創価についてはアンチなんですが、じゃあ、日蓮正宗に対してどのような印象を抱いているかという点について、少しだけ触れさせて頂きます。
んーとですね。まず結論から言いますと、「日蓮正宗に対して良い印象を抱いているが、日蓮正宗に入信するかと言われれば、しない」といったところです。
そもそも、私が物心ついたころには、既に学会は破門された後であり、日蓮正宗について判断できる素地がなかったんです。
とはいえ、創価学会が発刊している機関紙に載っている情報は極端なものが多いですし、それだけで判断することは危険です。そこで、日蓮正宗信者の方のブログやYoutubeの動画などを閲覧・視聴しましたところ、その主張の当否は別として、創価学会の教義の矛盾などを実に論理的に批判されているではありませんか。
これは、少なくとも私が知っている創価学会では見られない光景だと思いました。
創価学会では、御書を学ぶ機会は極端に少なく、日蓮大聖人の仏法を学ぶというより、池田センセーの指導を学ぶことに重点が置かれていますし、御書を学んだとしても、教学試験の時とか、座談会のときぐらい。しかも、教学担当者が教える内容って、ただ大百蓮華に載っている内容を読んでるだけじゃん…みたいな薄っぺらなもの。
自分たちが実践している信仰の根本教義について、そんな薄っぺらな勉強でいいのか?これでは、「池田教」と揶揄されても致し方無しではないか?という思いがありました。
そして、そのことに疑問を持つ人も周囲にはおらず、「文証・理証より現証でしょ。とにかく自分たちの信仰は正しいんだから、黙って実践しておけばいいんだよ」という考えが蔓延しており、疑問を突き詰めて考えることを良しとはしない風潮すら感じました(私はこの風潮が大嫌いでした)。
他方、日蓮正宗の信者の方は、真剣に御書を学び、日蓮大聖人の仏法を真摯に実践しようとしているように映ったんです。どちらの方が日蓮仏法を実践している団体かと問われれば、答えは一目瞭然でしょう。
また、百聞は一見に如かずということで、2度ほど、富士大石寺を訪れたこともありますし、日蓮正宗の信者の方にお会いして、お話を伺ったこともあります。富士大石寺は大変綺麗な場所で、信者の方も大勢いらっしゃいました。
学会の機関紙では、大石寺は、荒れ放題で閑散としており、信者は皆疲れ果てた顔をしている…といった情報を読んだこともありますが、はっきりデマだと思いました。というか、疲れ果てた顔をしているのは創価学会の方なんじゃ…?
まあ、そんなこんなで、日蓮正宗に対しては好印象なんですが、それはあくまでも、「創価学会と比較すれば」という留保がつきます。
その点については、また別の機会に書くことがあれば書いてみますが、今日はこのへんで!
(断っておきますと、私は、別にそういった元ヤンが嫌いとかは一切ありません)
そういう土地柄(?)だからか、10代後半~20代前半の若い部員さんの中には、未だに大人になり切れていないやんちゃな子もいるわけです。派手な服装をして、派手なバイクや車に乗って、年上の人に対しても偉そうにタメ口で話すといった具合に。可愛さ余って憎さ何とかってやつでしょうか。
問題はここからです。
私がぺーぺーの男子部員だったとき、部長さんが車を出して、20代前半ぐらいの若い部員さんをとある会合に連れ出すことになりました。この子もなかなかのヤンキーでして、髪の毛は見事なまでの金色で、耳にはいくつものピアスを開け、首にはジャラジャラとネックレスをぶら下げ、ダボつかせたジャージを身にまとい、挨拶も「うーっす」とか「ちーっす」。部員さんでなければ、おそらく一生関わることのないタイプです。
