平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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NO 19 青春日記  新型ウイルスに勝とう

2020年04月30日 | Weblog

 青春日記

NO19    

 難あれば 楽もある
 2000年 夏
 上下万人一同にくまれ者にて  (1438)
谷、山、海、千あり、世の中はさまざま、難あれば、楽もある。信心していても悪口ある。しかし、地道に信ずることである。鎌倉時代、日蓮大聖人は、国中の人に憎まれたが、だが、一切衆生を救済する戦いをした。牧口先生、戸田先生もそうだった。のち、多大の人々にその闘争を理解し、先駆者の戦いにびっくりもされた。法華経には現世安穏とある。さあ頑張ろう。
 
 青年よ 青年よ 君たちの、未来に生き抜く瞳は
 自由自在の劇場の舞台が待っている         指針
 
 
 

     青春の舞
 青年の前進は 洋たる舞台
 彼の戦いは 太陽の如く
 輝く力              指針
 
建長寺、円覚寺の僧共の作法戒文を破する事は大山のくずれるが如く威儀の放埓たることは猿に似たり  1442
 
 解説 鎌倉時代の、僧、やりたいことやり、人々を誑かした。法衣は白く人々は騙された。世の中は荒れた、地震、武士たちの争い、他国からの攻めなど人々は不安に包まれた。日蓮大聖人は、世の乱れ、人々を不安に陥れる原因を知っていた。そして、戦った。正法の弘教に戦ったのだった。
 
 
NO18  青春日記
2000年7月29日
  まず、自分自身が動くことである。すべて、そこから始まる。  ガンジー
 
 絶対に臆病になってはならない。。臆病は、忘れがたい屈辱を永遠にのくすからだ。   指針
 
 是れ程の大事の法門を伝教、天台もいまだ仰せられず、其れも道理なり末法の始の五百年に上行菩薩の出世あって弘め給うべき法門なるが故なり   御金言
 
 解説 宝に出合ったようである法華経、迹門である。比叡山を創設された、伝教は日本国中に法華経を弘めた。像法時代、仏法がさまざまに流布し、人々がなにが正しいか理解できなかった。そして、時の最高指導者、天皇の前で、各派は勝負された。伝教は各派を破り各派を統一させ、国中の寺などが伝教の法門の前に下った。例えて言うと、家康のように天下をおさえたのだった。ちなみに、伝教の後は、仏教はバラバラとなり国が混乱となる。話はそれてしまったが、それほどの優秀な伝教さえ弘められなかった法門であった。天台も、又、優秀な座主であったが弘められなかった。それが、末法に上行菩薩が弘められ、現在は受持できる。ありがたいことである。というのは、上行はあらゆる難を受け耐え忍び弘めたのであった。
 
参考 比叡山
 京都の北東に位置する山で、京都、滋賀県にまたがる。伝教が785年に比叡山に登り一乗の院を建立した。のち、廷暦寺の勅号を受けた。
 
2000年8月2日
林鳥父祖の食を通ず(りんうふそ)
 林にすむカラスは自分の育だててくれた親やそのまた親が飢えないように、エサを運んで恩に報ずること。考養の譬え。
 
川瀬祭魚 (せんだつさいぎょ)
川瀬が正月に捕らえた魚を並べて先祖を祭るとの伝説で畜生さえ礼儀を知ることの譬え。 
 
 解説 犬さえ三度、飯を食べたら恩を忘れないという。渋谷のハチ公などその例である。人間とは何か、恩とは何かを考えさせる譬えでもある。


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