活動から離れた創価内部アンチのブログ。

元バリ活の内部アンチ(3世会員)による体験記・雑記です。

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過度に物事を単純化する活動家の思考について(3)

2018-03-06 20:45:06 | 体験談・雑記

前回の記事に対するコメントへのご返信をしようと思ったのですが、長くなりそうなので、記事の続編という形で少し書いてみます。なお、前々回の記事に対するコメントへのご返信は、前回と今回の記事をもって代えさせて頂きます(3・16の世界なんたらかんたらという式典については、また別の機会に…)

前回、前々回の記事に関して、「それであればもはや宗教と言うものは一切信じられないでしょう。」というのは、ご感想としてごもっともですし、私にとって半分以上その通りなんですが、何と言いますか、ちょっともどかしい思いが喉につっかえているので、以下補足させてください。

 

まずもって、私自身は創価学会の信仰に限らず、世の中のあらゆる宗教について、神秘的な部分は信じていませんが、仮に、宗教に何某かの神秘的な力が存在するとしても、次のようなことが言えるのではないかと考えています。

例えば、公務員試験の合格を目指している受験生が、毎日勤行唱題”だけ”をして、一切勉強をしなかったとすれば、宗教の神秘的な力を信じる人であっても、この受験生が公務員試験に合格できないことは分かるかと思います。公務員試験に合格するために必要となる勉強をしていない、つまり、因を積んでいないからです。信心の功徳などを説明する際のよくある譬え話ですね。

ということは、宗教の神秘的な力を信じるにしても、

 

勤行唱題をしたうえで(原因A)⇒ しっかりと勉強をするからこそ(原因B)⇒ 公務員試験に合格することができる(結果)

 

というように、宗教的側面(原因A)だけでなく、世俗的側面(原因B)の必要性も認めるんじゃないでしょうか。

私が、前回、前々回の記事で批判していることは、身の回りで起こるありとあらゆる事象には、必ずと言っていいほど世俗的側面・原因が存在し、且つ、それが結果に対して大きく寄与している場合があるにもかかわらず、あたかも、全ての因が宗教的側面に存するかのように、物事を省略して考える思考を対象としています。

宗教的側面の結果に対する寄与については、これを信じるか、信じないかという次元の問題であり、これを信じるという考え方自体を批判しているわけではありませんし、私は、宗教的側面について、超自然的な神秘の力は信じませんが、勤行唱題をすることによって、やる気が湧いてくるとか、前向きな気持ちになれるとか、モチベーションが上がるといったプラスの部分が存在することまでは否定しません。

そういった部分に限って言えば、宗教的側面が結果に対して寄与することもあるだろう…と思っているのです。なので、宗教そのものを全く信じていない…という風に捉えられると、「うーん。それに近しいのだけれど、ちょっと違う」という思いがふつふつと湧いてきて、今回の記事を書きました。長々とすみません。結局のところ、神秘的な側面を信じないので、大差ないかもしれませんが、私のスタンスとしてはそんなところです。

 

コメントに対するご返信としましては、以上ですが、少し蛇足です↓↓

 

以上の話は、あくまでも、宗教行為に限った話であり、選挙、財務、新聞啓蒙といった明らかに世俗的行為としか思えない学会活動については、宗教的側面がどうのこうのという議論を差し挟む余地はほぼないと思っています。これらの活動について、仮に、世俗的行為としての意義を認めたとして、

 

「選挙活動に励むことによって(原因)⇒ 政治に詳しくなった(結果)」

 

↑これなら理解できます。だけど、

 

「選挙活動に励んだから ⇒ 宿命転換を果たすことができた」

 

↑こんなことを言っているから、内外から批判が止まないのです。

まず、選挙活動を宗教行為だと位置づけている時点で論理の飛躍があるし、(絶対に認めないけれど)仮にそれを宗教行為だと捉えるにしても、結果に大きく寄与することになった世俗的要因が他にあるはずです。「なんで、そのような考察を全部すっ飛ばして、信心(らしきもの)に全ての因があると結論付けるの?それは、あまりにも物事を過度に単純化していない?」というのが、前回、前々回の記事の趣旨となります。

むしろ、前回、前々回の記事で念頭に置いていたのは、創価学会の宗教活動ではなく、こちらの世俗的活動の方です。蛇足かもしれませんが、一応注記させて頂きます。

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4 コメント

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Unknown (半覚醒元学生部)
2018-03-06 21:47:38
わざわざ私のコメントを記事で
取り上げていただきありがとうございます。
私も喉につっかえるもどかしいものがありましたので
またコメントさせていただきます。

>例えば、公務員試験の合格を目指している受験生が、毎日勤行唱題”だけ”をして、一切勉強をしなかったとすれば、宗教の神秘的な力を信じる人であっても、この受験生が公務員試験に合格できないことは分かるかと思います。公務員試験に合格するために必要となる勉強をしていない、つまり、因を積んでいないからです。信心の功徳などを説明する際のよくある譬え話ですね。

恐らく仏教での因果と言うものは
そんな直接的で皮相的なものではないと思いますよ。
不勉強で口下手な人間なのであまりうまく言えませんが
仏法の因果と言うものは表象的なものではなく
もっと生命の根源的な部分での因果だと思います。
それが最終的に我々の生活上の果報として
現れてくるものだとの認識です。
上手く言えなくてすみません。
半覚醒元学生部さんへ (たれぱん)
2018-03-06 22:54:07
コメントのご返信ありがとうございます。

“仏教の”因果なのであれば、半覚醒さんのおっしゃる通りだと思います。
譬えが適切ではなかったですね。
「宗教」で一括りにしてしまいすみません。

“創価学会の”因果論は、表層的な現世利益を説くので、
記事で書いたような譬え話をよく聞かされており、
それをベースにして、本来伝えたかったことを説明しようとしたんですが、
宗教によって考え方は異なるため、
「祈ったら叶う」というような単純な話じゃない!というご指摘も理解できます(^_^;)

創価学会のバリ活の方を念頭に置いているため、
違う宗教観・教義をお持ちの方からすれば、
「何を言ってるんだ?」という部分はどうしても出てくるかと思います。
何卒ご容赦頂ければ幸いです…m(_ _)m
Unknown (半覚醒元学生部)
2018-03-07 22:23:18
>“創価学会の”因果論は、表層的な現世利益を説くので、
記事で書いたような譬え話をよく聞かされており、
それをベースにして、本来伝えたかったことを説明しようとしたんですが

そうですね。こちらも純粋に信じているので
つい熱くなってしまいました。
すみませんでした。
確かに創価学会に限っての話のようでしたね。
いろいろタレパンさんも大変なようですが
実を言うと私も相当きつい状態です。
まっ、信仰を持つ持たないの違いはあれど
お互い幸せになりましょうね。
ありがとうございます。 (たれぱん)
2018-03-08 19:23:47
半覚醒元学生部さんへ

いえいえ。こちらこそ大変失礼いたしました。
むしろ、ご指摘いただきありがとうございます!
自分の考えを整理する好機となりました。

また、お気遣い頂き誠にありがとうございます。
親との関係など、創価について悩む部分は多いですが、
挫けずに頑張っていこうと思います。
半覚醒さんもどうか無理はなさらずご自愛ください。

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