んで、会合が終わった後、コーヒーを飲みながら、喫煙所で駄弁っていたところ、その子が武勇伝を語り始めたんです(なんで語り始めたのかもよく分からないですけど…)。
中学・高校時代の喧嘩とかカツアゲとか万引きの昔話であれば、「(ほんとはダメだけど)そんなヤンチャな時代もあったんだね~」で終わりです。私も、良い印象は抱かないでしょうけど、よくあるヤンキー武勇伝を聞いたという記憶しか残らなかったでしょう。
ところが、その子が話している内容は、つい最近の話といいますか、現在進行形の話であり、且つ、内容としても普通の人が聞いたらドン引きするようなものです。というか、言っちゃうと犯罪なんですよ。詳しくは書けないですが、「それはダメだろ……」と言葉を失うような。
しかし、部長さんや、その場に居合わせた本部長さんは、その話を聞いて注意するどころか(というか、警察に自首をすすめるレベルです)、ゲラゲラと腹を抱えて笑っているではありませんか。
被害者がいる犯罪の話を聞いて笑う感覚が分かりませんし、苦しんでいる人を救うための信心とか活動と言う割には、人の不幸話を喜んでいる姿に愕然としました。「あぁ、この人たちとは感覚が違うんだなぁ」と思った瞬間でもあります。
(それ自体、よく分からないんですけどね)
んで、ある日のこと。私のもとに役職の話がやってきました。そりゃ断る気満々ですよ。活動から徐々にフェードアウトしようと思ってた時期ですから(笑)
初めは、「仕事が忙しい」という、ありきたりな理由で断ろうとしたところ、「誰だって仕事が忙しい中でやってる」という返答があり(この理由は無理か…)、「中途半端な気持ちでは出来ない」「自分には荷が重い」「適任だとは思えない」と、とにかく思いつく限りの理由を挙げ、納得させようとしましたが奏功せず、「今すぐに答えを出さなくてもいい。○日に結論を聞くから、それまでに気持ちを整理しておいて」と言われ、その幹部の人は帰っていきました。
気持ちを整理するも何も、自分の中で答えは出ているし、この結論が変わることは絶対ありません。なので、約束の期日まで、何とか上手く断れる理由はないかと、自分の人生史上最高に言い訳を考えた期間でした。
そして約束の期日。
幹部の人が再びやって来て、「どう?受ける気になった?」と満面の笑顔で聞いてきました。私は「小細工なしで断ろう」と考えていたので、真剣な表情で、「考えましたが、やはり受ける気にはなれません。今回のお話は辞退させてください」とお伝えしました。
すると、その幹部は急に怖い表情となり、「本当は、この話はしたくなかったけどな…」と前置きをしたうえで、
「役職の話を断ると、仏罰を受けるよ」
と言ったんです(「脅した」の方が正しいか)。実際、役職の話を断った人が、どんな酷い目に遭ったのかというエピソードまで付け加えて。確か、リストラに遭ったとか、借金を作ったとか、そんな話だったと思います。
いやいやいやww 役職の話を断ると仏罰を受けるってどんな子供騙しだよwww
役職なんて、創価学会内部の組織・人事の問題に過ぎないし、それを断ると仏罰を受ける??本気で言ってんのか??根拠は???言ってることもうむちゃくちゃやぞ??
