたことが逆に、さらに評価を下げるだけだ。

 それと、人のアイデアや企画はその人の長い人生経験、テレビやラジオの番組の中、事件や全国で行われている地域づくり活動の情報、それらにアンテナを張り、調査・取材・情報整理に努力を重ねた上で培った能力からほとばしり出るのが、アイデアである。そんなアイデアマンの長年の努力があってこそだと、この人たちはよく理解しなければならない。

 それをよく解かっていたのが、赤塚不二夫さんだったということです。

 きっと、「これは谷口さんのアイデアです」と公言してしまうと、私に自分が負けたような気持ちになるんだろうし、自分の値打ちも上がらない。だからウソをつく。そんな小心だから、素直にそう言えないのです。

 私を含めて、お互いそんなに大してえらい人間でもないんだから、赤塚さんのように他人のアイデアは他人のアイデアとして能力のある人物を評価すれば、もっと自分も評価してくれ、協力もしてもらえるようになると学び、覚えることです。

 YKKの創業者・吉田忠雄さんは、子供の時に読んだ伝記から、世界の鉄鋼王・カーネギーの「他人の利益を図らなければ、自らも栄えない」という考え方が忘れられず、それを経営哲学の基本とし、「善の巡環」と名付けて社員を教育し、YKKを世界的な企業に育て上げたという。このことからも学ぶべき。

 とにかく、「オレはえらい」と思う基本となっている自分の肩書きなどは全て忘れ、人の能力をまず称えて評価することです。それが例え自分よりも肩書きが下の人物であってもだ。そうすれば、あなたのことも人は評価してくれるようになるでしょう。

 そして、決して他人が考えたアイデアや提案ごと、企画ごとは盗まないことです。盗めば、数年後、いや数十年後になってもその報いはやって来ます。だから、書籍などの著作権と同じように、他人が考えたアイデアや企画ごとを使う時は、その時に「使いたい」と直接お願いし、許しを得ること。そうすればどなたも受け入れてくれるのではないでしょうか。

 とにかく、赤塚不二夫さんから学ぶことです。


 今年は不天候が多い年で、災害の多い年、人災の多い年。もしかしたら、怪談話の多い年かも。

 皆さんにお聞きいただきたい。

 他人のアイデアを独り占めするような行為は、よくありません。人を騙して実績を盗み、もし化けて出られたらどうしますか。他人のアイデアを横取りしたり、多くの人を踏み台にして成り上がることばかり考えていると、そのうち、大きなバチが当ります。

 もしかすると、そういう人はいまNHKの人気番組「チコちゃんに叱られる!」で5歳の少女が大人たちに向かって言っているように、
「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
と暴言を吐かれるかもしれませんよ。


 小生はそんな下品なことは決して申しませんが、どうか無私無欲な私を見習っていただきたい。


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自民党・中谷元議員、是非ご一読し、お返事を下さい

2018-10-07 | 人間のあり方
 9月24日(月)の午後、室戸市健康福祉センターの「やすらぎ」ホールにおいて自民党議員の中谷元氏と弘田兼一高知県議の講演会があり、私と妻は自民党支持者ですので、講演をお聞きに行きました。

 問題は、その中で中谷氏が国政の動きを語った後、市内の中心に位置する浮津交差点の改良工事である「浮津交差点改良工事事業」は弘田県議が活動して実現したものだとして紹介されました。それを聞いた私は、「えっ、何を言っているんだ」と思いました。

 驚きましたねえ。

 私は真面目で威張らない議員ですが、他の議員の活動には負けてはならないと頑張ってきた議員。そうして議員一期目から私が頑張り、周辺の住民の方々が改良工事を行うことに賛成して下さったからこそ実現したのが、この事業です。計画決定までには県も室戸市も関係していなかったし、県議なんて全く関係していませんでした。

 それを、まだ県議にもなっていなかった人の活動があって実現したものとして二百数十人がお聞きする講演会で県議の評価を高めるために広報するなんて、非常に驚きましたし、それはあってはならない行為です。

 きっと室戸市内に住む政治に関わっている人間から虚偽情報をお聞きになり、それを信じて講演会でお話されたのだと思います。だから、中谷先生を私が憎んでいるということではありません。

 実は私は、平成23年4月の市議選の運動期間中に市長を支援するグループが行った落選運動によって次点となり、落選。四年間無収入となり、冷や飯を食ったことがあります。そして、その間の平成26年3月議会において、市長を支持する一人の議員が小松市長に対し「浮津交差点改良工事は市長がやったように11月で行われる市長選で演説してはどうか」などと提案したことを友人議員から聞き、激怒。私はそういう事実ではない、まるで盗人のような行為を行う人間が大嫌いなんで、このブログで15日間に亘って真実を市民の皆さんに知らせる記事を書きました。それが、以下に列挙した記事です。

 だから、この事業に関係する虚偽行為は2度目ということになります。一度目は、「小松市長が行った実績にしませんか」と。二度目の今回は、「弘田県議が行った実績です」と。

 とにかく人間なんて、すべては信用出来ないということです。

 そこで今回も、中谷先生と弘田県議の講演会が行われた日の翌日25日に事実をお伝えしようと考え、当電子情報誌に次のような記事を掲載し、中谷氏からのご連絡をお待ちしていました。

 ですが、何も連絡をいただけなかったし、「中谷元ホームページ」にコメントを投稿しようと思いましたが、これも、国会での会議における発言に何か問題があったとのことで閉鎖されています。

