活動から離れた創価内部アンチのブログ。

元バリ活の内部アンチ(3世会員)による体験記・雑記です。

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創価学会による世界拡大について

2018-04-10 19:33:10 | 体験談・雑記

創価学会は、声高に「世界への拡大」を口にしていますが、現在、人々の信仰心の希薄化等に直面し、信者数の減少に頭を悩ませている宗教団体は非常に多いです。

 

まず、日本国内に目を向けると、文化庁の宗教年鑑を参照する限り、全体的な信者数は年々減少しています。新興宗教で言えば、1990年代に約180万人だった天理教は、2017年に約110万人にまで落ち込んでいますし、同期間において約630万人の信者数を誇った立正佼成会は、2017年に約270万人にまで信者数を減らしています。半減どころではありません。

次に世界に目を向けますと、キリスト教の凋落が顕著です。ヨーロッパでは信徒減少に歯止めがかからず、教会閉鎖が相次いでいますし、アメリカでは無宗教者の割合が増加。1990年代に一ケタ台だった無宗教者の割合は、2014年には21%にまで増加し、米国のプロテスタント最大教派である南部バプテスト連盟もまた、教会員や受洗者数の減少に直面していると言います(ただし、アメリカでは、教会に通う人の数は未だに非常に多いそうです)。

もっとも、このような信徒減少傾向は、全ての宗教に当てはまるわけではなく、正当派ユダヤ教は比較的安定していますし、イスラム教は逆に信者数を増やしており、2030年までに欧州全土において5800万人にまで達するとの予想もあります(参照:「大量に売りに出される欧州の教会―信者の減少で」THE WALL STREET JOURNAL)。

 

このような世界的傾向に鑑みて、創価学会に限って全世界で信者数を増やしているわけがないだろう…と言いたいわけではありません。というか、増えているかどうかなんて正確な統計データ等が存在しないので分かりません。

そうではなく、日本国内で信者数の伸びが頭打ちとなり、後続の青年部層にポッカリと穴が空いている組織の現状を見ますと、世界拡大に舵を切った点は、組織マネジメントとして正解だと思えます。無宗教となる人が増えているということは、創価学会にとって、創価学会に改宗させるチャンスが増えたということですから。…まあ、ヨーロッパに限って言えば、主な改宗先となっているのはイスラム教ですけど(「なぜ増える?イスラム教への改宗」浅川芳裕、BLOGOS)。

いや、と言いますか、創価学会はもはやそれしか選択肢がないと思います。先日、開催された世界青年部総会(でしたっけ)についても、海外のSGIメンバーに広布のバトンを託す儀式だったようにも感じます。

 

あと、最後に1点だけ。もし仮に、世界拡大に奏功したとしましょう(私は懐疑的ですが)。すると、いずれどこかの国のSGIが、日本国内の会員数を抜くタイミングが来ると思います。そうなったとき、かつての日蓮正宗と創価学会のような関係になるんじゃないですかね。

つまり、総本山よりも大きな勢力となったとすると、「広宣流布に貢献しているのは、むしろ私たちじゃない?」「なんで弱小勢力である日本の創価学会本部に支配されないといけないんだ?」という思いが芽生え、「日本の創価学会本部から独立しよう」「自分たちで新たな組織を構築しよう」という分裂が起こるんじゃないかと。どうでしょうかね。

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退会した人は「裏切者」でも「恩知らず」でもない。

2018-04-05 19:00:00 | 体験談・雑記

私が、創価脳に染まっている人の言動として理解出来ないことの一つに、退会した人を「先生や同志を裏切った恩知らず」などと罵って、これを批判することにあります。

他の学会員に迷惑をかけるなどして、除名等の処分を受けた学会員に向けられるのでしたらまだ分かります。しかし、創価学会の教えや方向性に疑問を感じ、自主的に創価学会を退会した人に対しても同じように批判の目を向けるのは如何なものでしょうか。少なくとも私は違和感を覚えます。

 

そもそも「恩」ってなんですかね。創価学会では、「四恩に報いることが仏法だ」などと教えていますが、両親や友人に対する恩は分かりますよ。だけど、同志に対する恩とか、師に対する恩ってなんぞ?池田氏のことを「師」と思っていない人からすれば、「師匠の恩に報いろ」などと言われても、

 

