あんちりおんのブログ

『あんちりおん』は詩人、画家、漫画家、批評家の異才がつくった雑誌です。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

「デッサンの基本」 アトリエ・ハイデ編 ナツメ社 その2

2009年07月11日 | 芸術・美術

デッサンの基本 (ナツメ社Artマスター) デッサンの基本 (ナツメ社Artマスター)
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2009-06-19
「デッサンの基本」アトリエ・ハイデ編 (ナツメ社)

もしも、内容に興味を持ってくださる方がいらした時のために、目次を紹介させていただきます。初めて描く人のために、最初のほうから順を追って、少しずつ難しい要素の説明になっていくように工夫されています。

目次

デッサンとは…… 2

1.デッサンの準備 7
 用意するもの 8
 鉛筆の使いかた 10
  鉛筆の削りかた/鉛筆の持ちかた
 いろいろなタッチ 13
 練りゴムの使いかた 14
 視点の位置を決める(姿勢について) 15
 制作のヒント はかりかた 16

2.かたちをとる1(くだものや野菜など) 17
 りんごのかたちをとる 18
 ナス、タマネギのかたちをとる 22
 パン、卵、柿のかたちをとる 24
 制作のヒント 構図について 26

3.かたちをとる2(器物など) 27
 楕円の描きかた 28
  楕円を描く手順/視点の高さとかたちの関係
 缶のかたちをとる 32
  円柱の楕円(缶やコップを描くときの注意)
 ななめに転がった缶のかたちをとる 36

  ななめの缶(円柱)の楕円
 ガラスのコップのかたちをとる 40
 ガラスのびんのかたちをとる 42
 ジョッキのかたちをとる 44
 立方体の描きかた 46
  立方体のまちがい
 紅茶の缶のかたちをとる 50
 制作のヒント 視点の位置を決めるポイント 54


4.立体感を出す 55
 面にそったタッチ 56
  面にそってタッチを入れる
 大まかな明暗を見る 60
  描きやすい光の方向/おおまかな明暗から細部へ

 かたちの変わり目を描く 62
  かたちの変わり目
 まわり込むところのかたち 64
 陰と影 66
  反射光/球体の反射光を描く
 影 68   
  台(床)との接地面を描く/床から離れたものの影

 制作のヒント 遠近を演出する 72

5.質感を出す、色を表現する 73
 いろいろな質感 74
  ガラスの質感を出す/陶磁器の質感を出す

 固有色 78
  固有色をモノトーン(白と黒の調子)で表す
 制作のヒント エスキースについて 80

6.静物を描く 81 
 カットガラスのある静物(ヨコ構図・斜光) 82
 カットガラスのある静物(タテ構図・逆光) 90

 サザエのある静物(タテ構図・斜光) 96
 参考作品 108

7.人物を描く 123
 横顔を描く(半身・斜光) 124
 椅子に座った人物(全身・斜光) 130
 下から顔を描く(半身・逆光) 134
 参考作品 138
 予備校とアトリエなどについて 142

8.植物を描く、動物を描く 143
 植物を描く 144
  植物を描くときのポイント(ゆり)/マーガレットを描く/ばら

 動物を描く 148
  動物を描くときのポイント(ねこ)/いぬ/うし/やぎ
 参考作品 156

9.作家のデッサンと言葉 157
 毛利武彦 158
 一ノ関圭 164
 福山知佐子 168

 基本用語集 174

  

 この本の最後の、福山のデッサンについての言葉を転載しておきます。(あくまで、作家個人の、自身の作品に関する考えなので、ご参考までに・・・・)

 

 デッサンというより、素描といったほうが自分にとってはしっくりくる。
 筆で支持体にじかに描くとき、それは素描と本画の区分を超える。

 とくに植物と向き合うとき、自分の追っているものは立体感よりも衰弱や衰微の変容の運動なので、あえて光の陰影をつけない。

 空間より時間に興味があるので、一秒ごとに変化するものを追うもどかしさや、既に失われたものの残像の記憶に関心をもつ。自分の身体感覚もそこで絶えず変化しているので、それによっての、ものの見え方の変化と持続自体に興味がある。

 

 素描とはごく個人的な体験である。なんとも奇妙なものに引きずられて描かされてしまう状態、誰かに見せることを考えないで描く瞬間、ものとの出会いと喪失の体験を身体に深く刻むために描く時間が、濃密な記憶となる。

 

 いつ始まるのか、いつ終わるのかもわからない植物の死の時間を追っている時、自分の浅薄な構想や構成を超えて、瞬間、瞬間にはるかに緊密で精緻な未知の演技がなされる。それに対してこちらがどれだけ受容体に成り得るか、時間と身体の際の鬩ぎ合いが、そこに現前しながら既に失われた時間への内密な地図を刻む。

 

 ものとの関わりの時間の中で、どこをどう切断しても素描であるから、どこでやめ
るか、どこで紙を新しくするかは瞬間の記憶と変容の運動、ものとの関係の体験のありかたの問題であり、素描はその時間の中で途中と完成の区分を持たない。

 

絵よりも以前に、強烈な対象との関係があり、その時間をどう切断しても絶えず変質しながら事物の側へ引き戻されるので、その決して終わらない時間、そこにない時間をも含む時間をかすかにでも描くことができれば、「絵」(素描)に近づけるのではないかと思う。

 

何をもって発見と言えるか、何が陳腐で何が斬新なのか、ものを「見る」ことが可
能なのか、素描とは、作家の身体をもって常にそれが問われる場となる。外にあるものとの関わりにおいて、それまでどう生きてきたのか、どういう意志で絵を描いているのかも顕わになるのが素描だと思う。

 絵を描くとき、何をやりたいのか以上に、何をやってはいけないのか、何に反発するのかが問題になる。
 自分は、人間的な言葉に侵されていないもの、どこにでもあるようでいて、すべて
から切断されたようにいきなりそこにあるもの、言語の外にあってとらえがたい不穏なものに触れる感受性だけに惹かれる。逆に人間の論理や自明性の表現には、激しい嫌悪感を感じる。素描は、生身の身体とそとにあるものとの交接によって、安易な言葉や記号でしかない人間的な表現に対抗していける有意義な仕事だと思う。

 

 自分は人を描くことがほとんどないが、あるとしたら描きたいと思うひとは、およ
そ人間的でないひと、時代の人間的な文化の荒害をまともに受ける、この世の外の淡い光を照射してかろうじて存在しているのかと思えるような、不思議で静かでとらえ
難い、微細にして鮮烈な雰囲気を持ったひとである。

 

 写真の被写体との時間よりも、さらに静謐な時間が共有される。わずかな会話の声の響きと、傷つきやすい表情が濃密な記憶のなかで反復され、無名色の光と匂いを残す。自分の放った声がその人にどう響いたのか、記憶されたのかはわからない。他者と時間を共有するとはどういうことなのか。はたしてそのときそのひとはそこにいたのだろうか。

_dsc0116_572

Dsc_19

この記事についてブログを書く
« デッサンの基本 アトリエ・... | トップ | あんちりおん1と2 »
最新の画像もっと見る

芸術・美術」カテゴリの最新記事