活動から離れた創価内部アンチのブログ。

元バリ活の内部アンチ(3世会員)による体験記・雑記です。

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「組織から離れてはいけない」?

2018-02-01 18:30:00 | 体験談・雑記

学会では、「組織から離れてはいけない」と口酸っぱく指導します。うちの親もそればっかり言ってましたね。「ちゃんと組織についていきなさい」と。

創価学会が考えていることは至ってシンプルで、世間に流されないように組織に縛り付けることで、「創価学会が唯一の居場所」「創価の教えだけが唯一正しい」とマインドコントロールすることが狙いかと思います。創価以外のコミュニティによる影響を可能な限り排除することが目的…と言ってもいいかもしれません。よくあるマインドコントロールの手法ですね。

ただ、周囲を見渡していると、どうにもこうにも組織に馴染めなかったり、あるいは組織から無理難題を押し付けられて、体や心を壊している人がたくさんいます。活動に嫌気が差して、信心そのものからも離れてしまう。そんな人が続出している中で、それでもなお組織に縛り付けようとするのは一体何なのだろう…と思います。

親世代だって、そういう人をたくさん見てきたはずです。それならば、いくら創価脳に染まっているとはいえ、「組織についていくことだけが信心ではない」という考え方を持っている人が居てもいいはずなのに、不思議なことに、そういう考えを持っている人に出会ったことは一度もありません。バリ活であればあるほど、組織についていくことが信心の根幹であり、組織から離れ、我見の信心に励むことは悪だと考えています。

 

でも、日々組織の中で行われている活動を見てください。選挙のF取りだとか、財務だとか、新聞啓蒙や池田氏の書籍の購入斡旋だとか、「それ信心なんですか?」とツッコミたくなるようなことばかりしているじゃないですか。信心と無関係の活動を押し付ける組織についていく必要って本当にあるんですかね?

「そんなものは信心ではない!金と政治権力に毒されてしまった組織を捨て、私は純粋に信行学に励んでいくんだ!」という考え方を持っている人がいてもおかしくないですし、それじゃダメなんですかね(そういう方は、とっくに創価学会を退会していると思いますが)。もしくは、「創価学会員である以上、基本的には組織につくけど、納得のいかない活動については組織の指示には従わない」とか。そういった選択の自由がなく、「組織に従う」or「組織から離れる」という極端な2つの選択肢しかないために、後者を選ぶ人が続出していると思うんですけどね。「組織を変える」なんて選択肢はありませんし。

 

もうひとつ。創価学会が、戦後から高度成長期にかけて、経済的・社会的弱者にとって居心地の良いコミュニティを提供してきたことは事実だと思いますが、「経済的に苦しい」「社会的に弱い立場にある」という共通項でコミュニティが形成されていた昔とは異なり、現代は、考え方が多様化し、創価学会員と一口に言っても、それぞれの社会的立場や属している社会的グループも様々であって、創価学会は、共通の社会的立場にある人たちに固定化されたコミュニティを提供するという歴史的使命を既に終えています。

創価学会をそういうコミュニティと捉えてきた世代にとっては、創価学会こそ自らを肯定できる唯一の居場所であり、心の拠り所でもあると思うんです。だからこそ、行き場を見失わないように、次の世代に対しても「組織から離れるな」と強調するのではないかと勝手に想像しているんですが、この感覚は今の世代には分からないですよ。別に、創価学会以外にも拠り所となるコミュニティなんてたくさんあるんですから。

 

この "感覚のズレ" にぶち当たった人が組織から続々と離れていった結果(淘汰された結果)、今の創価学会には、コミュニティとしての創価学会に居心地の良さを感じている世代ばかりが残った…という感じでしょうか。

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4 コメント

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組織について話したけど (えり)
2018-02-02 17:42:21
たれぱんさん こんにちは。
私も脱会届を出してから大好きな親友家族には言えずでしたが、ついに親友のお母さんが会いに来て、お互い泣きながらお話しをしました。

「この信仰は正しいとは思えない。私は、断れない人に無理ばかりさせる組織だと思う。人間関係が嫌なんじゃなくて、学会組織が大嫌いになった」と泣きながら説明したけど、「それはその人の課題だから。えりちゃんはその人に寄り添ってあげようと思わないの⁇」と言われ何も言えなくなりました(ノ_<)
私はご本尊より親友家族からもらったお仏壇のが大切だし、いまも家にあるけど、学会の人はお仏壇よりもご本尊を返したことにすごくショックをうけていて、信仰の違いを改めて感じて
二世の人の辛さも感じました泣

昨日、今日と悲しくて昔みたいな関係に戻れないのかもと思うと涙が止まりませんでした泣
えりさんへ (たれぱん)
2018-02-02 19:23:14
えりさん、こんにちは。
お話をお聞かせいただきありがとうございます。

創価学会を退会することも、本尊を返却することもえりさんの自由だと思いますし、
「断れない人に無理ばかりさせる組織に嫌気が差した」という理由が、
「会員個人の課題」というのは私には分かりません。
個人の課題ではなく、組織の課題だと思います。
そこにえりさんが疑問を感じられて、創価学会を退会することは全然間違っていませんよ。


>私はご本尊より親友家族からもらったお仏壇のが大切だし、
>いまも家にあるけど、学会の人はお仏壇よりもご本尊を返したことにすごくショックをうけていて、
>信仰の違いを改めて感じて二世の人の辛さも感じました泣