「一体なんの恩だ…?」


って感じでしょう。恩着せがましいとはこのことです。しかも、疑問を感じながら創価学会に残り続けることが「恩返し」なんですか?もし、それを恩返しと言うなら、結局、創価の教えに従わせたいだけじゃないですか。

日本人は律儀な人種なので、「恩」と言われたら、何だかこれを無碍にしてはいけないという発想になりがちですが、そもそも恩なんてないし、あったとしても押し付けられたものですよ。個人的にお世話になった方などもいらっしゃるでしょうし、そういう方に対して感謝の気持ちを持つことは大切だと思いますが、創価学会を退会するという判断とは何の関係もありません。

 

また、自発的に創価学会に入会したわけではなく、生まれたときから強制的に入会させられた2世、3世、4世会員はどうなんでしょうね。そういう生き方を一方的に強制しておいて、そういう人がいざ退会したら、途端に「裏切者」「恩知らず」って、そりゃないでしょう。

例えるならば、どのクラブに入るか全く考えていないのに、同級生が、「お前の名前で勝手に野球部に入部届を出しといたから!一緒に野球やろうな!」と、無理やり野球部に入部させるようなもの。「やってみれば野球の面白さが分かるから!」と言われ、部活に取り組んでみたものの、野球の良さが分からずに退部すると、「裏切者!」「恩知らず!」と罵られるのと同じです。これ、無茶苦茶じゃないですか?

2世、3世、4世会員からすれば、「無理やり押し付けといて、どの口が言ってんねん」って感じです。「裏切者」とか「恩知らず」などと罵っている方へ。あなたは本当にそんな偉そうに罵倒できる立場ですか?罵倒している対象は、本当にそのような批判が適切な相手なのでしょうか?ちょっと考えてみてください。

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道徳の教科化と思想の押し付け

2018-03-29 19:30:00 | 体験談・雑記

私は、2018年度から全国の公立小学校で始まる道徳の教科化に対し、密かにその動向が気になっています。

これまでは教科外活動として、国の関与を受けずに教師の裁量によって実施されていた道徳の授業が、特別の教科という位置づけとなった結果、全国の小学生は、文部科学大臣の検定を通過した教科書を使用し、子どもたちの学習結果を教員が記述式で評価し、子どもたちが学ぶ道徳の内容は、国が学習指導要領で定めることになります。

このような道徳の教科化に対し、「子どもたちに特定の思想や価値観を押し付けることになる」「子どもたちの思想良心の自由を侵害するおそれがある」として、反対運動のあったことは周知のとおりです。

 

私は、道徳の授業をめぐる議論について、「思想や価値観の押し付け」になるかどうかは、教え方次第だと思っています。

本来、道徳とは、物事の是非・善悪の価値判断を行うための規範であって、多角的な視野を養うことが目的のはずです。例えば、あるテーマをめぐって、Aという考え方もあれば、Bという考え方もある。それぞれの考え方の違いを理解させたうえで、自分だったらどの立場を採るか…と子どもたちに考えさせる。

そうやって、子どもたちは、物事の多面性や価値観の多様性を学び、自身の人生の糧にしていく。これが、本来の道徳の目的であって、この目的をはき違えていない限り、道徳の授業は、価値観の押し付けなどではなく、子供たちの心の豊かさを育むことにも繋がるだろうと考えています。

 

しかし、学会の家庭では、「創価学会の思想が唯一正しい」と、親が子どもに自身の価値観を押し付けてきました。このような家庭内での創価思想教育を受けていた私からすれば、正直なところ、道徳の授業ぐらい可愛いもんだと思います。心配しなくても、小・中学校時代に受けた道徳の授業ぐらいで、その後の人生が左右されるほどの思想的影響なんて受けないです。はい。

 

ちなみに、公明党は当初道徳の教科化に反対しており、現在も党内では慎重論が多いようです。ここで、公明党のオフィシャルコメントをご紹介しておきましょう。

 

「公明党は、子どもの豊かな心を育てるための道徳教育の重要性を踏まえた上で、道徳教育が特定の思想や価値観の押し付けにならないよう一貫して訴えています。」

引用元:「道徳の教科の課題」公明党・公式サイト(https://www.komei.or.jp/news/detail/20150225_16335)

 

