活動から離れた創価内部アンチのブログ。

元バリ活の内部アンチ(3世会員)による体験記・雑記です。

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道徳の教科化と思想の押し付け

2018-03-29 19:30:00 | 体験談・雑記

私は、2018年度から全国の公立小学校で始まる道徳の教科化に対し、密かにその動向が気になっています。

これまでは教科外活動として、国の関与を受けずに教師の裁量によって実施されていた道徳の授業が、特別の教科という位置づけとなった結果、全国の小学生は、文部科学大臣の検定を通過した教科書を使用し、子どもたちの学習結果を教員が記述式で評価し、子どもたちが学ぶ道徳の内容は、国が学習指導要領で定めることになります。

このような道徳の教科化に対し、「子どもたちに特定の思想や価値観を押し付けることになる」「子どもたちの思想良心の自由を侵害するおそれがある」として、反対運動のあったことは周知のとおりです。

 

私は、道徳の授業をめぐる議論について、「思想や価値観の押し付け」になるかどうかは、教え方次第だと思っています。

本来、道徳とは、物事の是非・善悪の価値判断を行うための規範であって、多角的な視野を養うことが目的のはずです。例えば、あるテーマをめぐって、Aという考え方もあれば、Bという考え方もある。それぞれの考え方の違いを理解させたうえで、自分だったらどの立場を採るか…と子どもたちに考えさせる。

そうやって、子どもたちは、物事の多面性や価値観の多様性を学び、自身の人生の糧にしていく。これが、本来の道徳の目的であって、この目的をはき違えていない限り、道徳の授業は、価値観の押し付けなどではなく、子供たちの心の豊かさを育むことにも繋がるだろうと考えています。

 

しかし、学会の家庭では、「創価学会の思想が唯一正しい」と、親が子どもに自身の価値観を押し付けてきました。このような家庭内での創価思想教育を受けていた私からすれば、正直なところ、道徳の授業ぐらい可愛いもんだと思います。心配しなくても、小・中学校時代に受けた道徳の授業ぐらいで、その後の人生が左右されるほどの思想的影響なんて受けないです。はい。

 

ちなみに、公明党は当初道徳の教科化に反対しており、現在も党内では慎重論が多いようです。ここで、公明党のオフィシャルコメントをご紹介しておきましょう。

 

「公明党は、子どもの豊かな心を育てるための道徳教育の重要性を踏まえた上で、道徳教育が特定の思想や価値観の押し付けにならないよう一貫して訴えています。」

引用元:「道徳の教科の課題」公明党・公式サイト(https://www.komei.or.jp/news/detail/20150225_16335)

 

…ほーぅ。特定の思想や価値観の押し付けにならないようにねぇ。。

公教育における道徳の授業と、家庭内の躾とでは、全く議論の次元が異なりますが、公明党としては、創価学会の家庭内で、親が自身の宗教思想を子どもに押し付けていることに対し、どのように評価しますかね。子どもに特定の思想・価値観が押し付けられているという問題構造は同じだと思うんですが、どなたか1名でもいいので、公明党の議員として意見を述べて欲しいですねぇ。ご自身も創価学会員であれば、事情はご存知でしょうし。

 

最後に、4月から新入学・新学期を迎える子どもたちも多いと思いますが、物事の多面性、価値観の多様性を学び、自身の心の豊かさを育んでいって欲しいなと願います。

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創価学会におけるポピュリズムと今後の展望

2018-03-26 19:25:16 | 体験談・雑記

私は、ビートたけしさんの映画は好きだけど、お笑いは好きじゃないです。彼がボケてもあまり笑った記憶がありません。私がダウンタウン世代だからそう感じるのかもしれないですけど。

ある時、とあるラジオ番組にて、水道橋博士さんが、「ビートたけしの笑いは ”力” だ」と発言していて、妙に腑に落ちると同時に、「そんなこと言っちゃっていいの?」とハラハラしたことを思い出します。

水道橋博士さんによれば、「その人がボケれば周りは笑わなければならない…という雰囲気を作れる力こそがお笑い」だそうで、要するに、「ボケの内容が重要なのではなく、誰がボケたのかが重要なのだ」と。

 

政治において、この ”力” に服従・迎合しすぎると、民主主義が機能不全に陥るというのが、従来の特権知識階級によるポピュリズムに対する批判だったわけですが、長らく池田氏の ”力” を前にして、民主主義が機能停止していたのが創価学会でした。少なくとも私にはそう思えます。

