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日本歴史紀行

歴史紀行 地域版 4 - 3 上野英三郎博士と忠犬ハチ公像 3 【東京都】



上野英三郎博士と忠犬ハチ公像

東京都文京区弥生 東大弥生キャンパス正門



ハチ公は、大正12年11月に秋田県北秋田郡(現在の大館市)の斎藤義一宅で父犬~オオシナイ、母犬~ゴマの間に生まれました。


当時、子供のなかった上野博士は、秋田犬の仔犬を飼いたいとの希望により、当時の価格 30円でハチ公は秋田から届けられました。

上野博士の自宅には、ジョンとエスという2頭の先住犬が居ましたが、ハチはこの2頭と一緒に育てられることになりますが、特にジョンはハチ公の面倒見が良かったそうです。

上野博士はハチ公を大変可愛がり、仔犬のハチが体調を崩してしまった時は、自分のベッド脇にハチを寝かせ、添い寝することもあったそうです。

渋谷の自宅から駒場にあった農学部への通勤や、出張の際に渋谷駅を利用していたことから、ハチ公は夕方になると自宅を脱け出し、渋谷駅に姿を現して博士を待つようになります。

ところが、大正14年5月、博士は大学での講演中に脳溢血で倒れて急逝され、ハチ公との生活は、わずか1年7ヶ月あまりで終わってしまいました。

飼い始めてから1年7ヶ月の急逝した博士が居なくなってしまったことをハチ公は理解できるはずがなく、ハチ公は毎日の様に渋谷駅で博士の姿を探したのです。

これは、上野博士が生前、出張で長期出張の時もあり、渋谷駅で出迎えていた慣習から、ずっと博士の帰りを待つようになったのです。

やがて この姿が朝日新聞の記事で紹介されると大きな反響を呼び、昭和9年に渋谷駅前にハチ公の像が設置され、瞬く間に忠犬神話が作り上げられました。




ハチ公の存在を世に知らせた生みの親で、犬の愛護と研究に生涯を捧げた財団法人 日本犬保存協会の初代会長の斎藤弘吉 氏は次のように述べています。

~ただ自分を可愛がってくれた主人への、それこそ交じり気のない、愛情だけだったと思います。~ハチに限らず、犬とはそうしたものだからです。

無条件な絶対的愛情なのです。
人間に例えれば、子が親を慕い、親が子を愛するのに似た性質のもの。
渋谷駅を離れなかったのは、心から可愛がってくれた到底忘れることの出来ない博士に会いたかっただけである。
ハチ公の本当の気持ちは、大好きな博士に飛びつき、自分の顔を思いきり押しつけて、尾を振りたかっただけである。~
と寄せました。







2015年
東大弥生キャンパスに上野博士とハチ公の像が新たに設置されました。

これは、上野博士がハチ公を飼い始めて90年という節目に合わせ、東大教授らが寄付を呼びかけて実現にこぎ着けました。

銅像の設置に伴い大学は、
私たちが東大に作る像は、上野博士が迎えに来たハチ公といつもそうしていたように、ハチ公が博士に飛びついてスキンシップしている大喜びの愛情あふれる姿です。

人と犬との素晴らしい関係を象徴する像です。
と寄せました。




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