…ほーぅ。特定の思想や価値観の押し付けにならないようにねぇ。。

公教育における道徳の授業と、家庭内の躾とでは、全く議論の次元が異なりますが、公明党としては、創価学会の家庭内で、親が自身の宗教思想を子どもに押し付けていることに対し、どのように評価しますかね。子どもに特定の思想・価値観が押し付けられているという問題構造は同じだと思うんですが、どなたか1名でもいいので、公明党の議員として意見を述べて欲しいですねぇ。ご自身も創価学会員であれば、事情はご存知でしょうし。

 

最後に、4月から新入学・新学期を迎える子どもたちも多いと思いますが、物事の多面性、価値観の多様性を学び、自身の心の豊かさを育んでいって欲しいなと願います。

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創価学会におけるポピュリズムと今後の展望

2018-03-26 19:25:16 | 体験談・雑記

私は、ビートたけしさんの映画は好きだけど、お笑いは好きじゃないです。彼がボケてもあまり笑った記憶がありません。私がダウンタウン世代だからそう感じるのかもしれないですけど。

ある時、とあるラジオ番組にて、水道橋博士さんが、「ビートたけしの笑いは ”力” だ」と発言していて、妙に腑に落ちると同時に、「そんなこと言っちゃっていいの?」とハラハラしたことを思い出します。

水道橋博士さんによれば、「その人がボケれば周りは笑わなければならない…という雰囲気を作れる力こそがお笑い」だそうで、要するに、「ボケの内容が重要なのではなく、誰がボケたのかが重要なのだ」と。

 

政治において、この ”力” に服従・迎合しすぎると、民主主義が機能不全に陥るというのが、従来の特権知識階級によるポピュリズムに対する批判だったわけですが、長らく池田氏の ”力” を前にして、民主主義が機能停止していたのが創価学会でした。少なくとも私にはそう思えます。

現在も、創価学会は民主主義が機能停止しています。確信をもってそう言えます。ただ、そんな創価学会にあって、唯一良い傾向だと思うのが、現・原田会長に池田氏と同じような "力" がないという点です。

非活になる直前に、本幹同中で聞いていた原田さんの話は、まあ…何と面白みのない話でしょうか。原稿を棒読みだし、池田氏みたいにアドリブも効かないし、会場を沸かすジョークが言えるわけでもない。表情も暗い。日々の業務でお疲れなんですかね。聞いているこっちの気持ちが落ち込んでくる。これが会長の挨拶・指導か?と思っていました。

 

その結果どうなったか。

安保法制をめぐる内紛などもありましたが、原田さんが池田氏ほどの ”力” を持たないために、一部の学会員から執行部批判の声があがるなど、民主主義が部分的に回復しているように思えるのです。おかしいと思うことに対して、素直に「おかしい」と声を上げるという、ごくごく自然な言論活動が徐々に出来るようになった、と。創価学会は全力で潰しにかかっていますけど。

今までの創価学会ではこんなことは考えられないと驚く人もいますが、今までが異常だっただけで、これが普通なんですよ。私は、ようやく学会員が大衆迎合主義を抜け出し、民主主義を醸成する段階へ移ったのではないかと感じています。遅すぎですが。。

 

この次に学会員が直面することは何か。

私は、現執行部を批判出来るんだったら、そのうち、「池田体制もおかしかった」という結論に達する人も少なくないんじゃないか、と思っています。その当時は、周囲が従っていたから自分も従っていたけれど、池田先生って本当に正しかったのかなぁ?と。現にネット上ではそういう議論が盛んに起こっていますが、それが公然と起こるようになるんじゃないかと。

いつまでも創価学会のパフォーマンスに踊らされているほど、学会員は馬鹿ではないと思います。

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学会活動に費やしている時間

2018-03-23 18:06:08 | 体験談・雑記

学会活動に励まれている活動家の皆さんは、現在どれぐらいの時間を学会活動に捧げていますでしょうか?

