幸せを育てる教育まんが

お子様から お年寄りまで読んでいただきたいものとして仏教書及び仏教まんがを刊行いたしております。

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おぼん

2011年04月22日 | 日記


お盆のはじまりは、モッガラーナというお釈迦さまの有名なお弟子様が、母の死後の苦しみを救いたいという真心によるものです。

み仏の教えをきき、そして学び、父母・ご先祖さまのあの世でのしあわせをおいのりして、そのご恩に報おうではありませんか。
                          



       書名 : おぼん
       価格 : 1部 100円(税込み)

仏教まんが・仏教専門出版社 青山書院


 
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お釈迦さまのご生涯

2011年04月15日 | 日記

(3)王子としてのおしゃかさま

 シッタルダ王子は何一つ不自由なく、すくすくとお育ちになられました。
7歳の時から学問と武術におはげみになられましたが、そのすぐれた智慧と
力はその道の師匠をおどろかしたといいます。

でもどことなくもの思いに沈まれがちな王子様が、ある年の春のたがやし
(耕耘)の式にのぞみ、すき(犂)にほりかえされた虫をついばむ鳥を見て、
“あわれ、生きものは互いに食み合う”となげかれた話が伝えられています。

やがて、成人になられたシッタルダ王子のために父王は夏、冬、雨期の3つ
の宮殿をたて、美しいヤショーダラー(Yasodhara)姫を王子の妃としてむか
えました。

このような父王の心づくしにもかかわらず王子さまの思いはいよいよ
つのり、父王はアシダ仙人の予言を思いあわせるようになりました。
そしてついに有名な“四門出遊”(しもんしゅつゆう)という事件が起こるのです。

つぎつぎに東・西・南・北の城門を出られた王子さまはそのつど、“おい(老)”
“やまい”(病)と“死”に出会い、最後に出家者を見て、人の世の苦しみと
そこからはなれるべく修行することをはっきりとおわかりになられたのです。

王子さまの眼には美しい宮殿も、楽しい宴(うたげ)も心のなぐさめにはうつ
らず、ただ人の世のむなしさとそのうつろいのいたましいものにしかうつりま
せんでした。そこですでに生まれた子、ラーフラ(Rahula)の父でありながら、
お城と家族を捨てて出家(しゅっけ)するご決心をかためられたのでした。


(4)ご出家

 王子さま29歳。
その日も昼についての夜半までの宴につかれて深いねむりにおちいりました。
ふと目をさますと、はなやかなよそおいで舞い、歌っていた宮女たちもねむって
います。そしてそのさまは目をおおいたくなるよな見苦しいものでした。

 「一切がこのありまさである。これいじょう堪えることはできない!」
とさけばれた王子さまは馬屋にいかれて馬の用意を命じ、ヤショーダラー妃と
愛児ラーフラの寝室に立ちよって無言のわかれを告げました。

そしておろおろするばかりの馬丁(ばてい)チャンナ(車匿)をはげまして
愛馬カンタカにまたがってお城の東門にむかわれました。
父王さまは王子の出家をおそれて厳重な警備をつけていたのに不思議にも
王子さまのご出家を気づく人はいませんでした。

東門をひらいて外に立たれた王子様はお城に向かってご誓願なさいました。
 「父王さま、おばさま。養育の大恩愛を深謝しつつ、ただいまからまことの
 報恩の道に入ります。今から後、生死一切の苦患(くげん)を解脱する大道を
 成就するまではたとえ枯骨になっても父王さまはじめすべての親戚に見(まみ)
 えません。」

馬をひるがえしてまだ明けやらぬ東にめざされたのは王子さま29歳の
4月15日のことと伝えられています。

やがて、アノーマ(阿奴摩)河をとびこえ王子さまは朝日に輝く真砂(まさご)
の上で修行者のよそおいに着換し、身につけていた宝冠と礼服をチャンナに
あたえて愛馬とともにお城にかえり、父王にお伝えするお言葉もあたえました。
そしてヤショーダラー妃にはつぎのような伝言をそえました。