 そういうことですので、その記事を12日前に当電子情報誌に掲載した事実情報を再度、掲載させていただきます。どうかお読みになり、直接私に対してお返事をお聞かせください。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 中谷さんが昨日(9月24日)にお話になられた中に、それに関する事実を知っている私だけが首をかしげる部分がありましたので、ご指摘させていただきます。

 あなたはどなたかに騙され、それを事実だと考えお話されたのでしょうが、あれは事実ではありません。

 だからと言って、あなたが悪いなんてこれっぽっちも思っていませんが、室戸市で政治にかかわっておられる方が自分に教えてくれたからといって、それを「親しい人が言うんだから、本当のことだろう」と何事もそのまま信じてはならないと私は思っています。「親しき中にも礼儀あり」といいますが、親しく付き合っていても礼儀知らずの“自分さえよければいい”という人は必ずいます。どうかお気を付けください。


 さて、あなたが説明されたその事業「浮津交差点に関する国道・下水道改良工事」は、私が2003年(平成16年)に交差点のそばで写真店を営んでいた松本さんから要望をいただいて始まった議員活動で、その時から取り組み始めたものであり、4人の土佐国の所長に訴え続けまして、ようやく4人目の長井所長が訴え掛けに耳を貸してくださり動いて下さり、平成19年度末の平成20年2月ごろに工事が完成した事業。つまり、これは小松市長や弘田県議が毎日その事業実現に向けて働いて事業化が決定したわけではなく、私が周辺に住む住民の方々のご理解を得て、四年間、休むことなく苦労したからこそ実現したということです。

 以下、その事実を、活動に関わるために作成した文書や活動の一つ一つを控えた手帳を写真にとり証明していますので、ぜひともそれをご一読の上、私が活動を行ったことによって実現したという事実をお認めいただきたいと考えます。

 又、私の言うことにもしご異論がおありでしたら、ご案内しますので、その発端となる要望をいただき事実関係をよく知っておられる松本さんにお会いし、説明をお聞きいただけたらと思っています。


 以下、物事の流れを順を追って十五日間に渡り、ウソ偽りなく正しく、正確な記事にして室戸市民や高知県民の皆さんにだけでなく、全国の地方政治の関係者や地方議会の関係者に向けて報道してありますので、全てお読みいただきたい。

 記事のタイトルは、「室戸市の浮津交差点改良工事はこうして事業化された」です。十五日続きますが、すべてクリックしてお読みいただきたい。

 1日目、「室戸市の浮津交差点改良工事はこうして事業化された(1)」

 2日目、「室戸市の浮津交差点改良工事はこうして事業化された(2)」

 3日目、「室戸市の浮津交差点改良工事はこうして事業化された(3)」

 4日目、「室戸市の浮津交差点改良工事はこうして事業化された(4)」

 5日目、「室戸市の浮津交差点改良工事はこうして事業化された(5)」

 6日目、「室戸市の浮津交差点改良工事はこうして事業化された(6)」

 7日目、「室戸市の浮津交差点改良工事はこうして事業化された(7)」

 8日目、「室戸市の浮津交差点改良工事はこうして事業化された(8)」

 9日目、「室戸市の浮津交差点改良工事はこうして事業化された(9)」

10日目、「室戸市の浮津交差点改良工事はこうして事業化された(10)」

11日目、「室戸市の浮津交差点改良工事はこうして事業化された(11)」

12日目、「室戸市の浮津交差点改良工事はこうして事業化された(12)」

13日目、「室戸市の浮津交差点改良工事はこうして事業化された(13)」

14日目、「室戸市の浮津交差点改良工事はこうして事業化された(14)」

15日目、「室戸市の浮津交差点改良工事はこうして事業化された(15)」

 以上を全てお読みになってお考えになられた感想を、お電話でいいので、私に直接お話しいただきたい。

 電話番号:0887-23-1214、ケイタイ:090-4506-6343、室戸市議会議員・谷口總一郎です。

 中谷元さんも安倍政権を支える立場にありますので、多忙であろうと思います。ですが、時間を見て以上の十五日に亘って情報発信した記事をご覧いただき事実を確認したた上で、お考えを当方にお伝え下さい。

 いつだってかまいません。お待ちしています。


 人間なら、誰だって騙されることはあります。私もある人を信じて一生懸命に選挙応援したところ、その人物が市長に就任した途端、不正に走り始め、最後までその悪質な態度や性格は変わりませんでした。それが小松室戸市長です。

 だから、騙される立場の人が悪い人だとは言えないし、そうは思ってはいません。敢えていうなれば、「人が良すぎるから騙される」のです。あなたもそうだろうし、私もそうであるのは間違いありません。

 世の中には、自分の力量を高める努力をせず、行動も起こさず、経験も積まずにいて、高い地位に立ちたいと考える人間はたくさんいるし、割合でいうとそういう人間の方が多いと私は思っています。

 「それまで汗を流す努力や活動を何もしてこなかった奴らが、軽々と他人の実績・成果を奪ってしまう」。

 そういう事例は政治の場にもたくさんあります。

 この世の中、事実は事実、ウソはウソです。

 これは当たり前ですが、事実を踏まえて世の中の人たちに知られることなく実績を上げている人は高く評価すべきだし、ウソをついて他人の実績を奪ってしまう人は評価すべきではないなんてことは、中谷先生ならばよくご承知のことと思います。