現在も、創価学会は民主主義が機能停止しています。確信をもってそう言えます。ただ、そんな創価学会にあって、唯一良い傾向だと思うのが、現・原田会長に池田氏と同じような "力" がないという点です。

非活になる直前に、本幹同中で聞いていた原田さんの話は、まあ…何と面白みのない話でしょうか。原稿を棒読みだし、池田氏みたいにアドリブも効かないし、会場を沸かすジョークが言えるわけでもない。表情も暗い。日々の業務でお疲れなんですかね。聞いているこっちの気持ちが落ち込んでくる。これが会長の挨拶・指導か?と思っていました。

 

その結果どうなったか。

安保法制をめぐる内紛などもありましたが、原田さんが池田氏ほどの ”力” を持たないために、一部の学会員から執行部批判の声があがるなど、民主主義が部分的に回復しているように思えるのです。おかしいと思うことに対して、素直に「おかしい」と声を上げるという、ごくごく自然な言論活動が徐々に出来るようになった、と。創価学会は全力で潰しにかかっていますけど。

今までの創価学会ではこんなことは考えられないと驚く人もいますが、今までが異常だっただけで、これが普通なんですよ。私は、ようやく学会員が大衆迎合主義を抜け出し、民主主義を醸成する段階へ移ったのではないかと感じています。遅すぎですが。。

 

この次に学会員が直面することは何か。

私は、現執行部を批判出来るんだったら、そのうち、「池田体制もおかしかった」という結論に達する人も少なくないんじゃないか、と思っています。その当時は、周囲が従っていたから自分も従っていたけれど、池田先生って本当に正しかったのかなぁ?と。現にネット上ではそういう議論が盛んに起こっていますが、それが公然と起こるようになるんじゃないかと。

いつまでも創価学会のパフォーマンスに踊らされているほど、学会員は馬鹿ではないと思います。

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学会活動に費やしている時間

2018-03-23 18:06:08 | 体験談・雑記

学会活動に励まれている活動家の皆さんは、現在どれぐらいの時間を学会活動に捧げていますでしょうか?

例えば、朝晩の勤行唱題で1時間、仕事終わりの家庭訪問や部長会などの会合で2時間、週1の部員会で1時間…というように試算していくと、1週間のスケジュールのうち、数時間というレベルではなく、少なくとも10時間、20時間という単位で学会活動に時間を費やしていると思います。

ここで、毎日2時間を学会活動のために費やしたと仮定しましょう。正直なところ、多忙を極める役職者は2時間どころでは済まないですし、平日と土日では学会活動に費やす時間は全然違います。また、1日の時間を自由に使える婦人部の方であれば、1日中学会活動をしていることもあると思います。

ですが、まあとりあえず、朝晩の勤行唱題(1時間)+会合・家庭訪問(1時間)=計2時間と想定します。活動家だったら、最低限これぐらいはやっているだろう…という個人的な推測も入っていますがご容赦ください。


話を進めます。もし、1日2時間だとすると、1週間で14時間、1ヶ月で60時間、1年で730時間となります。

これが多いのか少ないのかピンとこないかもしれないので、資格試験の合格のために必要となる勉強時間と比べてみます(※)。

  • 日商簿記2級:250時間
  • 行政書士:600時間
  • 社会保険労務士:1000時間
  • TOEICスコア350点→950点:1550時間
  • 公認会計士:3000~5000時間

代表的な資格を抜粋してみましたが、大体これぐらい↑と言われています(あくまでも目安です)。

つまり、1日2時間の学会活動の時間を全て資格の勉強に充てたとすれば、約4ヶ月で日商簿記2級合格、約10ヶ月で行政書士試験合格、約2年でTOEIC950点取得、約4年で公認会計士試験の合格最低ラインまで届くという計算になります(もちろん個人差はあります)。

※ ちなみに、国内最難関と言われている司法試験の場合は、合格までに8000~10000時間が必要と言われているので、1日2時間だとすると、合格するまでに約11年かかる計算になります(どひゃー)。

 

資格に興味がない方からすれば、「だから?」って感じかもしれませんが、私自身も別に、「学会活動に費やしている時間を勉強に充てれば、資格が取得できるよ」ということが言いたいのではありません。1日たった2時間程度のわずかな時間であっても決して侮れないということが言いたいのです。

資格の勉強ではなく、家族との団らんの時間、読書の時間、ジョギングの時間などであっても同じです。1日、2日では大した差は生じませんが、それが1ヶ月、半年、1年、3年、5年…と時が経つにつれて、「やった人」と「やらなかった人」の差は顕著に現れてきます。まさに「塵も積もれば山となる」です。

 

以上を踏まえ、「果たして学会活動は本当に有意義な時間なのか?」と疑問を感じている方に問いかけたいと思います(学会活動に何の疑いもないバリ活の方はどうぞお好きなように突き進んでください)。

 

✔ もし、今自分が費やしている時間が全て無意味なものだとしたら?

