徳島新聞に「阿波の民話」を連載されていた湯浅良幸先生は、郷土史家でとして、また平和運動に尽力された方でもあり、一つの枠には入りきらない、偉大な方だと思います。
その湯浅先生が亡くなられて一年、「偲ぶ会」が開かれ、私も参加してきました。
私は、「9条の会」でお世話くださっている先生の姿が一番印象に残っているのですが、今日のDVDで、軍国少年だったというお話と、軍国主義教育がどれほど恐ろしいものか、改めてぞっとする思いがしました。
軍隊に志願して行くことがカッコいいことと教えられ、嬉しいような気分で入隊したと、テレビのインタビューで述べていました。
14歳で特別年少兵として入団するとき、近所のおばさんから「こんなこんまい子が戦争に行かないかんやゆうて…」という声も出ていたけれど、それは、大勢の歓呼の声にかき消されており、湯浅先生本人も何かウキウキしたような気分だったということでした。
入団後の生活の壮絶な体験などを話している64才当時の湯浅先生
九死に一生を得、戦後、郷土の歴史研究、平和のための市民運動への協力などに生涯をかけてこられた根源をみせていただきました。
多くの方が湯浅先生の思い出を語ってくださいました。
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夜は宝田公民館の忘年会。
審議委員や民生委員さんなど、一年の活動をお互いにねぎらい交流しました。
その湯浅先生が亡くなられて一年、「偲ぶ会」が開かれ、私も参加してきました。
私は、「9条の会」でお世話くださっている先生の姿が一番印象に残っているのですが、今日のDVDで、軍国少年だったというお話と、軍国主義教育がどれほど恐ろしいものか、改めてぞっとする思いがしました。
軍隊に志願して行くことがカッコいいことと教えられ、嬉しいような気分で入隊したと、テレビのインタビューで述べていました。
14歳で特別年少兵として入団するとき、近所のおばさんから「こんなこんまい子が戦争に行かないかんやゆうて…」という声も出ていたけれど、それは、大勢の歓呼の声にかき消されており、湯浅先生本人も何かウキウキしたような気分だったということでした。
入団後の生活の壮絶な体験などを話している64才当時の湯浅先生
九死に一生を得、戦後、郷土の歴史研究、平和のための市民運動への協力などに生涯をかけてこられた根源をみせていただきました。
多くの方が湯浅先生の思い出を語ってくださいました。
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夜は宝田公民館の忘年会。
審議委員や民生委員さんなど、一年の活動をお互いにねぎらい交流しました。