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年に一度のお付き合い

2017-01-04 17:15:57 | 日記

師も走る と言われるほど忙しい年末に年賀状を書く習慣には疑問を抱きながらも 習わしに逆らう勇気がなくて 今年も元旦に届くよう 投函した

子供のころ 離れて暮らしていた父への年賀状に 「元気で お正月を迎えました」 と 添え書きした姉が あとで父から 「12月に書いたはずなのに 元気にお正月を迎えた と言うのは嘘になる!」 と 叱咤されたことを 今でも鮮明に覚えている
私は その年の12月に珍しく雪が降ったことから  「こちらでは12月に雪が降りました」 と 書いたのだったが 父から母宛てのハガキに 私のことを 「素直に育っている」 と褒められて書いてあるのを 目にしたのだった  

そんな記憶が消えないせい でもないと思うのだけれど 年賀状というものは 新年を迎え 初日の出を拝み 初詣のあとに ゆっくりと認めるべきではないかというのが 私の長年の持論である

それはさておき 
今年も 半分か それ以上は 年賀状でのお付き合いしかない知友人からのものだった

毎年 この時期に思い出される川柳に < 年賀状 1年ごとに 後と先 >  と 言うのがある

互いに 年賀状だけのお付き合いを もう辞めようか と思いつつあり どちらかが先に出さなかったところを やはり返信の形で送っては 毎年 繰り返して続く状態を たった5・7・5 の文字数で 実に巧妙に表していて感心するのだが

今年は 1月3日に届いた数枚の年賀状のうちの 3枚が私宛て

私の方からは 3名ともへ 元旦に届くよう出してある

そのうちの2枚は 相手が年末に書きそびれて投函が遅れたのか 私から届いたので返信として下さったのかは分からない

もう1枚は 
10年以上前には シンガポールやベトナムへ 一緒に旅をした友人からで ご主人と私の交流は 一切ないのだけれど いつものように ご夫婦での連名
いつも 余白の部分に 彼女の達筆なメッセージがあったが 今年は それがなく 活字で 友人の体調について書かれている

一昨年だったか 「あなたの健康を願っています」 と言うような意味の手書きの文に なんとなく違和感を覚えたことがあった
今 思えば あれは 彼女自身が体調を崩したことのサインだったのかもしれない

幸いにも 今はリハビリに励んでいて 快方に向かっているとの ご様子

年に一度のお付き合いと言えど 年賀状が これほどに重要な お付き合いの一部を占めていることを教えられた今年

来年は 年に一度のお付き合いの方へも 1枚1枚 心して書かなければ!

そして 後にも先にもならないよう いままで頂いて来た方々には 翌年も翌年も欠かすことなく お届けしたいものと    


 

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