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青草俳句会~命のよろこび

結社「青草」 主宰 草深昌子

草深昌子を中心とする句会・選後に・令和7年2月          

2025年03月16日 | 俳句
草深昌子選

 

  春光やとんび四羽の急降下   竹内あや
 鎌倉の稲村ケ崎でのんびり弁当を楽しんでいると、鳶が急降下して見事にウインナソーセージを攫っていった。
 何が起こったのかも分からないぐらいの瞬時であった。
 以来、爪の鋭い猛禽の鳶を警戒しながらも、さてさて四羽そろっての急降下は見たことがない。
 まさしく作者は驚かれたことであろう、驚きの一句はインパクトが強い。
 たまたま出くわした発見がそのまま、「春光」にキャッチされて、情景がぴたりと決まった。

  雪解や長き眉毛のどぶろく屋   松井あき子
 どぶろくは白く濁った酒、にごり酒である。
 澄んだ酒にあらぬゆえ、どちらかというと荒くれのイメージのあるどぶろく屋、そこの主人の眉毛が長いとは、優男ではないか?
 何だかミスマッチが面白い。
 さて肝心の季題はとみれば「雪解」である、ここで大きく合点がいった。
 降り積もっていた雪がゆるんで解けはじめたのである。
 そんな光景にどぶろく屋の風貌は見事に溶け込んでいる。
 作者に問えば白川郷へ旅した句だという。そうと知ればいっそう雪解の味わいが深くなる。

  手土産は空也の最中黄水仙  田中朝子
 空也最中は、近頃いただいたことはないが、昔所属した結社の句会ではよく提供されたもので懐かしい。
 夏目漱石が、『吾輩は猫である』の中に登場させたことで有名になった、漱石はもとより明治から昭和の文豪に愛された最中である。 
 さて、そんな空也最中を手土産にして訪れたのはどこの誰であろうか。
 ただ、そこに、黄水仙の黄はひそやかにも燦然としている。空也の甘味もそこはか匂いたつようだ。

       冴返る朝の林檎を剥いてをり  山森小径
 立春が過ぎてようやく春の気分を持ち始めたころに、再び寒気がぶり返すのが「冴返る」である。
 寒中よりむしろ冷たい、その尖がった感覚は朝食の林檎が静かにも呼応している。
 朝食後の林檎でも、朝食代わりの林檎でもいい、ともかく林檎を剥くという所作が冴返るのである。
 二読三読するうちに林檎の果汁が静かにも早春の風光を滲みだしてくれるものである。

       口開けてちりめんじゃこの面構へ   小径
 ちりめんじゃこは鰯の稚魚を干したもの。
 ちりめんは一面に干した様子が縮緬(ちりめん)のようだとか、あるいは身が縮緬のように縮むあたりから名付けられたのだろう。
 そんな、極小の雑魚にも「面構へ」を認めたところが諧謔といおうか。
 「口開けて」の描写が生きている。

  

     春寒ややがて一枚脱いでをり   佐藤昌緒
 「春寒」は早春のころの寒さ。
 この頃は寒暖の差が激しく、「冴返る」寒さもあれば、春の「暖か」がたっぷりの日もある。
 掲句は、寒さに構えて着重ねてきたところ、午後から急に気温上昇という場面であろう。
 いったん上五を「や」で切って、さらに続けて「やがて」という表出加減がまさに春の寒さを明らかに見せている。
 「はるさむ」と和語で読むか、「しゅんかん」と漢語で読むか、それぞれの句においてその印象を考慮すべきだろう。
 「はるさむ」と読むのが一般的だが、私は大抵漢語読みにする、その方が寒がりには実感をもたらすのである。

       小金井のサッカー場や下萌ゆる   小宮からす
 どこのサッカー場でもよさそうだが、やはり小金井のサッカー場ならではの「下萌ゆる」が実感として立ち上がってくる。
 野球でなく地べたを蹴り上げるイメージのサッカーも利いている。
 小金井がどこにあるのか知らなくていい。
 字面から「小」、金ぴかの「金」、井戸でもありそうは「井」がさっとよぎれば、それで充分、
 いかにもサッカー少年が走り回っていそうではないか。
 そんな大地には草の芽があちこち吹きだしているのである。

       まんさくの蕾ほどけて黄に赤に   石堂光子
 金縷梅は早春にあたって「先ず咲く」、それが訛って「まんさく」だとか。
 葉に先立って咲く花の感じは野趣もあって、ちょっと跳んだ表現も可能であろう。
 だが、作者は単刀直入に見届けたままを詠いあげられた。実直にして清新である。
 さもゆっくりとした動画を見るように、縮れたように線状に開いていく花びらであろうか。それも「黄に」また「赤に」。
 これがまんさくの花ですよ、ああ出会ってよかったという喜びの余韻をたっぷり引きながら。

       乳首のごとき赤根やはうれん草   冨沢詠司
 菠薐草はお浸しに胡麻和えに炒め物にサラダに日々親しい食材である。
 それだけに、〈夫愛すはうれん草の紅愛す 岡本眸〉を筆頭に、
 菠薐草と言えば「赤」を詠いあげたいという思いが誰にでもわきあがってくる、そこに類想が生まれやすく悩ましい。
 その赤を、作者は直感的に「乳首のごとき」と見たのである。
 古い歳時記を確かめると果たして、〈はうれん草乳首のごとき根を洗ふ〉があった。
 だが、掲句は、上12にシンプルに言い切ったことをもって既成句にまさるとも劣らない独自性をもっている。

  三頭の犬に引かるる遅日かな    奥山きよ子
  稜線のなかなか暮れぬ霾ぐもり     きよ子
  一人居や一つ家鳴りに冴返る     湯川桂香
  春寒や時計の音の大きくて      木下野風
  春寒や甕の水嵩減りもせず        野風
  春セーター気持ち大き目買ひにけり   石野すみれ

    

  ダニューブや楕円渦巻く雪解水   松尾まつを
  踏青の小走り楽し小雨かな     柴田博祥
  補聴器はデスクの上や春の雷    中沢翔風
  露地売りの菠薐草は爺好み     漆谷たから
  春耕や荒田みるみる蘇り      岩城泰成
  ひとり寄席笑ひ崩れて二月かな   大村清和
  走る走る犬ころ走る春の風     間草蛙
  立春や老女の赤きヘルメット    村岡穂高
  初午や赤飯の色それぞれに     石井久美
  荒行の背ナに湯気立つ寒戻り    中原初雪
  一人飯菠薐草の根のソテー     松原白士
  春寒のジョギング軽し老いは未だ  滝澤さくら
  梅咲くや入江の際の門構へ     河野きなこ







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