活動から離れた創価内部アンチのブログ。

元バリ活の内部アンチ(3世会員)による体験記・雑記です。

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勝手に聖教新聞を申し込むのってもはやデフォなの?

2017-06-30 19:09:51 | 体験談・雑記
もう更新をストップされているようですが、私が非常に共感して読ませて頂いているにゃんこ丸さんの「創価学会を卒業します!」というブログの中に、「聖教新聞をやめたのに、翌月勝手に申し込まれていた件」という記事があり、自分も似たような経験があることを思い出しました。

今から3~4年ぐらい前になりますかね。仕事の関係で、実家を出て一人暮らしをすることになったんですが、そのとき、ほぼマインドコントロールは解けていたため、引っ越し先では、①一切の学会活動をしない、②本尊を安置しない(=勤行唱題をしない)、③聖教新聞を取らない・読まないと心に決めていました。

ただ、親との関係において、以前本尊義や学会の欺瞞について口論をしたことはあったものの、面と向かってアンチであることを伝えたことはなく、親からすれば、私は変わらず信心を続けると思っており(まあ、普通そう思うでしょうね)、引越しの際、「ちゃんと御安置するように」と、本尊を持たされました(直ぐにでも処分したいんですが、ちょっと理由があり、まだ未処分)。また、さすがに新しい住所を伝えないわけにはいかないので、引越し先の住所も伝え、統監を移す手続もやっておくと伝えられていました。

ここまでは想定の範囲内であり、仮に新しい組織の人が訪れてきても、絶対に応対しない予定だったんです。しかし、さすがは創価学会。うちの母親が私に断りなく勝手に聖教新聞を申し込んだらしく、引っ越して間もなくすると、聖教新聞が家に届くようになりました。あ、そういうことするのね…(笑)

創価学会の人と応対しない予定だったんですが、新聞を停止させるためには、月末の集金の際に説明せざるを得ず、仕方なく集金に来た婦人部の人に応対しました。「すみません、私に断りなく、母親が勝手に申し込んだみたいです。今月分はお支払いしますが、来月からは新聞を止めてください」と伝えると、その婦人部の人はキョトンとした様子でしたが、「でもね。お母さんもあなたのことを心配して申し込んだと思うわよ」等々、私を説得しようとしてきたんです。うわぁ。面倒くさい。。

「それは分からなくもないですが、私のお金で購読する以上、何の断りもなしに申し込むのは非常識じゃないですかね」と反論しているうちに、その婦人部の人も最後は納得し、「分かりました。来月からは止めます」と言って、帰って行かれました。

もしかすると、その人が親に連絡し、聖教新聞を止めたことが伝わる可能性があったんですが、もし仮に親から連絡が来たとしても、「電子版の聖教新聞を購読しており、紙媒体は必要ないから、そっちは止めた」と説明する予定でした。結局親からの連絡はなかったですが。。

今後も、聖教新聞に限らず、創価学会に対して一銭たりとも布施はつもりはなく、別の機会に、財務のエピソードなども書いてみたいと思います。

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幹部による非常識な振舞い

2017-06-28 19:00:00 | 体験談・雑記
世の中には、相手の気持ちも考えずに非常識・無慈悲な振舞いをする人がおり、創価学会員の中にも、そういった振舞いをする人がいます。

昔バリ活だった頃は、そういった振舞いに接しても、「学会員といえども、まだ仏道修行の途中であり、仏性が開かれているわけではない」と自分に言い聞かせていましたが、アンチとなった現在、そういった非常識な振舞いは創価脳に染まっているがゆえであると思っています。

また、入信して間もない人であればともかく、役職に就いている幹部ですら、そういった振舞いをする人がいます。「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」との御書を実践・指導していかなければならない立場であるにもかかわらず。

本日は、私が実際に見聞きした幹部による非常識な振舞いを3つほど書いてみたいと思います。ただし、そういったエピソードばかりを書くことは、批判のための批判になりかねず、大変お世話になった良識ある学会員さんも多数いらっしゃることを注記しておきます。


1.給料を聞いてくる婦人部の某幹部A

まずは、古くから付き合いのある婦人部の某幹部Aの話です。

この方は、私の両親との繋がりも強く、私も幼少の頃から知っています。あるとき、この方が家を訪れてきて、一緒にお茶をしていたところ、私の転職の話になりました。丁度、転職先が決まり、ホッと一息ついていたときだったので。

最初は、「転職が決まって良かったね」と祝福のお言葉を頂戴していたのですが、そのうち、「給料ってどれぐらいなの?」とストレートに聞いてきました。この時点でかなり非常識だと思ったんですが、言わないといけない空気だったので、額面での月給を伝えると、「ふーん。○○くんの年齢から考えると少ないね。そんなものなの?」と。

