活動から離れた創価内部アンチのブログ。

元バリ活の内部アンチ(3世会員)による体験記・雑記です。

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創価学会がネット広告を出す意味は?

2018-01-25 19:04:14 | 体験談・雑記

以前から気になっていましたが、ここ最近よく見かけません?創価学会のネットバナー広告。プリントメディアが下火となっている一方で、ネット広告は右肩上がりの成長市場ですので、ネット広告に予算を割くのは、一般企業だったら分かりますよ。一般企業だったらね。

その内容としては、「創価学会ってなにやっているところなの?」みたいな謳い文句で、クリックするとショートムービーが流れたり、最近でしたら、SGIに関する情報(メンバーの体験談)なども流していますね。※ Googleさん、広告ポリシー的に大丈夫なんですか…?(;^ω^)

 

私は、このようなネット広告を見て、「なんで今更イメージ広告なんて出す必要があるんだ?」と思います。これはネット広告に限らず、テレビCMなんかも同様です。

だって、創価学会は、拡大を続ける民衆の大城なんでしょう?海外にも連帯を広げている世界宗教なんでしょう?今でも人材が陸続と躍り出ているんでしょう?だったら、今までどおり折伏をして、創価学会の理解を得るために草の根の対話を続けていけばいいじゃないですか。それで組織を拡大させていけばいいわけで、わざわざ広告を出す意味に乏しいですよ。ましてや、学会員の財務から広告費が捻出されているわけですし、むちゃくちゃ経費の無駄遣いじゃないですかね。

そう考えると、人材拡大なんて全くの嘘っぱちで、ある程度広告費に予算を割き、創価学会のことを宣伝しないといけないぐらいにまで追い込まれているという実態が垣間見えます。だって冷静に考えてみてください。世界的に有名な大企業が、自社商品・サービスの宣伝ではなく、自分たちの会社そのもののイメージ広告なんて出しますか?普通そんなことしませんよね?イメージ広告なんて出さなくても、世間から広く認知され、既にポジティブなイメージが確立されているからです。イメージ広告を出すということは、「自分たちのイメージは悪い」と逆に宣伝しているようなものなんですよ。

 

ところで、ネット広告のメインターゲットは、スマホ世代である若者でしょうか。広告の狙いとしては、若者の創価学会に対するイメージを変えたいといったところだと思われます。今の10~20代の若者の中には、創価学会のことを全く知らない人もたくさんいると思いますし、そのような若者のうち、1%でも意識を変えることができたら御の字ぐらいの気持ちで広告を打っているのかもしれません。

(選挙の投票年齢が18歳以上に引き下げられたことも少なからず関係しているのでは…と勝手に想像しています)

 

ただ、創価学会のネット広告以上にネガティブインフォメーションの方が遥かに多いですし、仮にネット広告を見て創価学会のことを知り、興味をもったとしても、その後ググってみたら、創価学会に対する批判的意見がウジャウジャと出てきて、最終的に「…ああ、そういう団体だったのね。うっかり騙されるところだった」というところに行き着くように思います。

また、一般的に「ウザい」と認識されているネット広告での露出を増やすと、「ああ、創価学会って、最近ネット広告を出しているあの鬱陶しいやつか」というイメージを持たれかねません。そのようなことを考えると、諸刃の剣のようにも思えます。今は試験的にやっているだけかもしれませんけど。

 

創価学会のテレビCMやネット広告を見て、「創価学会のCMが流れるような時代になったのか!」と喜んでいる壮年部・婦人部の人もいるかもしれませんが、喜ぶところじゃないと思いますよ。

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「創価学会ってどんなところ?」という素朴な疑問に対して。

2018-01-22 18:00:00 | 体験談・雑記

最近、とある新入会員の方のブログを読ませて頂いたのですが、周囲の学会員の優しさや熱意に触れて、刺激を受けられている様子などが率直に述べられており、この方が語られている創価学会も「真実」だなぁーと感じました。私も新入会員の立場でしたら、学会員さんの優しさに触れて、同じような感想を抱いたかもしれません。「外から見る創価学会と、中から見る創価学会は違うよ」と。

 