確かに、創価学会では本尊を信仰の対象としており、
本尊を安置する場所として仏壇があるため、
「ご親友家族から頂いた仏壇の方が大切」と言っても、
そのお気持ちは伝わりづらいかもしれません。
ただ、私個人としては、えりさんのお気持ちは凄くよく分かります(>_<)


>昨日、今日と悲しくて昔みたいな関係に戻れないのかもと思うと涙が止まりませんでした泣

私は、ひとつの宗教をやめる・やめないという判断だけで、
人間関係が壊れてしまうのはおかしいと思っています。
どこまでいっても信教は自由です。
一度創価学会に入ってみたけれど、合わなかったというだけの話です。
本来、「そうかぁ。一緒にやっていけたら良いと思ったけど、
それがえりさんの意思なんだったら仕方ないね」となるはずです。
「なんで?」「どうして?」と責められることがおかしいんです。

人間なので、色んな感情が生じるのは分かりますが、
「創価学会をやめる」「本尊を返却する」というえりさんのご判断によって、
ご親友家族が、えりさんと疎遠になるとすれば、
悲しいことですが仕方ないのかな…と思います。
もちろん、今までとおりの関係性を続けていくことができればそれに越したことはないのですが。

私も、親との関係を見たときに、「創価学会さえなければ」と何度も思いました。
しかし今となっては、もう避けられない運命・宿命なんだなと割り切っています。
ご親友家族が創価学会の活動家として、周囲の友人・知人と接していく限り、
今回の一件がなかったとしても、遅かれ早かれ、えりさんにとって嫌な思いをすることは避けられなかったんじゃないかと思うのです。

事情を知らない身でありながら長々とすみません。
また、取り留めのない文章で申し訳ありません。
今、自分が感じていることを書き綴ってみましたが、
えりさんが、一度しかない人生を希望をもって歩まれることを願っております。
強引 (くま薬)
2018-03-09 23:02:39
こんばんは。私は数年前までバリ活動婦人部員でした。去年母親バリバリ活動が亡くなり、以来会合は、出てません。以前から、不審に思ってた事が一気に吹き出しました。あんなに活動してた母親が亡くなっていらい誰も私の事気にかけてくれる人はいません。バリ活時代はよく、先輩の理不尽さになやまされ、今日の会合を今
日突然連絡され、随分ふりまわされました。3日ほど前3月11日の会合を連絡に突然息子の所にきた…でも、うちねの息子は
最近心臓がやや悪い…一目断った。次の日もきた。う~ん、悩んだ末息子が行くと決めたら大喜び! 挙げ句に、病気もか、な、ら、ず、治るからね! は?心臓は、もうはもうすでに、23年前から悪いですけど…… 医者でもないのにいうな! 私は、そばで イライラしてた。信心で治るなら、治っとるわい?、また、次の日きた。必ず行くよね❗もう、しら~~ん。〇〆∞%@♂£#%@∞
くま薬さんへ (たれぱん)
2018-03-10 18:10:53
はじめまして!
コメントありがとうございます。

>去年母親バリバリ活動が亡くなり、以来会合は、出てません。
>以前から、不審に思ってた事が一気に吹き出しました。
>あんなに活動してた母親が亡くなっていらい誰も私の事気にかけてくれる人はいません。
>バリ活時代はよく、先輩の理不尽さになやまされ、
>今日の会合を今日突然連絡され、随分ふりまわされました。

体験談をお聞かせ頂きありがとうございます。
学会員さんが亡くなっても、何事もなかったかのように振る舞う…というのは、
確かによくあることなのかもしれませんね。

私の体験談ですが、男子部時代、当時の部長が若くして亡くなられました。
葬儀の際、茫然自失とされていたご両親の顔を今でもよく覚えています。
それ以来、あれだけ熱心に活動されていたご両親が、
バタッと活動に出なくなったんですね。

「あんなに一生懸命信心に励んでいたのに、なぜ息子は亡くなったの?」
「なぜ、諸天は守ってくれなかったの?」

そういう思いが胸に去来されたのかもしれません。
あくまでも想像でしかありませんが。

そういう話を親や周囲の学会員としても、
「うん、まあ…、◯◯さんも今は大変だから…」と、
それしか言いません。
なんと言いますか、あまり触れたくない話題という空気を感じたんですよ。

「周囲の学会員さんが、励ましていかないといけないね」
「支えてあげないといけないね」
とかじゃないんですよ。
息子さんの死をきっかけとして、信心を疑って活動から身を引いた存在…みたいな。
言い方は悪いですけど、「腫れ物」みたいな感じでしょうか。
あからさまにそんなことは言わないですけどね。
私は、そんな空気を感じました。


>挙げ句に、病気もか、な、ら、ず、治るからね!
>信心で治るなら、治っとるわい?

本当に適当なことを言ってきますね。
私も持病を持っていますが信心では治りませんでした。
信心が足りなかったとか言われるんでしょうけどねー。
あー、はいはい。そうですか。

しっかし、まあ、トンチンカンなこと言ってますわ。
その3・11の会合に出たら病気が治る??
これ本気で言ってるんですか?
だったら、日本中の病気で苦しんでいる人に対して、
「この会合に参加したら治りますよー!」と呼びかけたらどう?と言いたいです。
本当に治ると思っているなら、絶対そうすべきですし、
そういう呼びかけはしないんですかね?
まあ、会合に人を集めるための口実だと、こちとらわかってますけど。

創価のことでイライラすることもあるかと思いますが、
どうか息子さん共々、ご自愛なさってください。

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