いくら古くから付き合いのある方とはいえ、給料を聞いたうえで、それに対して大っぴらに少ないと言うなんて、あまりに礼節を欠く言動のように感じました。聞くところによりますと、この幹部Aには2人のお子さんがおり、一人は最近仕事を辞め、もう一人は働かずにニートをしているとのことであり、仕事が決まったことに対する嫉妬からくるものなのでは?と邪推をしてしまいました。


2.車をぶつけて逃げる男子部の某幹部B

次に、他人への迷惑を何とも思わない男子部の某幹部Bの話です。

ある男子部の某幹部Bの車に乗せてもらい、少し遠いところにある会館に向かっていたときのこと。会館の駐車場が使用できないために、周辺のコインパーキングに駐車しようとしたところ、急に「ゴンッ」という音が聞こえてきました。見てみると隣接する車にぶつかってキズもついているんです。

すると、その幹部Bは、慌てた様子でそのコインパーキングを後にしました。悪びれることもなく、「あーあ、やっちゃったw」と笑いながら。私もさすがに「マズいんじゃないですか?」と諭しましたが、「見んかったことにしてくれ」と言って、ぶつけられた車の持ち主への謝意なども一切ありません。

他人への配慮なんて露もなく、迷惑をかけても何とも思わないのが学会幹部の本質なんだなと思った出来事でした。


3.裏表の激しい壮年部の某幹部C

最後に、壮年部の某幹部Cの話です。

この方は、壮年部や婦人部の方に対しては、物腰柔らかく、ニコニコと笑顔で接しているものの、男子部(幹部を除く。)に対しては、厳しい口調で説教することもあり、裏表が激しいと言いますか、自分より下の立場にある者に対する態度がキツイことで有名でした。

創価班の会合着任をしていたときのこと。私が、駐輪場の整理をしていたところに、その幹部Cがやってきて、自転車をドカッと乱暴に停められました。後から来場する会員さんが余裕をもって自転車を停められるように、間隔を詰めていた最中でしたので、私が、「すみません。自転車を移動させても宜しいでしょうか?」とお声がけすると、その幹部Cは「なんでや?」と。

事情を説明すると、「じゃあ、なんで最初からそういう風に誘導せえへんかってん?」と怒鳴り始めました。他の創価班数名が驚いて駆けつけてくるほどの大声で。結局、その幹部Cは、「絶対に自転車を動かすな」と言ってその場を立ち去りました。虫の居所が悪かったのかどうか知りませんが、円滑な会合運営に協力する気もなく、些細なことで怒鳴る姿に激しい疑問を感じました。

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創価学会と政治との関わりについて

2017-06-27 18:10:00 | 体験談・雑記
「何故、組織をあげて選挙活動をしているのか?」
「公明党を支援することが、日蓮仏法の信仰と何の関係があるのか?」

私がバリ活時代に最も疑問に思っていたことであり、これが非活&アンチとなる大きな要因となりました。

当然ですが、宗教思想と政治思想は全くの別物であり、学会員さんにもそれぞれ政治思想があります。戸田会長もおっしゃっていましたが、別に公明党を支持しないといけない義理なんてありません。自らが正しいと思う政治思想を表明すれば良いし、自民党を支持しているのであれば自民党に投票すれば良いし、民進党を支持しているのであれば民進党に投票すれば良いし、特定の政党を支持しないという無党派なのであれば無党派候補者に投票すれば良いし、投票をしないという選択を取ってもいいはずです。全て国民には、思想・良心の自由、政治活動の自由、投票の自由が保障されているのですから。

しかし、何故か、創価学会では、学会員さんの政治思想なんてお構いなしに、公明党支援を強制します。「会員個人の政党支持について、会員の自由意思には、全く干渉しない。」(昭和45年 池田氏講演より)と明言しているにもかかわらず。つまり、学会の表向きとしては、別に公明党支援を強制していないし、学会員個人が自らの自由な意思に基づき、公明党を支援しているに過ぎないということになっています。実態としましては、上からの指示に基づき、明らかに組織的に選挙活動をしていますけどね。
(そして、学会員さんが何か問題を起こしたとしても、トカゲのしっぽのように切り捨てるのでしょう)


この点について、私が、学会の先輩や幹部から聞いた説明によると、

「正しい仏法を信仰している候補者を一人でも多く政界に送り出すことが、日本の政治を変革することになり、引いては広宣流布にも繋がる。だから、公明党を支援している学会員には多大な功徳があるのだ。」

