活動から離れた創価内部アンチのブログ。

元バリ活の内部アンチ(3世会員)による体験記・雑記です。

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親が子どもに思想を押し付けることについて

2017-07-18 23:50:51 | 体験談・雑記
私は、3世会員として、その人生を送ってきた。生まれて1〜2ヶ月後(ぐらい?)には、自分の意思にかかわりなく創価学会に入会させられ、未だに、親の呪縛からは解放されていない。

親元を離れ、創価と無縁の生活を送りたいと思っても、親に無理やり統監を移され、否が応でも組織の人は家に訪ねてくるし、勝手に聖教新聞に申し込まれるし、たまに実家に帰省すれば、ちゃんと勤行唱題をしているか、組織との繋がりはあるかと問われる。

まだ結婚していないが、結婚することになれば、結婚相手を折伏しろと圧力をかけられるであろうし、子どもが生まれれば、創価学会への入会なども強要されるだろう。そのうち、創価小学校や創価学園を受験させろと言うかもしれない。


創価の家庭に限らず、どこの家庭でも、親は子どもに自分の思想を押し付けて育てるものである。それは、ただの文化の域を出ないものだったり、その後の人生を左右するようなイデオロギーであったりする。

ただ、宗教思想は別格である。宗教思想は、人格的形成の重大な核心をなすものであり、憲法によって保障されている思想及び良心の自由における「思想」とは、この宗教的思想を言うと定義する学説もあるぐらいである。単なる世界観や内心の自由一般とは格が違う。

事実、創価の思想を押し付けられて育ち、創価の思想に疑問を抱いて、そのマインドコントロールを解いた人の中には、とてつもない自己喪失感に苛まれ、アイデンティティを再構築する方法も分からず、途方に暮れている人もいる。私もかつてはそうだった。自分が今まで正しいと思っていた宗教思想は、自分の存在そのものだからだ。

だから、私は、親は自分の子どもに宗教的思想を押し付けることだけは絶対にしてはいけないと思っている。


このようなことを言うと、創価の人間は、「とはいえ、子どもは善悪を弁識する能力がなく、親がきちんと教育しなければならない」などと、これまた分かったような事を言ってくる。そんなの当たり前である。それを分かった上で、宗教思想を押し付けるな、という理屈が何故か通じない。

この話をするとき、分かりやすい例として、「アーミッシュ」というキリスト教系の宗教団体がある。

アーミッシュ(及びメノナイト)は、原則として現代文明との関わりを断ち、近代以前の生活様式のもと、農耕や牧畜などによって自給自足の生活を送っている宗教民族である。アーミッシュ内でのコミュニティを重視し、聖書以外の読書や快楽が禁止されるなど、非常に厳しい戒律のもとで生活を送っている。もし戒律に反し、改善されない場合、アーミッシュを追放され、家族からも絶縁される。

むろん、アーミッシュの家庭に生まれ育った子どもは、アーミッシュの戒律のもとで教育を受け、そのような思想の影響を受ける。ここまでは創価と同じである。

しかし、創価と異なるのは、アーミッシュでは、16歳になると、一旦親元を離れ、現代文明との交わりを許可される(これを『ルームスプリンガ』とか『ラムスプリンガ』という)。この間、アーミッシュの規律から完全に解放され、酒やタバコなどの娯楽に興じても良いとされる。
更に、それだけでなく、18歳の成人を迎えると、1年間、アーミッシュのコミュニティから離れることができ、その後、アーミッシュのコミュニティに戻るか、それとも、アーミッシュと絶縁して俗世で暮らすかを選択する事ができる。

つまり、アーミッシュでは、自分たちの思想を押し付けて終わりではなく、是非弁別の判断ができる年齢に成長するに伴って、段階的に「外の世界」との交わりを認め、「外の世界」を体験させた上で(判断材料を与えた上で)、最終的に、アーミッシュの思想に従うか、それとも、アーミッシュの思想を捨てるかを選択させている。私は、このやり方は非常にフェアだと思う。


確かに、子どもは、物事の是非弁別を判断することができない。だから、親が一定の思想を押し付けることはある程度やむを得ないと思っている。
しかし、押し付けた思想を、子どもが受け入れてくれるだろうと勝手に決めつけ、その後も引き続き思想を押し付けるのは、単なるエゴというか、もはや思想の暴力である。アーミッシュのように、成人した際、「創価学会員として生きていくか、それとも、創価学会を退会するか、どちらか選べ」と、子どもの判断を仰ぐのが本来のやり方ではないか?
(なお、アーミッシュでは、ほとんどの成人が、アーミッシュとして生きていくことを選択するらしい)

