慶応4年5月2日は、慈眼寺の会談の日である。同じ日に与板にいたはずの会津藩兵4百人が渋海川を渡り、小千谷の隣の片貝に入り、浄照寺に本営を置いた。
もちろん、目的は会談の妨害である。この日まで会津藩は、越後の各地の戦いでことごとく破れてきた。閏4月24日の三国峠の戦い、26日の芋坂・雪峠の戦い、27日鯨波の戦いと同日の小出島の戦いである。
長岡藩の助けを借りたい会津藩が、捨て身の妨害策に出た。交渉決裂、会津のシナリオ通りである。翌5月3日、ついに片貝の戦いが始まる。
会津藩が本営を置いた浄照寺には、チョウジソウ(丁字草)とキエビネ(黄海老根)が咲いていた。
会津藩は果敢に戦うも、圧倒的な数の差で片貝を退くが、長岡藩の旗印である五間梯子を、戦場に置くことは忘れなかった。
戦いの後に残された会津藩兵3人を地元民はかくまったが、やがて息切れた。
地区外れの元庄屋の敷地に1基の墓があり、かなり風化しているが、会津藩の文字ははっきりと読める。
激しい戦闘で、西軍の尾張藩にも被害があり、浄照寺には6人の墓が残されている。
浦柄神社の会津墓地に寄りながら、次の地の小出島を目指す。
途中にJR信濃川発電所がある。山手線などの首都圏の発電所として知られているが、地震からは復興したものの、取水量で違反が見つかり、首都圏に住む者としては心配である。
芋坂・雪峠の近くの、真人温泉で疲れを取り、翌日に備えることににする。
真人は「まっと」と読み、櫻井よしこさんのゆかりの地である。今週末の20日(土)、21日(日)に、第12回藩校サミットin長岡が開催され、櫻井よしこさんは鼎談(3人で話し合う)の部に登場する。すでに1500人の募集人員を超え、大会関係者は断わっていると嘆いていた。
明日は小出ですから、今度は聞いた地名や寺があるのではないでしょうか。
現役の小出の中学生5人が、白虎隊を知りませんでしたから、安心して下さい。
地元に関係する歴史は、少しは学ばせるべきでしょう。
長岡なら米百俵でしょうか。
白虎隊を知らないなんて
浄照寺のチョウジソウは、大分株数が多いようですね。この花、色がとても好きです。
チョウジソウは良い色をした山野草だと思います。
自生地は少なく、絶滅危惧種にはいっていますが、園芸店では栽培物を安く売っています。
数字が「6789」です。何か良いことでも。
花は優しい色
真人温泉は鄙びた温泉の様ですが、櫻井よしこさんの出身の地ですか?
小千谷は昔は織物のちぢみで知られていました。かなり長期にわたる取水量の違反のようで、ちょっとしたキセルよりはかなり悪質のようです。
しばらくはフル回転はできないのでは、ないでしょうか。
JRの発電所は復興して間もないのですが、他から電力(東電になりますが)を購入するのでしょう。
費用が増えても、不正で止められているのですから、値上げもできないでしょう。
真人温泉ができたのは、地震の後だと思います。櫻井よしこさんの母親の出身地で、子供のころに少し済んでいたようです。