  「人の世は必ず別れの悲しみがある。わたしはその悲しみの本(もと)を
  断つためにこの道を行くのだ」と。

次回は5月1日に掲載いたします。
                                                                 青山書院 澤宗彦
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お釈迦さまのご生涯

2011年04月01日 | 日記

(1)“ほとけさま”と“おしゃかさま”

おしゃかさまの姓はゴウタマ(Gautama)、お名前はシッタルダ(Siddaharta)
とおよびしました。西暦の紀元前463年ごろ、今のネパール王国にあった
シャキャ(Sakya)族のカピラ城、シュドーダーナ(浄飯王じょうばんのう)
王の王子として生まれました。

おしゃかさまはこの古代王国の一人の王子として成長して結婚されました。
そしてその楽しい王城のくらしにもかかわらず王子は深く人生のなやみに思い
をこらし、ついに出家して苦行をつづけ、6年後さとりを開いてブッダ(Buddha)
になられ、45年間ひたすらにブッダの教えを説かれました。

ブッダを“仏または仏陀”と漢字で書き表すのですが、この言葉の意味は
“さとられるもの”“めざめたひと”“尊敬されるべき人”をさすものです。
私たちが呼びならわしている“ほとけさま”とは先ずはこのブッダのことであり、
“ブッダ(仏)のおしえ(教)”が仏教ということになるのです。
もっとくわしくいうならば“ブッダになられたおしゃかさまがおしえられた教え”
が仏教ということになります。

“おしゃかさま”というよび名はなんでしょう。カピラ城、シュットダナ王の王子、
ゴウタマ・シッタルダさまはシャキア族でした。ですからブッダになられた
“シャキア族の聖者”を“シャキ・ムニ(Sakya‐muni)”と、当時の人々は
およびしました。それを漢字で“釈迦牟尼尊(しゃかむにそん)”と書きあらわし、
ちじめて“釈尊”ともおよびするようになったのです。
それをわたしたちはふるくから“お釈迦さま”とおよびしているのです。

つまり、さとられた、めぜめられた、もっとも完全な人格者になられたブッダ
でいらっしゃる釈迦族の尊者(そんじゃ)という意味が“おしゃかさま”という
よびな(名号)にこめられているのです。


(2)おしゃかさまお誕生

人類がはじめてめぐりあえた偉大な師、おしゃかさまのお誕生には超人的な存在に
ふさわしい気瑞(きずい)が語りつがれています。とくにお釈迦さまの母、マーヤ
(摩耶)夫人(ぶにん)がみごもられた時の白象(びゃくぞう)の夢は有名です。

この世のはるかな高みにある兎率天(とそつてん)から降りる牙をもったその白象は
安らかに眠る摩耶夫人の右の脇下から胎(はら)にはいられました。やがて月満
(つきみ)ちて夫人は出産のため、お里のデーヴァダハ城におもむく道すがらに
あったルンビニ(Lumbini)の花園(はなぞの)でやすまれました。夫人が花ざかり
の阿育樹(あようじゅ)の枝におすがりになられたとき、お釈迦様のお誕生をむか
えることになりました。

お生まれになったお釈迦様はそのまま四方に七歩はこばれ

「天の上、天の下(天上天下)
 我こそもっとも尊くあらん(唯我独尊)」

とご宣言されたと伝えられています。父王のおよろこびはもとより、国をあげて
のお祝いのうちに、父王はシッタルダ(悉達多)、つまり「成就するもの」と
名づけました。

そして王子のお誕生を奇瑞によって知り王宮に入ったアシダ(阿私陀)仙人が涙を
ながしたという話は有名です。このようにしてお釈迦さまはこの世にお生まれになり
ました。でもその喜びがつくるくらい影のように、摩耶夫人はご出産後、七日目に
この世を去られました。おばのマハープラジャーパティが母がわりになられて
お釈迦さまをお育てになられました。


次回は15日に掲載いたします。
                                                                 青山書院 澤宗彦
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