アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

夏の終わりに~長野旅行

2024-08-29 20:00:00 | 旅行
 あっという間に8月も過ぎてゆく。日中はまだまだ暑さを感じるが、日の入りが随分早くなり、ちょっとした都会の風にすら秋の訪れを感じることができるようになってきた。関東にはこれから台風が近づくという。最近の過剰とも思える報道には惑わされたくないが、大きな災害等起こらないことを切に願いたい。
 先月は孫の発熱で行かずじまいになった長野旅行だったが、今回少し駆け足で行ってこれたので記載しておきたい。もともと孫が大好きな昭和の電車に乗ろうと計画してきたが、出発前日になって39℃の発熱。大泣きしようがこれじゃどうしようもなく、リベンジを約束して何とか収めた旅なのであった。
 しなの鉄道に走る現役国鉄型電車115系と、長野電鉄の虎の子8500系の乗車が今回の目的であり、観光は一切しない鉄分満載の旅だから、当然ながらアントンKと愛孫二人だけの珍道中となった。この二日間を振り返ると、いつの間にか「鉄道」について一人のファンとして語るまでになっていたことに驚嘆し、また一人の先輩鉄道ファンとしてもとても嬉しく思ったのである。軽井沢で115系電車に乗り継げるように東京を出発、予定通りしなの鉄道色の115系電車にご対面となり、初乗車。のんびり長野を目指す。途中上田で元東急の1000系電車の走る上田電鉄、戸倉で下車してしなの鉄道の車両たちをゆっくりホームから眺めた。
 そして翌日は、もう一つの目的であるハチゴーの爆音を体験するべく朝から長野電鉄地下ホームへ。な、なんとホームには第一編成8501Fが我々をお出迎え、朝から気分最高潮になったのである。須坂や信州中野で電車の発着を見送り、最終的には湯田中から特急で戻ったが、アントンK自身、このゆっくりとした時間の流れに心癒され、愛孫の嬉しそうにカメラを向ける姿に感動していた。「長野は良いねぇ」と何度もつぶやくほど、この土地がお気に入りになったようでアントンKも満足。結局は、写真や動画ではなく、自分の目で耳で、本物を見せたい感じさせたいという爺のわがままだ。それはもちろん解っているが、出来ることなら、実物に触れてどう感じるかということをこれからも手助けしていきたい。
 掲載写真は、上田での115系電車のすれ違いに慌ててカメラを向ける愛孫としなの鉄道の115系。「ろくもん」はアントンKも初めて見たが、JR九州に通じるデザインの個性が強烈で、受け入れがたい気持ちになる。その直後で見た湘南色がどんなにカッコよく見えたことか。
2024-08-24            しなの鉄道 上田駅にて
 
 


貨物機の牽く団臨は特別感満載~EF12

2024-08-24 08:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)
 過去撮影したモノクロ写真を再度見直して、画像スキャンをやり直している。画像データ化は、この拙ブログを始めた2012年頃から進めてきたが、その最中に多々色々な助言を頂き、自分にはどの方法が現実的なのかを判断してこれで三往復目になった。見よう見まねで色々試してきたが、結局は身の丈に合ったフラットスキャナーを準備してじっくり時間をかけてデータ化する方法で残すことになりそうだ。10年前に比べたら、フィルムスキャナーそのものも機種を選びにくくなっているから、もうこれでデータ化も最後と思って1コマずつ熟しているのだ。
 鉄道写真をフィルムで撮影したのは、おおよそ1975年~2006年の31年間。デジタル撮影は、2005年から今までの19年間で、未だにフィルム撮影での期間が長いが、今後この期間が増えて31年を越えて行けるのか、自分のことだが大いに興味が沸く。
 そんな過去画像の中から、これを見る度に痛恨の想いが蘇る写真を掲載しておく。被写体、撮影条件は最高だった。初めて見るEF12の牽くお座敷客車に一人興奮して判断を誤ったのだろうか。若気の至り、と言えばそれまでだが何とも・・・
 三脚も持参していないのに、欲をかいて二台のカメラを首から下げ1コマずつシャッターを切る作戦だったが、思いも寄らず列車速度が速く二台とも思うようにシャッター出来ず撃沈したのであった。当時は晴れればカラー、曇りならモノクロと使い分けていたが、ことわざ通りの結果になり直後は笑うしかなかっただろう。その後の記憶が飛んでしまっている。
1979-05-15    9535     EF12 5 ヌマ座  吾妻線:祖母島-小野上


