社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

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有田正三「統計的集団概念論序説」『現代の経済と統計』有斐閣, 1968年

2016-10-04 20:28:34 | 2.統計学の対象・方法・課題
有田正三「統計的集団概念論序説」『現代の経済と統計(蜷川虎三先生古稀記念)』有斐閣, 1968年

 蜷川統計学の基礎範疇である「統計的集団概念」(「存在たる集団」「意識的に構成されたる集団」)は, ドイツ社会統計学の批判的継承によって形成された。本稿は, その「ドイツ社会統計学における統計的集団概念の展開を跡づけ, 成果とその限界を明らかにする」ことである。

 筆者は, ドイツ社会統計学の集団概念の起源をリューメリンとクナップと推定し, マイヤーで成熟したと考えている。リューメリンは統計方法を社会認識の不可欠の手段とし, 統計的集団概念を提唱し, これを理論展開の環とした。リューメリンの集団概念との特徴は, 要約して言えば, 時間的空間的に限定された類(類型的な現象の説明概念)の特殊形態として個性的個別事例から構成され, 実際の観察の客体となるもの(個別事例の差異の説明概念)である。この「集合概念」の規定を前提し, それが外的に妥当するものとしての「社会的集団概念」(「自生的集団」を含めた三形態)である。しかし, リューメリンにあっては, 観念的統一体である「集合概念」に適用される統計方法が, 現実的複合体である「自生的集団」に適用される必然性は論証されていず, ここに方法と客体との矛盾が露呈された。

 リューメリンの集団概念を発展, 成熟させたのが, マイヤーである。マイヤーは社会的集団として3つの種類をあげている。その一つが「人間集団」であるが, この概念は特定の時間的空間的限定のもとでの人間の並存であり, その本質は類という観念的統一体である。ここまでは, マイヤーの考え方は, リューメリンと異ならない。相違はリューメリンが「集合概念」の規定の外的妥当性にもとづいて統計的集団概念を自生的集団=社会に転換させたのに対し, マイヤーは社会を分解し, 社会的集団を見出し, 統計方法(とくに統計調査法)の受容される場を見出したことである。統計方法の本質的形式は同種の個別事例の悉皆大量観察であり, 「集団現象および集団状態」をその適用条件とする。

 20世紀に入って, ドイツ社会統計学は大きく変貌する。チチェク, フラスケムパーの登場である。チチェクにとって, 統計方法は「統計的集団の数的説明の獲得および解釈」を課題とし, 統計的集団は認識内在的に設定された「形式的に同種の個体の総体」(主観の抽象的形成物)である(マイヤーはこれを外在的に設定)。チチェクの集団概念にあっては, マイヤー的なそれ, すなわち社会的集団がその要素形態としてもっていた客観的制約は取り払われている。社会の切り捨てによって, 「統計的集団概念=観念的統一体」と「社会=現実的結合体」との矛盾を, ひいては方法と客体の矛盾をいわば強引に解決したのがチチェクである。
 チチェクにおいて萌芽的にあらわれた統計的集団概念の認識内在化をさらに徹底させたのがフラスケムパーである。統計的認識はまた現実事象の模写ではなく, 一定の形式による現実事象の抽象化であり, この抽象化=加工形式が統計方法の本質形式となる。では, その統計的集団はどのように規定されているのか。フラスケムパーによれば, 統計的集団は「同種の個別事例の総体」であり, それは明確に現実事態を素材とする主観の係生物である。統計的集団はここに数理の発動を可能にする制約となっている。フラスケムパーが前提した数理は, 主として計数・計量の初等数学的なものであるが, 集団概念がここまで主観的に形式化されれば, そこに確率論的な数理が入りこむまではほど遠くない。筆者は「統計的集団概念は, ここに(フラスケムパーの統計的集団概念)に崩壊の相を示すのである」と断定している。

 最後に筆者は, ドイツ社会統計学における統計方法, 統計的集団概念の変遷を検証したうえで, 次のように総括を行っている。すなわち, 初期のドイツ社会統計学の代表格だったリューメリンやマイヤーと, 後期ドイツ社会統計学の代表格だったチチェク, フラスケムパーとは, その内容は対極にあるとしも, 方法から客体を規定する方法論的態度は同一であった。しかし, 客体に対して方法が優位とする姿勢は科学の方法としては転倒している。方法は客体によって規定される。筆者の結論は, 客体の方法への従属による方法と客体の構造的統一の確保すること, これを社会について実現させることで客観的必然的な社会統計的認識の構造を構成し, 統計的認識を社会的認識に組み込み, 統計方法が社会認識の手段であることを論証することが重要であるということに他ならない。
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