アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

「ありがとう583系」~583系ラストラン

2017-04-08 20:00:00 | 鉄道写真(EC)

不安定な天気の中、秋田まで行ってきた。

現状多忙なため、取り急ぎ1枚貼って失礼する。詳細は別途追記する予定。

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新年度を迎え、今月は少し時間が採りずらい状況が続いてしまった。そんなに大袈裟に扱うことではないが、色々野暮用が重なると、それだけで何事もやる気を損ねるというもの。出来ることからコツコツとやればいいものを、年々集中力が衰えて来たのか、精神的に続かなくなってきているようであり、先が思いやられる。

さて今回結構無理をして秋田まで行ってきた。行かなくとも、後で悔いが残るというような代物ではないが、思い入れのある形式の電車が現役引退となると、やはり少なくともそこに立ち合おうと考えてしまった。正直今見る583系には、あまり魅力は感じられない。それはすでに団体用の「ゆう」とか「宴」などと同じジョイフル電車化してしまっているからで、外観こそ国鉄色を保ってはいるものの機関車と同じようには考えられないのだ。電車は編成でみた時の重量感や統一感が重要であり、6両編成と言えども、583系の場合はどうしても短編成に思えてしまうからだ。この姿から東北特急としてバンバン走っていた時代を思い出すことも出来ないが、その思い出多い郷愁に満ちた土地で、最後に見てみたいと思ったのである。

今回の特別運転は、秋田と弘前との間を2往復の行程だが、そこそこ距離はあるものの、当日の天気はどこに行っても変わり映えのしないあいにくの天気だった。この区間を考えると、アントンKにとっては583系電車というよりは、やはりブルトレ撮影のメッカとしての思い出が多いのだが、東北特急としての残像を目に焼き付けようと、今回は好きだった撮影地を選んで足を運んでみた。

それにしても583系電車の人気のほどがどこへ行ってもうかがえる。そのくらいの人出でどこも賑わっていたように思う。おそらくこの区間一番有名な撮影地だろう陣場~白沢のセパレート橋梁付近は、200~300人になったと聞く。日本全国から鉄チャンが終結したと言ってもいいくらいの賑わいだったらしい。

アントンKは、ひっそりと人知れずの無名ポイントで別れを告げたが、小雨混じりの峠に響く583系のタイフォーンや、独特な重厚な走行音がいつまでも耳に残った。

きっとこの583系は、近い将来博物館で大切に保存されていくだろうが、もしその姿を見ることができたなら、この日のことを思い出してしまうだろう。


朝練の季節到来

2017-04-05 20:00:00 | 鉄道写真(EL)

東京では、桜の開花宣言のあと随分時間が経ってようやく満開になったと伝えている。今日の日和こそ春めいてきたが、近所の桜並木は、満開までまだしばらく時間がかかりそうな雰囲気である。週末にかけて天気が下り坂というから、花チラシにならなければよいがどうなるだろう。

この季節は、日に日に夜明けが早くなると実感できる。空気は緩み、日差しは明るく花も咲き乱れて一年で一番良い季節の到来を感じる。こうなると、いよいよまた朝練の季節となる。長年鉄道写真を撮ってきて、一番燃える場面は、日の出間もない日の光を受けて突っ走る列車達の姿だ。撮ろうと思ってもなかなか撮らしてはくれないシーンだが、運よく撮影出来た時の手ごたえは他に例えようがない。今年もこんなシーンを求めて行脚するわけだ。

掲載写真は、ド斜光の根府川橋梁を渡るゼロロク。被写体以外にはまだ日が入らず、ブラックアウトでアンダーだが、闇から突き進んでくるロクロクは力強くカッコ良かった。

1990-08-21      68レ  EF663      東海道本線/根府川にて


「Sトレイン」 デビュー!

2017-04-02 10:00:00 | 鉄道写真(私鉄)

この春のダイヤ改正の目玉の一つは、東横線に座席指定の特急が登場したこと。これはもちろん個人的なものだが、長年の足として、また最も身近な電車東急線で座席指定の特急が走るということは、思いもよらず衝撃を受けた。

今日は早速近所まで自転車をこいで撮影に行ってきた。東横線を走る「Sトレイン」は、観光用だから週末の運転で数本の列車の全て行き先が異なっている。どうせ撮るのなら、一番遠距離であろう「西武秩父」行きの列車を狙う。いつもの踏切まで行くと、この春中学生になるという少年が一人陣取っていた。親子以上に離れた年齢にも気兼ねすることもなく、気さくに話す少年をみていると、アントンKの少年時代とはまるで違うなと苦笑してしまう。

静かにホームを出て坂を上がってきた「Sトレイン」40000形を撮影したが、まあ近代的な電車ということ以外あまり感想がない。西武の車輛ということもあるが、どことなく少し前にデビューした30000形を彷彿とさせ、また前面のカラーリングと車体が合わず違和感を覚えた。裾絞りの車体ではないので、細長く見えてしまうのはアントンKだけか・・・

かつて、東横線の桜木町行きが無くなり、みなとみらい線直通運転となった時、東横線が少し自分から離れて行った。そして今度は、副都心線との直通運転が始まり、同時に渋谷駅が地下に移ってしまった時、その思いは決定的になった。鉄チャン的には、色々な会社の電車が乗り入れてきてバラエティに富み面白くなった半面、どこか自分が取り残された感覚を覚えてしまう。やはりアントンKの中には、東横線に7000形や7200形の急行が未だ走っていて、制限20キロで扇形の屋根の渋谷駅へ入って行く姿が存在しているのかもしれない。

今度は、是非とも地元最寄駅から「Sトレイン」に乗車して、異次元空間を体験したいと思っている。

2012-06  見慣れない電車の登場にカメラを向けるファンたち   東急線/旧渋谷駅にて

 


EH10 かくしゃくなり

2017-04-01 10:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

今回は、古い画像から・・・

現代の最新鋭の電気機関車には、EH200、EH500(800)といった車体が連接している機関車が存在する。いずれもハイパワーの機関車であり、それまでの重連運転解消のため生まれてきた機関車たちだ。しかしもっと遡って国鉄時代にも、この手の電気機関車が存在していた。それがEH10型という電機になる。生まれが昭和30年代のことであり、EF60より前の誕生で、当時関ヶ原越えのためのハイパワーな機関車が必要となり生まれてきたと記憶している。

アントンKは、当時東海道線へと撮影に行くと必ずといっていいほどEH10はどこかしらでやってきて撮影したものだが、それも年月とともに自然淘汰されてしまい、いつの間にか引退していたような地味な機関車だったように思える。もっとも当時は、この機関車の運用もわからず、九州から上ってくるブルトレの合間の撮影に終わっている。しかしどうだろう、今こうして見ると、何とも無骨な風貌であり、どことなく力強く見えてしまうから不思議なものだ。写真は更新された機体の21号機。パンタグラフが下交差しているPS22に交換されている。初期車(1~4)は、パンタグラフが内側に寄って取り付けられた変形機だった。

1978-10-01   2164レ  EH1021   東海道本線:保土ヶ谷付近