ほんと勘弁してくれと思いました。「今人材不足でどうしても○○くんにやって欲しい」とか、組織の実情を説明したうえで説得するならまだしも、何の根拠もない脅し文句でねじ伏せようとする姿勢に辟易しました。それを言えば、こちらが怯えて首を縦に振るとでも思ったのか、何と浅はかな。。
ここで折れたら、仏罰を恐れたと勘違いされそうで本当に嫌でしたが、そのうち、「末代まで宿業を背負う」とか言い出しそうで、この話を早く終わらせたくなり、役職を受けることにしました。あぁ…壺とか買っちゃうタイプですよね。知ってます。
このエピソードは、私が活動から離れようと思った決定的出来事の一つです。
いくら人材難だからといって、そこまでするか…。
その中でも、今でも印象に残っている出来事をいくつか書いてみます。
1.嘘を言わされる大学校生大会
創価班員になる前の創価班大学校時代、卒校式の直前に大学校生大会が開かれ、大学校生は一人一人、前に出て決意発表をしなければならないという会合がありました。
その時、私は既に活動に嫌気が差し始めており、折伏やら仏法対話はおろか、男子部の会合すらあまり出ていないという時期だったんです。そのため、発表できるものは何もありませんでした(同期も同じような状況です)。
会合の前に、責任者に呼ばれ、どんな決意を発表するつもりなのか聞かれたので、「卒校式に向けて活動を頑張っていきます」みたいなことを言うつもりですと答えると、「それじゃアカン。本流1決めましたと言え」と信じられない指導が。
私は、多少脚色して、「友人に仏法対話してきました(飲みながら、創価学会の話をほんの少ししました)」ぐらいのことは言ったことはありますが、さすがに「本流を決めました」というように明らかな嘘を言ったことはありません。
私が戸惑っていると、「大事なのは本当なのかどうかではなく、周りの大学校生を発奮させることを言うこと。それを言うことで自分自身を発奮させることもできる」と真顔で言われ、心底嫌でしたが言われたとおりに嘘を言いました。今思い出してもうんざりします。
2.吊るし上げるためだけの総括
創価班として、ある会合に着任したときのこと。会合が無事に終わり、掃除や後片付けをしていました。
ゴミを捨てに行くように頼まれたので、ゴミを出しに行くと、そのゴミだけ捨てる場所が違ったらしく、班長から「○○くん、それ捨てる場所違うよ」と指摘され、すぐに正しいゴミ捨て場に持って行きました。
そして、最後の総括の時間。
事故が起きたとき(例えば、忘れ物やケガ人が出たとき)は、物凄い怒号が飛ぶ時間ですが、そうでなければ、改善すべき点や気になった点を一人一人話して終わりです。
自分の順番となり、会合で気になった点を話し、「次回から注意していきます」と締めくくって座ろうとすると、司会から「おい!それだけか?」と怒号が。何のことか分からなかったので戸惑っていると、班長が立ち上がり、「申し訳ございません!自分の指導不足でゴミ捨て場を間違えさせてしまいました!」と大声で謝罪されました(えぇ…まじで…?)。
その後は、ご想像のとおり、立たされたまま、ひたすらゴミ捨て場を間違えたことを詰められました。確かに、ゴミ捨て場を間違えたのは事実ですが、会合終わりの後片付けの時間の出来事ですし、普段とゴミ捨ての方法が異なるなんて通常気がつきません。そんな大したことではないし、しかも指摘されてすぐに正しているのに、そんなことで怒鳴られる意味が分からず、さすがに理不尽だと思いました。これ、ただの吊るし上げじゃん…。
3.怒鳴りたいだけの創価班委員長
ある大きな会合に着任することとなり、その会合前のリハーサルをしていた時のことです。
その日は本来休館日であり、牙城会の方に頼んでわざわざ会館を開けて頂いているという状況でした。リハーサル時間は1時間程度しかありません。
会合の流れや手順を入念に確認していたところ、その様子を傍観していた創価班委員長が、「もう話し合いはええから、通しリハやれよ」と指示を下しました。中には、創価班1年目の右も左も分からない班員もいますし、頻繁に開催される会合ではないため、ベテランの班員ですら、思い出しながらやるという感じです。
言われた通り、通しリハをやってみたものの、確認出来ていなかった点でボロが出てしまいました。まあ、1回目のリハはそうなるよな、という感じです。
ところが、通しリハを見た創価班委員長は、事前に確認してこなかった班員を集め、「なんで事前に確認してこなかった?」と怒り始めました。断っておきますが、たとえ事前に会合の流れを確認したところで、実際に動いてみないと分からない点もあります。それを1回目から完璧にやれと言うのか、あなたは。
2回目の通しリハも細かい点でボロが出て、また集合。そこでもただひたすら創価班委員長は怒鳴りまくります。怒っている時間だけでもトータル20分ぐらいでしょうか。もうね。この時間が無駄。頼むから、確認する時間をくれよって感じです。お前は傍観してていいから。
結局、時間が足りず、不安を残したままリハーサルが終わりました。怒鳴る時間がなければちゃんと確認できたのに。