活動から離れた創価内部アンチのブログ。

元バリ活の内部アンチ(3世会員)による体験記・雑記です。

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創価学会の内部分裂をめぐる将来について

2017-12-05 00:36:01 | 体験談・雑記

その内容の真偽は定かではないが、父親から、「池田先生は、数百年後の未来を既に予想されている」という話を聞いたことがある。その御構想を側近には伝えてあり、自身が亡くなった後も学会員が路頭に迷わないように、既に手を打っておられるそうだ。だから何の心配もしていないと父親は語っていた。私は、数百年後の未来を予想するという、常人・浮世離れした神業を、一凡夫に過ぎない池田氏に為せるとは全く露にも信じていないが、そのような話を信じ、「池田先生が亡くなった後も、創価学会は安泰だ」と心の支えにしている学会員さんは多いのかもしれない。

池田氏がどのような未来を予想したのか知らないが、創価学会の未来予想に関連して、青蓮さんという方が、「学会3世の憂うつ」というご自身のブログの中で執筆された記事↓が興味深かったので、この場をお借りして言及させて頂きたい(青蓮さんは創価学会の未来予想という趣旨で執筆されたわけではないと思うが)。

 

「ご了承」不在の時代①:活動家でも反逆者でもない生き方

(http://sanseimelanchory.hatenablog.com/entry/2016/08/10/083602)

 

同記事の大要は、一連の安保法制に反対する天野氏や、本門戒壇の大御本尊を受持の対象から除外するという会則変更に対して反対を訴える学会員や、学会本部を懲戒解雇となった元職員3名を例にとり、このような最近の造反は、池田氏を批判の対象としていた原島氏や藤原氏らによる造反とは異なり、学会執行部や公明党を批判の対象としている点に特徴があると分析し、このような事態は、「これまで創価学会が内部に抱えてきた「顕教」と「密教」の二重構造の矛盾が、池田名誉会長の「ご承認」の不在によって一気に表面化した」ことが原因であるとしたうえで、「今後、学会本部や公明党に対する批判は増加する一途だろう」と予想されている。

私は、今となってはアンチであるため、池田氏を信奉する学会員さんが、どのような視点をお持ちなのか分からず、このような記事は非常に参考になる。確かに、憲法9条の改正ひとつをとっても、池田氏がGOサインを出していれば(ご承認があれば)、今のような内紛は起こっていないのかもしれない。「池田先生には、我々の理解の及ばない深いお考えがあるのだろう。弟子である我々は師匠に付き従うのみ」と、盲従する人が後を絶たなかったと想像する。もちろん、私にそのような視点はなく、池田氏による指示か否かなど何の関係もないが。

 

以上を踏まえ、近年の一連の"内紛"に対し、私は「起こるべくして起きた」と感じている。というのも、これまでの方針・指導と真逆のことを行うことは、創価学会の得意技であり、たとえそのような方針転換を行ったとしても、従来であれば、池田氏の絶対的指導力のもと、学会員さんをコントロールすることも可能であったが、池田氏が不在となれば、学会の矛盾行動に対する不満が噴出しても何らおかしくはないからだ。ただ、池田氏のような絶対的権力者がいない組織において、派閥・分裂が生まれるのは別に不自然なことではないし、むしろ民主主義が機能している証左でもある。同じ政党に所属しているからといって、議員・党員全員の政治思想・意見が統一されていないのと同じだ。日本共産党ですら終戦後に分裂を経験している。創価学会もそれと同じ運命を辿るというだけの話だ。

もっとも、内部分裂を起こした後のことに思いを巡らせると、そのような内部分裂を繰り返していった後、最終的に創価学会は、単なる「池田教」ではないもっと違う何かになるような気がしている。例えば、先の造反を起こした元本部職員3名は、絶対的な池田氏信奉者であり、池田氏のことを愛してやまない他の学会員と何ら思想的背景は変わらない。この元職員に同調する学会員もいるぐらいだ。しかし、現執行部の意向に沿わず、態度も改めなかったということで創価学会を追い出される形となっている。では、追い出した側の創価学会とは一体何なのだろうと考えてみると、かつての宗門と創価学会の関係に似ているような気もする。日蓮正宗は、宗祖・日蓮大聖人から脈々と受け継がれる正統宗派であると主張する一方で、創価学会は、我々こそが日蓮大聖人の教えを実践する唯一正しい団体であると主張する。それと同じで、池田氏が不在の中、私達の考え方こそが池田先生の御心に沿うものであると主張して対立するという構図だ。日蓮大聖人の教えについて、様々な解釈が生まれて分派したのと同様に、池田氏の教えについても、様々な解釈が生まれて枝分かれしていくのではなかろうか。今後、池田氏を御本仏と崇めるようなことがあれば、対立するのは必至だろう。

 

最後に、あくまで想像でしかないが、現執行部はそんなことは百も承知で、段階的に学会員を切り捨てていくつもりだと思う。創価学会が破門されて独立したとき、まず日蓮正宗派を切り捨てた。続いて、池田氏に反感を抱いている者を切り捨て、会則変更によって、本門戒壇の大御本尊を信心の根幹としていた学会員を切り捨て、今、護憲派を切り捨てようとしている。その次は、日蓮大聖人を御本仏と崇める学会員を切り捨てるのだろうか。そんなことを考えていると、創価学会の内部分裂とは、保守派・革新派というような分かりやすい構図ではなく、もっと複雑な問題ではないかと感じる。

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