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言葉を紡いで

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夕暮れに伸びる影の笑顔

2007年04月02日 22時31分57秒 | Weblog
またもやテンプレートを変更しました。
そしてミステイク。
それは今夜も夜桜を見逃したことです。
まだ間に合うようかとも思われますが、ニキビ対策の為オールバックにしているので外に出られないのです。
明日こそは、と準備をしているわけです。


想像力が素晴らしいと思うのはいつものことなのですが、
私が最近注目しているのは自分の影です。
ビルの隙間に夕日が落ちるほど大きくなる自分の影に飲み込まれていきそうです。
それでなぜ影ばかりをみるようになったかというと最近は下ばかり向いて歩いているからなのです。
憂鬱というほどではありませんが、狭い空やあまり綺麗過ぎる夕焼けはなるべくなら見たくないと思っています。
昔のことを思い出したりするわけで、胸が爆発しそうなほど苦しくなるわけで。
影を見て思いついたことはこの影がもう一人の自分になって思うとおり動いてくれたらということでした。
ありがちにはありがちですが影は闇で飲み込まれそうなほど大きくなってしまうのです。
芥川龍之介の話に魔術という話がありますが魔法を自らの利益に使おうとしてはならないという、つまり人間が欲を持つ弱い生き物だという強い戒めの話があります。
たとえば今この手に何の証拠も残さずに何でもしてくれる影が手に入ったらどうなってしまうのでしょうか。
欲がでるか、みえもしない代償に臆してしまうか、罪悪感?
よくよくわからないですが、ちょっと頭にくるようなことがあったら自分に代わって何か制裁をしてほしいと思います。
それはやはり私の罪でも証拠も残らないならきっと願ってしまいます。
願わずにはいられないと思います。
まさしく闇が形になったわけです。
魔術や魔法の言葉にある「魔」の字は古来から災いを示す言葉であり、今では魔術や魔法は不思議な力だったり便利な力だったり人の空想の上で人を不幸にするとは到底思いもしません。
しかしながらそう考えれば魔術も魔法も影のある人の心の闇、すなわち欲望だとわかるんですね。
もしも私が物語にして筋道立てた話をかくことができたのならその不思議な力を世間に判りやすく訴えられる文章にしたいと思うのです。
どうして人は苦労せずに入った余分な力に闇を抱いて欲を持ってしまうのか。
突き詰めていけばそうなるのが仕方ない理由があるはずです。
聖者ですら、誰もが必ず得た力に欲を抱くその理由を見つけない限り私はこの悲しい性に永遠と縛られなくてはならないと思うのです。
知りたいと思うのはそういうゆえんなのですが、まだまだわからないことがたくさんあります。




ところで念じただけでなんでも手に入るとかそういうのが簡単に手に入るとして、自分がその力に欲を抱かなくするためには苦労することではないかとも考えています。
昔から楽して得たものは簡単に逃げていくというようなことわざがありますが、ひっくり返せば苦労して得たものは永くこの手にあると考えられます。
苦労するというのはおそらく自分だけではどうにもならないことです。
周りの人々の力を借りてようやく得られるものでしょう。
だからこそ、周りの人々がいなければ得られなかった、うちの学校の言葉ではおかげさまの心を受けて初めて得た力を他人のために使おうと思えるのではないでしょうか。
そういう戒めも大事なのかな、と思うのです。
ふと心に闇が芽生えた、ある夕暮れの想像の世界の話でした。
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