日々雑感  ~ 青亀恵一

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感性をみがく旅 

2006-06-16 06:49:52 | 文化
感性をみがく旅 

中高校時代の同級生FFM君から、この文章をメールでいただいた。
違った視点でものを見ることをこのブログで書いたことと、
彼も建築をやっているが、
同じ建築に携わるものとして、送ってくれたものだろう。
ありがたい。
少々長い文章だが、視点を考える契機になる。
是非、ご一読願いたい。

「日本のかたち」その視点 感性をみがく旅 

東京工業大学大学院教授 桑子敏雄

時代の転換期にあたって、「感性を磨くには、どうしたらいいでしょうか」という質問をよく受ける。
近代的で合理的な思考にもとづいていては、古くから伝えられた美しいものは理解できないのではないかという疑いからである。
古びた神社の社はどうして美しいのか。
苔むした石を置く庭の美にどうしてわたしたちは感動するのか。

日本的な美を理解するための能力は、感性ということばで表現することがふさわしい。
そこで、より深く美を理解するために、深く美を理解できる人間になるために、「感性を磨く」ということが思い浮かぶのである。
「感性を磨く」というときの「磨く」というのは、「鋭くする」というふうに言い換えてもよい。

敏感に感じ取る能力を高めることである。

感性が豊かなひとは、美しいものに触れ、微妙なもの、幽かなものにも豊かに心を動かす。
では、感性豊かな人間になるには、どうしたらよいのだろうか。
同じものを見ても何も感じないひとがいるかと思えば、深く心を動かされるひともいる。
感性はひとりひとり違うのである。
ひとによって感性が異なるのは、もちろん生まれつきもあるだろう。
家庭での育ちや教育環境もあるだろう。
親や先生からトレーニングされる感性もあるに違いない。

しかし、「感性を磨くにはどうしたらいいか」という願いは、むしろ、鈍化してしまった自分の感性をもう-度取り戻すにはとうしたらいいかという意味で、真剣なまなざしとともに発せられることが多い。
感性を鈍くしてしまうもの、そのひとつは、ものごとに気づくことを鈍化させる日常である。
毎日の繰り返しのなかで、同じように美しく咲いている花を見ても、美しいと感じなくなってしまう。「ああ、また同じ花が咲いているな」とだけ思うようになってしまうと、美しいものをわざわざ見るということもなくなってしまう。

だから感性を磨くには、日常を離れてみるとよい。
旅をすることもよい。
旅は自分の日常から離れることだからである。
風光明媚な景色を眺めるための旅もある。
外国の珍しい風俗を知る旅ということもある。

ただ、どんなに珍しい光景でも、そこで暮らすひとびとにとっては日常にちがいない。
旅をするということは、もうひとつの日常に触れることである。
もうひとつの日常というのは、そこに暮らすひとびとの日常である。
その日常に触れることによって、ひとは、いままで暮らしてきた自分の日常を相対化することができる。
いままでの立場を離れて、違った立場に立ってものごとを見ることができる。
「立場を離れること」で、それまでの自分を相対化し、違った目で自分と世界とを眺めることができる。
「立場を離れてものを見る」ということは、案外難しい。

ひとは自分の利害にかかわるとき、どうしても自分の立場に拘泥し、執着しがちである。
対立が生じたとき、ひとびとはそれぞれの立場から自己主張し、相手の立場を考慮しない。
こうなると、対立は深まり、解決の糸口は見えてこない。
安易な妥協が唯一の出口になってしまう。

風景を見るときも同じである。
自分の立場にだけ立って風景を見ると、その立場から見えるものしか見ることができない。

立場を変えてみるときに、時間を意識するのもよい。
つまり、時代を超えてものを見るのである。
そのためには、激変の時代を想像するのもよいだろう。
横浜を訪ねてみれば、いくつもの古い洋館が残る。

文明開化の大波が押し寄せた時代に思いをはせ、その時代の建造物を訪ねてみる。
洋館の内部に入り、天丼を見上げてその高さに驚き、廊下を行く足音のかすかな反響を聞き、柱に触れ、床の匂いをかぐ。
当時の最先端を行ったはずの建造物を、ひとびとはどんな思いで見上げたのだろうか。

多くのひとびとは、新しい時代に向かって希望を抱いたであろう。
その反対に、新奇なものに背を向けるひとびともいたであろう。
同じ時代に、同じ場所から、それぞれがそれぞれの立場で、新しい建物を眺めたにちがいない。

文明開化の時代から遠く離れて、わたしたちは、その激変を経験した新旧どちらのひとびとの気持ちをも察することができる。
それはたんなる想像である。
しかし、この想像するということが重要である。

対立のなかにあるひとびとには、この簡単なことができないのである。
新しいものに執着するひとは古いものを否定し、古いものから抜け出られないひとは、新しい視点に立つことができない。
それぞれの立場にこだわり、そこから離れられない。

自分の立場から抜け出て、世界を浮遊してみれば、世界は、さまざまなものに満ちあふれていることに気づく。
立場を意識し、また立場を離れて世界を見ることができれば、日常の単調な世界から抜け出ることができる。
感性を磨く旅の醍醐味は、世界をいろいろな立場から見る楽しみのうちにある。
(哲学者)


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