 昨日の「浮津交差点国道及び下水道改良工事事業」についての説明は全く事実ではありませんでした。どうか、ご返事をいただきたい。

 それとともに、私の長年にわたる要望活動を評価してくださり事業化を決めていただいたのは、国交省土佐国の長井英治奈半利国道事務所長で、「この方がいたから浮津の交差点は広くなり下水道も改良されたのだ」と、私は今も深く感謝しています。この長井氏はあれから十年ぐらいにはなりますからもうすでに高い役職につかれていると思います。どうか、中谷先生が国交省を訪ねこの方にお会いし、事実確認を行っていただいて、「谷口が、『長井さんには本当に、お世話になりました。今も感謝しています』と言ってましたよ」と、お伝えください。

 そしてもう一言。「中谷先生、これからは政治に絡む人たちに騙されないでくださいね」。


 最後に。

 13名の議員がいる議会で活動を続けてきた私ですが、自分のことを自慢したり議長になりたいなんて考えたことがない、「無私」で「無欲」な、ちょっと珍しい議員です。ですが、そんな私も恩義を感じている妻の将来を深く考慮しての計画実現のため、来年4月には議員職を退職します。

 その間に良い思い出、悪い思い出と、思い出はたくさんありましたが、とにかく「政治の場は正義を踏みつけにし、悪事を推進する場なのか」と今は考えていますし、「懸命に働いても評価は極端に低いものだなあ」と思っています。

 (追記)

 書き忘れていましたが、当家、谷口家は戦前に製材所を開業した家で、戦後からはずっと保守中道の政党である自民党支持者であり、家は産経新聞を購読していました。そして私も昭和41年に二十歳となり参政権を持った時から異議なく、自民党支持者となり、今に至っています。決して左翼に走ったことなど一回もないです。

 こうして自民党を支持しながら生きてきて、私は安倍晋三氏が議員になったときからは安倍氏をずっと支持してきて、あの総理大臣になったときには非常にうれしかったものです。ですが、難病の所為で首相を降りた時には非常に残念であり、かわいそうでした。そして、「病気を克服してもう一度、総理として戻ってください」と願ってきました。そうして再起できて今に至っています。

 安倍晋三氏は戦後では一番能力の高い、歴史に残る総理大臣であることは間違いありません。ということは、「今後総理大臣になる人はすべて安倍総理よりも能力が下の人」。だから、もうしばらくするとこの世からいなくなる人たちは被害を受けませんが、若い人たちが被害を受けることは大いに考えられ、今後の日本の国政に非常に不安感を抱いています。

 そして、自民党の総裁選についても、左翼である野党議員や左翼メディアらは「石破候補を応援して石破総理になったら、左翼が石破政権を落とすことは簡単。左翼が世間を取れる」と企んでいるんですが、自民党内の石破候補支持する議員と地方議員らは全くそんなことが理解できないでいます。そうなると、こんなことも理解できない、知識と判断力の弱い人たちの所為で、自民党はまたもや野党に転落します。だから、その発言に関しても、全国の自民党支持者たちから「表情が暗く、政策に関する発言も浅い」と批判を受けている石破氏を支持し総裁になってほしいと働いた全国の人たちは、もしかすると自民党をまた野党に転落させたいのかもしれません。

 だから、私と妻は最後の安倍政権を三年間応援してゆくし、戦後で最も有能な総理大臣であり国会議員であるとして応援してゆきたいと思っています。

 国政については、長くなるのでもうこの辺にしましょうか。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 講演で中谷先生のお話をお聞きになられた室戸市内の自民党支持者や、当ブログ記事を見た方から、中谷先生へのご連絡もあろうと思います。何も謝罪のご連絡が無くなったら、無私無欲で左程の財産もない私は何も損をすることもないでしょうが、中谷先生は室戸市においての評価だけでなく、私のブログを愛読する全国の方々の信用も信頼も失い、次の衆院選では支持票を何票か何十票かを失ってしまいます。

 どうかご連絡下さい。お待ちしています。

 あなたが誠意ある政治家か、それとも「自分さえ良よければいい」、「自分と関係のある地方政治家さえ良ければいい」と考える政治家かは、この一件の処理の仕方によって高知県民の判断は決まってきます。その点をよくお考えになっていただきたい。

 再度申し上げておきますが、男たるもの、自分の過ちはすぐに認め謝罪すべきであり、逃げれば世間から“クズ”と見られてしまいます。

 お互いに勇気を持って生きていこうではないですか。
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「そうちゃんの応援歌」には、笑っちゃいました

2018-10-04 | 人間のあり方
 偶然、本当に偶然なんですが、名曲を見つけました。

 私は安芸市から室戸に働きに来ている友人から応援を受けたことが大変うれしく、記事にしたことを、読者の皆さんは覚えておられるでしょうか、9月19日の「そうちゃんがやめたらいかん」のタイトルを付けた記事ですが。

 だからといって、それ以後、私、谷口總一郎のまわりの状況が好転したというわけではなく、県展では「落選」という県展出品で初の屈辱を受けました。

 そんな昨日、YouTubeでジャズ音楽を検索していて、こんな歌を見つけました。

 タイトルは、「そうちゃんの応援歌」。 私への応援歌だろうかと思いましたが、そうではなく、松岡修造さんが歌うC.C.レモンのコマーシャルソングでした。

 まず、お聞きください。

 「そうちゃんの応援歌」から  ←(クリック)

 笑っちゃいましたねえ、これには。皆さんも笑っちゃったでしょ?

