日々是好舌

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五糞書を 是非読みたいと 手紙きた

2019年10月21日 17時52分50秒 | 日記
 ネットで俳人・秋山秋紅蓼を検索したら秋山白兎俳句館がヒットしたのでプロフィールを読んだら著書に野糞の極意を著わした『五糞書』なる奇書があるとのこと、是非拝読したいので一冊わけて欲しいという丁重なる手紙が届いた。差出人は山梨県の方である。書いたのは二〇年も前の話で居酒屋の依頼で書いたものだが当時も小冊子で五〇部くらいだったので今は一冊もないと返事をかいた。ただ、どうしても読みたいというのであれば青柳新太郎随筆集に掲載してあるからと書き添えた。世の中には変わった人もいるから楽しくなる。と、言っている本人が一番の変わり者なのだが。


【五糞書・ごふんのしょ】

 二天一流の開祖、宮本武蔵玄信が著した『五輪書』に野糞の極意は書かれていない。

だが、生きるために食餌を摂れば必ず排泄せねばならぬというのが生きとし生ける物に負わされた宿命である。

しからばここに青柳維新入道白兎が恥を忍んで野糞の極意を伝授しようというのが地・水・火・風・空、五巻の趣旨である。

【地之巻】

この巻では野糞をするときの地理的条件について要諦を述べる。

先ずは足場を確かめることが肝心である。みだりに崖っぷちなどへ近寄ってはならない。

足を滑らせて転げ落ちては怪我をする。どうしても斜面を利用したいときには立木などにしっかり摑まって谷側へ尻を突き出してやるがよい。

無闇に急いで見境なく屈むと障害物で尻を傷つけることがあるので注意を要する。小枝といえども柔らかな尻に刺されば痛い。

蛇、百足、蜂などには特に警戒が必要である。井川大日峠で、こともあろうに恥部を蝮に咬まれて落命した女性の実例を筆者は知っている。

深山、荒野といえども人の通路へ脱糞するのは避けるべきである。

人が飲用する懼れのある渓流などを糞尿で汚染してはならない。

【水之巻】

 この巻では糞と水との因果関係について述べる。

便所のことを手洗いと云い手水(ちょうず)ともいう。厠(かわや)の原義は川屋だという。雪隠(せっちん)というのは禅家の用語だが雪も水の一形態に過ぎない。

かように糞と水との因果関係は深い。

時にして渓流の石を跨いで野糞をすることもあるが、あれは一種の緊急避難であって通常の場合は絶対にやってはいけない。

山間地では下流で飲料水に利用している場合が多いからだ。

野糞を垂れたあと手を洗う水が無いときは、水のある所まで辛抱するより仕方がない。

しかし不運にも糞で指先などを汚してしまった場合は、柔らかな草の葉などをよく揉んで拭いとるとよい。何事も工夫が肝心である。

【火之巻】

 この巻では野糞を垂れる時の身構えについて述べる。

登山愛好者などが山で雉を撃ちに行くと言えば野糞をしに行くことだ。女性の場合は花摘みに行くなどと言う。雉を撃つ時の射撃姿勢は銃をやや中腰に構えるらしい。

野糞の姿勢も始めはやや腰を浮かせ気味に入り、周囲の状況が安全であることを確かめてから、もう一段、腰を落とすとよい。花摘みの場合も要領は同じである。

俗に、蛇が女性の恥部に侵入したとか言う話を耳にするが俄かには信じがたい。蛇といえども天岩戸(あまのいわと)と石垣の隙間との識別はつくはずである。

あれは、蛇が鎌首を擡げるのと股間の一物が勃起するのを卑猥に連想した想像上の被害ではないのか。しかし、蛇は人の数十倍も温度の変化に敏感である。いきなり射程距離内に人間の体温を感知すれば餌と勘違いして咬みつくのは当然である。

