<表示される広告について>
パソコン・スマートフォン版などでご覧になる場合に広告が表示されることがありますが、「立正佼成会」および「立正佼成会館山教会」・「トンヤイの個人ブログ 立正佼成会館山教会の一会員」とは一切関係はありません。パケット料金など発生するかもしれません。また有料サイトもあるかもしれません。閲覧などはご自身の責任でお願いします。生じたトラブルなどは「立正佼成会」および「立正佼成会館山教会」・「トンヤイの個人ブログ 立正佼成会館山教会の一会員」は一切対応できませんのでご注意をお願い致します。
第3回 『無量義経 徳行品第一』です。
能(よ)く一切(いっさい)の 諸(もろもろ)の捨(す)て難(がた)き 財寶妻子及(ざいほうさいしおよ)び國城(こくじょう)を捨(す)てて 法(ほう)の内外(ないげ)に於(おい)て悋(おし)む所(ところ)なく 頭目髓脳悉(ずもくずいのうことごと)く人(ひと)に施(ほどこ)せり 諸佛(しょぶつ)の清淨(しょうじょう)の禁(きん)を奉持(ぶじ)して 乃至命(ないしいのち)を失(うしな)えども毀傷(きしょう)したまわず 若(も)し人刀杖(ひととうじょう)をもって来(きた)って害(がい)を加(くわ)え 悪口罵辱(あっくめにく)すれども終(つい)に瞋(いか)りたまわず 劫(こう)を歴(へ)て身(み)を挫(くだ)けども倦惰(けんだ)したまわず 昼夜(ちゅうや)に心(こころ)を摂(おさ)めて常(つね)に禪(ぜん)にあり 遍(あまね)く一切(いっさい)の衆(しゅう)の道法(どうほう)を学(がく)して 智慧深(ちえふか)く衆生(しゅじょう)の根(こん)に入(い)りたまえり 是(こ)の故(ゆえ)に今自在(いまじざい)の力(ちから)を得(え)て 法(ほう)に於(おい)て自在(じざい)にして法王(ほうおう)と為(な)りたまえり 我復咸(われまたことごと)く共倶(とも)に稽首(けいしゅ)して 能(よ)く諸(もろもろ)の勤(つと)め難(がた)きを勤(つとめ)めたまえるに帰依(きえ)したてまつる
<解説>「新釈法華三部経1」(著者・立正佼成会開祖庭野日敬、株式会社佼成出版社発行)
「新釈法華三部経1」には、段落改行はありませんが、読みやすくするために改行させて頂きます。
普通の人間としてはとうてい捨てきれないようなすべての執着、すなわち、財宝はもとより、妻や子どもへ対する執着も、ご自分が太子としてお生まれになった王城さえも捨てて、修行にうちこまれたのでした。
そういう外面的なものばかりでなく、ご自身の肉体すら、ことごとく人のために投げ出されたのです。
諸仏の教えられた戒律は、命にかえてもお破りになることがなく、ひとが刀や杖をふりあげて迫害を加えようとしたり、また、どのように悪口をいい、ののしりはずかしめることがあっても、ついに一度だってお怒りになったことがありませんでした。
こうして「非常に長い年月修行をつづけられ、どんな苦しい目に会われても、飽きがきて怠け心をおこされることなど、微塵もありませんでした。
昼も夜も変わりなく、ともすれば周囲のものごとに乱されやすい心の動きを取りまとめて、つねに静かな落ち着いた心境でおられました。
そして、「この世の一切の道理・法則をあまねくご研究になり、すべての人間の機根に立ち入って、その真相を明らかに見とおされるようになったのです。
それゆえに、いまや自由自在の力を得られ、どのような人間にも、それに合った教えを与えて、正しい道へ導いてくださるお方となられました。あらゆる教えを、み心のままにお説きになる、〈法の王〉となられました。
わたくしどもは、おん前にねかずきまして、普通の人間ではとうてい堪えられぬような難行苦行をなさって、ついに最高の智慧を成就されましたそのご努力に、心から帰依申しあげるものでございます。
~中略~
〈能(よ)く諸(もろもろ)の勤(つと)め難(がた)きを勤(つとめ)めたまえるに帰依(きえ)したてまつる〉
仏さまの、すべてを成就された相(すがた)だけを讃歎するのではなく、その境地に達せられるまでの努力というものをほめたたえ、その努力に心から帰依申しあげるというのです。これこそ、現世のわれわれにとって、大きな励ましであると受け取らねばなりません。
******************************************************************
「好きな法華三部経の一節(3)」の投稿はこれで終わりです。
*******************************************************************
表示される広告は、「立正佼成会」および「立正佼成会館山教会」・「トンヤイの個人ブログ 立正佼成会館山教会の一会員」とは一切関係ありませんのでご注意ください。