✔ 何か意味があると思って、選挙や財務に取り組んでみたけれど、それは功徳や福運と何の関係もなかったとしたら?

✔ 創価学会に良いように利用されているだけだとしたら?

 

そんなことを考えただけでゾッとしませんか?だって、もっと有意義に使えたはずの貴重な時間を無駄にしていたことになるんですよ?そして、これからも無駄にしていくんですよ?

1年、2年ぐらいだったらすぐに気持ちを切り替えられるかもしれません。やり直しなんていくらでも出来るでしょう。また、自身の余生をどのように過ごすのかを考える年齢に差し掛かり、創価学会に必要とされていることに喜びを感じている方もあまり心理的ダメージはないかもしれません。

しかし、まだまだ前途のある方が、この先、5年、10年と時間を積み重ねていけばどうなるでしょうか。学会活動に全身全霊をかけて数十年が過ぎた頃に、実は学会活動は無意味だったと気付いたらどうなるでしょうか。

想像に容易いですが、過ぎ去ってしまった膨大な時間はどうにもならないんです。もう戻ってこないんですよ。「もっと家族と触れ合う時間を作っておけば良かった」「資格の1つや2つでも取得しておけばよかった」と、そんなことを後になって悔やんでも、文字通り「後の祭り」です。

しかも、全て自己責任です。創価学会を恨んでもどうにもなりません。誰かが失われた時間を補ってくれるわけでもありません。だからこそ、疑問を感じているのであれば、「このまま学会活動を続けるか」それとも「学会活動をやめるか」を、よくよく考えるべきです。惰性で学会活動を続けるのではなく、一度立ち止まって、「本当にこのまま続けるべきなのか?」と自分に何度も問いかけてみるべきだと思います。

 

(※)参照元

English Lab「TOEIC800点に到達するまでに必要な学習時間は?

CPA「資格難易度ランキング!勉強時間&合格率から考察する!

ジュリナビ「10,000時間ルールと司法試験

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「仏罰が怖い」「信仰のない生活が不安」という方へ。

2018-03-19 19:05:03 | 体験談・雑記

今回の記事は、「創価学会をおかしいと感じているし、出来れば非活になりたい(あるいは退会したい)」という思いがある一方で、「仏罰が怖い」「信仰のない生活が不安」という思いを抱えている方向けに、バリ活から非活となった私なりの意見を書いてみます。

 

たぶん、これまでバリバリに活動していた方が、非活になったり、創価学会を退会するにあたって、最も気にするのは "仏罰" の存在じゃないでしょうか。まあ、他にも学会内部の人間関係とか、家族との関係とか、色々問題はあると思いますが。。

これに関して、私は、「仏罰の有無を考えるのではなく、責任の所在を考えるべき」という考えをもっています。誤解のないように言葉を付け足しますと、「仏罰」という言葉を使っている時点で、信心に依存していることに他ならず、人智の及ばない超自然的パワーに自分の人生は支配・コントロールされているという、他力本願の思考の域を出ていません。確かに、自分の力だけではどうにもならないこともあるかもしれませんが、多くの人が、自分の人生を自分でコントロールしようと努力しています。

つまりですね。非活になったり、退会することによって、創価学会の信仰を捨てるということは、身の回りで起こる出来事について、それが良い結果だろうが悪い結果だろうが、全部自分で責任を持つということと同義なんです。自分の合理的支配の及ばない超自然的・神秘的な力に頼らない、依存しないということです。親の功徳とか、活動家時代の福運がどうのこうのと言われるかもしれないですけど、基本的に、どんな結果が起きても信仰の所為には出来ません。信心をやめるとはそういうことだと理解しています。

 