従って、露出する身体の範囲で温度の高い部分すなわち放尿時の恥部は最も危険な箇所といわねばならない。屈んで用を足す女性の場合は特に注意が必要である。

毒蛇の害から身を守るためには手頃な棒切れなどで草叢を叩いて安全を確かめる方法が最もよい。蛇は霜が降りる頃になると冬眠に入るので晩秋から早春にかけての低温期は安全である。

【風之巻】

 この巻では野糞の後始末について述べる。

野糞であれ尻を拭う紙があれば問題ない。雑誌、新聞紙などで代用する場合はよく揉んでから使用するとよい。紙の代替品を自然界に求めるとすれば、蕗の葉などの広くて柔らかいものが最適である。柔らかな草を束にして使ってもよい。木の葉などは青葉よりも落ちて湿ったものの方が柔らかでよい。

尻を拭うのに、滑らかな肌の石とか藁縄などを使用した例もある。パンツ、ステテコ、タオル、ハンカチなどを尻拭きに使うのは邪道である。

己の糞は猫でも隠す。所謂、猫糞(ねこばば)である。万物の霊長たる人間が糞を隠さないとすれば猫にも劣る。糞は土で覆うのが最善だ。土に含まれるバクテリアが分解を早める。次いで、砂、砂利、小石、礫と続く。

尺を超える石の場合はあらかじめ石を外して出来た穴に用を足し、事後に元のように石をはめ込んでおくとよい。土石がうまく利用できない時は落ち葉、枯れ草などで充分に覆うがよい。それも出来ない時は棒切れでも立てればよい。要するに、後から来た人に不愉快な思いをさせないことこそ野糞常習者の大切な心掛けである。

【空之巻】

 この巻では野糞の奥義について述べる。

野糞の深奥は「融通無碍・ゆうずうむげ」である。一切の拘りを捨てさり自由な境遇、無我の境地に身を置くことである。

人間には道徳、礼儀、常識など様々な束縛がある。だから座敷や台所へ糞をする人はいない。道路の真ん中や他人の屋敷も除かれる。しかし道路の脇の側溝や畑ともなると筆者にとってはしばしば絶好の排泄場所となる。

脱糞は便所で、という頑冥な固定観念を捨てなければ到底、野糞の名人上手にはなれない。身を山野の草木土石に同化させることが肝要である。

人は鳥獣蟲魚の仲間である。己を空しくすることが野糞上達の秘訣である。

野糞の場所を無闇に選んではいけない。何処へでも用が足せなければ達人とは言えない。工事現場などの人がいるところで糞をひるためには若干の小道具がいる。新聞紙でもベニヤ板でもダンボール箱でも何でもよい。

後ろに遮蔽物があって前だけ隠せばいいような場所を選び、新聞紙を両手でひろげて読むような格好でしゃがむ。顔の表情はいかにも新聞を読んでいるように装うことが秘訣である。ダンボール箱の場合はコの字型に囲う。いずれにせよ素早く事を済ますことが肝要である。

このときビニール袋とかセメント袋などがあれば大きい方だけ載せるとよい。後始末が楽である。

「何いってやんでぇい。いいかげんにしねぇかい。糞ったれ野郎っ」

読者諸兄の罵声が聞こえてくるようである。野糞に極意も秘伝もありはしない。ただ尻の穴のしまりが悪い情けない男の戯言である。

完。



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2 コメント

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拝見しました (白兎さん)
2015-08-17 16:21:17
白兎さんとお付き合いさせた頂く前にブログで拝見し
面白おかしく、また博学者であることを意識したのでした。
お付き合いさせて頂いて、さらにその博学に敬服したのでした。
博学者を例えて、「生き字引」「百科事典」などと申しますが
それはるかに上回る、底知れぬ知識の泉をお持ちの方だとと思っております。
耳学問です。 (秋山白兎)
2015-08-19 15:01:29
世の中にはそれぞれの分野の専門家が居ります。私の雑学は主に現場の仲間や先輩の方たちからの耳学問です。

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