「学会は、戸田先生の代から『政治を監視しなければならない』という信念でやってきた。権力の暴走を監視・制御できる公明党を支援することは、学会員の責務である。」

とのことでした。これはあくまでも、私に指導した先輩や幹部の言い分に過ぎないですが、それぞれの言い分について反論することとします。


まず前者についてですが、①信心している人を支援する→②その人が当選して政治家になる→③政治が改革され、広宣流布に繋がる→④だから、①を行っている人には功徳があるというロジックです。しかし、これは明らかに詭弁です。

そもそも、創価学会の公式見解によると、「広宣流布」とは、

大聖人は、末法に生きるすべての人々を幸福に導く法として、南無妙法蓮華経をあらわされました。この妙法を世界中に弘めていくことが、私たちの「広宣流布」の実践です。そして「日蓮の門下は、異体同心の信心に励んでいけば、広宣流布の大願も叶う」(御書1337ページ、趣意)と仰せられています。
(中略)
名誉会長は「世界の民衆に妙法を弘め、絶対の幸福への道を開いていくことが広宣流布である」と述べています。
(SOKAnetより引用)


とされています(この定義自体に異論があると思いますが、いったん置いておきます)。ということは、「妙法を世界中に広め、民衆の絶対の幸福の道を開いていくこと」が「広宣流布」のはずであり、妙法を広めない限り、それは「広宣流布」ではありません。「信心している人を政界に送り出すこと」のどこが広宣流布なのでしょうか?当選者が、他の議員さんを折伏したんですか?どのように妙法が広まったんですか?

はっきり言います。公明党を支援することは広宣流布とは何の関係もないただの政治活動です。そこに功徳があるなんて、嘘はったりを言うのはいい加減にして欲しい。騙されている学会員さんが可哀想でなりません。


次に、後者について。確かに、「政治を監視しなければならない」というのは戸田会長から続く信念であり、戸田会長や池田センセーを師と仰ぐのであれば、学会に属する者としては、信仰とは関係なく、権力の暴走を監視・制御する責務があるのかもしれません。私も、信仰とは関係なく、政治に興味関心を持ち、投票に行くなどして政治に関わるべきだと思っています。

しかし、今や公明党は自民党と連立を組む与党であり「権力側」の政党です。自民党の暴走を監視・制御する役割が期待されているのかもしれませんが、別に公明党でなければならない理由なんて無いと思います。なぜ公明党に限定するのか意味が分かりません。

また、「政治を監視しなければならない」と言う割には、選挙しか興味ないじゃないですか。当選したらそれ以降、話題にもしないじゃないですか。むしろ、当選して議員となった後の国会や地方議会での議員活動が重要であるはずなのに、そこまで関心を持っている人も少なく、学会内部で話題となった記憶もないですよ。

「当選した○○議員が、先日、国会答弁において、他党議員の不正を糾弾した」とか、「公明党議員団が、○○という法案を衆議院に提出した」とか、具体的に公明党議員がどのような議員活動を行っているのか、学会員に対して報告されるべきなのに、当選したら学会員のお役御免と言わんばかりに、次の戦いへと移行していきます。「政治を監視しなければならない」だって?自己矛盾もいいところ。笑わせんなよ。


非活となった現在においては、創価学会がどのような方針の下で、選挙活動を行おうが知ったこっちゃありませんが、未だに創価の言いなりになって、「功徳がある」と信じて選挙活動に邁進している学会員さんに対しては、「いい加減創価学会の詭弁に気づこうよ」と言いたいです。

本当に選挙活動をすることが日蓮仏法の信仰なんですか?公明党を支援することが政治を監視することになるんですか?以前別の記事でも書きましたが、組織の言いなりになって思考停止させるのではなく、自分の頭で考えてみてください。
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先輩から聞いた選挙依頼の話。

2017-06-26 18:29:12 | 体験談・雑記
私が非活&アンチとなった後、会社の先輩からこんな話を聞かされました(ちなみに、その先輩は、私が創価学会員であることを知りません)。

その先輩は既にご結婚されており、Facebookをしている奥さんのもとに、ある日突然古い知人から友達申請があったそうです。「急になんで?」と思ったものの、Facebookではよくあることなので、気にせず申請を承諾したところ、続けて「電話番号を教えてくれない?」とのメッセージが。

確かに、古い知人であるものの、それほど仲が良かったわけでもなく、おかしいと思われたそうですが、友達申請を許可しておいて無碍に断るのもその知人に悪いと思い、電話番号をお伝えしたそうです。