当ブログは、「創価学会ってどんなところなの?」「創価学会って何やってる団体なの?」といった素朴な疑問を感じてらっしゃる非学会員の方を対象に記事を書いていないため、上記ブログさんとはスタンスは異なるのですが、Yahoo知恵袋での質問に対する回答などを見ていますと、質問には真正面に答えずに、「あなたは学会のことを知りませんね」と上から目線で決めつけて、学会系のサイトへのリンクを張っていたり、その逆に学会擁護派の意見は読まないでくださいと念を押すアンチの方がいたり。最初からアンチの方や、学会擁護派の方の回答ありきの自作自演の質問もあるかもしれませんが、中には、本当に純粋に質問をしている人もいると思いますし、こういったやり取りを読んでも、「どっちが正解なんだ?」という疑問は拭えないかと思います。

※ 大抵の場合、アンチ・擁護派のいずれかの立場から回答することになると思いますので、このような事態は避けられないんですけど。。

 

そこで、自分なりに、上記のような素朴な疑問を抱えている人から質問を受けたとして、「自分だったらどう答えるか?」という点を考えてみました。今回の記事の趣旨はそのようなものになります。

まず、創価学会が普段やっている活動内容や会の目的などを説明しつつも、私自身としましては、創価学会を否定・批判している立場ですので、その意見を率直に伝えることになるかと思います。そのうえで、「私とは逆の意見として、こういった意見もありますよ」と他ブログ等を紹介し、「どちらの意見が正しいとか、間違っているということではなく、見る角度を変えれば、その人の意見も変わりますよ」とお伝えします。もし、完全に外部の一般の方から質問を受けたとしたらそうなると思います。

 

ただし、「友人・知人から入会を勧められているのだけれど…」というお立場の人から質問を受けたとしたら事情は変わります。上記のような回答に加えて、私個人としては、「お試しで入会する」とか、「友人の面目を立てて入会する」といった動機で入会することだけは「"絶対に"おススメしない」と釘を差したうえで、「後になって絶対に後悔しない」と言い切れるぐらいにまで検証作業をすることをおススメしますね。「友人(紹介者)の人柄に惹かれた」とか、「話を聞いてみたら、学会の人は意外に良い人たちだった」とか、そんな表層的・直感的な理由だけで判断するのではなく。

まあ、その理由は言わずもがな、そんな短絡的な理由で入会してしまったら、後で後悔することになるとかなりの自信をもって言えるからです。「信教の自由があるんだから、創価学会をやめるのは自由だよ」「嫌になったらやめても大丈夫だよ」と、調子の良いことを言いつつ、その実態として、いったん入会したらそんな簡単に退会できないですし、退会者に対して、「退転者」「忘恩の輩」という批判を向けることもあります(退会するのは自由だけど、退会した人に対して批判するのも自由だよってことです)。

また、勧誘時には学会活動をちゃんと説明していないケースも考えられます。おそらく、「朝晩の勤行唱題」「聖教新聞の購読」「座談会や本幹同中への参加」は活動内容として説明していると思いますが、それに加えて、選挙、財務、聖教新聞の啓蒙などもあります。池田氏の書籍や民音のチケット購入を勧められることもあります。「全部任意なんでしょ?」と楽観視していませんか?これらの活動が"存在する"ということを、再度しっかりとご検討されることを強くお勧めします。

 

私は、一番最悪なのは、入会してから「そんな話聞いていなかった」というミスマッチを起こすことだと考えています。そして、紹介者や折伏現場に入った学会員さんたちは、全ての事情を話してくれるとは限りません。そこは重々承知されたうえで、総合的に創価学会のことを判断して欲しいと切に願います。

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現証を持ち出すのは反論になっていない。

2018-01-17 19:29:38 | 体験談・雑記

私は、幹部や親に対し、比較的自分の疑問をぶつけてきた方だと思いますが、どなたとお話をしても、ほぼ例外なく最終的には現証の話へと行き着きます。例えば、「なぜ創価学会は宗教団体なのに、組織をあげて公明党支援をしているのか?」「選挙活動は信心とは関係ないのではないか?」という疑問に対し、法戦に挑戦した結果、こんな功徳があった、あんな功徳があった…という具合です。逆に、信心から退いた人には、あんな仏罰があった、こんな酷い目にあったと、これまた現証を説きます。

一連の話の中で、現証の話だけをするわけではないですが、こちらが納得しないと見るや、「これで黙るだろう」と言わんばかりに、功徳・仏罰という名のアメと鞭を与えるのです。「理屈云々ではなく、現にこういう結果が出ている」と。加えて、「やりきった人にしか分からない」と言ったりもします。

 

