活動から離れた創価内部アンチのブログ。

元バリ活の内部アンチ(3世会員)による体験記・雑記です。

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本部職員に対して抱く羨望と不憫の念

2018-04-19 20:00:00 | 体験談・雑記

私の知人、親戚の中には、本部職員さんが何名かいらっしゃって、そういう方は、ほぼ例外なく、幼少の頃から創価エリートの道を歩んでこられた方。つまり、小学校から大学まで創価一貫教育を受けて育ち、運命に引き寄せられるかのように新卒で本部職員になったような人です。

 

私は、そういう幼少の頃から創価エリートの道をまっすぐ歩んできた人に対し、ある種、とてつもない羨望の念をもって見ることがあります。

私もかつては創価中学、高校に通っていましたが、大学まで創価教育を受けようとは思えませんでした。創価学園自体が好きではなかったし、池田氏を心から崇拝していたわけでもないし、何より当時の私は、大人たちが用意した創価のレールに漫然と従うことに対するぼんやりとした不安のようなものを感じていました。

親に人生を決めつけられることに対する反抗心というか、自分の人生は自分でデザインしたいという自我というか、思春期の年頃の子どもだったら、少なからずそういう気持ちってあるじゃないですか。実際、私の周りには、創価学園を途中で退学しちゃったり、違う学校に転校する同級生もいたわけですよ。「こんな学校でやっていけねーよ」となってしまって。

また、仮に創価一貫教育までは受け入れられたとして、創価学会に就職しようという発想には到底行き着かない。本部職員になった方たちも、本部職員になるにあたって、さまざまな葛藤や悩みがあったと思いますが、バリ活時代の私がそういうチャンスに巡りあったとしても、たぶん葛藤や悩みを抱くことすらなく、本部職員になるルートを速やかに除外したと思います。

2世・3世会員として、どれだけ創価色の濃い人生を歩んできても、どこかで創価と距離を取りたいとか、レールを脱線したいという思いに駆られてもいいはずなのに(実際、そういう人はたくさんいるのに)、彼らは、そのレールを脱線することなく、最後の就職先まで創価一本で貫いた。何と言いますか、その純粋さはどこから来るのかと驚嘆します。私が羨望の気持ちを抱くのは、その恐ろしいまでの純粋さに対してです。

 

その一方で、私は、幼少の頃から創価エリートの道をまっすぐ歩んできた人に対し、ある種、とてつもない不憫の念をもって見ることがあります。

これから先もずーっと上述のような純粋さをもって、創価学会のこと、池田氏のことを信じ、本部職員としての職務を全うしようとする気持ちが薄れないのであれば、本人にとって幸せなことだと思います。生活に困ることもないでしょう。

しかし、全員が全員そうとは限らない。件の元職員3名のように、現執行部をおかしいと感じ、批判の声をあげ、組織に従わなかったために終には懲戒解雇処分になった職員さんもいる。過去を振り返れば、創価学会のおかしさに直面して、目が覚めてしまった本部職員も他にもいたでしょう(中には、自ら問題を起こして表舞台から消えてしまった自業自得のような人もいますが)。

そのように組織の現実に直面し、創価学会を見限ったとして、私のように、何のしがらみもない普通の学会員であれば、非活になるとか、脱会するとか、いくらでも逃げ道はあります。その後、創価と無縁の人生を歩むことも可能です。ところが、本部職員となればそうはいかないはずです。自身の正義を貫いて創価学会と敵対するか、自身の心情に反して創価学会に付き従うか。そのどちらかを選択するしかなく、どちらの道を進むにしても多大な苦労が付きまとうことは容易に想像できます。

また、仮に、波風を立たせないように穏便に自主退職できたとしても(そんなことが出来るのか分かりませんが)、創価エリートとして生きてきた過去は消せないし、今更創価と無縁の人生を歩もうと思ってもたくさんの困難がつきまとうと思います。私が不憫の念を抱くのは、たとえ創価学会に対して疑問を抱いたとしても、創価の呪縛から逃れることができない人生の残酷さに対してです。

 

そして、どちらかと言うと不憫の念の方が強いです。

創価学会の欺瞞に気付かず、「創価学会は正しい」「信心は正しい」と信じ切ったまま、人生を終える方が幸せな人もいると思いますが、私にとって、本部職員さんも信じ切ったまま人生を終えるのが幸せな人たちのように思えます。創価学会から搾取されてきたと感じている学会員さんは、そのような状況を決して許さないと思いますし、創価学会の内部事情は嫌でも耳に入ってくると思いますが。。

私は、創価のレールを人生の途中で脱線することなく、本部職員になる道を選んだ人というのは、この世に生を受けたその日から、抗うことのできない運命を課せられていたようにも思うのです。普段、「運命」というオカルトチックなものはあまり信じませんけど、これについては、そうだったのかなぁ…と。こちらの一方的な思いで申し訳ありませんが、だからこそ余計に不憫に思うのでしょうか。

 

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2 コメント

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ちょうど (わらびー)
2018-05-04 02:04:04
最近同じことをよく考えていました。

私にも、創価一貫教育を経て本部職員になった同級生が多くいました。キラキラした正義感あふれる創価エリート達。職業幹部や配達店の人ら。

彼ら彼女らが現創価学会に失望した時
自分を偽れなかったら全てを失うんだろうなと。

除名され、仕事も身内とも縁を断たれ

本当に哀れです。

私は今は外郭団体からも離れたので、理解あるバリ活主人のおかげ?で、非活に目覚めても強信の身内に隠しつつ公私ともに平穏でいられてますが。
Re:ちょうど (たれぱん)
2018-05-05 00:52:50
「キラキラした正義感あふれる創価エリート達」

まさに私が言い表したい言葉にピッタリです。
ほんとに、純粋無垢な瞳でキラキラしてますね(^_^;)

懲戒解雇になった元職員3名を見ていますと、
私は、「何が彼らをそこまで駆り立てるのだろう?」と思ったりもします。
自らが抱く理想なのか、今まで信じてきた幻想なのか。

「アンチは、創価学会を批判することで自分たちのアイデンティティを保っている」
「結局、創価学会がなかったら生きていけない人たちである」
と、学会派の方が主張されることもありますが(私は全くそう思いませんが)、
まさに元職員3名のような創価エリートの方は、
創価学会なくして生きていけない人なんだろう…と思います。

彼らは、「創価学会は自分たちが理想とする姿に戻ることができる」と信じているからこそ、
現在のような行動を起こせるのだと思いますが、
もし、創価学会自体の欺瞞に気づいたとき、
果たしてアイデンティティは保てるのかと、
非常に哀れに思えてなりません。。

>私は今は外郭団体からも離れたので、理解あるバリ活主人のおかげ?で、
>非活に目覚めても強信の身内に隠しつつ公私ともに平穏でいられてますが。

ご理解のある旦那さんで本当に何よりです。
これからもどうかご自愛ください。

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