草深昌子選 (順不同)
兼題「囀」

百獣の王の居眠り桜まじ 川北廣子
「桜まじ」は桜の咲く頃の南風です。地方色の濃い季語ですが、ここではよく納まっています。百獣の王たる猛獣のライオンも、折からの南風の暖かさにうっとりでしょうか。
「桜まじ」は桜の咲く頃の南風です。地方色の濃い季語ですが、ここではよく納まっています。百獣の王たる猛獣のライオンも、折からの南風の暖かさにうっとりでしょうか。
長浜の子ども歌舞伎や草の餅 長谷川美知江
長浜へよく旅をしましたが、残念ながら曳山まつりの子ども歌舞伎を見ていません。それでも愛らしい迫真の名演技が想像されます。地方色濃き味わいは「草餅」がたっぷり語ってくれています。
鞦遷は花びら乗せてゆれにけり 芳賀秀弥
鞦韆と言うと古来の遊戯を思うのですが、その古風が花びらを乗せて揺れている情感をよく引き出しています。
季重なりも気になりません。
囀りや隣の墓は真新し 中原初雪
墓参りの折です、あらっ、隣にピカピカの墓が立ったわ、というちょっとした驚きです。お隣さんよろしくねという気持、その代弁のような美しい囀が聞こえてきます。
さよならは軽くげんこつ春の宵 初雪
コロナ禍の、今どきのげんこつタッチと解さなくとも、「軽くげんこつ」はまさに春宵の哀歓を表出しています。げんこつは言葉に勝ります、「さよならは」という出だしも素敵です。
コロナ禍の、今どきのげんこつタッチと解さなくとも、「軽くげんこつ」はまさに春宵の哀歓を表出しています。げんこつは言葉に勝ります、「さよならは」という出だしも素敵です。
雨降りの障子明るく囀れる 奥山きよ子
雨降りの障子が曇っていたら一句にはなりません。雨乍ら明るいと見てとった気持ちが輝きます。それは囀のおかげかもしれません。
かたかごの花に飛立つ気配かな きよ子
かたくりと言えばすぐに〈かたくりの花の韋駄天走りかな 仁喜〉が口誦されますが、この句もそんな花の形象をよくぞ「飛び立つ気配」に言いとめられたと思います。「かたかごの花の」
囀の山膨よかになりしかな 二村結季
山の方々で囀っています。囀にしばし聞きほれていますと、まるで山がふっくらと膨らんできたようです。囀がこの山を謳歌しているのでしょう。
「膨よか」が素晴らしいです。
整列はものかなしきやチューリップ 佐藤健成
〈チューリップ喜びだけを持つてゐる〉と詠われた花ではありますが、花壇などによく整列して植えられています。ふと軍隊の整列などを思うからでしょうか、あるいはもっと何気ないものかもしれませんが、ひそかなる「物悲し」の詩情に惹かれます。
フォト展の暗き小部屋や窓の梅 中澤翔風
そういえば初雪さんの写真展は「暗き小部屋」でありました。優れた写真を引き立たせるための仕組みなのでしょう。下五は一条の明るさをぽっと引き出して見事です。「窓に梅」
手術前六階からの花見かな 松井あき子
「手術前六階からの」、そういう心境を通しての花見は人生にあってまこと稀有なるものです。これを詠い切った余裕は全快を約束するものでありましょう。
茂みから枝へ囀撥ねあがり 川井さとみ
何鳥か茂みから枝へ撥ね上がったのですが、よく観察されて一気に勢いをつけて「囀」が撥ねあがったと詠いあげたところ見事です。
膝掛けのあるテラス席花曇 佐藤昌緒
先日別のネット句会で、花見のカフエテラスに膝掛が置いてあった、と同じような内容の句に出会いました。川べりのテラス席でしょうか、花どきの曇りや冷え対策が行き届いています。
その影の土筆にとどく土筆かな 昌子
蠅止めてわがセーターは春の色
囀や机に一つ大冊子

令和4年3月・青草通信句会・選後に 草深昌子
春は鳥たちにとって恋の季節の到来です。その先駆けとして鶯の初音が待たれます。今年は少し遅れて座間の谷戸山公園で聞きました。丸木を伐るチェーンソーの音が園じゅうにとどろいていましたが、そんな人工的な音には与(くみ)しない清らかな声が鮮やかでした。
囀の高まり終り静まりぬ 高浜虚子
囀りをこぼさじと抱く大樹かな 星野立子
ところで先月、私が句会で最悪だったことを書きましたが、何と先日は最高でした(笑)俳句は全く自分の思い通りになりません。思いがけない句に点が入ったり、これぞと自信満々の句が無視されたり、これこそが句会に出たことの成果なのです。句会に出れば出るほど俳句上達が見込まれます。対面であれ通信であれ、自分から発した俳句に対する応答はさまざまですが、それが何よりの勉強です。
句会は相撲でいえば稽古場です。稽古場で砂まみれ、泥んこまみれになってこその上達です。砂まみれにならずして理屈や理論を言い張っても何の足しにもなりません。
俳句は普通の人が普通の生活をして作ります。背伸びをして、カッコつけたような句は好まれません。昔よく結社の中で、コツコツと自分の道を熱心に歩み続ける俳人を「俳句で煮染めたような顔」だと、褒め称えました。一日、一日が俳句精進の道です。そんな健康そのものの「顏」を、私たち「青草」の面々も目指して参りたいものです。
先日、句会で長くご一緒させていただいた俳人加藤喜代子さんが亡くなられました。九十八歳でした。田中裕明先生に師事して、鎌倉から京都まで新幹線で日帰りして、十数年間休むことなく裕明先生の句会に出席されました。黙々と継続する姿勢に打たれておりましたが、裕明先生は平成十六年、四十五歳で夭逝されてしまったのでした。
田中裕明先生は、私にとりましても心からなつかしく尊敬してやまない俳人です。
桜の木ひかりそめたり十二月 加藤喜代子
握り飯食ふ顏あげよ草の花
鶯や米原の町濡れやすく
悉く全集にあり衣被 田中裕明
水遊びする子に先生から手紙
囀や椀の中なる明石焼






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