 妻にも、仕事から帰ってきてすぐに自宅の庭にある議員事務所に呼び、聞かせてやった。県展落選の新聞報道でお互いに落胆した日の翌日ということもあり、うれしいやら悲しいやらで、大笑い。

 妻は「えいやいか、この歌」と笑っていた。

 ま、それだけのことです。できたら、一緒に笑ってください。

 「人間万事、塞翁が馬」とか「捨てる神あれば笑う神あり」と言いますが、この歌も私に元気を与えてくれる応援歌としてこれからも世界中で(?)長く歌い継がれてゆくことでしょう。(笑)


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「人間万事、塞翁が馬」

2018-09-26 | 人間のあり方
 

 「人間万事、塞翁が馬」という故事がある。
 
 「塞翁が馬」とは、昔、中国の国境の塞(とりで)近くに住んでいたある翁(おきな)、飼い馬に逃げられたが、その馬が名馬をつれて戻ってきた。翁の息子はそれに乗り足の骨を折ってしまったが、そのため戦争になって若者たちが次々と招集された時、その息子だけは助かったという話による。

 人間の運命や幸不幸は定まりがないものであることを例えていう。

 人のためにと良いことをしても、陥れられたり裏切られる時もある。そういう出来事で受けた“キズ”に負けずに一生懸命働いていれば、その頑張りの成果として幸運が舞い込むことだってある、・・・ということです。



 いま市内の会社が倒産したり廃業したりして失業しくやしい思いをしている室戸市民を、私はたくさん知っています。

 まだ50歳前後で、会社や団体の経営が堅調ならばまだまだ組織を動かしてゆく立場だった人たち。しかし、その人たちは町の人口が減少するにつれ、年二回もらっていた賞与がなくなり、やがて給料は上がらなくなり、勤務先の倒産・廃業に伴い、ついに会社を退職させられてしまっています。

 だから今は、半日だけ惣菜店でアルバイトをしている人や、漁業関係の団体に勤務していて今は無職で働き場所がなくて困っている人たちなどがいる。収入は微々たるものであったり、全く無収入の人も多い。生活費は奥さんの10万円足らずのお金で何とか生きながらえている様子。

 勿論50代では年金が入ってくるわけがないが、その年金も国は国民との制度約束を破棄して支給年齢を勝手気ままに先延ばししようとしている。ふざけた話です。「生きている間にこれまで払ってきた分の年金をもらえるだろうか」と、彼らは嘆く。

 こういう、かつては真面目に働いて会社の強い力になっていたその人たちの今の生活苦を見ていると、定年や勧奨で役所を退職し5000万円から1億円近い貯金をして大金持ちになっている元市職員の市民よりも、こんな境遇の人たちこそ地方議員になってもらった方が今の議員よりも真面目に議員としての職務責任を果たすよう努力するだろうし、まちはずっと“公平・公正”な住民自治に叶う地域社会になる。

 私はそう考えている。

 働きたいのに職がない40代、50代の彼らのを見ていると、ほんとうに可哀想でたまらん。


 ても、嘆いているだけでは人生は変わらない。そういう立場におられる方々に励ましの“応援歌”を贈りたいと思う。

 その職を失ったことによってまた別の生き方が見つかり、新しい充実した人生が始まる。それは会社を辞めなかったら見つからなかった仕事。他人は他人、自分は自分。余所見をせずに自分がこれだと信じた道を歩んでいこう。

 こんな私でも、ふらふらしながら、これまでそうやって自分が信じた道を真っ直ぐ生きて来ることができました。いま失業しているみんなもそう考え、これからも息を抜かずに生きていってもらいたい。

 衰退を続けることが決定的な地元から出て移住し、早く仕事を見つけ、精を出して頑張っていこうよ!

 どんなに生活が苦しくても、くじけちゃダメだ。明日を見て、前を見て、休まずに歩んでいけば、きっと明るい明日があります。

 そう信じ、夫婦手を取り合って、力を合わせ、とにかくどんな仕事でもいいからすがりついて働くことです。

 そうしていたら、「頑張ってきた甲斐があったなあ」と夫婦二人で語り合うことはきっとあります。


 なあ、同士よ!

 なあ、貴乃花親方よ!

 「人間万事、塞翁が馬」というではないか。


 本来、高く評価されるべきは、頑張る人を踏みつけにして権力や利得に走る極悪な人間ではなく、表舞台に出られずとも真面目一筋に生きている人たちです。

 だから、決して現状に負けちゃダメ。挫けず、頑張って真面目に生きていたら、そのうちきっといいことがあります。

 最後に勝つのはあなたです。

 きっと、きっと、いいことがあります。



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ネットで送られてくる誤った情報は削除し、書物で正しい情報や知識を得て正義の味方になろう

2018-09-24 | 人間のあり方
 皆さんのパソコンに英文ですべて書いたメールが送られて来ていませんか?

