社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

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広田純「ソヴェトにおける統計学論争」中山伊知郎編『統計学辞典[増補版]』東洋経済新報社,1957年

2017-10-05 21:22:33 | 5.ロシアと旧ソ連の統計
 1940年代後半から50年代半ばにかけての,ソ連における統計学論争を紹介した論稿。辞典の一項目とは言え,一本の論文に匹敵する分量で書かれている。構成は,以下のとおり。「1.『形式主義的=数学的傾向』の批判」「2.1948年会議の経過」「3.と掲学の対象と方法」「4.1952年論争における諸見解」「5.1954年の科学会議」。

 紹介されている統計学論争は,1948年の3つの会議,1952年の中央統計局での「統計学の理論的基礎に関する会議」,1954年の科学アカデミー,中央統計局,高等教育省による「統計学の諸問題に関する科学会議」である。他に『統計通報』『計画経済』『経済学の諸問題』などの科学雑誌での関連論文が適宜とりあげられている。

 革命後暫く,ソ連の統計学界では数理統計学が主流であった。この傾向に対しては,実践からの遊離がつとに指摘され,統計学死滅論(統計学は不要になり国民経済計算がそれに代位するという考え方)が唱えられた。数理統計学に重きをおく流れは,戦後も続き,この傾向はネムチーノフの統計学に代表される。ネムチーノフは,1945年に,『農業統計とその一般理論的基礎』を著し,スターリン賞を受賞している。

 論争はコズロフが『計画経済』第2号に,中央統計局公認のクレイニンによって執筆された『統計学教科概説』を批判したことに始まる。同誌第3号には,その後の討論の内容も反映した無署名論文「統計学の分野における理論活動を高めよ」が掲載された。筆者はこの論文に論点が集約されているとみて,詳細に紹介している。この論文では,要するに,ソビエト統計学が経済建設の実践から立ち遅れていること,その原因として統計学が数理形式主義的傾向をおび,統計学の教科書が「抽象的=数学的命題と操作の総体」を内容としていること,国家的報告組織の研究がなおざりにされていること,ブルジョア統計学に対して批判的検討が弱いこと,その背後にある観念論哲学,俗流経済学を軽視,あるいは無視していること,などが指摘された。

 その後,1948年に3つの関連した会議が開催される。一つは3月から5月にかけて科学アカデミー経済学研究所で開かれた「統計学の分野における理論活動の不足とその改善策について」の会議,二つ目は7月から8月にかけて開かれた農業科学アカデミー定期総会での会議,3つ目は科学アカデミー経済学研究所で,10月に開催された「経済学の分野における科学=研究活動の欠陥と任務」の拡大学術会議である。第一の会議では多くの人が,少なくとも言葉の上では理論活動の立ち遅れをみとめ,「形式主義=数学的偏向」の誤謬を認めた。しかし,ネムチーノフが「形式主義=数学的偏向」を批判しながら,実際の統計活動家の理論における立ち遅れと数学的方法の軽視を指摘し,他の論者も統計学一般利理論,統計的方法,数学的方法の効用をあげるなど,基本的な点で見解の不一致が残った。第二の会議ではいわゆるルイセンコ論争がルイセンコとネムチーノフとの間で戦わされた。この論争はルイセンコの学説(環境因子が形質の変化を引き起こし,その獲得形質が遺伝するという説,メンデルの遺伝学を非科学的と批判)をめぐるもので,ネムチーノフは染色体遺伝説を支持し,実質科学(生物学)に対する統計学の優位を主張した。言うまでもなく,現在,ルイセンコ学説を支持するものはいない。

 第三番目の会議で,オストロビチャノフは統計学の分野での理論活動が実践から遊離し,一連の統計学者がブルジョア統計学から抜け出ていないこと,一部の統計学者の見解に統計学の役割を過小評価する傾向がみられること,を指摘した。ネムチーノフはこの会議で,農業科学アカデミー定期総会での会議での主張の誤りを認めて自己批判している。ネムチーノフが自己批判したのは,実質科学(ここでは生物学)に対する数理統計学の優位を主張した点である。それでも,形式主義的偏向を認めたからと言って,「統計学から数学的方法を全然排除せよと言うことではない」との主張を変えていない。オストロビチャノフはこの点をとらえ「結語」で,ネムチーノフの自己批判が不十分であると指摘した。
翌年,コズロフは『経済学の諸問題』(1949年第4号)に「統計学におけるブルジョア的客観主義と形式主義に反対して」を書いた。その内容は,上記の論争を総括するものである。