例えば、朝晩の勤行唱題で1時間、仕事終わりの家庭訪問や部長会などの会合で2時間、週1の部員会で1時間…というように試算していくと、1週間のスケジュールのうち、数時間というレベルではなく、少なくとも10時間、20時間という単位で学会活動に時間を費やしていると思います。

ここで、毎日2時間を学会活動のために費やしたと仮定しましょう。正直なところ、多忙を極める役職者は2時間どころでは済まないですし、平日と土日では学会活動に費やす時間は全然違います。また、1日の時間を自由に使える婦人部の方であれば、1日中学会活動をしていることもあると思います。

ですが、まあとりあえず、朝晩の勤行唱題(1時間)+会合・家庭訪問(1時間)=計2時間と想定します。活動家だったら、最低限これぐらいはやっているだろう…という個人的な推測も入っていますがご容赦ください。


話を進めます。もし、1日2時間だとすると、1週間で14時間、1ヶ月で60時間、1年で730時間となります。

これが多いのか少ないのかピンとこないかもしれないので、資格試験の合格のために必要となる勉強時間と比べてみます(※)。

  • 日商簿記2級:250時間
  • 行政書士:600時間
  • 社会保険労務士:1000時間
  • TOEICスコア350点→950点:1550時間
  • 公認会計士:3000~5000時間

代表的な資格を抜粋してみましたが、大体これぐらい↑と言われています(あくまでも目安です)。

つまり、1日2時間の学会活動の時間を全て資格の勉強に充てたとすれば、約4ヶ月で日商簿記2級合格、約10ヶ月で行政書士試験合格、約2年でTOEIC950点取得、約4年で公認会計士試験の合格最低ラインまで届くという計算になります(もちろん個人差はあります)。

※ ちなみに、国内最難関と言われている司法試験の場合は、合格までに8000~10000時間が必要と言われているので、1日2時間だとすると、合格するまでに約11年かかる計算になります(どひゃー)。

 

資格に興味がない方からすれば、「だから?」って感じかもしれませんが、私自身も別に、「学会活動に費やしている時間を勉強に充てれば、資格が取得できるよ」ということが言いたいのではありません。1日たった2時間程度のわずかな時間であっても決して侮れないということが言いたいのです。

資格の勉強ではなく、家族との団らんの時間、読書の時間、ジョギングの時間などであっても同じです。1日、2日では大した差は生じませんが、それが1ヶ月、半年、1年、3年、5年…と時が経つにつれて、「やった人」と「やらなかった人」の差は顕著に現れてきます。まさに「塵も積もれば山となる」です。

 

以上を踏まえ、「果たして学会活動は本当に有意義な時間なのか?」と疑問を感じている方に問いかけたいと思います(学会活動に何の疑いもないバリ活の方はどうぞお好きなように突き進んでください)。

 

✔ もし、今自分が費やしている時間が全て無意味なものだとしたら?

✔ 何か意味があると思って、選挙や財務に取り組んでみたけれど、それは功徳や福運と何の関係もなかったとしたら?

✔ 創価学会に良いように利用されているだけだとしたら?

 

そんなことを考えただけでゾッとしませんか?だって、もっと有意義に使えたはずの貴重な時間を無駄にしていたことになるんですよ?そして、これからも無駄にしていくんですよ?

1年、2年ぐらいだったらすぐに気持ちを切り替えられるかもしれません。やり直しなんていくらでも出来るでしょう。また、自身の余生をどのように過ごすのかを考える年齢に差し掛かり、創価学会に必要とされていることに喜びを感じている方もあまり心理的ダメージはないかもしれません。

しかし、まだまだ前途のある方が、この先、5年、10年と時間を積み重ねていけばどうなるでしょうか。学会活動に全身全霊をかけて数十年が過ぎた頃に、実は学会活動は無意味だったと気付いたらどうなるでしょうか。

想像に容易いですが、過ぎ去ってしまった膨大な時間はどうにもならないんです。もう戻ってこないんですよ。「もっと家族と触れ合う時間を作っておけば良かった」「資格の1つや2つでも取得しておけばよかった」と、そんなことを後になって悔やんでも、文字通り「後の祭り」です。

しかも、全て自己責任です。創価学会を恨んでもどうにもなりません。誰かが失われた時間を補ってくれるわけでもありません。だからこそ、疑問を感じているのであれば、「このまま学会活動を続けるか」それとも「学会活動をやめるか」を、よくよく考えるべきです。惰性で学会活動を続けるのではなく、一度立ち止まって、「本当にこのまま続けるべきなのか?」と自分に何度も問いかけてみるべきだと思います。

 

(※)参照元

English Lab「TOEIC800点に到達するまでに必要な学習時間は?

CPA「資格難易度ランキング!勉強時間&合格率から考察する!

ジュリナビ「10,000時間ルールと司法試験

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