 当家のパソコンには、そうですねえ、7月か8月ごろから送られてくるようになって、今も続いています。

 外国語でメールするようなことは、余程の信頼関係の外国人がいない限り、危険。悪い目に遭うことがあっても、良いことは一つも無いでしょう。

 それらが送られて来たら、全てを「迷惑メール」→「メール拒否」として、すぐに削除してください。

 以前には「日本郵便」と書いたメールが送られてきて、「これは怪しいな」と思いそのままにしておいて、地元の郵便局に行って「こういうメールが送られてきたが、どういうものか」と聞きに行ったことがあります。郵便局員から「何人かからもそういうメールについて聞きに来ましたが、それは詐欺メールです。すぐに削除してください」と言われたことがあります。送られてくるメールの中にはそういう「他人を陥れてやろう」と企んだものも送られてきますので、どうかご注意ください。

 
 話変わって、しかし世の中はインターネットによって便利になってきてはいますが、一方では詐欺事件の手段となり、又、スマホなどを考えても子供たちが本を読み知識を得ることを忘れ勤勉さを忘れして「いまさえ楽しかったらいい」という“軽い人間”ばかり増えている現象も世のため人のためにはなっていません。

 インターネットも悪いことばかりではありませんが、きっとこのままインターネットを使った情報社会、情報発信が進むと、「友達はいないが、ネットが友達、スマホが友達」という子供たちが大人になり、世の中は体を動かし汗して働くことが主にならず、怠けることが主になる時代がやってきて、やがてほんの30年もすれば日本の国は他人の意見など聞かずに自分の間違った考え方だけで行動を始める人たちばかりになるでしょう。

 それも、体を使わず結論づけてしまう。

 書物で学ぶことがなく、歩いても自転車に乗っても車に乗ってもスマホを見続けていると、あなたの人生が悪化することはあっても、好転することはありません。見たいなら、立ち止まり、どこかに座ってゆっくりとごらんなさい。そうしていれば「こんなことをしてたら何もできない。さあ前に進もう」と考えることもあろうと思います。仕事に励み、勉学に励み、そうして知識を深めていると、きっと「将来に向かって歩もう」とする行動力もついてくるでしょう。

 送られてくる詐欺もどきのメールは削除し、ネット上の誤った情報は頭の中から排除し、書物で正しい情報を得て正義の味方になろう。


 これはあくまでも私の個人的な意見ですが、少年よ、若者よ、スマホなどは所詮、小道具。そんなものを見てばかりじゃなしに、書店に行き小説ではなくて人生論を書いた本、学校の参考書、芸術や文化について書いた本、大人になったら政治について書いた本やいろんな職業に関して書いた本などをお読みなさい。

 良い知識とは、良い本を読んで勉強してのみ得られるものです。「良い知識」って、基本的には誰も教えてくれません。それも、正しいこととは「正しいことを書いてある本」を読んでこそ、正しい知識が身につくものです。

 話は少し飛びますが、今でも忘れられないことがあります。

 以前、こう言った人がいました。選挙に深くかかわる長い経験を持った人です。

 室戸市政が行った違法な公共事業に対し議会で市長を追及した後、知人と二人で町の喫茶店に行き室戸市の政治の実態について語っていたら、その人は私に向かってこう言いました。「違法でもえいやないか、町が良くなるんだったら」。唖然としました。「この人は、自分たちさえよければいいと考えているのか」と思いました。

 全国の皆さんにお聞きしますが、「あなたの町に公共施設が出来るんだったら、役所が地方自治法などの法令に違反した内容で事業計画を進め工事を行った時、許しますか?」。

 「いいじゃないか」という方がおられたら、そういう思いをあなたの町の人が多く集まったところでそう言えますか? 言えないでしょう。・・ということは、あなた自身があなた自身の考え方が間違っていると解っているということです。

 世の中、何事もそうですが、正しいルールと間違ったルール、正しい判断と間違った判断、正しい行動と間違った行動、誤った行動・発言を正しく改める行為と誤った行動・発言を何があっても改めない行為、・・・があります。

 世の中、誰にだって過ちはあります。でも、自分が誤っていたらすぐに改めることが正しいのはどなたでもお分かりでしょう。しかし、過ちを認めず、改めもしない。そういう人はこのようにたくさんいます。

 今の室戸市長もそうです。私が議会で「この公共施設は自治法の『公の施設』の条項に違反しており、地方自治法に違反しています」と教えましたが、こう答弁がありました。「これは適法ですので、このまま管理運営を行ってゆきます」。だからその後も、6議会に亘りこの問題を重視して教え続けましたが、どうも不正な政治が身についている人らしく、今も室戸市の室戸岬港の県有地には地方自治法に違反したままの公共施設がそのまま残っています。因みに、県庁も補助金と貸付金を投資してこの不正に関与しているが、不正と知っておりながら放置している。いわゆる「見て見ぬふり」とはこういうことを言います。

 因みに、一人の知人が「違法でもえいやないか、町が良くなるんだったら」と言ったのは、この不正事業を指して言ったのです。

 さて、こういう場合に「過ちをすぐに改める人と、自分の過ちを絶対に認めずに改めない人」とに分かれた時、「過ちをすぐに改めた人」は普通の人、「自分の過ちを絶対に認めずに改めない人」は強欲な悪事を以って生きている人です。こういうことはどなたでもお分かりでしょうが、室戸市政にはそんな人が今もいます。だから、室戸市の政治はいつまでも良くならず、悪化をし続けているし、これからもそういう悪政が続くかどうかは次の市長に誰がなるかで決まります。

 「違法でもえいやないか」なんて考え行動する人が就任するか、それとも「利権には耳を貸さないし、無駄な公共工事も行わないし、他人を陥れて自分が頂点に立とうなんて欲に暗がった考え方などするつもりもない、ただ住民の味方になって公正に働きたい」という、純粋な考え方を持った人が就任するか。

 指摘しなくてもお分かりでしょう。前者を選べばまちの政治は今以上に乱れて衰退は急加速し、住民はその町に見切りを付け次々と出てゆきます。反対に、後者を選べば「発展」とまではいかなくても、政治は公正に進められ、住民は安堵するでしょう。