以前、別の記事でも書いたとおり、功徳(または仏罰)があると思うかどうかはその人の自由ですが、私は、「功徳があるのかどうか」を聞いているのではなく、種々の学会活動の正当性の根拠を聞いているのであって、その疑問に対し、現証を説くのは、本当にズレてるなぁと思っていました。答えになっていない。

仮に、彼らの言うとおりに実践してみて、功徳(らしきもの)を実感できたとします。でも、相変わらず理屈は分かりません。つまり、「やり切ったら分かる」というのも、「功徳があるかどうか」が分かるだけであって、いつまで経っても学会活動の正当性の根拠は分かりません。このような指導が蔓延した結果、「理屈はよく分からないけれど、功徳があるから正しいんだろう」という極端な現証主義者が大量に生み出されることになったように思います(大半の人は、功徳を実感できずに疑問が深まるばかりだと思いますし、私もその1人です)。

 

そして、この過度の現証主義は、ネット上での議論も歪めているように思います。例えば、学会の方針・指導に疑問を抱いている未活動家の批判に対し、「大して活動をしていないのに、何が分かるんだ」と再批判をされる方がいますが、これも現証至上主義からくる批判としか思えません。「学会活動に真剣に励んでいる活動家であれば、必ず現証があるはずだし、学会への批判など起こるはずがない。大して活動をしていないから現証も信心の確信もなく、目先の問題だけを捉えて学会批判をするんだろう」という理屈です。しかし、これは検証・批判の対象となる命題を上記のとおりはき違えています。

例えるならば、「北朝鮮は独裁国家である」という命題を掲げる批判派に対して、「実際に北朝鮮で暮らしたこともないくせに、何を知っているというんだ」と憤り、「北朝鮮の暮らしは豊かである」という、検証対象が異なる別の命題を持ち出してきて再批判しているようなものです。しかも、それが反論になっていると本気で思っています。そのため、議論が噛み合わず、学会内部で疑問を抱える会員は延々と悩み続ける結果となっているように思うのです。

 

もし、組織内で疑問を感じ、幹部に相談してみたものの、疑問に対して真正面から答えず、話をはぐらかして現証を論じたり、「やり切ったら分かる」などと諭されたら、実際に言われたとおりに実践するかどうかは別として、その幹部は議論をする気がないと考えて差し支えないと思います。

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「よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話」を読んで。

2018-01-11 19:43:42 | 体験談・雑記

彼女(非創価であり、私がアンチであることは知っています)から「これどう思う?」と勧められて、「よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話」という漫画を試し読みしてみました。この作品は、エホバの証人を信仰している母親のもとに生まれ育った著者・いしいさやさんが、実際に幼少期に体験されたことが描かれています。

エホバの証人は、創価学会とは全く別の新興宗教ですし、信仰内容をよく知らないので、いしいさんの気持ちを全て理解できるというわけではありません。私は親から身体的虐待を受けていませんし、創価学会では、学校の友人と遊んではいけないとか、婚前交渉がダメという教えもありませんでしたしね。

ただ、親から受けた教育・しつけの内容は違うけれど、自分が置かれている環境のおかしさに徐々に気づいていった点や、親が子どもに宗教を押し付けることに疑問を感じるようになった点は同じだなと思います。いしいさやさんは、以下のように述べられていますが、ほぼ同感です。

私がこの漫画を描いたのは、決して信仰の自由やエホバの証人を否定したいわけではありません。菜食主義や政治思想などと同様に、各人がどういう主義でどういう生活をするのも自由だと思います。

ただしその家に生まれ、その生活を強制された子は、それが「普通」になってしまうということです。子どもは、親も家庭での生活も選べませんから。

そしてその子は、世間の「普通」とのずれを認識したときに、多かれ少なかれ戸惑いや孤独を感じることもあるということを知ってもらいたかったのです。

宗教の自由は認められるべきだと思うのですが、子供にそれを強制することには、考えなければいけない問題があるのではないかと思っています。

出典:「エホバの証人の活動のなかで、最もつらかったこと」元信者が告白 現代ビジネス(一部抜粋)

 

「世間の「普通」とのずれ」というのは、思わず頷いてしまうフレーズです。幼少の頃に「自分は他の家庭とは違うんだ」と何度思ったことでしょうか。創価学会では、成人してからも、選挙や財務などの意味の分からない活動に振り回され、歳を重ねるごとに徐々に異常性に直面することになりますが…。

おそらく、疑問を感じている学会2世・3世会員の多くは、著者・いしいさんの気持ちに共感されるのではないかと勝手に思っていますが、私が気になるのは、子を持つ壮年部・婦人部がこの作品を読んだときに、どのように思うのだろう?という点です。「エホバの証人では、そんな児童虐待をしているのか!なんて酷い宗教なんだ!」「創価学会では、きちんと子の人間性を尊重しながら教育しているから、全然間違っていない」とでも言うのでしょうか。

創価学会内部でもこの点はもっと議論されるべきだと思いますね。

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政治と宗教を切り離すことを本気で考える時期に来ているのでは?

