平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

トップページに平和の歌が投稿

先駆の人 キュリー夫人

2010年04月26日 | Weblog
先駆の人
キュリー夫人
(1867-1934・ポーランド生)

 1903年にノーベル物理学賞、1911年にノーベル化学賞を受賞した。
彼女は女性最初のノーベル受賞者である。彼女の功績を称え放射能の単位をキュリーに、パリ大学ではキャンパスに名が残っている。国立科学学校では当時彼女が研究した棟は彼女の博物館になっている。祖国のポーランドでは紙幣に彼女の肖像が描かれている。

 彼女はポーランドなので活動の拠点のフランスでは、同じ科学者に妬まれた。いじめられた。その輩がマスコミをも利用し彼女の悪口を書きいじめたのだった。しかし、彼女は負けなかった。戦った。強く生きたのだった。

マリー・キュリーはポーランドの中学の理科教師の父の末娘として生まれた。父の投資の失敗から家庭教師の仕事をした。当時、ポーランドはロシアの属国として不幸な国であった。彼女は祖国の解放、独立を願い科学研究を決意した。1891年パリ行きパリ大学に席を置き物理学、数学の理学士を修得した。

1895年にピエールと結婚した。夫と共にめざましい業績を上げた。1894年にポロニウムを発見、のち、ラジウムを発見した。
1910年にパリ大学の正教授となった。後、第一次世界大戦の悲惨の現状をしった彼女は救護のラジウム医療に従事した。戦後は平和と文化の援護に努めた。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