1950年代の論争は,それ以前の論争の影響があるものの,論点は統計学の対象と方法に集約されていく傾向をもった。2月に中央統計局で「統計学の理論的基礎に関する会議」が開催されている。局長のスタロフスキーが司会をし,ソーボリが基調報告を行った。スタロフスキーは,統計学を歪曲するものを2のグループをあげている。一つは,統計学を大数法則に基礎をおく普遍的科学とする形式的数理派の人である,もう一つは統計の一般的原理および方法の妥当性を否定して統計学を個々の指標の体系に解消する若干の統計学者である。ソーボリは統計学の定義を次のように与えた。「統計学は社会科学である。統計学は社会経済現象および過程,過程の型および形式を研究して,それを適切に編成され,かつ社会経済諸関係の周到な分析を基礎に加工された数字資料の助けをかりて表現する」と。
この討論会では統計学の対象と方法とは何かが主要な論点であったが,関連して統計学と数学,数理統計学,経済学,他の社会諸科学との関係,大数法則の理解と位置付け,確率論の評価,統計学の教科書の構成,など多岐にわたった。注目されたのは,大数法則を統計学の理論的基礎とみなしていたピサレフの自己批判であった。席上,数理派弁護の論陣をはったのはポドバルコフであったが,支持者は少なかった。全体として数理派の退潮が目立った。

以上を受け,『経済学の諸問題』は誌上で,「統計学の対象と方法をめぐる論争」が組織された。この論争をとおして,「普遍的科学説」「社会的方法科学説」「独立の社会科学説」のおそれぞれの立場が明確になった。「普遍的科学説」は,統計学が自然現象,社会現象を問わず対象の量的側面を研究する方法を開発し,豊富化する科学であるとする学説である。この説を唱えたのは,ネムチーノフ,ピサレフ,ボヤルスキーなどである。「社会的方法科学説」は,統計学が社会現象の量的側面を究明する方法をその研究対象とする科学であるとする説である。社会科学方法論説を代表したのはН.ドルジーニンである。「独立の社会科学説」は,統計学が社会現象の数量的規則,法則を解明することを任務とする科学であるとする立場である。「実質科学説」に属したのは,コズロフ,チェルメンスキー,プロシコ,オブシェンコ,ソーボリなどである。
50年代初頭に展開された論争を集約する目的で開催されたのが,「統計学の諸問題に関する科学会議」(ソ連科学アカデミー,中央統計局,高等教育省共同主催)である。この会議は1954年3月16日から26日まで11日間にわたって開かれた。760人におよぶ研究者(統計学,経済学,数学者,哲学,医学などの諸分野),統計実務家が参加した。報告は文書によるもの20件を含め80件に及んだ。

 1954年会議は,科学としての統計学の定義に諸説があることをふまえつつ,あるべき統計学の発展の方向性を実質科学説の立場(コズロフ的見地)から次のように示した。それは.オストロビチャノフによる会議の次の総括として知られる。「統計学は, 独立の社会科学である。統計学は, 社会的大量現象の量的側面を, その質的側面と不可分の関係において研究し, 時間と場所の具体的条件のもとで, 社会発展の法則性が量的にどのようにあらわれるかを研究する。統計学は, 社会的生産の量的側面を, 生産力と生産関係の統一において研究し, 社会の文化生活や政治生活の現象を研究する。さらに統計学は, 自然的要因や技術的要因の影響と社会生活の自然的条件におよぼす社会的生産の発展とが, 社会生活の量的な変化におよぼす影響を研究する。統計学の理論的基礎は, 史的唯物論とマルクス・レーニン主義経済学である。これらの科学の原理と法則をよりどころにして, 統計学は, 社会の具体的な大量現象の量的な変化を明るみにだし, その法則性を明らかにする」と。

 この会議では,以上の結論とともに数理的,形式主義的偏向が厳しく批判され,普遍科学方法論説は後景に退いた。論点は,普遍科学説にたつ論客が統計学の対象として社会現象の数量的把握と解析を自然現象のそれらとを同一視する方法論(統計的方法が社会現象にも自然現象にも等しく適用可能とする考え方)に依拠することに対する批判であり,統計学が社会現象を数量的側面から観察し,分析する独自の課題を担うことへの無理解に対する批判である。普遍科学説はまた,大数法則が社会現象にも自然現象にも同じように作用すると理解したが,その過大な期待に批判の矛先が向けられた。

 筆者は最後に,この会議が統計学の内容,その対象と方法という基本的問題について,集団的な努力で一つの結論に達したことは,その後の理論活動の出発点として大きな意義をもった,と評価している。
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