2018-01-10 19:36:20 | 体験談・雑記

集団的自衛権の行使容認と一連の安保法制の改正・制定に関して、一部の学会員から猛烈な反発が起こっていることは周知のとおりですが、公明党を支援することがあたかも信心の延長線上にあるかのように指導し、公明党支援を事実上強要してきた創価学会の自業自得だと思います。

ちゃんと政治と宗教を切り離し、公明党支援は信心とは何の関係もないただの政治活動であって、公明党を支援するかどうかは学会員の任意であるという点を徹底していたのであれば(組織を挙げて公明党を支援していなければ)、公明党に対する批判こそ起きたとしても、その刃が創価学会本体に向かうことはなかったんじゃないかと思います。

 

そして、今回の安保法制をめぐる学会内部の対立を見ていて思うのですが、公明党支援を事実上強要する創価学会も、日蓮仏法の考え方や池田氏の指導を持ち出してそれに反対するグループも、いい加減、宗教と政治を結び付けるのはやめて、政治思想・政治意見の多様性を認めるという民主主義の大原則に立ち返りませんか?と言いたいです。もう今更無理かもしれませんけど。

例えば、安保法制に反対の意を表明し、9177名分の反対署名を集め、公明党に請願書を提出した天野達志さんは、メディアの取材に対し、以下のように述べています。

「本来の創価学会の仏法の考え方であれば、学会員であれば安保法案に必ず反対するはずなのに、政治の世界が絡んでしまって「法案の中身はよくわからないけど、私達の信じている公明党だから間違いない」という論理で進んでしまっているんでしょう。」

「有名な英国の歴史学者、アーノルド・J・トインビー氏との対話本「21世紀への対話」の中で、先生は集団的自衛権に絶対反対で、憲法9条を守らなければいけないとの主旨を明確に述べられていました。そんな池田先生の平和哲学こそが仏法の根幹の思想だと思っています。ですから先生の著作に書いてある内容なのに、先生を尊敬しているほかの学会員はなぜ安保法案に賛成なのか、本を読んでいないのかと疑問に思ってしまいますね。」

あの学会員が怒りの独白! 創価学会はもう「公明党教」に成り下がった」iRONNA(一部抜粋)

 

私からすると、このような天野さんの主張は、「学会員であれば~」「池田先生の弟子であれば~」という紋切型の論理で学会員の政治思想を統一しようとしている点において、公明党支援を強要している創価学会と何ら変わらないと思います。日蓮仏法の考え方から一義的に政治的結論が導かれるとは思えないですし、池田氏個人の政治的意見に学会員が従わなければならない理由も分かりません。もし、それを学会員の責務だと言うなら、文字通り「池田教」じゃないですかね。創価学会とは、そういう政治団体だったんですか?

池田氏の考え方が、日蓮仏法の根幹の思想だと思うのも、安保法制に反対するのも天野さんの自由ですが、それは本来信仰とは関係がない個人の政治思想であって、他の学会員が異なる考え方を持っていたとしても何の問題もないはずです。極論を言えば、極右でも極左でも良いはずです。にもかかわらず、宗教団体である創価学会において、政治的問題をめぐって意見対立を起こし、会合への参加禁止になったり、除名処分を受けている時点で、かなり異常な事態ですよ。創価学会って宗教団体だったはずですよね?

 

今回の安保法制は、創価学会が世界平和を目指す宗教団体であるがゆえに、特に意見の対立を起こしやすい争点であり、反対運動という形で学会本部・公明党に対する不満・批判が露見しましたが、これは今になって初めて生じたものではなく、創価学会がずっと潜在的に抱えていたものだろうと思います。傍目に見ていると、創価学会に絡みついた政治権力の蔦を払い落とす絶好の機会だと思いますが、これだけの権力を手に入れた創価学会が、今更公明党との関係を断ち切り、純粋に宗教活動だけに励む団体になるとは思えないですね。

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