活動から離れた創価内部アンチのブログ。

元バリ活の内部アンチ(3世会員)による体験記・雑記です。

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学内のような組織が必要なのに。

2018-02-22 19:00:00 | 体験談・雑記

皆さんは「学内」という組織をご存知でしょうか?学生部特有の組織ですので、「そんなの知らない」という学会員さんもいらっしゃるかもしれません。

これは、地元組織とは別に、各大学単位での組織を言います。例えば、早稲田大学だったら早稲田大学の学内組織、大阪大学だったら大阪大学の学内組織というように、各大学の学生部が中心となって構成されているグループです。大学によっては、この学内組織が大規模な学校もあり、関西だったら近畿大学や関西大学の学内はかなり活発だったと記憶しています(現在はどうなっているか知りません)。

ちなみに、地元組織のことを「ライン」と呼び、学内と区別していたのですが、ラインから引っ張られたわけではなく、学内から学生部の活動を始めた人もいました。ある程度学生の多い大学でしたら、地元組織よりも学内組織の方が規模が大きい場合も全然あると思います。

 

私が、学生部時代、特に疑問を感じることなく、バリバリに活動できていた理由として、この学内の存在が非常に大きかったです。

何故かというと、ラインと学内は、

  • ライン=うぉー!!勝つぞー!!池田先生・奥様!見ていてください!!!
  • 学内=核廃絶に向けて我々学生はどうすべきなんだろう?考えてみよう。

というような棲み分けであり、学内組織は、ただ突っ走るだけではなく、一旦立ち止まったり、時には自分の疑問・意見を率直にぶつける場として機能していたからです(ちなみに、学祭で展示会をやったりもします)。

学内において、池田氏のことを学ぶことがあったとしても、対談集などを題材にして、「ここでの池田先生の発言は何を意図しているんだろう?」「これはどういう意味なんだろう?」と、色眼鏡を通さずに皆で語ります。「池田先生のおっしゃることだから正しいに決まってるじゃない!」などと言う人はいません。仮に、そんな婦人部みたいなことを言う人がいたとしたら、「学ぶ気がないのか?」と言われていたと思います。

研鑽するテーマも様々です。別に池田氏の指導に限らず、御書もやりますし、時には創価と全然関係のないことも議論します。私は、「人権の歴史」というテーマでプレゼンしたこともあります(汗)。マスコミ志望の部員さんが近年のテレビCMの傾向のことを熱弁したり、モンゴルの歴史・文化の研究をしている人がモンゴルの紹介をしたりと、まさに"学"会でしたね。一切、信心の話をせずにその日の会合が終わることもありました。

しかも、「俺の言うことに従え」というような威張った幹部もいません。ラインでも同じことが言えますが、学生部の幹部は、どれだけ年齢が上の人であっても、せいぜい20代半ば~後半ぐらい(そこまでいけば学生部を卒業して男子部へと上がります)。そのため、自然と近しい年齢の人達が集まることになり、自由に意見を言い合える空気がありました。実際、何か批判的な発言をしたとしても、その人の意見をさえぎったり、頭ごなしにそれを否定する人もいません。根本の部分では、日蓮仏法の思想、創価学会の思想、池田氏の思想があるとしても、部員それぞれの考え方の多様性を認めようとする土壌があったように思います。

 

ところが、学生部を卒業して、男子部にあがると、「うぉー!!勝つぞー!!」という体育会系のノリだけが残ります。それがダメだと言ってるわけじゃないんですよ?ただ、学内のように少し立ち止まってゆっくり考えるという機会がなく、そんなことをしようものなら、「我見はよくないよ!」「とにかく実践してみよう!」と指導され、止まっていた足を再び進めるように檄を飛ばされます。

そして、口をそろえて「池田先生!池田先生!」とそればっかり。もうええっちゅうねん(笑)

 

思うんですが、創価学会の中に、「学内」のような組織があったならば、つまり、いったん立ち止まって考えることが許される環境があったならば、退会者や活動から引いちゃう人はもう少し減らせたんじゃないか?と思えます。簡単に言えば、「一時避難場所」みたいな。それすらも許さない不寛容な組織となってしまったがために、不満が爆発しているというのが今の創価学会の現状ではないでしょうか。

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りんごの話

2018-02-05 18:35:59 | 体験談・雑記

突然ですが、「りんごの話」をご存知でしょうか?