単機回送を意識して・・~EF58

2024-08-18 15:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)
 機関車運用では、客車なり貨車なりをけん引することで初めて列車に成り得るが、引っ張る車両がなく、単機で所属機関区へ帰区するケースが昔から案外発生していることに気がつく。現代社会の効率という面から考えれば、片道だけの仕事は嫌がられるケースと考えられてしまうだろう。こんな理由からも、機関車けん引する列車が今の時代からズレてきていると思われてしまうのかもしれない。石油列車を例に挙げると、石油基地から満載で目的地まで輸送される列車は、目的地で石油を下ろしてしまうと、帰りは回送列車として基地まで戻ることになる。この帰りの列車ですら、非効率とされ嫌がられているのだとか。随分細かい話になっているようである。ここまで話がシビアになっていて、列車ダイヤを見直し本数そのものを減少させるのであれば、やはりファンとしては悲しい現実に感じざるを得ない。
 では鉄道写真の面から機関車の単機回送を考えれば、これまた写真としてまとめるのは意外と難しいと思う。一時若者たちに流行っていた「面縦」とか言う撮り方も、今では影を潜め飽きられてしまったのだろう。あまりSNSでは流れていない気がする。今の鉄道は、国鉄時代に比べれば、列車そのものが短く整理され、それをバランスの良い写真にするには案外撮り方が制限されるのだ。アントンKは、昔から単機回送など被写体とは思わず、ほとんど無視していたのが現実だったが、機関車そのものが減ってきた現代では、少し考えを改めなければいけない。撮影機材も格段に良くなり、昼夜を問わず撮る気になれば撮れる時代。思いもよらないシーンがファインダーに飛び込んでくるかも。
 掲載写真は、国鉄時代には珍しく単機回送の写真があったので載せておく。この日は、お座敷列車にEF58 61が入り静岡まで遠征していたようだ。客車を沼津まで回送し、東京まで帰るEF58 61を春霞の富士山の麓で撮影して遊んだらしい。行きの列車の撮影記憶はあるが、帰りの単機などは画像を見て思い出す程度のもの。こんなもんなのだ。
1981-04-03     回8102       EF58 61          三島-函南

北東北への憧れ~EF81

2024-08-09 23:00:00 | 鉄道写真(EL)
 このところの猛暑で、外出が億劫になっている。特に今年の夏の高温は経験がないくらいのもので、東京も連日の35℃でさすがのアントンKも少々バテ気味だ。やはり地球温暖化の影響が顕著に表れているのだろうか。来年はさらに暑くなり、この先どこまでになるのか行く末が不安に思うのだ。いやアントンKの世代なら、さほど今と変わらないだろうが、20~30年先の未来は世相も含めて生きやすくなっているのか。その方が気になってしまう。孫子の世代が今より明るく快適に過ごしていける環境ならこの世に何の未練もない。そんなことを最近は考えてしまうのだ。
 今年は久しぶりに北東北を旅したいと思っている。機関車や列車を求める旅ではなく、もっとカメラハイク的な計画で、今までは中々縁遠かったポイントを訪ねたいものだ。中小私鉄にも目を向けたいし観光を含めたカメラアイを感じて歩きたい。福島までは先月も出向いたが、青森・秋田・岩手はご無沙汰で、色づく季節が今から待ち遠しい。掲載写真は、奥羽本線の名撮影地、陣馬のセパレートで撮影したEF81の団体臨時列車。もちろんこの時は、定期の寝台列車があったから、こちらの方がメインターゲットだったが、広島の和式客車が北東北までやってくることは珍しく思い、少しばかり現場に居残ってシャッターを切っている。広島と言えばカープの赤なのか、はたまたモミジの朱色なのか、随分と派手な車体を纏いながら登場した客車は、「旅路」と命名されていたように思う。EF81のローズピンクとのコラボも新鮮に感じたものだった。
1996-10-05    9821    EF81 46   広島和式客車   白沢-陣馬


急行型電車を追った日々~165系「ムーンライト」

2024-08-04 19:00:00 | 鉄道写真(EC)
 昔から国鉄型電車の中でも、貫通扉のある急行顔の車両が好きで、機関車の撮影に遠征しても、いつも気になる存在だった。それは、東海道の153系電車に始まり、165系系列または交直流電車の455系電車まで多岐に渡った。出来れば、前照灯もシールドビームになる前の大目玉の方が好みだったが、以降新製される電車は、小目玉のシールドビーム車になり個人的には魅力が半減していった。
 掲載写真を撮影した2002年は、いよいよ上信越で走っていた165系電車が引退していく年で、翌年2003年にかけて地方色を纏った165系も原色に戻され最後の活躍をした年に当たる。晩年は、前照灯も含めた改造車も現れ原型車を捕らえるのが厳しくなったものだが、偶然とはいえ多岐に渡る顔や塗装車を記録できたことは、今となっては懐かしく思い出深い撮影行きになった。
 この165系快速「ムーンライト」は、普段は6両編成で運転されていたが、夏休みのような多客時には9両編成となり、往年の急行電車を彷彿とさせ、それを狙って地方に出向いたことを思い出す。湘南色がやはりお似合いだが、20年以上の時間をおいて、今見るとこの塗装も案外様になっているように見えるから不思議なものだ。
2002-08-03     3763M     ムーンライトえちご  信越本線:平林付近にて