 願いたいのは、若者は正しい情報を得るべく日々学び、住民は正しい政治が行われるように行動すること。

 自分の人生の歩みは、自分の若い時からの行動によって方向づけられます。歩みを誤れば悪人になるし、歩みが正しければ間違いなく正義の人、善人となります。

 申しておきますが、人生は思うようにはいかないものです。でも、どんなにつらくても知識を高める書物を読んで真面目一筋に生きていれば、きっと良い人生を送ることができます。世の中の過ちに対してもその都度、反対する気構えが無ければなりません。

 「真面目に生きてください。そのうち、あなたにもきっとうれしいことがあります」。

 そして最後に言いたい。

 若い時から本を買わない人や本を全く読まない人、本から教えてもらおうと努力しない人は間違いなく、アホのまま人生を終えます。

 「十代から本をたくさん読んで、いい人になりなさい」。

 それも、「いい本」じゃないと「いい人」にはなれません。

 いい人間、いい人になりたいなら、そういう方法しか手はありません。

 本を読むのは図書館もいいんですが、自分で金を出して本を買い、読むべきです。ならば、間違いなく知識は身につきます。人の本を借りて読むと浅い知識はつきますが、脳裏に知識として残ることはなく、そのうち頭から消えていくでしょう。

 若いあなたに他人は何も教えてはくれません。親だって、友達だって。だから、自分の欠点を克服しようと思ったら、その分野の専門書を読むことしかない。そうすれば今の自分の最高の知恵を得ることができよう。


 あとは、あなた次第。
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「無私な人生」の在り方を教えてくれる一冊

2018-09-21 | 人間のあり方
 読者の皆さんは『木を植えた人』という本を買って読んだことがありますか?

 多分、ですが、いても一人か二人でしょう。それほど知られていない本。

 それは、あまりヒットしたという本ではないし、書店でもあまり目立つ本でもないし、本当に薄い本ですし、日本で売られている本は日本語に翻訳され出版されてはいますが著者がフランス人であることも関心を読んでいない理由なんでしょう。

 でも、いい本です。(ジャン・ジオノ著、原みち子訳 発行・こぐま社)

 内容を簡単に言いますと、「荒地だった土地を一人の人が長年にかけて素晴らしい平野に変え、地域、そしてその国を変えた」、そんな語りで、それが長い物語ではなくて本当にあったかのごとく語られ短編の解説書のように終わっているところも、私は非常に関心を持ちました。

 私がこの本を買ったのは、1990年(平成2年)の初め。その年の2月から人生で初めて自立してジャズ喫茶を始めた、そんな頃だったので、書店で早読みしてその本に登場する男の生きざまに関心を持ち、買ったものです。

 この本にかかれている物語の最後にはこう書かれています。

 「たった一人の人が、自分の肉体と精神力だけで荒地からカナン(※パレスチナの古代名。豊かな土地の象徴として使われた言葉)を起こすことができたことを思うと、さまざまな事があるにせよ、人間に与えられている力は大したものだ。しかし、その力は、常に魂を高貴に保ち、ひたすら無私に与え続ける広い心を持ちつづけて、初めて完全に発揮されるものであることを考えると、神にも似つかわしいこの見事な仕事を成しとげた質朴な老農夫に、心から尊敬を覚えずにはいられない」。

 伝記のような物語はこう終わっています。

 この最後の短い文章から、私は次の点を学んだ。

  ●「たった一人の人が自分の肉体と精神力を以って、荒れ地を無心で耕し、後の世の人たちに大いに貢献することができた」、

 ●「その力は、常に魂を高貴に保ち、利益に走らず、ひたすら無私に与え続けた」、

 ●「そういう広い心を持ち続けるがゆえに、初めて完全に発揮されるものである」。


 「こうしたからこそ、見事な仕事を成し遂げた」と結んでいます。

 この文章から、私はその“裏側”をこう読み解いた。

 ★全てのことに対して自分の欲得に走って、肉体は使わずに収入を得ようと企み、精神力は利権に使い、「世の人のため」など考えもせずに自分や自分の身内にだけ貢献しようと策を講じる。

 ★その力は常に、魂を濁して他人を陥れ、利益に走り続け、ひたすら自己の利得や利権を高めることばかり続けている。

 ★世を弄ぶそういう心を広く持つゆえに、利権ばかりの世となり、まちは悪ではびこり、衰退の一途をたどるのである。


 「『こんな人間になってはいけない』とこの本は教えている」と悟る。

 二十八年前に買ったこの本は、小さな本ではあるが、「目立たずとも、世のために励み、静かに去っていくものである」という信念を教えてくれたいい本だと私は思っている。


 世は生きにくいものだから、夢や目標はなかなか簡単には発揮もされないし、達成もされないであろうが、70歳を超えた私はこうすべきだと決意しています。

 「人生のすべては、自分や家族のためではなく、『世のため人のため』です。当然ある程度の収入がないと世のため人のためには生きてはいけませんが、ある程度の収入があれば、それからは『世のため人のため』に生きてゆくべきもの」。

 そう思っています。

 これを機会にでいいので、皆さんもお考え下さい。「自分は自分や家族のためだけに生きてはいないか」、「利益が伴わない行いであっても、世のため人のために生きているか」と。

 最後に、この本の冒頭に短くこのような文章が書かれていましたので、それも紹介しておきます。訴え掛けている内容がどのようなものかは読者の皆さんがそれぞれ深くお考え下さい。