そのような考え方が受け入れられない限り、私は、「創価学会には人権がない」と言い続けるし、人権を重んじるとかぬかしている創価連中を心の底から軽蔑する。
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百家争鳴の創価学会

2017-07-10 16:15:48 | 体験談・雑記
私が、「創価学会は正しくない」と思う根拠のひとつとして、学会員さんの間で教義に関する確たる統一的思想や見解がないという点がありました。

例えば、本尊義ひとつをとっても、人によって言うことがバラバラです。「本尊は必要・重要ではない。大事なのは南無妙法蓮華経というお題目を唱え、これを弘めることである」と述べる人もいれば、「本尊は必要であり、信さえあれば、学会の本尊であっても境智冥合を果たすことができる」と述べる人もいます。そんな深いことは考えず、「文証・理証の問題ではない。現証があるのだから正しい」と言う人もいるでしょう。

私は、このような百家争鳴の状況について、同じ宗教を信仰しているにもかかわらず、自分たちの信仰の根本教義に対し、人によって主張が異なるのは明らかにおかしいと思っていました。「天に二日なし」のはずだからです。

しかし、人によって主張が異なるにもかかわらず(あるいは、よく分かっていないにもかかわらず)、内部分裂もないですし、学会が教義に関する統一化を図ろうとしているようにも見えません。
教学を学ぶ機会もありますが、自分たちに都合の良い御書だけを引き、矛盾している部分については絶対に学会員さんには見せません。

要するに、学会としては、学会員さんがどのような見解・解釈を持っていたとしても、最終的に「創価学会は正しい」とさえ言ってくれればそれで万事足りるのです。

まあ、宗教的正当性を失った創価学会からすれば、深く教学を追求されると非常に困るので、とことん現証にこだわり、「文証理証なんてどうでもいいんだよ。難しいこと考えずに学会活動に励もうよ。現世での御利益さえあればいいでしょ?」というスタンスに終始せざるを得ないのでしょう。
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インターネット上の情報について

2017-07-07 23:30:04 | 体験談・雑記
私の父親は、地元組織でバリバリ活動している幹部なんですが、昔インターネット上の創価学会に関する情報について話したことがありました。やっとインターネットが普及し始めた頃であり、今のように内部アンチによる生々しい批判・告発などが、それほど盛んに行われていない時期だったように思います。

そのとき、父親は、どの情報を見聞きしたのか分かりませんが、「いい加減なデマばかり書いてある」といった感想を述べていました。当時は私もまだバリ活でしたので、「やっぱりそうなんだ」程度にしか思わず、自らインターネット上の情報を積極的に調べるといったこともしませんでした。

私の勝手なイメージですが、その当時、インターネット上の情報の質は総じて低かったように思います。掲示板やチャットでの荒らしなどが横行しており、民主政の発展に資するような建設的な議論には程遠く、世間でも「低俗なメディア」という認識が一般的だったのではないかと。
(私も「インターネットは恐い」というイメージを持っていました)

そのため、上記父親の意見も含め、創価学会が組織として「インターネット上の情報はデマばかりである」と、学会員さんに注意喚起していたことは、ある意味正しいと思っています(全部が全部根拠のないデマだったとは思いませんが)。

しかし、このような言い分が通用するのは、ネットモラルが十分に醸成されていないインターネット黎明期だからこそであり、今となっては話が異なると思っています。


まず、PCやスマートフォン等が爆発的に普及し、インターネット通信技術が発展したことに伴い、誰でも容易にインターネットにアクセスできる環境になったため、インターネットは、一部の富裕層や専門的知識を有する人だけが享受できる性質のものではなくなりました。

また、情報発信媒体の種類・方法も多様化しました。個人であっても、ブログという形で、自らの考えを発信できるようになったほか、FacebookやTwitterなどのSNSが普及したことにより、情報を拡散させることも可能となりました。さらに、活字による情報発信だけでなく、Youtubeなどの動画プラットフォームもメジャー化したため、テレビと同じく、インターネットユーザーに対し、視聴覚的情報を発信することもできます。

そして、このように、インターネット環境が身近になり、情報発信の方法が多様化したことに加えて、ネットリテラシー、メディアリテラシーの向上に伴い、情報の発信主体および情報の受領者の双方ともに、相対的に「まともなメディア」「まともなユーザー」が増加したと思われます。
事実、インターネット上の各種メディアは、重要な情報収集源として、今や大多数の人に受け入れられ、生活に欠かせないものとなっています。大手ニュースサイトだけでなく、Twitterや2ちゃんねるなど、非マスコミの一般ユーザーによる意見も受容されていることがその証左です。