折伏をされたことのある方、あるいは折伏現場に入ったことのある方なら、もしかしたら一度は聞いたことがあるかもしれません。ニュアンスは微妙に違うかもしれませんが、大体こんな感じの比喩です。

 

「目の前にリンゴが置いてある。私たちはこのリンゴが美味しいということを知っているが、あなたは知らないと仮定する。今、私たちは一生懸命このリンゴが美味しいということをあなたに伝えているが、あなたはいま一つ信用できず、「美味しくないんじゃないか」「不味いんじゃないか」と疑っている。この平行線を解決する手段はひとつ。このリンゴを思い切って食べてみることである」…云々。

 

この比喩をもっと端的に言い表わすのであれば、「百聞は一見に如かず」といったところでしょうか。「実際に創価学会に入会して、中の様子を見てみないと、信心の良さは分からない」という理屈です。とある幹部は、話が煮詰まってくると、決まってこのリンゴの話をしていましたね。他のブログでもチラッと見かけたことがあるので、有名な例え話なんだろうと思います(あるいは、どなたか有名な幹部が言っていた話なんですかね?知識不足にてすみません)。

そして、「試しに食べてみて、マズかったらそれ以上食べるのをやめたらいい(嫌だったら退会すればいい)」と言うわけです。別に、リンゴの話を持ち出さなくても、こういう風に折伏したこと・されたことのある人もいるんじゃないでしょうか。「そんなに深刻に考えなくてもいい」「嫌だったら辞めることもできる」と、入会へのハードルを下げるという心理戦術です。

 

こんなことを言われれば、根負けして、「もう早く話を切り上げたいから、とりあえずこの場ではYESと返事しておくか」と考え、入会を了承してしまう人もいると思います。そういう意味では、「あとで解約すればいいので、とりあえず形だけでも契約を結んでくれませんかね?」と甘言をささやくセールスマンと同じぐらい姑息な手法ですね。スマホの契約をする際、よく分からないオプションにたくさん加入させられるのと同じ感覚です。

これが、単に「卑怯」とか「姑息」というレベルの話ならまだ可愛いです。「成果欲しさに、その場ではそういうことを言ったんだな」「本当は相手のことなんか考えていなかったんだな」で終わりだからです。褒められたことじゃないですし、世間からは間違いなく忌み嫌われますけどね。創価の評判を落としていることに気づいていないなら非常に哀れですが。ただ、これは、「卑怯」とか「姑息」とかいうレベルじゃないです。限りなく嘘に近いんですよ。

 

そりゃ、中には、本当に「入会するのも退会するのも本人の自由」と思って、そう言った人もいるかもしれませんけど、折伏をするぐらいの活動家の方でしたら、創価学会がそんな簡単に退会できない団体であることぐらい知っているはずです。逆に聞きたいんですけど、「嫌なら退会してもいいよ」と言ったあなた。退会する際、どういった書類を、誰に、どのように提出すればいいのか、具体的な手続を知ってます?また、もし知っているというなら、それを折伏相手に伝えました?

少なくとも私は、活動家時代を通して、具体的な退会方法を組織内で聞いたことはないです。実際、そういうマニュアルはあるのかもしれませんが、末端の学会員はほぼ知らないはずです。「そもそも正規の退会手続なんてあるのか?」と思っている人の方が多いのではないかと。そう考えれば、軽々しく「嫌なら退会してもいいよ」なんて言えないはずなんですよ。だって、退会方法・手続を知らないばかりか、正規の退会手続が存在するかどうかすら怪しいんですから

さらに、(多言を要しませんが)いざ実際に退会しようとすると、かなりの高確率で引き留めに遭います。場合によっては、退会届が受理されないというケースだってあると思います。あーはいはい。「引き留めるのも自由」と言いたいんでしょう?だったら、「退会するのは自由だけど、退会の際に説得行為に及ぶこともある」と説明すべきじゃないですかね。そうでないと、「嫌なら退会してもいい」と伝えられていた相手からすれば、「聞いていた話と違う」ということになりかねません。これでは、まるで騙し討ちですよ。

 

以上を踏まえ、私が思うことは、「実際に入会してみないと創価学会のことは分からない」というのはその通りなんです。それは否定しない。特定の宗教を信仰することに馴染みのない日本人が、話だけ聞いて納得できるなんてよっぽどのレアケースです。ただ、自分たちの都合に合わせて、色んな説明を端折りすぎです。

 