 「ある人が真に並外れた人物であるかどうかは、幸運にも長年にわたってその人の活動を見続けることができた時に、初めてよくわかる。その人の活動が、たぐいまれな高潔さによるもので、少しのエゴイズムも含まず、しかも全く見返りを求めないもの、そして、この世になにかを残していくものであることが確かならば、あなたは間違いなく忘れがたい人物の前にいるのである」。


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小泉信三の「五か条の訓示」から学ぶ

2018-09-05 | 人間のあり方
 三年前の5月に読売新聞の特別編集委員の橋本五郎さんが書いていました。
 
 ≪1940年10月、慶應義塾長の小泉信三は塾生に五か条の訓示をしました。その訓示は各教室に掲げられただけでなく、その意味を添えた紙を、塾生全員が持たされたそうです。

 ※慶応義塾のHPに掲載されている訓示 ←(クリック)

 一、心志を剛強にし容儀を端正にせよ、

 一、師友に対して礼あれ

 一、教室の神聖と校庭の清浄を護れ、

 一、途に老幼婦女に遜れ、

 「善を行ふに勇なれ」。

 これを見ると「五か条」ではなく、「四か条」と「まとめの言葉」と見受けられます。

 容儀とは礼儀にかなった端正な身だしなみです。形を正すことは心を正す第一歩だと考えたのです。電車では、お年寄りや小さな子供、女性が安心して乗り降りできるよう、遜(ゆず)る心が大切だと諭しました。

 正しいことを知りながら、それを行っていないのなら、正しいことを知らないことと同じです。ほんのわずかな勇気がなくて正しい行いができないというのなら、日頃から正しい行いをするのだと心に留めていなければならないのです。


 「善を行ふ」とは、深く考えた上で、自ら信じた道を勇気を持って歩むということなのでしょう。それは大学生に限りません。私自身も絶えずかみしめていなければならない教えだと改めて思っています。≫

 
 小泉信三の「五か条の訓示」について私は知りませんでしたが、小泉信三が言うこの部分については同感でした。

 「正しいことを知りながら、それを行っていないのなら、正しいことを知らないことと同じ。ほんのわずかな勇気がなくて正しい行いができないというのなら、日頃から正しい行いをするのだと心に留めていなければならない」。

 これから議員の職を終える時までも、市政や市議会において不正や不適正を発見したら、勇気を以って行動してゆく所存。

 もしこのような精神がなければ、まちの政治に関わった甲斐が無いし、政治家としても恥をさらすだけだ。


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「伝説の工場再建屋 山田日登志」に学ぶ

2018-08-29 | 人間のあり方
 十年前になるが、2008年4月15日に放送されたNHKの番組「プロフェッショナル」の「輝け社員 よみがえれ会社」は、議員をしている自分にも大変勉強になり、貴重な時間だった。(当時に書いた記事からもう一度、思い出してみた)

 番組の副題は「伝説の工場再建屋 山田日登志」。

 山田さんが目指すのは、工夫すれば、努力次第で生産性は高まり、工場は無限に強くなる。これが山田さんの信念。

 番組を見ながらメモした言葉や要素を列挙する。

 企業人だけでなく、行政職員、議会人にもその職務に関する能力アップの面で参考になるのではないか。

 ●「ムダ」を見つける。
 ○トップの指示待ちでいいのか。
 ○社員の意識を変えるにはどうすればいいのか。
 ○トップは社員のやる気を引き出せ。
 ○会社の目指すところは何か。
 ●常識破りの工場改革で、社員が変わった。
 ○決められたことだけやっていた社員の意識が変わった。
 ●悪い点を悪いと誰かが言わなきゃ、人は変わらない。
 ○工場に潜むムダを取り除く男が必要だ。

〈赤字工場を再建するための手法〉

 ①材料は使う場所に置く。
 ②機械が商品を作る時に見ているだけの人はムダで、必要ない。
 ③動線を短くする。
 ④運ぶ距離は出来るだけ短くする。
 ⑤新製品は客のニーズに合ったものを作る。
 (これらは当たり前のことだが、気付かずに仕事をしている例が多分にある)

 ●変わることはいいことだとみんなが気付くと、組織は変わってくる。
 (誰も気付かないと、いつまでも組織は変わらないということになる)

 ○仕事が増えて文句を言っていた人も、効率が上がってくると「色々工夫できて、仕事が楽しい」と、やがてどんどんやる気が増大してくる。

 ○社員が仕事の楽しさを味わえば、工場はどんどん強くなる。

 ●働くことに喜びを持つこと。

 ●苦しいけれど、仕事が楽しいという人間を作らなければ、組織は荒廃する。

 ●変化を受け入れないから、改革が進まない。逆に言うと、改革が進まないのは、組織に属する人間が変化を受け入れないからだ。

 ●下手な伝統や昔から続いてきた慣習に固執し過ぎると、社員が好き勝ってやるから、会社がおかしくなるんだ。

 ●工夫の余地は無限にある。後は、やるかやらないかだけだ。

 ●プロフェッショナルとは、使命を感じて人が賞賛してくれる働きをする、そんな人をプロと言う。

 この番組を見て思ったのは、やはり思った通り、これまで私が議員の責務として行ってきたことに誤りは無かったと確信した。「動かない人間の方が間違っている」と。

 それと、この番組の中で特に注目したのは、山田さんに問題点を指摘された一人の家具職人がそれを改善しようと必死になって作業時間を短縮しようと苦心するシーンでした。機械や材料の置き場所を変えたり、取っ払ったりして、少しずつ時間を短縮して行く過程は、特に楽しく見せていただいた。こんな職人のいる会社や組織は強いと思いましたね。逆に言えば、こんな熱意のある人がいない会社や組織に将来は無いし良くはならないと、確信めいたものを感じた。

