アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

大野和士のマーラー演奏

2018-04-10 22:00:00 | 音楽/芸術

今回は友人のお誘いを受け都響の定期演奏会に出向いて来た。

音楽を聴く場合、多くは録音されたメディアを再生して鑑賞することがほとんどで、これが一般的だが、こちらの気軽に聴ける分、なかなか音楽の真意まで伝わってこないことが多々ある。人それぞれの聴き方は千差万別だから、一概には言えないが、少なくともアントンKは、ことクラシック音楽鑑賞については実演派になってしまった。演奏会の全てが一期一会であり、連日の同演奏でも厳密には違ったものなる。もちろん聴き手の体調にも影響するだろう。二度と聴き直せないギリギリの気持ちでホールに向かうと、音楽に集中でき一時は我を忘れられる。そのメリハリ感は最近ではたまらなくなってきた。

さて今回の大野和士によるマーラーは、第3交響曲で演奏時間が100分要する大曲だ。第2の復活と並んで、アントンKの最も好むマーラーの楽曲。大きな編成を必要とするから、なかなか実演には巡り合えず、やれば無理してでも足を運んできた楽曲なのだが、今回は幸運にもお誘いを受けることとなり有難い思いでホールに向かっていた。

都響のマーラーと言えば、どうしてもインバルの名を挙げてしまう。チクルスで全曲を何回かしているはずであり、オケ自身もマーラー演奏については自信をもっているように見受けられたから、今回もそういった期待をもっていたが、全体の印象を初めに書いてしまうと、どうも響きがすっきりこない箇所が散見できたのである。オケの各パートはすこぶる好調であり、木管・金管セクションの雄弁さにはしたを巻いたが、弦楽器の鳴りが悪く、特に低音部には不満が残る。個々の音色は綺麗なのに、トゥッティで音楽が大きくなるポイントでは、音色が揃っていないように聴こえてしまった。座席は友人の指定席とも言えるRB席だから、響きが悪いはずがないのだ。これは、非常に細かいことだが、実は実演鑑賞では重要であり、演奏解釈がとりわけよく聴かれる一般的なものなら、致命的なものとなってしまう。

これは指揮者大野氏の演奏解釈に起因しているのかもしれないが、第1印象で言えば、ストレートな表現で進み、譜面に忠実でオケ全体を大きく鳴らす印象だった。マーラーだから、大きく鳴らすのは当たり前に思うが、その鳴らし方が各声部同じように鳴らすから、オケが大きく膨れ上がった時に、響きが濁るのかもしれない。この辺のところはまだアントンKには経験不足で理解できないポイントだ。長い第1楽章では、後半(楽譜No.27)から、テンポを整え地固めするような歩みに変わり、ゾクゾクっとしたが、あとは特に取り立てて印象に残る独自なものは見当たらない。この辺は少し残念で、自分自身のマーラーをもう少し示して欲しかった。一番の聴きどころと感じている第6楽章(愛が私に語ること)は歩みが早すぎる。これは好みの問題。人間の愛を語るのであれば、もっと濃厚で感情移入して、深い喜怒哀楽を見つけたかったのだ。

いつも聴いている上岡敏之とも同年代の指揮者である大野和士だが、今回は、残念だがとても普通のマーラー演奏に終わってしまった。今後も都響の音楽監督としてさらに活躍してほしいし、出来れば新しいハッと思わせるくらいの演奏を我々に示してくれると心から願っている。

東京都交響楽団 第853回定期演奏会 Bシリーズ

マーラー 交響曲第3番 ニ短調

指揮       大野和士

メゾ・ソプラノ  リリ・パーシキヴィ

東京少年少女合唱隊

新国立劇場合唱団

コンマス     矢部 達哉

2018年4月10日  赤坂サントリーホール



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