このような現状に鑑みますと、「インターネット上の情報はデマばかり」という理屈はもはや通用しないと思っています。もし、その理屈を貫徹するのであれば、「ネットメディア」と「それ以外のメディア」との相違を説明すべきです。そうでなければ、テレビ、新聞、ラジオなどその他のメディアにおいても、情報が誤っている可能性があるにもかかわらず(現に誤報があるにもかかわらず)、それに言及しないのはおかしい。「聖教新聞以外のメディアに流れている情報はデマばかりなので、読んだり、聞いたり、見たりしないように」と言われる方がまだ分かりますね。だって、自分たちは絶対正義なんでしょう?

まあ、今の時代、「インターネット上の情報を見るな」というのは暴論であり、そんなことを声を大にして言う人も学会内部にもほぼいないと思いますが。

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ブログ村のカテゴリー強制移動について

2017-07-05 18:00:00 | その他

このブログは、ブログ村というブログランキングサイトに登録してまして、当初は、「創価学会 批判・告発」カテゴリーに登録したんですね。

しかし、別に批判だけをする趣旨ではないし、創価学会全般の記事を書くつもりなので、途中から「創価学会」カテゴリーに移動させたんですよ。そちらの方が登録ブログ数も多いですし、アクセスアップにも繋がると思ったので。ちなみに、「創価学会 批判・告発」カテゴリーは完全に過疎化していると言いますか、最近できたカテゴリーらしいです。

んで、今日気づいたんですけど、ブログ村の登録カテゴリーが、「創価学会 批判・告発」カテゴリーに勝手に変わってるんです。ブログ村からメールも届いておりまして、ブログ内容に沿ったカテゴリーに移動させたとか何とか…。

私が存じ上げているブログ様もいくつか強制移動させられているらしく、「創価学会員による創価ダメ出しブログ」様の記事でも言及されているとおり、何らかの圧力が働いたのではないかと邪推します。
(参照記事「ブログ村に圧力か?」)

「いやいや、カテゴリーを選ぶのはこっちの自由でしょ」と思い、再びカテゴリーを戻そうとすると、創価学会カテゴリーは選択不可に。

色々調べていますと、創価以外のブログでもカテゴリー違いの記事を書いていると、強制移動させられることもあるようですが、ユーザーからの通報が端緒となっているようです。つまり、私のブログ記事を読んだどなたかが、「カテゴリー違いだ」と思い、ブログ村に通報し、強制的に飛ばされちゃったと。いやぁ、ご苦労様ですww

まあ、別にブログランキングサイトのカテゴリーなんてどうだって良いんですけど、分かりづらいんで、本家のカテゴリー名は、「創価学会 非批判・非告発」とかにしてくれませんかね?

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会社に訪ねてきた創価と公明党の人

2017-07-02 10:50:05 | 体験談・雑記
結構前の話になります。前々職ぐらいのときですかね。

その当時勤めていた会社のオフィスは、従業員が仕事をするフロアと、応接室とが壁で仕切られているものの、完全に仕切られているわけではなく、天井付近に若干隙間がありました。

そのため、その部屋で話している内容は、仕事フロアにも結構聞こえてくるんです。会話内容が全部聞き取れるわけじゃないんですが、ところどころ聞き取れる…みたいな。


んで、ある日のこと。ゾロゾロと3人ほどのスーツ姿の男性が訪ねて来ました。社長宛の来客であり、応接室に通され、社長が応対しました。

最初は、ビジネス上の来客だと思っていたんですが、どうやら、ところどころ聞き取れる会話内容からして、1人は創価学会の幹部(?)、1人は秘書(?)、1人は公明党の立候補者のようでした。
つまり、創価学会の幹部が、新たに立候補することになった新人候補者を連れて、挨拶回りに訪れてきた…という感じです。

私は内心では、「へぇー、会社訪問もするんだ」ぐらいに思っていました。

すると、そのうち、ビジネスというか、支援の見返りの話に。その立候補者が、どの方面に強いとか、どういう人脈があるとか、どの役所に顔がきくとか、そういったアピールが繰り広げられます。ああ、政治家って、こういう根回しをしながら、支持基盤を作っていくんだなぁ、と。


まあ、会社に創価と公明党の人が訪ねて来たっていうだけの話なんですが、応対を終えた後の社長は首をかしげ、「何の話だったのかよくわからない。というか、公職選挙法違反なんじゃないか?」とボソリと言っていたのが印象的でした。

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