 この場合も、飛騨高山の家具会社社長が「再建屋・山田」に工場形体の改革改善を依頼して職人に指導してもらったことから木製チェアの製作時間が半分に短縮されたものであって、これがこの会社の別の工程で仕事をしている同僚職人が当該職人に改善点を指摘し助言を与えた時に、素直にそれを聞き入れ、改善に努めたかは大いに疑問だ。

 「上」から支持されたり、著名な人物が来て指導されたら改めようと努力するが、同僚や自分より経験の浅い人、分野の違う人から誤りや不適正や知識・技術の改善点などを指摘、指導されると、努力しない。むしろ反発する。だから、70歳のおじさんが10代の少年の頑張りを見たとしても学ぼうなんてことはしない。

 つまり、人によりますが、年齢で差別し、教養や知識の深さに嫉妬して学ぼうとはしないひとがいるということだ。

 人間とは概してそうしたものですが、そこを素直に反省し、受け入れてトライしてみるところに、勇気の有無、誠意の有無が表出する。

 でも、テレビや映画のように「あー、あいつが言うように、俺は今日まで間違っていた。改心して、組織のために尽くそう」とする人は、あまりいません。

 努力する人はもともと生真面目な努力家だから、指摘されることは無い。指摘される人が大体、改心しないものです。逆に反発し、ただ逆らい、人を陥れ、成り上がろうとする。

 そうではなく、とにかく山田日登志さんから学び、広く世間から評価される人になりましょう。


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「台風一過」の青空を喜ぶ時代は過ぎ去ったのでしょうか

2018-08-27 | 人間のあり方
 最近の天気はおかしい。

 これまで台風が過ぎ去ったら、翌日はカラッと晴れた空になり、それを「台風一過」と呼んでいました。

 でも、ここ数年前からでしょうか、台風が直撃し過ぎ去っても、空はカラッと晴れない。翌日も曇り空で雨が降ることの方が多くなった。

 この間の台風が過ぎ去った翌日の24日も、午前中は何度も大雨が降った。みんな驚き、笑っていました。

 「どうしたんだ、この大雨は」と。

 この光景を考えていて、ふと「人間社会の生活習慣も似たようなところがあるなあ」と思った。


 これまでは、「通常は悪いことがあっても、それが過ぎ去ったら明るい光が差す」と、気分を切り替えることができた。そうして人生の苦難を乗り越えてきた。

 でも、この台風が過ぎた後も空は曇り空で、時には大雨が降り、いつまで経っても空は雨雲で覆われている。

 そんな光景を考えると、これは人にもよりますが、「通常は悪いことがあってもそれが過ぎ去れば明るい光が指すものだが、いつまで経っても人生の状況が良くならない」と、気分が晴れない状況が続くのとよく似ていると思った。

 こういう風に物事を考えるのも「年齢が高齢化したためなのか」とも思うが、襲来する台風が行き過ぎても曇り空と大雨の降る理由がまさか、地球が高齢化したための天候不順ではなかろう。

 いや、「地球温暖化による夏場の高温化」という話もあるから、地球も高齢化してしまっていて、それ故の天候不順であるのも大いに考えられます。

 台風20号の襲来が満潮時と重なったため、室戸市内の海岸にある国道にはたくさんの大石や小石、プラスティックでできたペットボトルなどが打ち上げられていました。このことを考えると、正しく人生を歩んでいても、油断していれば、陰に隠れた悪い人間に石をぶちつけられ、足を引っ張られ、首を絞められ、やがてその土地から追い出されることもないとは言えない。

 想起しますが、これから勝つのは「高齢化のために温暖化し続けている地球」と「正義感と倫理観を失ったがために悪化し続けている地域」で、「公正で公平で適正で道徳心にとんだ精神を持つ住民」は敗北感を抱えてその土地から出て行くしかない。悪い政治は勝ち、幅を利かせるので、正義感にとんだ正しい政治を実現しようとする者たちはまちから出て行くしかない。

 そんなふうに考えます。

 少年時代がそうでしたが、「台風一過」のあの澄み切った青空を喜んだ時代はもう過ぎ去ったのでしょうか。


 そういう“地球高齢化”を思う時、“地域意識の高齢化”はさらに進行するであろう、とも思う。

 それを止めるのは、ただ一人、「悪意を持った話には絶対に乗らない正義感と倫理観を持ち、住民が求める公正で公平で適正で道徳心にとんだ精神を持つ人」。そういう人が組織のトップに立ち、“地域を高齢化させて曇り空や雨を降らし続けている状況”を改革し、「台風一過」の青空を喜ぶ時代を作ることが、責務となる。

 台風一過の青空を地域に広げる人柄を持った人間がトップに立つか、台風が過ぎ去った後も大雨が地域に降り続いているような住民に苦労させ続ける人間がトップに立つか。それを決めるのはその土地に住む住民の皆さん、あなた方です。

 結果、前者がトップに立てばまだそのまちに暮らせましょうが、もし後者が立ったなら、みんな一日も早くそのまちから出たほうがいい。

 「ああ、あの暮らしやすかった“日々青空の時代”が懐かしい!」。


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