「知識の、自然的知識から学的知識への進行の過程、これが即ち『現象論』の主題である。それはまづ知識の最初の現象から出発する。そして、それが有っている確実性の要求乃至自負の土台を掘り下げて、これを覆へすことによって、
— review (@myenzyklo) 2018年3月18日 - 19:01
そのものの偽物であることを暴露する。乃ち、この掘り下げる過程が、やがて第二の現象に導く。ここで、最初の現象は、確実性の名誉を第二の現象に譲らなければならない。しかし、いまや第二の現象の確実性が吟味されなければならない。この過程は、順次に類似の経過をへて、
— review (@myenzyklo) 2018年3月18日 - 19:02
遂に、知識がもはやそれ自身を超出すべく要求されないところまで進行するであろう。この境地に於ける知識は、それに前行する総ての現象的知識形態の綜合を代表するもので、それは現象たることをやめて、「真実」なる「学的知識」となるのである。
— review (@myenzyklo) 2018年3月18日 - 19:02
学的知識は、現象的知識に纏綿する一切の「不完全性」を離脱して、言はば「絶対的知識」である。ここに到って、甫めて、哲学は単なる「愛知」たる以上に、真に「学」となることが出来るのである。そして、これが、『精神現象論』の樹立すべく企図した極地であり、ここに到る知識展開の過程が、
— review (@myenzyklo) 2018年3月18日 - 19:03
現象論の内容を構成するのである。」
(矢崎義盛『精神現象論』s.80)
※ヘーゲル『精神の現象学』についての簡潔な要約になっている。 — review (@myenzyklo) 2018年3月18日 - 19:08
※
矢崎美盛の『ヘーゲル精神現象論』(昭和11年10月10日)を たまたま読んでいて、その「精神現象学」全体についての、極めて簡潔にして的を射た要約に感心してノートしたものです。戦前の日本のヘーゲル研究のレベルを示すものと思います。平成の御代のアカデミズムの水準と比べてみればどうか?
しかし、それにしても、矢崎美盛は何を目的に「ヘーゲル現象学読解」を志したのだろうか。もう少し読んでみないとわからない。
著者名は「矢崎美盛」が正しいのに、ツイッターでは誤って「矢崎義盛」と打ち込んでしまいました。お詫びして訂正します。
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