「リンゴの味を確かめるためには、実際に食べてみるしかないが、美味しくないかもしれないし、人によっては毒リンゴのように感じるかもしれない。けれど、我々としては、味と安全性の保証はできない。また、不味いと感じたら、食べるのを途中でやめてもいいけど、我々はこのリンゴの大ファンなので、あなたに対して、食べ続けるように説得するかもしれない。その点はあらかじめご容赦願いたい」

 

りんごの話を持ち出すなら、こう言うべきです。実際に創価学会の内部で行われていることも、上記のとおりのはずです。創価学会のことを正しいと言う人もいれば、間違っていると言う人もいる。全員がりんごを美味しいと言っているわけではない。また、退会まで踏み切る学会員がおり、そのような学会員を引き留めるケースもある。どうですか?違いますかね?

こういう話をしますと、学会員全員が、非常識な折伏をしているという風に受け止められるかもしれないので、ちゃんと良識をもって折伏をされている方もいらっしゃったことを念のため注記しておきます。

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「組織から離れてはいけない」?

2018-02-01 18:30:00 | 体験談・雑記

学会では、「組織から離れてはいけない」と口酸っぱく指導します。うちの親もそればっかり言ってましたね。「ちゃんと組織についていきなさい」と。

創価学会が考えていることは至ってシンプルで、世間に流されないように組織に縛り付けることで、「創価学会が唯一の居場所」「創価の教えだけが唯一正しい」とマインドコントロールすることが狙いかと思います。創価以外のコミュニティによる影響を可能な限り排除することが目的…と言ってもいいかもしれません。よくあるマインドコントロールの手法ですね。

ただ、周囲を見渡していると、どうにもこうにも組織に馴染めなかったり、あるいは組織から無理難題を押し付けられて、体や心を壊している人がたくさんいます。活動に嫌気が差して、信心そのものからも離れてしまう。そんな人が続出している中で、それでもなお組織に縛り付けようとするのは一体何なのだろう…と思います。

親世代だって、そういう人をたくさん見てきたはずです。それならば、いくら創価脳に染まっているとはいえ、「組織についていくことだけが信心ではない」という考え方を持っている人が居てもいいはずなのに、不思議なことに、そういう考えを持っている人に出会ったことは一度もありません。バリ活であればあるほど、組織についていくことが信心の根幹であり、組織から離れ、我見の信心に励むことは悪だと考えています。

 

でも、日々組織の中で行われている活動を見てください。選挙のF取りだとか、財務だとか、新聞啓蒙や池田氏の書籍の購入斡旋だとか、「それ信心なんですか?」とツッコミたくなるようなことばかりしているじゃないですか。信心と無関係の活動を押し付ける組織についていく必要って本当にあるんですかね?

「そんなものは信心ではない!金と政治権力に毒されてしまった組織を捨て、私は純粋に信行学に励んでいくんだ!」という考え方を持っている人がいてもおかしくないですし、それじゃダメなんですかね(そういう方は、とっくに創価学会を退会していると思いますが)。もしくは、「創価学会員である以上、基本的には組織につくけど、納得のいかない活動については組織の指示には従わない」とか。そういった選択の自由がなく、「組織に従う」or「組織から離れる」という極端な2つの選択肢しかないために、後者を選ぶ人が続出していると思うんですけどね。「組織を変える」なんて選択肢はありませんし。

 

もうひとつ。創価学会が、戦後から高度成長期にかけて、経済的・社会的弱者にとって居心地の良いコミュニティを提供してきたことは事実だと思いますが、「経済的に苦しい」「社会的に弱い立場にある」という共通項でコミュニティが形成されていた昔とは異なり、現代は、考え方が多様化し、創価学会員と一口に言っても、それぞれの社会的立場や属している社会的グループも様々であって、創価学会は、共通の社会的立場にある人たちに固定化されたコミュニティを提供するという歴史的使命を既に終えています。

創価学会をそういうコミュニティと捉えてきた世代にとっては、創価学会こそ自らを肯定できる唯一の居場所であり、心の拠り所でもあると思うんです。だからこそ、行き場を見失わないように、次の世代に対しても「組織から離れるな」と強調するのではないかと勝手に想像しているんですが、この感覚は今の世代には分からないですよ。別に、創価学会以外にも拠り所となるコミュニティなんてたくさんあるんですから。

 

この "感覚のズレ" にぶち当たった人が組織から続々と離れていった結果(淘汰された結果)、今の創価学会には、コミュニティとしての創価学会に居心地の良さを感じている世代ばかりが残った…という感じでしょうか。

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