社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

吉田忠「[書評]D.E.モリソン,R.E.ヘンケル編/内海庫一郎,杉森滉一,木村和範訳『統計的検定は有効か』」『統計学』第39号,1980年9月

2016-10-05 20:39:12 | 2.統計学の対象・方法・課題
吉田忠「[書評]D.E.モリソン,R.E.ヘンケル編/内海庫一郎,杉森滉一,木村和範訳『統計的検定は有効か』」『統計学』(経済統計研究会)第39号,1980年9月

 原書のタイトルは,The Significance Test Controversy で30の論文が収録されているが,訳書では以下の17論文に絞られている(「はじめに 争点の紹介と本書の構成」「むすび 行動科学における有意性検定」)。この論稿に,目次は示されていないが,便宜を考えて構成を一覧する。

第1部 批判的な歴史的接近
解説/第1章「現代の危機-不確実な推論の不確実性」(ホグベン)/第2章「統計的配
慮と統計的推論」(ホグベン)

第2部 社会学における論争
解説/第3章「統計的方法の諸問題」(リプセット)/第4章「形式的基準なきデータ分  
析の落とし穴」(デーヴィス)/第5章「社会調査における有意性検定批判」(セルヴィン)/第6章「社会学的研究における確率化と推論」(マクギニス)/第7章「社会研究における理論・確率・帰納」(カミレリ)/第8章「聖なる0.05-社会科学における統計的有意水準の使用にかんする覚え書き」(スキッパー,ギュンター,ネイス)/第9章「有意水準の選択基準―聖なる0.05についての覚え書き」(レイボヴィッツ)/第10章「統計的検定と実質的意義」(ゴールド)/第11章「有意性検定再論」(モリソン,ヘンケル)/第12章「有意性検定の意義―証明か証拠か」(ウィンチ,キャンベル)

第3部 心理学者による批判
解説/第13章「帰納仮説の有意性検定の誤謬」(ローズブーム)/第14章「心理学研究における有意性検定」(ベイカン)/第15章「心理学と物理学における理論の検定法-方法論的逆理」(ミール)/第16章「心理学研究における統計的有意性」(リッケン)

第4部 他の分野からの批判
解説/第17章「証拠としての有意性検定」(バークソン)

評者による要約とコメント,見解は次のとおりである。
1. 1960年ごろから70年にかけて,アメリカの社会学と心理学の分野で交わされた統計的推論万能論に対する批判と反省がまとめられた本書の意義は,それが日本で完全に見落とされていたこともあり,大きい。

2.批判の視角,論点は多様であるが共通項は,社会科学の実質的研究を進める諸方法が有意性検定によって置きかえられるという点,ないしは有意性検定がもっとも基本的部分を代替するという点に対して疑問を呈していることである。

3.第1部ではホグベンの主張が述べられている。その内容は,統計的方法による対象の真値を測定する際の誤差論,気体運動論のような純粋な確率現象,自然と社会に部分的に存在する統計的規則性の利用,統計的推論に分け,最後の判断の計算では主観内部における判断過程に確率を擬制したものにすぎないこと,しかもそこでの利用可能性が数学者によるものも含め理論的基盤がまだ与えられていないことである(第1章)。ホグベンは,有意性検定(むしろ統計的配慮)をはじめとする統計的推論が科学研究の方法としての「推論」とは無縁であると主張している。ただ,ホグベンが本来の科学的推論をどのようなものと考えているかは不明である(第2章)。

4.第2部では社会学界での論争である。第3章は1956年にコロンビア大学で有意性検定をあえて省いたモノグラフを刊行したとき,それを弁明したリプセット論文である。有意性検定に関するその後の論争に登場する論点がほとんど出てくる。第4章のデーヴィス論文はそれへの反論である(有意性検定のような形式的基準を放棄するとデータの数字の読み取りが恣意的になる)。この部の基調は,社会学界での有意性検定万能論に対して画期的意義をもったセルヴィン論文をめぐる論争である。そこで評者はセルヴィン論文を詳しく紹介している(第5章)。その後に,これに対する批判論文が収録されている(第6,10,12章)。なかでもマクギニス論文は,セルヴィンが検定結果の解釈に関する批判を正当と認めたものの,それらは方法としての有意性検定の問題点というより,その使い方の誤りである,とした。モリソン・ヘンケルの論文は,マギニウスのセルヴィン批判を受け入れつつ,有意性検定が社会学の理論の実質的発展にとって必要条件の役割さえ果たしえないと断定した(第11章)。

5.第3部には心理学分野での有意性検定に,それぞれ独立に疑問を呈した論文が収録されている。ローズブームは,一回の観察結果から是非の結論を下す有意性検定が科学の方法に相応しくないこと,なぜなら科学の方法は各種のデータである命題の信頼性を高めていくことを目的とするからであると批判する(第13章)。ベイカンは,ネイマン・ピアソンを支持する立場からフィッシャーの「帰納理論」と有意性検定を批判する。ベイズ決定理論に関心は示すが,その態度は明瞭でない。ただし,批判は内在的である(第14章)。ミール論文,リッケン論文は,科学の理論やその実証による発展と統計的仮説ないしその検定結果との隔たりを強調したものである(第15章,第16章)

6.第4部には,他の分野からの批判として医学者バークソンの論文が掲げられている。この論文は,翌年フィッシャーの反論を招いた有意性検定批判を内容とする(第17章)

7.編集者のモリソン,ヘンケルは有意性検定批判の論点を,統計学と科学哲学の問題に分け,網羅的に列挙している(ここでは省略)。また,両者は有意性検定の適用可能な場合の局限された条件をあげ,それらが多くの行動研究で満たされず,満たされるべきものでない,なぜなら大部分の行動研究がインプリシットに基礎科学研究を志向し,基礎科学の推論はその範囲・形式・過程・目的で統計的推論と異なるからである,としている。

8.評者は結論として次のように述べている。本書では一部の論者によって理論形成過程における多様な実証研究と理論的方法の重要性が強調されているが,有意性検定の役割を浮かび上がらせるほど具体化されていない。そのため,有意性検定を単なるデータ読み取り手続きとみなす見解への批判が十分説得力をもっていない。データ整理をめぐる主観的判断に関して限定された「合理化」としての意味しかもたない有意性検定も,理論的研究の進展,その前提としてのまた結果としての事実資料の集積の中で,それらの補完によって役割を果たしうるかもしれない。問題はその形態や内容であり,科学研究の方法全体において,それがもつ意味と重要性である。

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