なんて表題は、なんだか、近況報告みたいだけど。
ともかく、受診しました。
かくかくしかじか、とね。
すると、当の先生、あんまり気乗りしない風情で。
よくあることだしね、そんなに気にすること、ないんじゃない?ってな具合で。
いや、妻がネットなんかみると、なかなか、重篤なものもあるようで、と言うんでね。
と言うことで、血液検査と尿検査をしてみますか、ってわけだ。
今日の午後には結果が出ます、と言うことなんで、今日もまた、出かける事になる。
透析専門の病院だからなのか、随分空いていて、午後の部の1番目。
あっという間に終了、10分、たったかな。
ドリフの、もしもこんな病院があったなら、みたいなコント的な時間でもあるな。
もっとも、そこの院長さんは、割と好きな方で、付き合いは長いんだけどね。
昨日は、別の先生だったけれど。
ところで、この5月には、恒例の歴史の旅に出かける事になる。
ほぼ参加メンバーも出揃い、レンタカーの10人乗り、満車、と言う状態で。
場所は、剣山、四国ですね。
今月の半ばには、1回目の勉強会。
失われた聖櫃、失われたアークを巡る旅、とでも書けるか。
なんて時に、「邪馬台国は四国にあった」なんてブログに出会い。
2700年前、南ユダヤ王国のイザヤ一行と失なわれた10部族のうちの1部族が葦船にのり四国へ。
と。
そこを、イスラエル人はアルツァルト、日本人は高天原、中国人は邪馬台国、と呼んだ。
と言うんだね。
徳島県の名西郡神山町、らしい。
今回の旅程表には、その辺り、入っていたな、たしか。
天皇の即位の儀、大嘗祭か、その時の衣、神御衣、それを今でも用立てるのが三木家だそうで。
そのお宅も、範囲内だ。
なので、なかなか、コアな旅になりそうだ。
興味ない方にとっては、わかんない、意味不明、何がたのしいの?ってんもんだよね。
上記、2700年前から300年経った後、2400年前だね、日向族が。
船に乗ってたどり着いたのが、足久保、硯水泉で有名な、いや、お茶か、千手観音か。
何れにしても、そこにたどり着いた、と地元の方が、小冊子を出されていて、図書館で見かけたことがあるんだけど。
それはもう10年は経つのか、もっとか。
そこにある足杯神社(あしつきじんじゃ)へもお参りしたし、法明寺にもね。
このお寺にある大木が燃えている、と奈良の都で透視した行基菩薩さんが。
時の聖武天皇の病は、この火による、と判断し、奈良からここまでやってきた。
そして、その火を消し、その木から一刀彫りにしたのが、今に伝わる駿河七観音。
千手菩薩さまと言うわけで。
行基僧団が、その時に飲んだ水が、今の硯水泉、と続き。
なんてこと、その昔、ブログにも書いたかも、だな。
さて、では、結果を聞きに行ってまいります。