これまで学会から受けてきた教育や指導の影響により、この先不幸が起こったらどうしよう…と不安に思う気持ちも痛いほどよく分かります。自分もそういう気持ちがありましたから。でも、創価学会をおかしいと思っているんですよね?もう活動をしたくないと思っているんですよね?だったら、まず、その気持ちに正直になってはいかがでしょうか。

そして、生きていれば、良いこともある一方で、当然悪いことも起こります。それは、信心をしていようがしていまいが同じです。「仏罰に遭う」などという脅し文句を真に受けないでください。ほとんど多くの事象は、自分の努力でコントロールすることが可能です。信心に頼るんじゃなくて、どうか自分の力を信じてください。

私は、自分の意思で創価学会の活動をやめると判断した強い方であれば、信心に依存することなく、全ての結果を自分の問題として受け止められると思うんです。逆に、そこまで思えないのであれば、信心への依存から抜け出すことが出来ていない、精神的に自立出来ていない状態だと思います。

 

次に、「信仰のない生活は不安」と感じている方へ。

このような気持ちも痛いほど分かります。これまで長年にわたって当たり前のように行ってきたことをやめるわけですから、生活の一部となっている歯磨きの習慣をやめるぐらいの "気持ち悪さ" を感じると思います。自分にも覚えがあります。

私から言えることは、いきなり全部やめようとするのではなく、少しずつ、徐々に、信心に費やす時間を減らしていってはどうかと提案したいです。毎日1時間の唱題をあげていたのであれば、それを30分にしてみる。15分にしてみる。5分にしてみる。題目三唱だけにしてみる。2日に1回だけにしてみる。1週間やめてみる。1ヶ月やめてみる…といった具合に。禁煙のために、毎日のタバコの本数を徐々に減らしていく感じに近いと思います。

学会活動に疑問を感じている人であれば、そうこうしているうちに、いずれ特に罪悪感を感じることもなく、学会活動をやらなくても平気に感じるタイミングが来ます。「やってもやらなくても同じじゃん」と思うはずです。いや、それどころか、これまで学会活動に費やしていた時間を、自分や家族のために費やすことができることに多大な充実感を覚えると思います。

 

最後に、学会活動で多くの達成感や充実感を得ていた反動として、学会の欺瞞に気付いた結果、燃え尽き症候群のようになってしまった方。これから何と戦えば良いのか分からない方。今後の人生の目標を見失った方へ。

単刀直入に言います。もっと創価以外の人と交流を持ってください。もっと色んな人と意見を交わしてください。もっと色んな価値観を知ってください。これまで "世法" として見向きもしなかった世の中の考え方にたくさん触れて、創価の考え方と比較してください。池田氏以外の本も読んでください。

そうすれば、今まで創価のフィルターを通してでしか聞くことの出来なかった話に対し、色んな発見があると思います。自分の人生を豊かにするヒントがたくさん転がっています。幹部指導を受けて、腑に落ちないことを一方的にギャーギャー言われるよりも、よっぽど有意義な対話ですよ。そういう有意義な対話の時間を多く作ることを強く提案します。

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世界青年部総会に想ふ。

2018-03-12 20:20:00 | 体験談・雑記

3・11に開催された世界青年部総会について、私と同じく、バリ活→ゆる活→非活の道を辿ったある友人に、少しだけ話を聞くことができました。友人の話から、現在の学会の様子なども若干垣間見えたので、今回の記事にて書き記しておきます。

その友人は、同じ創価同窓であり、昔から付き合いのある旧友です。学生部の頃は熱心に活動に励んだものの、男子部にあがってからは「ゆる活」に。半年程前、仕事の都合で引っ越したのを機に、非活になったそうです。自分と近しい経緯だと思います。

 

そんな友人のもとに、2~3週間ぐらい前、初めて地区の人が家庭訪問に来たそうですが、男子部じゃなくて、壮年部の地区部長さんだったそうなんですね。お話を聞くと、現在は、壮年部が男子部を引っ張っているとのこと。学会全体としても、経験豊かな壮年部・婦人部が、男子部・女子部を引っ張っていく方針に変わっているそうです(地区にもよると思いますが…)。まあ、人材難ですから、ある意味仕方ないですが、壮年部・婦人部の負担は増えますよね。確実に。。