すると、まだ1歳にも満たない小さい赤ちゃんの世話で大変な時期に、その知人から「久しぶり~!元気?」という電話が。正直、大した思い出話もなく、なんで電話がかかってきたのか意味も分からず、話を聞いてみると、「実はさ、今度選挙があるんだけど…」という、まさかの展開に。
その後は、ご想像通り、公明党に投票して欲しいとの依頼があり、投票日の翌日にも「どう?投票に行ってくれた?」という確認の電話が掛かってきたとのことです。


その先輩は普段温厚な方であり、絶対に怒らないタイプの人なんですが、その時ばかりは、さすがに頭に来たとおっしゃっていました。「日常的に連絡を取るなどして、ちゃんとお互いの関係性が築かれているならまだしも、いきなり連絡してきて、選挙を依頼するなんて、あまりにも非常識」と。

私も経験があるのでよく分かるのですが、電話をかけてきた(おそらく)女子部の人は、たぶん自分の行動が非常識であることは承知の上だったと思います。
しかし、組織からFのノルマを課せられ、「友人台帳を作って、片っ端から当たれ」と命令されたのでしょう。自分の組織内での立場や役職との関係上、Fのノルマを達成することは半ば義務であり、なんとか選挙を頼める古い知人はいないかとFacebookでの繋がりを頼りにし、嫌々ながらも上からの命令に従い、電話をかけたのだと想像します。

創価学会と公明党の関係性や学会員に対する公明党支援活動の強要等については、また別の記事で書こうと思いますが、この先輩の話を聞いて、「そんなやり方を強要して、本当に公明党の支援を集められると思っているのか?世間から非常識と忌み嫌われないとでも思っているのか?」と憤りを感じます。


折伏を強要するのは、創価学会の教義(らしきもの)からして、まだ分かります。宗教団体ですからね。宗教活動をするのは不自然ではありません。しかし、信仰とは何の関係もない政治活動について、非常識とも取れる行動を強要されている学会員さんが不憫でなりません。

おそらく創価中枢幹部は、末端の学会員の知人・友人関係がどうなろうと知ったことではないのでしょう。また、たとえ世間から非常識と受け止められようが、票が集まって議席さえ確保できればそれでいいんだと思います。ですが、はっきり言います。

ふざけんな、ボケ。選挙活動なんて公明党員が自分でやれや。多くの学会員さんが自分の時間も人間関係も犠牲にしてまで、なんで公明党を支援せなアカンねん。公明党を支援したら功徳があるとか、ええかげんにせえよ。

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体験発表に感じていた違和感

2017-06-23 18:00:00 | 体験談・雑記
活動家だった当時は、「自分も頑張らないと」と奮起するきかっけであった体験発表について、非活となる直前や現在においては、違和感しか感じないと言いますか、登壇者の責任ではないものの、「気持ち悪い」とさえ感じていました。


まず、「それ功徳か?」と思うような体験のオンパレード。

体験発表では、難病を克服したとか、失業から再就職を果たしたとか、経営が傾いていた会社が持ち直したといった、困難を乗り越えた系のエピソードが多いんですが、「マイナスがゼロに戻っただけなのでは…?」と思ってしまいます。それ自体、大変な苦労をされたと思いますし、尊敬しますが。。

また、困難を乗り越える過程で人間革命を果たし、ちょっとやそっとの困難を困難と思わなくなったという言い分も詭弁に感じます。そもそも、何かに縋らないといけないレベルの困難なんて、生じない方が良いに決まっていますし、「精神的な強さを手に入れた」ということを功徳と呼ぶのであれば、別に創価学会の信仰でなくても得られると思います。


次に、体験発表は定型文ばかりです。

自分も経験があるのですが、体験発表の原稿文は、事前に幹部による添削が入り、発表の中に、師匠である池田センセーの指導などを入れるように指示されるのです。また、事実を脚色したり、自分が言いたいこととは異なる話を強要されることもあります。

その結果、どの体験発表も同じような話ばかりで、「こんな話を聞いて本当に奮起すると思っているのか?」と思っていました。要するに、体験発表なんて、定型文を読み上げさせるだけのセレモニーなんですよね。


また、上記と関連しますが、仲の良い創価家族のアピールの仕方が露骨です。

家族単位で体験発表をされることもあるんですが、「なんで毎回その形式なんだ…?」と思っていました。最初に長男がエピソードを話し、「では、今から母親にバトンタッチします!」「(母)はーい!」みたいな。不自然なくらいの笑顔で、やたらハイテンションで体験を語るんですが、そういう形式にしている創価幹部は、そうやれば仲の良い創価家族をアピールできると思っているんですかね。不自然さしかなかったですけど。
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