その後、世界青年部総会の話題に。すると、その壮年部の方は、「今はもう日本じゃなくて世界が中心になっている」という趣旨のことを仰ったそうです。日本国内での会員数の伸びは頭打ちとなっていますからね。世界に広がりを見せるSGIの勢いを、日本国内の青年部に見せつけることで、下火となっている国内青年部の再奮を促すといった狙いでしょうか。果たして、SGIがどれぐらい会員数を伸ばしているか正直よく分かりませんが、今後、このような傾向は強まっていくんだろうなーと感じました。

あとは、お決まりの3・16の意義。広布後継のバトンを青年に託したという例のやつです。豚汁のやつです。それを延々と。友人は上の空で聞いていたそうですが、もし私がその場にいたら、「この話をこの先あと何回聞けばいいんだろう…」と思ったでしょう。初めて会う幹部の人って、こっちが何も知らないということを前提に、あれこれ語ってくることが多いんですけど、創価の歴史エピソードはもういいから、要点を簡潔に言ってくれって思うんですよ…。お互い忙しいのに…。

 

その友人は全く参加する気はなかったそうなんですが、「今回ばかりは、どうにか予定を調整して欲しい」と懇願され、渋々参加を了承。というか、「今回ばかりは」って、絶対今回限りじゃないでしょ!笑

で、参加した感想がLINEで飛んできたんですが、「時間を返して欲しい」の一言。海外・日本全国の会館を中継で繋ぐという、何とも大がかりなイベントをやろうとした割には、いつもの本幹同中と大差なかったらしく、「なんで、この会合のために、わざわざ時間を削らせたのか意味が分からない」と憤慨していました。その友人は、どんな会合内容だろうと多分文句を言ったと思いますけど、無理やり結集させられた非活部員さんは、似たような感想を抱いたんじゃないかと想像します。

 

私は、以前別の記事で書いたことがあるんですが、もうさ、いい加減、訳も分からず結集するのやめません?たぶん、創価学会にとっても、活動をする気がない人にとっても、双方なんのメリットもないと思うんですよ。

学会活動に励む人は、別にこういった会合に参加しなくても、創価学会のコンセプトに賛同して主体的・能動的に活動をするし、逆に、活動をしない人は、周囲の学会員の話を聞こうが、何をしようが、感化されることはないし、時間を割いて参加した会合がつまらないものであればあるほど、学会に対して反感しか覚えないんですよ。「時間返せ」って。

冷静に考えてください。今のご時世、海外のSGIメンバーの姿を見て、歌を合唱している映像を見て、原田会長の話を聞いて、池田氏のメッセージを聞いて、非活部員が奮起すると本気で思ってます?あるいは、創価学会に興味を持ってくれると本気で期待してます?そう思う人が例外的にごく少数存在したとしても、それを圧倒的に上回る数の人が、「時間の無駄」「つまらない」「早く帰りたい」って思ってるんですよ。

その例外的な希少存在を活動家にするために、会合に参加させられたその他多数の無関心層からしてみれば、本当に良い迷惑だと思いますね。会合に誘うのは自由だけど、会合の趣旨だけ伝えて、「もしよかったら参加してね」という一言だけで良くないですか?なんで、予定の調整をさせてまで、無理やり結集しようとするんですか?反感を覚える人を敢えて増やしているだけですよ。現場の方は、原田さんが打ち出した結集目標なんか無視したらどうですかね。

 

そもそも、本当に興味を引くような魅力あふれるイベントなんだったら、どうしても参加したいと思える会合なんだったら、いくらでも予定を調整して、勇んで参加しますよ。そうじゃない時点で、「あー、また創価の会合か」って思われているんです。現場の方が、「今回は特別だから」「意義ある会合だから」と熱弁し、何とか説得して参加してもらったところで、会合内容は毎回大差ないんです。「結局、いつもの会合と何も変わらなかった」としか思わないんです。

一度、ボクシングの試合を観戦しに行って、「面白くない」と思った人は、その後、対戦カードが変わったとしても、もう一度ボクシングを生で観戦したいとはなかなか思わないでしょう。非活部員は、もう創価の会合に飽きてるんです。「どうしても」と懇願されて、断り切れずに仕方なく参加してるんです。「どうせいつもの会合でしょ」と思いながら参加してみたら、やっぱりいつもと同じ会合なんです。

これ、一体、誰得なんですか?(笑)

 

個人的には、世界のSGI会員が伸びているというなら、そっちだけに集中していけばいいと思います。もはや、日本国内の青年部をどうにかしようと思うのは無理ですよ。いい加減その点を深く認識して、無駄な結集をやめませんか。

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